『新しい天使』
急に意識が白けてきて、眩しい光に目覚めた。
なんと榊周次は路上で寝ていた。あーあ、俺も落ちるところまで落ちたんだ。
これは上原隆『友がみな我よりえらく見える日は』の世界である。元芥川賞作家だってローソンで残飯漁りをやっているそうだ。榊は自分が何時からこんな生活に落ち込んだのか、まるで覚えがなかった。髭はぼうぼうだし、三つ揃えのスーツも真っ黒でぼろぼろである。
過去に覚えがないというのは、ひょっとしたらこれは現実ではなく、夢なのかもしれない。彼はそれを確かめるために家に向かって、十キロほど歩いた。寒さが身に沁みるし、空腹がこたえ、足が重くて引きずるようだった。それらはみんな生々しい現実の証である。古い五軒長屋の借家があったところには大きな新築マンションに変わっている。
そういえば建て替えで追い出されたのだったな。また都心への道を引き返した。途中でゴミ箱の残飯を漁る。まるで乞食犬みたいだが、その手つきが馴れているのに我ながら幻滅している。家の事を覚えていたのだから、家族がいた気がするが、もう名前はもちろん、顔すら覚えていなかった。
俺はいったい何者なんだ。自分の名前も過去の職業も何もかも忘れていた。きっと忘れないとやりきれないからだろう。生きているのは辛いな、死にたいよと呟いていた。でも死ぬ前に一度だけでもいい、自分の生と死を納得させてくれる感動的な話しを聞きたいものだと切実に思った。
ああ、この空気が極彩色に輝いて、俺を荘厳してくれないかなと心底願った。その時沢山のイチョウが風に舞って榊に吹きつけられてきた。なんとイチョウがキンキラキンに輝いているではないか。
「先生、早く!もう時間がないわ。」ワープ女が叫んだ。榊は教室でへたり込んでいたのだ。
ハッと我にかえって呟いた。「白昼夢を見ていたんだ。イチョウがキンキラリンに輝いていたよ。」
「何訳の分からないこと言ってるのよ。私はどうなるの。」
「大丈夫、大丈夫、どうせ全てが消えてなくなるだけだから。時がすべてを解決してくれるよ。君は塵が極彩色に輝くの見たんだろう、よかったね。君自身もその塵の一つで一緒に極彩色に輝いていたんだ。
ベンヤミンの『新しい天使』の話しを贈るよ。今のぼくにはこれが精一杯だ。
天使には沢山の種類があってね。永遠の昔からいて、永遠に生きつづける天使は、ミカエルとかガブリエルとかいう大天使だけなんだ。
神様に創造されて、その役割を果たすとすぐに消滅してしまう無数の新しい天使が作られては、次の刹那に消滅するんだ。中には神を讃える合唱の為に作られた天使もいてね、たった一曲歌い終わると、お終いなんだな。
でもね、その新しい天使たちは熱い熱い思いを込めて命の限り、神様への讃えの歌を歌い終わると、自分の命が全うでき、自分が精一杯輝けたことで至福に満ちて消滅していったんだ。
君も君の思いを貫いて、自分の恋に燃え尽き、輝いたんだから、思い残すことはないんだ。」
投身女は目にいっぱい涙を溜めて、少し微笑んだ。(了)
ベンヤミンの「新しい天使」について読者より疑問が出されました。次を参照してください。
ベンヤミンは若い頃、『新しい天使』というタイトルの雑誌の刊行を計画していた。結局は実現しなかったのだが、彼が書いた予告にはこんな一節がある。「天使は毎瞬に新しく無数のむれをなして創出され、神のまえで讃歌をうたいおえると、存在をやめて、無のなかへ溶けこんでいく。そのようなアクチュアリティーこそが唯一の真実なものなのであり、この雑誌がそれをおびていることを、その名が意味してほしいと思う」(ベンヤミン著作集13『新しい天使』晶文社)。理性崇拝に翳りがさすと<天使>があらわれる(週刊読書人 1988/10/10
私の短編小説「新しい天使」は、この文章を踏まえています。しかし「歴史哲学テーゼ」の「歴史の天使」を「新しい天使」として受け止めている方も多いようです。
次の文章は、ベンヤミンのいわゆる「歴史哲学テーゼ」である。
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「新しい天使」と題されているクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれており、天使は、彼が凝視し
ている何ものかから、いまにも遠ざかろうとしているところのように見える。かれの眼は大きく見ひらかれてい
て、口はひらき、翼はひろげられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。
かれは顔を過去に向けている。ぼくらであれば事件の連鎖を眺めるところに、かれはただカタストローフ(破
局)のみを見る。そのカタストローフは、やすみなく廃墟の上に廃墟を積み重ねて、それをかれの鼻っさきへつ
きつけてくるのだ。
たぶんかれはそこに滞留して、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて組みたてたいのだろうが、
しかし楽園から吹いてくる強風がかれの翼にはらまれるばかりか、その風のいきおいがはげしいので、かれはも
う翼を閉じることができない。
強風は天使を、かれが背を向けている未来の方へ、不可抗的に運んでゆく。その一方ではかれの眼前の廃墟の
山が、天に届くばかりに高くなる。ぼくらが進歩と呼ぶものは(この)強風なのだ。
出典:今村仁司『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』
(岩波現代文庫)