筒井康隆著『虚航船団』の人間論    

              ベトベトと糊に陰部をまさぐられ目覚めてみると『虚航船団』

 上村陽一は、ネトネトした圧迫感を感じていた。空気全体が湿り気を濃くして、体全体を押しつぶそうとしている。特に下半身が気持ちが悪い。むずむずしてきた。それより胸部圧迫感から解放されなければ、押しつぶされてしまうので、全身に力をこめて寝返りを打とうとして、目覚めた。巨大な糊が体に覆いかぶさっている。そして糊に下半身のもっとも性感の敏感な部分をまさぐられていたのである。

 「コンパス、起きろよ、もうすぐ作戦会議がはじまるぞ」とセクハラぐせのある糊はつぶやいた。「コンパス?」糊が話しかけるのも奇妙だが、自分がコンパスというのもたまげた話だ。「本当に俺はコンパスなのか、コンパスといっても円を描く普通のコンパスなのか、烏口コンパスなのか、ディバイダーではないのか、それとも観測器具のコンパスなのか、どのコンパスなのだ。」糊はあきれた「またコンパス君のアイデンティティ不安が始まったな。長い二本の脚の先が尖っていて、スマートな普通のコンパスだよ」。たしかにコンパスのような姿をしている。

なんとコンパスになってしまったのだ。俺は上村陽一で、「榊周次の人間論の穴」に嵌っているのだった。そしていろんなキャラクターを演じてきたが、今度はコンパスだなんて、しかも糊なんかにセクハラされて、榊先生のやることはまったく奇想天外だな。

                     脚まげて円を描くのはダサすぎるスックのばしてクルリひと舞

 両脚を屈伸させてみる。そのままのっしのっしと相撲取りみたいに歩いてみた。とたんに周囲が笑い転げる。「おや、珍しいね、そんなディバイダーのような不細工な格好は死んでもできるか!と言っていつも脚を伸ばしていたのに。」と三角定規が不思議がった。陽一はパニックになった。そうかコンパスは自分がかっこよくないとたまらないんだ、たしかにダサすぎる。コンパスにしたら死にたいくらい恥ずかしいに違いない。ここはオーバーアクションでいかなくちゃ。そう思うと、急につらくなって涙がこみ上げてきた。「アー俺はダサ、ダサコンパスなのか、ああ、コンパス失格じゃないか、オーイオイオイオイ、オーイオイオイオイ」としゃくりあげた。

                      泣き疲れ我を忘るるばかりなり涙の中へと解き放たれむ

 糊が慰めようとくっついてくる。陽一は気持ち悪いので避けながらなき続けていた。チョークが言った。「ほっとけ、ほっとけ、コンパスの野郎は、泣くだけ泣いて、硬直した自我から解放されようとしているんだ。泣いて泣いて、泣きつかれてアイデンティティをかなぐり捨てたら、アイデンティティ不安からも解放されるんだろう。いつも無理してかっこよくコンパスを演じていたから、その分だけ涙の中の解放感も大きいんだ。」

 それにしても今までだと自分が上村陽一だという記憶が意識下に抑圧されていたのだが、今回は別らしい、そういえばコーヒーブレイクで上村陽一がふと我にかえることがあってもよいのではないかと、榊に強く要請していたので、早速聞き入れてくれたのかと思った。でもいつ記憶を抑えられるかも分からないなと思った。そういえば、筒井康隆の小説に『虚航船団』というのがあって、文房具が鼬の星を攻撃し、ハルマゲドンみたいになるという傑作があるから読んでおくように、榊に言われていたことを思い出した。こんなことなら読んでおけばよかった。

                           ゴキブリが知性体へと進化するそれはありだが文具までもが


 
筒井自身コンパスや糊やナンバリングなどの文房具を宇宙船の乗組員にして、鼬が高度な文明を築いている星にハルマゲドンを挑むという設定には惑いがある。鼬が猿に代わって高度に進化し、文明を築くという設定は生物学者に言わせれば、鼬では無理だというかもしれないが、猿でできないことが鳥にできないはずがないということで、手塚治虫は『鳥人大系』という名作を書いている。その最後にゴキブリが知性体に進化する可能性まで示唆している。

