第二章 審きの神とアブラハムの信仰

カインとアベル

   さてアダムとエバの間には二人の男の子が生まれます。兄の名は「カイン」で土を耕す者となり、弟の名はアベルで羊を飼う者になりました。ふたりは主に供え物をします。もちろんカインは「地の産物」を捧げます、穀物か野菜でしょうね。アベルは羊の群れの初子と肥えた羊を捧げたのです。「主」というのは、アダムでしょうか?それとも神様でしょうか?『バイブル』では普通「主」は神かキリストですから、ここでも神と解釈していいでしょう。

 神様は肉食が好みなのでしょうか、アベルの供え物ばかりを顧みられて、カインの供え物には目もくれないのです。それでカインはプンとなって顔を伏せてしまいます。神様からどうして怒ってるんだ、正しいことをしてるなら堂々と顔を上げていろと言われ、よけいに頭に来て、野原にアベルを連れ出して殺してしまうのです。これが人類最初の殺人です。それがなんと兄の弟殺しなのです。

 神はどうも植物よりも動物の方が活き活きとして、命に溢れているものだから好きなようです。血が通っているものが好きなんです。これは肉食を一切禁じている仏教などとは違うところですね。これは神の好みというより、人間の好みが神に投影しているのでしょう。ただアベルは「群れの初子と肥えたものをもってきた。」とありますが、カインは「地の産物」とあるだけです。つまりアベルは最上のものを捧げたのに、カインは余りものや最低のものを捧げたと神は判断したのかもしれません。それで神はカインを無視したという解釈もあるんです。ラビ・トケイヤー著『ユダヤ発想の驚異-旧約聖書の英知と教え-』(実業之日本社刊)に出ています。

 どの兄弟でも両親の愛を奪い合うので、互いにライバル意識が強烈なものです。特に兄の方は元々親の愛情を独占していたのに、弟が出来てつい親の気持ちが弟の方に向いてしまうことが、奪われた感じがしていたたまれないものらしいのです。弟さえいなければ自分はこんな惨めな思いをしなくて済んだ筈なのにと悔しくてたまらないんです。兄弟は一緒に暮らしているんだから、仲良く助け合うべきなのに、こんなにも激しく憎み合うものなのですね。

 夫婦、親子、兄弟、姉妹といろんな肉親間の組合せがありますが、どれも互いに強い愛着を抱き合っているだけに、その家族が自分を守ってくれない、愛してくれない、自分の邪魔になるとその憎しみはすごく激しくなってしまいます。だから殺人事件も近親間での殺人が、他人によるものよりも多いと言われています。でもこんなに些細な事であっさり簡単に殺しちゃうなんて、あまりに生命を軽く見ているように感じられますね。それに少しでも兄としての愛情があれば、こんなことにはならなかったんじゃないかと思われませんか?恐ろしいですね、ほんとに。生命尊重や人権意識が希薄ですね。

 でもね、ラビ・トケイヤーによると、カインには「殺人」という意識はないんです。だって人が死んだのはこれが最初なんですから、こうやれば死ぬとか、死んだらどうなるとか全く分からなかったんです。この時、喧嘩の後二人は別れたんだけど、直後に腹いせに兄が投げた石が運悪く弟に当たってしまって、死んじゃったという解釈が有るそうです。

 このカインの末裔にレメクが出ます。彼はすごい殺人狂のようです。「わたしは傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。」と宣言しているんです。だから初めのうち、地上の人々の心は地が痩せていたこともあって、かなりすさんでいたようです。そこで神は、カインの血統を除こうとしてか明記はしていませんが、人の心が悪いので、後でノアの家族を除いて全部滅ぼしてしまうのです。血統の浄化をするわけですね。まあ、それは後で話しましょう。

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