蛇と女への判決
禁断の木の実を食べてしまったふたりは、神に出会うのを恐れ、木に隠れます。でもそのことでかえってばれてしまい、エデンの園の裁判になりました。これが人類史上最初の裁判です。裁判官はもちろん神、被告はアダムとエバと蛇。この被告達は例によって「秘
エバだってひどいですよ。「蛇が騙したので、食べてしまいました。」蛇は別に騙した
蛇には弁解は一切言わせません。片手落ちですね。蛇から判決です。「このようなことをしたおまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で、呪われるものとなった。おま
蛇はすごくシンボリックな動物です。衝動的で抑えきれない欲望を表現しています。その意味で、アダムとエバとは別の第三者というより、彼らに心の奥にとぐろを巻いている欲望の衝動を象徴する蛇なのです。それが罪を犯させるんです。人間の悪い心、この場合は神に背こうとする心です。これを神が超越的な正義の立場から、フロイト的にはスーパー・エゴから抑圧しているんです。ところが人間の欲望は止めようもなく禁断の木の実に向かっていきます。だって、それ以外はもう食べ飽きていますからね。ほとんど他のものでは食欲は湧きません。
まだ、エデンの園の食糧が不足がちならよかったんです。手に入れる苦労があれば、や
それはアダムやエバにとって自分自身の悪を外に出して、この外化された自分の悪によってかえって支配されることを意味します。ですから自分で自分を疎外する自己疎外の一種なんです。ということはサタン(悪魔)は神から離れようとする、人間たちの悪が生み出した、悪の結晶みたいな存在だということです。もちろん宗教は、善や愛の固まりとしての神や、悪や憎しみの固まりとしてのサタンを、人間から独立し、それ自身で存在するような超越者の姿で捉えるんです。でもみんなある程度は、神や悪魔が人間の心の有り方を、外に出して他者として捉えたものだと知っています。だから神は愛だとか、心に悪魔
また次のような仮説も成り立ちます。大和の三輪山の御神体は白蛇です。アテネ人の祖先神も下半身が蛇だったって神話にあります。蛇っていうのは割に信仰の対象になっています。でもヘブライズムではそういう自然物を神するのは禁止されています。だから異教の神に対する白眼視が、蛇が神に呪われているという説話の元にあるんじゃないでしょうか。
蛇は地をはい回るので、大地の象徴です。土を耕すように見えるので豊作の象徴でもあります。それで未開部族では蛇をトーテム動物として崇拝している部族も多いのです。ところがユダヤ人の祖先であるヘブル人達は、どうも自分の土地を持たないで、異部族の土地の一部に寄留して、砂漠の強盗団ベドウィン族の襲撃から守ってあげていた少数部族だったらしいのです。相手の部族の事情次第であちこちと流浪していた半流浪の民で、だから土地と結びついた信仰を持てなかった事情があったようです。定住部族はたいがい大地母神や河の神を祭っているし、トーテム動物には蛇を祭っていた部族もあったでしょう。
ともかく定住する土地が欲しくてたまらなかったので、それだけ異部族やその神に対する
次は女エバに対する判決です。「おまえのはらみの苦しみを大きなものにする。おまえは苦しんで子を産む。おまえは男を求め、彼はおまえを支配する。」確かにお産は、女が損ですね。二人の共同の子なんだから、同じだけ苦しむべきです。それを女ばかりえらい目に逢わされるなんて納得できないのでしょう。それを女が率先して罪におちたからっていう作り話で、女ばかりお産で苦しむようにするなんて、余計に腹が立つでしょうね、女の人達は。「創世記」を書いた人はどうせ男なんです。女の負担をできるだけ協力して軽くしてやろうというのではなく、女自身の罪の報いだと言いくるめようとしていると
エバが蛇の誘惑に乗って、アダムはそれに追随しただけだっていうのは、全くの作り話です。でも『バイブル』という宗教的権威で語られると、否定すれば信仰心まで疑われることになるので、実害があります。またこの叙述を根拠に女が誘惑に弱いとか、情緒的で理性的判断力に欠けるというのも、問題です。もちろん出産・保育に関して男と女の分業がある程度必要なのはわかりますが、そこから男の女支配を正当化してしまうのは飛躍です。女と男がどんな分業関係を結べばよいかは、それぞれの社会の文化の有り方にも左右されることですが、人格的に平等なパートーナーシップを前提にしないと、女は常に抑圧
女は情緒的で誘惑に弱く、罪に陥り易いって決めつけておいて、だから理性的な男が保護監察してやらなければならないって、堂々と開き直る男っているでしょう。こういうような決めつけが、女性差別を助長しているのです。世の中には酒や博打で身を持ち崩したり、すぐ情緒的におかしくなってトラブルを頻発する男だって一杯います。どっこいどっこいですよね。女を家庭内に縛りつけておいて、社会的な経験も積む機会を持たさなければ、女が情緒的な性格になっちゃうのは当然でしょう。だからこの差別は悪循環になってるので、ここらで断ち切らないといけません。これからの社会では、女にもしっかりして