 ところが文房具は生物ではない、生物でない文房具がどうして知性体に進化できるのか、そんなことはありえないではないか、「筒井、われ、気狂いさらしてんのちゃうけ」と河内のおっさんにもあきれ果てられたようだ。

 作戦会議が始まる前に、上村陽一は思い切って叫んだ。「コンパスや糊がどうして、物を考えたり、感情をもったり、鼬をやっつける作戦会議ができるのですか。こんな荒唐無稽な話は、気が狂ってるとしか思えません。」するとナンバリングが言った。「おやコンパス君、ついに自分の気が狂っていることを認めたね。そうなんだ、君は針の付け根がゆるんでいる。ときどき寝ているうちに締めなおしてあげているのだが、それがすぐにゆるんでしまうのだ。でも君は自分は完全な円を描いていると思い込んでいる。」

                         文房具目、口、頭脳の欠けたればいかで思ひて物を語るや


 陽一は言い返した。「ナンバリングには言葉をしゃべる口もないし、物を見たり感じたり考えたりする機能もついていないはずだ。なのにどうしてそんなふうに話ができるのか変じゃないかって、そう言っているんだ。」「ハ、ハ、ハ、ハ、ハ。」ナンバリングは腹を抱えて笑った。「ナンバリングに口がないだと、コリャ面白い、確かにナンバリングには口はないわな」輪ゴムは転げまわった「輪ゴムには足がない、手もない口もない鼻もない、目もない、それなのにどうしてこんなに話しているんだろう、確かに不思議だ。俺にも分からないな、永いこと宇宙船に乗っていると、俺も気が狂ったのかもしれない」と言うなり、自分でピンと張って、撥ねて飛び回った。

 ホチキスは、自分のことは棚上げにして、巨大消しゴムを指差した。「さっきからずっと居眠りしている巨大消しゴムなんぞは、自分のことを天皇と思い込んでいる。だから馬鹿丁寧な敬語を使って第三者を介して奏上してやらないとまるっきり仕事をしようとしない。そのかわり奏上の儀式を踏んでやると、血を流してでも力仕事をやってしまう。」

 三角定規がたしなめる。「ホチキスよ、そんなことを言って、巨大消しゴムに聞こえたらまたトラブルのもとだぜ。お前は何かといったら、他人を批評したり、難癖をつけてはぶん殴られて、故障しちまうんだから、しょっちゅう針がつまったりして全くのトラブルメイカーなんだから、そうせずにおれないそういう性格もそうとうとち狂っているぜ」。

                漆黒の宇宙を旅する船の中ノーマルこそがアブノーマルかな

 文鎮が立ち上がった。「こんな宇宙船に乗って何年も何十年も何にもない宇宙空間を飛び続けているのだから、みんな多少なりとも狂っているさ、狂っていて正常。正常なのは狂っているのさ。」みんななるほどとうなずいた。「もっとも」と悟ったように文鎮は続けた。「どこの星に住んでいたって、その星自体が宇宙をさまよっていることに違いないんだ。だから宇宙船に乗らなくても、程度の差はあるにしても、宇宙船に乗っているのと同じで狂っていて正常、正常なのは狂っているのさ、ハ、ハ、ハ、ハ」と腹を抱えた。「全く違いねえ」とホチキスがガチガチ音を鳴らして、針を吐き出して、またトラぶってしまった。

 コンパスになっている陽一はいたたまれない。「それにしても奇想天外すぎるよ。なぜ文房具たちが宇宙船にのって鼬をやっつけるんだ、それにこうして議論したり、トラぶったり、とち狂ったりできるんだ。そんなのできっこないじゃないか。」

