教職哲学ー立命館大学2008年版

イギリス経験論と大陸合理論

ベーコンとデカルト

   1ルネサンス科学

天と地を入れ替えてみて悟りしか宇宙の無限人のはかなさ
開けてみて五臓六腑は変らぬを如何に築きし文明の世

先生:ルネサンスは人間中心主義の思想を開花させ,自然を人間の為に研究し,改造しようとする科学・技術の発展を齎しました。太郎君ルネサンスの三大発明と呼ばれたのは何ですか?

太郎:@(     ・     ・       )です。まず火薬は鉄砲や大砲の発明と結びついて、非西欧世界に対する軍事的優位を確立しました。羅針盤が大航海時代をもたらし、鉄砲と結びついて植民地獲得に貢献します。活版印刷は宗教改革と結びつき,バイブルの普及に大いに貢献したのです。

先生:ルネサンス二大論文というのは分かりますか、花子さん?

花子:一つは地動説を説いたコペルニクスの『A(                   )』ですね。もうひとつはさて、ニュートンの『プリンキピア』かな。

先生:ニュートンは17世紀ですね。解剖によって人体と高等動物の類似を鮮明にしたB(         )の『ファブリカ(人体構造論)』です。両方とも1543 年に発表されたのです。近代的な世界観・人間観の成立にこれらは重大な意義を持っています。

太郎:近代的な世界観は,コペルニクスの後、ケプラーの惑星運動の法則とC(    )の落体の法則を統合したD(     )の慣性の法則および万有引力の法則のように,天体と地上の統一原理をもとめる方向に発展し,物体間の関係として数学的・物理学的に説明しようとする傾向を強めました。これは又E(                   )が論証した無限の宇宙空間を前提しましたから、翻って人間存在のはかなさが強調され,実体としての霊魂の救済が求められたのです。

花子:それがF(       )の「人間は考える葦である」という言葉になるのですね。B(        )の『ファブリカ』はどんな影響を与えたのですか?

先生:それまで人間と他の動物は、全く構造が違うと思われていたのです。二足と四足の違いもありますが、『バイブル』の影響で獣は人間に支配されるために作られたと思っていましたので、次元が違うと考えられていたのです。でもB(    )が解剖しますと、外見はかなり違うのに、構造は哺乳類ではほとんど同じなので驚いたわけです。肉体的にはほとんど変らないのにどうして人間だけ、言葉を自由に操り、文明を築くことができたのかが不思議ですね。それで肉体と魂は別で、神が魂を置き入れたというデカルトのG(       )が唱えられることになるのです。

問@(    )〜G(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
ベサリウス 心身二元論 ニュートン 天球の回転について 
火薬・羅針盤・金属活版印刷 ガリレオ ジョルダーノ・ブルーノー パスカル

      2ノヴム・オルガヌム

何事も割り切りてぞ捉えたる人にありがち種族のイドラ
井の中に篭りて世間狭くする己の洞窟抜け出し海へ
運命といふ言の葉に惑わされ運命信じて未来なくさじ
権威ある学説なれど己が眼で確かめるまで信じまじきを

先生:@(         )と言えばだれですか、花子さん?

花子:もちろんA(                    )15611626)です。彼は,主著『B(                 )(新機関)』で,主観は様々な思い込みに陥入り易く,客観を正しく捉えられないでいると指摘して,「C(            )」に注意を促しました。

先生:イドラというのは偶像という意味です。英語ではアイドルですね。アイドル歌手というのは本物の歌手というより、まがいものの歌手なのです。その方がアイドルに熱中するミーハーにとっては、自分と同一視できるからいいのです。

花子:でもこの場合はまがいものというよりも思い込みや偏見ですね。まとめてきましたから発表します。

 (1)「D(              )」―人間の種族に属することから生じやすい偏見です。人間は「地球は球形である。」というように何事も割り切って典型的な形で捉えようとします。でも厳密に計測すれば球形ではありません。科学・技術的には割り切って捉えていますと失敗の原因になります。

(2)「E(              )」―各個人はそれぞれ特有の体験や教育環境からくる固有の洞窟を持っています。それでどうしても事実を歪めて受け止めてしまうのです。

(3)「F(             )」―人間間の交際に言語を使用せざるを得ないところから,言語による偏見が起こります。例えば「運命」や「原子」という言葉があれば,誰もその存在を実証していないのに,それに対応する実在が有ると思い込みます。

(4)「G(              )」―シェークスピアなどのお芝居は台本が良くできているので,とてもリアリティが感じられます。それと同様にプラトンやアリストテレス等の権威ある学説は論理構成が見事ですから,つい感心してしまい,実際の事実と照らし合わせるまでもなく真実だと思い込まされてしまいます。そこに偏見が生じるのです。

太郎:彼は実証が不可能で実用性のないギリシアの学問を退け,
「H(                                                                         )」として「知は力である」という立場で、自然を支配するために自然の法則性を見出そうとしました。

先生:彼が展開した科学方法論はI(         )ではないJ(               )でした。それは次の「三つの表」に整理して法則を確かめるもので,これによって科学技術の飛躍的発展が計れると確信していたのです。

(1)K(          )ー肯定的事例を洩らさずに表にする。
(2)
L(          )ー否定的事例を洩らさずに表にする。
(3)
M(          )ーある条件では肯定的事例だが,別の条件では否定的事例になる現象を洩らさず表にする。

花子:なるほど、これら三つの表から,どのような条件においていかなる法則が成り立つかが実証されるのですね。

先生:こうして自然の秘密を暴き自然を支配しようとすることは,神を懼れない罪業だとする非難に対して,神が隠した自然の秘密を暴くのは,神から与えられた能力によって神を讃える事であるとしたのです。しかし自然に対する支配は健全な理性と正しい信仰に導かれなければ人間の幸福を増進する事にならないと警告しています。人間の自然に対する支配によって形成された近代の物質文明が,深刻な人間疎外を齎しているのを鑑みますと,ベーコンの人間中心主義的で実用主義的な科学論にも反省の必要がありそうです。

問@(    )〜M(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
イギリス経験論の祖  程度の表  自然は服従することによってでなければ,征服されない。
洞窟のイドラ  新しい帰納法  存在の表  市場のイドラ  フランシス・ベーコン 
欠如の表  種族のイドラ  単純枚挙  劇場のイドラ 四つのイドラ 
ノヴム・オルガヌム 

                      3哲学入門

ほろ苦き青春の涙なめしより問ひ初めしかは生きるということ

太郎:先生、冬休みに哲学書の古典的な入門書を一冊読むとしたら何がいいですか?あまり長いのは無理ですが。

先生:プラトン著『@(                )』は哲学の原点みたいなものです。「無知の知」の自覚が感動的に分かります。それからデカルト著『A(            )』です。疑いうる全てを疑って、疑い得ない絶対確実なものから出発しようという態度は、大切です。ベーコンと共に近代的自我の確立を示しています。それからサルトルの『B(            )』ですね。

花子:私はもっと易しい哲学入門みたいなのが読みたいのですが。

先生:そりゃあ何と言ってもヨースタイン・ゴルデル著『C(               )』でしょうね。ファンタジーと14歳の少女向け哲学入門が合体したもので、世界中で十年ほど前に大ベストセラーになりました。大阪哲学学校の編集で『『ソフィーの世界』の世界』というのを出しました。そこに私も「娘と語る『ソフィーの世界』」という対話編を書いています。
 哲学ファンタジーとしてはやはりサン・テグジュベリ著の『D(             )』が最高傑作でしょうね。英語が苦手な人にはシドニー・シェルダンの『E(            )』も哲学ファンタジーの傑作で、お勧めです。

問@(    )〜E(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
ドリッピー  実存主義とは何か  ソフィーの世界  星の王子様 ソクラテスの弁明 
方法序説

                          4.方法的懐疑

果てしなき懐疑の末にたどり着く「懐疑する我」確かなりしか

花子:ベーコンに連なる学派が@(              )ですね。あくまでも実験と観察の結果のみを信用するというのが特色です。

先生:ええ社会契約論で活躍するA(        )やB(     )などが含まれます。

太郎:@(              )がC(     )で実験・観察の結果から法則を導き出したのに対して、D(          )は絶対確実な真理から定理をE(   )して真理の体系を構築しようとしたのでしょう。

先生:その筆頭がF(       )(1596 1650)です。彼は1637年の『G(        )』で彼の学問の方法を説明しています。真理を展開するためにはH(                  )から出発すべきです。そのためには少しでも疑わしいものは真理ではないとして斥けなければなりません。これを「I(            )」と呼びます。

太郎:ふだんは全く疑いもしないことでも、H(                  )にたどり着くためにあえて疑ってみるということですね。

先生:先ずJ(         )です。つまり眼に見える現実ですね。ときには見間違えということがあるでしょう。それでJ(         )が心に描かせるものは存在しないと想定します。

花子:華のように麗しい私が先生の目の前にいるということも疑わしいということですか。

太郎:そりゃあ大いに疑わしいよ。「確かに見た」という目撃証言も絶対確実とは言えないということですね。

先生:次に幾何学をはじめとする全てのK(          )も間違う可能性があるので偽なるものとして投げ捨てます。

花子:<ガリレオは二等辺三角形の両底角が等しい>のは、人間においてだけでなく、神においても正しいと言っていますよ。

太郎:絶対確実なものにたどり着いて、そこから神を証明して、その上で言えることです。まだ絶対確実なものにたどり着いていないのですから、そこでのK(          )は絶対確実とはいえないということです。

先生:そして目覚めているときにもつ全ての思想がそのまま眠っているときにも現れるので、どの思想も真とは言えないとして,精神に入ってきたものは全て真ではないと仮想しました。

花子:もう何も残っていないでしょう。絶対確実なものなんて。

太郎:ところがあるのです。それはすべてをL(                         )です。これだけは、疑っている以上疑えないのです。

先生:パチパチ、よく勉強していますね。そうなのです。そうデカルトは確信したのです。それで「M(                      )」という真理をN(                  )に据えたのです。

花子:なんだか納得いきません。確かに疑っていた以上、疑っているということは疑えないのですが、それが私が疑っていたということは、どうして言えるのですか。まだ神さえ証明できていないのに、O(                )がどうして確実なのですか?

太郎:じゃあ誰が疑っているの?疑ったり、考えたりするのは「我」しかないだろう。

先生:これはすごい疑問ですね。デカルトに尋ねてみないと。確かに絶対確実なものを求めると言っても、疑ったり考えたりしていることは確かでも、その主体が存在するというのは飛躍のような気もします。ただデカルトがそう考えたのは、ラテン語やフランス語の構造からきたかもしれません。もちろん無意識にですが。その場合の「コギト」は動詞「考える」の一人称単数現在なのです。つまり考えるという行為の中に「我」が含まれてしまっているのです。

太郎:だから考えている以上、考えている我は確実だということになったということですか。

先生:そこでこのコギトは、「我思う」がP(      )、実体化されて「考える我」という意味になるのです。そしてコギト(考える我)はあらゆる物質に依存しない実体としてのQ(            )だということになります。

花子:ということは、身体や頭脳があって、それらが考えているのではなく、「R(       )」があって、それが考えているということですね。

太郎:考えている以上、私の頭脳が働いているのが確実ということではなく、頭脳は感覚的現実だからまだ確実ではなく、コギトが考えていることが確実だということですか。

先生:ええ、そうです。そして彼はコギトにS(           )はすべて真であると認めることにしたのです。

問@(    )〜S(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
絶対確実な真理  ホッブズ  明晰判明なもの  主体化  ロック  演繹  イギリス経験論
疑っている私の存在  大陸合理論  考える我  哲学の第一原理  精神的実体  デカルト
我という存在  数学的論証  コギト・エルゴ・スム(我思う・故に・我有り)    
感覚的現実  方法的懐疑  方法序説  帰納法

  4生得観念としての神

完全な神という名の観念を不完全なる我、つくり得ざらむや

花子:@(      )からコスモスの全てを演繹するということになりますね。さしあたり何をコギトから演繹するのですか?

