第4 篇 西欧現代思想

  第十六章 社会主義思想

  1ユートピア社会主義

  産業革命がイギリスで18世紀後半から始まり,資本主義が確立していきました。しかし最大限利潤追求のみを原理にする資本家階級の支配の下で,労働者階級は重労働と厳しい搾取,失業の不安に喘ぎ,窮乏化を深めていました。

 そこでトーマス・モア『ユートピア』以来,書き続けられていたユートピア小説で語られてきた私有財産のない理想的な共同社会を建設しようという運動が起こり,その為の構想が練られ,実験が行われるようになりました。この運動は, 後の科学的社会主義の立場からは,社会の科学的分析と理想実現手段の認識を欠いていたため「ユートピア社会主義」と呼ばれます。

 フランスのサン・シモン(17601825) は,『産業者の教理問答』で,労働と科学を基礎にして合理的に経済が統制された搾取のない理想社会として産業社会を構想したのです。そこでは資本家と科学者と労働者からなる産業者階級が共同で管理,支配することになります。

 フーリエ(17721837) は『四運動の理論』を著し,生産協同組合とその複合体からなる協同社会「ファランジェ」を構想したのです。後の現代社会主義は国有企業を国家権力が運営する形をとり,結局行き詰まりましたが,協同組合の連合体を基本にする社会主義の可能性も試みる価値はあるようです。

 イギリスのロバート・オーエン(1771 1858) の代表作は『新社会観』です。かれは自分の経営するニュー・ラナークの工場の労働条件を改善し, 厚生施設や労務管理を近代化しました。この模範工場の運営に成功したのです。当時厳しい自由競争の時代でしたから,最大限の利潤を目指して,非情な労務管理をしないと競争に敗れて,潰れると思われていました。オーエンは労働者に良い待遇を与えることで,働きがいがあり,主体的に創意工夫が生まれて,生産性が向上するようにして,かえって経営を成功させたのです。

 次いでアメリカで愛と協同による共産村であるニュー・ハーモニー村の建設に挑戦しましたが失敗して,全資産を無くしてしまいました。それでも彼は挫けずに,イギリスに帰ってからは労働組合運動や協同組合運動を指導して労働者の地位と生活向上に尽力したのです。

  2若きマルクスの疎外論

   科学的社会主義の創始者はマルクス(18181883) とエンゲルス(18201895) です。ロシア革命の指導者レーニンはマルクス主義の源泉を3つ取り上げました。イギリスの古典派経済学(特にスミスとリカードの労働価値説)とフランス社会主義そしてドイツ観念論哲学(特にヘーゲル弁証法)です。それらを批判的に摂取した成果として科学的社会主義の学説を位置づけたのです。

 ヘーゲルやその批判者で人間学的唯物論を説いたフォイエルバッハから自己疎外の論理をマルクスは学 びとりました。それを労働に適用して,疎外された労働の論理を分析しました。1844年の『経済学・哲学手稿』では次の「四つの疎外」にまとめました。この労働の自己疎外論が現代ヒューマニズムの重要な要素になっています。

〔1〕生産物からの疎外−人間は自分たちが生み出した生産物が,自分たちのものにならないで,自分た  ちから独立し,自分たちに敵対して自分たちを苦しめる「生産物からの疎外」に陥っています。この生産物には広い意味では文明もふくまれます。人間が生み出した文明は人間から自立し、一人歩きして、人間の手におえないものになり、人間に対立して人間を苦しめています。

〔2〕労働からの疎外−が起こるのは,労働が自由な活動ではなく,強制された苦役として無理やりやらされる「労働からの疎外」に陥っているからです。

〔3〕類的本質からの疎外−が起こるのは,「類的本質からの疎外」によるのです。つまり人間という類は労働することを本質的な特長にしています。労働によって自己の能力を発揮し,自己実現できるのです。労働によってさらに人間生活を豊かにし,自然をそれに相応しく作り変えて人間環境として素晴らしいものにするのです。ところがこの活動が,実際には苦役であり,衣食住などの消費生活の手段としてしか捉えることができません。本来は目的である筈の自己実現活動が自己喪失活動としてなされており,実際の目的である生活手段を獲得する為の手段でしかないのです。これが「類的本質からの疎外」という意味なのです。これは〔1〕〔2〕の帰結であると同時にその原因でもあるのです。

