本居宣長の主情主義的人間観

「もののあはれ」と「私有自樂」

         
                
 はじめに

         
  
さて人間論の漂流は、いよいよ東洋に入ります。本居宣長の主情主義的人間観、諸子百家 の人間観、仏教的人間観と東洋の奥深く分け入っていく予定です。もちろん私は国文学の 研究家でも、漢籍の大家でもありません。ましてや仏教に深い造詣をもっているわけでも ありません。人間論を深め、新しい人間観の形成の為の手掛かりを捜し求める探検家に過 ぎません。私は私なりに蒐集した宝物とおぼしき物を材料に、新しい人間観の構想を練り上げていきますが、読者は同じ材料をそれぞれの好みに合わせて全く違った調理で、ご自 分の納得のいく人間観を形成していただければ幸いです。

 日本を代表する思想家は誰かということになりますと、つい中江兆民の『一年有半』に 「我日本古より今に至る迄哲学無し」と喝破された言葉が思い起こされます。本居宣長や 平田篤胤たちは考古家に過ぎず、伊藤仁斎や荻生徂徠も經学者にすぎない。宗派を開いた 仏教の高僧にしても、単なる宗教家の域を出ない。純然たる哲学は未だかつて存在しなか ったというわけです。近年の加藤弘之や井上哲次郎らは哲学家を自称しているが、西洋の 学説をそのまま取り入れているに過ぎない、と断じています。

 現在でも書物の注釈家や外国思想の輸入紹介者が哲学者を気取っているという手厳しい 批評が投げかけられています。でもたとえ古書典籍の注釈や思想の輸入紹介に過ぎなくて も、その中に自分の時代を生きる熱い魂の息吹を伝えるものがあれば、哲学がある筈です 。また『平家物語』等の歴史書、『源氏物語』等の歌・物語や『正法眼蔵』等の宗教家の 著作、『鶴の恩返し』等の民話や能・狂言等の芸能からも深い人間観察や深遠な哲学が伝 わってきます。純然たる哲学形式を取っているかどうかなんて問題じゃありません。どれ だけ我々と問いを共有し、我々の魂に共鳴するかが問題なのです。

 日本の思想家列伝の第一頁を飾るのは、何といっても「聖徳太子」と諡された廐戸皇子 でしょう。彼は「和」の思想を原理において、凡夫の自覚を諭し、独善的独断専行を戒め た日本的集団主義の聖典ともいうべき『憲法十七條』を作成したと伝えられています。彼 は菩薩太子として盛大に講経を行い、『三経義疏』を著述したことになっていますが、現 存するものが太子の親撰かどうかは疑問が多いよです。また彼は
「世間仮虚、唯仏是真」 という言葉を遺しました。これは「この世は仮の住まいで、ただ仏法だけは滅びない真実 である。」という意味です。この言葉は仏の功徳による現世利益を求める仏教から、無常 感に基づく仏教へと仏教理解が深まっていることを示しています。 

 日本思想史では鎌倉新仏教と江戸儒学が重視されます。外来の難解な学問である仏教や 儒学をいかに受容し、日本的な心情の原理に還元していったかが重要なのです。和辻哲郎 は「日本文化の重層性」という視角から、海外の先進文化が日本に取り入れられ、やがて 消化吸収されて日本的な形で発展する様相を説明しました。明治以降の文明開化や欧米資 本主義の移植も、日本の遅れた社会構造を最大限に利用して展開し、天皇制をシンボルにする日本的集団主義の原理と融合して独自の隆盛を示しています。

 外来文化を日本的な単純な心情の原理に単純化して消化吸収すると言いましても、仏教 や儒教や欧米思想は、日本にとって異質の文化であり、その受容には相当の軋轢があり、 受容によって日本の文化的伝統が大きく変容したのです。その際、失われた日本の本来の姿を、日本の古典の研究を通して取り戻そうという国学思想の運動が、純粋な意味で「日本思想」と呼ばれます。その中で本居宣長は特に抜きん出た存在です。

 宣長を人間観の観点から見直しますと、
「物の哀れを知る心」を持っているかどうかを 基準に人間を捉える言わば「主情主義的人間論」の特徴を示しています。これはギリシア 的な主知主義的人間観や、超越者とのアンビバレントな関係で人間を捉えるヘブライズム 的な人間観とも違います。また無我の自覚から無常の法との合一に理想的な人間の生き方 を見出した仏教的な人間観や、社会の激変の中で人間としての生きるべき道を求めた諸子 百家の人間観とも大きく違います。
                  
 思い込みやさかしらを一切混じえずに溢れ出る心のままに喜怒哀楽に生きる真情の世界 を、人間の本来のあり方として
「惟神(かむながら)の道」として賞揚しているのです。 それは初めは歌・物語の文学的価値の儒教的な倫理的・道徳的価値に対する自立の問題と して提起されました。それが『古事記』等の古道の研究を通して、皇国心(すめらみくに ごころ)の漢心(からごころ)に対する優位性の主張にまでイデオロギー化したのです。

 宣長の思想は皇国史観の源流であり、しかも主君に対する絶対服従を説いて『孟子』を 排撃する極反動の「臣道」の提唱者でもあります。我々はイデオロギー化した面の宣長を 厳しく退けると共に、彼の真情の論理から人間としての失われてはならない生き方を学び とって、魂を浄化しておかなければなりません。

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