顔回の柩

       
          このひとの為にではなくてたがために慟哭するや回逝きし朝

  顔回が死んだ!師の孔子役は榊周次である。「天、予(われ)を喪(ほろぼ)せり。天、予(われ)を喪(ほろぼ)せり。」榊は身を捩じらせて、激しく泣いた。つまり慟哭したのだ。先日息子の鯉が死んだ時には号泣はしたが、慟哭まではしなかった。お供をしていた二五歳の有若はこの孔子の姿を見て驚いた。何故なら孔子の教えでは肉親の情というのが大切で、他人への情はそれを押し広げていくべきものである。だから息子の鯉を慈しむように、弟子の願回を慈しむべきである。そこには当然順列というものがある。息子の死以上に弟子の死を嘆き悲しむなど、孔子自身の教えからは考えられないものだ。「先生、身悶えして激しく泣かれていましたよ」と有若に言われて、孔子は「この人のために慟哭するのでなかったら、誰のために慟哭するのか」と応えた。

 孔子(前五五一〜前四七九)で、顔回(前五一四〜前四八三)だ。つまり孔子が六八歳の時に顔回は三八歳の若さで死んでいる。若死にすることを特に夭折というのである。肉親の情を第一に考えるという孔子が他人の 顔回に肉親以上の愛を示したというのには、それなりに理由がある。           

      仁義切る任侠道に露ほどに儒家の魂継がれまほしを

 顔回は孔子より三七歳若い。孔子の塾つまり孔門にとって若手のホープである。一を聞いて十を知るといわれた秀才中の秀才である。孔門は、現在考えられるような知識を教え込む学塾ではない。六芸を教えていたのである。六芸とは周代に士の必修科目とされていたと言われる「禮・樂・射・御・書・數」である。〔「御」は乗馬、「書」は読み書きから文献研究まで、「數」は計算から会計までを意味する。〕

  特に祭礼での歌舞音曲の練習が大切だった。というのは、儒家は宮廷の儀式から一般家庭の冠婚葬祭まで一切を取り仕切る巫祝集団でもあったのだ。孔門は月謝をとっていない。月謝という制度は近代的なもので、初めて月謝制度を導入したのが福沢諭吉の慶応義塾だったといわれている。入門時や年に何回か挨拶として食物や衣料などを束脩として収める慣習になっている。これが収入のすべてでは、塾の運営はできない。儀式や冠婚葬祭を周礼にのっとり行うことを請け負って、そこで振る舞いや謝礼を受けていたのだ。ようするに玉姫殿とか葬儀屋とかなんとかセレモニーや興行の請負を兼ねていたわけである。

  興行を生業にしていた連中を「興行やくざ」というが、「やくざ」と儒家は決して無縁ではない。「やくざ」というのは蔑称で本来は「任侠」という。彼らは独特の挨拶を「仁義を切る」というが、仁義こそ儒家がもっとも大切に考える徳である。任侠の人々は自分たちの源流を孔子たち儒家の集団だったと考えているのである。しかし現代やくざが果たしてそのことを自覚しているかどうか、そのかけらも見られないようなのが残念だ。

                井田の法を守りて封建の秩序固めむ礼楽用い

 儒家の思想は、周代の古き良き封建制の秩序を回復し、社会を安定させることにある。周の王室があり、それによって各国に封じられた諸侯が、それぞれの国を治めていた。諸侯には卿とよばれた重臣がいて、それぞれの国内の地域を治めていた。そしてその下に大夫や士がいて、いくつかの集落を治めていたのである。そして集落は八つの戸が単位であり、井田法に基づいて耕作していた。つまり田を九等分に区画し、各戸は一区画を耕して、その収穫を自分のものにする。そして残りの一区画は共同で耕作して、その収穫は領主に貢納するのである。この秩序が守られている限り天下は泰平だというのが儒家の捉え方である。

 ところがこのような封建秩序を固定し、維持続けるのは大変難しい。それぞれの家には栄枯盛衰があって、やがて周室は名前だけの存在になっていた。諸侯は自分の領国を勢力圏と考え、独立国の王のようになってしまう。とはいえ諸侯も勢力が衰えた者が多い、有力な重臣である卿に実権が握られていたのだ。また卿の権力も大夫や士の中から成り上がった者達に脅かされていたのである。こういう傾向を下剋上と呼ぶ。成上がり者達は、周礼を軽んじ、古くからの身分秩序を無視して、分不相応な儀式や祭礼を行い、権勢を誇示しようとした。これではことを実力で決しようとして争乱の世の中になっていくのは必定である。

