承認願望について

   ここで大切なことは、レコグニション(「承認」あるいは「認知」)というコンセプト(概念)です。要するにカインは神に自分の価値を認めて欲しかったのです。ところがアベルのために自分は無視されてしまった。自分の存在価値が否定されては、生きていけないから、自分が死ぬか、アベルを殺すかしかないということで決断したのです。だから存在価値を承認されるかどうかは、生きるか死ぬかの問題なのです。つまり承認が生きる気概の核心だと言うことを描いている説話だということになります。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(三笠知的生き方文庫)によりますと、承認を巡って、二つの種類の願望が人間を行為に駆り立てるというのです。それは「対等願望」と「優越願望」です。この二つの願望が歴史を根本的に衝き動かしている二大動因だというんです。

 要するに、対等に扱われたいという願望があるから、社会はリベラル・デモクラシーの方向に発達するのだとしています。フクヤマによると、でもこればかり強くなると悪平等主義で、しまいに悪いバクテリアまで人間同等の生存価値を認めることになってしまうというのです。社会の活力を維持する為には、他人よりも優越したいという願望もある程度許容しないといけないとフクヤマは分析し、資本主義的な経済制度を最善だと考えています。

 この弟殺しは神がアベルの方を好まれて、カインの心を傷つけたことが原因なんです。 でもカインに農民としての自信や誇りがあれば、それ程、傷つかなかった筈です。その為にもカインとアベルの間に互いに人格や仕事の上で承認し合い、尊敬し合う関係ができていれば、こんな悲劇にはならなかったのです。その為にも家庭の対話が大切ですね。兄弟が互いに励まし合い、教え合って、経験を交流し合っていれば、カインとアベルの心が通じ合っていますから、アベルが褒められただけで、カインもうれしく感じることができた筈ですのにね。

 人類最初の兄弟がカインとアベルです。その最初の兄カインが最初の弟アベルを殺したのです。この事は、いかに近親憎悪が根源的かを象徴しています。でもこの兄弟を暖かく包む筈の家庭の臭いが「創世記」からは一切しないんです。そのことが不満ですね。彼らの両親アダムとエバがどのように子育てをしたのか読者としては知りたかったです。それに神に認めてもらえなくても、両親に認めてもらえれば、カインはアベルを殺さずにすんだのではと素朴な疑問が沸いてきます。

   ●次に進む   ●前に戻る  ●第二章の目次に戻る