 「馬鹿だなあ、奇想天外だから読者が喜ぶんだよ」画鋲がついに禁じ句を吐いた。役者がこれは芝居だと明かすようなものである。サインペンが言った。「そういえば、昔『美女と野獣』というミュージカルでは、家財道具が歌を歌っていたりしたな、あれは家来たちが魔法をかけられていたのだったっけ」。画鋲は、おしゃべりだ。「これは筒井康隆という流行推理作家が書いた“純文学作品”なんだ。とうとう種が尽きて文房具を宇宙船の乗組員にしたら面白いだろうと考えたのさ」。輪ゴムは笑った。「ハ、ハ、ハ、ハ。なんだそうかフィクションだったら輪ゴムが宇宙船を操縦してもいいのか。その筒井という作家こそ狂いまくってるんじゃないか。」

                    文房具身近にありしその故に、人キャラ示すサインならめや

 「そりゃあ読みが浅いな」文鎮がおもむろに言った。「筒井は我々を文房具だとしているが、文房具というのは実は人間のキャラクターを表す記号なんだ。たとえばワッフン。我輩のような文鎮はずっしり重みがあって落ちついているだろう、そういう重厚な性格の人間が宇宙船の乗組員になっているということなんだ。」

 「そりゃあつまらんな」ナンバリングは落胆した表情になった。「人間が宇宙船に乗ってたちのわるい鼬の文明を滅ぼすのなら、ありきたりすぎるよ。文房具がこうやって意識を持って、話をしたり泣き笑いをしたりして、最後に鼬と壮絶な殺し合いを展開するから面白いのじゃないか」と反論した。

 チョークは情報通である。「実はこの『虚航船団』を書いてから、あまりの奇想天外ぶりに世間からあきれ果てられたのか、文房具が実は人間の性格を表す記号だという弁明を対談で語っている。それが『虚航船団の逆襲』という本に書いてあったそうだ。」画仙紙は首をかしげた「それにしてチョークはどうして未来のことがわかるんだ。」するとチョークは平然と言った。「未来?どうして未来なんだ、筒井が書いたのは西暦二十世紀の昔だよ、今はそれから千年以上たってるじゃないか。」そう言われればそうである。

             アニミズム栄えし星は文具さえマイコンつけて心与えき

 画鋲は、「それは読んでないな、俺はてっきり文房具に超ミニのコンピータとか仕込んであってね、実は文房具型のロボットだと思っていたんだ。」チョークは苦笑した。「どうして文房具にそんな手の込んだことをしなくてはいけないんだ。」「俺の推理では、昔ある星ではあらゆる存在には魂が宿り、自我を持つべきだという汎神論的な考え方が流行したんだ。それで文房具にまで自己意識を持たせようということになり、スーパー・マイクロコンピュータ内臓の文房具が開発された。つまり自己意識あるロボット文房具だな。しかし別にそんなことをしても、文房具が勝手に事務をこなすだけで、たいしたメリットもない。それぞれ自己主張するのでスケジュールの調整もややこしくなる。それより元の普通の文房具の方がコスト面も考えるとはるかに効率的だ。それでロボット文房具たちはお払い箱になったので、集団で無人だった惑星に移住し、文房具星の文明を築いたのだ。」

                           分業で文具になりしムーピーが世代重ねて形定まる

  輪ゴムは別の推理を披露した。「生物の進化で考えます。不定形な動物ムーピーがいてそれぞれの役割にふさわしい形姿をとりますが、役目が変わればその姿も変形するとします。やがて社会的分業が発達します。その生物は何千何万の姿ができるので、自らの身体であらゆる仕事がこなせるのです。地球人だったら無機物を材料にした道具や機械を使って行った作業を、自らが道具や機械の部品の姿をとって作業や生産を行っていたのです。

 ところが年月がたつにつれて体型が次第に固定化し、遺伝するようになりました。文房具の仕事を分担していた者たちは文房具の姿のままになってしまったわけですね。そして文明の発達により彼らは知識の上では無機物を自分たちの体型のように変化させる事ができることを発見し、その方が技術的正確性、経済的合理性に優れていることに気付いたのです。文房具などはその最たるものでしたから彼らは用なしになります。そこで文房具たちは一緒に新しい星に植民して文房具星を造ったのです。」

