西川富雄著『哲学教師の五十年』
              
こぶし書房2005年9月刊

                

                          

                                 目次

西川さんの人と思想・・・・・・・・・・・・・・・・ 梅原猛 1
 
まえがき                       15

第一部  ささやかな遍歴・・・・・・・・・・・・・ … … 21

一 わが生い立ち  22
二 哲学を学び、哲学を教えて半世紀  33
  1  黒板を背にして、黒板を前にした日々  34
  2  ふたたび黒板を背にして 55
三 私の学問遍歴ーシェリングへの回帰  78

第二部 哲学へのイントロダクション・・・・・・・ … … 101

シェリングと私  102
哲学の今日的課題  116
哲学する意味  123
新入生諸君に  135
生きた哲学史と学説史としての哲学  141

第三部  戦後大学の様変わりに思う       155

現代社会と大学ー私の大学論  156
プレ・ゼミナールー―ホーム・ルーム式大学授業の新しい形態  175

 
第四部  時の移りをみつめて日本的多元論の功罪   198

ひとつのユートピアー私の日本「列島改造論」  207
二十一世紀、日本の行くえー失われつつある“こころWの回復を求めて  223



著者履歴  245
あとがき  255

哲人の風姿            白川静   257

                                                                          まえがき

   この歳になると、どうしてか、人の履歴や回想を読むことが増えてくる。おそらく、先が詰まってくると、未来に希望が見えにくいからであろう。振り返ってみると、そこには、喜怒哀楽がいっばい詰まっている。回想のなかでは、喜びも悲しみも浄化されて、回想そのものが、快楽となるのであろう。

 それで気づくことは、それを書いて、人前に自己を披露している人たちは、たいてい、めぐまれた家庭に育った非凡な人たちである。高級将校の子であり、学者、芸術家の子であり、エリート官吏の子であり実業家の子であることが多い。当然ながら、正系の道を歩んできた人たちである(たとえば、 『 日本経済新聞]の「私の履歴書」を見ればよい)。時たまは、そうでない人もいるが、年輩者では、それはごく少数である。もちろん、例外はあろう。わが尊敬する白川静先生は、例外中の例外である。ぼくは、残念ながら、そういう例外の部類には属さない。余りにも、凡庸であるからである。

 この本は、系統的な史的叙述ではない。小学校訓導として戦後を生きはじめて、ひょんなきっかけから、一私立大学で哲学を学び、その後、“運”あって、同じ大学で哲学を教えてほぼ半世紀。その歩みを、いわば体験的にひとつのライフヒストリーとして振り返ってみようとするものである。

 その歩みは、大学という“温室”の中で、いわば世間知らずのまま営まれてきたようにも思われる。世間から見れば、大学教師は、週三日ぐらいの出勤で、気楽な身分を味得しているものという見方が支配的であろうけれども、実際はそうではない。

 すくなくとも、私立大学の戦後にあっては、経営も教学も必死の思いの半世紀であったのである。戦後社会の再生、そして戦後インフレ時代の私学経営危機の乗り越え、大学大衆化時代の教学危機の克服、学生運動の分裂、それがからんでの大学紛争等々 。

 その渦のなかで、わたしには、哲学を学びつつ、教、えてきた半世紀あまりの拙い体験があるのである。ちょっと先輩の、ある敬愛する同僚教授が、かれも、ほぼ半世紀あまりの教師生活を生きてきたのであるが、退職時の回顧談のなかで、ほぼ三分の一の生活は私学経営のいわゆる雑務に費消されざるをえなかったと語っている。私にも同じ思いがある。さすが、国立大はW親方日の丸W式に恵まれたもので、私大とは比べものにならないぐらい研究条件は恵まれていた。

 小生自身、体験的に回顧すると、ほぼ六○パーセントぐらいのエネルギーしか研究に注げなかったように思う。残りの、ほぼ四○パーセントの力は、いわゆる雑用と教育に注がざるをえなかった。大学の戦後史の中にあって、体験的に、その拙いライフヒストリーを想起しようとするとしてもその四○パーセントの方の営みが浮かび上がってくる。

 “研究”の方は、折々に学会発表、著書、論文として公にしてきたが、“教育”の方、折々に書いてきたものがあるとはいえ、 このままでは地中に埋没しそうである。

 そこで、一哲学教師としておりおりの時代にかかわり合いながら、大学教育への思いや、新入学生にむけての、大学、学問に対するイントロダクション、評論等のエッセイを、本書に収録することを思い立った次第である。研究以外に、一哲学教師の歩んだ足どりと思いを読み取っていただければ、幸甚である。

 

 ここで蛇足を一言。 … … 戦後、六十年あまりの我が国の大学の歴史を見てみるとー一私学教師の眼で体験したものでしかないがー、三つのエポックが、はっきりと画されると思う。いうまでもなく第一のそれは、戦後の再生期であり、戦前戦中からの脱皮を図って、新生への陣痛を経験した頃である。第二は、民主化の趨勢の中で、新制大学の内実を求めて模索したときである。ようやく、制度のハード面が整ったあと、世の高度経済成長に促されて、だれでもが進学可能となるとともに、大学が大衆化していった時期である。なおそれは、戦後生まれの団塊世代の進学増傾向と一致している。急速に、増えていった大学は、しかし、かならずしも、それら世代の要求に応えうるものではなかった。それからくる欲求不満と若者に特有の不安感が、学生運動の分裂動向と交錯して起きたのが、あの大学紛争であるとも言える。

 大学が、大衆化と、おしなべて平均化の波に洗われているとき、失われつつある個性をいかにして回復するか、大学には入ったけれど人生の指針をつかみそこねて不安感に取りつかれて自己を失いつつある学生たちに、どういうようにして大学への、いや学問への指針を与えたらよいのか、大学側にも悩みは深かった。

 その悩みは、国立大学よりも急速に肥満化した私立大学の側にとくに深いものがあった。そうした悩みを克服する過程で、戦後の大学は、ようやく旧制的アカデミズムから新制アカデミズムへと脱皮しえたと思う。したがって、その時期は、第二期から第三期への転換期でもある。旧いアカデミズムでは、とくに官学にあっては、研究がそのままに教育であった。だが、新しいアカデミズムでは、そうではない。研究とは別に、教育のウェイトがずっと大きくなる。哲学教師の体感としては、研究が六〇パーセント、教育が三○パーセント、雑務が一○パーセントであったろうか。

 いまひとつ指摘しておきたいのは、とくに私学にあっては、新しいアカデミズムとともに、学部自治の観念も変貌せざるをえなかったことである。昔ながらの帝国大学の学部自治論では大衆化した私学は成り行かない。全学的視点が優位するからである。しかしこの点では、生涯を私学で過ごしてきた小生は、むしろ、新しい大学像としての長所ではないかと思っている。学部自治も、全学的視点からの制約の下におかれるのである。

 それはともかく、一私学教師としての若い頃の小生の悩みも、畢竟は、大衆化し没個性化した大学のその悩みを分有するものであった。ここに、助教授時代から新米教授時代に書いた大学論的エッセイをいくつか収録したのも、体験的に分有した悩みから分泌したものである。

 そのあとの大学の歩みは、紛争を知らない親や、その子弟・子女を迎える時期になって、すっかり様変わりした。それは、大学の現在である。いまは、アメリカ的グローバリズムのもとで実学主義に取り押さえられて、それは苦悶の変化を経験しつつある。だが、それは私の体験の外にある。

  二○○五年八月一日

 

 

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