先生:次に彼は疑っているコギトは完全でないことに気付きます。A(              )は完全なものの存在に依存している筈です。だからコギトが存在するなら完全なもの即ち神も存在することになります。実はこの論証はB(                  )が懐疑論者に対して行った批判に含まれていたのです。

太郎:きちんと引用していたのですか?引用がなければ剽窃でしょう。

先生:私はこの話を広島経済大学の渡部宏太郎先生に伺ったのですが、そう言わないと私も剽窃ですね。引用はなしです。また完全なものの観念,すなわちC(         )は不完全なものに依存できないので,不完全なものであるコギトが作り出すことは不可能だとしました。だからC(          )は完全な存在である神がD(         )にコギトに置き入れたE(           )だということになるのです。こうして神の存在を証明したのです。

花子:それにしても納得できません。F(       )である神が、不完全なコギトの存在によって論証されているというのは完全ではないことになりませんか。

太郎:そんなことを言ったら神は完全だから、その存在は自明で疑いの余地のないものになってしまいます。しかしもし神が自明の存在なら、信仰の対象ではなく、従って神ではないことになります。デカルトは、不完全なものは完全なものによって支えられていると言った段階で既に完全なものである神を前提しています。本当はコスモスが不完全で有限な事物からだけ構成されているのではないことの論証が必要だったのでしょう。

先生:既に太郎君はデカルトを超えているね。ところで、この神の観念がE(           )だというデカルトに対決したのがイギリス経験論のG(       )です。彼は、神がE(         )でないという証拠に,未開人や東洋人でC(       )を持たない人が存在し,西洋でも幼児には明確でないとして,C(      )はH(                )な観念だとしました。こうしてG(    )は人間は生まれつきは「I(                 )」であって,「J(                    )」形成されると主張し,K(                    )を確立したのです。

問@(    )〜K(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
イギリス経験論  考える我(コギトホワイト・ペーパー  ア・プリオーリ  神の観念  ロック 完全者  アウグスティヌス  生得観念  ア・ポステリオーリ  あらゆる観念は経験から  不完全なもの

    5主観・客観認識図式

客観の事物に己の情念を置き入れまじき理を知りたくば

先生:デカルトによれば,神は人間にいつも@(      )を与えるとすれば,完全者としての神の定義に悖ることになりますので,感覚的な現実もコギトに「A(             )」であれば実在性を持つことになります。

花子:あんなに懐疑的だったのに神を証明してしまうと今度はあっさり、感覚的現実まで認めてしまうのね。

太郎:感覚的現実というのは、イギリス経験論が実験と観察の結果確かめたものだけ信じると言う場合の実験と観察の結果ですよね。デカルトがこれを疑ったのは凄かったのですが、見掛け倒しですかね。

花子:感覚的現実がA(          )なら、それは確かだというのは、神に支えられてこそだと釘をさしているわけですね。そうしておかないと、実験と観察の結果が一人歩きして、無神論的な近代科学が成立してしまいそうですからね。

先生:ええその通りです。考える我がB(         )であるのに対して、物質もまた神に支えられていることでC(         )として認められるのです。

花子:C(         )という表現はなじめませんね。物質には延長的な性質があるということでしょうが、それはたとえば、長さや体積や質量が有ると言う意味ですか。

太郎:逆に言えば、精神をそのような量的あるいは感覚的なもので捉えてはいけないということですね。

先生:ええ、そうです。こうしてD(           )を峻別しました。そして客観的な事物を主観を交えずに認識する科学的なE(                         )を確立したのです。その結果,認識対象としての自然は,主観的な情緒や意志や目的を持たないF(            )に脱色されてしまいました。単なるG(                  )としてしか対象を捉えられない傾向が,近代のデカルト的合理主義の問題点だと言われています。これがH(        )をもたらしたというのです。

花子:I(     )というのが観る側で、そこに精神・意志・感情が属し、J(     )というのが観られる側で、自然・物質・対象が属しているという図式ですね。

問@(    )〜J(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
主観・客観の認識図式  人間疎外  精神的実体  主観 機械的な物体や手段 客観
偽りの表象  精神と物質  明晰かつ判明  機械的な自然  延長的実体                  

              
6物心二元論

  魂は頭のてっぺん主座にして巡れる情報巧みに読み解く

太郎:ベサリウスの『ファブリカ(人体構造論)』を踏まえて、デカルトは人体と動物の身体には本質的な差異はないとしたのですね。

先生:ええ、そうです。物を神が造られた精巧な@(    )として捉えました。人間も身体だけを捉えればやはり@(        )に違いないのです。しかしそれがいかに発達したとしても,人間のようにA(    )を状況に応じて使い分けるようになれるとは考えられないとし,きっとB(     )が頭脳の中のC(        )を主座にして,身体と結合しているに違いないと推理したのです。この考えを心身二元論と言います。

花子:心身二元論とD(           )は違うのですか。

先生:同じことです。D(          )は、精神的実体と延長的実体によって世界ができているということですね。それが身体において心身二元論の形で結合しているということです。この考えと徹底的に対決したのがE(         )の人間機械論です。彼はデカルトの動物機械論を更に徹底し,人間の言語を使った思考活動もF(                  )の物質的運動として説明し切りました。つまり精神的主体は身体とは別ではないというのです。

太郎:それは頭脳が考えるということですか。

先生:外界からの刺激が記憶として残り薄れ行くメモリィつまり残像ですね。これがF(                 )の正体ですが、それが活発に物質的な運動を繰り広げて、互いに引き合ったり、反発しあったりして、外界の情報が整理され、どう反応すべきかが決定されるのが思考た゜というのです。人間の場合、G(                     )が他のイマジネーションの記号として作用することで言語が形成されたとしています。

花子:それが精神的実体ではないのですか。

先生:ええ、でもデカルトとは違い物質という延長的実体の活動として捉えられているでしょう。デカルトの言う精神的実体は物質ではない、延長をもたないものですから、デカルト的な意味での精神的実体として存在するわけではないのです。ホッブズによれば人間は欲望を充足することによって自己保存するH(          )であり,I(    )はその自己制御機能に他ならないのです。

問@(    )〜I(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
イマジネーション   理性  自動機械  言語  音声のイマジネーション  欲望機械   霊魂   松果腺   物心二元論  ホッブズ

 

      大陸合理論とイギリス経験論  

           
                     
1スピノザの汎神論

             
永遠の相の下にて眺むれば塵芥すら神の現れ

先生:大陸合理論はデカルト(15981650)の他に誰が挙げられますか?

花子:それは@(        )16321677)とA(               )(16461716)です。デカルトと合わせて三大哲学者です。

太郎:@(         )の主著は『B(      )』(1675年完成)です。彼はC(           )を神とし,神の無限の様態として万物を合理的に演繹するD(        )を展開しました。

花子:D(      )て何ですか?万物が神だということですか。それなら自然神信仰ですね。

先生:そうなのです。神を必然的法則によってE(          )を産出するF(          )だと捉えたのです。つまり自然自身の生み出す働きが神だということです。ブルーノー的にG(            )を説きますと,神の存在する場所が無くなる恐れがありますが,スピノザ的に宇宙自体がH(          )だとすれば,この問題は解決します。しかしヘブライズム的な超越神論の放棄になりますね。そして自然は全くI(                     )に支配されたものだということです。

太郎:延長的実体のことばかりで、精神的実体の話はないのですか?

先生:これは失礼。延長と同様に精神もC(          )である神の属性として演繹されますからJ(        )は平行しているのです。そこで人間精神は必然的な連関を「K(                          )」認識することになり,神へのL(      )が生じるとしたのです。この神へのL(        )が最高の善であり,最高の徳であると説きました。何故なら神への愛こそ,神の人間に対する愛が人間の中で最高に高まったものなのですから。


問@(    )〜L(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
ライプニッツ  永遠の相の下に  所産的自然  宇宙の無限  機械的な必然的法則 エチカ 知的愛  能産的自然  スピノザ  神の属性 
物心両面  汎神論  唯一実体

 

          2ライプニッツのモナド論

 
窓はなく自己関心に閉じこもりコスモス映じて調和に生きるや


太郎:ライプニッツ(1646 1716)は,『@(       )論』で。神が創造されたのはアトムではなくて、
@(       )であり,宇宙は無数の@(       )によって構成されていると捉えました。


花子:@(      )はアトムとどうちがうのですか?


先生:それはアトムと違って延長を持ちません。A(          )です。それぞれのモナドはB(     )であって独立しており,C(       )て影響し合うことはありません。つまり近代市民たちのように,D(                     )に閉じ籠もっているのです。しかし互いを映し合い予定調和的に結合して,それぞれの視点からE(            )しているのです。スピノザが,近代の合理主義的思考である機械論的な必然論と見なされるのに対して,ライプニッツは近代市民社会のF(                           )を反映していると評価されています。それでG(          )や古典派経済学などのように,モナド的な個人の集合として社会を捉える観方を「H(             )」と呼ぶのです。


問@(    )〜H(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。

質的な形而上学的点  モナド 実体  窓がなく  絶対的な自己関心  全宇宙を表象 
個人主義の論理  社会契約論  モナド社会論
 

      3ロック・バークリー・ヒューム


       観念が生まれし元は経験や事物は畢竟感覚の束 

先生:イギリス経験論を確立したのは誰でしたか、太郎君。

太郎:「全ての観念は経験から」と『@(           )』で唱えたA(     )16321704)です。

花子:彼は,デカルトが『神はB(          )である。」としたのに対して幼児や東洋人の例から神観念の生得性を否定したのでしたね。

先生:そうです。彼は観念形成が感覚を比較吟味するC(     )の働きに依存する事を強調して,人間をできるだけ理性的に捉えようとしたのです。これは人間を欲望機械として捉えたD(         ) (15881679)に対抗する人間観です。

太郎:イギリス経験論もベーコンのE(                )で法則的な認識を確立しようとしたのですが、これはデカルト的なF(                    )に基づく合理的な法則性の認識とはずれがあるのですか。

先生:ロックの『全ての観念は経験から、生まれつきは白紙」という立場は、経験にすべてを還元しようとするG(         )を発達させます。この立場がデカルト的な主観・客観認識図式の固定化を批判する立場を生むのです。

花子:つまり客観的な実在としての事物が先ずあって、それが観念に投映されるのではなくて、人間のH(      )を整理することによって事物の観念が生まれたということですか。

先生:ええ、そういう方向にいくのです。ロックの「すべての観念は経験から」という言葉を突っ込んで考えますと、知覚に基づく経験なしに事物の観念も生じないということになりますね。そこでI(           )16851753)は、「J(                            )である」と、K(       )の立場に達したのです。つまり意識の外部に客観的な事物がまずあって、それが知覚されるのではないというのです。逆に知覚の内容を反省する事によって、客観的に事物が存在すると考えているだけだということです。


太郎:それでは客観的な実在としての事物がまずあって、それを知覚しているのではなくて、知覚の連鎖が事物や世界を構成しているのだということですか?


花子:とすれば、知覚や経験それ自体が存在だということですね。でもどうして様々な種類の知覚像が現れ、それが様々に変化するのか、その原因となるものが必要です。


先生:バークリーにすれば、その原因がL(   )だということになるのです。


太郎:大陸合理論なら神は、数学的な理性を持っていて、機械的必然性で世界は動いているみたいに捉えていたのでしょう。でもイギリス経験論の場合は、経験や知覚の総括として法則性が帰納されるので、新しい未知の経験が加わったりすると不安になったでしょうね。


先生:それはいえるかもしれませんね。あらゆる観念は経験に依存することになりますので,客観的事物の法則性や存在は既成の経験からM(         )に帰結されたものに過ぎません。ひょっとしたら経験の仕方が突然変化するかもしれないのです。だから「N(                                                     )」とも言えるのです。このような徹底したO(         )を唱えたのは『P(        )』を著したQ(         )171176) す。この発想はカントの批判哲学の成立に決定的な影響を与えたのです。


問@(    )〜Q(    )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
唯心論 明日の朝太陽が東から昇るとは限らない。生得観念  ホッブズ  新しい帰納法 
蓋然的  ヒューム  神 ロック 経験主義   経験   バークリー  人間悟性論 
存在することは知覚されてあること  悟性  主観・客観認識図式  懐疑論  人性論 

解答

ノヴム・オルガヌム @イギリス経験論の祖 Aフランシス・ベーコン 
Bノヴム・オルガヌム C四つのイドラ D種族のイドラ E洞窟のイドラ 
F市場のイドラ G劇場のイドラ H自然は服従するのでなければ、征服できない。
I単純枚挙 J新しい帰納法 K存在の表 L欠如の表 M程度の表

哲学入門@ソクラテスの弁明 A方法序説 B実存主義とは何か Cソフィーの世界 D星の王子様 Eドリッピー 

方法的懐疑
@イギリス経験論 Aホッブズ Bロック C帰納法 D大陸合理論 E演繹 Fデカルト G方法序説 H絶対確実な真理 I方法的懐疑 J感覚的現実 K数学的推理 L疑っている私の存在 Mコギト・エルゴ・スム(我思う・故に・我有り) N 哲学の第一原理 O我という存在 P主体化 Q精神的実体  R考える我 S明晰判明なもの

生得観念としての神
@考える我(コギト) A不完全なもの Bアウグスティヌス C完全なもの Dア・プリオーリ(先天的に) E生得観念 F完全者 Gロック Hア・ポステリオーリ Iホワイト・ペーパー  Jあらゆる観念は経験から Kイギリス経験論

主観・客観認識図式
@偽りの表象 A明晰かつ判明 B精神的実体 C延長的実体 D精神と物質 E主観・客観の認識図式 F機械的な自然 G機械的な物体や手段 H人間疎外 I主観 J客観

物心二元論
@自動機械 A言語 B霊魂 C松果腺 D物心二元論 Eホッブズ Fイマジネーション G音声のイマジネーション H 欲望機械 I理性
 

スピノザの汎神論 @スピノザ Aライプニッツ Bエチカ C唯一実体 D汎神論 E所産的自然 F能産的自然 G宇宙の無限 H神の属性 I機械的な必然的法則 J物心両面 K永遠の相の下に L知的愛

ライプニッツのモナド論
@モナド A質的な形而上学的点 B実体 C窓がなく D絶対的な自己関心 E全宇宙を表象 F個人主義の論理 G社会契約論 Hモナド社会論

ロック・バークリー・ヒューム
@人間悟性論 Aロック B生得観念 C悟性 Dホッブズ E新しい帰納法 F 主観・客観認識図式 G経験主義 H経験 Iバークリー J存在することは知覚されてあること K唯心論 L神 M蓋然的 N明日の朝太陽が東から昇るとは限らない。 O懐疑論 P人性論 Qヒューム 

