第九話 ヤマトタケルの大冒険

熊襲タケルを討つ
 

    タケルなる強き男に抗うに弱き女に成るに如かずや

 

 上村 陽一は、気づいたらむせかえるようなアルコール臭のする人いきれの中にいた。いかめしそうな男たちがど派手な原色の衣装を着て、座って飲んでいる。丸太づくりだが、大きな宮殿の中だ。やんやの喝采を陽一に浴びせているのだ。「なかなか見事な舞いだった。さすが雅な大和の女だけのことはある。」なんだって、今度は女かよ。そういえば陽一は着物を着ていたのである。陽一はヨサコイしか知らない高校生である。よく見ると女装していたのだ。なんだこの場面は、この間家族で見に行ったスーパー歌舞伎の『ヤマトタケル』の熊襲の新宮の場面じゃないか。ということは自分はヤマトタケルとして活躍する小碓皇子というわけだ。ではこれから熊襲タケル兄弟を殺さなければならない役回りだ。

 これはバーチャル・リアリティである。今回はバーチャルだと陽一は分かっているつもりだった。とはいえ、本気でやらなければならない。本気でやらなければ、物語の途中で殺されてしまうかもしれない、バーチャル・リアリティの場合、役者の気合の入れ方でストーリーが多少変更してしまうことがあるらしい。つまりゲーム的要素が加味されているのである。
 

たしかにスーパー歌舞伎の『ヤマトタケル』を観たのだから陽一は二十一世紀初頭の青年である。それで梅原猛の原作も読んだのである。そこまでは憶えている。ところで俺の名前は誰だったのか。いかん、また記憶を喪いかけている。

 小碓皇子を演じる前の自分は何を演じたのか、ええ、全く憶えていないじゃないか、これでは殺されて、次の役になったときに過去の役割を全く忘れているのなら、そこに生命の継続性は全く自覚できないだろう。それなら死んだらそれでおしまいという魂の断滅論とどこが違うのだ。俺は今、この瞬間小碓皇子を生き抜くしかないのだ。そこで見事に熊襲タケル兄弟を滅ぼせば、次のステップに行けるのだ。負ければ俺は死んでしまうのである。

 「おい、大和の女、何をぼんやり突っ立っているんだ。兄タケル様に焼酎のお酌をしてさしあげろ」陽一ははっと我に返り、しおらしい女声で言った。「これはこれは立ったまま夢を見ておりました。」「ワッハッハッハ、大和では立っていても夢を見るのか、大和の大王も立ったままで熊襲征伐の夢など見ているのだろう。夢を見ているうちに逆に熊襲に攻め込まれることになるぞ」大爆笑の渦である。

 陽一はそんな話には興味が無いとばかり、焼酎をそそぎ始めた。「なにしろ兄熊襲タケル様は底なしの大酒のみだそうですね。ひとつ豪快なところお見せ願います。」といわれると何か壺型の土器に入った焼酎をそのまま浴びるほどに飲み始めた。そして陽一にも勧めた。誘いに乗ればたちまち陽一の方が先にヘベレケになってしまう。上品に袖で隠すような素振りをしては、袖の中に流し込んでいた。「さすがに熊襲タケルは男の中の男」と一気飲みする度にはやし立てた。兄タケルにライバル意識丸出しの弟タケルも負けていない。いつか兄弟タケルの酒対決となり大いに盛り上がった。単純な熊襲たちは、それぞれに飲み比べを始めみんなグテングテンである。
 

「あら、筑紫一のいい男に相手にされず寝てしまわれるのは、女の恥ですわ」と陽一は 兄タケルに色目を遣った。厳しかった兄タケルもすっかりとろけ、眼を細めて陽一を抱きすくめたのである。その刹那、「ギャアー」と大熊のように両手あげて兄タケルが断末魔の叫びを響かせた。胸からは真っ赤な血が消防の放水のような勢いで噴水した。さしもの勇猛だった熊襲の男たちも腰が抜けるぐらいに酔っていたので、戦う気力がなく、這うように逃げようとしていた。バーチャルの場合は本当に刺しているつもりでいいのである。本人は本当に刺しているのだが、実際は電脳空間での出来事でしかないということなのだ。

 やった、俺は人を殺した、俺は人を殺せた。俺は人殺しだ。でもこれは電脳空間だから架空現実にすぎない、そのことを承知していたからやれたのか、それとも俺は本当は人を殺したかったのではないか、電脳空間の架空現実であるということを利用して、人を殺してみたいという欲望を実現したのではないのか、やはり俺は人殺しではないのか。

 そんなことを考えるゆとりなどない、ここは戦場だ、良心に照らして自己の行為を検証などしていたら、いくら命があっても足りない。小碓皇子は兄タケルから大刀を奪うと逃げる弟タケルを背後から突き倒し、その尻から刀を差し込んだ。呻きながら弟タケルは言った「わしを刺したのは誰だ、名を名乗れ」。「我こそは大和のスメロギの皇子、小碓皇子だ。」「お前は女に化けていたのか、また大和に騙された。それにしても単身熊襲の城に乗り込んで頭の首をとるとは勇敢な男だ。それに比べてわしは何と情けない、敵に後ろを見せて刀で釜を掘られるとは、もはやタケルの名は恥ずかしい。一番勇敢なお前にくれてやるから、これからはヤマトタケルと名乗ってくれ、そうすれば俺の魂がお前に乗り移ってお前は、もっと強くなる。お前の中で私も生き続けるだろう。」名前の中に魂が入っているという言霊信仰の一つである。

 スーパー歌舞伎のような大立ち回りはなかったが、二人の頭を成敗すると、みんな恐れをなして従順になったのである。やはりスメロギの皇子は神なのか、それも一人で熊襲をやっつけるような荒ぶる神なのか、荒ぶる神が襲ってくると、雷神は轟き、暴風が吹き、抗う者達はことごとく殺されてしまう。荒ぶる神が去った後は野や山に屍が山積みになるのである。女に化けた小碓皇子は、荒ぶる神スサノウの再来と恐れられたのであろう。

