夢見るヨセフの物語

 わたくしの少年時代にソ連のスプートニク一号が軌道に乗りました。宇宙時代の幕開け です。きっと近い将来に月や火星や金星に人が住み、自分たちも宇宙旅行ができるように なると信じていました。ところが科学技術の進展は遅々として進まず、不本意にもわたく しの五十年間の長屋暮らしは変わっておりません。いろいろ便利なものができていても、 暮らし向きに大差はないのです。

  そして資本主義の不況・失業などの矛盾は相変わらず厳 しいものがありますし、ソ連などの現存「社会主義」は人権無視の恐怖支配のせいで人々 のやる気を引き出せず、腐敗堕落して大崩壊を遂げました。しかし世界市場の統合によっ て、経済のグローバル化が進み、世界は国民国家の近代から世界統合の脱近代へと大きく 転換しようとしているのです。宇宙船地球号の乗組員の自覚を持って、環境・資源・食糧 ・安全保障などの人類的課題に取り組む熱い夢を息子たちの世代に持って欲しい、これは 父としての若者たちへのメッセージです。

  最愛の妻の子が大活躍するというのも、家族の広い意味でトーラーに含まれるのです。 だから夫婦は心から深く愛し合って結ばれ、愛の結晶として子を作らなければならないと いうことです。大変感動的な面もありますが、最愛の妻以外の妻の子にとっては残酷なト ーラーですね。そこで偏愛への戒めのトーラーも含まれるのです。こういう『バイブル』 の教えは、夫婦の愛が冷めたらあっさり離婚するという欧米人の行動様式に無意識的に影 響を与えているかもしれません。

  その最大の見本がヤコブの最愛の妻ラケルの長男ヨセフの物語です。彼は父の偏愛を受 けたため兄弟に憎まれ、売り飛ばされてエジプトで奴隷になりますが、神がついていて夢 判断でエジプトの危機を救い、宰相に取り立てられます。そして飢饉で苦しむ家族をエジ プトに迎えました。それでヘブル人はエジプトで繁栄して増加することになったという英 雄伝なのです。ここには家族のトーラーとして親の偏愛についての戒め、兄弟愛の大切さ の教訓などが盛り込まれています。そして兄弟の愛憎物語の中に神の巧智が働いて最終的 にはイスラエルをエジプトの中で増やし、後の出エジプト・カナン入植の大スペクタクル のお膳立てが整えられるのです。

  ヤコブは最愛のラケルの息子ヨセフを偏愛しました。ヨセフが十七歳の時に、ヨセフに だけ長袖の着物を作ってやったのです。それで十人の兄たちはヨセフを憎んでつっけんど んな言い方しかできなくなったのです。  ところでヨセフはよく夢をみました。そしてその夢の話を兄達にするとよけいに憎まれ るのです。だってそれが兄達には腹が立つ夢なのです。

  「畑でわたしたちが束を結わえ ていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると兄さんた ちの束が周りに集まってきて、わたしの束にひれ伏しました。」「太陽と月と十一の星が わたしにひれ伏しているのです。」いかにも家族の中でヨセフが出世して、両親や兄達 がヨセフを拝むという内容です。

  夢は潜在意識の中にある願いや恐れが、意識に浮上してくるんだと思われますから、生 意気だと思うのは当然です。シケムで羊を飼っている兄たちの元に父から遣わされたヨセ フを、兄たちは殺して獣に食べられたことにしようと相談したのです。でもルベンが殺す のには反対して、穴に投げ込もうと提案したのです。後で救い出すつもりだったのです、 ルベンはね。ところがそこに運悪くイシマエル人の隊商がやってきたのです。そこでユダ が兄弟を殺すわけにはいかないから、ヨセフをイシマエル人に売ろうと言って、結局銀二 十シケルで売ってしまったのです。兄たちはヨセフが獣に襲われたように細工して、父を 騙しました。

  弟を殺すとか売り飛ばすとか、なんてひどい連中なのでしよう。デナの件では町を蹂躪 して大虐殺をしたばかりで、今度は弟を売り飛ばしたというわけです。ソドムの住人と大 差ありませんね、これでは。これが神に選ばれたイスラエルの息子たちというのだから呆 れますね。

  そうなんです、でもそこが第三者的にみれば大変身勝手きわまりなくても、当のイスラ エルの民にとっては大きな慰めになるところです。つまりイスラエルの民は自尊心が強く て、自分たちだけが神に選ばれていると思い込んでいます。でもやっぱり普通の人間なん です。他の民族の民と違いはありません。寄留民の生活だけに争いにも関わりがちで気性 も相当荒くできていました。たくさん問題を起こすのですね。だから余り先祖の説話を敬 虔で躾のよく行き届いた、優しく善良なように描いたのでは、現実の自分たちとギャップ が大きく成りすぎるのです。それでは自分たちが神に選ばれ、守られているという確信が 持てなくなります。ですからむしろ正直に描いた方が身近に感じていいんのです。兄を騙 して家督を奪ったり、怒りに任せて人を殺したりする、弟だって売り飛ばす、そういう不 良として描いているのです。そういう連中だって神に選ばれ、守られていたんだから、わ れわれだって守ってくださるに違いないということになるでしょう、それが狙いです。