 

            ドイツ観念論哲学

           1『純粋理性批判』

    人はみな時間空間の眼鏡かけ認識したるは現象界のみ

 @(    )17241804) 1781年に『A(        )』を世に問いました。それは独断的な既成の哲学をトータルに批判して、理論的な理性の届く限界を現象界に限定しようとしたものでした。B(   )は,時間,空間,質量等,物それ自体が持つ属性を事物の第一性質とし,そして色彩,軟硬,音,臭い等,感覚を通して知覚される性質をC(           )としました。

 B(   )のいうC(           )だけでなく,時間・空間等の第一性質もD(          )だとカントは主張したのです。カントはE(      )はそれと同種類の事物には属しているが,それと異なる種類の事物には属していない筈だと考えました。もしどの種類の事物にも共通する性質なら,それはE(      )ではなく,かえって事物を認識するF(      )だと考えたのです。

 確かに時間・空間は全ての事物が存在する形式ですから,主観にかけられている共通の眼鏡なのです。例えば眼鏡に赤色を塗りますと,その眼鏡を通して見える事物は全て赤みがかっています。この赤みはE(      )ではなく,主観の側の眼鏡の色に過ぎません。それと同様に空間や時間は事物を捉えるG(      )なのです。

 これまで客観的な事物の属性だと考えられていた時間・空間を 180度逆転して, 主観のG(      )だとしたのですから,これは天動説から地動説に転換した
H(          )に匹敵すると自認し,カントは自らの認識論上の革命を
H(          )だと自賛したのです。

  とはいえ客観的な事物の認識であるかぎり、単に主観的な経験でしかないのではありません。その点はヒュームのI(    )を克服しています。仮象ではなく,あくまで事物のJ(  )に関する認識なのです。しかし先天的なG(      )統覚の形式によって制限されていますから,J(    )に関してはK(      )を取ります。

  この理性批判によって,これまでの神学や哲学が無理な独断的な誤謬推理によって展開してきた領域を,不可知だが実在するものの根拠や実践理性の要請として考えたり,信仰したりできる対象として措定したのです。
1
上の文章の@(    )〜K(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。

【語群】コペルニクス的転換  事物の第二性質  物自体  事物の属性 懐疑論 
不可知論の立場 感性的直観の形式 現象 統覚の形式 ロック 純粋理性批判 
カント

@

 カント

A

 純粋理性批判

B

 ロック

C

 事物の第二性質

D

 感性的直観の形式

E

 事物の属性

F

 統覚の形式

G

 統覚の形式

H

 コペルニクス的転換 

I

 懐疑論

J

 物自体

K

 不可知論の立場

          2『実践理性批判』   

       道徳は己抑えて義務を為す好みの親切道徳性なし

  人間は自分が幸福になる為に,欲求を充足しようとし利益を追求しますが、カントはこれを@(    )に基づいた行動だとします。しかしルソーのA(     )の立場のように特殊利害を抑制して公共の福祉の為に行動することも必要です。カントは,1788年の『B(      )』では,後者の場合のみC(    )が認められると唱えました。ルソーの立場では、行動基準である法は全員参加の集会で決めなければなりませんでしたが,カントはこれを道徳の領域に移して,良心に従って,D(    )を遵守することつまりE(   )を求めたのです。

 そしてD(    )の内容は次の命題に則るべきだとしました。「汝のF(     )が常にそして同時に,G(      )の原理に合致し得るように行為せよ。」何かしようと意志するとき,いつでもどこでも誰に対しても妥当するような,普遍的な妥当性がある,人間として当然そうすべきだと思われるH(   )に則った行動をせよということです。もちろん人民集会で決めるのではなく,自分自身で自分に対して決めるのですから,H(   )の内容は自分自身の判断に全面的に任されています。その上で自分が正しいと確信する行為をする責任があるわけです。

 カントは,@(    )を抑制して道徳的I(  )に従おうとする意志をJ(    )と呼び,「無条件に善なのはJ(    )だけである。」としたのです。たとえどんなに自己犠牲的で博愛的な行為であっても,その行為が善なのはJ(    )に基づいている場合だけです。別の動機で行えば,どんなに英雄的な行為に見えても偽善に過ぎないのです。それでカントの倫理学は厳格なK(    )とされます。

 ですから行為の内容や外見で,その行為の道徳性を云々すべきではないということになります。ところで動機は厳密には他人には窺い知れないものですから,他人の道徳性を批判したり,自己の道徳性を他人に主張するのはナンセンスということになりますね。そういう意味でD(    )の主体も自己審判の主体も己自身でしか有り得ないわけです。

 カントは命法を,「もし〜ならば・・せよ。」という条件付きのL(    )と無条件に実践理性の命令に応えるM(    )に分けます。後者に従ってI(  )を果たそうとすることによって人間は自律的人間であるN(  )となるのです。つまりソクラテスのように内心のダイモニウムの叫びには逆らえないのです。このダイモニウムをカントは「実践理性」と呼んだのです。

2上の文章の@(    )〜N(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。

【語群】仮言命法 動機主義 自律 自己立法 定言命法 義務 傾向性 善意志 
人格 自然法 普遍的立法 実践理性判 一般意志 道徳性 意志の格率

@

傾向性 

A

 一般意志

B

 実践理性判

C

 道徳性

D

 自己立法

E

 自律

F

 意志の格率

G

 普遍的立法

H

 自然法

I

 義務

J

 善意志

K

 動機主義

L

 仮言命法

M

 定言命法

N

 人格

            3「目的の王国」の住人
感覚は時と広がり伴へどわが魂は永遠を恋ふ

 人間の尊厳は,「実践理性」によって主体的に行動する@(  )たるところにあります。それでカントは「@(  )は決してA(     )とされてはならず,それ自身がB(     )とされるべきである。」と説きました。そして互いに@(  )として尊重し合う社会を「C(     )」と呼んで,常に「C(     )」の住人のように生きるべきだと説いたのです。

 国際社会の関係も互いに国家同士が尊重し合うべきだと説き,D(        )としての国際機構の設立とその下でのE(    )を目標とした『F(        )』を著し,恒久平和の実現を目指したのです。

 カント自身はたとえ神が存在せず,魂も肉体と共に滅びるとしても,あくまでG(    )に対する尊敬の気持を失わなかったでしょうが,現世の現象界の遍歴を終えた魂が,不滅であって,魂だけの世界で傾向性に邪魔されずに清らかな永遠の交わりを出来ることを,実践理性の要請として求めたのです。つまり宗教はH(       )として成立するのです。

 物自体が不可知なように,神や魂もI(   )に属すので純粋理性では,神や魂の不死は論証できません。むしろ神の実在や魂の不死は理論的には全く背理なのです。でも時間・空間を超越した,人間の統覚では掴みきれない形而上学的なI(   )に不可知なものが存在するのを否定することもできません。それで信仰対象としては実践理性からは,両者ともとても有意義な思想なのです。実践理性すなわち人間の霊魂は,身体と共にあることで現象界の傾向性にとらわれがちですが,同時にJ(        )の国のような,それ自身K(      )にも属しているとカントは信じたいのでしょう。

3上の文章の@(    )〜K(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。

【語群】心の中の神 目的の王国 可想界 人格 永遠平和のために 同時に目的 
不滅の世界 完全軍縮 道徳からの要請 集団安全保障体制 単なる手段 道徳法則

@

 人格

A

 単なる手段

B

同時に目的 

C

 目的の王国

D

集団安全保障体制 

E

 完全軍縮

F

 永遠平和のために

G

 道徳法則

H

 道徳からの要請

I

 可想界

J

心の中の神 

K

 不滅の世界

          4フィヒテ・絶対我の哲学
銃剣に踏みにじられし祖国こそ国民覚ます絶対我が生む

 カント哲学では,経験的世界と超経験的世界,自然と道徳,つまり理論理性と実践理性が@(     )に対立しています。これをA(        )の立場に立って克服しようとしたのがB(    )17621814)です。彼は『C(       )』で一切の認識は実践的なD(     )によるとしました。そして個人的な自我の根底に超個人的精神としてのE(    )を置いたのです。個人的な自我もF(   )である自然対象も,このE(    )が自己実現を目指してつくり出したものなのです。個人的自我は真の自我を実現する為に,対象的なF(   )の疎外を克服しなければなりません。この理想実現の営みこそが道徳的善なのです。彼は『G(         )』で,ナポレオン軍に占領されたドイツ国民の士気をたかめ,H(      )の高揚を計ったのです。

4
上の文章の@(    )〜H(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。
【語群】非我 全知識学の基礎 民族的自覚 実践理性の優位 絶対我 自我の働き
ドイツ国民に告ぐ 二元論的 フィヒテ

@

 二元論的

A

 実践理性の優位

B

 フィヒテ

C

 全知識学の基礎

D

 自我の働き

E

 絶対我

F

 非我

G

 ドイツ国民に告ぐ

H

 民族的自覚

 

       5シェリング・美的観念論とロマン主義
禁断の恋ならばこそ燃え上がる激しくロマンしかけてきて

 フィヒテでも@(     )は非我として自我にとって,やはり対立的な面を持っていました。
 A(     )17751854)は,『B(         )』で,@(     )の中にC(    )を直観的に把握するD(      )が最高の徳だとしたのです。この「E(     )」に立てば,F(      )であることになり,「G(    )」が打ち出されます。A(     )のいうC(    )とは自我と非我,精神と自然,主観と客観の根源にあって,自我と非我,精神と自然,主観と客観も同じC(    )の現れに過ぎません。だからこそ我々はH(    )や美的直観によってC(    )を感得できるのです。

 A(     )によれば,自然は知覚の対象になりうる精神であり,精神は知覚の対象とならない自然です。自然と精神はI(    )の量的な差異に過ぎないのです。そこで絶対者の自己展開として自然の発展を捉えました。絶対者は先ず最も低いI(    )としての力学的物質の段階から,磁気・電気・化学過程の段階を経て,有機的生命の段階へと姿をあらわし,J(    )をもつ人間の精神である最高段階に達するのです。つまり人間の意識は自然のJ(    )なのです。

 生けるK(     )との美的・直接的な一体感は,当時のL(     )思潮と深く結びついていました。18世紀は理性万能で,主観と客観の対立に固執し,自然は意志や感情をもたない無機的な力学的自然として捉えられて、数学的合理主義によって普遍的・法則的な傾向に還元されてしまっていたのです。これに対する反動として18世紀後半から19世紀初頭にかけてM(          )を取り戻し,N(          )を大切にして, 自由な創造精神を解放しようとするL(     )文芸が盛んになったのです。この影響で哲学でもO(        )を目指し, 自然を人間をも包摂する生ける全体として捉えるK(     )観を再評価する傾向が強くなったのです。
A(     )は晩年にはへーゲルの否定(消極)の哲学を克服して,肯定的なP(    )を展開しました。 
 5
上の文章の@(    )〜P(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。
【語群】直接的・個性的感情 ポテンツ 同一哲学 シェリング 有機的自然 
積極哲学 存在と思惟が同一 対象的自然 芸術的・宗教的感情 絶対者 
主観・客観の合一  ロマン主義 知的直観 自己意識 先験的観念論の体系 
知的な働き 美的観念論

@

 対象的自然

A

 シェリング

B

 先験的観念論の体系

C

 絶対者

D

 知的直観

E

 美的観念論

F

存在と思惟が同一

G

 同一哲学

H

 知的な働き

I

 ポテンツ 

J

自己意識 

K

 有機的自然

L

 ロマン主義

M

芸術的・宗教的感情 

N

直接的・個性的感情 

O

主観・客観の合一

P

 積極哲学

 

 

       6へーゲル哲学の成立と『精神現象学』

 カントが物自体の認識が不可能だとしたのは,人間の認識が@(     )の認識だからです。しかし人間の認識には浅い表面的な認識もあれば,深い本質的な認識もあります。このように人間の認識を発達するものと捉えれば,やがてA(     )の認識に到達するのではないだろうかとB(      )17701831) は考えたのです。もっと正確に言えば人間の認識はA(     )の認識の一段階ではないかと考えたのです。

 われわれは自分たちの認識を個人的な認識とだけ捉えがちですが, 自然や社会の中でさまざまな働きかけを受けて認識が行われています。ですから単に個人的な認識作用に止まらないで, C(    )や自然の営みにも含まれているのです。このような全体的な認識の運動があると考えますと, 個人的な認識と考えていたものがA(     )自己認識の一段階を構成することが分かるのです。  

 ヘーゲルは意識が様々な経験を積み,D(        )からE(     )まで遍歴し,成長していく過程を,学への導入として『F(      )』(1806) に著しました。それぞれの段階で それ自身に即した意識=G(   )」と「自己に対した意識=H(  )」と両者の区別を克服した意識「I(     )」という弁証法的な展開を観せています。 
        『精神現象学』目次

