神の為の人間、人間の為の神 

 要約的に読みます。神は水を大空で分けて、大空を天と名付けます。これが第二日。下の水が集められ海が出来て、地が現れて陸と名づけられます。そして地に各種の植物を繁殖させます。これで第三日。そして天に太陽と月と星々を作らせて、季節や年月をまた昼と夜を作られて第四日が終わります。第五日には、海の動物と陸に空を飛ぶ鳥達を作って、繁殖させます。そして第六日になって地上に家畜と獣を創造されるのです。

 第六日にはついに人が創造されました。第一章、第二六節・「神は言われた。『我々にか たどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜と、地の獣と、地に這うものすべてを支配させよう。』神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女を創造された。」・そうすると神は人間の姿をしておられるわけですね。というより人間が神を模範の型(イデア)にして作られた、神人形なのです。神は人間を見ていると自分の分身のようで可愛くて仕方がないようです。結局、神こそ一番のナルシストなのです。だから人間に特権的な地上の支配者としての地位を与えたんでしょう。

 でも『バイブル』は、神がいて人間に書かせたかもしれないけれど、やっぱり人間が書いたものです。だから人間の気持ちがどうしても投影してしまいます。神に似せて人間が作られたという表現は、人間が神になりたいという願望の裏返しなんです。それに神が天地を創造して、動植物を繁殖させたのも、結局は人間に地を支配させ、幸福に暮らさせる為だということになります。すると神自身の存在意義を人間に幸福をもたらすことにあると考えていることになるでしょう。だから『バイブル』はすごいヒューマニズム宣言なんです、そういう一面を持っているんです。

 でもバイブルは人間に神を絶対無条件に信仰し、神の命令ならなんでも従うことを強制 するものでもあります。神が人間を作ったのだから、人間は神のペットに過ぎないと断定しています。それで背いたら恐ろしい罰が当たっちゃうんです。つまり人間が神の為に存在するということも強調しています。そこでどっちの解釈を重視するかで、信仰の有り方がまるっきり違ってしまいます。人間中心か神中心かです。この二つの異質の信仰をまとめて統一するのはすごく難しいんです。

 最近、統一協会から家族の働きかけで脱会した山崎浩子ってタレントがいましたね。彼女が言うには、マインド・コントロールが解けるきっかけになったのが、プロテスタント系の牧師から、この問題を指摘されたことだそうです。つまり統一協会では神は人間の救済の為に存在すると考えていて、しかもキリスト教ばかりか全ての宗教を統一原理で統合できると主張しています。でもプロテスタントの中には、人間が神の為に存在しているのであって、人間の為の神と捉えると冒涜だという解釈が強いそうです。それでまるで神の見方が統一協会とは違うんです、だから文鮮明の考える統一は不可能じゃないかと言われ て、山崎は初めて「統一原理」に対して疑うようになったと言うんです。

 この問題はね、こういうふうに考えたらいいんじゃないでしょうか。神が人間を作ったように、人間も芸術作品や工芸品や他のいろんな物を作っていますね。つまり人間の手段や楽しみの為の物を造っているでしょう。人間によって造られた物は人間の為に存在しているわけです。この関係を、人間と神の関係にずらしたら、人間は神の為に存在するから、神の為に生きるべきだという考えになります。でも、人間は自分が自分たちのために作った物だからといって、造った物を無造作に破壊したり、無駄にしては駄目でしょう。やはり大切に使わなくっちゃね。そしてここが肝心なんですが、実は人間はそうした物を作り 出すことで、自分を表現し、自分の力を実現できているんです。人間だけが自由に物を生産できますし、自分の能力を労働を通して発揮でき、示すことができます。そこで手段だった人間の被造物が、かえって人間の目的になりますね。だってそれで自己が実現できるのですから。だから人間はもちろん人間中心に生きているわけですが、同時に人間が作り出す物の為にも生きているわけです。そしてそのことに最大の幸福を発見できるのです。神と人間の関係もこれと同じなんです。

 これこそ素晴らしい統一原理だと思いませんか。統一協会も多宝塔だとか珍味とかを、原価の数十倍で売りつけて、暴利を貪る詐欺みたいなことはやめて、もっと素晴らしい信仰表現になるものを生み出し、それを販売すればいいんです。心を込めて良いもの造り、それをできるだけ安く売る精神でいけば、もっと感動を生み普及する筈です。

 

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