  でもそういう考えだと、トーラーを守らなくてもいいことになっちゃって、逆効果です ね。だからそうは簡単には土地も獲得できないし、イスラエルの栄光もこないのです。神 は辛抱強く何千年でもトーラーの成就を待たれるのです。  さて、話を続けます。ヨセフはエジプトのファラオ(王)の侍衛長ポテバルに買い取ら れました。ポテバルは神がヨセフについていて、なんでもヨセフがするとうまくいくので 、とうとうヨセフに家政を任せてしまいます。ところが、主人ポテバルの妻がハンサムな ヨセフに目をつけて、不倫を強要しようとしたのです。ほら、据膳食わぬは男の恥なんて いいますね、普通の男ならつい負けてしまうかもしれません。

  でも彼は清廉な青年でしたから、好きでもない女から迫られると気持ち悪かったのでし ょう。それでね、どうしてもヨセフが拒絶するものですから、彼女は逆恨みして、ヨセフ が彼女にいやらしいことをしようとしたと夫に訴えたのです。おかげで、ヨセフは王の獄 屋につながれたのです。そういうの「可愛さ余って、憎さ百倍」って言います。 

 それでね、その獄屋で王の給仕役や料理役と一緒になり、彼らの夢判断をしました。そ の夢判断通りに給仕役は元の地位に戻され、料理役は木に吊るされたのです。給仕役はヨ セフを牢から出すようにファラオにとりなす約束をしてたのに、それをすっかり忘れてて 二年たってしまっていたのです。でもファラオが不思議な夢を見て、その夢判断をだれも できないで困っていたので、給仕役はやっとヨセフを思い出したのです。ヨセフが三十歳 の時、ファラオの為に夢判断をすることになったのです。

  ファラオがヨセフに告げた夢の内容はこうです。肥えた七頭の雌牛が葦を食べていた後 に、痩せた七頭の雌牛が登場して、元の七頭を食いつくしましたが、相変わらず醜く肥え ていたという夢と、一本の茎に七つの良い穂が出ましたが、その後、痩せた七つの穂が出 て元の良い穂を飲みつくした、という夢なのです。ヨセフはこの夢は、これから七年の大 豊作が続いた後、七年の大凶作が続いて、備蓄がなくなってしまうというお告げだと、見 事に夢を解読したのです。それでファラオに至急賢人を探し出して、エジプトを治めさせ 、豊作の内に五分の一の産物を取って、備蓄しておけばなんとか凌げますと忠告してあげ たのです。

  あまりの夢判断の見事さと事の重大さにファラオは仰天しました。この事態を乗り切る には、神がついていて夢判断ができたヨセフが国政を執る以外にはないとファラオは決意 したのです。ファラオは地位こそ象徴的に王位にとどまりますが、政治の実権はすべて譲 るから、この危機を救ってくれるようにとヨセフに頼んだのです。こうしてヨセフは奴隷 に売られましたが、夢判断のオカルト的な能力でエジプトの支配者に成り上がったのです 。これは神に守られていればどんな境遇になっても、その境遇を活用して大成功を収める ことができることを示しています。 

 まるで夢みたいな、夢のお話ですね。でも未来のことが夢で分かったらいいですね。と ころであなたは夢に見たとおりに現実が起こる正夢を見たことがありますか?わたしなど 最近は悪い夢をみたら、その通り悪い結果になるくらいで、いいような結果になる夢を見 て、現実にも大成功したなんておめでたいことはここ数年ありませんね、残念だけど。と ころでファラオの側近にユダヤ人がいて、その人が呪術や夢占いの技術を使って統治して いたことはあり得るかもしれません。

  このヨセフの夢判断には神がついています。神のスケジュールに従って行われたのです から、もちろん百発百中です。実際に七年の大豊作の後、七年の大飢饉が来たのです。で もエジプトはヨセフの統治のおかげでなんとか持ち堪えました。この飢饉はエジプトだけ でなく、全地に広がりました。もちろんカナンにもね。 

 そこでね。エジプトにはまだ穀物があると聞いた、ヨセフの兄たちが買い付けにやって 来ます。ヨセフは兄たちとすぐ分かりますが、兄たちはヨセフのことは気付きません、だ ってすっかり大人に成ったし、立派に成って変身したものですから。さあー、複雑なのは ヨセフの気持ちです。懐かしい気持ちもあるけど、自分を殺そうとしたり、奴隷に売り飛 ばした仇でもあるわけでしょう。だから昔の過ちを反省しているかどうか調べてやろうと 思ったようです。 