 (A)意識 
   感覚的確信,  おもいこみ・このもの
   知覚,     知覚・・・・物
   力と悟性    悟性・・・・力,法則

 (B)自己意識
   自己意識だという確信の真理 自己意識・・他者
   A自己意識の自立性と非自立性 主・・・・・僕
   B自己意識の自由 

 (C)理性 ・理性の確信と真理
   A観察する理性     観察する理性・・自然
   B理性的な自己意識の自分自身を介する現実化  行為する理性・・現実
   C絶対的に実在的であるのを自覚している個体性 普遍的な理性

 (BB)精神 ・精神
   A真実な精神,人倫 (ギリシア的ポリス)
   B自己疎外的な精神,教養
    ・教養   ・啓蒙  ・絶対的自由と恐怖 (ジャコバンの独裁)

 (CC)宗教 ・宗教 (DD)絶対知 ・絶対知

   目次からも分かるように,個人的感覚的な意識から出発して,主観性を克服し,自然や社会を貫く精神へと発達し,最後には世界史や全ての教養・宗教を総括してE(     )に到達するのです。
上の文章の@(    )〜I(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。
【語群】即且対自 有限者 感覚的な確信 対自 絶対者 精神現象学 絶対知 即自
人間社会 ヘーゲル

@

 有限者

A

  絶対者

B

 ヘーゲル

C

 人間社会

D

 感覚的な確信

E

 絶対知

F

 精神現象学

G

 即自

H

 対自

I

 即且対自

 

 

 

 

 

              7ヘーゲルの哲学体系

  『精神現象学』で絶対知に到達した上で,ヘーゲルは@(     )の立場に立って,哲学体系を展開しようとします。これを学の百科全書『A(        )』と銘うちました。 

          『エンチュクロペディ』目次

       ☆「論理学」
        ・有論・・・・A質   B量   C度量
        ・本質論・・・A本質  B現象  C現実
        ・概念論・・・A主観的概念 B客観 C理念

       ☆「自然哲学」
        ・力学・A空間と時間B物質と運動 C絶対的力学
        ・物理学・A普遍的個体B特殊的個体C総体的個体
        ・有機体学・・A地質 B植物 C動物

       ☆「精神哲学」
        ・主観的精神・A人間学 B精神現象学 C心理学
        ・客観的精神・A法 B道徳性 C人倫
         C人倫・・・a家族 b市民社会 c国家
        ・絶対的精神・・A芸術 B啓示宗教 C哲学

   先ず「B(      )」は絶対精神の中にある論理的カテゴリーの体系です。世界を捉える論理の体系が先にあって,自然界・人間界が現れることができるのです。絶対者の立場から観れば,論理体系も自然界も人間界も皆同じ絶対者の現れですから,
C(       )である論理体系が先に在るとすれば,自然界・人間界は
D(       )に過ぎないことになります。

 ところが自然界・人間界は偶然性や雑多性,曖昧性,無規則性に支配されているように観え,なかなか論理立てて説明したり,認識することは難しいのです。つまり
E(        )や自然は非論理的な存在で,論理の他者として現れます。でも論理は思惟の働きによって,一見非論理的に観える事柄の中に見出されてこそ論理と言えるのです。論理は自らを見出させるために論理の他在の姿をとるのです。これは論理が
F(               )ということですから,論理が自己を自己に疎遠なものとして外化する論理自身の「G(      )」なのです。

 @(     )絶対精神はこうして自己を自己とは疎遠な自然界・人間界として外化しつつ,その中で経験や教養を積み論理性豊かな精神として自己を高めて,自分自身である@(     )絶対精神に発展していき,自己を取り戻すのです。

 自然界・人間界をあくまで人間的認識の対象として客観的にだけ捉え,他方で認識する人間の主観にのみ精神性を認めるデカルト的な主観・客観的認識図式では
H(            )は神への信頼に依存することになってしまいます。自然界・人間界を思惟のG(      )とすることによって始めて,
H(             )が実現し,全てを包括する絶対者の認識が可能になるのです。
7
上の文章の@(    )〜H(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。
【語群】自己疎外  思惟の体系  マテリー(物質)  思惟と存在の一致  論理学
絶対精神   論理の顕現  エンチュクロペディ  他在に在って自己の下に在る

@

 絶対精神

A

エンチュクロペディ  

B

 論理学

C

 思惟の体系

D

  論理の顕現

E

  マテリー(物質)

F

 他在に在って自己の下に在る

G

 自己疎外

H

 思惟と存在の一致

 

             8ヘーゲル哲学と弁証法

   『大論理学』や『エンチュクロペディ』で壮大な体系を構築したヘーゲルの論理展開の方法は〔@(              )〕〔A(      )〕〔
B(                     )〕などで表現される「C(     )」です。

 形式論理学では〔D(       )〕とされます。これをE(        )
F(     )と言います。確かにこれは自明の理と言えますが,これでは変化や発展の論理は展開できません。現実の事象は常にそれに対するG(   )を孕んでいます。生きているということは,他の生きているものを殺し,その死によって生命を維持する事です。

 生命という肯定は死という否定に媒介されて,死という否定を否定する生きるという営みを続けるのです。種は種でしかないとすれば,種ではありません。種を否定するものを自らの内に持っているので,種は種でなくなります。でも,種でなくなって何でもなくなると,それは種ではなかった事になります。種に対する否定を否定して芽になることで種であったことになるのです。こうして芽には種であったこと,そして種でしかなくはなかったことの両エレメント(契機)が否定的に保存されています。このように対立する両契機は次の段階で単純になくなるのではなくて,克服されながらも意義づけられ保存されることをH(        )(止揚・上に揚げること)と言います。この言葉にはヘーゲル哲学の否定的・発展的な面と,保守的な面が共存しているのです。

 このように全ての事象は自らをG(   )するものによって前提されています。そして否定するものとの対抗によってG(   )をG(   )して,自分を保っているのです。つまりすべての事象はI(                )なのです。そしてこのJ(      )が発展して従来の形を保てなくなりますと,K(      )によって,より発展した段階の現実が生じるのです。このC(     )は,論理そのものの展開にも,事物の発展にも,社会的現実の発展にも見出される論理です。

8上の文章の@(    )〜K(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。
【語群】対立物の統一  矛盾律  弁証法  A=A,A≠  否定  矛盾  自己同一律
肯定・否定・否定の否定  アウフ・ヘーベン  正・反・合  否定の否定 
即自・対自・即且対自

@

 肯定・否定・否定の否定

A

 正・反・合 

B

即自・対自・即且対自 

C

  弁証法 

D

 A=A,A≠ 

E

 自己同一律

F

 矛盾律

G

 否定

H

  アウフ・ヘーベン

I

 否定の否定 

J

 矛盾

K

 対立物の統一

              9主と奴の弁証法

  『精神の現象学』で人間の@(     )が成長し,相互に独立した人格として自立し,尊重し合うに至る過程をヘーゲルは「A(                )」で説明しています。人間は自らの欲望を充足することによって生きていますが,限られた富の中で自分の富を獲得することに成功しなければ生きていけません。そこで人間たちは,どうしても自分の@(      )の自立をかち取るためにB(                   )に駆り立てられるのです。

 ヘーゲルによれば,C(      )を克服して堂々と戦った者が勝者になり,
C(          )に怖じ気づいた者が敗者になります。その結果勝者はD(  )となり,敗者はE(   )となるのです。主は奴の生命を保障してやるかわりに,奴は主に絶対服従しなければなりません。主の為に奴は全ての財を生産し差し出さなければなりません。

 でも生産を通して,奴は経験を積み,物事の道理を知り,道具の扱い方や生産機構の動かし方を知り,F(          )に成長します。これに対して主は奴に依存して享楽と消費に身を持ち崩してしまうのです。このような主と奴の逆転を通して,主と奴という@(     )の自立性と非自立性の段階を克服して,独立した自由な人格の相互関係が成立するのです。

 最近フランシス・フクヤマが「A(                )」に関するコジェーブの独特なヘーゲル解釈を用いて『歴史の終わり』を論じて話題を集めました。しかしヘーゲルは主と奴の対立が無くなって,均質的な独立した諸個人の時代になれば「歴史が終わる」とは決して言っていません。@(     )が非自立性を克服して自由な人格になる過程を,象徴的に表現したのが「A(                )」なのです。ヘーゲルによれば歴史は,G(    )がG(    )の概念に相応しいものに発展する過程です。G(    )の前提に,ヘーゲルは自由な独立した諸個人の「H(             )」を想定しています。
H(             )での諸個人の利害を自由の理念である法の実現によって調整するのがG(    )なのです。へーゲルは歴史は自由として自己を実現する絶対精神の自己展開であると主張しました。 
9
上の文章の@(    )〜H(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。
【語群】国家  主と奴の弁証法  自己意識  市民社会  死の恐怖   
実質的な支配者
    生死を賭けた戦い

@

 自己意識 

A

  主と奴の弁証法

B

 生死を賭けた戦い 

C

  死の恐怖

D

 

E

  

F

 実質的な支配者

G

 国家

H

 市民社会 

 

            10家族−市民社会−国家 

 『精神の現象学』によれば,精神の内容は,個々人の精神としての主観的精神に止まっていては何も実現できません。それは人倫に具現している客観的精神として通用しなければならないのです。しかもそれは単なる一時的な,部分的な,固定的なものであってはなりません。歴史を貫いて発展する理念を体現したものであるというように自己を高めなければならないのです。

 カントは道徳的な意識に関しては動機主義で,主観的な善意志だけしか無条件には善と認めません。しかし主観の真理に固執して,それと両立しない既成の人倫的な慣習や伝統的文化を破壊するのは,ヘーゲルに言わせれば,特殊の立場に固執するので「@(  )」なのです。現実に通用している文化はそれなりの根拠を持ち,現実を貫く理性を担っているからこそ通用しているのです。『A(      )』では
「B(                                                            )」とされたのです。

 人倫はまず,C(            )としての家族の形を取ります。ヘーゲルの想定している家族は夫婦とその子を単位とする近代的な単婚小家族です。家族は「
D(            )」なのです。夫婦は愛によって,精神的にも自然的(肉体的)にも結ばれます。そして愛の証としての子供達を共同で育て上げます。その為には家産が必要です。それは市民社会の中で職業を通して手に入れなければなりません。

 市民社会ではE(          )が支配しますから,いかに最小限の努力で最大限の富が獲得できるかという悟性が重要です。市民社会の富は有限ですので,ホッブズのいう「万人の万人に対する闘争」が展開します。私人達の私利追求の場である市民社会は,分業による共同を基礎にしながらも,F(          )として現れます。アダム・スミスはレッセ・フェール(自由放任主義)で経済外強制が取り除かれれば,見えざる手が働いて調和が実現すると考えました。しかしヘーゲルは,産業革命の結果の市民社会の悲惨と混乱を観ていますから,国家的理性による調整を不可欠だと考えたのです。

 この分裂を止揚したG(                   )が理性的段階の国家です。国家は公共の福祉の立場に立って, 普遍的理性の立場から法を通して市民社会に調和をもたらすというのです。その為には市民社会に直接利害を持たないユンカー(土地貴族)階級が官僚となって国家を運営することが望ましいとしています。ヘーゲルは専制的な立憲君主国家だったH(               )を最高に自由で理性的な国家として合理化したのです。

10上の文章の@(    )〜H(    )に当てはまる適語を下の語群から選んで、解答欄に記述しなさい。
【語群】愛の共同体  プロイセン国家  経済的合理性  最高の人倫態  
人倫の分裂態    法の哲学   感性的な直接態 
現実的なものは理性的であり,理性的なものは現実的である

@

   

A

  法の哲学

 

 

B

 現実的なものは理性的であり,理性的なものは現実的である

C

 感性的な直接態 

D

  愛の共同体  

E

経済的合理性 

F

人倫の分裂態 

G

 最高の人倫態

H

 プロイセン国家

西洋現代思想
社会主義思想

1ユートピア社会主義
搾取なく共に富産む世の中を作りて命のよろこび謳へや

  産業革命がイギリスで18世紀後半から始まり,@(      )が確立していきました。しかしA(         )追求のみを原理にする資本家階級の支配の下で,労働者階級は重労働と厳しい搾取,失業の不安に喘ぎ,窮乏化を深めていました。
 そこでB(           )の『ユートピア』以来,書き続けられていたユートピア小説で語られてきたC(             )のない理想的な共同社会を建設しようという運動が起こり,その為の構想が練られ,実験が行われるようになりました。この運動は, 後の科学的社会主義の立場からは,社会の科学的分析と理想実現手段の認識を欠いていたため「D(                               )」と呼ばれます。
    
  
サン・シモン       シャルル・フーリエ   ロバート・オーエン
 フランスのE(                 )17601825) は,『F(                         )』で,労働と科学を基礎にして合理的に経済が統制された搾取のない理想社会として産業社会を構想したのです。そこでは資本家と科学者と労働者からなるG(               )が共同で管理,支配することになります。
 H(             )17721837) は『I(                   )』を著し,生産協同組合とその複合体からなる協同社会「J(               )」を構想したのです。後の現代社会主義は国有企業を国家権力が運営する形をとり,結局行き詰まりましたが,協同組合の連合体を基本にする社会主義の可能性も試みる価値はあるようです。
 イギリスのK(                     ) (1771 1858) の代表作は『L(          )』です。かれは自分の経営するM(                   )の工場の労働条件を改善し, 厚生施設や労務管理を近代化しました。この模範工場の運営に成功したのです。当時厳しい自由競争の時代でしたから,最大限の利潤を目指して,非情な労務管理をしないと競争に敗れて,潰れると思われていました。K(                     )は労働者に良い待遇を与えることで,働きがいがあり,主体的に創意工夫が生まれて,生産性が向上するようにして,かえって経営を成功させたのです。
 

