はじめに

〔保井〕見事合格おめでとう。大学生活はどうですか。始まったばかりだけど。

A雄〕僕は医学系なので専門が難しくなる前に人間や社会を見る目をしっかりしておこうと思って、思想書を読みあさっているところです。

B子〕私は社会学部に入ったので早速社会学の入門書などを読み始めています。倫理・政経で習ったことが大学で。の基礎になるって本当ですね。

A雄〕今日は先生が倫理の授業で、本当は先生自身の人間論を話したいが、試験には出ないので聞きたければ合格してから来いと言われていたでしょう。それで来たんです。

〔保井〕それは嬉しいね。君達に話すことで白分の人間論を分かり易く親しみ易いものにできればあり難い。ただね、導入に失敗すると、正気じゃないって思われかねないけれど。

B子〕キルケゴールは躁鬱病で二ーチェは分裂病、サルトルは被害妄想なんて診断されていましたね。先生御自身は?
〔保井〕二ーチェはともかくキルケゴールやサルトルを精神病ど診断するのはどうかな。そんな事言ったかな。(笑い)

躁蟹質とか被害妄想的発想という形質的な傾向の事だよ。私の場合は、フェティシズム(物神性的倒錯)に当たるんだ。

A雄〕女性の肉体には興奮しないのに、パンティや靴下に異常な性的興奮を覚える病気でしょう。先生は変態だったんですか。

〔保井〕それは飛躍だよ。フェティシズムは例えば万年筆を沢山集めたり、持ち物なんかに執着する傾向も言うんだ。自分自身の人格的な内容よりも物に執着する傾向の人もフェティシストと呼ばれる。

B子〕それにしては先生はダサイですね。一向に身なりには構わないみたいですが。

〔保井〕人間と物の区別がつかなくなるのを一応フェティシズムと定義すると、私の場合事物も場合によっては人間に含めて考えようとするので、フェティシズムに当たるんだ。

B子〕まさか鞄や机が人間だなんて言うんじゃないでしようね。

〔保井〕そのまさかだよ。ただし、人間の身体と身体以外の社会的な事物の区別は踏まえた上でだよ。社会的な事物を含めて人間を総体的に捉え返そうということを提案して

いるんだ。人間社会を構成している主体を、これまでは現実的な諸個人として考えてきたけれど、どうもそれでは無理がある。身体的な諸個人の営み自身が社会的な諸事物によってコントロールされているという面を反省すべきだ。それを抜きに経済学の難問も解けないし、環境問題や高度管理システムや核戦略等の問題も解けない。人間社会を構成している主体は、社会的諸事物ということになるんではないかと考えたわけだ。

A雄〕身体的な諸個人も社会的諸事物に入るんですか。それじゃやはり人間と物を一緒くたにしているじゃありませんか。それに社会的諸事物も人間社会を構成している主体だと言うことになれば、事物が意志を持って社会を動かしている事になりますから、正真正銘のフェティシストと言われますよ。確かに人間社会は人間が生み出した物質文明によって制約され、阻害されています。一見、社会的事物が主体で、人間は社会という巨大なメカニズムのネジ・釘に過ぎないように思われます。でも社会的諸事物には意志も感情も無いんだから、それに支配されていると考えることが実際は倒錯なんでしょう。人間が生み出した社会なんだから人間が自分自身の姿として社会の現実を反省し、本未の主体性を取り戻して、人間らしい社会に変えていくことができる筈じゃないんですか。それがヒューマニズムの立場でしょう。

〔保井〕その現代ヒューマニズム批判から私の「人間観の転換」が出ているので、その経緯を話さないと、このままでは精神病院で診てもらえということになってしまうね。

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