中国思想史講座

         

 

『孝経』の世界

やすい ゆたか


 

一、孝たらむとすれば我が身想え

 

 親のため孝たらむと欲すれば立身出世やよ励むべし

 宣長は儒教を建前ばかりで真情に欠けていると非難しています。儒教においては「孝」が最も重視された徳です。中国では大家族制度の下で門閥制度が発達し、家族・親族・一門の団結が政治的・経済的な地位の安定をもたらしました。そこで家を隆盛させ連綿と継承することがなりより大切だとされたのです。親を敬って大切にすることは、家族的結合を強化し、継続させるうえで、一番大切なことです。そこで「孝」が徳の中心だと言われるようになったのです。儒教が中国で支配的な思想として二千年近く君臨してきた最大の理由は、孝を中心道徳に据えてきたからだと言われています。それは家父長的な大家族制度に最も適合したイデオロギーだったからなのです。 

 孝を説いた儒教の経典は『孝経』です。「身體髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也(身体髪膚、これ父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり)」で有名ですが、若い世代の人はほとんど知らないのではないでしょうか。 

 ですから子の体は親の遺した体という意味で「遺体」なのです。ですから孝行者の代表格の曾参は、体を傷つけるのは親不孝だと考えて、敢えて崖の下には立たなかったといいます。親を大切にすることは、結局自分を大切にすることになるということですね。ちなみに『孝経』は仲尼と曾参の対話篇の体裁をとっています。 

続いて「立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。夫孝、始於事親、中於事君、終於立身。」

(身を立て道を行い、名を後世(こうせい)に揚(あ)げ、もって父母を顕(あら)わすは、孝の終りなり。それ孝は、親に事(つか)うるに始まり、君に事うるに中(ちゅう)し、身を立つるに終る。)とあります。 

この言葉は、子はただ親孝行といって、親の世話ばかりしていればいいのではなくて、社会的に活躍して自分が社会的に認められることで、親の名を揚げるのが一番の親孝行だというわけです。結局自分の社会的な活躍の場を確保し、社会的に有能で必要な人材として認められることが大切なのです。そのためには自分の立身出世を計っていかなければならないわけです。道徳といえば身を慎んで、欲望を出来るだけ押し殺すように思われがちですが、立身出世をめざすという利己的な目標にも応えるものになっています。
 

二、地位ごとの孝

 

 人毎に修する孝は違えども愛敬つくし他人(ひと)にもおよぼせ

『孝経』では身分によって孝の現われを区別しています。まず天子は「愛敬」が大切だというのです。親を愛すれば、人を悪(にく)まなくなり、親を敬すれば、人を慢(あなど)らなくなります。それで天子が親を愛敬することで、百姓(ひゃくせい)すなわち諸侯も卿も大夫も士も人民もみんなに孝徳が加わって、天下が治まるのです。 

 次に諸侯の場合は、権力を持っているからといって驕りたがぶっていると、反発され、嫌われて、孤立し、危うくなります。驕ることなく、節度を弁えて、率先して節約に励めば、人民を重税で苦しめたりしないで済みますから、人民に支えられて長く地位を守ることもできるのです。だから驕慢にならず、節度を保ち、倹約に励むのが諸侯の孝なのです。 

 「詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。」(詩に云く、「戰戰兢兢(せんせんきょうきょう)として、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むがごとく、薄氷(はくひょう)を履(ふ)むがごとし」と。)これは為政者の心構えとして大切ですね。 

卿大夫には先王の道を守り、先王の道を行うことを求めています。先王の道とはだれもが標準的だと認めるような普遍妥当的な道です。先王が定めた正しい身なり、服装、振る舞いに則り、正しい言葉に基づき、正しく行うということです。ダブルスタンダードになって不平不満が生じては困るわけです。 

士は父にまず事(つかえ)るのです。父には愛と敬でつかえますが、母には愛の面で父と同じで、君主には敬の面で父に同じだといいます。つまり父母への孝の心をもって、長に仕えれば従順になり、君に仕えれば忠順を失うことがないので、長く仕えることが出来るのです。これが士の孝です。

