イスラエル十二部族の祖先
ともかくこれでイスラエル人はヤコブの子孫だということです。ヤコブの十二人の息子たちがイスラエル十二部族の祖先になるのです。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ゼルブン、イツカサル、ダン、ガド、アセル、ナフタリ、ヨセフ、ベニヤミンの十二人です。これに対してアブラハムとハガルの子イシマエルの子孫がアラブ人になりました。ヤコブの子孫とイシマエルの子孫が未だに兄弟争いを続けているのが、現代のパレスチナ問題なのです。
ところがエサウはカインとは違って、人間ができていました。ヤコブは相当自分が恨まれて当然なことをしたと思っていました。「兄のもとに着くまでに、七度地に平伏した。エサウは走ってきて迎え、彼を抱き、そのくびをかかえて口づけし、共に泣いた」のです。ほんとにドキドキしましたね。カインとアベルの悲劇の繰り返しでは運命論になってしまいます。それに正しい結婚のトーラーを説く物語ですから、ヤコブがエサウに殺されるのは不都合なのです。
結局、ヤコブは父を継ぎ、エサウはセイルの山地に移り住んでいます。彼らの飼っていた家畜が寄留地には多すぎたからです。ところで正しい結婚のトーラーにはヤコブとレアの一人娘デナの悲劇が残っています。ヒビ人の司、ハモルの子シケムがデナに惚れて、家に引き入れて辱めたのです。つまり手籠めにしたのです。そして父親同伴でヤコブのところへ結婚の申込みに来ました。
デナの兄たちは妹が汚されたことでカンカンです。それで騙して答えました。割礼を受けないものには妹はやれない。あなたがたみんなが割礼を受ければ、ヒビ人と結婚して一つの民になりますとね。ハモルとシケムは同意して、シケムだけでなく町中の若者はみんな割礼を受けたのです。ところが三日目になって、デナの兄シメオンとレビは町を襲って男子をことごとく殺し、死体を辱め、町を略奪したのです。もちろんハモルとシケムも殺され、デナは連れ戻されたのです。
肝心のデナの気持ちはどうだったのでしょう。少しも書いていません。確かに辱めを受けたから悔しかったでしょう。でもその後、シケムや父親ハモルは真剣に結婚を申し込んだわけですから、騙して皆殺しというのは酷すぎますね。もしもデナがシケムの熱い思いにほだされて、シケムを愛していたとしたら、これはとっても悲惨な物語です。
結婚のトーラーで、当人たちの合意というのは大切なのです。アブラハムはサラを愛していたし、イサクはリベカを愛していました。ヤコブはラケルを最も愛していたんです。相思相愛を神は祝福されますから、その間に生まれた子が世継ぎになったり、大活躍しました。力づくで奪うというのは決して許されなかったのです。そういうトーラーの物語だということです。
それからイスラエルの民は、特別の見えざる神の信仰に生きているわけですから、信仰を捨てないでは、別の民に同化できません。急にデナが好きになって結婚したいからといって、はいどうぞとはいかないのです。もちろん形ばかりの割礼で同化できるわけでもないのです。そういうことをはっきりさせる説話なんです。ただこの事件は明らかに過剰報復で、怒りに任せて、当事者以外の町の人々をも虐殺し、略奪しています。これでは異教徒、異部族を蔑視する選民思想の現れとしかいいようがありません。被害者のヒビ人はヤコブ達を恐れるあまり報復できなかったことになっています。やってることは砂漠の強盗団ベドウィン族と変わりがないのです。
まだこの時代はちゃんとした国家がなかったのです。だからそれぞれの勝手な判断で仕返しをしてしまいます。ヤコブだって、息子たちが犯した虐殺を道徳的には非難していません。こっちは少数だから襲われたらやられてしまうといって、迷惑だと諭してるだけなんです。まさしくホッブズのいう「万人の万人に対する戦争状態」ですね、これでは。
虐殺の張本人シメオンとレビについては、ヤコブは後でこう言ってます。第四九章、第五節「シメオンとレビとは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。」
正しい結婚、間違った結婚なんてあるのでしょうか?イスラエルの血統と信仰をまもる為の同族結婚が正しい結婚で、それを軽んじれば、祝福された結婚にはなれないといいます。ということは血統と共通の信仰を重んじる正しい結婚をすれば幸福になれるというヘブル人の処世訓が、『バイブル』に表現されているということでしょう。
現代の結婚は何によって祝福されるのでしょう。宗派や思想が違っても、幸福な家庭は作れるのでしょうか。経済的な安定の確保こそ正しい結婚の条件なのでしょうか?私もフォーリンラブの勢いで若すぎる結婚をしました。そのまま経済的な条件が整えられずに、未だにきちんとした定職には就けないでいます。でもあの時、結婚していなければ、おそらく二人は結ばれず、三人の子供たちもこの世には存在していません。