 そこで儒家たちは正しい礼を復活させ、古い身分秩序に戻して社会の安定を取り戻そうと考えたのである。それで彼らは既に衰退していた周の時代の礼楽を復興させる文化運動に取り組んでいたのである。だから孔丘は巫祝と呼ばれた祭礼を行う集団出身であったと推測されている。

                   義に篤き清廉の士を用うれば君主いかでか羽をのばさむ

 孔子たちの文化運動は周の王室を尊んで、諸侯たちを纏め上げ、北方の騎馬民族からの脅威に備えようとする有力諸侯の意向にも沿っていた。それで孔子たちは六芸に秀でた人材を養成して諸侯の家臣に取り立てさせようとしたのである。

 ところが儒家を登用するについては、反発が強い。諸侯は成上がってくる卿や大夫や士を牽制するのに儒家を利用するのだが、当然新興勢力は儒家を排斥しようとして、紛争が起こりがちである。それに儒家は礼に厳しいから仁や義を重んじない諸侯の政治には批判的であるし、礼楽をきちんとすればかえって出費がかさんでしまう。

 顔回のような秀才はかえって敬遠される。顔回は非常に義や礼を重んじるので、彼を登用した諸侯はわがままかってな政治ができなくなってしまう。権力者は必ずしも人民のために政治をしようとは思っていない。自らの権力の保持と強大化を狙っているのであり、人民の幸福のために政治をすべきだという 顔回とうまくいくはずがないのだ。だからいつまでたってもどこからも顔回に宰相になって欲しいというお呼びはかからないのだ。

 もちろん師の孔子も諸侯から敬遠されてしまう。故国の魯国で大司寇にまで出世し、政治の実権を握って、重臣たちを抑えようとしたが、逆に魯国から追放されてしまった。それから各地を放浪するが、各国とも孔子の話は聞いても登用しようとはしなかったのである。

             人愛すことが仁だと言われても、愛の意味知る人はいずこに

                    知らざるを教ふがよき師あらざりき知りたることを教ふにしかず

 硬い話ばかりで、お待たせしました。いよいよ上村陽一君の顔回の登場である。総白髪顔面の皺は深く、五十歳過ぎに見える。苦渋の表情での登場だ。「先生、お伺いしたいことがあります。一体仁とは何でしょうか。」榊は唐突に訊かれたので訊き間違えてしまった。「ジか、あれは辛いな。痛くて歩くのさえままならないし、便所では死ぬほど苦しむものだ。」「それは痔でしょう。私が伺っているのは人偏に二と書いて仁です。先生がいつも一番大切だとおっしゃっておられるあの仁です。」

 「何をおっしゃる兎さん。そんなことあなたが一番ご存知でしょう。私は他の弟子たちにどのように仁を教えていましたか、思い出してみてください。」「樊遅さんが仁は何かと問われて、先生は人を愛することだと言われましたね。」「彼は本当に優しい人だからね。人のために尽くして、それで喜んでもらえたらすごく幸せそうに微笑むじゃないか、だから人を愛することだと言ったら、わが意を得たりとばかり得意げにしていたじゃないか。」

 「仲弓さんには『人に会うときは大切な賓客に会うようにし、人民を使うときには大切な祭りを行うかのようにし、自分の望まないことは、人に仕向けないようにしなさい、そうすれば国に居ても怨まれないし、家に居ても怨まれない』と具体的に説かれましたね。」「確かに仁とは人を愛することでいいのだが、それはどういうことなのか、漠然として分からない人にはこうすることが人を愛するということなのだと説明してあげる必要がある。その際はその人がどんな仕事をしていて、その際どういう気配りが大切なのかを説明すると、納得してもらえるのだ。」

  「そのおかげでしょうか、仲弓さんは季孫氏という魯の実力者の家に取り立てられました。そしてそこで信頼を集めておられるようですね。」「いやとんでもない。私が教えてあげたから、そうできるようになったのではありませんよ。元々仲弓さんはよく気配りが効く人で、いつも相手をおろそかにしていないか、どうすれば相手に嫌がられないで、明るい気持ちにさせることができるかに心をくだいている人だから、それで私の言葉が気に入ってくれただけなのだよ。」陽一はなるほど、よい先生というのは、相手の知らないことを教える先生ではなくて、相手が一番よく知っていて、一番大切だと思っていることを確認させてあげる先生なのだな、これはすごいことを教わったと感心した。