                                                         
                      ニュー・ハーモニー村
 次いでアメリカで愛と協同による共産村であるN(                          )の建設に挑戦しましたが失敗して,全資産を無くしてしまいました。それでも彼は挫けずに,イギリスに帰ってからは労働組合運動やO(              )を指導して労働者の地位と生活向上に尽力したのです。

1.上の本文の(        )の中に次の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
ユートピア社会主義  最大限利潤  ロバート・オーエン  私有財産  シャルル・フーリエ 
産業者階級  ニュー・ラナーク  サン・シモン  ニュー・ハーモニー村  資本主義 
新社会観  協同組合運動   四運動の理論  トーマス・モア 産業者の教理問答

@

資本主義

A

最大限利潤

B

トマス・モア

C

私有財産

D

空想的社会主義

E

サン・シモン

F

産業者の教理問答

G

産業者階級

H

シャルル・フーリエ
I 四運動の理論 J ファランジェ K ロバート・オーエン 
L 新社会観 M ニュー・ラナーク N ニュー・ハーモニー村
O 協同組合運動        

         2若きマルクスの疎外論

 マルクスの三つの源泉たずぬればヘーゲル・スミスにフレンチレッズ
資本家も己が疎外の姿なり、すべては主体のあり方に帰す
文明を作りし罰かプロメテウス岩に縛られ内蔵抉らる
嵐をも巻き起こしたり温暖化わが身に返る疎外ならずや

  科学的社会主義の創始者は、@(              )18181883) とA(                   ) (18201895) です。ロシア革命の指導者B(        )はマルクス主義の源泉を3つ取り上げました。イギリスのC(           )(特にスミスとリカードのD(             ))とE(                  )そしてF(                    )(特にG(                 ))です。それらを批判的に摂取した成果として科学的社会主義の学説を位置づけたのです。
 ヘーゲルやその批判者で人間学的唯物論を説いたH(               )から
I(         )論をマルクスは学びとりました。それを労働に適用して,J(             )の論理を分析しました。1844年の『K(              )』では次の「四つの疎外」にまとめました。この労働のI(         )の論理がL(                       )の重要な要素になっています。
〔1〕M(                )―人間は自分たちが生み出した生産物が,自分たちのものにならないで,自分た  ちから独立し,自分たちに敵対して自分たちを苦しめる
「M(                )」に陥っています。この生産物には広い意味では文明もふくまれます。人間が生み出した文明は人間から自立し、一人歩きして、人間の手におえないものになり、人間に対立して人間を苦しめています。
〔2〕N(                 )−M(                )が起こるのは,労働が自由な活動ではなく,強制された苦役として無理やりやらされる「N(                 )」に陥っているからです。
〔3〕O(                     )―N(                 )が起こるのは,「O(                     )」によるのです。つまり人間という類は労働することを本質的な特長にしています。労働によって自己の能力を発揮し,自己実現できるのです。労働によってさらに人間生活を豊かにし,自然をそれに相応しく作り変えて人間環境として素晴らしいものにするのです。ところがこの活動が,実際には苦役であり,衣食住などの消費生活の手段としてしか捉えることができません。本来は目的である筈の自己実現活動が自己喪失活動としてなされており,実際の目的である生活手段を獲得する為の手段でしかないのです。これが「O(                     )」という意味なのです。これは〔1〕〔2〕の帰結であると同時にその原因でもあるのです。
〔4〕P(                    )―もし人間同士が互いを共同で働き,共同で消費する身内と見なすことができていたら,「O(                     )」も起こらなかったでしょう。自分が作った物が人々の欲求を充足することに自己実現を感じ,生きがいを感じられる筈です。しかし現実は,労働を通して各人が作るものは
 分業社会では,見ず知らずの他人の消費するものです。自分も他人の作った物を手に入れるために,自分が作った物を提供しています。ところが両者は互いにできるだけ少ない労働で,他人のできるだけ多くの労働の成果を支配しようとしていますから,相互支配であり,対立的な関係にあるのです。労働自体が他人を支配する為に他人に支配される関係になってしまい,類的な共同として実感できないのです。この相互支配,敵対的な人間関係が「P(                    )」です。この原因は生産物を排他的に所有し合う私有財産制度にあるのです。私有財産を無くして共同的な人間関係を築き上げることができれば,互いは同じ共同的な全体の身内として意識され,四つの疎外も克服できるというのです。
2.
上の本文の(        )の中に次の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
フリードリッヒ・エンゲルス フォイエルバッハ 労働からの疎外  経済学・哲学手稿  労働価値説  人間(他人)からの疎外   古典派経済学  レーニン 自己疎外
現代ヒューマニズム  生産物からの疎外  ドイツ観念論哲学  フランス社会主義 
疎外された労働  類的本質からの疎外  ヘーゲル弁証法 カール・マルクス

@

カール・マルクス

A

フリードリッヒ・エンゲルス

B

レーニン

C

古典派経済学

D

労働価値説

E

フランス社会主義

F

ドイツ観念論哲学 

G

ヘーゲル弁証法

H

フォイエルバッハ

I

自己疎外

J

疎外された労働

K

経済学・哲学手稿

L

現代ヒューマニズム

M

生産物からの疎外 

N

労働からの疎外

O

類的本質からの疎外  

P

人間からの疎外

 

 

3フォイエルバッハ・テーゼ

対象(もの)すらも実践として主体なり、西田ビックリこれぞマルクス
内在の理念にあらず本質は社会つくれる関わりの和ぞ
反省は猿もできるぞ「哲学者」、解釈のみで変革忘るな

そして『@(                              )』では,「これまであったあらゆる
A(     )
(それにはフォイエルバッハのものも含まれるのだが)の主要な欠点は、B(    )や現実や感性が客観あるいは観照という形式のもとでだけとらえられていて、人間的な感性的行動、すなわちC(    )として、D(    )にはとらえられていないということである。」
 このテーゼには西田幾多郎もビックリです。B(   )としての事物は、人間の身体の外にあって、他者の姿をとっていますが、カントに言わせれば主観の感覚が構成したものでしたね。フィヒテは自我が自己の障害として作り出したものでした、マルクスは自己の実践の姿だとD(    )に捉え返すべきだというのです。 
 
また人間の本質についても語っています。
「人間の本質は,現実的には,E(                                  )である。」と科学的な人間観を明確にしました。現実の諸個人を理解するのに,予め頭の中で考えついた人間の本質で説明しても,具体的な説明にはなりません。現実的には,その人がどんな社会的な関係をいろんな場面で取り結んでいるのかを知ったうえで,その総和として理解しなければならないということです。人間の本質が思惟とか労働であると理解するの間違いだと言っているのではありません。
 またマルクスは,「哲学者たちはF(                      )してきたにすぎない。肝心なのはG(               )することである。」とH(                  )を示すテーゼを打ち出しました。世界は変革しないでもよいのなら,哲学者によって受け止め方次第で,好きなように解釈できます。でも変革しなければならない場合は,いい加減な解釈では必ず失敗してしまいます。実践によって試され,発展した世界の認識こそが大切だというのです。
3.
上の本文の(        )の中に次の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
実践的唯物論   フォイエルバッハ・テーゼ  対象   世界をさまざまに解釈
 社会的諸関係のアンサンブル(総和)  世界を変革   唯物論 主体的  実践   
 

@

フォイエルバッハ・テーゼ

A

唯物論

B

対象

C

実践

D

主体的

E

  社会的諸関係のアンサンブル(総和)

F

 世界をさまざまに解釈

G

 世界を変革

H

 実践的唯物論

               

4唯物史観

存在に生みだされたる意識なり、意識が存在生むのではなく
経済の根っこが有りてその上に政治文化の花が咲けるや
生産の力が伸びて桎梏になりし関係滅び去るのみ
           

  これらを踏まえてマルクスとエンゲルスの共著『@(                          )』や『A(              )』ではB(           )の立場を確立したのです。政治や法律,思想や文化などはC(             )であって,D(                )に規定されています。その事に無頓着に前衛的な思想で変革の旗手になったつもりでも,世間はびくともしません。各時代のE(        )は漸次発達するF(       )と,その時代を通じて変化しないG(          )の矛盾を抱えています。G(          )がF(       )の発展に大きな障害になった場合に,G(        )の変革がなされ新しいE(        )の時代が誕生するのです。C(             )はこのような土台の変化に対応して変化するのであり,その時代の課題を正しく認識ししていないと有効な思想にはなれないのです。
 ところで生産関係は生産手段を所有している階級が,生産において生産手段を所有していない直接生産者階級を支配する関係なのです。これは生産力の発展段階によって
<無階級社会であるH(            )⇒I(           )⇒J(           )
K(             )⇒L(             ))>の五段階に区別されます。
こうして歴史はギゾーが言ったように「M(         )の歴史」であること,その結果として共産主義社会到来のN(       )が科学的に主張されたのです。

4.上の本文の(        )の中に次の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
生産力 上部構造   唯物史観 近代資本制   生産様式  共産党宣言 必然性 
階級闘争  新しい共同体  中世封建制  古代奴隷制  原始共同体   経済的な土台 
生産関係 ドイツ・イデオロギー

@

ドイツ・イデオロギー

A

共産党宣言

B

唯物史観

C

上部構造

D

経済的な土台 

E

生産様式

F

生産力

G

生産関係

H

原始共同体

I

古代奴隷制

J

中世封建制

K

近代資本制

L

新しい共同体

M

階級闘争

N

必然性 

  5剰余価値理論
働かぬ人の分まで働いて、搾り取られて身も痩せるかな
 一日の生活費だけ働いて、はいさよならではおとといおいで
             

   マルクスは資本主義経済を科学的に分析して, その固有の矛盾を明らかにしました。この体系的な成果が1867年の『@(       )』です。そこで彼は,スミスやリカードのA(           )を批判的に継承し,労働者に対する搾取の構造を明らかにした
B(           )説を展開したのです。
 
C(             )の価値も他の商品と同様に生産費に規定されますから,結局労賃は, D(                               )に当たります。ところが労働者はその上に必要な労働時間を越えて,一労働日全体にわたり労働力を使用させられます。例えば4時間で労賃分の価値を生み出せたとしても,E(           )働いたから家に帰ろうとすれば,もう明日から来なくてよいと解雇されてしまいます。資本家から決められている一労働日は,例えば8時間で,もう4時間職場で働く契約になっているのです。このF(            )のB(           )が資本家の獲得するG(      )の全源泉になるわけです。マルクスによればこのF(            )の価値も労働者が生み出したのだから,資本家がこれを自分のものにするのはH(            )だというのです。
 もちろん資本家にすれば,工場の設備や原材料・燃料に投資して調達し,労働者が働ける条件を作ったのですから,それに対して何らかの報酬があってしかるべきだと考えます。それで労働者が自分の労賃分以上に働いて資本家にG(      )を与えても,
H(            )ではないと反論します。
 そこでマルクスは「I(           )」と「J(           )」というカテゴリーを使って説明します。I(           )は労働力以外の生産諸力を意味します。つまり
K(                )などです。これらは法則的には市場で価値通り売買されますから,生産に当たっても価値を増殖することはないのです。たとえば1億円の機械が10年の償却期間の内に,生産物に1億2千万円の価値を付加したとしますと,2千万円の価値を増殖したことになりますが,そんな機械なら1億2千万円でも市場で売れますから,平均すればやはり1億円の機械はB(           )を生まないのです。これと対極的に労働力の場合は,法則的にB(           )を生みます。そこでマルクスは労働力のみが価値を生むから,本来すべての価値は労働者のものであり,B(           )も労働者が有効に使用すべきだと考えたのです。
 もっともマルクスは既に資本と経営の区別に敏感でした。L(         )という19世紀の半ばから盛んになった企業形態を分析して, 企業経営を株主総会で雇われた労働者ができるのだから,資本家は既に不要になっているとして, 労働者自身が企業を運営する社会主義の現実性を説いたのです。
 またマルクスは『@(       )』では更に, 労働者階級の窮乏化法則や恐慌の構造を解明しました。また価格が価値に乖離することによって生じる労働からの疎外が, 利潤率の傾向的低下を法則的にもたらし,たとえ恐慌で革命が引き起こされなくても, 資本主義は必然的に死滅するとしたのです。

5.上の本文の(        )の中に次の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
株式会社  不当な搾取  労働力商品  不変資本  必要労働時間分 労働価値説  労働力を再生産するに必要な最低限度の生活費  剰余価値   資本論  利潤 
機械・原材料・燃料    可変資本  剰余労働時間分

@

資本論

A

労働価値説

B

剰余価値

C

労働力商品

D

労働力を再生産するに必要な最低限度の生活費

E

必要労働時間分

F

剰余労働時間分

G

利潤

H

不当な搾取

I

不変資本

J

可変資本

K

機械・原材料・燃料

L

株式会社

 