〔4〕人間(他人)からの疎外・もし人間同士が互いを共同で働き,共同で消費する身内と見なすことができていたら,「類的本質からの疎外」も起こらなかったでしょう。自分が作った物が人々の欲求を充足することに自己実現を感じ,生きがいを感じられる筈です。しかし現実は,労働を通して各人が作るものは分業社会では,見ず知らずの他人の消費するものです。自分も他人の作った物を手に入れるために,自分が作った物を提供しています。ところが両者は互いにできるだけ少ない労働で,他人のできるだけ多くの労働の成果を支配しようとしていますから,相互支配であり,対立的な関係にあるのです。労働自体が他人を支配する為に他人に支配される関係になってしまい,類的な共同として実感できないのです。この相互支配,敵対的な人間関係が「人間からの疎外」です。この原因は生産物を排他的に所有し合う私有財産制度にあるのです。私有財産を無くして共同的な人間関係を築き上げることができれば,互いは同じ共同的な全体の身内として意識され,四つの疎外も克服できるというのです。

  3フォイエルバッハ・テーゼ

   そして『フォイエルバッハ・テーゼ』では,「人間の本質は,現実的には,社会的諸関係のアンサンブル(総和)である。」と科学的な人間観を明確にしました。現実の諸個人を理解するのに,予め頭の中で考えついた人間の本質で説明しても,具体的な説明にはなりません。現実的には,その人がどんな社会的な関係をいろんな場面で取り結んでいるのかを知ったうえで,その総和として理解しなければならないということです。人間の本質が思惟とか労働であると理解するの間違いだと言っているのではありません。

 またマルクスは,「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。肝心なのは世界を変革することである。」と実践的唯物論を示すテーゼを打ち出しました。世界は変革しないでもよいのなら,哲学者によって受け止め方次第で,好きなように解釈できます。でも変革しなければならない場合は,いい加減な解釈では必ず失敗してしまいます。実践によって試され,発展した世界の認識こそが大切だというのです。

4唯物史観

   これらを踏まえてマルクスとエンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』や『共産党宣言』では唯物史観の立場を確立したのです。政治や法律,思想や文化などは上部構造であって,経済的な土台に規定されています。その事に無頓着に前衛的な思想で変革の旗手になったつもりでも,世間はびくともしません。各時代の生産様式は漸次発達する生産力と,その時代を通じて変化しない生産関係の矛盾を抱えています。生産関係が生産力の発展に大きな障害になった場合に,生産関係の変革がなされ新しい生産様式の時代が誕生するのです。上部構造はこのような土台の変化に対応して変化するのであり,その時代の課題を正しく認識ししていないと有効な思想にはなれないのです。

 ところで生産関係は生産手段を所有している階級が,生産において生産手段を所有していない直接生産者階級を支配する関係なのです。これは生産力の発展段階によって<無階級社会である原始共同体⇒古代奴隷制⇒中世封建制⇒近代資本制⇒新しい共同体>の五段階に区別されます。こうして歴史はギゾーが言ったように「階級闘争の歴史」であること,その結果として共産主義社会到来の必然性が科学的に主張されたのです。

  5剰余価値理論

   マルクスは資本主義経済を科学的に分析して, その固有の矛盾を明らかにしました。この体系的な成果が1867年の『資本論』です。そこで彼は,スミスやリカードの労働価値説を批判的に継承し,労働者に対する搾取の構造を明らかにした剰余価値説を展開したのです。

  労働力商品の価値も他の商品と同様に生産費に規定されますから,結局労賃は, 労働力を再生産するに必要な最低限度の生活費に当たります。ところが労働者はその上に必要な労働時間を越えて,一労働日全体にわたり労働力を使用させられます。例えば4時間で労賃分の価値を生み出せたとしても,必要労働時間分働いたから家に帰ろうとすれば,もう明日から来なくてよいと解雇されてしまいます。資本家から決められている一労働日は,例えば8時間で,もう4時間職場で働く契約になっているのです。この剰余労働時間分の剰余価値が資本家の獲得する利潤の全源泉になるわけです。マルクスによればこの剰余労働時間分の価値も労働者が生み出したのだから,資本家がこれを自分のものにするのは不当な搾取だというのです。