 

           言霊の国大和
 

父ならば死ねと言うなら死にもしよ言葉飾りて心隠すな

 

小碓皇子は帰路、様々な地方を従わせて凱旋した。強敵出雲は友達になって油断させ、まんまと相手を騙して征服した。まるで台風が九州から中国地方を通って、近畿に入るようなものである。荒ぶる神スサノウの再来に、皆首を竦めて恭順した。断っておくが『古事記』にヤマトタケルがスサノウの再来だと直接書いてあるわけではない、しかしそう解釈するには十分根拠がある。
 

父スメロギは小碓皇子が大和に凱旋すると口先ではおおいに誉めそやした。既に亡き大碓皇子は父帝の女御になるはずの兄橘姫と弟橘姫の姉妹を密に囲っていたのだが、その姉妹を嫁にしてくれたのである。「橘姫」というのだから橘の薫りがするいい女なのだ。妹の弟橘姫のことは会う前から自分がずっと好きだった女のような気がした。その名を呼ぼうとしたが、どうしてもでてこない、記憶が消されているようだ。三輪智子が演じているのである。

 このように歓迎するように見せながら、すぐに蝦夷征伐に行くように命じられた。畿内に留めて置くと何時暴れだすか分からないと恐れたからである。スメロギの理屈はこうである。スメロギは日の神の御子としてこの世を統治するのが役目であり、そのためには都にいなければならない。しかし、都から離れた地方では、すぐに都の統制から遁れ、貢をおろそかにし、独立して朝廷に逆らおうとする。それをいちいち帝が都を留守にして征伐するわけにもいかない。ここはスサノウの化身であるヤマトタケルが蝦夷たちに朝廷の威光を示してきて欲しいのだ。

 蝦夷を成敗すれば、そこに朝廷の役所を置いてお前が統治してもいいのだとまで言った、つまり蝦夷の国をくれてやるというのである。何と美辞麗句でこの親父は息子を蝦夷たちに殺させようとすることか、陽一は呆れ果てて口が利けなかった、蝦夷の国は大和の支配下にはない、どうしてそこをくれてやるなどというのだ。しかもタケヒコただ一人をお付としてつけてくれるだけである。それでどうして蝦夷たち何万人と戦えるのか、あっさり死ねといってくれたほうがましである。お前がいたら皆恐ろしくて安眠できない、どうか都から遠く離れて、蝦夷たちに討たれてくれと言わないのか。同じことでも大和より広大な蝦夷の国をやるといえば、それで帝の体面が保てると考えているのである。
 

              天叢雲剣
 

スサノウと剣とタケルは異なれりそを一つとはいかな回路や

 

ヤマトタケルは伊勢神宮に叔母の倭姫を訪ねた。そこで帝から凱旋と同時に東征を命じられたこと、それは死ねというに等しいことを訴えたのだ。そこで倭姫は、スサノウが八岐大蛇から抜き出したとされている天叢雲剣と火打石を授けたのである。
 

「八岐大蛇とはこの大八島全体のことです。スサノウは嵐となって大八島を吹き抜け、まつろわぬ者共を成敗されたのです。この剣は雲を集め嵐を呼び、敵をなぎ倒すとされています。この剣を肌身離さずもっていなさい。この剣こそスサノウの神そのものなのですよ。そしてこの剣を持つヤマトタケルはこの剣が人として現われたものであり、スサノウの神なのです。」オイオイ、倭姫、なにを謎かけみたいな、禅問答みたいなことを言ってるのだ。

 

〔念のために断っておくが、この台詞もファンタジー用の台詞であって、『古事記』で倭姫がヤマトタケルをスサノウだと直接言っているわけではない。最近の読者は原作ときちんと照合して、原作との違いに作者の解釈の面白さを感じ取ろうとしないで、勝手に原作にもそう書いてあるのだろうと思い込んでしまう。後で違いが分かると騙されたような気になるらしい、実に嘆かわしいことである。〕
 

遠征の旅に出てからタケヒコはどうも昔から知っている人物であるような気がしてきた。この世界に引き摺りこまれたのもこの男に関わっていたような気がしていた。この男なら倭姫の謎の言葉を解明してくれるかもしれない。そこでその話をすると、「スサノウの神は黄泉の国を支配しているとされますが、野分がひどいとスサノウの神だといわれますし、嵐のような侵略者もスサノウとされます。また日の神アマテラスと荒ぶる神スサノウは、祭り事を司る帝と軍事を司る為政者の関係にも置き換えられます。実際には帝は祭事しかなさらず、大臣が政治をされる場合が多いですね。帝は徳で太陽のように世を照らされますが、大臣は少々手荒なこともするわけです。ヤマトタケル様は荒ぶる神と認められスサノウの神の再来とされているのですから、スサノウの御神体である天叢雲剣を持つに相応しいのです。天叢雲剣は自分にふさわしい持ち手を呼び寄せ、その持ち手を自分の化身として自己実現を果たすのです。」
 

「どうも頭がこんがらがっているのだが、私という人間が、どうしてスサノウの神なのか、また剣という物体がどうしてスサノウの神なのか、私と剣はこのように別々の存在なのに、いずれもスサノウの神だということになって、結局三つの異なる存在が一つの同じものだということになっている、そんな馬鹿なことがどうしてあり得るのだ。」

 「三輪山は神の山といわれています。大物主の神なのです。そしてそれは三輪山に住む白蛇のお姿をとって現れます。白蛇が大物主であり、三輪山でもあるのです。」陽一はどうして蛇と山が同一だと捉えられるのか、その思考回路が不思議だった。「異なるものを同じものだとすると、物事の区別が成り立たなくなるじゃないか。」タケヒコは少し苦笑した。「異なるものを異なるとだけ捉えていてはいけないのですよ。時には正反対のものが同じものになったり、同じものが正反対のものになることもあるのです。もっと人生をつまれますと、世の不思議を悟られるようになります。」