 「先生、なるほど、そうですか。相手の知らないことを教えても、何を難しいわけの分からないことを言う先生だと敬遠されてしまいます。それに対して、相手が常々考えていることをよく観察されて相手の身になって考え、相手が一番納得できることを言ってあげると、この先生のおっしゃることはよく分かる、この先生は一番すばらしい先生だということになるのですね。」孔子を扮している榊は満面の笑みをたたえてうなずいた。「そうなんだ、さすが 顔回君は一を聞いて十を知る逸材だね。だから教師こそ、生徒の身に成って考え、生徒から学ばなければならないということなんだよ。」

                          吾道はただ一筋に貫きぬ篤きまごころ思いやりのみ

 「ですから真心とおもいやりが大切だということですね。曾参君が大先生の道は結局忠恕に帰着すると少年たちに教えていました。」「そういえば曾参に、私の道は一つのことを貫いてきたんだといったら、そうでしょう、そうでしょうとうなずいていたな。彼ぐらいになると何も言わなくても分かりあえるんだよ。」「まったく曾参君ほど誠実な人はこの世にいませんね、先生を除いては。」

 「何とおっしゃる兎さん。私なぞはまだまだ欲の塊で、心に悶々としたものを抱えているので、人に誠実にしようとしてもついおもいやる余裕を失っている自分に気づいて、余計に落ち込んでしまうことがある。曾参の爪の垢でも煎じて飲みたいぐらいだよ。」

なんと孔子ともあろう大聖人が自らの心の弱さに自己嫌悪に陥り、もがき苦しんでいるとは、そんなことがあるだろうか、顔回は思わず耳を疑った。「そんなご謙遜でしょう。先生にそんな悩みがあるはずがありません。」

 「ハ、ハ、ハ、ハ。それじゃあ、孔門でもっとも秀才だと尊敬を集めている顔回君は何の悩みもないのかね。」陽一は、顔回の心の奥底の苦悩を見抜いている孔子の鋭くしかも優しい眼光にたじろいた。そして「それは:::」とつぶやいただけで何も言えなくなった。

              貧しさも楽しみのうち回ならば道なき時に富たるは羞じ

  しばらく沈黙してから、陽一は自嘲気味に口を開いた「先生はこうおっしゃっておられるのでしょう。『えらいもんだなあ回は。一椀の飯に一椀の汁で、むさ苦しい路地裏のあばらや住んでおる。普通の人なら貧乏に堪えられず、愚痴をこぼす所であろうが、回は愚痴一つ云わず楽しそうに暮らしている。大したもんだ回は』と。そんな風に言われていると弱音は吐けませんからね。」

 「それはすまなかった。たまには弱音を吐いてくれてもいいんだよ。貧乏生活でガリガリにやせて、弱冠二十歳ですっかり白髪に覆われていた。病気にならないかと本当に心配だよ。もっと栄養になるものを食べないと、我が家で食事をしていってくれればいいのに、遠慮していうことをきかないからね。」

                 企みで国を奪いてその後に徳で治めるそれも不可なり

 「貧乏はそれほど苦しいことはありません。それよりせっかく先生から大切な学問を学んでいながら、それを思う存分活用することができないのが、なんとしても口惜しいのです。一体どうすれば先生の素晴らしい学問を活かすことができるのか、それで本当は笑顔の裏では悶々としているのです。」陽一は感極まって涙が溢れそうになるのをじっとこらえていた。こんな時は声を上げて泣くべきなのか、じっと涙をこらえるべきなのか、泣くのはやはり不様な気がした。

 「『人に知られないからと言って慍みごとを言わない。これこそ君子じゃないか』と私は常々言っているだろう。それはもちろん正しいんだが、やはり自分力を存分に発揮して、苦しんでいる民を救い、よい国づくりをしたいじゃないか、それができないのは何としても口惜しい、その思いは私とて同じことだよ。だから私もあせって、言ってることとはさかさまの随分恥ずかしいことをしてきたじゃないか。しかしね、やはり少々冒険を犯したり、道にはずれても権力を握って、それから徳を発揮しようとしても決してうまくいかないということだ。しっかり徳を守り、決して礼に外れたことをしない、結局それが一番正しい生き方なのだ。小賢しい企みで権力を奪っても、悪だくみにかけては相手の方が我々より勝っているのだから、結局陰謀でこちらが権力から追われることになるのだ。」