 もちろん資本家にすれば,工場の設備や原材料・燃料に投資して調達し,労働者が働ける条件を作ったのですから,それに対して何らかの報酬があってしかるべきです。労働者が自分の労賃分以上に働いて資本家に利潤を与えても,搾取ではないと反論します。

 そこでマルクスは「不変資本」と「可変資本」というカテゴリーを使って説明します。不変資本は労働力以外の生産諸力を意味します。つまり機械・原材料・燃料などです。これらは法則的には市場で価値通り売買されますから,生産に当たっても価値を増殖することはないのです。たとえば1億円の機械が10年の償却期間の内に,生産物に1億2千万円の価値を付加したとしますと,2千万円の価値を増殖したことになりますが,そんな機械なら1億2千万円でも市場で売れますから,平均すればやはり1億円の機械は剰余価値を生まないのです。これと対極的に労働力の場合は,法則的に剰余価値を生みます。そこでマルクスは労働力のみが価値を生むから,本来すべての価値は労働者のものであり,剰余価値も労働者が有効に使用すべきだと考えたのです。

 もっともマルクスは既に資本と経営の区別に敏感でした。株式会社という19世紀の半ばから盛んになった企業形態を分析して, 企業経営を株主総会で雇われた労働者ができるのだから,資本家は既に不要になっているとして, 労働者自身が企業を運営する社会主義の現実性を説いたのです。

 またマルクスは『資本論』では更に, 労働者階級の窮乏化法則や恐慌の構造を解明しました。また価格が価値に乖離することによって生じる労働からの疎外が, 利潤率の傾向的低下を法則的にもたらし,たとえ恐慌で革命が引き起こされなくても, 資本主義は必然的に死滅するとしたのです。

  6物化・物象化・物神崇拝

   マルクスは労働力が商品化され,物として売買される人間の物化・商品化を批判的に捉えています。そして人と人の関係が物と物の関係に置き換えられ,物と物が人間に代わって社会関係を取り結ぶ物象化を商品の価値形態や貨幣形態あるいは資本の諸形態を論じながら問題にしています。このような資本の論理が人間から自立して自らの論理で発展し,人間を包摂し,支配することも物象化として批判されます。このような現象は経済に限らず,政治,法,社会,文化の諸現象にも制度や機構や価値観が硬直化し,自立的展開して人間に対して不当に呪縛的に支配する形で見られます。

 また物が人間の社会関係を背負って,人間的な価値や権威を発揮する場合に,マルクスはこれをフェティシズム(物神崇拝)だと批判しました。商品は人間の労働の価値を本質的な属性としているので,人々に物神崇拝されているというわけです。つまりマルクスは服という商品は服という事物としては,使用価値でしかないのだけれども,商品とみなされる限りで,人間労働の価値を身に受け取るので社会的価値として認知され,取り引きされるというわけです。

 フロムにいたっては,人間の代わりに旗や勲章,機械や服装,組織や機構,地位や名誉,指導者の権威などが自己目的化して,人間がそのための手段や犠牲にされる場合にも偶像崇拝だと批判されますが,マルクス主義者の中にもフェティシズムをそういう意味で使用する人もいるようです。

 マルクス主義は社会主義世界体制の崩壊によって,かなり衰退していますが,現代ヒューマニズムとして「物化・物象化・物神性」論は重要な影響力を保っています。 

7フェビアン社会主義

   マルクスとエンゲルスが主に活躍したのはイギリスですが,イギリスでは科学的社会主義は大きな勢力になりませんでした。むしろJ・S・ミルの社会改良主義とロバート・オーエンの労働組合・協同組合運動を継承したフェビアン協会(1884年結成)の影響力が強かったのです。その中心になって活躍したのがウェッブ夫妻やバーナード・ショーです。