 船長赤鉛筆は感心して言った。「整備士画鋲さんも操縦士輪ゴムさんも、超エリート養成の一流大学をトップ合格の秀才でお見事な推理ですね。でも私が心配なのは、お二人とも大学院で整備理論や操縦理論を研究され、すごい画期的な論文を発表されて脚光を浴びられたのですが、そのまま宇宙飛行士に大抜擢されたので飛行経験が全くないわけです。いざ戦闘という場面で落ち着いて整備や操縦ができるかということですね。」

  何故経験の浅い若手を抜擢したのかというと、二つの理由が考えられる。宇宙船の進化が急速に進んでいるので、最先端理論をもってないと整備も操縦もできないということがまず第一の理由だ。もうひとつは宇宙船の旅は何十年という単位なので、途中で乗組員が死に絶えてしまう可能性がある。整備や操縦士が若くなければ帰還できないことも十分考えられるのだ。

  それはともかく、頭でっかちの操縦士輪ゴムにもアイデンティティ不安がある。この不安は雲形定規でも画鋲でもあるのだが、いや規格品でない文房具なんてないから、どの文房具も大同小異なのだが、輪ゴムは、どれも同じ大きさ同じ形で全く違いがない。だから時々自分がだれだか、自分の意志がどうなのかも確信できない場合がある。特に輪ゴムは操縦士だから自分の意志が安全航行なのか逆噴射なのか分からないということでは、これほど物騒なことにもない。

  コンパスは疑問を呈した。「しかし文房具星ほどの文明を築いている星ならば、渡航して文房具星を作った歴史的資料なども残っているはずですよね。ロボットか元不定形生物だったかも推理しなければならないというのも不思議な話です。」

 画鋲は、「おいおい、もちろんそうなんだけれど、これはフィクションだから作家が書いてくれていないと推理するしかないということなのさ、まだフィクションという現実がよく飲み込めていないんだな」と応えた。

                           文房具人と一つになりし故人の心は物の心か

 船長赤鉛筆は考え込んでいった。「作家は要するにふだん身近にある文房具にそれぞれの人格類型を当てはめて、文房具を人間の記号にしたといっているわけだろう。わしなんかは、船長だからいちいち細かくチェックを入れなきゃならない、だから赤鉛筆なんだろうな。でもそういってしまえばナンバリングじゃないけれど、なあんだということでしらけてしまう。ということは、文房具が意思や感情をもって行動するという設定が、ハッとさせるものがあったということだな。」

 ナンバリングは頷いた。「そうなんです、船長。人間はコンパスを使って円を描いていても、コンパスが描いたとは思わないで、自分が描いたつもりでいます。機械を使って製品を生産していても、機械が働いているということを認めようとしません。文房具や機械があってはじめてできていることでも、あくまで主体としての人間なるものがあって、その人間から機械や文房具は締め出されているのです。でも本当はどうでしょう。機械や文房具を含めてはじめて人間として主体であり、物事を認識したり、感情を抱いたりできるのではないでしょうか。筒井はそこまで気づいていなかったけれど、作家の直感で文房具を人間に見立てたら面白いと思ったのは、そういう事情からと思うのですが。」

 「そういえば榊周次先生が、機械や道具を含めた人間というのも考えるべきだと言ってましたね、ナンバリングさん。」どうもナンバリングを榊が演じているのではないかと陽一は睨んだのだ。陽一は元々、榊が人間でない機械や道具や環境的自然も含めて人間だと矛盾した表現をするのが納得いかなかった。機械も道具も人間なら、人間は何なんだ。榊は全く物事の定義や言葉の適用範囲を自分の都合で勝手気ままに変えてしまっている。それではコミュニケーション(意思疎通)が成り立たなくなるじゃないかと反発していた。「つまりこういうことですか、ナンバリングさん。機械や文房具を使って人間は物を生産したり、事務をしたり、製図を書いたり、作品を創作したりしている。それを人間は自分の体や頭脳や人格だけで行っていると思っているが、事物も一緒に行い、考えているのだ。だから身体ではなく文房具が人格を担っているように書いてもあながち間違っているわけではないじゃないかと、こういうわけですね。しかし機械や文房具にはそういうものを感じたり考えたりする機能はついてないじゃないですか。」

