何故神は言葉を乱して失敗させたか
普通は次のように解釈されています。無限の高さに石を積み上げ、天に達しようとするのは、神を甘く見ていることでしょう。だから神の罰が下って、言葉が乱されたのだという仮説です。そういう解釈も成り立ちます。無限の距離を越えて天から地へ、地から天へワープするのは、有限な人間には無理だ、無限者である神だけができるんだ。それに挑戦しようとすること自体、生意気で神をないがしろにしているという解釈です。だから神の罰が下って当然だというのです。それに心で神と交信するのでなく、物質で神と交わろうとするのも、神の気に入らないところです。ですから物質文明が巨大化することを神はこ
それに神の好意で言葉を乱したということも考えられますね。だってすごく無駄なこと
トケイアーによると、後のラビの解釈では、とうとう一つ積むのに一年かかるようになったんです。だから人が事故で落ちてきても嘆かないけど、レンガが落ちてくるとみんな嘆き悲しんだということです。だってそれで一年がふいですからね。もうこんな馬鹿なことはやめさせなくっちゃと神が好意でしてくれたって解釈も有力です。だからこの話は、人間の理想主義やイデオロギーに対する痛烈なイロニー(皮肉)とも受け取れます。人間たちが頭の中で勝手に理屈づけて、理想や夢を構想し、みんなの力を動員し、膨大な犠牲を払っても是が非でも実現させようと頑張ります。ただ何の役にも立たない、馬鹿高い塔