4 落第坊主の履歴書

やすい・・そうしますと、遠藤先生がカトリック信仰を選択される根拠は何ですか。別に浄土教でも良かったのですか。

遠藤・・・私は、仏教とキリスト教を比較して、キリスト教に入信したわけではないのです。母が父と離婚しまして、心の拠り所にカトリックに入信したので、教会に連れていかれて、それでいつしか入信してしまったのです。ですからそれほど真剣に信仰していませんでした。

やすい・・『落第坊主の履歴書』によりますと、「ミサに行く子に塀から石を投げつけ」ていたそうですね。

遠藤・・・それは老婦人が昔話に語ったことで、事実かどうか分かりません。ともかく私は子供の頃は頭の回転がよくなくて、成績が悪く、勉強も教会学校のお話も全く面白くなかったので、大変な悪戯坊主だったんです。悪戯をしたり、さぼりをしたり、遊び回ったり、学校を抜け出してチャンバラ映画をみたりしないといられなかったんです、自分のコンプレックスからくるもやもやを解消できないものですから。

やすい・・何しろ「狐狸庵」という号をお持ちですから、お話はまともに受け止めるわけにもいきませんが、確かに少年時代などのお写真を拝見しますと、天真爛漫というか、あまり聡明で勤勉という感じは受けませんね。

遠藤・・・それが慶応の予科の頃、堀辰雄やフランスのカトリック作家の本を繰り返し読みまして、コンプレックスになっていた自分のカトリック信仰の問題や、日本人であることからくる汎神論的資質とキリスト教信仰の葛藤を見据えてみたのです。当時、戦時中で本がなかったものですから、少しの本を徹底して読む読書法しかなかったんです。そして仏文科に入ってから、佐藤朔先生のご指導と、その先生からお借りしたシャルル・デュボスの『カトリック作家の問題』の原書を読みだして、俄然学問に開眼したんです。「自分が何もわからずに洗礼を受けていたキリスト教と文学の矛盾や闘いを向こうの作家たちがどう克服したのか」(『落第坊主の履歴書』)に興味が惹かれたのです。結局、自分自身が文学者としてこの問題と一生苦闘することになるのですが。

やすい・・きっとそれまでにあまり優等生だったり、勤勉だったりしますと、そういう問題に純粋に感動したり、関心を持ったりできなかったかもしれませんね。その意味では「落第坊主」だったこともあながち無意味だったわけではなかったのかもしれません。

遠藤・・・兄は出来の悪い弟の面倒を一生みる覚悟でいたようでした。それが何かにとりつかれたように、信仰と文学との問題に夢中になって、机から離れなくなっていったのです。私はそれを自分の主体性だとは思えないんです。見えない偉大なものの働きを感じざるをえませんでした。大学二年ですでに二十四歳でしたが、雑誌の『四季』に「神々と神と」が、『三田文学』に「カトリック作家の問題」が掲載されたのです。

やすい・・確かに勉強しろと言われてできるものではありませんし、かと言って、よしやるぞと自分の主体性で根性を出してやろうとしてもやれるものではありません。まるで引きずり込まれるように、対象にのめり込んでしまうという感じは、「主体性」という言葉とは縁遠いような気がしますね。自分でその中で次々に問題にぶつかり、いろんな発見をしていくんだけれど、また新しいアイデアが浮かんでくるんだけれど、それらは自分が考えだしたという気がしないんでしょう。何か大きな力によって導かれて、そうしているような、それが遠藤先生にとっての「働きとしての神」ですよね。とすればそれまで長い沈黙を守っていた神が遂に働きはじめたという感じですね。

遠藤・・・正確に言えば、「落第坊主」からの脱却というストーリーが神のシナリオだったとしたら、生まれたときから神は働いていたんです、私の中で。

やすい・・それで納得できるのですが、カトリック作家としての遠藤周作は、またユーモア作家でもあるし、素人劇団「樹座」の座長さんでもあります。また悪戯大好きおじさんでもあり、うそつき遠藤「狐狸庵先生」でもあります。悪戯の虫はちっとも直ってないばかりか、それが先生の無類のサービス精神によって、有難迷惑の方もおられたかもしれませんが、多くの人々を先生に引き寄せる働きをしていたわけです。とすると先生はむしろご自分の中に働いている神をこそ信仰しておられたのではないですか。それはキリスト教的な超越神とはおよそ無縁ではないでしょうか。

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