西村佳樹氏よりの書簡

『キリスト教とカニバリズム』が解明したもの

                  宗教学研究家   西村佳樹                                 

拝啓 やすいゆたか先生、私は藤田先生の追悼会でお会いして、拙著『説教の多い料理店』を差し上げた西村佳樹と申します。あの後、再び先生の御著書『キリスト教とカニバリズム』を拝読し、改めて先生の御著書の真価を確認しました。

先生は人類史上最大のミステリーであり、私自身にとっても長年の謎である、「イエス・キリストの復活」を、キリスト教の中心的祭儀である、ミサ(聖餐)と関連づけて解明されました。それだけでなく、キリスト教の宗教としての真の姿をも浮き彫りにされた、と考えます。未だ十分には考えがまとまってはいませんが、思うところを述べさせて頂きます。

 私が御著書を再読して、つくづく感じましたことは、イエスの復活を解釈するに当たって、絶対神による奇跡を信じるのでなければ、イエスの遺体がどうなったかを、第一に考えなければならない、ということでした。

既に指摘されているように、マグラダのマリア等が幻覚によってイエスに出会い、イエスの復活を信じたにせよ、イエスの遺体が存在したなら、幻覚に過ぎないことが、本人達にさへ解かってしまいます。従って単純な幻覚説では、彼等が復活を信じたことを、説明することは困難であります。

 又八木誠一博士等はイエスの復活を物理的事件ではなく、霊的な信仰であると唱えています。しかしもしそうなら高野山金剛峯寺で空海が祀られているように、天理教で中山美岐が祀られているように、イエスの遺体は弟子達によって、懇ろに祀られていた筈です。

 ところが福音書や使徒行伝を読む限りでは、使徒達が宣教を始めた頃、イエスの遺体が消え失せているのが確実です。弟子達が教祖の遺体のような貴重極りないものを、うっかりして紛失すること等、有り得ません。何らかの方法で消滅させられたのに、違いありません。その見地からもカニバリズムによって復活を説明することは、極めて説得力がある、と云わざるを得ません。

 カニバリズムが宗教儀礼に取り入れられたことは、先生御自身が様々な例を挙げられています。又人が神を食べる(と信じられた)ことも、イオマンテの例を挙げられています。しかし教会では今日も、弟子達がイエスの遺体を食べた歴史が、ミサ(聖餐)として再現されています。このような例が他にあるでしょうか?

 聖体とはキリストの遺体のコピーです。それを彼等は食べているのです。つまり聖体とは神道式に云えば神体兼神餅なのです。このような例が他にあるでしようか?私は口幅ったい言い方になり恐縮ですが、プロテスタント主導の神学でミサ(聖餐)が軽視され、聖体の特異性が無視されているところに、今日のキリスト教研究の、限界があると認識しています。

さて前述の神学者八木誠一博士に、多大の影響を与えた神学者・歴史家のルドルフ・ブルトマンによって、イエスの宣教及びキリスト教の発生原因が解明されました(これは殆ど学界の定説になっています。)彼は所謂様式史的研究によって、史的イエスの宣教を復元してから、重大な問題提起を行ないました。

 それは史的研究によって復元されたイエスは、告知者としての姿です。ところが使徒達は、イエスによって告知されたメッセージだけでなく、イエス自身をも告知した。つまり告知する者は、告知される者に転換したのです。ブルトマンはその転換を以てキリスト教の発生原因と見なしていますが、詳しい説明をしています。彼の説明を要約すれば、凡そ次の通りとなります。

 イエスにより告知されたメッセージは、神から人間に与えられた恩恵、即ち贈り物であった。だから恩恵の内容だけでなく、それが与えられた歴史的経緯も、付け加えられねばならなかった、と言うことです。

 例えばユーグリットは『幾何学原本』を書いていますが、ある人がそれを読んで、完全に理解したとすれば、その知識は『原本』によって助けられていたとは言え、究極的には彼自身の、理性の産物です。従って『幾何学原本』は恩恵ではなかったことになります。

 又アポロの宇宙飛行士は、月面でハンマーと鳥の羽根を落として、同時に着地するのを確かめました。この場合もガリレオ・ガリレイの「落体の法則」 によって予め予想されていたことであるとは言え、宇宙飛行士自身によって再発見されたのです。ガリレオが不完全な実験に、抽象的思考を加えて発見した法則を、宇宙飛行士は実体験によって発見したのです。従って「落体の法則」も恩恵ではなかったことになります。

このことは例えユーグリットがいなくても幾何学は生まれ、ガリレオがいなくても「落体の法則」が発見されたことが、確実視されていることからも明らかです。しかしイエスが生まれなかったら、キリスト教が成立しなかったことは明白です。従ってイエスの告知が神からの恩恵であったことは、歴史的にも明らかです。