「それはよく心得ているつもりなのですが、しかし、学問という民衆のための宝を身につけたまま、このまま立ち枯れていくのかと思うといたたまれないものです。」

                 時待たず狼煙をあぐることよりも命の舞に哀しみ燃やさむ

 「とんでもない、君は立ち枯れてなどいない。そんな悪あがきをするよりも古の麗しい舞を舞うことの方がはるかに大切なのだよ。そうだ久しぶりに、舞の稽古をつけてあげよう、私の笛にあわせて舞ってみてくれないか。」

  陽一は舞など舞ったことがないから大いに戸惑った。何しろ舞と踊りの区別もしらない。舞なら上半身を動かさないことになっているらしい。何しろ中学校で体育祭でやったヨサコイしか踊れないので、若者の乗りで元気いっぱいのヨサコイを踊った。

  「古の商の都で収穫の秋に大地の神に捧げた命の舞だ。見事じゃないか。全く礼にかなっている。」榊はご満悦の様子だった。「回君は実に楽しそうに踊っているね」

  「はい、この舞を舞っているときには何もかも忘れて、体の芯から燃えてきます。」パチパチパチ、拍手をしてから孔子は言った、「登用されても、君主に気に入られようとして、仁にかなった思いやりの政治をおろそかにしてはならない。礼にあらざれば見るなかれ、聞くなかれ、言うなかれだ。たとえ登用されなくても、礼に適った正しい舞を舞っている限り、そこに世界の中心があり、そこを中心に歴史は動いているのだ。」本物の願回だとわが意を得たりかもしれないが、陽一にはよく飲みもこめない。

 「礼楽を整えることが政治の基本だと我々は説いてきた。人間も生き物だから、欲望を充足させて生きている。獣たちは本能の命じるままに行動すれば、それで自然のバランスが取れて他の生き物や、同類ともうまく共存できるようになっている。ところが人間だけは、欲望が限りなく肥大するので、欲望の充足の仕方に型をはめて自然や同類とのバランスを保てるようにする必要がある。だから法や礼というのは、決して欲望を否定するのではなくて、充足の仕方を伝統を基準に良い形に保とうとするものなのだ。どうせ欲望を充足させるのならできるだけ楽しく、満足できるものにしたほうが良い。そこで音楽に合わせ、舞を舞うことによって神々や人々との対話にすら、最も楽しくて最も美しい形を追求しているのだ。」

 「としますと、政治というものは民衆が楽しく舞を舞い、歌を歌えるように、日々の生活の楽しい過ごし方を教え込むことなのですか。」

 「それは近い。ただそういう法や礼はこちらが勝手に制定できるものではないだろう。伝統を掘り起こし、今によみがえらせるべきものだ。それは民衆の中に埋もれている。だからこちらから一方的に教え込むのではなくて、民衆に教わることも大切なのだよ。」

 「でも礼楽にばかり嵌ってしまいますと、現実の政治の課題を見落としてしまいませんか。」孔子は苦笑しながらうなずいた。「何事も程度を考えなくてはならないからね。礼楽が大切だといって、それに精力や財力を注ぎすぎると、財政を破綻させることにもなりかねない。礼楽は身分によってどうするのかが決まっているから、礼楽をきちんと整えれば、身分がはっきりして世の中が安定するのだ。そして何事も礼楽のように楽しくバランスを考えて、美しく行うことが大切だと分かる。だから今こうして 顔回が美しく、元気に楽しく踊ったということが、すべての人々にとって、もちろん政治を行う上にも大切なお手本となっているのだ。」

 「つまり今の世の中は乱れていて、政治に首を突っ込むと必ず、陰謀にはめられたり、悪に染まったりしなければならないので、正しい思想と正しい礼楽を守り、それを伝えることの方が意義があるのだということですね。取り立てられて大きな屋敷に住み、礼服を身にまとい、ご馳走をたらふく食べているよりも、陋巷にいて破れた小屋に住み、つぎはぎだらけの服を着て、粗食をいただいているほうがはるかに素晴らしい生き方だということですね。」

