人類の祖語に近い民族語は何か 

 ところでバベルの塔の建設を恐れた神が、人間の言葉を乱されて、互いに通じ合わない ようになったのですが、アダムと同じ言葉を遣い続けたのはいったい誰なのでしょう。それがユダヤ人だと言いたいわけでしょうか、『バイブル』は?アダムからノアの大洪水まで千六百年以上もあるから、ノアの家族がアダム語だとは言い切れません。でもノア語が分岐してセム、ハム、ヤペテのそれぞれの子孫の言語になった筈で、嫡流であるセム族の言語がノア語に近いということは考えられます。そのことは『バイブル』に書いてませんから確かじゃありませんが。一応、ユダヤ民族の神が宇宙を創造したのですからね、『バイブル』でいけば。

 それじゃあ古代ヘブライ語を調べてみれば、そこからいろんな言語が枝別れしたって証 が何か見つからないのでしょうか?発音の比較はなかなか難しいんです。似ているということで言葉の親戚だって判断するのですけれど、万葉集の言葉が朝鮮だけでなく、インドやペルシャの言葉として解釈されることもあるくらいですからね。西欧では、もちろん『バイブル』を信仰していたので、十八世紀ぐらいまでは古代ヘブライ語祖語説が常識として通っていたらしいのです。でも現代の比較言語学でいけば、東アジアに多いウラル・アルタイ語族とインド・ヨーロッパのアーリア語族と中近東などのセム・ハム語族という ように分かれていて、それぞれに祖語が考えられるらしいのです。

 おもしろいのが十六世紀のベカヌスのゲルマン語祖語説です。彼によればゲルマン語が最も単純で純粋な言語だというのです。だからアダム語はゲルマン語だったそうです。ところがアダムはゲルマン語というあるがままの物事の本質をそのまま音にした言語では、宗教的な奥義が露見してしまうので、アダムはわざと人為的に古代ヘブライ語を造って、秘儀を守ったというのです。そして神がバベルの塔で言語を乱された時には、ゲルマン人は遠くにいて参加できなかったから、言語を全く乱されなかったと主張しています。ちなみに渡部昇一著『言語と民族の起源について』(大修館書店刊)では、『バイブル』との 関連で言語起源論や民族言語論が楽しく紹介されています。

 バベルの塔の建設は、天を目指した、だからまだ神や共同の理想に無限に近づこうとしたのは素敵ですね。たとえさめた目から見れば、単なる無駄だったとしてもです。最近の近代建造物も、超高層ビルという形で天に迫ってはいますが、そこには神も共同の理想もありません。今や近代国民国家の時代から世界統合の時代へと転換しつつあることを思うと、共通の言語を回復して、人類的危機に対応できる世界国家を築くべきなのです。でもそれは巨大な新バベルの塔として神の怒りを招くかもしれません。

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