                     ドライバー車の思考にならぬならいくつあっても足りぬ命か

 「もしドライバーが車の思考中枢にならなければ、いくつあっても命はたりないだろう。」突然車に話が飛んだ。コンパスははぐらかされたような気になった。「高度な機械と文房具を一緒に論じるのは飛躍ですよ。車と人間は別の存在です。車には思考中枢はないので、思考中枢を持っている人間が補完しているわけですね。考えているのは人間であって車ではないでしょう。」

 「それじゃあ、頭脳が感じたり考えたりしているのか」とナンバリングは訊き返した。「だから頭脳だというのでしょう」陽一は応えた。「もちろん頭脳は身体の一部として機能してはじめて考えるのだけれど、中枢神経として身体のまとまりをとりながら、思考や感情を受け持っているわけです。」

 「でもさ、頭の中を開けたって、そこに思考が見つかったり、感情が見つかったりするわけはないんだ。頭脳やそれを包む身体もなければ意志や感情を感じられないのだけれど、意識は身体だけじゃなくて空気や環境的自然があり、当の対象があり、機械や道具との関係の中で生じているわけだ。だからこうも言えるだろう、目がバラを見ていることと、バラが目に自己を写していることは同じ事態の裏表みたいなものだと。」

 「さっぱり分からないなあ。バラには自分を目に写すという意識はありませんよ。」ナンバリング腕組をして考えてからおもむろに言った。「だからバラだって人の身体だって、それだけで存在しているのではなくて、バラや自動車との関係で、その他さまざまな事物との関係で存在している。」陽一はすぐさま反論した。「そうでしょうか、バラや車がなくても人間は生きていけますよ。」ナンバリングは困った表情をしながら「バラのある人生とバラの ない人生とは全く違うんだよ。車のある時代の人間と車のない時代の人間も全く違うようにね」と語った。

                           十桁の数字が揃うと快感か揃って消えるくるめきの時

  突然、ナンバリングは数字をぐるぐる回しながら、あたかも頭脳をフル回転させているかに見えた。コンパスになっている陽一は心配げに言った。「ナンバリングさん、そんなに難しく物事を考えて壊れてしまいませんか。」

  「いや、失礼、今ね、揃ったんだ、揃うとね、快感が走って、ぐるぐる数字を回してしまうんだよ。これはだれにも内緒だけれど、ナンバリングはいつも数を数えているんだ。33333333333と3の十桁のぞろ目だよ。感激したな。分かるかな数字が1234567890と順番に並んだり、ぞろ目になったりすると、美しいものだろ、その快感を味わうというのが私にとって生きていることの大きなご褒美なんだよ」と打ち明けた。

  「そういえば数字が並ぶというのは気持ちいいものかもしれませんね。」三角定規が口を挟んだ。「数字だけでなく何でも順番にならんだり、同類のものが揃ったりすると楽しくなる。そして揃うとパッと消える。テトリスというゲームがあって横並びになるとパッと消える、その消えるのがたまらない。揃ったままいつまでもいてはつまらない。もったいないぐらいだけれど、揃うとすぐに消えてしまうから余計に美しい」。美意識の根っこのところに並んで消えるというものに対して快感を感じることが関係していると陽一も納得した。

  ハサミもガチャガチャと口を開いた。「俺は、対照的な対になっているのが、向き合って、そして合一するというところに痺れるね。対極的なものが出会うと、その違いを意識し、その違いにいたたまれなくなって、合体によって合一する。違いを克服したという征服感が性的絶頂感になるのかもしれない。ここからも美意識が生じるのだ。」