心構えとしては「詩云。夙興夜寐。無忝爾所生。」
(
詩に云く、「夙(つと)に興(お)き夜(よわ)に寐(い)ねて、爾(なんじ)の所生(しょせい)を忝(はずか)しむることなかれ」と。

では庶人の孝はどうでしょう。「用天之道、分地之利、謹身節用、以養父母、此庶人之孝也。」(天の道を用(もち)い、地の利を分(わか)ち、身を謹み用を節し、以て父母を養う。これ庶人の孝なり、と。)物事の道理をわきまえ、身を慎んで倹約に励めば、父母を養うことはできるのです。そうすることが庶人の孝だということですね。 

要するに、家庭において父母に孝を尽くしていれば、その情愛や敬愛の気持ちで人に接することができるので、互いに思いやりのある関係が出来るのです。それで孝が社会生活の大本だということです。

 

三、父を天に配する

 

 父ちゃんを神とあがめて手を合わせ、感謝の笑顔で福呼び入れる

 聖人の徳は結局孝に帰するのです。

「曾子曰、敢問、聖人之徳、無以加於孝乎。」(曽子曰く、あえて問う、聖人の徳もって孝に加うることなきかと。)

「子曰、天地之性、人為貴。」(子曰く、天地の性、人を貴しとなす。)

「人之行、莫大於孝。」(人の行いは、孝より大なるはなし。)

「孝莫大於嚴父。」(孝は、父を厳(げん)にするより大なるはなし。)

「嚴父莫大於配天。」(父を厳にするは天に配するより大なるはなし。

  人の行いは孝がもっとも大切であり、その孝の中でも父を天と同様に崇めることが一番大切だというのです。これは非常に胸に響く言葉だと思いますね。聖人の行いといえば、凡人や庶民とはかけ離れているように思われがちですが、決してそうではなく、父母を敬愛し、大切にするという、だれもがしなければならない、また多少なりともしていることと同じだということです。 

 家業を継ぎ、家を栄えさせていく為には、まずは親の生き様をみて、それを手本や参考にしなければなりません。親の苦労を自分の苦労にして、親の気持ちが理解できなければ、家業がなかなか身につきませんし、気持ちも入っていけません。 

 自分がこうして生きていけるのも親が家業に励んでくれたからですね。まずは父を天に配して、感謝を捧げ、目標にすることで家族がまとまり、心を一つにして家を栄えさせることが出来るわけです。もちろんこれは先祖代々の家業を引き継いでいく農家などの場合によく当てはまるわけで、現代社会では家業の継承は例外的ですから、同じ様なわけにはいきません。しかしたとえサラリーマンでも、一家を支えている父親像が子供の御手本に成る面があります。 

 これは家族主義的道徳観の典型ですね。天(絶対神)と同様に捉えられる父はいわば全知全能です。なぜなら父の稼ぎで家族の衣食住の全てが賄われるからです。実際は分業社会ですから、父はサラリーマンの場合は賃金をもらってくるだけですが、貨幣の魔術でそれは衣食住のあらゆる商品に化けるのです。だから父は全知全能の神になれます。

 でも実際は父は何億分り一しか稼げないので、社会的には大変ちっぽけな富になり、自己の無力を痛感せざるをえないわけです。しかし家族がそれでささやかながらも小さな幸せを得ることができます。衣食住の全てをもたらす全知全能の神に父を持ち上げてくれるのです。だから父は社会では数億分の一の無力な消え入りそうなちっぽけな存在でも、家族の中で神と同様に崇められるのです。 

 そうしますと妻子というのは父を無力な存在から絶対的な存在に聖化してくれるという意味で、父を救ってくれる救世主ですね。妻は救世主を産んでくれる聖母マリアなのです。こうして聖家族が出来上がりますと、守るべき家族が出来たということで、幸福が実感できることになっています。家族は従って聖家族なのです。つまり宗教的関係なのです。 

