中国思想史講座

                                   中国仏教思想
 

 5.  中国密教と空海の入唐
やすい ゆたか
一、釈迦観の変遷

 

 
 
 ゴータマ・ブッダは「人に依らず,法に依って生きるように」言い遺しました。「自灯明,法灯明」(漢訳による。原語では「自分を島にし,法を島にせよ」)という遺言は有名です。人間は有始有終の存在です。生じたものは滅しないことはないのです。ですから釈迦を超人的な存在として神格化して崇拝されることは釈尊自身の本意ではなかったのです。ところが宗教というものは,教祖の唱えた教理よりも,教祖自体の霊力に対する信仰に傾きがちです。キリスト教でもイエス・キリストの生き方に倣って,自ら復活のキリストとして愛に生きるのがキリスト者の本来の姿の筈なのに,むしろイエスの贖罪の十字架が人類を救済する程の力があった事を信仰することに力点が置かれます。結局イエスは神だったことを認めるかどうかが最大の問題になってしまったのです。 

 仏教も始めは仏陀の教えに倣って解脱の修行を行う教団でした。ところが次第に深遠な法を説かれた仏陀の霊力が神格化され,その力に依って救済されようとする信仰に変質していったのです。特に熱心な在家の信者に支えられていた大衆部では,釈尊の本体である法身は永遠の生命を持って兜率天(とそつてん)に住んでおられると捉えました。ゴータマは衆生を救う為に仮に地上に現れた応化身(おうげしん)だったとしたのです。 

 大乗仏教では,仏陀の「法身(ほっしん)・報身(ほうじん)・応身(おうじん)」の三身観が唱えられました。物質的なものから,時空から超越した絶対身,法それ自体の仏格化が「法身」です。四世紀に纏められたとされている『華厳経』では毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)が法身です。華厳宗では釈迦は仏陀となってこの毘廬遮那仏との一如(ひとつであること)を悟ったので,釈迦は毘廬遮那仏そのものだとします。この考えでいきますと我々凡夫も本来毘廬遮那仏なのですが,それを悟ることができないだけだということです。


                           

 こうして「一即一切,一切即一」の華厳哲学が生じます。これは古代ギリシアのエレア学派の「ヘン・カイ・パン(一にして全)」と同じです。 

 七世紀に成立したとされる『大日経』に基づいて真言密教の大成者空海は,法身仏を大日如来(=毘廬遮那仏)としこれを無始無終のダルマ()そのものとします。報身仏は,修行の報いとして永遠性を獲得した有始無終の仏で,阿弥陀如来や薬師如来が報身仏なのです。では応身仏は何かと言いますと,法身仏が化身として地上に出現した仏です。これは人間の身体を持っていますから有始有終の仏です。釈迦は応身仏です。密教は法身仏としての大日如来が説かれた教えで,顕教は応身仏としての釈迦が説かれた教えだということです。また浄土真宗の親鸞は釈迦は阿弥陀仏の変化身(へんげしん)と解釈しています。 

 人間ゴータマから法身仏と合一した釈迦如来へ,神ならぬ人間だからこそ,修行と思索を通して真理に到達し,宇宙の摂理それ自体を自己として捉え返すことができるのです。またたとえ凡夫のわれわれでも,宇宙の摂理の現れである限り,真理はたとえ悟れなくてもそれ自体としては,真理はわれわれ自身です。その意味で「一切衆生悉有仏性」と言えるのです。こうしてヒューマニズムの貫徹によって全ての生命との有機的な統一を見出します。

 
二、密教の起源

 
 

   唯識論ではアサンガ(無著)兜率天(とそつてん)マイトレーヤ(弥勒)菩薩から唯識思想を伝授されたことになっています。おそらく精神統一していると魂が兜率天に昇って弥勒菩薩と話したような気がしたのでしょうね。

 密教もこれと同じ様な起源になっています。大日如来は法身仏です。法それ自体である宇宙の本体仏は『華厳経』では、「毘廬遮那仏」と呼ばれます。奈良の大仏さんは「毘廬遮那仏」です。巨大な大仏にするのは、ありとあらゆるものを包摂するからでもありますが、その慈悲の光りが宇宙全体に遍く届くようにしているわけです。

その「毘廬遮那仏」が人格的な主体になって人間に法を説かれると「大日如来」と呼ばれるのです。ですから経典では大日如来という言葉はあまりつかわれていないのです。ほとんど「毘廬遮那仏」と呼んでいます。
 大日如来は法それ自体ですから、すべての存在は大日如来の現れであるということですね。ですから大日如来が法を説かれるということは、修行によってコスモスと一体化した菩薩が、法を覚ったということでもあるわけです。

