虹に誓った神の反省 

 でもこういう「審きの神」なんて恐ろしい神を考え出すと、にせ預言者がいっぱい出ち ゃうんです、その結果。かえって悪い人が神に代わって神の命令でやってんだ、なんて「錦の御旗」を振り回して、にせの審判を実行しようとするんです。「審きの神」という発想は、宗教的にはある程度当然なんですが、この思想が人間同士の争いに利用されると、人類がそれこそ滅亡の危機に突き落とされる恐れがあることも、よく弁えておく必要があったのです。麻原彰晃はその危険性を思い知らせてくれたのです。

 「ノアの大洪水」で、あのおそろしいカインの血筋は絶えたんでしょうか?そうです、善良なノアの家族だけを残したのですから、よい血統だけを残す血分け、血統浄化のようなものですね。いわば良い種を残す選別のようなものだったのです。でもまたソドムとゴモラのような極悪の町ができて、神が町ごと滅ぼすような事件が起こることになります。だから血統主義は失敗するのです。善の遺伝子、悪の遺伝子なんてないのです。もちろん血統主義で考えても、ノアの子孫はすべて善良というわけにはいきません。ノアにだってカインと元は同じ血統です。原罪を犯したアダムとエバの血統が流れていますからね。こ の血統主義が民族主義、人種主義と結びつくとナチス的な民族浄化の思想となるんです。そのせいで四百万人のユダヤ人が毒ガスで処理されてしまいました。最近のボスニア紛争でも、セルビア人が民族浄化と称して、何百、何千人のモスリムを虐殺したようです。

 ユダヤ人もドイツ人も自分の民族は選ばれた優秀な民族だと思っていました。ライバル意識が強烈だったのです。それにしても自分たちの『バイブル』のユダヤ血統主義を逆手にとった、ゲルマン人種主義にやられたのですから、全く歴史は皮肉なものですね。

 ところで神は、人類や地上の生き物をみんな水の底に沈めて滅ぼしちゃって、平気だったのでしょうか。さすがに神も、ノアの洪水での大虐殺は精神的にこたえたと見えて、反省しているんですよ。でも神による審判の権利を確認する必要がありましたから、『バイブル』には不可欠な要素だったんです。

 神の反省は第八章、二一節からです。「主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。わたしはこの度したように、生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続く限り、種蒔きも刈入れの時も、暑さも寒さも、夏も冬も、昼も夜もやむことはない。」

 これでは「ノアの大洪水」にどういう意味があったのって聞きたいですね。だって、人間が考えることが邪悪なのは、生まれつきで仕方無い、人間が悪いことを考えているからといって、生き物を呪って、滅ぼすようなことはやめようということでしょう。神自身、洪水のききめを信じてないみたいじゃないですか。

 そうなんです。「人間の本性は悪」だっていう性悪説なんです。だから神が与えたトーラー(律法)を守れということになったのです。でも心で邪悪なことを考えているとトーラーだって守れる筈はありません。だって一番大切なトーラーは「神への愛と隣人への愛」なんですから。この二度と地を滅ぼし、獣や鳥を滅ぼすような大洪水は起こさないという契約を「ノア契約」と呼ぶのです。雲の中に虹を置いて、この虹を契約のしるしにしました。この虹を見て、地上のすべての生き物と結んだ契約を思い出して、洪水を起こすのを思い止まるというのです。とてもファンタスティックなイメージです。わたしたちは都会に住んでいますから、ほとんど虹なんか観ませんね。これからは虹を見ないと心配になりそうですね。

 虹は神が地上の生物を絶滅させたことに対する後悔と苦悩のシンボルなんです。神は人間の罪に対してどうしても罰を与えなければなりません。神は単なる摂理ではなくて、人格神なんです。だから自分の意志としてそれを示さなければならなかったのです。それでこの苦悩は、どうしても一度は背負わざるを得ない苦悩だったと、『バイブル』は言いたいんのです。

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