 宗教では家族関係が大切だといいます。キリスト教でも神を父と呼び、マリアの母性を聖化し、子をキリストに象徴化しますね。仏教は元来が出家宗教だったのに、祖霊信仰や家族道徳を強調します。明治以来の新興宗教でも親孝行を強調し、夫婦の和解の為には、文句を言い合う前に、夫に手を合わせなさいといいます。要するに互いに神や仏にして聖化し合い、拝み合っていれば家族の愛敬が生じて、幸福が実感できるということです。

四、不孝より大なる罪なし

 

 父逝きて父の愛せし楽曲で父を偲べば不孝の罪かは

私はすれすれ戦後生まれですが、戦前の日本の修身教育では『孝経』が重視されていたそうです。東アジア文化を理解するには『孝経』の位置づけが一つのポイントになります。四書五経に入っていないにも係わらず、『孝経』の持つ意義は絶大で、超時代的に全ての法規の大前提の自然法的規定が『孝経』なのです。 

『孝経』の意義が絶大だったことを証明した名著に桑原隲蔵(じつぞう)著『中国の孝道』(講談社学術文庫)があります。伊藤仁斎は『論語』を「宇宙第一の書」と賞揚しました。孔子の言行が生々しく伝わっていますので、確かに『論語』の方が思想的な含蓄がありますが、後世をより強く規制したのはむしろ『孝経』だったのです。『孝経』によって儒学は人々の精神生活を根底から支配する儒教に成長したと言えるでしょう。             

 ところで『孝経』はあくまで建前の世界を支配していました。儒教は親孝行の大切さを説くときでも、情に訴えるのではなく、理に訴えたのです。「孝」の原理はあらゆる社会関係をも貫き、天地自然の原理も「孝」に基づいているのだから、孝を大切にして生きることが根本であると説いています。 

なるほど孝を尽くさなければならないのだなと理窟ではよく分かるのです。親不孝などとんでもない罪悪だと分かります。その意味で『孝経』は、建前の理で孝の大切さを説く書物です。 

しかし『孝経』自体が自然法的に孝の原理を示し、それに則らなければならないという意味で、単なる啓蒙的な書物ではなく、律法書的性格ももっています。その点を読み落すと中国の歴史は見えなくなってしまいます。 

『孝経』では強盗殺人よりも「親不孝」の方が凶悪なのです。「五刑之屬三千、而罪莫大於不孝(五刑のたぐひ三千、而して罪は不孝より大なるはなし)」とあるのですから。 

『世説新語 新釈漢文大系 (76)』目加田誠著より引用します。 

陳仲弓為太丘長、時吏有詐称母病求假。事覚収之、令吏殺焉。主簿請付獄考衆姦。仲弓曰、欺君不忠、病母不孝。不忠不孝、其罪莫大。考求衆姦、豈復過此。

(読み下し) 陳仲弓、太丘の長為(た)り、時に吏詐りて母病むと称して假を求むるもの有り。事覚(あら)はれて之を収め、吏をして殺さしむ。

主簿、獄に付して衆姦を考せんことを請ふ。

仲弓曰く、君を欺くは不忠なり、母を病ましむは不孝なり。

不忠不孝は其の罪莫大なり。衆姦を考求するも、豈に復た此に過ぎんや。

(
現代文) 
陳仲弓(陳寔)が太丘県の長官であったとき、役人のなかに母が病気だと偽って、休暇を求めるものがいた。事が発覚して、これを捕らえて刑吏に死刑を命じた。主簿は獄吏にわたして余罪を調べたいと申し出た。仲弓は言った。「君を欺くのは不忠であり、母を病気にするのは不孝である。不忠不孝は罪の最も大なるものである。余罪を調べても、どうしてこれ以上の罪があろうか。」