 「そうなんだ、顔回よ、誤解してはいけないよ。宰相になったから偉い、天下を取ったから偉いわけでは決してないのだ。また人民を救うのは、宰相になったり、天子になることによってではない。それなら過去の宰相や天子が果たしてどれだけ人民を救ってきたか、大部分の連中は威張り散らして、自分の権勢を強め、私欲のために人民を苦しめてきたのではなかったか。そんな連中より、われわれの方が本来の政治のあり方を正しい礼楽を守り伝えることで示し、それで未来の人類全体を救っていると言えるのだ。そう思って舞を舞い、音曲を奏で道を説きなさい。そうすれば我々の一つ一つの手の上げ下ろし、一つ一つの言葉が黄金に輝くのだよ。」

                          背を伸ばし、まことの道を一筋に生きることこそ王道ならずや

 「では礼に適ってさえいれば、背筋を伸ばして歩いたり、花を美しく飾ったり、字を力強く書いても、おいしく梅干を作っても、人類を救うということになりませんか。」榊はニコニコ笑って答えた。「全くその通りなんだよ。私が仁だと言ってるのも、特別なことじゃない、真心と思いやりの気持ちを忘れないようにと言っているだけだ。だから一人ひとりの民が日々これを行っている。その積み重ねが素晴らしい世の中を作るのだ。私たちが特別に偉いわけではない。ただ我々はそれを政治や道徳の原理として住みよい社会を作ろうと唱えているだけなのだ。だからこそ我々の考えはやがてみんなに受け入れられて、中国で数千年の間支配するようになり、我々の名も語り継がれることになるだろう。」

 「それじゃあ悶々としないで、この清貧の陋巷での生活を楽しみ、礼楽のお稽古に励んでいれば、それが先生から学んだ学問を十分活かしていることになるのですね。しかしそんな慰めを言われても、胸に学問を収めたままでは、この空しさは張り裂けんばかりです。」

 「回さん、あなたはこれまでも胸に激しい苦悩を抱きながら、そんなことを全く感じさせないように、まるで清貧を楽しんでいるように見えていた。つまりずっと己のわがままを抑えて礼にかえってきたのだよ。『克己復礼』だ。立派に克己復礼をやってこられた。そしてこれからもそれを続ければよいのだ。もっとも学問が深まれば深まるほど、身を立てたいという気持ち、野望が膨らんできて克己復礼は難しくなるものだが。

 回、あなたの克己復礼は、はっさん熊さんが放蕩ばかりしていたのが、嫁さんをもらって心を入れ替え、急に働き者になったというような克己復礼とはわけが違う。そんなことでだれも仁に目覚めたりはしない。ところが本当にあなたのレベルで克己復礼ができたなら、世間の人はみんな感心して、天下が仁になつくだろう。」

                              淵は陋巷のまま骸なり、賢なればこそ厚く葬る

  顔淵が死んだ。門人達は身分は賎しいけれど人物は大変立派だったので、それに相応しく顔淵を厚葬したいと思った。特に顔回の指導を受けた曾参たち若手が孔子にお願いにつめかけた。曾参は若くて美しい顔をしていた。三輪智子が曾参を演じている。榊周次は女性を登場させる余地がないので、三輪智子を遊ばしておくわけにもいかず、曾参役に起用したのである。

 「孔先生、私たちは顔淵先生を尊敬しております。彼は孔先生に次いでこの孔門の看板を背負っておられました。人物としてはどこの国の宰相に取り立てられても、不思議はないほど立派なお人柄でした。君子の徳は十分に備えておられました。でも残念なことに時代が悪く、清廉潔癖なお人柄ゆえに用いられることはありませんでした。でも顔淵先生はすこしも恨み言を言わないで清貧を楽しんでこられたのです。孔先生のお教えでは尊い志をもつ賢者を尊ぶべきだということです。我々が先生を厚く葬って、世に入れられなかった顔淵先生の遺徳をたたえなければ、とてもやるせなくてたまりません。」智子は大粒の涙を流してヒューヒューとしゃっくりあげて嗚咽しだした。

  孔子を演じている榊周次は、智子のオーバーアクションには手を焼いた。「曾参君、君の顔回を慕う気持ちは良く分かる。顔回こそ孔門を立派に引き継いでくれると嘱望していたのだから、厚く葬りたいと言う気持ちは私もだれにも負けないつもりだ。しかし、彼には礼にあらざれば見るな、言うな、行うなと常々人の道を説いてきたのだ。儒家の考えは封建的な身分秩序をしっかりしたものにして、世の乱れをなくそうという考えなのだ。その儒家が身分に合わない葬儀をするのは、自らの言ってきたことに反することで、世間は儒家のいうことを信用しなくなる。それでは孔門の屋台骨を背負ってきた 顔回自身の考えにも反することだ。顔回は陋巷に生き、陋巷に死んだ。だからそれにふさわしく薄葬で葬ろう。願回は決して厚く葬られるために清く正しく生きてきたのではない。厚く葬られても決して喜びはしない。自ら薄く葬られる生き方を選んだのだから、彼の意思を尊重すべきなのだ。」