       末梢の快に溺るる事なかれ、戦い忘れば部隊滅びぬ
               凶悪な鼬滅ぼす聖戦は、己滅ぼす戦いならずや

  船長赤鉛筆はチェックに入った。「それにしてもナンバリングさん、あなたは戦闘指揮官ですよ。戦闘中に数を数えていて、ぞろ目になって喜んで戦闘のことを忘れてしまったら、部隊は全滅じゃないですか。オッカネエナーモー、バッテン、バッテン」とスットンキョーな声をあげた。

 そして急に厳かな調子になって語りだした。「我々には、血なまぐさい争いを繰り広げ、核兵器まで開発して相手を皆殺しにしようとする凶悪な鼬どもを絶滅し、宇宙の平和を守るという神聖な任務があります。この責務を全うしてこそ、真の偉大な任務を達成したという快楽や美意識を味わうことができるのです。あまりに末梢的な感覚だけの快楽に囚われては宇宙戦士としての資格を疑われますよ。」

  エー、それじゃあ鼬たちは地球の人間たちと変わりないじゃないか、ということは、宇宙連合の指令で地球にも文房具星などから天空の殺戮者たちが送り込まれ、絶滅戦争になってしまうことになるということじゃないか。そしてそれが神聖な任務だということになる。陽一はなんと恐ろしい設定なのだと体が震えた。

 これから俺たちは鼬を殺しまくらなければならない。地球だって憎しみあって殺しあっているように外の星からは見えるかもしれない。でもほとんどの人々は毎日の平和な暮らしに追われ、ささやかな幸福を守るために汲々としているのである。恐らく凶悪といわれる鼬たちだって大同小異に違いない。本当に皆殺しにすることが神聖な任務なのか、しかしこの連中は全く自分たちの任務の正当性については疑問を感じていないようだ。まるで確信をもって原爆投下した米軍兵士たちのようだ。

                                環境や事物を含めて人間を捉え返すが新世紀かな

  「それにしても文房具も意識があるかどうかという議論はどうなったんだ」と議論好きの画鋲が話を戻そうとした。陽一は大量虐殺をしなければならないことを思うとそれどころではないと思ったが、何しろ今回はフィクションと分かっているし、陽一がコンパスを演じているという自覚もあるので、ずいぶん気が楽だった。フィクションと分かっているだけにこれからどんな風に鼬を殺しまくるのだろうと思うと何故か好奇心すらわく自分が怖くなった。そうした余裕から文房具人間論の議論にも参加できる気さえしてきたのだ。やはり陽一であることを意識できるというのは随分迫真性がなくなるものだと感じた。

  「文房具というと個々の文房具だけを捉えて、それに感覚器官や言語中枢が備わっているかを見、そこから文房具には意志や感情はないことになる。でも文房具が文房具なのは紙に文字や図表を書いたり、あれこれの事務作業をしているからだ。それぞれの文房具は几帳面なのや、冷静なのや、ホットなのや激しいのがある。」こうナンバリングが説明していると、虫眼鏡が言った。「それは文房具を使う人間の性格なのじゃないですか?」

 「杓子定規に考えるというように、文房具を使って作業することで、人間の意識や性格もそれにあったものに形成されるのだ。たしかに文房具を身体や頭脳の働きと切り離して論じれば、物体にすぎないだろうが、それならばわざわざ作られない。文房具に合った意識が形成されているのだから、その意識は脳髄を使った文房具の意識と考えることで、文房具の意識だという議論も成り立つわけだ。」

 輪ゴムが仲介に入ってきた。「コンパスさんは頭が考える、頭を持っているのは人間だから、文房具や機械が考えるなんてありえないという。しかしナンバリングさんは文房具といったときすでにそれを使っている人間を代表するものとして文房具を捉えている。そのとき文房具と身体は切り離されていないんだ。もちろんコンパスさんのように身体と文房具が別物だということにこだわるのも間違いではないけれど、円を描くときはコンパスの意識になって円を描くというように捉えることも大切だ。」