 この例だと母が病気だと偽って休暇をとろうとしたのがばれて、君主を欺いたのは不忠、母を病気にしたのは不孝、不忠不孝だから死刑は当然ということです。

なお日本の大宝律令・養老律令においては名例律によって定められた八虐の1つに「不孝」があります。ウィキペディアから引用します。

「子(あるいは孫)が父母(あるいは祖父母)に対して行うことが違法となる行為を指し、訴訟を起こすこと、呪詛すること、罵詈を浴びせること、父母(祖父母)の許可なく勝手に戸籍や財産を分けて独立すること、父母(祖父母)の喪中(1年間)に婚姻すること、音楽などの娯楽にふけったり喪服を脱ぐこと、父母(祖父母)の死を聞いても悲しまずに平然としていること、父母(祖父母)が死んだと偽ってその妾と通じることが挙げられた。これらの行為は徒罪の対象であり、特に父母(祖父母)への訴訟は死罪の1つである絞に処せられて、皇族や公卿でも減刑されることが無い重罪とされた。なお、中国の律令法では、父母(祖父母)に対する供養の欠如も不孝とされていたが、日本の律令法には導入されなかった。」

  そういえば『韓非子』には次のような儒教批判の記事がありましたね。 

楚の国の正直者が、羊を盗んだ自分の父親を訴え出た。
 
ところが宰相はこの男に死刑を宣告した。君主に忠義だてして不孝の罪をおかしたものとして断罪したのである。

つまり君主の忠臣は父にとっての不孝者なのだ。 

魯の国が戦ったとき三度出陣して三度とも逃げ帰った男がいた。
 
どうして逃げてばかりいるのかと孔子がたずねると、男はこう答えた。

「わたくしには老いた父があります。わたくしが死んでしまったら、養う者がありません」 その孝行ぶりに感心して、孔子はかれの位をあげてやった。 

 こうしてみると、孝行な息子は、不忠の臣である。

宰相が、父親を訴えた息子を罰してからというもの、楚の国では罪人を訴え出る者がいなくなったという。 孔子が、敗走した兵上の位を上げてからというもの、魯の人民は敗走を恥としなくなったという。 

新井白石の『折りたく柴の記』に、嫁が夫の失踪を届けたところ、それがきっかけで夫の両親に殺されていたことが判明し、親を訴えた「不孝の罪」にあたるか老中で議論になり、白石に諮問があったことが記されています。もし両親に殺されたのではないかと思って訴えたのなら、この嫁は「不孝の罪」で死刑にしなければならないところだったのです。 

 もちろん具体的に親不孝な言動があれば、それだけで不孝罪に問われたり、左遷や降官させられることがあり、政敵やライバルを陥れる為に親不孝のでっち上げが盛んになされたようです。 

藤田友治によりますと、『三国志』の著者である陳寿は親の葬儀に疲れて婢に丸薬を作らせていましたが、それを咎められて左遷されてしまったということです。つまり親の葬儀に当たってはひたすら死者を悼み自分の体に構ってはならないのです。

 『孝経』の教えに基づいて孝子や孝女が輩出しました。『中国の孝道』によりますと、親が病に臥しますと体によいからといって、自分の股肉を切って食べさせたり、死を覚悟で自分の肝臓まで食べさせる狂気の沙汰まで起こり、度々禁令が出されたようです。禁令を出す側もそれを孝行として感心しているところがあるので、厳しく取り締まれません。それで度々禁令を出さなくては生らなかったです。その名残が東南アジアで伝承されています。

 

  五、本音としての『父母恩重経』

 

 糞嘗めて子の病診る母の愛 その愛なくて我はなかりき

しかし裕福な家庭ならいざ知らず、一般の家庭では目立った親孝行などなかなかできないものです。狭い家で家族が増えてきますと、老人の存在は面倒がられ、邪魔物扱いされがちです。      

 自分を守り育ててくれた父母に感謝し、老後は安楽に暮らせるように息子や娘が愛情を籠めて面倒を見るのが、家族制度を大切にして生きる場合に求められる当然の義務です。ところが現実にはなかなか親の面倒を見れないばかりか、足腰が弱り、物ごとの判断も鈍くなり、草臥れてきた段階の親につい辛く当たるようになってしまいがちです。年老いた両親に辛く寂しい老後が待ち受けているのです。改めて親孝行の大切さを訴える必要があります。 

