「創世記」の年齢について

  『古事記』などで最初の頃の大王の年齢が永すぎるのは、春夏秋冬で一年ではなくて、春夏と秋冬で各一年、計二年の倍年暦で数えていたからだという説があります。でも『創世記』ではアダムは九百三十歳で亡くなっています。三男セツは九百十二歳で、セツの子エノスは九百五歳、エノスの子カイナンは九百十歳です。またカイナンの子マハラレルは八百九十五歳で死にました。マハラレルの子ヤレドも九百六十二歳まで生きたんです。そしてヤレドの子エノクは三百六十五歳で神隠しに遇っています。ノクの子メトセラは九百六十九歳で亡くなり、メトセラの子レメクは七百七十七歳でなくなりました。このレメクの子がノアです。ノアも九百五十歳まで生きているんです。こういう調子ですから倍年暦は通用しないんです。

 最初のうちは人口が少ないので、神様が寿命を永くされて、早く人々が地に満ちるようにされたのじゃないか、そのうち人口が増えすぎたので、後がつかえるようになり、寿命を縮められたのだという解釈があります。それと考えられるのが、長老崇拝です。年寄り程、尊敬される風習があるんです。全くの想像ですが、そうなると周囲の者がおべっかで多めに歳を言うようになりますね。それで歳の取り方が加速度的になって、五十歳を越すと毎年二・三年歳を取り、六十歳を過ぎると毎年十歳ずつ歳をとり、七十歳を過ぎると毎年五十歳ぐらい、八十歳を過ぎると毎年百歳ぐらい歳をとったことにされたのではないでしょうか。そうでないとなかなか九百歳は越せません。そうするとノアはもう半年生きてたら千歳を越していたことになりますね。

 ところで小学校の頃の思い出で、未だに強く印象に残っていることがあります。昔は大阪の下町では「夜店」という市がありました。各通りに月に三度、露店が店を並べるんです。大正区の三軒家にあった、うち(我が家)の前には九の付く日が夜店でこんな店が出ていたんです。それが二のつく日は、すこし離れたところが夜店でね。そこの夜店で不思議な「炙り出し」をやっていました。油を塗ったような紙に何か質問を書いて蝋燭の火に炙ると、不思議なことに答えが黒く焦げて現れるんです。未だにそれは不思議だと思っていますが、当時子供ながらに死の恐怖に取りつかれていましてね。いずれ死ななければならない、自分の存在がなくなるということがとてつもなく、怖かったんです。それで宣伝用のパフォーマンスの時に手を挙げて書かせてもらいました。「人間、なぜ死ぬ?」とね。そしたらどんな答えが出たと思われますか?さあ、「老化するから」かな。それとも「天国からお呼びがかかるから」かな。それがね、さっきの「後がつかえるから」という答えなのです。これはよくできた答えでしょう。どうして紙が答えられるのでしょうか?ひょっとして「紙」じゃなくて、「神」が答えたのでしょうか。

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