 途中から後を追ってきた弟橘姫が、話に加わった。「そういえば、天照大御神は日の神ですから太陽のことですね。ところが神社には御神体として鏡が祭られています。つまり鏡が太陽だということでしょう。それから神がかりして天照大神の意志を伝える巫女が天照大神なのだといわれます。神と鏡と人が異なっていて一つだということですね。」陽一は言った。「それこそひどい迷信だとは思わないのか。」タケヒコはなだめる口調で言った。「オオ・ソレ・ミオと歌の文句にもあるでしょう。惚れた女は太陽のように思えるものです。迷信かどうか、やがて分かりますから、どうかご神剣を手離さないようにしてくださいよ。」


 智子はあきれて言った。「あらヤマトタケルのお話は四世紀よ、そんな古くから『オオ・ソレ・ミオ』はあったの、それが大八島に伝わっていたの。」タケヒコ役の榊はおどけて言った。「ええ、なかった?なかったよね、こりゃまた失礼しました。」


 

          火中に立ちて

   燃え盛る火中に立ちて我呼びし、その幸せに何を惜しむや

 

スサノウの現われであるヤマトタケルがやってくる、しかも大八島のご神体である天叢雲剣を携えている。これはまともに戦っても勝ち目は無いということで、蝦夷たちは一計を案じる。恭順を装い、人々を苦しめている悪い神を退治してくれるように頼み込んでヤマトタケルを草原におびき出し、草に火をつけて火攻めで殺そうとした。
 

 ヤマトタケルは追い詰められ、火中に立ちて弟橘姫の名を呼んだ。絶体絶命のピンチに際して愛する女の名を呼んだのである。弟橘姫はもとより一緒に死のうと思ってついて来ていた。三人でどう考えても蝦夷に勝てるとは思えない。もしヤマトタケルの帰りを待っていたら、永久に戻らない確率が圧倒的に大きいのだ。でもついて行けば、一緒に死ねる確率が高いのだ。正妻である兄橘姫はヤマトタケルの帰りを待っているが、それでは死に目に会えないし、ひとり老いさらばえるしかないのである。それに比べ弟橘姫は臨終の決定的な瞬間に自分の名を呼んでもらえたのだ。それだけで十分であり、何時死んでも全く悔いは無かったのである。

 ヤマトタケルは火攻めから免れるために剣で草を刈り始めたのだ。なんとしてでも陽一は智子を、もっとも智子という名は思い出せなかったが、自分がいわば前世から愛し続けている女を助けなければと思った。すると無意識に剣を抜いて草を刈っていたのである。そして倭姫からもらった「火打ち石」で迎え火を熾したのである。すると形勢は大逆転してヤマトタケルは蝦夷を征伐することに成功した。それで草を刈った剣を草薙剣とよぶようになったのである。

 タケヒコは草薙剣と火打ち石という守り神が守ってくれたことをさかんに強調した。「これでヤマトタケルが草薙剣と火打ち石という物神と一体だということがお分かりになられたでしょう。小碓皇子は、小碓皇子だけではスメロギの皇子としての神通力は発揮できません。物神と一体となられて始めて荒ぶる神となられるのです。」

 弟橘姫は、こうタケヒコに洩らした。「私にとっては、小碓皇子が火の中で私の名を呼んで下さった、そのことの幸せだけが意味があるのです。草薙剣と火打ち石などという物神のお陰で、一緒に死ぬことができなかったのがむしろ悔しくさえありますわ。」
 

 ヤマトタケルは「果たして、この剣が天叢雲剣でなくて、ただの剣だと駄目だったのか、火打ち石も伊勢神宮の倭姫からいただいた火打ち石だから助かったので、他の石ころなら駄目だったのか、私には分からないね。だって熊襲征伐では剣も石もなかったのだよ。」タケヒコは訝しそうに言った。「それは油断です。たしかにあなたには知恵と勇気がおありだ、なかなかとっさには草を薙ぐとか、迎え火で応戦するなどの知恵は思いつかないものです。

熊襲タケルを討たれた時も、熊襲タケルという最も強くて硬い者に対抗するのに、こちらも強くて硬いもので対抗してもだめで、最も弱くてやわらかいものつまり舞姫となって対抗された。しかしそのようなご自分の天才にのみ頼られるのはとても危険です。そういうアイデアはそうはたびたび思いつきません。物神に辛うじて守られるということがこれからもたびたび起こるでしょう。物神も含んでこそのヤマトタケルだということをどうぞお忘れなく。」

 

           弟橘姫の入水


  
汝ははやタイタンの妃や水底に棲めるなまずの餌食ならずや

 

相模の走水から船にのって武蔵の国に向かう途中で嵐になる。トスタリという占い師によると、海の神に小碓命の一番大切なものを捧げないと、海は静まらないと言うのだ。小碓命にとって一番大切なものはと言えば、それは弟橘姫である。弟橘姫を犠牲にして、海神に捧げるとみんな助かるというのだ。小碓命は断固拒否しようとしたが、事情を知った弟橘姫は海に入って海神の妃になりましょうと承諾したのだ。「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて、問ひし君はも。」と辞世の歌を詠んだのだ。

 陽一は、あの時絶体絶命で死に直面して、自分にとって一番大切なもの、命に代えても守りたいものは
弟橘姫だと思った。それで名を呼んだのだ。その真実の愛を貫くのなら、ここで一緒に死ぬ道を選ぶべきではないのか、一人の愛する女を守れなくて、蝦夷を征服したとて何の意味があるのか、「俺も一緒に死にたいのだ、お前を海神にとられるくらいなら一緒に死んだほうがいい。」タケヒコはなだめた「お気持は良く分かります。女ひとり救えないで、どうして国を救うことができるのか、武力で蝦夷を抑えても、またすきあらば蝦夷は背くに違いない。とお考えなのでしょう。でもこうして熊襲や蝦夷たちと戦ったり、交流したりして、彼らの苦しみや哀しみ、また人情にも触れられた。そのあなたが、生きて都に帰られて初めて大和の国は大八島を治めることができるのではありませんか、あなたは自分の恋に死ぬばそれでいいかもしれませんが、遺された人々の想いはどうなるのですか。おなたについてきた私はどうなるのですか。」