 最近は老父母との同居を嫌がり、親孝行よりも育児の責任の方が重大だと受け止める家庭が多いですね。それで年老いた人々が行き場を失って、一人暮らしで孤独死したり、施設で友達もできずに淋しい老後を過ごしている場合が多いようです。まさしく現代版「姥捨山」ですね。確かに子供を育てるだけでも精一杯という現実はあるでしょうが、『孝経』の価値観から言えば全く本末転倒していると言えるでしょう。    

 そんな場合は『孝経』のように孝行を理で諭しても効果は余りないのです。理窟では理解できても年寄りに構う余裕がないとかいう態度でどうしても横柄な扱いになってしまうのです。そこで今度は仏教の側から親孝行の大切なことを説いた『父母恩重経』を検討しましょう。 

 このお経は、唐代に中国で作られました。釈迦没後五百年間の「正法」の時期に作られたお経は、解脱して仏陀になった人が書かれたもので正式のお経と認められたのですが、それ以後の「像法」「末法」の時期にはいくら修行したところで悟りに到達することはあり得ませんから、唐代にできたお経は偽経なのです。それでいくと『父母恩重経』も偽経です。 

 このお経は、理で諭すことはしないで、専ら情に訴えている点に特色があります。まさしく建前は抜きに、ずばり本音だけでストレートに真情を突き刺しているんです。『孝経』は父親を尊ぶことが中心で、家父長家族の秩序維持が眼目ですが、『父母恩重経』はエロス的交流の深い母親への慕情を喚起することが狙いです。儒教に対する本居宣長の関係を考えますと、自然に『孝経』に対する『父母恩重経』の関係を思い起こしてみたわけです。 

 『父母恩重経』は吉川英治の『宮本武蔵』で又八の母、本位田のお杉が親不孝のやくざ者に読ますために千部写経の願を立てたという設定で紹介されています。では大変感動的なので、その内容を紹介しておきましょう。

 

 

 

父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)

 付録(下のサイトより引用しました。)

http://sketchyoshie.michikusa.jp/bumo.html

是の如く 我れ聞けり。        

或る時、佛、王舎城の耆闍崛山中(に、菩薩・声聞の衆と 倶に ましましければ、

比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・一切諸天の人民・および竜鬼神等、法を聞かんとて、来たり集まり、一心に宝座を囲繞して、瞬きもせで尊顔を仰ぎ見たりき。 

是のとき、佛、すなわち法を説いて宣わく。

一切の善男子・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。

そのゆえは、人の此の世に生まるるは、宿業を因として、父母を縁とせり。

父にあらされば生れず、母にあらざれば育てられず。

ここを以て、気を父の胤(たね)に稟(う)けて、形を母の胎に托す。 

此の因縁を以っての故に、悲母の子を念(おも)うこと、世間に比いあることなく、その恩、未形(みぎょう)に及べり。

始め胎を受けしより十月を経るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)ともに、もろもろの苦悩を受く。

苦悩休む時なきが故に、常に好める飲食・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、唯一心に安く生産せんことを思う。 

月満ち、日足りて、生産の時至れば、業風(ごうぷう)吹きて、之れを促し、

骨節ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、其の苦しみ耐えがたし、

父も心身戦(おのの)き懼(おそ)れて、母と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属(しょしんけんぞく)皆な悉く苦悩す。

既に生まれて、草上に墜つれば、父母の喜び限りなきこと、猶(な)お貧女の如意珠を得たるがごとし。

その子、聲(こえ)を発すれば、母も初めて此の世に生まれ出でたるが如し。 

爾(それより)來(このかた)、母の懐(ふところ)を寝處(ねどころ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情を生命となす。

飢えたるとき、食を需(もと)むるに、母にあらざれば哺(くら)わず、渇けるとき、飲料を索むるに、母にあらざれば咽まず、

寒きとき、服(きもの)を加うるに、母にあらざれば着ず、暑きとき、衣を撒るに、母にあらざれば脱がず。

母、飢に中(あた)る時も、哺(ふく)めるを吐きて子に啗(くら)わしめ、母寒きに苦しむ時も、着たるを脱ぎて、子に被らす。 

母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。

その闌車(らんしゃ)を離るるに及べば、十指の甲(つめ)の中に、子の不浄を食らう。

計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十斛となす。 

父母の恩重きこと、天のきわまり無きが如し。 

母、東西の隣里に傭われて、或いは水汲み、或いは火燒(た)き、或いは碓つき、或いは磨(うす)挽き、種々の事に服従して、家に還(かえ)るの時、未だ至らざるに、

今や吾が兒(こ)、吾が家に啼(な)き哭(さけ)びて、吾を戀(こ)い慕わんと思い起せば、胸悸(さわ)ぎ、心驚き、両乳(りょうにゅう)流れ出でて、忍び堪ゆること能わず、乃ち去りて家に還る。 

