世阿弥の謡曲にみられる宗教思想
            
   

                                   やすいゆたか著

1.『藤戸』―英雄盛綱に騙し討ちされた漁夫


海の道教えし漁夫の欺かれ龍と化わりて怨み果たすや

 『藤戸』とから紹介する。ワキは佐々木三郎盛綱である。彼は源平合戦の藤戸の戦いで、馬で海の浅瀬を渡り、平氏を敗走させた際に、見事に先陣の功を立てた英雄である。その功により、児島を賜り、領主としてやってきて、島民から訴訟を受け付けることになった。

 訴訟に来たのが 前シテの漁夫の母である。実はこの母の息子が盛綱に平家が陣を張っていた島に渡る浅瀬を教えたのだが、情報が漏れないようにするために、盛綱に殺されてしまったのである。

  それで母は「息子を返してくれ」と盛綱に詰め寄ったということだ。盛綱は戦の判断で仕方なく殺したので、菩提を弔い遺族の面倒を見るから、あきらめてくれという。後半は後シテに彼に殺された漁夫の霊がなる。怨霊は恨みを晴らそうとするが、仏法で菩提を弔われて成仏するという話である。

  漁夫にすれば、盛綱が馬で海を渡って敵陣を攻撃するという前代未聞の奇策で大手柄をあげ、児島を領地に賜ったのもすべて自分のお陰であって、どんな褒美でももらえるぐらいなのに、恩を仇で返したその恨みは深いのだ。だから水底の龍になって復讐しようと思ったが、ところが弔われて成仏してしまったのである。そのさわりを引用しておこう。

地「思の外に一命を。召されし事は馬にて。海を渡すよりも。これぞ稀代の例なる。さるにても忘れがたや。あれなる。浮洲の岩の上に我を連れて行く水の。氷の如くなる刃を抜いて。胸のあたりを刺し通し。刺し通さるれば肝魂も、消え/\と。なる所を。其まま海に押し入れられて。千尋の底に沈みしに。
シテ「をりふし引く汐に。
地「をりふし引く汐に。引かれて行く波の浮きぬ沈みぬ埋木の岩の。はざまに。流れかゝつて。藤戸の水底の。悪龍の。水神となつて恨を為さんと思ひしに。思はざるに。御弔の。御法の御船に法を得て。即ち弘誓の。船に浮べば。水馴棹。さし引きて行く程に。生死の海を渡りて願のまゝに。やす/\と。彼の岸に。いたり/\て。彼の岸にいたり/\て。成仏得脱の身となりぬ成仏の。身とぞなりにける。

  この謡曲のテーマをどう解釈すべきかは難問である。盛綱の手柄は、浅瀬を教えてくれた情報提供者を残忍にも殺し、恩に仇で報いたという悪行を伴っていた。だから英雄盛綱は実は悪い奴だったと暴露しているとも受け取れる。 だが情報提供者の口を塞ぐためには殺すしかなかったというのが盛綱の判断である。作戦を成功させるためには必要不可欠だった、平氏討伐という大義のためには敢て鬼になることもやむを得ないと盛綱は言いたいのだ。この判断が間違っているとは、部外者にはなかなか判断しかねるところである。

  それでは世阿弥の立場はどうか、それは盛綱が漁夫の菩提を弔って成仏させたという結論によって示唆されている。つまり盛綱の悪行は悪行だが、それによってしか平氏討伐ができないのなら、地獄行きは覚悟で悪行を行うしかない、悪によって善が行われるから、「善悪不二」「邪正一如」で、彼の行く極楽は地獄にこそある。漁師も恨みを懐いたまま自らが平氏滅亡に大なる貢献をしたことで人生をよしとせざるをえないのである。

  だからあるがままで仏であるという、煩悩即菩提の立場が打ち出されているのである。煩悩即菩提とは煩悩の中にこそ覚りがあるという立場である。恩を仇で報われ殺されてしまった不条理すら、そのまま絶対肯定されているというので、この日本仏教の無批判的な立場は容認できないとする袴谷憲昭らの「批判仏教」による批判もある。(袴谷憲昭『本覚思想批判』大蔵出版、1989年)袴谷に言及しながら末木文美士は『日本仏教史』(新潮文庫、172頁)で「その現実肯定主義を無批判に賛美するのはきわめて危険なことである」と釘をさしている。

 「不殺生戒」を第一の戒に置く本来の釈迦仏教の立場では、煩悩のなせる悪行として戦争を捉え、戦争から遠く離れて生きてこそ悟りの道だということだろうが、世阿弥にとっては戦の世に生き、騙し騙され、殺し殺される中で恨みのあまりに死ぬに死に切れない怨霊の魂の救済こそ何より問題なのである。まさしく「はじめに」で取り上げたイラクで首斬られた韓国人青年の魂の救済こそが問題だったのである。