 

まず金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)が大日如来から教えを受けます。元々金剛薩埵は、ゴータマ・シッダールダのガードマンをしていた鬼神でしたが、密教では、釈尊が大日如来の境位になられたので、そのお付だった金剛薩埵が秘密の教えを授かったということでしょう。

秘密の教えつまり「密教」は、大日如来が直接授ける教えです。それに対して「顕教」は釈迦如来が人間の姿で説かれた教えを言います。密教経典以外はすべて顕教経典で、釈迦如来の説法を弟子たちが記録したものと考えられていました。でも実際は、大乗経典は釈迦如来の著作はありません。そして般若経などの顕教の経典にも呪文のような意味不明の言葉があったりして、密教的な部分もあるわけです。『般若心経』の「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。」という部分はその典型です。 

ところでは金剛薩埵は、大日如来から直接受けた教えを『金剛頂経』と『大日経』に書き記しまして、南天鉄塔(南インドにあった鉄塔)に蔵(おさ)め置いていたのです。そして八百年後、龍猛(龍樹の密教名)菩薩がついにこれを開きまして、その経典を伝授されたのです。ですから一切皆空を説かれたナーガールジュナは密教の祖でもあるわけです。

何か実体的なものを認め、それに拘っていますと、すべては実体がなく、相互に連関し合って、大きな生命として一つであるというようなダルマ()が掴めません。空と縁起の思想によって、「毘廬遮那仏」が見えてきて、それが大日如来になって語りかけてくるということでしょう。それで龍猛菩薩を登場させているわけです。

 

ところで伝承としては金剛薩埵や龍猛菩薩の段階で密教の根本経典が存在したことになりますが、実際には七世紀から八世紀かけて『金剛頂経』と『大日経』が成立したといわれています。ですから大乗仏教の中から生まれた当時の新興宗教だといえるでしょう。

それ以前にも初期密教と言ってヒンドゥー教で使うような呪文を唱えて、覚りの境地を表現したり、オカルト的な力を発揮しようとしていました。そういう秘密の呪いの言葉を集めたのが陀羅尼経です。密呪は陀羅尼dharani)、明呪(vidya)、真言(mantra)などと呼ばれています。日本でも奈良時代に藤原仲麻呂の乱を鎮圧した称徳天皇・道鏡政権が百万個陀羅尼塔を作って各寺院に配布し、怨霊の祟りを防いだりしていたのです。

どうして密教が中国や日本で流行したのかを考えます時、呪文の効果が挙げられます。中国では妖怪変化や魑魅魍魎の類がいて、人々を脅かしていたので、仏の法力で押さえ込もうということですが、その場合に、漢訳された言葉より、意味は分からないけれど、直接大日如来の呪文が効き目があるように思われたのかもしれません。日本では早良親王などの怨霊の祟りに極度に怯えていた時代ですから、空海のもたらした新しい密教経典や法具でないと怨霊を鎮めることはできないように思われたのでしょう。いわば、結核に対するペニシリンとか、天然痘に対する種痘みたいな劇的な効能が期待されたのでしょう。なんといっても法身仏の直接の呪文ですからね、いかにも効き目が有りそうでしょう。

『金剛頂経』にはサンスクリット語の原典もチベット語訳もあるのです。ところが『大日経』には漢訳しかないのです。それはどうしてかと言いますと、『大日経』に比べて『金剛頂経』ははるかに充実しているので、『大日経』はインドでは廃れてしまったからだということらしいです。日本では「両部の大経」と呼ばれて密教経典の中心になっています。『理趣経』というのは『金剛頂経』の一部です。
 

中国密教

 

          
 
  三世紀から六世紀にも、シルク=ロード経由で中央アジアまたはインドの密教が中国に伝えられていました。この時代の密教はいわゆる雑密でした。いずれも密呪経典が翻訳されていたのです。中唐の時代になって、中インド出身の善無畏(シュバカラシンハ・六三九〜七三五上絵)が来唐して『大日経』を翻訳しました。そして南インド出身の金剛智(ヴァジュラボーディ・六七一〜七四一)が来唐して『金剛頂経』の一部を翻訳したのです。
 