兒(こ)遙に母の歸(かえ)るを見て、闌車の中に在れば、即ち、頭動かし、脳(なづき)を弄(ろう)し、外に在れば、即ち葡匐(はらばい)して出で來(きた)り、嗚呼(そらなき)して母に向う。

母は子のために足を早め、身を曲げ、長く両手を舒(の)べて、塵土(ちりつち)を払い、吾が口を子の口に接けつつ、乳を出(い)だして之れを飲ましむ。

是のとき母は児を見て歓び、兒は母を見て喜ぶ。

両情一致、恩愛の洽(あまね)きこと、復た此れに過ぐるものなし。 

二歳、懐(ふところ)を離れて始めて行く。父に非(あら)ざれば、火の身を焼く事を知らず。母に非ざれば、刀の指を堕す事を知らず。 

三歳、乳を離れて始めて食う。父に非ざれば、毒の命を殞(おと)す事を知らず。母に非ざれば、薬の病を救う事を知らず。

父母外に出でて他の座席に往き、美味、珍羞を得ることあれば、自ら之を喫うに忍びず、懐に収めて持ち帰り、喚び来りて子に与う。

十たび還れば九たびまで得。得れば即ち常に歓喜して、かつ笑いかつ?(くら)う。

もし過まりて一たび得ざれば、則ち矯(いつ)わり啼き、佯り哭びて、父を責め母に逼まる。 

稍や成長して朋友と相交わるに至れば、父は衣を索め帯を需め、

母は髪に梳り、髻を摩で、己が美好の衣服は皆な子に与えて着せしめ、己は則ち古き衣、弊れたる服を纏う。

既に婦妻を索めて、他の女子を娶(めと)れば、父母をば転(うた)た疎遠して、

夫婦は特に親近し、私房の中に於て妻と共に語らい楽しむ。 

父母年高けて、気老い力衰えぬれば、倚る所の者は唯だ子のみ、頼む所の者は唯だ嫁のみ。

然るに夫婦共に朝より暮に至るまで、未だ肯えて一たびも来り問わず。

或は父は母を先立て、母は父を先立てて、獨(ひと)り空房を守り居るは、猶お孤客の旅寓に寄泊するが如く、常に恩愛の情なく、復た談笑の娯(たのし)み無し。

夜半、被(ふすま)冷にして五体安んぜず。
況んや襖に蚤虱多くして、暁に至るまで眠られざるをや、幾度か輾転反側して獨言すらく、噫吾れ何の宿罪ありてか、斯かる不幸の子を有(も)てるかと。
 

事ありて、子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒り罵る。
婦(よめ)も兒(こ)も之を見て、共に罵り共に辱しめば、頭を垂れて笑いを含む。婦も亦不幸、兒も亦た不順。夫婦和合して五逆罪を造る。
 

或は復た、急に事を辧(べん)ずることありて、疾く呼びて命ぜむとすれば、十たび喚びても九たび違い、遂に来りて給仕せず、却りて怒り罵りて云く、「老い耄れて世に残るよりは、早く死なんには如かずと。」 

父母これを聞いて、怨念胸に塞がり、涕涙瞼を衝きて、目瞑み、心惑い、悲み叫びて云く、「噫(あぁ)汝幼少の時、吾に非ざれば養われざりき、吾に非ざれば育てられざりき、而して今に至れば即ち却って是くの如し。噫吾れ汝を生みしは、本より無きに如かざりけり。」と。 