 弟橘姫は海の藻屑と消えた。かくしてヤマトタケルはまつろわぬ蝦夷たちを、あるときは吹きすさぶ嵐スサノウとなってなぎ倒して、屍の山を築き、あるときは春風のごとく恩恵をもたらして恭順させた。天叢雲剣つまり草薙の剣の威力は蝦夷たちを震え上がらせたのである。

 

         裳の裾に月立ちにけり
 

裳の裾に月立つとせば雅なり穢れの色に心ときめく
 

東海、関東のまつろわぬ蝦夷たちを恭順させて、ヤマトタケルは尾張の国まで戻ってきた。尾張の国を支配している豪族の館に逗留したのである。ヤマトタケルの華々しい活躍は都にも鳴り響き、反ヤマトタケル派の継母の皇后が身罷ったこともあり、都ではヤマトタケルを救国のヒーローとして歓迎しようとしていた。帝からは尾張の豪族にあてヤマトタケルにこれまでの冷遇をわび、都に戻ったら大いに政治の改革に力をふるって欲しいということづてがあったのである。つまり大和に戻れば、ヤマトタケルは実力ナンバーワンの宰相になれるし、次期スメロギの地位は約束されるのである。

 ただし、伊吹山の鬼たちとそれを統率する山神たちが暴れているので、彼らを鎮めてきて欲しいという注文つきであった。あと一仕事だなとヤマトタケルは軽く考えたのである。これがまずかった。最後の詰めが甘いと結局失敗するのである。
 

尾張の豪族にすればヤマトタケルという王位を約束された人物と関係を作って、中央政界に進出し、尾張での地位を固めるチャンスである。大いに歓待し、娘を嫁がせて縁戚関係を持とうとした。ヤマトタケルが蝦夷征伐に出かける際、立ち寄った際にミヤズヒメは密に小碓皇子に憧れていた。夜這いを期待していたのである。しかし皇子は妻たちを大和に残してきたので、気が引けてそんな気になれなかったのである。今度は凱旋であり、気分も高まってミヤズヒメを抱く気は十分にあったのだ。
 

ところが歓迎の宴席でミヤズヒメの裳裾に月経の血がついてしまった。月経の血は穢れとして忌み嫌われるものである。

ひさかたの 天の香具山 利鎌に さ渡る鵠 弱細 手弱腕を まかむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど 汝が著せる 襲の裾に 月立ちにけり(天の香具山に夕方に、とんでいる白鳥のくびのような、弱く細いおまえの腕、そのなよなよした腕と私の腕をくみ合わして、おまえを抱こうと思って帰ってきたのに、おまえとゆっくり寝たいと思ってきたのに、おまえの着ているはかまのすそに月が立っているよ)」小碓皇子は舞を舞って、ミヤズヒメへの想いを歌った。

 「高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経往く うべなうべな 君待ち難に 我が著せる 襲の裾に 月立たなむよ(私は日のように輝いている命様のお帰りを今か今かとお待ちしていましたが、命様はお帰りにならず多くの年がたって行き、多くの月が立って行きました。多くの月が立って行きましたので、あなたを待って、私のはかまの裾に月が立つのも無理はありませんよ。)」ミヤズヒメも舞を舞って、返歌を返した。

 「
月経」という汚れたイメージのものを「月が立つ」という美しいイメージに変換することで、昇華しているのだ。そこに小碓命の優しい感性があふれている。本居宣長も「伏す猪の床」といえば無粋の極みのような猪でさえ、風流を感じさせるものだと歌の効用を賛美している。返歌の方はウィットにあふれているのだ。待ちくたびれて「月日が経った」ということと「月経になった」ということを掛けているのである。なかなかうまいかけ言葉だ。ところでせっかくの婚礼に月が立ってしまって、セックスはしなかったのかというと、それがしているのである。
 

ミヤズヒメは婚礼を承諾する条件を出している。これはスーパー歌舞伎の台本の話である。当時の地方豪族の娘が皇子にそんな条件を出せるはずはない。現代女性の共感を得るための梅原猛の気の効いた発想である。つまり戦はもうやめてくださいというものである。女は戦士の帰りを待つ、しかし戦は死と隣り合わせで帰らないことが多い。そんな哀しい思いはもうたくさんだというのである。

           
乙女の床の辺に

   
剣持ち震え上がらせたはむけるやがて剣に身を滅ぼせり

 
ヤマトタケルは最後の戦に出かけるのに草薙剣を置いていく、ミヤズヒメとめくるめく時を過ごした床の辺に置いたままでかけるのだ。いかにも相手をやっつけようというのではなく、おだやかに恭順を促そうとしたのである。よく話を聴いてやり、立場を尊重してやれば、いつまでも反抗ばかりしていられない筈である。そういう姿勢を示そうとした。それで敵の警戒心を殺ぐために草薙剣を置いてきたのである。

 ミヤズヒメは心配そうにたずねた。「本当に大丈夫ですか、剣を置いて」、陽一は微笑んで言った。「剣は所詮剣さ、こんなもので恐れさせて支配したって、そんな支配は長続きはしない。相手の心を理解してあげ、相手が安心して暮らせる条件を示してやれば必ず従ってくるものなんだ。血を流さずに治めるためには剣はかえって邪魔なだけさ。」