 

  

6物化・物象化・物神崇拝
商いの品物の同士が人として関わり合うのは神秘ならずや
 労働が生みし価値が自立して資本となりて我を苛む
人と物その区別にぞこだわりて価値はつかめぬマルクスの穴

   マルクスは労働力が商品化され,物として売買される@(               )を批判的に捉えています。そして人と人の関係が物と物の関係に置き換えられ,物と物が人間に代わって社会関係を取り結ぶA(        )を商品の価値形態や貨幣形態あるいは資本の諸形態を論じながら問題にしています。このような資本の論理が人間から自立して自らの論理で発展し,人間を包摂し,支配することもA(        )として批判されます。このような現象は経済に限らず,政治,法,社会,文化の諸現象にも制度や機構や価値観が硬直化し,B(           )して人間に対して不当に呪縛的に支配する形で見られます。
 また物が人間の社会関係を背負って,人間的な価値や権威を発揮する場合に,マルクスはこれをC(                    )だと批判しました。商品は人間の労働の価値を本質的な属性としているので,人々に物神崇拝されているというわけです。つまりマルクスは服という商品は服という事物としては,使用価値でしかないのだけれども,商品とみなされる限りで,人間労働の価値を身に受け取るので社会的価値として認知され,取り引きされるというわけです。
 D(         )にいたっては,人間の代わりに旗や勲章,機械や服装,組織や機構,地位や名誉,指導者の権威などが自己目的化して,人間がそのための手段や犠牲にされる場合にも偶像崇拝だと批判されますが,マルクス主義者の中にもC(             )をそういう意味で使用する人もいるようです。
 マルクス主義は社会主義世界体制の崩壊によって,かなり衰退していますが,現代ヒューマニズムとして「E(                       )」論は重要な影響力を保っています。
6.
上の本文の(        )の中に次の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
自立的展開   物化・物象化・物神性   フェティシズム(物神崇拝)  物象化 
エーリッヒ・フロム  人間の物化・商品化

@

人間の物化・商品化

A

物象化 

B

自立的展開

C

フェティシズム

D

エーリッヒ・フロム

E

物化・物象化・物神性


         

http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/shihonron/mokuji.htm
『資本論』の人間観の限界
-マルクス物神性論批判-として『やすいゆたかの部屋』に採録

実存主義

1主体的真理

巨大なる産業の世になくすまじ自由の魂主体性を

 産業革命以後資本主義と官僚制が急速に発達し,巨大な社会組織の下で諸個人は@(   )とA(      )を喪失し,B(                        )されるようになったといわれています。人間を主体的な人格的存在として捉えていた人々はこのような状況をC(        )の状況だと告発し,D(           )を叫びました。マルクス主義はその原因を資本主義体制に求めE(       )によって人間性の解放を実現しようとしました。一方その原因をA(      )の喪失に求めたF(         )はA(      )の回復を追求したのです。 
 G(                      )18131855) は,学生時代の『日記』で,ヘーゲルのようなあれもこれも取り入れて総合するH(         )ではなく,決断によって選び取りその為に生き,かつ死ぬことができるイデーを,即ちI(          )を求めました。
 
F(         )は、自然的事物のように予めJ(    )が決まっているととらえるのではなく、自分のあり方をK(                )として主体的に捉えて、決断によって自分のあり方を自分で選び取ろうとする思想です。

1.     @(      )〜K(        )に当てはまる適当な語句を次の語群から選びなさい。
物化・商品化・部品化・画一化   ゼーレン・キルケゴール   人間性の回復  
個性  主体的真理     実存主義    本質  人間疎外    主体性   社会変革   
 
客観的真理  現に存在する実存

@

個性

A

主体性

B

物化・商品化・部品化・画一化

C

人間疎外

D

人間性の回復

E

社会変革

F

実存主義

G

ゼーレン・キルケゴール

H

客観的真理

I

主体的真理

J

本質

K

現に存在する実存

2キルケゴールの大地震

 
神呪う吾は悪魔の血を引きて不義に生まれし罪の子ならずや

   キルケゴールは35歳の誕生日が来た事を信じられませんでした。何故なら自分は
@(            )35歳までは生きられないと思い込んでいたからです。それは彼の強烈なA(                   )に原因があったのです。彼の父は敬虔なクリスチャンで教会で説教する程でした。そんな父をゼーレンはとても誇りにしていました。ところがある日父は息子に昔の自分のことを打ち明けたのです。その話がゼーレンにとっては余りにショッキングで, 彼の生涯を決定することになります。
 実は他人からすればそれ程重大なことではなかったのです。というのは事情はこうです。彼の父は幼い頃とても貧乏でした。それで牧場で牛を追って暮らしていました。ある日天候が荒れ, 大変寒く, 暗く, 激しく落雷してとても恐ろしい思いをしたことがあったのです。余りの恐怖で, 父はついこんなひどいめに遭わせる神を呪ったということです。
 普通ならこんな敬虔な信仰深い父でさえ, 神を呪ったぐらいだから, お父さんは本当に苦労されたんだなあと同情するところです。ところがキルケゴールは, そんなことより「神を呪う」のは「B(     )」だと,衝撃を受けたのです。本当のキリスト者なら神の与えた試練に対して,神に感謝する筈だと思ったのでしょうか。
 もっと恐ろしい打ち明け話があります。父は大人になって努力の甲斐があり,商売に成功して裕福になりました。でも奥さん先立たれ,とてもさびしかったのです。それで女中さんについ手を出してしまったということです。つまり正式に結婚もせずにしたので,不義を働いたことになります。その結果できたのが他でもないゼーレンその人だったのです。「ああ俺は罪によって作られた不義の子だ,悪魔の血を引く呪われたC(      )だ」と思ってしまったのです。これも普通なら,後できちんと結婚しているのですから,微笑ましい父母の馴れ初めの昔話として聞けた筈ですね。
 このD(              )によってゼーレンはE(     )し,F(    )に耽るようになります。そしてますます自分の罪に脅えます。それを救ったのが清純な乙女レギーネとの出会いでした。彼はレギーネを愛することで再び正しく生きようとします。こうして二人は婚約したのです。ところがゼーレンはやがて激しい悩みに陥ります。
 彼は自分が救われようとしてレギーネと婚約しましたが,結婚は自分が救われるためにしてもよいものでしょうか。相手を幸福にすることを目的にすべき筈だとゼーレンは反省しました。だとすれば自分は「悪魔の血を引く罪の子」ですからレーギネを幸福にできる筈がないのです。彼は狂わんばかりに悩み抜いた挙げ句,「G(               )」のH(              )によって,愛すればこそ婚約を破棄したのです。
 ところが世間の連中はそんなキルケゴールの苦悩などお構いなしに,乙女心を玩び傷つけた無責任な変人として彼を中傷し,誹謗したのです。世間の連中は,G(               )の二者択一のH(              )などせずに,ただ成り行きで行動し,世間体を取り繕って非主体的に他人に合わせて生きているだけだ,本当に生きるとはそんなことではない筈だとキルケゴールは思ったのです。I(                      )実存的な生き方が,このキルゴールの個別的で個性的な事件でシンボリックに示されています。
 
ちなみにキルケゴールの父はこの思い出話をどんなつもりでしたのでしょう。子供のときの苦労を知ってもらったり、ゼーレンの母との馴れ初めのエピソードを知って欲しかったという気持ちからでしょうか、それともゼーレンのように、自分の悪魔的な本性やおぞましい罪によって絶望していたからでしょうか。普通なら前者だと思いますが、それが実は後者なのです。彼の信仰のあり方が、己の罪の深さを深刻に受け止めて、絶望の淵から神に救済を求めることにこそ、真の信仰があるという立場だったようです。

2.@(      )〜I(        )に当てはまる適当な語句を次の語群から選びなさい。
あれかこれか   放蕩   精神的大地震  呪われた存在   決断によって自分を選び取る  主体的決断  絶望   罪の子  悪魔   父親コンプレックス

@

呪われた存在

A

父親コンプレックス

B

悪魔

C

罪の子

D

精神的大地震

E

絶望  

F

放蕩

G

あれかこれか

H

主体的決断

I

決断によって自分を選び取る

 

     

3実存の三段階

若さゆえ美と快楽に酔いしれどやがてむなしき朝迎へむ
    身に負いし荷の重さゆえ甲斐ありき己の非力知りてはかなし
    人は皆神より離れ罪にありその絶望にあがき苦しめ

      

キルケゴールは「実存の三段階」について論じています。
「@(       )⇒A(       )⇒B(       )」の三段階です。
 まず@(     )です。快楽と享楽の中で「C(        )」を求め続ける段階です。この段階は絶望を知らない絶望の段階だというのです。キルケゴールの絶望は、「D(                 )」をいいます。その意味で絶望は罪ですね。快楽と享楽の中で「C(        )」求め続ける段階では、神のことなど考えていませんから、即自的に絶望なのです。でも絶望は忘れられているわけです。
 絶望は意識だから忘れていれば意識されていないので絶望といえないと思われるかもしれませんね。もし神とのつながりを感じていれば、快楽や享楽の方にいかないわけですから、のっけから神とのつながりはあきらめているということなのです。この快楽や享楽の追及は限りがありませんし、同じ事の繰り返しで感覚的に新鮮味がなくなり、挫折してしまいます。ついに絶望の自覚にいたり、次の実存に飛躍するのです。

この絶望による質的飛躍をヘーゲルの弁証法の向うを張って、キルケゴールは
E
(        )と呼んでいます。J,S,ミルの「質的功利主義」を意識しているかもしれません。どちらが先だったか、微妙ですが。

第二段階のA(       )は道徳的義務に生きようとします。何か社会的な責任や家庭的責任を背負って、それを生きがいにして生きようとするのです。これも絶望を知らない絶望の段階からはじまるわけです。そして責任が重くなって背負いきれなくなるし、完全に道徳的義務など果たせるものではありません。無力感にうちのめされて挫折せざるをえないというのでしょう。そうしてまた絶望を自覚して、次の段階に飛躍するということです。哀しくなりますね。そういう意味では悲哀の哲学といえるかもしれません。

そしていよいよB(       )の段階になるのです。自分が絶望つまり罪そのものであることを自覚して、神の御前にただ一人立つF(     )の実存です。そこではじめて主体性の回復がなされるということです。
 無神論者にいわせれば、神に向かってしまうということは、人生に絶望して、主体性をなくしているからではないのかということです。ニーチェはキルケゴールを世界に背を向け天上しか見ていない背世界者として批判しています。でも有神論ではむしろ神に還ることが主体性なのです。
 神に還るというのは天上に昇るという意味ではありません。つまり死ぬことではありません。神と共に生きるということです。『G(       )』では死の問題が正面に据えられます。『新約聖書』でラザロの病気が重いのですが、イエスは「この病は死にいたる病にあらず(This sickness is not unto death,)」と言われたのです。このことを肉体的な病気によってたとえ肉体が滅んでも、精神は滅びないということだと解釈しているのです。本当に恐ろしいのは精神が滅んでしまう病です。それがH(  )です。つまり人間が神とのつながりを失ってしまうということです。
 でもキルケゴールの論理だとみんなH(   )しているのだから、どうしてそこから脱却できるのでしょうか。それはやはりH(    )によってしかありません。人間は神を信じないという罪に落ちているのです。それで救われないでもがき苦しんでいるわけですね。その人間を神は憐れに思って人類の罪を贖うためにイエスという人間に身を落とし、人類の罪をみんな背負って十字架についてくださった。そのイエスの愛にすがるしかないということです。
 しかし、それが信じられないから絶望しているのですね。その絶望を自覚して、直視し、もがき苦しむ中で信仰がうまれるということでしょうね。 

@(   )〜H(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
死にいたる病 美的実存 神から離れていること 倫理的実存 絶望 宗教的実存  質的弁証法 単独者 あれも、これも

@

美的実存

A

倫理的実存

B

宗教的実存

C

あれも、これも

D

神から離れていること

E

質的弁証法

F

単独者

G

死にいたる病

H

絶望


 

  4アポロンとディオニソス

乱舞する民のエナジー昇華して悲劇生まれぬ歎け運命を

butai01.jpg
蜷川演出『オイディプス王』

   @(       )18441900) は,古典ギリシアの文献学者として『A(             )』を1872年に著し,造形的なB(             )なものと音楽的なC(                 )なものの総合としてのA(             )を解明しました。感情的・音楽的なものをディオニソス的と形容し,D(                       )を象徴しています。
 D(                       )は十年に一度程の周期で大きなうねりがあって,群衆化して乱舞狂乱する事があり破壊的行動も起こりました。このエネルギーを昇華し,E(      )な建築,彫刻などB(             )と形容されるものが生まれたのです。このようにギリシア文化の構造をダイナミックに捉え,「悲劇」におけるF(       )の要素を民衆的なエネルギーの象徴と解釈したところが新鮮です。
 

@(   )〜F(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
アポロン的  合唱隊  ニーチェ  悲劇の誕生  ディオニソス的  民衆の生のエネルギー造形的

@

ニーチェ

A

悲劇の誕生

B

アポロン的

C

ディオニソス的

D

民衆の生のエネルギー

E

造形的

F

合唱隊

 

 

 

 

  5超人への橋梁()