 そこでイエスの告知の内容だけでなく、イエス自身も宣教に付け加えられねばならなかったのです。即ちイエスが告知したことを、告知する、という二重構造を持っています。別の言い方をすれば、宣教者自身が自覚して、イエスの告知を再現する、という態度を取らなければならなかったのです。

 唯ここで指摘したいのは宣教者が、原告知者の説教の再現として説教する、という論理的構造は、ミサ(聖餐)にも認められることです。ミサ(聖餐)とは、ある歴史的事件(それは何であれ、祭りでもあったでしよう。)の再現なのです。

私は神社で働いた経験のある人間ですが、神道の祭りとは大別すれば、分祀・合祀祭のような一西村佳樹氏よりの書簡回切りの祭りか、季節祭の二種類になります。しかしミサ(聖餐)、特に復活祭のミサ(聖餐)は一回きりの祭りを再現する季節祭ともいうべき、言わば二重構造を持っています。
西村佳樹氏よりの書簡

 これは宣教の二重構造と酷似しています。私はブルトマンの論文を読んだときに、すぐにそのことに気付きました。宣教では長い年月の流れの中で、見失われがちになった、原姶的構造が、ミサ(聖餐)の中でハッキリ残っているのを知り、感動しました。そしてすぐに忘れてしまいました。ところが今回先生の著書を読んで、そのことを思い出して、既に誰かが指摘しているのではないかと思い、調べたところ誰もしていないのです。

 さて特に復活祭のミサ(聖餐)で再現されている、元々の事件、あるいは祭りとは何でしょうか?これは今までの議論では明らかになっていません。

 従来通り「最後の晩餐」の時にイエスが「聖体の秘跡」を定めた通りにしている、と考えても論理的には何の問題もありません。しかしこれは現実には、有り得ないと思います。イエスが宗教上の儀式を考案する程、進んだ考え方を持っていたか疑問です。

教義的には聖体以外の秘跡もすべてイエス自身が制定したことになっていますが、公平に見ればこじつけに過ぎません。文面的には最もしっかりした文章で表現されている聖体の制定も、福音記者のこじつけに違いありません。あの程度のパフオーマンスが、キリスト教の中核的祭儀になったとは、到底考えられません。

教会の説明は説得力が無さ過ぎます。勿論「過ぎ越しの祭り」として「最後の晩餐」が実際に行なわれたこと、その際イエスから弟子達に何らかの示唆があったことは、極めて懐疑的な神学者ブルトマンも認めています。その示唆とは先生が推測されたように、イエスが弟子達に自分の肉を食べ、自分の血を飲むように命じたことに違いない、と私も思います。そしてイエスの処刑後弟子達は実行したのです。そう考えた方がはるかに自然で、インパクトもあります。勿論ミサ(聖餐)は「最後の晩餐」ではなく、弟子達がイエスの肉を食べ、血を飲んだ儀式を再現しているのです。

実はキリスト教の宣教に二重構造があることと、ミサ(聖餐)に二重構造があることの間には論理的必然性があります。ブルトマンはイエスは多くの教えを説いたが、その中での究極の教えは、イエスが自身を語った教えであると、見ています。イエスが「つかわされた者」として語っていること、又自身がつかわされたことが、この世に対して決定的なことである、とされています。

つまりイエスは「神の言葉」とされていますが、その「神の言葉」とは究極的にはイエス自身であり、イエスの肉体なのです。だからこそ「神の子が受肉した」と説かれているのです。マリアの処女懐胎はその神話的表現です。とすると受肉の思想からしてが、カニバリズムの素地になっていた可能性があります。

例えば自動車のような大きな贈り物をする時は、目録を付けることが多いようです。それと同じように、神の贈り物であるイエスの肉体へ付けられた目録が、イエスの言葉の内で最も重要な言葉ではないでしょうか?押し並べて云うなら、福音書や宣教者の説教はイエスの言葉とはイエスの言葉の複製であり、聖体とはイエスの肉体の複製であると思います。複製さへ食べられているのに、大元の肉体が食べられていない筈がありません。

そこで次に問題に成り得るのはカトリック教会のように、ミサ(聖餐)を中心にした宗派と、ブロテスタント教会のように、聖書を中心にした宗派の、何方が真のキリスト教であるか、です。周知の通りプロテスタント教会は原始キリスト教への復古運動によって成立しました。マルティン・ルターが教皇至上主義や聖人崇拝を排斥したのは、確かに正当でしよう。しかし聖書至上主議は本当に復古主義であったのでしようか?新約聖書は二世紀中に書かれていますが、教会の正典として定められたのは、公会議により、四世紀末です。カトリック教徒が云う通り、言葉は悪いですが、後世の人間によっ決定されたのです。