 ところがこれが裏目にでた。ヤマトタケルは神通力の源の剣をもっていない、かれを倒す千載一遇のチャンスである。鬼たちや山神たちは大和に虐げられ、殺された大八島の全ての神々、人々、自然のすべての恨みを背負って、全員が玉砕してもヤマトタケルを殺そうと総力戦を挑んできたのである。

 先ず激しい雹で攻撃してきた。体が冷え込み、多くの傷を負う。そこへ鬼たちや神々が特攻攻撃でぶつかってきた。ヤマトタケルは大和朝廷への怨念を一身に引き受けなければ成らなかったのだ。もともと大和朝廷から疎んじられ、抑圧され、殺されかけたという点でヤマトタケルと熊襲、蝦夷、 伊吹山の鬼や山神は同じなのである。その彼らの怨念を誰かが犠牲になって受け止めてやらなければ、彼らは大和朝廷に恭順できないのである。その意味でヤマトタケルは自らの身を捨てて、古代国家の統合の礎になったのである。
 

「嬢子の 床の辺に 吾が置きし つるぎの太刀、その太刀はや。」

 
この歌が辞世の歌である。草薙剣置いてこなければ、決して負けることはなかったのにということである。逆に言えば草薙剣があってこそのヤマトタケルだったということだ。

 

大和は国のまほろば
 

幾重にも山脈囲める大和なる吾がふるさとは国のまほろば

 瀕死の重傷を負ったヤマトタケルは、三重の能煩野というところで力尽きて命果てる。
 

「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣、 山隠れる 倭し 美し。(大和は素晴らしい国だ。重なり合って、青垣のようになっている山々に囲まれた大和は実に麗しい。)」
 

陽一は古文の授業で暗記させられた国偲歌を息絶え絶えに詠った。ふと懐かしい高校での授業風景を思い出した。飛鳥の遠足の感想を古文の初老の教師が各生徒に発表させていた。陽一は「飛鳥は別に他の田舎と大して変わらないと思いますが、古文や歴史の授業で学んだことを連想するので、特に風雅を感じるのかなと思いました」とそっけなくいうと、古文の教師は「駄目です!」と頭ごなしに否定した。

 いかん、それどころではない、雑念に付き合っている場合ではない。小碓皇子は今将に臨終の時を迎えようとしているのだ。死ねばどうなるのだ。俺という存在は消えてなくなるのか、高校の教室に戻れる保証はあるのか、今過去に自分が演じた役柄についての記憶は全て消えている。とすれば小碓皇子の魂はそこで断滅してしまう。今たしかに高校生であった自分が想起された以上、自分は小碓皇子でなくなっても、別の誰かとなって別の人生を生きることになるかもしれない。しかし小碓皇子であったことは消去されているから、

全く別人が生きているに過ぎない。それは自分だとしても、小碓皇子の命とは別の命でしかないのではないか、命としては連続しているとしても、そのことを意識できないとすれば、それは信仰上の信念のようにたよりないものではないのだろうか。

 「ああ、俺は生きたい、生きて大和に戻りたい。」臨終の時になってなんと自分はかけがえの無い生命を軽く扱ってきたのだろうかと後悔に胸がつぶれそうに痛かった。

 「命の全けむ人は、 畳薦 平群の山の 熊白儔が葉をうずに插せ その子。(命に溢れている人は、山深い平群の山の熊のように大きな白儔の葉をかんざしにさしなさい、お前たち。)」
 

 兄大碓皇子は、少年のころから迷信が嫌いだった。特にまじないのようなものは最も軽蔑していた。弟小碓皇子が体にいい、長生きするという言い伝えから「白儔が葉をうずに插せ」という言葉にあやかろうとして、自分も挿し、兄にも挿すように手渡したが、「馬鹿だなあ、こんな迷信を信じてはだめだよ」と笑って捨ててしまった。その兄は結局弟に若くして殺されたし、兄の言うままに、白儔の葉を捨ててしまった小碓皇子も臨終に直面している。若く元気で命が溢れているときは、自分の体内にある命をつい過信してしまうのだ。樫の葉っぱなんか自分の命とは無関係だということになってしまうのだ。

 たしかに葉っぱをうずに挿したところで、寿命を長くする効果などあるはずは無い。しかし樫の葉がなければ、樫や椎などの森がなければ、人間は美しい水や空気や動植物との生命のつながりを保てなくなってしまう、うずに挿すのは樫の木を大切に思う気持ちを育てるためである。

 「タケヒコ、大和が美しいのは、周りを幾重にも緑の山で囲まれているからだ。山の森の緑が、美しいおいしい空気と水をもたらしてくれからだ。大和の国も自然と共に生きる熊襲や蝦夷たちに囲まれてこそ、豊かな文明を築くことができるのだ。どうか彼らが自然の中で幸福に生きられるように、してあげてくれ。これからは大和も彼らの素朴な自然と溶け合った暮らしから学ぶべきだ。森よ川よ空よ畑よ、そこに棲む生きとし生けるものたちよ、大いなる命の輪の中で生まれ、死んでいく、そしてまた生まれ死んでいくのか。私という存在はその大いなる命の現われにすぎなかったのか。」

 タケヒコは嘆いた。「ああ、あれほどご神剣を手離さないようにとお願いしておりましたのに。ご神剣さえ着けていればけっしてこんなことにはならなかったのに。」ヤマトタケルは微笑んだ。「たしかにその通りだ。しかしそれではいつまでも私はスサノウでいなければならない。あらぶる神から遁れたかったのだ、私は乙女の床の辺に剣を置いた。剣など無くても戦えるという慢心もあったかもしれない。しかし剣に支配され、苦しめられてきたのは実は私自身であったのだ、私がヤマトタケルとして現れたスサノウに背いたのだよ。」
 