没落を願いて挑め限界にさにあらざれば蛆虫にもしかず

クリックすると新しいウィンドウで開きます

   ニーチェは現代文明が人間を堕落させ,衰弱させていることを嘆き,あくまでも向上を求め人間の限界に挑戦する生き方を1885年の『@(                  )』で説きました。人間は動物と超人の間の絶壁に架けられたA(    )であり,B(         )なのです。彼方の岸に憧憬の矢を放ち,C(       )を敢えて願ってもD(     )を生きるべきなのです。
 人間にとって猿は嘲笑の対象です。蛆虫も嘲笑の対象です。でもニーチェは人間は
E(                                     )だと言います。何故なら蛆虫や猿は進化の途上にあり,F(      )は上を向いていますが,人間は進化の頂上にあり,F(      )は下を向いているからです。だから人間の方が猿や蛆虫よりF(      )的には劣っていることになります。人間は自らの限界に挑戦して人間以上のG(    )を目指してこそ,蛆虫や猿よりも尊い人間であり得るのです。
 しかし進化の頂上にある者が,なお自らの限界を乗り越えるのは至難であり,危険を伴います。一条の綱の上は,進むに危うく,退くに危うく,佇立するに又危ういのです。敢えて危険に挑戦し,自らの可能性の限界を乗り越えようとする多くの人々のC(       )に支えられて,始めて人間は文化を向上させ,G(    )を生むことができるのです。
 ところがH(              )達や社会主義者達はI(               )(劣等感による妬みからくる怨恨)から向上しようとする人々を非難し,隣人愛の十字架に磔にしようとします。またH(              )達は「J(                                       )」という事を知らないように振る舞っています。でも実際もし神が存在しているとしたら,決してできないような振る舞いをH(              )たちは普段しています。隣人愛などお構いなしにいかに他人を蹴落として自分が成り上がり,富や名誉を手に入れようと私利私欲のために競っています。ところが日曜日になるといかにも敬虔なH(              )で隣人愛に満ち溢れた人格のように振る舞っているのです。
@(   )〜J(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
ベクトル  神は死んだ。人間が神を殺したのだ。 過渡  超人  橋 キリスト教徒   ツァラトゥストラはかく語りき  猿よりはまだ猿,蛆虫よりはまだ蛆虫 ルサンチマン 没落  一条の綱

@

ツァラトゥストラはかく語りき

A

B

一条の綱

C

没落

D

過渡

E

猿よりはまだ猿,蛆虫よりはまだ蛆虫

F

 ベクトル

G

 超人

H

 キリスト教徒

I

 ルサンチマン

 J

神は死んだ。人間が神を殺したのだ。 

              画像:Nietzsche paul-ree lou-von-salome188.jpg
ルー・ザロメ、パウル・レー、ニーチェ

  6能動的ニヒリズム
神逝きぬ普遍の価値は偽りぞ自ら立てよ新たな表を  

   「神は死んだ。」以上,人間は形而上学的な@(           )(彼岸や霊界のことか)に価値を求めるべきではありません。生きた全体であるA(           )に忠実であるべきです。『B(             )(より強く生き,より大きな影響力,支配力を発揮しようとする意志)」を持って,常に成長しようとする生命の差し潮となるべきなのです。
 彼はC(                      )をめざす『D(                   )」の立場を打ち出したのです。神の死はニーチェによればE(               )の崩壊を意味しています。キリスト教的価値観は非キリスト教世界では通用しません。F(           )な普遍妥当的な正義は,フランス革命の挫折をきっかけに,理性が作り上げたG(         )だったと決めつけられるようになっていました。
 
近代の自立した人格的個人は機械と大衆の時代に平均化・非個性化し,流行に流される非主体的な存在に頽落して,H(        )を宣告されていたのです。それにデカルト的なI(                      )に基づく近代の科学的認識と既成の真理観も現象学や経験批判論,ラディカル経験論などによって脅かされようとしていました。より逞しく力強く生き,人間の限界に挑戦し,J(         )する世界を作ることを眼目におくべきで,既成の価値には囚われるべきではないと説いたのです。
 尤もこれらのK(                   )の傾向は「現代」という時代が,帝国主義戦争と革命の時代であり,分裂と抗争の時代であったことの表現だとも考えられます。西暦二千年代にはグローバルな危機を克服する為に人類的統合が進展し,E(               )が再確認されることになるかもしれません。見方次第では1985年以降既にそういう新世界秩序の形成の時代が模索されているとも言えます。
@(   )〜K(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
権力への意志   フィクション  主観・客観認識図式   背後の世界  普遍妥当的価値 
人格喪失  価値相対主義  超人の支配  自然法的   大地の意義  能動的ニヒリズム
 
既成の価値の価値転換

@

背後の世界

A

大地の意義 

B

権力への意志

C

 既成の価値の価値転換

D

能動的ニヒリズム

E

普遍妥当的価値

F

自然法的

G

フィクション 

H

人格喪失

I

主観・客観認識図式

 

     

7永劫回帰 
神なくば宇宙は閉じた全体か永劫めぐる運命愛さむ

 ニーチェは,@(            ),彼岸や六道輪廻などは認めません。『ツァラトストラはかく語りき』で綱渡りの場面があります。高い塔と塔の間をA(          )が,一歩一歩慎重に熟練した技で渡っていますと,突然一方の塔から五彩の服を来たB(      )のような男が綱の上を走り出て,前を行くA(          )に,足萎え,我が行く道を妨げるな!と呼び掛けます。驚いているA(          )の頭上をひらりと飛び越えて,前方の塔へ駆けていったのです。驚愕したA(          )は均衡を失い数十メートル下の地面に落下しました。「助けてくれ,ツァラトゥストラ,悪魔が地獄へ私を引いていく!」と懇願しますと,「安心しろ,悪魔もいないし地獄もない,汝は危険を職業にし,常に限界に挑戦して立派に生きて,それ故に死ぬのだから本望だろう」と慰めたら,A(          )は安心して,ツァラトストラに感謝して息を引き取りました。
 実存主義では繰り返しのきかないC(                    )だからこそ,
D(            )の下に自由に自己を選択して生きるべきだと考えます。ニーチェも有限なC(                    )が前提です。しかし,彼はコスモス全体が閉じた系に成っていると考えます。だとすると何兆年かかるかもしれないけれど,宇宙関数を想定すると巨大な循環で,コスモス全体が「E(         )」を行う筈だと考えたのです。つまり我々は「E(         )」によって無限に全く同じ人生を繰り返すことになるのです。ニーチェはこの「E(         )」をも自己の運命として積極的に受け入れることをF(      )として超人の資格にしています。
@(   )〜F(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
主体的な決断  運命愛  綱渡り人  天国や地獄  一度きりの人生  永劫回帰  ピエロ

@

 天国や地獄 

A

綱渡り人

B

ピエロ

C

一度きりの人生

D

主体的な決断

E

永劫回帰

F

運命愛

 

 

 

 


               
メビウスの帯
                                        

8精神の三態変化

     いつまでもラクダで終わってなるものか獅子の雄たけび幼児の戯れ

   彼は@(                 )を説きました。まず重荷を進んで背負う
A(                    )を持つべきです。多くの責任や任務を引受け,自分に大きな課題を課して,それと格闘し,自らの能力を高め,力を付けるべきです。しかし既成の体制や価値の束縛の下では,やがて自己の力を伸ばし,発展させる事は出来なくなり,衰退せざるを得なくなります。そこでより強く自由に生きようとする精神は,既成の体制や価値を否定して,自由を獲得し王になろうとするB(                 )に変態するのです。全て権力や体制を否定した後で,精神は否定や破壊に飽きて,C(   )を求めます。最後に創造や破壊の遊戯で,D(         )を行うE(              )に変態するのです。

@(   )〜E(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
幼児の精神   聖なる肯定   ラクダの精神   創造   精神の三態変化   獅子の精神  

@

精神の三態変化

A

ラクダの精神

B

獅子の精神  

C

創造

D

聖なる肯定

E

幼児の精神

                         カール・ヤスパース

 
        9機械と大衆の時代
 

        戦争と革命の嵐吹き荒れぬ二十世紀よ吾は生きしや 

20世紀こそ実存主義の時代です。20世紀は@(             )の時代と呼ばれ、文明そのものが危機に陥いり、人間とは何かが根底的に問い直されたのです。人間とは何かが疑問だったということは、一体どう生きればいいのかみんなが思い悩み、決断を迫られたということです。資本主義が高度に発達してA (                     )になり、これが資源と市場を求めて植民地の再分割競争を繰り広げていました。対外的にはB(           )として現れて、勢力争いをしていたわけです。国内的には周期的恐慌に見舞われます。そして労働者階級は政治的に成長して巨大な労働組合や社会主義政党が勢力を誇るようになっていました。
 二十世紀には二度も世界戦争が起こり、社会主義革命が起こって世界体制を形成し、世界資本主義を脅かすまでに発達しましたね。そういう激動の中で人々は難しい政治選択を迫られ、戦争や革命に参加せざるをえなかったのです。

では二十世紀の代表的な実存主義哲学者だれでしょうか?ドイツのC(             )18831969) とD(                )18891976) それにフランスのE(             )19051980)です。

C(           )は現代を『F(                             )』で機械・技術の支配する「G(                )」の時代,精神分裂症の時代だと規定しました。二十世紀が始まる頃から独占資本主義の支配が強化されて,重化学工業が発展し,大量生産・大量消費の時代に入り,H(     )的な商品が作られ,誘導された流行に乗せられて消費させられました。すべてが平均化・H(     )化・唯物化され精神は自己自身に意味を持たず,無力化・I(         )してしまったのです。
 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
戦争と革命  手段化  ハイデッガー  独占資本主義  サルトル  
画一的  帝国主義  機械と大衆  現代の精神的状況  ヤスパース 

@

戦争と革命

A

独占資本主義

B

帝国主義

C

ヤスパース 

D

ハイデッガー 

E

サルトル  

F

現代の精神的状況

G

機械と大衆

H

画一

I

手段化

 

     

 

10限界状況 

     逃れ得ぬ乗り越えられぬ壁ならばもがき苦しめ生きし証ぞ 

 大衆迎合的に流行に合わせて惰性的に生きると楽なのですが,人間である以上,どうしても「@(           )」にやがて直面せざるを得ないのです。それは逃れることも乗り越えることも出来ないA (     )なのです。ヤスパースは「B(                   )」の四つを@(            )の例に上げています。ゴータマ・シッダルタの四苦八苦「生・老・病・死・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五蘊盛苦」と比較してみて下さい。
 人間は@
(             )を受け止め,C(                 )によって真の自己の「実存」に目覚めます。つまり@(           )に生きることを受入れ,逃げないで
@
(           )と格闘し,@(           )との戦いこそが真に生きる事であることを自覚するのです。そのことで同時に壁の向こうにこの自覚に導いた「D(              )」の存在を知るのです。人間はこのA (     )に立ち向かうことを回避しようとしがちです。
E
(                )に生きることは実は@(           )からの逃避だったのです。 

 人によってそれぞれの壁は,F(               )です。だから人間は本質的に孤独です。しかし限界状況への挑戦においては互いに励まし合い,逃避しないように共同できます。これが「G(                           )」つまり「H(                  )」なのです。ナチス支配下でI(           )の妻との交わりはその典型だったのです。 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。 

死・苦しみ・罪責・争い   個性的で単独的   超越者(神)  ユダヤ人        限界状況  娯楽や流行    愛しながらの戦い   絶望・決断・回生   実存的交わり

@

限界状況

A

 

B

死・苦しみ・罪責・争い

C

絶望・決断・回生

D

超越者(神)

E

娯楽や流行

F

  個性的で単独的

G

愛しながらの戦い

H

実存的交わり

I

ユダヤ人

 

     

 

 11包括者

見るもののも見られるものも包み込むコスモスにして吾なる存在(もの)
 

  彼は見るものと見られるものの対立を包括し,全意識や全存在を包み込む「
@
(        )」を捉えようとします。存在そのものである@(        )はA(      )・超越者であり,われわれがそれである@(        )はB(                                    )です。 

 マルクスにも「意識はC(                       )である」という言葉がありますが,意識一般は感覚器官の作用であると共に意識対象が感覚に自己を対象化している営みでもあります。その意味でD(                       )は包括されて,@(        )の両面として把握されるのです。

 
 「E(                           )」のが全ての意識や存在の有り方です。その他の有り方は「E(                           )」の意識の反省や推論の中にしかありません。その意味で現存在は@(        )です。また意識は常に統合された意識として,その時代や社会に特有の精神としての有り方を示します。あらゆる意識や存在はその時代の精神的な課題を背負った,精神的な存在なのです。その意味でF(      )も@(        )です。しかし意識や存在がF(      )を帯びるのは,G(            )に真摯に立ち向かっているH(     )実存の意識や存在である限りですから,H(     )こそが@(        )なのです。 

 とはいえヘーゲルの『精神の現象学』にありますが,「意識は何ものかについての意識」なのです。つまり意識は常に事象として現れ, 「A(      )」の姿をとって現れます。つまりA(      )は全ての意識や存在を包括しています。そして真に実存する意識にとっては,A(      )はF(      )であると共に,超越者(=神)が示されているI(      )だとヤスパースは捉えています。人間にとっての超越者はそういう形でしか存在しません。つまりG(            )に立ち向かうH(     )の苦悩と救済として超越者を感得することが,それ自体最も深いH(     )なのです。
 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。

