ミニ版「出エジプト記」

 アブラムはエジプトに寄留するために、自分の妻サライを妹ということにしてエジプトの支配者であるファラオ(王)に差し出しています。ところがそのせいでファラオの家に疫病が発生し、サライがアブラムの妻だったことがばれちゃって、エジプトから追い出されることになります。当時の女性の地位がよく分かりますね。必要とあらば、妻を差し出して相手の機嫌を取っているんです。それでも文句が言えなかったから、妻は夫の奴隷的な存在だったんです。

 アブラムはサライに、「おまえは美しいから、妻だと言えば、ファラオはきっとわたしを殺して、おまえを奪おうとするだろう。妹だと言えば、おまえに取り入ろうとしてわたしの命が助かるからそうしてくれ」と言って、うまく頼むのです。これでは愛する夫の命を助けるためなら仕方無いと思って、文句も言えなくなってしまいます。ところでエジプトから追い出されたアブラムなのに、家畜と金銀財宝に非常に富んでいたとあるのはどうしてでしょう?

 さあ?書いてないことは想像するしかないですね。ひとつはサライの正体はすぐにはばれずに、ファラオから破格の厚遇をされ、アブラムもエジプトの為に大いに貢献して、財産をためこむ事ができたのでしょう。あるいはエジプトでいろんな商売に手を出していたのかもしれません。旅をすることが多かったようですから、隊商とのつながりがあって、大儲けしていたのかもしれませんね。

 エジプトを出てアブラムはカナンに住みます。カナンでは土地を買い取って定住できたでしょうか?それがカナン人は、土地を売ってくれないのです。土地は妻サラ(サライ)が百二十歳でなくなった時に、やっと墓地にするために小さな畑を買うことができただけです。それぞれの一族は一族の土地を売ることについては、相当厳しい規制をしていて、いくらアブラハム(アブラム)が尊敬され、勢力を誇っていても、やっぱり寄留民としてしか扱われていないんですね。

 でも神は何度も出てきてアブラムに土地を与えるって契約しています。第十三章ではカナンの見渡す限りの土地は永久にあなたとあなたの子孫に与えると約束しています。第十五章では、「あなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで」これではカナンどころか当時の感覚では、全地の支配ですね。

 アブラハムの神は確かにアブラハムと契約をして、カナンの地ばかりか全地の支配を約束しますが、土地は神との契約によっては、手に入れるわけにはいきません。だから実際には手に入らないのです。でもこの神の契約が後で、アブラハムの子孫がカナンの地に侵入する際に、大いに大義名分の役割を果たすことになります。たとえカナン人が土地を売ってくれなくても、武力で制圧すればいいんです、力さえあればね。だって神は契約してくれているんですから。元々「アブラハムの神」というのは、アブラハムの為に存在するのです。だからアブラハムの希望をそのまま約束して下さるのです。ということはアブラハムの想いが神格化されて「アブラハムの神」の姿をとっているのです。人間の為の神の典型ですね。

 それにこのアブラハム説話は、出エジプト説話の前置きになっているのです。ききんでカナンを捨ててエジプトに逃れ、そこで暫くは成功するが、後に迫害されて一族でエジプトを離れ、カナンの地に定住を試みるが、容易には成功しない。そういう筋書きが一緒なのです。偶然の一致か、「出エジプト記」のミニ版を後で作ったのか、ウーム、どちらでしょうね。

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