 この協会はその名を粘り強くカルタゴ攻めをしたローマ帝国のフェビウス将軍ちなんでいるのです。その名の通り,忍耐強く漸進的に社会改良を積み重ねて,資本主義の弊害を除去し,労働者の地位を向上させ,生活を保障しようとしました。かれらが中心となって1906, 労働者の階級政党である労働党が生まれ,全国労働組合会議(TUC)が組織ぐるみ加入したので大政党になりました。そうしないと小選挙区制ですので,ほとんど議席が取れないのです。第2次大戦後,フェビアン社会主義は民主社会主義を名乗るようになったのです。

  8ドイツの社会民主主義 

   科学的社会主義が定着したのはイギリスよりもむしろドイツでした。ドイツ社会民主党には夜警国家論でレッセ・フェールを批判したラッサール始め,カウツキー,ベーベル,ベルンシュタイン,『金融資本論』のヒルファディング等のそうそうたる論客が揃っていました。

 ところがいち早く独占資本主義が発達した為に,労働者階級の窮乏化がおこりません。むしろ労働運動の活躍もあり,地位の向上,生活の向上が見られたのです。そこでベルンシュタイン(18501932) は暴力革命論と絶縁し,議会を通して漸進的な社会改良を計ろうとしました。このような傾向は修正主義と呼ばれました。カウツキーはベルンシュタインを批判し,マルクス経済学を擁護しました。

 9マルクス・レーニン主義

   しかし労働者階級の地位向上をもたらし,平和革命を展望させた条件である帝国主義が,同時にこの展望を粉砕したのです。それが帝国主義間戦争です。レーニン(18701924) は『帝国主義論』『・国家と革命』を著して,帝国主義間戦争の必然性を論証しました。そして戦争を内乱に転化してプロレタリア独裁権力を樹立する革命戦略を示しました。

   「万国の労働者と被抑圧民族は団結せよ!」というスローガンに基づき,第二インターナショナルに参加していた各国の社会主義政党は,第1次世界大戦直前までは戦争反対を叫んでいましたが, 労働者を含む戦争熱に押されて,その多くは戦争協力にはしり,第二インターナショナルは崩壊しました。しかし総力戦になったので戦争が長引くと物資の不足が深刻になり,レーニンの予言どおりロシアとドイツでは帝政を打倒する革命が起こったのです。

 ロシアではレーニンの指導したボルシェビキが中心になりソビエト権力を樹立したのです。ボルシェビキは旧来の社会民主主義と分岐して, マルクス・レーニン主義を意味する共産主義を掲げ,ソ連共産党になりました。

  マルクス・レーニン主義は,あくまでもプロレタリアートの立場に立って社会主義の完成と将来の共産主義へ向かう革命をやり抜くプロレタリア独裁の理論を中核にします。そして各職場,地域に根をはった直接民主主義的なソビエト(人民会議)を積み上げたソビエト権力に権力を集中して,生産手段の公有化を行って中央集権的な計画経済を実施しするのです。そして革命をやり抜く為には,マルクス・レーニン主義で理論武装した唯一の前衛政党である共産党の指導の確立が不可欠だとされたのです。  

 またレーニンは『唯物論と経験批判論』を著し,マッハ等の経験批判論を退け,弁証法的唯物論の立場を共産主義の世界観的基礎としました。中国革命の指導者毛沢東(18931976) も『実践論』『矛盾論』を著し,科学的社会主義のものの見方を深めました。

 社会主義世界体制が形成され,社会主義建設は計画経済のもとでかなり発達したのですが,実際には社会主義は労働者自身が職場や生産を管理するという本来の社会主義の理念からは程遠いものになっていました。直接民主主義的な職場や地域のソビエトは芽の内に廃止され,最高会議の代議員選挙も共産党の推薦候補を信任する儀礼的なものになりました。結局,共産党の一党独裁による上から権力的に強制された,KGBと収容所によって守られた名のみの「社会主義」でしかありませんでした。