 金剛智の弟子の不空(アモーガヴァジュラ七〇五〜七七四)もまた、多数の密教経典を翻訳しました。こうして唐密教の全盛期を迎えたのです。その弟子
恵果は、両部(『大日経』『金剛頂経』の密教)を完成し、出現したものを図像として描いた胎蔵、金剛界の両部曼荼羅を完成しました。

 恵果後、『大日経』系の蘇悉地(そしつじ)経が行われ、これはわが国の天台宗に伝えられました。宋代には施護(九八〇〜)が大部の密教経典を翻訳し、その一部はわが国にも伝えられたのです。

 恵果(えか/けいか、七四六年 ―八〇六年は、中国唐代の密教僧で日本の空海の師にあたります。俗姓は馬氏で、長安の東にある昭応の出身です。真言八祖の第七祖です。(写真は恵果と空海)

恵果は出家した後、不空に師事して金剛頂系の密教を、また善無畏の弟子玄超から大日系と蘇悉地系の密教を学びました。金剛頂経・大日経の両系統の密教を統合したのです。両部曼荼羅を作り上げたといわれています。

恵果は、長安青龍寺に住まわれて、東アジアの各地から集まった弟子たちに法を授けました。そして代宗・徳宗・順宗と三代にわたり皇帝に師と仰がれたのです。

特に、六大弟子と言われる六人に附法しました。密教は言葉だけでは理論を伝えることが出来ません。師が一定のレベルに達した弟子に直接二人だけになって、以心伝心というか、言葉を超えて伝えたということです。

それで、剣南の惟上・河北の義円(金剛一界を伝授)、新羅の恵日・訶陵の弁弘(胎蔵一界を伝授)、青竜の義明・日本の空海(両部を伝授)が附法相承されたのです。

【弘法は六人の中に瀉瓶(しゃびょう)たり】(恵果の俗弟子呉殷の纂の詞にある)瀉瓶とは(びん)の水を他の瓶にうつしかえる意味でしたが、仏教の奥義を師から弟子にもれなく伝えることを意味するようになりました。弘法大師空海は従いまして、真言宗の正統な継承者だといえるのだと、日本の真言宗では考えています。

伝教大師最澄も、不空の弟子順暁に会いまして、一応密教の勉強をされたのですが、在唐の期間がそう長くなかったうえ、天台智の教学を学ぶことが主眼だったので、密教は深くは学ぶことができなかったようです。帰朝の後、弘法大師がたくさんの密教の経典と法具を持ち帰りまして、それを『請来目録』にずらーと書き並べました。最澄にとってはそれらが「垂涎(すいぜん)の的」でした。なんとしてでも手に入れたいものだったのです。それで空海に弟子入りまでする事になったのです。

四、「虚空蔵求聞持法」

 

 空海がどうして恵果から奥義をすべて伝授されるほどに評価されたのかということが、興味を惹きますね。それはもちろんレベルが高かったからですが、それを認めさせるだけの語学力を持っていたということですね。そこでよく言われているのは記憶力が抜群だったということです。

十九歳の時に、藤原氏でなければ出世できないと、官僚への道である大学をやめまして、仏道修行を始めました。万巻の経を読みその内容を諳んじるためには、「虚空蔵求聞持法」という修行法がありまして、それに挑戦したのです。山中に篭もり、虚空像菩薩の真言(ノウボウアキャシャキャラバヤ・オンアリキャマリボリソワカ)を百万遍唱えれば一切の経典の意味が心の中にはいり、その智恵を得ることができる。という教えを聞き、大師は太龍の岳や室戸岬に篭もりました。

これは大変厳しい修行でして、心身ともに疲れ果て、この修行で体を壊して死んでしまう修行者が半分いたといわれています。空海は大成功だったということです。修行中に口に明星が飛び込んできて悟りを開いたと彼自身が語っています。その間、かれが目にしていたものは、海と空だけだったので、以後「空海」と名乗ったといわれます。

そういう呪文(ノウボウアキャシャキャラバヤ・オンアリキャマリボリソワカ)と唱えたから記憶力がついたのか、別の呪文、例えば「アダブダカダブダ」を繰り返していたら、失敗したのかは分りませんが、おそらくこう言ったら抜群の記憶力がつくという言葉を信じ込んで、完全にはまり込んで、我を忘れて百万遍唱え続けるということが肝心なのでしょうね。我々だったら、そんなの迷信だという頭がどこかにありますので、完全にはまり込むということはできないので、失敗間違いないと思います。