 ナンバリングなだめるようにコンパスに言った。「無理に納得したり、投げ出したりしないほうがいいんだ。いろんな捉え方をするものだなということで、そのうち自分の考えがはっきりしてくるのを待てばいい。ただそのためにも自分とは対極的な意見にも耳を傾け、相手の理屈からも学ぶところがあるのではないかと学ぶ姿勢を失わなければ、自分の思想を深めていけるものなんだ。」

                                凶悪な欲望に生く鼬こそ衝動止まらぬ人の姿か

  コンパスは文房具人間論に対して、鼬こそ人間じゃないか、その鼬を絶滅することは、人間が人間を絶滅しようとしていることになるのではないかという根底的な疑問を投げかけた。「いかに鼬が凶悪でも、多くの鼬口を抱え、巨大な文明を誇っているのだから、それなりに秩序や治安を持ってきたということであり、何も絶滅する必要はないでしょう、」と鼬絶滅作戦に根本的な疑問を投げかけた。

  「彼らは核兵器を開発し、その先制使用を宣言している。それに鼬口の大爆発で、彼らは他の星に移動する計画を進めている。彼らは戦闘になったら敵をむさぼり食うんだ。やがて各星が今後存亡の危機に経たされる恐れがあるんだ。」

  「人が人を食らうというのは、殺人と共に太古からの人間の衝動ですね。さすがに文明圏ではタブーとして禁止し、刑罰によって指導しています。鼬は戦争となると抑圧が効かなくなるそうですが、それでも敵を食べている間は殺鼬ができないだけ、大量虐殺が防げるわけです。地球の人間たちはそういう直接的な人食いはほとんどしなくなったけれど、互いの労働の成果を食べあっています。そして他人の働きに寄生し、他人から甘い汁を吸っている人もいるのです。その意味では大同小異でしょう。」

                       衝動と理性の断絶乗り越えてカタルシス生む夢の世界へ

 「人間は、一方で鼬すなわち衝動的な生であると共に、文房具すなわち用在でもあるのです。文房具は徹底したカースト的分業を営んでいますが、人間も社会や集団や家族のために配慮し合い、互いの役割分担をこなして生きています。文房具すなわち用在の面から言いますと、分業の体系である文明は衝動的な生を抑制し、変形し、昇華して形成されたものです。ところがこれが固定し、慣習化してしまって、創造性や発達のエネルギーを失い、活力を磨り減らすだけになってしまったら、最早昇華機能を喪失してしまいます。いきどころのなくなった生の衝動が破壊的な形で文明に作用するようになるわけです。

 そこで文房具すなわち用在は自分たちの存在秩序を護るために虚航船団に乗って「天空からの殺戮者」になり、生の衝動すなわち鼬たちの絶滅に乗り出したのです。

  生の衝動すなわち鼬の面から言いますと、生の衝動が自然が直接もたらす恵みに満足できなくなったために、より大きく生の衝動を充足させる文明を産み出しました。文明は生の衝動を疎外しましたが、生の衝動をより大きく充足させる事ができない文明は、生の衝動をコントロールできなくなって衰退します。しかし文明は疎外された形態においてであれ、生の衝動を肥大させてしまいます。最後には生の衝動は自ら文化の形を取りながら文化を破壊し尽す自滅の道を辿ることになるのです。生の衝動はそれ自体は自分自身に対して客観視できません。自己の疎外態である文明の原理、配慮の体系によって外から自己を徹底的に否定してもらわなければならないのです。

 しかし文房具すなわち用在が生の衝動すなわち鼬を絶滅できる訳がありません。生の衝動なしには用在も存在できないからです。生の衝動に新鮮なカタルシスをもたらすような常に創造的な文明は、文房具と鼬の壮絶なハルマゲドンを体験した末に、産み出される、文房具と鼬の抽象的な区別の止揚である、両者の息子の夢の中にしか築かれないのでしょうか。」

  第七話「願回の柩」に続く  コーヒーブレイクAに戻る    目次に戻る