 更に新約聖書には、キリスト教の根本教義である、三位一体論は含まれていません。それなのに聖書のみをキリスト教の典拠にするプロテスタントの立場はあまりにも強引です。
 聖書と伝統を重んじるカトリック教会の立場の方がはるかに自然です。もっともカトリック教会が教皇首位権やマリア崇拝などの、後世に生じた伝統まで無批判に取り入れたのは事実ですが。

さて宗教改革が単なる原始キリスト教への復帰運動でなかったとしたら、他にどのような側面があったのでしょうか?私は、それは「キリスト教のイスラム化」であったと思います。

ある信仰告白の解説は「キリスト教の特異性は聖書が無謬の権威を持つ点にある。他宗教にも聖書のような物はある。しかしそれはどこまでも〜のような物ではないか」とさへ云っています。しかし先生が指摘された通り、トーラーへの批判から生まれたキリスト教が、そこまで徹底した聖典宗教の筈がないのです。

世界で最も典型的な聖典宗教はイスラムです。コーラン自体の中に、コーランはアラーの元にある「啓典の母」の複製である、と説明されています。聖書の神格化には、これ程明確な根拠はありません。

かつてキャンべル・スミスはキリストとムハンマドをパラレルに考える過ちを指摘して、キリストに当たるのはコーランであり、聖書(特に福音書)に当たるのは、むしろハディース(そこにはムハンマドだけでなく、アラーの言葉も含まれています。)そして使徒がムハンマドに当たるとしています。

ムハンマドと使徒の比較はひとまず惜くとして、この比較は次のように言い換える方が、分かり易いと思います。キリストに当たるのは「啓典の母」であり、(キリストの肉体の複製である)聖体に当たるのが(「啓典の母」の複製である)コーランであり、聖書(特に福音書)に当たるのは、むしろハディースである、と。即ちコーランがハディースに優っているように、聖体が聖書に優っているから、本来のキリスト教は当初から高度の倫理性と、思想性を持っていたにも拘らず、聖典宗教ではなく、祭儀宗教であったと思います。

マルティン・ルターの在世の時代、ウィーンがオスマン・トルコの軍隊に囲まれて、今日世界中の目がイスラムに集中しているように、ヨーロッパ中の目がイスラムに向けられていました。そんな中にあってルター程の人が、イスラムのことを、何も知らなかった筈がないと思います。僅かな知識であったとしても、天才の直感でイスラムの優れた特質を掴み取っていたと思われます。それは勿論コーラン至上主義で、それをヒントに聖書至上主義を打ち出したのではないでしょうか。

彼に引き続いて1541年カルビンがジュネーブで神政政治を始めました。 1543 年にスイスでラテン語訳が出版されていますので、カルビンが極秘裏にコーランを読んでいる可能性があります。彼はプロテスタントの教皇と呼ばれましたが、この宗教家兼政治家には、もっと適切な呼び方があった筈です。それは「プロテスタントのムハンマド」です。

この新たなムハンマドが聖体から神秘性を奪い去り、キリスト教そのものとも云うべき、ミサ(聖餐)と言う実に特異な祭儀をどの宗教にもあるような、神人共食に変えたとき(他のプロテスタントではそこまで極端な見解はとっていません。しかし精神的にはカルビン派に、右にならへ、をしています。)「キリスト教のイスラム化」は完成したと思われます。
 長々と私の空想に近い話をさせて頂いて、恐縮しています。唯私は先生の御著書が「イエス・キリストの復活」の謎を解いただけでなく、キリスト教の真の姿をも明らかにした可能性があることを、報告させて頂いた迄です。

敬具

2007年5月16日消印の書簡
 
      教派宗教か祭儀宗教か

                   やすいゆたか

西村佳樹さんへ                           

 『キリスト教とカニバリズム』に対する、本格的な論評をいただきまして感激しました。拙著の意義を宗教学的な見識に基づき、まともに取り扱っていただいてありがたいことです。イエスの遺体を墓に入れたかにみせかけて、弟子たちがそれを食べてしまい、その結果イエスの復活の共同幻想を見たのだという、筋書きに猟奇的な好奇心で賛否両論が飛び交ったことはあります。しかしそれをキリスト教の性格づけにまで展開する論評はなかったのです。