空海が驚くべき記憶力を獲得したことは彼の神技に近い語学力や、経文の暗記力からしておそらく事実でしょう。ということは人間が潜在的に持っているといわれる脳の使われていない力を引き出すことに成功したということです。我々はまだ使っていない脳の部分がたくさん持っています。ですから、今からでも修行次第で、脳をリフレッシュさせることもできるかもしれません。それができればボケの予防や治療になり、中枢神経が若返ることで、運動能力や全般的な体力も若返るかもしれませんね。

それは単に記憶力だけではなく、主観と客観、精神と物質、我と世界の区別を超越するような体験をしているということでしょう。無我を知として認識するのではなく、体感して対象と一体化している感覚がつかめたわけです。空を観たら、空に、海を観たら海に自分は成っているということなのです。だから経文でもそれと一つになっているので、体が覚えていて忘れないということでしょう。

そういう境地に達していると、自分はすぐにそういう境地に達することが出来るのだという自信がつきますから、よけいに雑念を去って覚りに入れますし、無我の真理を自信をもって語れるということです。そういうことがなければ恵果が短期間で密教の奥義を伝承しようとするはずがないでしょう。

五、空から生命

 

唯識論から密教が生まれたのですが、空から生命へと突き抜けているといえるでしょう。つまり唯識論は五蘊すら空であるとしたナーガールジュナの一切皆空の立場を徹底して、存在を意識に還元したわけです。そして生命の歴史を背負ったような積み重ねられた記憶、つまり行為の織物も意識の織物に他ならないとし、大いなる生命である仏の意識として捉え返そうとしたわけですが、所詮、個人がいかに修行をしても、身体と意識、精神と事物が分かれた根源の無意識まで到達することは困難を極めます。それは結局、生の欲望が尽き果てた涅槃という彼岸にこそ救いの御仏はおわしますということになってしまうわけです。これが浄土教ですね。そこに仏教的ペシミズム、タナトス(死への衝動)的な宗教としての仏教が垣間見られるわけです。

そういう生命否定に反発して、生命の肯定の思想に脱皮しようとしたのが密教だと、梅原猛は『仏教の思想下』(角川文庫)で密教の意義を見出しています。それはどうして可能なのでしょう。唯識論で行き着いた空は、結局仏の一心だということですね。その場合の仏は、ゴータマ・シッダールタのような一人の人間の心が彼の身体の限界を突き抜けて、宇宙と合体したような、存在それ自体と融合した心です。それを『華厳経』では、毘盧舎那仏と表現しました。「一即一切」ですね。天台智の言い方では「一念三千」です。一つの思いの中に三千世界が入っているということです。一人の人間の心も、宇宙全体の心も同じ心であって、物質としての一人一人の身体も物質としての宇宙も、その同じ心の現われであり、心の姿、意識に過ぎないということです。

ですからその仏としての一心は意識であり、実体的ものではないので空なのですが、仏として思い浮かべる時に毘盧舎那仏とされたわけです。ただし華厳経では毘盧舎那仏はそういう真理の仏格化ですから、それ自体としては空なのです。その空である毘盧舎那仏が人間の前に現れて法を説かれる時、大日如来と呼ばれます。大日如来となると人間に語りかけるので、人間の肉体を持っている人間として現れるということです。

最澄は、釈尊こそ人間の姿の大日如来だといいます。『法華経』の久遠の本仏と大日如来を同一視しているのです。天台宗では密教を導入しますが、その際、釈尊が大日如来だったと受け止められます。それに対して真言密教は、釈尊も大日如来の現れであり、それだけでなく、諸仏、諸神、森羅万象が大日如来の現われであるとします。そういう形で釈尊も相対化し、大いなる生命としての大日如来の顕現であるこの世界を肯定しようとするわけです。

  元々空でしかないはずなのに、真言密教では、大日如来はすべての存在を通して自己を顕示する生きた主体として実体化されているように見えるわけです。しかも大日如来は摩訶毘盧遮那仏Mahaavairocana(マハー・ヴァイローチャナ)であり、偉大なる光明という意味であるとされます。ヴィローチャナ(Virocana)が太陽神なので、それで大日如来と漢訳されたといわれます。

  つまり太陽や太陽を超える宇宙全体を照らしつくす巨大太陽のイメージです。つまり光として実体化されているのです。光自体は、光の欠如である闇と同じで意識でしかなく、やはり空なのですが。そして光と闇の混合が諸事物になるわけです。ですから実体化されているようで、されていない面もちゃんと保持しているわけですね。