現に・今・ここに有る   世界   精神    実存   見るものと見られるもの 限界状況   暗号    現存在・意識一般・精神・実存   意識された存在 包括者

@

包括者

A

世界

B

現存在・意識一般・精神・実存

C

意識された存在

D

見るものと見られるもの 

E

現に・今・ここに有る

F

 精神 

G

限界状況

H

実存

I

暗号

 

     


 
         
マルティン・ハイデッガー

12世界・内・存在 

     部屋ありて人の入りたるにはあらで部屋は人の有り様ならずや 

   @(        )18891976)の代表作は『A(            )』です。彼は,フッサールの「B(        )」の影響を受け,現に今ここにある「C(         )」として先ず人間を捉えます。人間以外の存在でも現に今ここにあるわけですが,そのことを意識し,問題にするわけではありません。人間だけが現に今ここにあることを対象化し,自らの有り方を常に問い返し,D(              )するわけです。 

 現存在はまず「E(                      ) 」という在り方をしています。ここに先ず教室という世界があって,そこにドアを開けて,外から中に入って来て,それから世界の内に存在するというのではありません。われわれが存在する仕方が「E(                      )」だというのです。例えば教室内,道路上,家庭内,職場内,公園内というような世界内という有り方,つまり常に世界と共に世界内でのつながりの中で存在するという有り方をしているのです。 

 世界内に存在する限り,あらゆる物も人も互いに「F(       )」としてG(    )をこなす存在です。そしてその連関で互いに配慮しあいながら生きています。G(    )を何とか粉していればよく,流行に合わせ,他人と協調していればよいわけです。しかしそれでは主体性を喪失したH(     )としての生き方にI(      )してしまいます。
 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。

用在     現存在    現象学    ハイデガー   世人(das Mann)   頽落  世界・内・存在(Welt-in-Sein)     存在と時間    役割   主体的に決断
 

13死の先駆的決意性
 

   予め死を運命(さだめ)よと思いなし人は始めて生きるにあらずや  

 そこで「@(      )」意識が重要な役目を担います。人間はA(       )であり,死すべき運命にあります。死から逃避しようとしても, 死は必ずやって来ます。むしろ「
B(           )」によって自己の真の存在に目覚めることが大切なのです。アポロン神殿の標語「C(         )」は不死なる神から
D(       )の人間に投げ掛けられた言葉ですから,人間よ!自らの人生の
E(    )を自覚し,F(    )のかけがえのない人生を,自ら
G
(                   )して選び取りなさいと諭しているのです。

  死というものがなければ,また人生がF(    )でなければ,人間はなにも無理に仕事をしたり,勉強したりはしないでしょう。どうせ不死なのなら,食べたりすることも面倒くさいに違い有りません。価値を求め,美を追求し,家族を大切に思うのも,fall in loveして命を燃やすのも, F(    )で,有限な人生であればこそ,そこに意義を見出し,納得したくなるからです。つまり真に生きるとは,死を予め
G
(                   )して始めて可能になるのです。
 

@(        )〜G(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。

主体的に決断    有限性   時間    一回限り    死の先駆的決意性   有限者     死すべきモイラ(運命)   汝自身を知れ
 

14存在者と存在の区別
 

        自らの存在の意味問はむとて存在者の吾煌き散れるや

 
 彼は「@(        )とA(       )の区別」にこだわります。B(    )である人間は単なる@(       )ではなく,A(       )の開示なのです。「死の先駆的決意性」を契機にした
C(      )の自覚がD(       
        )実存をもたらすのです。 

 全てのものは@(        )であり,今まで哲学は@(        )について語ったきただけだった, とハイデガーは指摘しています。しかし全てはパンタ・レイであり, 生成したものは必ず滅び去るのです。「何処より来たりて, 何処に去るのか」「何故, はかなく滅び去るしかないのに,生じなければならないのか」これらの根源的な問いにB(    )である人間は苦悩せざるを得ません。 

 このE(       )の中で自らの存在の意味を求めて, 人間はC(      )へと自己を投げ出していきます。二十世紀は戦争と革命の時代です。「第三帝国の栄光」を掲げたナチスに共鳴して, その為に自らの生命を捧げることこそが存在の意味を明らかにする行為だとハイデガーは決断して, ナチスに入党していたのです。実存とは語源的に「D(          )」という意味であり, それは@(        )とA(       )を区別して, B(       )の存在を開明することだとしています。

 

@(        )〜E(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。 

現存在   歴史的運命   存在者   実存の苦悩 存在   存在の明るみに立つ
 

 ジャン・ポール・サルトル

 15  実存が本質に先立つ 

        吾思ふ故に吾のありしなら吾は自由の意識ならずや 

  @(     )の『A(             )』(1943) での「B(      )」は,ハイデガーの場合とは全く違います。@(           )もデカルトのようにC(          )から出発します。人間はなによりもまずC(          )でありD(        )だというのです。しかし私のD(     )は常になにものかについてのD(   )ですから,D(   )の対象であるB(    )を指しています。このB(    )は事物ですから,その対極であるD(   )は「E(   )」だとされます。F(          )としての人間は「E(   )」なのです。 

 彼は『G(                     )?』で,実存主義を。F(          )としての人間の立場に立ちきること,つまりH(                )だと規定しています。事物存在は予めI(     )が決まっています。それに対して人間は事物である前に,D(   )だというのですから,「J(                           )」のです。それで人間は自分がいかなる存在であるか自分自身で決定し,選択しなければなりません。ピコのいうように「一定の住所も顔かたちも特性も与え」られていません。K(          )に任されています。

 とはいえ状況の方から人間は「L
(                )」に限定され,I(     )を規定されそうになります。でも人間は事物のように限定されることに耐えられない自由なF(          )なのです。自分の置かれている現状や自分の知的技能的タレントを越えて,自分のイマジネーションが飛翔して作り上げた〔ありたい,あるべき,本当の〕自分を求めてしまいます。いわば人間は「M(                         )」のです。そこで人間は自分を規定する状況にNon!という否定の叫びをあげて,N(      )しつつある自己に『O(       )』し,P(            )に取り組まざるを得ません。
 

@(        )〜P(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。 

存在被拘束的   存在と無   状況変革   自由意志   事物化   意識存在  嘔吐   
実存が本質に先立つ    自由の刑に処せられている      存在  意識    本質   
実存主義とは何か   ヒューマニズム   サルトル  コギト(我思う=自我)
 

     16アンガージュマン 

      人間はペーパーナイフーにあらざらめ己を択ぶ主体ならずや 

   @(        )と言いますと,A(    )が客体である自分の外部の状況に、B(               )立ち向かって変革しようとするように理解されがちですが,サルトルもC(          )に状況を捉えますから,状況は主体自身の置かれている状態です。つまり自分自身の置かれている)状況の変革であり,自己変革に他ならないのです。しかしそれは同時に世界の変革でもありますから,この@(        )への自己投企は社会的な参与つまりD(             ) (拘束され巻き込まれて社会に主体的に関与すること)として行われます。だから他者を人類を巻き込む形で展開されます。自由を求める行為は常にE(                  )  を負っているのです。 

 F(                  )はF(                )として作られます。作った人間によってF(              )として本質付けられています。もしも人間が神の被造物であるのなら,「F(              )の比喩」のように人間もG(                   )ことになります。それでは人間はH(           )として,自分を主体的に選び取ることが出来ないのです。 

 だから神が存在すればルターの場合ように人間はI(         )でしかありません。それでサルトルにとってはJ(             )は人間が人間である為の,つまり自由である為の存在の条件なのです。このようにF(              )を求める無神論をK(             )と言います。 

@(        )〜K(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。

要請的無神論    人類に対する責任  状況変革   アンガージュマン   ぺ一パ一・ナイフ  自由な意識   主体    神の非存在  主観・客観的に  
神の奴隷  本質が実存に先立つ  現象学的

            17『沈黙の共和国』
 

  
フランスが最も自由で在りし日は、ナチスの軍靴響きし日々か 

サルトルは『沈黙の共和国』で,実存思想の精髄を衝撃的に語っているので紹介しておきましょう。 

「われわれはドイツ人に占領されていた間ほど、自由であったことはかつてなかった。毎日毎日われわれはものを言う権利を始めとして,一切の権利を失っていた。毎日毎日われわれは面と向かって侮辱され,それを沈黙して受け入れなけれぱならなかった。 

 われわれは労働者として,ユダヤ人として,または政治的囚人としてひとまとめにして移送されていった。いたるところで,壁の.上でも.新聞の中でも、映画の画面でも、われわれはわれわれの抑圧者たちがわれわれに受け入れさせようとした.胸の悪くなるようなくだらないわれわれ自身の画像に出合った。そしてすべてこうゆうことのために.われわれは自由だったのである。 

 ナチの毒液が,われわれの思想の中までも染み込んでいたからこそ,正確な思想はどれも,それぞれひとつの征服であった。全能な警察がむりやりわれわれの口を閉じさせようとしたからこそ,どの言葉もすべて原理の宣言としての価値を帯びた。われわれが追い詰められていたからこそ,われわれの挙動はみな厳粛な拘束の重みを持っていた。

  −−−−そして.われわれの誰でもが自分の生命と自分の存在とについて行った選択は,真正の選択であった。それは死に直面してなされたからである。それはいつも『−−−よりはむしろ死を』という言葉で言い表すことのできるものだったからである。 

 そして私はここでわれわれの間のエリートたち,つまり本当の抵抗者たらのことを言っているのではない。四年間を通じて.夜と昼とのあらゆる時刻に、『否』と答えた,全てのフランス人のことを言っているのだ。 

 こうして自由そのものの基本的な問いが提起されたのだ。そしてわれわれは、人間が自分自身について持ち得る最も深い認識の境目まで連れていかれたのである。というのは人間の秘密は彼のエディブス・コンプレックスでも,その劣等コンプレックスでもなく、彼自身の目由の極限,拷問と死とに抵抗する能力なのだからである」

(パッペンハイム著,粟田賢三訳『近代人の疎外』岩疲新書より)

 

実存主義 @ゼーレン・キルケゴール Aヤスパース Bニーチェ Cハイデッガー 
Dサルトル E個性と主体性 F人間疎外 G主体性 H実存 I現実存在 J人間存在 K自由
 
ゼーレン・キルケゴール @大地震 A呪った B放蕩 Cレギーネ Dあれか、これか 

主体的真理
 @主体的真理 Aイデー B精神 


実存の三段階
 @美的実存 A倫理的実存 B宗教的実存 Cあれも、これも D神から離れていること E質的弁証法 F単独者 G死にいたる病 H絶望

ニーチェ アポロンとディオニソス@ニーチェ A悲劇の誕生 Bアポロン的なもの Cディオニソス的なもの 

超人への橋梁 綱
@超人 Aツァラトストラはかく語りき B過渡 C没落

神は死んだ!人間が神を殺したのだ。
@ルサンチマン A神は死んだ  B要請的無神論

能動的ニヒリズム@権力への意志 
Aニヒリズム  B能動的ニヒリズム  C普遍妥当的価値 D理性 E価値相対主義 


永劫回帰 
@永劫回帰 A運命愛  B超人の資格

精神の三態変化
@ラクダ⇒獅子⇒小児  Aラクダ B獅子 C幼児

カール・ヤスパース
9機械と大衆の時代
@戦争と革命  A独占資本主義   B帝国主義    Cヤスパース   Dハイデッガー   Eサルトル   F現代の精神的状況   G機械と大衆  H画一的    I手段化

10限界状況 
@限界状況     A壁  B死・苦しみ・罪責・争い  C絶望・決断・回生  D超越者(神)  E娯楽や流行  F個性的で単独的   G愛しながらの戦い  H 実存的交わり   Iユダヤ人

11包括者  
@包括者   A世界  B現存在・意識一般・精神・実存  C意識された存在  D見るものと見られるもの  E現に・今・ここに有る   F精神   G限界状況   H実存   I暗号

12世界・内・存在  
@ハイデガー  A存在と時間   B現象学   C現存在   D主体的に決断   E世界・内・存在  F用在  G役割   H世人  I頽落 

13死の先駆的決意性  
@時間  A有限者  B死の先駆的決意性  C汝自身を知れ  D死すべきモイラ  E有限性  F一回限り   G主体的に決断

14存在者と存在の区別  
@存在者  A存在  B現存在  C歴史的運命   D存在の明るみに立つ   E実存の苦悩  

15 実存が本質に先立つ  
@サルトル  A存在と無  B存在  Cコギト D意識  E無  F意識存在  G 実存主義とは何か   Hヒューマニズム  I本質   J実存が本質に先立つ K自由意志 L存在被拘束的 M自由の刑に処せられている N事物化(□が四つあるが三つが正しい)  O状況変革

16アンガージュマン  
@状況変革  A主体  B主観・客観的に   C現象学的    Dアンガージュマン   E人類に対する責任   Fぺ一パ一・ナイフ   G本質が実存に先立つ  H自由な意識   I神の奴隷  J神の非存在  K要請的無神論

 

 

 
 

                         




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