 西村さんのおっしゃりたいことは、キリスト教は教義に基づく信仰、つまり教派宗教とみなされてきたが、実はミサ(聖餐)という祭儀によって永遠の命を得れるとする祭儀宗教だということですね。拙著の意義はイエスに対する聖餐の事実を指摘して、ミサがその反復的な儀礼であることを明らかにしたことによって、祭儀宗教というキリスト教の本質を明確にしたことであるということになります。

 確かに祭儀宗教という側面がルターの聖書中心主義によって薄められていたことは、ご指摘のとおりです。しかし、ルターはツウィングリとの話し合いで、聖餐で比喩的解釈を退け、パンがイエスの肉であり、ワインがイエスの血であるという見解に固執したということです。後に比喩的見解がプロテスタントでは主流になったわけです。

 私は、宗教の本質として祭儀宗教と教派宗教はコインの裏表のような関係にあると思います。たしかにいずれかがミニマムになってしまったものがあるので、どちらかに分類されているとは言えますね。それでキリスト教は宗教改革で教派宗教へと純化しようとしたわけですが、やはりルターにもみられるように聖餐式は欠かせません。日本聖公会では「聖餐式」は日曜礼拝の一部を指すのではなく、日曜礼拝そのものを「聖餐式」と呼ぶわけです。プロテスタントでも同じではないでしょうか。

 キリスト教が教派宗教であるのは、トーラーを遵守しようとすることがかえって利己的自分だけ救われたいという意識の現われであり、偽善であることに気づき、二つの愛に生きることにすべてを集約することで、トーラーが成就するという真理をイエスは悟ったわけです。この教えが地の群れ(アム・ハーレツ)を救う信仰ですね、これにたどり着いたときにイエスは聖霊を宿していることに気づいたと思います。これによって教派的信仰が成立します。

 でもイエスは今度は、メシアの聖霊への帰依によって救われるという信仰に傾斜し、それをエクソシズムのパフォーマンスで証明しようとします。弟子たちを悪霊役者にして実演して見せ、イエスブームを巻き起こしたのです。これは「メシアの聖霊により救われる」という教義ですが、同時に祭儀的な面が強いですね。それがイエスの死後は、聖餐によってイエスの命に合体するという信仰になります。

 祭儀宗教としてのキリスト教を解明することは重要ですが、キリスト教の「二つの愛」という原点みたいなものを見失いますと、キリスト教の精神性という特色を見ないということになり、キリスト教から何を学ぶべきかという視点を失うことになるのではないでしょうか。ですからあえて教派宗教か祭儀宗教かという議論を立てるのではなく、その両面のバランスを問題にするというのでいいのではないでしょうか。

     ミサ聖餐とは歴史の再現である

                     西村佳樹

2007年5月29日に西村佳樹氏からのFaxが届きましたので掲載させていただきます。

やすいゆたか先生、 FAX ありがとうございます.

 拝読した結果やはりキリスト教のような偉大な宗教を、祭儀宗教であるとか、教派宗教であるとかの、単純な割り切りは危険である、と痛感しました。

 尤も私は今でもイスラムが無意識的であるにせよ、宗教改革に影響を与えていると考えています。しかし先生が指摘されておられるように、どこかイスラム原理主義者に似たツウィングリとの討論で聖体を擁護したルターには、確かに中庸の徳を保つ大人物の風格が備わっていると思いました。

 前の手紙では筆が滑り過ぎましたが、私が問題としているのは、キリスト教が教派宗教か、祭儀宗教かの問題ではなく、キリスト教の宣教とミサ聖餐が同じ原理に基づいているのではないかという間題です。

 ルドルフ・プルトマンはキリスト教の説教の本質を、説教者がイエスの言葉の内客を知的伝達することではなく、イエスが告知したと言う歴史を、云わば再現することにある、と考えました。

 私はこのことを知った時に、教会での説教では見失われがちになったことが、ミサ聖餐では明確に残ているのではないか、と思いました。

 しかし ,その時は福音書の記事を真に受けていたので、原点になる歴史が余りにも貧相に思えたのです。イエスが聖体を制定した話はどう考えても作り話めいているように、思えたのです。

 あの程度のパフォーマンスでミサ聖餐が生じと信じるのは、イエスが「あなたはペテロである。私はこの岩の上に私の教会を立てよう」と云ったから、教皇首位権が生まれた、と信じるのと五十歩百歩です。それでこのことを余り真剣に考えず、殆ど忘れていたのです。

 しかしこの度先生の著書を読み、本当の歴史を知り、あの時の直感ーミサ聖餐とは歴史の再現であるーが正しいと確信して、ご先生に報告した次第です。素晴らしい著書で色々新しい発見をさせて頂いてありがとうざいました。

                              西村佳樹



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