 

『理趣経』―欲望の讃美

 

それでも空から感じられるペシミズムや否定が退き、生命の肯定が全面に出ます。諸事物も肉体にまつわる諸欲望もみんな我々の命の姿として大日如来の光明で輝くのです。

「金剛頂経」の一部である『理趣経』(りしゅきょう)は、「大楽金剛不空真実三摩耶経」(たいらきんこうふこうしんじさんまやけい)は、「大いなる楽は金剛のごとく不変で空しからずして真実なりとの仏の覚りの境地を説く経」という意味です。文字通りとればのっけから性的快楽の讃美になっています。

「妙適清浄の句、是菩薩の位なり…交接の恍惚の境地は本質として清浄であり、菩薩の境地にある。
 欲箭清浄の句、是菩薩の位なり…相手を欲し、その気持ちが矢のように飛ぶ境地は本質として清浄であり、菩薩の境地にある。
 触清浄の句、是菩薩の位なり…相手に触れあうことは本質として清浄であり、菩薩の境地にある。
 愛縛清浄の句、是菩薩の位なり…四肢をもって離れがたく縛りあっていることは本質として清浄であり、菩薩の境地にある。」

元々仏教では、出家者は性欲を抱いてはいけないことになっており、在家の信者も配偶者以外との性交は「不邪淫戒」に背くとされています。現在の日本の仏教ではほとんどの宗派で僧侶の妻帯を禁じていません。形式的には禁じていても実質的には妻帯している場合も多いようです。菩薩の境地は、如来の境地に近いわけですから、覚りを目指して修行するなら、『理趣経』勧めに従って性交するのもまた修行であることになりますね。
 経文には男女の交合と断っていませんから、僧侶間のホモ・セクシュアルもまた菩薩の境地ということになりかねませんね。真言宗では高野山などは女人禁制でしたから、ホモ・セクシュアルが問題になります。
 最澄は愛弟子であった泰範を空海にとられてしまいますが、執拗に戻ってくるように口説いています。この関係に男色問題が関わっていたという解釈もありますが、『理趣経』の内容を考えますと、あながち頭から否定することもできませんね。

即身成仏

 

大日如来は金剛界と胎蔵界から成り,金剛界には無量最上の智恵を宿し,胎蔵界にはそれらを事象として発出する全ての種子を宿しているのです。

大日如来は身(身体)と語(ことば)と意(心)を持っています。森羅万象は大日如来の現れですから,全ての山河草木,花月風鳥はみんな身・語・意を持っているのです。

「祈るものが、その意味をよく考え、手に印を結び、口に真言を唱え、心三摩地(さんまじ)に住する(精神を統一する)ならば、仏の三密と行者の三密が相応じて加持するとすみやかにさとりの完成を得ることができる。」(『即身成仏義』)

この身のままで仏になる即身成仏は,手に印契を結び,口に真言を誦し,心に本尊を観ずることによって可能だということになります。このように大日如来を真似れば大日如来に成れるというのはオカルト信仰の典型ですね。加持祈祷には梵語を唱えて,印契を結び何やら念じている姿は,いかにも霊験あらたかな気持のするものでうってつけです。

なかなか仏道修行をしても仏に成るのは難しいとされていました。まあ生きている間は無理だけれど、どんな極悪非道な人間でも何度も生まれ変わっている間に、いつかは久遠の本仏にであって救ってもらえるというのが『法華経』でしたね。ところが真言密教ではこの身のままで、手に印契を結び、口に真言を唱え、心に大日如来を観相すれば、それで大日如来になれるのだと「即身成仏」を唱えたのです。

空海は世界を六大(6つの原理)からできているとしました。質料的な四大(地・水・火・風)に空大と識大を加えた六大です。世界は質料的には色即ち四元の混合であると共に,法としては空の働きであり,またそれらの顕現としては識の諸相でもあると捉えたのです。かくして龍樹の空の立場,世親の唯識の立場を密教に包摂したのです。こうして宇宙の絶対的統一原理である大日如来は,自らその原理を衆生に示す応化身である釈迦として顕現したり,それぞれの現象を司る諸神となって力を示したりもできるのです。

『大乗密厳経』によりますと、大日如来がいる浄土を密厳浄土といいます。手に印を結ぶ身密、口に真言を唱える口密(くみつ)、心に本尊を観念する意密三密で荘厳された浄土です。真言宗では、即身成仏できるわけですから、このけがれた国土そのままが密厳浄土だということになります。