フェティシズムへの神の反撃

  最近フェティシズムについて考えていますと、神が人間に対して怒っている最大の原因がフェティシズムではないかと思うようになりました。これは石塚正英の研究に刺激されてのことなんですが、ド・ブロスによりますと、フェティシズムではフェティシュ(物神)を崇拝するだけでなくて、フェティシュに願をかけてその願いが聞き入れられないと、フェティシュを攻撃したり、破壊したりするんです。ノアの時代はおそらく原始的なフェティシズムが全盛だったのでしょう。そうすると神からすれば人間は極悪非道だという気持ちになるのも分かりますね。しかも誇り高い超越神ヤハウェにすれば、神を物の塊に貶めて信仰しているのですから、プライドが許せません。そこで神の怒りが頂点に達して大洪水になったということです。

 超越神信仰自体が、フェティシズムに対する反省から起こったということも考えられます。人間の側から物神に対して同情し、感情移入したのです。物神は人間共の身勝手な攻撃、いじめに耐え抜いてきたのです。それで物神という神のあり方から脱皮して、神は自分の本当の姿は物ではないし、物に宿る霊でもない、自分はあらゆる物から超越した神だと主張したのです。そして神を物として崇拝し、攻撃し、破壊してきた人間に敢然と報復することになったのです。もっと情緒的な言い方をすれば、神は余りにひどい人間どもの仕打ちにとうとう泣きだしたのです。泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて・・・・とうとう大洪水になってしまったんです。ディック・ブルー ナの絵本だとそこで人間は魚になっちゃえばよかったんですが、そうもいかないんで、ノアの家族を除いて全滅ですね。

        

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