 それだけの怨みがあれば、到底救済は無理だから、恨みを晴らしに化けて出て大いに祟ればいいのだという者もいるだろう。あるいは死んだのだから魂は断滅した。だから存在しない魂の菩提などナンセンスと割り切る立場もあるだろう。

  しかしその時代には次々の忌まわしい出来事が起こり、それを祟り以外のことで説明するよりも、祟りとして説明する方が分かりやすい事態になっていたのである。また魂の断滅と言っても、あまりに死に様が無残だと生き残っている人々にとっては、怨みを呑んで死んだ人々の思いが離れないのだ。それは加害者にも被害者の近親者にも言えることである。だから魂の断滅論で割り切ることはできなかった。

  人間は一人づつ何か大切なミッション(使命)を背負って生まれてくると仮定しよう。そのミッションが果たせればその人の人生は、輝くのである。キム・ソンイルは一人一人の命はかけがえのないたった一つの命であり、その命を奪うのは不当だというメッセージを全人類の胸に命がけで刻み込んだ。

 「I don’t want to die!」ほど普遍的なメッセージはないし、そのメッセージが全人類の胸に痛く響いたのは、今まさに首斬られる人の叫びだったからである。このメッセンジャーが彼のミッションだったとすれば、彼は実に効果的にミッションを果たせたし、この最期によって彼の悲惨だった人生全体が聖化されたのである。

  このメッセージを受けて我々一人一人が個人の生命を尊び、不条理に生命を奪っていく戦争やテロを撲滅しなければならない。そうしなければキム・ソンイルは浮かばれない。逆にそうすることによってキム・ソンイルは命の大切さを伝えて、戦争やテロを根絶したヒーローとして語り継がれるのである。

  盛綱に騙されて殺された漁夫はどうか、盛綱が漁夫を殺したことを隠蔽しても、念仏を唱えれば漁夫は成仏してしまうということではないようだ。

ワキ詞「あら不便や候。今は恨みてもかひなき事にてあるぞ。彼の者の跡をも弔ひ。又妻子をも世に立てうずるにてあるぞ。まづ我が屋に帰り候へ。いかに誰かある。余りに彼の者不便に候ふ程に。さま%\の弔をなし。また今の母をも世に立てうずるにてあるぞ。そのよし申し付け候ヘ。

 「彼の者の跡をも弔い」ということには、彼が殺された事情を明らかにするということが含まれている。その上で妻子に補償をして暮らしていけるようにし、罪滅ぼしをして、その功に報いるというのである。

 もし盛綱の判断が正しくて、漁夫を殺す必要が勝利の保障であったのなら、漁夫はいくら口惜しくとも、その廻り合わせの不運に甘んじる他ないのだ。「藤戸の戦い」の勝利は、奢れる平家を滅ぼし、新しい時代を切り開いた輝かしい勝利であった。そのために一身を犠牲にして貢献した漁夫の名誉は不滅であり、彼の人生は偉大だったといえるかもしれない。 彼を騙まし討ちした盛綱より偉大とも言えないことはない。なぜなら盛綱が漁夫を殺す必要を感じたのは、漁夫が信用できなかったからであるが、それは漁夫の人格的な欠点というより、盛綱の猜疑心のせいとも考えられるからである。

  ともかく漁夫殺害を明るみにすることで、歴史の真相が分かり、漁夫の尊い犠牲が浮き彫りになった。そのことで漁夫のミッションが成就され、不滅となったのである。もちろん漁夫にすれば、そんなことは自分にとっては第二義的で、漁夫として家族とともに海に生きることにこそミッションがあったと言いたいかも知れない。その想いは水底に無理やり沈められたままである。

   しかし人生はどんなきっかけで急転直下、最期になるかもしれない。その時点で見直すしかないのである。個人の人生設計とはかけ離れてしまっても、それは不運としか言いようがない。個人も社会や歴史の中で生きている、そこから与えられるミッションで納得するしか魂は救われない場合もあるのである。盛綱を怨み続けても、彼の遺族が幸福に暮らせるわけではない。もし魂が不滅とすれば、漁夫にとっては自分の亡き後の遺族の幸福も考えざるを得ない、怨みだけに執着することもできないのである。

   そこで世阿弥の能でこの怨みを明るみにしてもらい、戦争の不条理、盛綱の背信と裏切りを舞台に載せてもらうことで、漁夫の想いも晴れるのである。能はこのように鎮魂の効能があり、祟りを防ぎ、世の中に平穏をもたらし、精神の安定と長久をもたらすと信じられていたのである。 もちろん能は芸術だから、個々の作品は具体的な個々の人物や事件に関して鎮魂するに止まらない。それが表現している全ての類似的な人々や事件に対しても効能があるということであろう。

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