ネフィリムー神の子と人の娘のハーフー
「ノアの方舟」の前の時期です。「創世記」第六章を読んでみましょう。・「さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。主は言われた。『わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。』こうして人の一生は百二十年となった。』当時も、その後も、地上にはネフィリムがいた。これは神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり大昔の名高い英雄たちであった。」・この「神の子たち」は、神の子たちの精霊(精子)を神が「わたしの霊」と言っているので、神の実子としか考えられないのです。ということはヘブライ人は、初めから唯一絶対神の信仰を持っていたんではないということになります。
でも『バイブル』を編集する際に、内容が唯一絶対神信仰と矛盾すれば削除できた筈です。どうして削除しなかったのでしょうか。それは大いに謎です。これは超人的な活躍をした勇士たち英雄たちの働きを説明するのに、とても人間業とは思えないから、神の子と人の娘の相の子「ネフィリム」じゃないかという説話になったものです。実際、ギリシア神話でも、ポリスを建国した建国神話では、神と人の娘の相の子が活躍しています。特にゼウスの好色ぶりは有名で、沢山の女神や人の娘を妊娠させているんです。
パール・バックの『聖書物語旧約篇』(刈田元司訳、社会思想社刊)を読みますと、こ
の部分に当たるところが変えられています。第六章は、ノアの方舟の話です。だからこの「百二十年」という寿命の事を、カインのような人間たちの悪い心に対する警告として使っているのです。「なんとかしなければならない。そこで主は警告をされた。『わたしの霊が地上の人々の中にいつまでも生き続けるわけにはいかない。もしも人の悪が終わらないならば、人の年を百二十歳にしよう。』と」(パール・バック著『聖書物語旧約篇』二三頁上)「神の子たち」や「ネフィリム」の存在には全然ふれていません。都合の悪いところは、カットしてすんなり読み易くしているんです、あたり障りのないようにね。
この「ネフィリム」のことはどうして第六章の「ノアの方舟」のところに入っているのか、よく分かりません。パール・バックの『聖書物語』は、あくまで聖書を物語にした興味づけの為のものです。神学上の矛盾について取り扱うと、物語が台無しになってしまうから、仕方がないのですが、心根が悪いから寿命を百二十歳にするというのは、解釈的に変です。だって現実には寿命はもっと短いわけでしょう。百二十歳だと世界一の水準ですね。罰で縮めたにしては永すぎます。それに文脈的にはネフィリムの寿命が百二十歳の筈なのに、パール・バックは人の寿命が百二十歳にしてしまっています。
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