 そこでヨセフは、兄たちを取り調べて、おまえたちはスパイだろうと言うのです。そし たら自分たちは十二人兄弟で末の弟はカナンに父と一緒にいます、もうひとりはいなくな りました、と素性を明かしました。じゃあその末の弟を連れてきなさい、その間、ひとり は監禁所に残りなさいと命令しました。その時、シメオンが捕らえられ、穀物をたくさん 買って帰るんだけど、支払いに渡した筈の銀の袋がそっくりあるのです。それで今度は兄 たちは、泥棒の罪も背負わされると恐れました。

  ところでヤコブは末の弟ベニヤミンも偏愛していたのです。だって彼も最愛のラケルの 子だったからです。だから穀物を食いつくすまでエジプトには行かせなかったのです。で も食糧がつきたので仕方なく、ベニヤミンを連れて、贈り物や倍額の銀を携えてエジプト に行くことを認めました。

  するとヨセフは恐れる兄や弟を家に招いて歓待したのです。そしてたくさんの食糧と銀 を与えて帰したのです。これでおしまいじゃ、兄弟や親子の名乗りをしていないから、物 語になりませんね。ところでヨセフは弟を窮地に追い込んで、兄たちがどう反応するかを 見て、兄たちがヨセフに対する仕打ちをどれだけ反省しているか試そうとします。銀の杯 をベニヤミンの袋にいれておいて、自分の家司に捕らえさせるのです。そしてベニヤミン を罰として奴隷にするって脅すのです。そうすると兄たちにすれば、かつてはヨセフを売 り飛ばして父を悲しました、その上、こんどはベニヤミンまで失うと、父は死んでしまう と思ったものですから、ユダは自分をベニヤミンの身代わりにしてくれるように頼んだの です。

  兄たちが自分たちの過去の罪を反省しているのが良く分かったので、ヨセフは感極まっ て、自分があなたたちの兄弟のヨセフだって打ち明けます。そして兄たちが自分を奴隷に 売り飛ばしたのも、自分を先にエジプトに行かせる為の神のはからいだったと、慰めてあ げるのです。こうしてヨセフは一族をカナンから呼び寄せエジプトに住まわせたってお話 なのです。これは次の「出エジプト記」の前置きになっています。

  イスラエルの一族はヨセフの権威のおかげでエジプトで優遇されましたから、富み栄え て人口がどんどん増えたのです。これが後にエジプトにとって脅威と感じられました。そ れで圧迫されることになったのです。 

 ヨセフの神がかりの活躍話はとっても波瀾万丈、痛快無比というかんじでおもしろいの ですが、ところでこのお話、何がテーマなのでしよう。もちろん「出エジプト」説話の前 置きとして作られたものかもしれないけど、家族関係の律法を物語にしたものでもあるわ けです。「創世記」全体がトーラーなのですから。

  イスラエルには神がついているのだから、しっかり信仰して、力強く生きていけば必ず 守って下さるということが最大の律法です。それから子に対する偏愛を戒める物語でもあ ります。兄弟愛の大切さと難しさを諭しているとも言えますね。また兄たちの罪は最後に は露見するわけで、罪を隠しおおすことはできないという律法でもあります。

  ところでヨセフの統治は神がついていたにしては良心的とは言えません。飢饉を利用し て、だから人に弱みにつけこんで、食糧を国民に買わせ、財産が尽きたら、家畜と食糧を 引換えにし、さらに土地と食糧を引換えにするという形で、祭司を除くすべての国民をフ ァラオの総奴隷化してしまうのです。そして収穫の五分の一を租税にしました。何かすご い大改革をやったって感じですね。恐ろしい男じゃないですか?

  ヨセフの改革は東洋専制国家の完成と言えるかもしれません。マルクスの用語では総体 的奴隷制と呼ぶのです。公地公民の制に基づく班田収授の法なんて律令制度であったでし ょう、日本の古代でも。ともかくそれを飢饉を利用した商業的な取引で成し遂げたという のはすごい手腕です。でもこれがエジプトの人民にとって良い改革だったかどうかは大い に問題があるでしょう。それにモーセの実在性にも疑いがかかっているのですから、ヨセ フやその大改革についても、エジプトの土地制度をユダヤ人の手腕の結果と思わせる為に 物語に含めたということも考えられます。

  「創世記」は人類の始まりの叙事詩であり、家族のトーラーでもあります。「神」と名 付けられたものは愛と希望の光、固く結び合う部族の絆に他なりません。いかなる苦難を も耐え抜き、一族が生き残る道を求めていくには、時として厳しい試練を乗り越えていか なくてはならなったのです。偶像に頼る事を拒否して、愛と団結の力をこそ頼みにすべき なのです。そうすれば常に神はリフレッシュされてイスラエルの叙事詩を奏でてくれるの です。

 

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