「バベルの塔」とコミュニズム  

 ノアの子にはセム、ハム、ヤペテがいて、彼らから世界の民族が枝別れしていきます。洪水の後、またノア家という一家族からどんどんねずみ算式に人口は増えていくんです。彼らはバビロニア地方のシナルに町を造って、一緒に住もうと考えていたんです。そこで彼らは協力のシンボルとして、巨大な塔を建てることになりました。

 第一一章「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地に散らされることのないようにしよう。」・これが天に届く高さの塔を建てようとした「バベルの塔」説話なのです。とても記念碑的ですばらしいことのように思えますが、神はかえって不安になりました。放っておくと何をやりだすか分からないということです。

 「主は降って来て、人の子らが建てた塔のあるこの町を見て、言われた。『彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。」

 ところで皆さん、「大きなかぶ」って共産主義の話だと思われますか?大きなかぶを抜 こうとして、みんなで力を合わせるロシアの説話です。これはみんなが力を合わせれば、どんな難しい大きな仕事でもできる事を表現しています。だから共産主義の宣伝だって決めつける人がいたんですって。それで小学校の国語の教科書に乗せるなって圧力がかかったことがあったそうです。だから「バベルの塔」を造るのを止めさせた神って、共産主義が嫌いなのかなって思いますね。

 みんなで協力し合ってやっていこうというのが、コミュニズム(共産主義)の語源なんです。だから「協同主義」という訳語でもよかったんですね。語源的にはたしかにコミュニズムですね、「大きなかぶ」の話は。神戸大震災でボランティアが大活躍しました。どんな社会でも協力精神というのは大切ですから、こういう広い意味のコミュニズムは学校でも教えるべきなんです。

 人間が協力し合って何かをしようとすれば、言葉さえ通じれば、どんな大きなことだってできるんだということなのです。でも神は人間たちが大きなことをするのを恐れていました。「天に届く塔」を建てるという野望こそ、神への挑戦だと写ったのです。不可能を可能にし、人間の限界に挑戦して、神を目指してどこまでも迫っていこうとする迫力に、この神はびびっているんです。それだけ人間たちが心を一つにして協力しあえれば、どんなことでも成し遂げられそうに見えたのです、神にまで。それぐらい巨大な事業だという自負があったのでしょうね。

 ここでも神を人間の目標とみなすヒューマニズム的神観念が現れています。一人ではとてもできないようなことが、分業と協業を組み合わせることによって、何百倍、何千倍の生産効率を上げれるようになっているんです。アダム・スミスの『諸国民の富』ではこの事を強調しています。でも自分が造った人間たちが、「天に届く塔」を造って天に近づいて来るって事、どうして素直に喜んでくれないのでしょう。だって人間たちは神を慕っているから塔を造ったのにね。

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