「でもそれではもはやあなたはあなたではなくなって、それであなたは死ななければならなくなってしまわれた。」小碓皇子は頷いて息絶えた。


         更に天翔りて
 

白鳥はいずこ目指すや天翔りいとしき女は他人の妻かは

 ヤマトタケルは能煩野に立派な陵墓に埋葬された。しかしそこから霊が白鳥になって飛び立ったのである。霊が白鳥になるというのはどういうことか、当時の大和における霊信仰について誤解のないようにしておこう。霊というのを物質に対する精神のように捉えてはならない。というのは霊は「たま」とも読む。それは勾玉のような玉石の姿をとることが多いからだ。「もの」というのも、この霊の意味で使われることが多い。つまり魂や霊と呼ばれるものは決して非物質的な存在であるとか、目に見えない非物体的なものだと捉えられてはいないのである。
 

 霊は肉体が死んだらそこから抜け出して異界に行こうとする場合が多いが、この世に未練があってこの世に怨霊として残る場合もありうる。このように書くと作者が怨霊信仰をしていると誤解する者がいるので、あくまでも解説であることを了解していただきたい。
 

 つまり古代人は霊は変態すると考えていた。異界へ行くには、鳥や蝶になって飛んでいくのである。誤解されやすいが、鳥の中に非物体的な霊があるというのではなく、鳥が霊の姿なのである。海のかなたの異界へ行くには魚になってもいいのだ。鳥や魚に死体を食べさせるのは霊が鳥や魚に入って運んでもらえると考えていたからなのだ。霊は動物になるとは限らない、雲や霧になる場合もあるし、石の中から勾玉の姿で取り出される場合もある。だから異界に行った霊は、非物体的な精神的存在として異界で暮らしているわけではない。異界で再び母の胎に入って誕生するのである。つまり異界もこの世と同じような世界であり、肉体を持っていて、食生活が必要なのである。
 

だから大胆な解釈をすれば、驚くなかれ、いや驚いて頂戴。鳥や魚や石や雲やつまり自然のあらゆるものといってもいいかもしれない、それは我々の命が、つまり霊が姿を変えているというわけだ。つまりアニミズム、万物に霊が宿るという信仰は、この列島の場合、人間が自然になっている、自然は人間の霊の姿なのかもしれない。

 何、異界で死んだらどうなるのかって、その霊はこの世に戻ってきて、セックスによってまたこの世に誕生すると考えたのだ。つまりこの世と異界を行ったり来たりする。往還するのである。こういう信仰は縄文時代からあったらしい。
 

 だから肉体の死は、完全な肉体の消滅ではない。つまり、その芯ともいうべき霊魂は死なないのである。ただ質量保存法則では到底理解できないので、大きな鳥になったり、雲になったりもする。さすがに異界までいくと消耗するので、ちっちゃくなってしまいセックスで母の胎に入り、そこで育てられなければならない。というように古代人の多くは解釈していた、もちろんそんなことは迷信だと思っていた人もいただろう。
 

 ヤマトタケルの霊は白鳥になって能煩野を飛び立った。でもすぐには異界には行かない。なぜなら大和に帰りたいという思いが切実だから、想いが残って異界に行けないのである。じゃあ大和へ飛んで行ったのか、それがね、やっぱり大和より惚れた女だ。陽一は智子に惚れていた。ヤマトタケルは弟橘姫が一番好きだ。海神の妃になったので海の方に飛んでいったのだ。いや飛んでいこうとした。それを観ていた兄橘姫は息子の手を引いて、一緒に海に入ろうとしたんだ。つまり「そんなことすれば、あんたの妻子も死んでしまうよ」と脅かしたのだ。
 

そして「弟橘姫は海神の奥方だよ、今頃あんたがいったって、迷惑するだけだろう」と説得したわけだ。それもそうだろう。「それより私の里に来ておくれ、河内葛城に立派な御陵をつくるからさ。ほらごらんよ、あんたが大和に凱旋した夜の、あんたの息子だよ。あんたが熊襲や蝦夷をやっつけて活躍してくれたおかげで、この子は帝の位を継ぐ第二継承権が認められている。私の里に来て、この子を守ってくれないかい。そしたら皆幸せになれるのだよ。」
 

 どうして庶民の女将さんみたいな口の利き方を皇子にするんだって、いやその方が説得力があると思って、でもなんだか変だな。ともかく白鳥は息子の存在に感動したのか、河内葛城に飛んで行った。海沿いにね。ずっと弟橘姫を気にしながら、ぐるっと紀伊半島を回っていったのだ。
 

 数年後、また白鳥は飛び立ったそうだ。今度こそ大和を目指すのか、それとも異界へ行くのか。ヤマトタケルの息子は仲哀天皇だが、彼は実は筑紫に都を構えている。どうも景行天皇の息子成務天皇とは同時期に大王になっていたらしいのだ。ということは大和ではヤマトタケルの系統は斥けられていたらしい。つまり白鳥は大和へは入れなかった。ではこのお話の続きを知りたい方は、「やすいゆたかの部屋」の創作コーナーにある『オキナガタラシヒメ物語』をお読み下さい。

 

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津軽凧絵 ヤマトタケルの熊襲征伐ヤマトタケル像(米原町醒ヶ井)
スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の早替わり五秒で黒の大碓皇子から白の小碓皇子に変身する。

熊襲征伐は兄の大碓皇子を殺した罰―『古事記』の設定
『日本書紀』では兄殺しはない。

西村子供神楽社の演目紹介より「熊襲」
陽一君は、今回はバーチャルリアリティだということをはじめは自覚している設定にしてある。
バーチャルだから殺せたのか、それとも本当は人殺しがしたかったのか、バーチャルでもリアルでも同じではないのか? 
鉄腕アトム⇒ギルガメシュ⇒アダム⇒オイディプス⇒プロタゴラス⇒コンパス⇒顔回⇒エラスムス⇒小碓皇子⇒本居宣長
過去の自分を思い出せないのなら魂の断滅論と同じではないのか? 
 