 いつもは孔子に説明されると、すぐに納得してしまう曾参だったが、この日ばかりは目を腫らし、オイオイと声を出し、鼻水までたらして泣くものだから、簡単には引き下がらない。「薄葬にすると世間はかえって孔門を信用しなくなると思います。 顔淵先生ほどの賢者で、孔門に巨大な貢献をしているのに、その恩義に報いようとしない。ただ出身の階層だけで人間の扱いを決めていると。顔淵先生の孔門での活躍や貢献からすれば、卿や大夫として弔わないとつりあいが取れません。あくまで孔門の葬儀なのですから、身分や地位をいうなら、孔門でのそれにふさわしいものにすべきでしょう。」

  「孔門としておおいに顔回の葬儀を盛り上げるのは大賛成だ。しかし孔門が世間の身分秩序と違うものを独自に採用してしまうと、孔門は国家とは別の国家を立ち上げたことになって、謀反を企てる団体だと疑われることになる。それこそ魯国や諸侯をみんな敵に回してしまうことになる。それはとてもできないし、 顔回の意志に反するものだ。」

 「それは顔淵先生がいずれかの諸侯に出仕されていればの話です。出仕されていれば当然宰相になられていたでしょうから、槨のついた厚葬になっていた筈です。それだけの人物だったことを示さなければ、 顔淵先生に対する私たちの想いが世間に伝わりません。そのことはとても哀しいことでして、とても耐えられないのです。」曾参に付き従っている十代の弟子たちが、まるで真夏の蝉のように泣き続けた。問題が問題だけに孔子としても怒鳴り散らして追い払うわけにもいかず、途方にくれていた。  

                     回が怨みの霊となりたるや生き写しなる路現る

 そこに顔回の父顔路が尋ねてきた。孔子は顔路と良く話し合うからといって、曾参たちを帰らせたのである。顔路は顔回をそのまま老けさせた感じだが、顔回が貧窮していて弱冠廿歳で総白髪、相当老けていただけにあまり変わらない印象である。だから当然 顔回の幽霊のような迫力があっただろう。上村陽一が再登場である。

 「孔先生、お久しぶりでございます。この度は志半ばで息子願回は逝ってしまい、先生にご期待いただきながら、もう役に立たなくなってしまいました。本当に申し訳ございません。本人もさぞ無念だったことだろうと存じます。」

 「え、顔路?本当に顔路なのか?本当は顔回の怨霊でわしに恨み言を言いに来たのではないのか?まるで顔回に生き写しではないか。」孔子になっている榊周次は少々怯えているようで、こころなしか体が小刻みに震えている。

 「何をおっしゃいます。回は先生からいつも暖かいお言葉を戴き、大変幸せだと申しておりました。その回には先生に対するご恩返しができないことが最大の心残りでしたでしょう。ほんのかけらほどの恨み言があろうとは、私には信じられません。」

 「回、回、お前には本当にすまないと思っている。」孔子はまだ本人だと思っている。「お前が孔門に献身的に尽くしてきてくれたおかげて、孔門のこの繁栄があるのだ。そのお前が、あばら家に住み、ボロを身にまとい、栄養もろくに摂らないで、やせ細り白髪で骨身を削っているというのに、私はどうだ。孔門の代表ということで、立派な屋敷に住み、家財道具から衣裳、毎日の食材にいたるまで、諸侯や豪商をはじめとするさまざまな人々から贈答の品が毎日届いている。おかげで、マンションに五百着ほどの着替えを揃え、お出かけも十台以上の外車を乗り回している。そして毎日の食事も宮廷かおまけのご馳走三昧だ。」

 「ストップ、ストップ」顔路は、慌てて止めた。「今は中国の春秋の時代ですよ、マンションも外車もありません。それに孔門の台所もなかなか厳しく、おいしい肉をご馳走になったときなど先生は三月もその味を忘れられないとおっしゃっておられた。着ている物だってたくさん接ぎがあたっているそうじゃありませんか。」

