第三節 客観的実在論とパースの観念論の立場

                     一、仮説としての「客観的実在」

 生理的な表象の対象化を感覚的な内的世界それ自体の法則で説明するのか、外的事物の顕現として捉え、事物の客観的法則を探究して、それによって現象を説明するのかは世界観の問題です。どちらが正しいか、ここで決着を簡単に付けられるような生易しい問題ではありません。パース自身は彼の「科学の方法」に基づいて、客観的実在としての事物を前提しているのです。

 「ある実在物があるということを、お前はどうして知るのかと問われるかもしれないが、『ある実在物がある』という仮説が私の探究の方法の唯一の支えである限り、この方法をその仮説の支えに用いることはできない」。It may be asked how I know that there are any Reals. If this hypothesis is the sole support of my method of inquiry, my method of inquiry must not be used to support my hypothesis.

 
つまり実在の事物の存在は、認識内容が正しいかどうか確かめて、信念を固めるための大前提だから、これを疑っては、何も信じられなくなるので疑うことはできないというわけです。それにみんなそれを信じる事でうまくやってきたのだから、きっと誰も本気には疑っていないだろう。私は全く疑う必要を認めないから疑わないが、本当の疑念を抱く人は勝手に疑いなさい、と言い放っています(71頁〜72頁)。ジェイムスやフッサールは本格的にこれを疑ったわけです。

        二、へーゲルの影響とパースの観念論

 ただし客観的実在として事物を捉えることに伴うアポリア(困難)を、パースは深刻に受け止めていました。思考は事物を一挙に完全には認識できませんし、かといって原理的に認識できない事物も実在とは言えません。デカルトのように直観によって媒介的な思考を伴わずに観念が与えられるとしたり、カントのように理性に限界を定め、原理的に認識不可能な実在領域を設定するのは納得できなかったのです。むしろへーゲルのように思考の発展によって、真理が展開されていく方が実在の認識に相応しいと考えたのです。

 でもへーゲルに対しても不満があります。へーゲルは客観的実在としての事物を思考の疎外態と見なしていましたから、思考による事物の揚棄が目指されており、思考と事実の一致という「科学の方法」には適っていないのです。

 パースはへーゲルから観念論を学びました。それでパースは観念論者を自認していますが、その独特の意味合いを了解しておいてください。アリストテレスは個物が実体だとして、プラトンのイデア論を批判しましたが、その際、個物の不可欠な属性として形相と質料を挙げました。形相はその事物の種類を示していて、概念あるいはイデアと考えてもよいでしょう。質料はその事物のマテリー(材質)に当たります。実在である以上必ず何かから出来ていなげればならないという意味です。ところでこのマテリーも何等かの事物であるわけですから、やはり形相と下位のマテリーを持ちます。下位のマテリーも同様ですから、最下位のマテリーが第一質料として規定されないアルケー.(原基)だとされるわけです。

 自然全体がマテリーとしての統一性を有することを強調する観点がマテリアリスムス(質料主義)と呼ばれています。唯物論もマテリアリスムスの訳語ですから、唯物論者は質料主義者だと誤解されがちです。パースは規定されない、従って原理的に述語づけのできないマテリーを実在と認めるわけにはいきませんから、マテリアリスムスには反対なのです。それに対して事物は実在である限り規定され思考される概念的存在でなげればならないという意味で、イデアリスムス(観念論)に賛成しているわけです。

                                             三、概念実在論と質料主義批判

   実はこのイデアリスムスとマテリアリスムスの対立は、中世スコラ哲学の最大の論争であった普遍論争の再燃の性格を有していると言われています。普遍実在論と唯名論の対立です。

 普遍実在論は概念実在論ともいわれイデアや類概念の実在として事物や現象を把握します。例えば「人類」はアダム以来我々までの総体として実在であるわけです。これを認めないとアダムの堕罪が原罪として後世の人々にのしかかったり、それに対するキリストの贖罪が成り立たないと主張されたのです。

 それに対して唯名論ですと、概念は実践的な区別の必要から機能的に付けられた名前に過ぎないとしたのです。つまり人間の思考によって付けられた区別は、実在的な事物それ自体の区別である筈がないということです。「犬」という概念があり、それに当てばまる事物がありますと、その事物は全体として犬の概念の実在だと考えるのが実在論ですが、唯名論ではその事物の幾つかの特徴的な働きに犬と名付けているだけで、その事物自体は犬である以外に実在として測り難いマテリーであると捉えます。もちろんパースは、唯名論の救い難いマテリアリスムスを退け、断固として概念実在論としてのイデアリスムスを支持します。

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