梅原猛著『ヤマトタケル』
市川猿之助のために書き下ろした、梅原猛の原作。
実際のスーパー歌舞伎の台本はかなり短縮されている。
戦後の歌舞伎としては『仮名手本忠臣蔵』に次ぐ当たり狂言となり22年間で、観客動員百万人を突破した。

弟タケルは遺言で小碓皇子に「ヤマトタケル」と名乗るように頼む、これは言葉に霊力があるという言霊信仰の一種であろう。
荒ぶる神スサノオは嵐の神格化であり、武力で大八島を統合する覇者でもある。嵐が荒れ狂うのはスサノオの叫びであり、侵略者はスサノオの化身である。また天叢雲剣はスサノオの神体であり、それを持つ者はスサノオの再来である。
単身熊襲を征伐した小碓皇子にスサノオの再来を見たのだ。

弟橘姫とそれを演じる市川春猿

小碓皇子は兄橘姫と弟橘姫を熊襲征伐の褒美として授かる。

熊襲征伐から蝦夷征伐―なぜ帝はすぐに出陣させたか?
『日本書紀』では12年後の出来事、大碓皇子が命ぜられたが逃げたので、小碓皇子が大軍を率いて出陣。
『古事記』−、「天皇既所以思吾死乎、何撃遣西方之惡人等而、返參上來之間、未經幾時、不賜軍衆、今更平遣東方十二道之惡人等。因此思惟、猶所思看吾既死焉。」
「天皇はきっと私が死ぬことをお望みなのです。西方の悪人たちを撃ちに派遣されて、戻ってきてまだそんなに時が経っていないのに、大軍も賜らずに、いまさら東方十二道の悪人たちの平定に差し向けられる。このように考えると、まだ私の死を願っているのです。」

当時は大王の位は譲位がなかったので、平均寿命の短い当時では皇子は帝位につくためには父を殺さなければならない。大王は保身から皇子を気付かれずに殺す必要があった。―親子の間の不信感が強かった。

『教行信証』「信巻」(『日本思想体系⒒ 親鸞』一一三頁)より引用する。「大臣即ち言さく「やや願はくは大王、愁苦を放捨せよ。王聞かずや。むかし王ありき、なづけて羅摩と曰ひき。その父を害し已りて王位を紹ぐことを得たりき。跋提大王・毘楼真王・那睺沙王・迦帝迦王・毘舎佉王・月光明王・愛王・持多人王、かくのごときらの王、皆その父を害して王位を紹ぐことを得たりき。しかるに、ひとりとして王の地獄に入る者なし。いま現在に毘瑠璃王・優陀邪王・悪性王・鼠王・蓮華王、かくのごときらの王、皆その父を害せりき。ことごとくひとりとして王の愁悩を生ずる者なし。地獄・餓鬼・天中と言ふといへども、たれか見るものあるや。」

 火打石

八岐大蛇(日本列島のシンボル)から取り出された天叢雲の剣―日本列島の覇権のシンボル
神剣説話―剣自体が神、スサノオ命は天叢雲の剣の人格化、大国主命、ヤマトタケルも天叢雲の剣の人格化



スサノオ = 天叢雲剣 = ヤマトタケル

  三輪山  =  白蛇  = 大物主命                 

  天照大神 = 鏡   = 巫女
                 
ヤマトタケル伝説の原像は巡察使?
史料的には残っていないが、熊襲や蝦夷などの辺境民からの貢が途絶える度に大軍を派遣するわけにもいかないので、大和政権は皇子や宰相級の人物を事情を質すために数人の伴を連れて派遣していたのではないだろうか。もし巡察使が殺されたりしたら、征討軍が派遣されることになっていたのかもしれない。
 当然、巡察使は遭難の危険が大きかったので、帝は始末したかった皇子や重臣を派遣したと想像される。その悲劇が単身や少人数の熊襲征伐、蝦夷征伐の伝承として語り継がれたのかもしれない。

この歌碑は弟橘媛が詠んだ歌です。
「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
弟橘媛にとっては道行心中のつもりだった。三人で数万の蝦夷を相手に勝てるはずはない。ただ都で待っていても恐らく遺髪さえ戻ってくる見込みはない、それよりついていって一緒に死ねたら、自分は皇子が最後に愛した女としての幸せに死ねるというものである。
永遠の今―今死ぬ間際にただ姫への想いだけがある。
この刹那に永遠を感じる。
短い人生ははかないが、長ければ納得できるというものでもない。この時のため、この体験をするために生まれてきたと思えるような体験ができればたとえ短くても納得して死ぬことができるのかもしれない。
焼津神社 ヤマトタケルが火攻めにあったところ
ヤマトタケルと火打石と草薙剣が一体であることがしめされた。

別説 神奈川県厚木市小野神社 ここが草薙の地であるという。
物神も含めてヤマトタケルとして捉えられる
身体のみが人間ではない
身につけている物や道具、武器、周りの環境なども含めて人間を捉える。
何か得るためには何か大切なものを失わざるを得ない。
一番大切なものを犠牲にしなければ蝦夷を平定するという大事業は成し遂げられない。英雄伝には悲劇的要素が必要、最愛の弟橘姫の走水での入水、ヤマトタケルを悲劇的に盛り上げている。