 「本当に顔路さんなのですね。」やっと少し安堵したようだ。「それにしても回さんは、風邪をこじらせて肺炎で死んだそうだね。二三日寝込んでいると聞いたが、それがあっけなく亡くなっただろう。よほど栄養状態が悪かったんだよ。」

 「何しろ一人暮らしでしょう。嫁を取らしておくべきだったのですが、まだ定職もないのに結婚などできませんといって、独身で押し通しましたからね。」

 「何とか定職はないものかと思って、諸侯には顔回の存在をアピールしてきたんだが、引き合いがあるのは、新入社員扱いみたいな低い身分しかないのだ。宰相や長官といった役職の話は 顔回には一切こなかったな。孔門とすれば我が門第一の秀才を二等兵扱いさせるようなまねはできないから、撥ね付けてきた。こちらの見栄かもしれないが。回は一番下からでもガンバッて上にいくからという意向だったらしいけれど。それに願回の頑張りに孔門が支えられていたこともあり、手放したくなかった気持ちもあって、条件の悪いのを理由に撥ね付けてきたのだ。」

                           師を慕い命ささげし回のためせめて御車棺を抱かば

 「先生、そんなことは全部回は承知の上で、先生に見込まれていることを感謝していたのですから、少しも恨みになんか思っていませんよ。それより私は、回が先生を命がけでお慕いし、すべてを孔門に捧げたことを先生に認めていただき、その労をねぎらってやっていただきたいだけなのです。」孔子はホッとした表情になった。「そうですか、そうですか、さすがは 顔回の父だけのことはある。顔路さんも生活に追われて、学問が中途半端になってしまったけれど、大切な人の道は立派に貫いておいでだ。誠心誠意で弔わせていただきますよ。」

 「ありがとうございます。そのお言葉がいただけて、回は思い残す事はなにもないでしょう。つきましては先生のお体の一部になっているお車を頂戴し、それで回の棺桶を囲む槨を作らせてください。そうすれば回は先生に抱かれて眠ることができます。回はすべてを先生に捧げたのですから、先生は回にお車を与えてやってください。」

 突如、孔子を演じている榊の表情は暗くなり、不機嫌になった。そして不安のあまりおどおどとした口調で語りだした。「そ、それは、それはできません。私はこれでも大夫の位を魯公からいただいております。大夫が行列で歩くとは礼に反するのです。身分秩序を守るというのが儒家の根本の立場ですから、車を手放すわけには参りません。」

 「先生、代わりのお車は回を慕っている孔門の若いお弟子さんたちに作って戴いております。ずっと立派なものが出来上がると存じます。どうぞご安心下さい。」孔子は追い詰められたような表情になった。「そ、そ、それは。それは困ります。あの車は大司寇になったときに魯公から戴いたものなのです。それを弟子の棺桶を包む槨になぞできません。」

 顔路はひざまずき、頭を地面にこすりつけて哀願した。「先生、お願いでございます。これだけは聞き入れてください。孔門に嫌がる息子を無理やり入門させたのは、私です。長くは続くまいと思っていましたが、いつしかすっかり溶け込み、本気で先生に心酔し、だれよりも誠を貫き、礼を尊び、己に厳しい人間になりました。我が家の困窮ぶりを知っているだけに、私からの援助は一切受け取ってくれません。二十歳の息子が総白髪になったのを見て、どの親が胸を締め付けられない筈がありましょう。家に帰って農業に励むように薦めましたが、志は曲げられない、先生の恩に報いるのだといって聞かなかったのでございます。そして挙句の果てが野垂れ死に同然の始末です。私は息子のために何一つしてやれなかった。どうかこの親を哀れだと思われるなら、息子の志を賞でてお車で包んでやってください。せめて最後の時だけでもお前は立派な人間だと槨をつけてやりたいのです。何もしてやれなかった、野垂れ死にするのを見殺しにしてしまった、この哀れな父親のためにお願いですから、お車を下さい。孔先生、先生の仁をお示し下さい。」

                                封建の礼を尊ぶ儒家なれば身分忘れて槨で囲えず

 「顔路さん、あなたも父親なら、私も父親だ。息子の鯉が死んだとき、大夫の子だからといって槨はつけなかった。息子のために車を壊して歩いたりはしなかった。儒家の礼では、まず家族への愛を優先しなければならない。息子にもしなかったことを他人の息子にするわけにはいかない。そんなことをすると家族愛を根本に置く儒教道徳が崩れてしまう。薄情なようだが、私も辛いのだ。回さんを野垂れ死にさせた責任は私にあるのだからね。この罪を背負っていくしかないのだよ。本当にすまなかった。」孔子はひざまずいて謝った。