  10「社会主義」の崩壊

   しかも官僚主義的なやり方のために,国民の主体性,創造性を引き出せず,結局, 市場原理を大幅に取り入れる改革を進めたのです。1985年にゴルバチョフ政権になってからは,社会主義の抜本的建て直しである「ペレストロイカ」を推進し,「グラスノスチ」で公正な判断材料を国民に提供し,全人類的課題を優先する「新しい思考」を掲げて,市場社会主義への転換を推進していました。ところが1989年には東欧で民主革命が起こり,ソ連でも目標はより資本主義に接近した混合経済への移行になりました。

 1991年8月保守派は新連邦条約調印に反対してクーデターを企てて失敗し,ソ連共産党は解散に追い込まれ,マルクス・レーニン主義は組織的にも破産しました。

 保井 温(やすい ゆたか)の関連著作

☆「労働概念の考察」(修士論文)『資本論』における具体的有用労働と抽象的人間労働の対比と相互関連の構造を解明して、「人間=商品」論を基礎づけた。  

☆「das individuelle Eigentum の翻訳問題」(『立命館文學』)−『資本論』で使用されている, 資本主義的私有を克服した共同社会で再建される「das individuelle Eigentum」は「個人的所有」という意味ではない。労働主体と生産手段との間の不可分離な 関係を示しており, 「不可分離的所有」と訳すべきである。これを語源的考察を交えて論証。

☆「広松渉『資本論の哲学』批判」経済哲学研究会−マルクスは投下労働価値説を叙述の便法として暫定的に使っているが, 実 は労働の投下凝結が価値を生むという考えは, マルクスが疎外論を克服して物象化論を採用した際に克服されているという, 廣松渉独特の解釈を批判的に検討した。

☆「『疎外された労働』と『物神性』の関連」( 月刊状況と主体」8910月号)マルクスの経済学批判期における「疎外 Entfremdung 」の全使用例を検討し, 価値の実体が労働であるということが見えなくなる「労働からの疎外」が, 事物に価値が帰 属すると思い込む「物神崇拝(フェティシズム)」を生むという論理展開になっていることを指摘し, 疎外論の払拭がないことを論証した。

☆『人間観の転換・マルクス物神性論批判』青弓社−『資本論』の方法論であるマルクス独特の物神性論を『資本論』の全展開を通して検証し,真正面から批判したもの。マルクスは「価値は抽象的人間労働のガレルテ(膠質物)である」という定義に固執している。つまり価値は労働自体の固まりだから,人間に属し,人間の社会関係であり,断じて事物の属性ではない。事物の属性だと見なすのはフェティシズムだとしている。

 しかし経済関係というものは人間と事物の抽象的な区別に固執できない関係である。労働は生産物の価値となって始めて社会関係を結べるのであり,価値においては人間と事物の抽象的な区別は止揚されている。従って社会的な事物が経済的な社会関係を取り結ぶと捉えるのは別に倒錯ではないのだ。むしろ人間概念を生産物まで包括する概念に転換して, 始めて経済関係が説明できるのだ。

 価値を生む労働の主体も労働力に限定することはできない。それを無理に限定して,その為に説明できなくなると,価値を移転させたり,無理に機械ではなく,労働力だけが価値を生むと強弁する。その際,労働力以外が価値を生むのは,事物を人間と見なすフェティシズムだという理由で認めない。

 マルクスはフェティシズムを方法論に使って,資本の有機的構成が高度化(労働装備率が高くなること)して,かえって利潤率が傾向的に低下する矛盾や,労働からの疎外により価値と価格が乖離し,生産価格(ミルの生産費説に当たる)が成立することを巧みに説明したつもりだが,いずれも統計的資料に基づいたものではなく,思弁的に構成されている。

 利潤率の傾向的低下法則は百年後でも実証されていない。労働力だけが価値を生むのではなくて,生産諸要素の相互関係から,それぞれの生産要素がそれぞれの価値を対象化し合う関係を捉え返すべきであるというのが,私の「人間観の転換」に基づく,労働価値論の再構成の構想である。

 ☆石塚正英・やすいゆたか共著『フェティシズム論のブティック』−フェティシズム論についてのさまざまな議論。その品揃えの良さから書名がついた。なかでもイエスとマルクスは「つきもの信仰」という共通性があることを指摘した。

 

  ●現代思想の目次へ     ●次のページに進む