「お気持は良く分かります。女ひとり救えないで、どうして国を救うことができるのか、武力で蝦夷を抑えても、またすきあらば蝦夷は背くに違いない。とお考えなのでしょう。でもこうして熊襲や蝦夷たちと戦ったり、交流したりして、彼らの苦しみや哀しみ、また人情にも触れられた。そのあなたが、生きて都に帰られて初めて大和の国は大八島を治めることができるのではありませんか、あなたは自分の恋に死ぬばそれでいいかもしれませんが、遺された人々の想いはどうなるのですか。おなたについてきた私はどうなるのですか。」
ヤマトタケルは蝦夷征伐を奇跡的に成功させて、帰途につく。
尾張で終わり?―都では皇后が亡くなり、ヤマトタケルに反発する勢力はなくなる―英雄として迎えられ、宰相になれる形勢。
帝から尾張の豪族への手紙―最後に伊吹山の山神退治を。
最後の戦いの前に婚礼や宴会という設定が見事
写真は新垣結衣『BALLAD 名もなき恋のうた』より
美夜受媛(みやずひめ)が小碓皇子の帰りを待ちわびていた。
蝦夷征伐に出かけるときによった時は結ばれなかった。−小碓皇子は結婚したてだった。警戒心があった。
帰りは結婚する気は大いにあり。小碓皇子にとっては、尾張の豪族の後ろ盾が必要。尾張の豪族も朝廷での勢力を張るためには皇位継承者に娘を嫁がせることが必要。−箱入り娘
姫にとっては女性としての幸せを掴む、一生一度のチャンス。
裳の裾に月立ちにけり
女性の月の穢れを昇華して表現

歌の効用―「見るもの聞くものにつけて、思ひをのへ、うつりかはる折々の景色を、興あるさまによみつつけたる、此世のありさま、何事かはおもしろからさらん、いとたけき猪のたくひも、ふすゐのとこ(臥す猪の床)といへは、哀になつかしきといへる、古めかしき事なれと、まことに此歌の徳ならては、いかてかかくゆうにやさしくは言ひなされむ、いはむやうへなき花月のなかめ、心にあまる風情、ふつつかなる口にも、一首につつりて言ひのへたらむは、いひしらす哀にえんなる事、何ことかはこれに及はむ」(『排蘆小船』)
 「臥す猪の床」の話は、『徒然草』に「和歌こそなほをかしきものなれ。−中略−恐ろしき猪も臥す猪の床といへばやさしくなりぬ」とあるものです。肝心の和歌は『後拾遺和歌集』の「かるもかき臥す猪の床の寝を安み、さこそ寝ざれめ、かからずもがな(すやすや寝込んでいる猪のようには眠れないにしても、人恋しさに眠れないこの状態ではなくありたいものだ)」のことです。この和歌の御陰で風流や哀れとは全く無縁に思えた猪が、「もののあはれ」を誘うようになるのです。こうして歌は様々な物事を感動と快楽に艶やかに彩り、生活を心豊かにしてくれるものなのです。

裳の裾に月立ちにけり
穢れたものを歌により昇華して聖なるものにしている。
月経の穢れは聖なるものを穢すとして忌み嫌われていた。−女人禁制の山―大峰山など今でも禁制-これは女性差別の最たる物ですね。

女性が土俵に上ってはいけないというのもそのせいだとか、太田知事は登りたかったのに残念でしたね。
雄略天皇の時代に女性に相撲を取らせたという記事が『日本書紀』にあるようです。
ともかく美夜受媛の想いは血のにじむ思いでったということです。返歌が素晴らしい。
「高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経往く うべなうべな 君待ち難に 我が著せる 襲の裾に 月立たなむよ」
君を待つ苦しさに血がにじむ想いだったというのです。
これで二人の気持ちが盛り上がり、めでたく結ばれるということです。
梅原戯曲では美夜受媛は結婚の条件にもう戦はしないことを誓わせます。―ちょっと無理な要求でも、女心ですね。女性ファンには好感される。
それが草薙の剣を床の辺に置いてでかけることにつながる。−うまい着想ですね。
ヤマトタケルは山神を説得しようとしたのかもしれない。−古事記にはそういうことは書かれていない。
戦いから逃れたい気持ちの現われかも。
美夜受媛を抱いて、小碓皇子はヤマトタケルからその象徴である草薙の剣から逃れたくなった。

雹、こんな大きなのもありますよ。
山神が降らせた。
伊吹山には鬼が棲んでいた。−鬼は山に棲み、人家を襲って食糧や妻子を奪った。
人間離れしていたー人食いの噂も。大和政権を腹の底から憎んでいた。―決死の攻撃をかける。
草薙の剣を持っていないから千載一遇のチャンス。
ヤマトタケルが杖をついて登った坂。

「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣、 山隠れる 倭し 美し。(大和は素晴らしい国だ。重なり合って、青垣のようになっている山々に囲まれた大和は実に麗しい。)」
自然の山林に囲まれ守られている大和

「命の全けむ人は、 畳薦 平群の山の 熊白儔が葉をうずに插せ その子。(命に溢れている人は、山深い平群の山の熊のように大きな白儔の葉をかんざしにさしなさい、お前たち。)

辞世の歌
嬢子(おとめ)の床の辺に吾が置きし剣が太刀その太刀はや

日本武尊能褒野陵

奈良県御所市 琴弾原陵(日本書紀の記述)

 軽里大塚古墳(ヤマトタケル白鳥陵)

大鳥神社本殿
『古事記』では海沿いにいったので、ここから河内湖に飛び、河内の志幾に飛んで、埋葬され、また飛び立った

河内湖も白鳥の湖だった。
物部の戦没戦士たちの霊は白鳥になって河内湖に舞い戻ってきた。
戦士⇒白鳥
白鳥はコケしか食べない草食の平和を象徴する鳥
戦士は白鳥になって平和な国づくりを呼びかけている
熊襲や蝦夷とも共生し支え合う和の国づくりである。


敗戦で生まれ変わった
―軍国日本⇒平和日本=憲法第九条
さらに天翔りて―生まれ変わるために
羽曳野を南下し葛城山麓へ―葛城高額姫が追いかける
崖から落ちた葛城高額姫の夢にヤマトタケルの霊が白鳥を食べるように頼む。−高額姫は息長宿禰王(オキナガスクネノミコ)と婚礼して息長帯日売(オキナガタラシヒメ)が誕生
成長してヤマトタケルの皇子帯中日子命と結婚
筑紫香椎宮で大和政権に対抗、大王死後新羅侵略の勢いで大和政権を打倒する。息子が応神天皇になり、八幡信仰の神となる。
息長帯日売(オキナガタラシヒメ)=神功皇后