若し子あり、父母をして是くの如き言(ことば)を発せしむれば、子は即ちその言と共に堕ちて、地獄、餓鬼、畜生の中にあり。一切の如来、金剛天、五通仙も、これを救い護ること能わず。父母の恩重きこと、天の極まり無きが如し。 

善男子、善女人よ、別けて之を説けば、父母に十種の恩徳あり。何をか十種となす。 

 一には 懐胎守護(かいたいしゅご) の恩

 二には 臨生受苦(りんさんじゅく) の恩

 三には 生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩

 四には 乳哺養育(にゅうほよういく)の恩

 五には 廻乾就湿(かいかんじゅしつ)の恩

 六には 洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩

 七には 嚥苦吐甘(えんくとかん)  の恩

 八には 為造悪業(いぞうあくごう) の恩

 九には 遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩

 十には 究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩 

父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。 

善男子、善女人よ、是くの如きの恩徳、如何にして報(むくゆ)べき。
佛、すなわち偈(げ)を以て讃して宣わく、悲母、子を胎めば、十月の間に血を分け肉を頒ちて、身、重病を感ず、子の身体之に由りて成就す。
 

月満ち時到れば、業風催促して、偏身痘痛し、骨節解体して、神心悩乱し、忽然として身を亡ぼす。

若し夫れ平安になれば、猶お蘇生し来るが如く、子の声を発するを聞けば、己れも生れ出でたるが如し。

其の初めて生みし時には、母の顔、花の如くなりしに、子の養うこと数年なれば、容(かたち)すなわち憔悴す。 

水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁にも、乾ける処に子を廻わし、湿し処に己れ臥す。

子己が懐に屎まし、或は其の衣に尿(いばり)するも、手自ら洗い濯ぎて、臭穢を厭うこと無し。 

食味を口に含みて、これを子に哺むるにあたりては、苦き物は自から嚥み、甘き物は吐きて与う。

若し夫れ子のために、止むを得ざる事あれば、躬ずから悪業を造りて、悪趣に堕つることを甘んず。

若し子遠く行けば、帰りて其の面を見るまで、出でても入りても之を憶い、寝ても寤めても之を憂う。

己れ生ある間は、子の身に代らんことを念い、己れ死に去りて後には、子の身を護らんことを願う。 

是の如きの恩徳、如何にして報ゆべき。 

然るに長じて人と成れば、声を抗げ気を怒らして、父の言に順わず、母の言に瞋りを含む。

既にして婦妻を娶れば、父母にそむき違うこと、恩無き人の如く、兄弟を憎み嫌うこと、怨(うらみ)ある者の如し。

妻の親族訪い来れば、堂に昇(のぼ)せて饗応し、室に入れて歓晤す。

嗚呼、噫嗟、衆生顛倒して、親しき者は却りて疎み、疎き者は却りて親しむ。

 父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。 

其の時、阿難、座より起ちて、偏に右の肩を袒ぬぎ、長跪合掌して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、

「世尊よ、是の如き父母の重恩を、我等出家の子は、如何にして報ゆべき。

つぶさに其の事を説示し給え。」と。 

佛(ほとけ)、宣わく。

「汝等大衆よく聴けよ。孝養の一事は、在家出家の別あることなし。
出でて時新の甘果を得れば、将ち去り父母に供養せよ。
父母これを得て歓喜し、自ら食うに忍びず、先ず之を三寶に廻らし施せば、則ち菩提心を啓発せん。
 

父母病あらば、牀辺(しょうへん)を離れず、親しく自ら看護せよ。
一切の事、これを他人に委ぬること勿れ。
時を計り便を伺いて、懇(ねんご)ろに粥飯(しゅくはん)を勧めよ。
親は子の勧むるを見て、強いて粥飯を喫し、子は親の喫するを見て、抂(ま)げて己が意(こころ)を強くす。
親暫く睡眠すれば、気を静めて息を聞き、睡(ねむり)覚むれば、医に問いて薬を進めよ。日夜に三寶に恭敬(くぎょう)して、親の病の癒えんことを願い、常に報恩の心を懐(いだ)きて、片時も忘失るること勿れ。
 