 「先生、どうしてそんなに教義に拘られるのですか。鯉さんは、鯉さん。回は回です。それぞれ一回切りの人生です。鯉さんには槨は必要なかったかもしれない、それは父親として先生が愛情をこめて葬られたからそれでよかったかもしれない。回の場合はどうでしょう。この凄まじい赤貧の人生に対してただ親や師が偉かったと褒めてやるだけで収まるのでしょうか。」

 「どうして槨などに拘るのだ。槨がなくったって、彼の偉大さは変わらない。礼に背いてカッコいや槨をつけても、礼に生きた顔回は喜びはしない、汚された気持ちになるだけだ。」 顔路は少し語調を荒げて語りだした。「それじゃあ、こういうことですか、卑しい身分に生まれた人間は、いくら努力をし、尊敬される人間になっても、卑しい人間として槨なしで葬るのが正しい礼で、尊い身分に生まれた人間は、どんなに悪辣なことをしても、尊い人として槨付で葬るのが正しい礼だということですか。」

 榊は両手を広げあきらめのポーズをとった。「身分というのはそういうものだろう。その身分制度があるから社会が安定し、平和な暮らしができるのだ、だからそういう割り切れない矛盾があっても、個人的な感情を押し殺して守ることが正しいんだよ。その分愛情の深さで補えばいいのだ。」

 「先生は常々こう教えてこられたでしょう。君主たる資格のある人格が君子で、君子が君主になるべきだと、君主たる資格のない小人が君主になるべきではないと。ところが現実には私利私欲しか考えない小人が君主になって、人民を苦しめている、こういう世の中は改めるべきだ、君子に成れない君主は真の君主ではなく、君子が君主になってはじめて真の君主だと。だから賢人を登用し、身分の入れ替えが必要だということです。だから回のような宰相や君主たるにふさわしい人物を槨なしで葬るのは賢者に対する冒涜ですし、先生にこんなことはを言うの不遜の極みですが、私の信じる儒教道徳からみても納得いきません。」

 これは理屈で説得できる相手ではないと孔子も観念した。「父親の君がそこまで云うのなら、喪主の意向を尊重しよう。私の車で槨を作りなさい。ただそんなことをしても気休めに過ぎないし、回も喜ばないとだけは言って置こう。」

                      封建の礼を尚ぶ儒家なれど徳を敬さで礼立ちたるや

 さて槨をつけるかつけないか、そんなことは単なるかっこづけだと笑わないで欲しい。身分によってではなく、徳によって人間の尊さを主張していたはずの孔子たちの考え方が、封建秩序の維持のために身分に基づく礼に固執した。そのために徳があるのに卑しい身分で死んだ 顔回の柩に槨をつけるかつけないかで、大論争になったのである。このことが人間論にどんな関係があるのかって?それは、孔子のあの様子をごらんなさい。

 「回や回や、槨が邪魔になっておまえの顔が近くに見れないじゃないか、私がお前のそばにいてもっと近くで見ていてやりたいのに、私のせいじゃないよ。若い連中が槨などつけて体裁ばかり拘るものだから。槨をつけても人間としてお前が偉くなるわけではない。つけなくても人間としての偉さは私が一番良く知っている。形は薄葬だが、心の中では厚く厚く葬っているのだから分かっておくれ。」

 孔子の態度とは裏腹に、孔門としては顔回を清貧に耐えて礼を貫いた高潔な仁者として、特に手厚く葬ったということで、世間の評価はあがった。曾参は少年たちにこう語った。「儒家は封建の制を尊重し、身分に伴う礼を尊重すべきです。しかしそれだけで人間の価値を決めてしまうのは、心に適いません。特に 顔淵先生のような偉大な人格はだれもが崇拝し、敬意を表して当然でしょう。そういう場合に特別に扱うということも礼に適ったことであり、そうしてこそ、封建の礼を尊重する美風も保たれるのです。ですから人間を制度や秩序に組み込まれたものとして捉えると共に、その人間の徳から人格を捉えるということも忘れてはならないのです。これが儒家の人間論と言えるでしょう。」

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