是の時、阿難また問うて云く。「世尊よ、出家の子、能く是の如くせば、以って父母の恩に報ると為(な)すか。」 

佛、宣わく。
「否。未だ以て、父母の恩に報ると為さざるなり。
親、頑にして三寶を奉ぜず、不仁にして物を残い、不義にして物を竊み、無礼にして色に荒み、不信にして人を欺き、不智にして酒に耽らば、子は当に極諫して、之れを啓悟せしむべし。

若し猶お闇くして未だ悟ること能わざれば、則ち為に譬(たとえ)を取り、類を引き、因果の道理を演説して、未来の苦患を拯(すく)うべし。

若し猶お頑にして未だ改むること能わざれば、啼泣歔欷(ていきゅうきょき)して己が飲食を絶てよ。

親、頑闇(かたくな)なりと雖も、子の死なんことを懼るるが故に、恩愛の情に索かれて、強忍して道に向わん。 

若し親志を遷(うつ)して、佛の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて淫せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、

則ち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞に、親族和睦して、婢僕忠順し、六畜蟲魚(ろくちくちゅうぎょ)まで普く恩沢を被りて、十方の諸仏、天龍鬼神、有道の君、忠良の臣より、庶民万姓に至るまで、敬愛せざるはなく、暴悪の主も、佞嬖の輔(ねいへいのほ)も、兇児妖婦(きょうじようふ)も、千邪万怪(せんじゃばんかい)も、之れを如何んともすること無けん。 

是に於て父母、現には安穏に住し、後には善処に生じ、仏を見、法を聞いて、長く苦輪を脱せん、かくの如くにして、始めて父母の恩に報るものとなすなり。」 

佛、更に説を重ねて宣わく。

「汝等大衆能く聴けよ。父母のために心力を盡(つく)して、有らゆる佳味、美音、妙衣(みょうえ)、車駕(しゃが)、宮室(きゅうしつ)等を供養し、父母をして一生遊楽に飽かしむるとも、若し未だ三寶を信ぜざらしめば、猶お以て不幸と為す。 

如何となれば、仁心ありて施しを行い、礼式ありて身を検(ひさし)め、柔和にして辱を忍び、勉強して徳を進め、意を寂静に潜(ひそ)め、志を学問に励ます者と雖も、一たび酒食に溺るれば、悪魔忽(たちま)ち隙を伺い、妖魅(ようみ)則ち便(たより)を得て、

財を惜しまず、情を蕩(とろ)かし、忿(いかり)を発(おこ)させ、怠を増させ、心を乱し、智を晦まして、行いを禽獣に等しくするに至ればなり。

大衆よ、古より今に及ぶまで、之に由りて身を亡ぼし、家を滅ぼし、君を危くし、親を辱しめざるは無し。

是の故に、子たる者は深く思い、遠く慮りて、以て孝養の軽重・緩急を知らざるべからざるなり。

凡(およ)そ是等(これら)を父母の恩に報(むくゆ)るの事となす。」と。 

是のとき、阿難、涙を払いつつ座より起ち、長跪合掌して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、

「世尊よ、此の経は当(まさ)に何と名づくべき。又如何にしてか奉持すべきか。」と。 

佛、阿難に告げ給わく。

「阿難よ、此の経は父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)と名づくべし。

若し一切衆生ありて、一たび此の経を読誦8どくじゅ)せば、則ち以て乳哺の恩に報(むくゆ)るに足らん。
若し一心に此の経を持念し、又人をして之を持念せしむれば、当(まさ)に知るべし、是の人は、能(よ)く父母の恩に報(むくゆ)ることを。
一生に有らゆる十悪、五逆、無間の重罪も、皆な消滅して、無上道を得ん。」と。
 

是の時、梵天・帝釈(たいしゃく)・諸天の人民、一切の集会(しゅうえ)、此の説法を聞いて、悉(ことごと)く菩提心を発(おこ)し、五体地に投じて涕涙(ているい)、雨の如く。進みて佛足(ぶっそく)を頂礼(ちょうらい)し、退きて各々歓喜奉行したりき。