第十五章 功利主義・実証主義・進化論

            功利主義

    1ホモ-エコノミクス

   アダム・スミス(17231790) の『道徳感情論The Theory of Moral Sentiment 』によりますと,人間には利己心と共感(sympathy) という二つの本能があります。利己心によって私利と効率を追求する人間つまり「ホモ・エコノミクス(経済人)」によって構成された社会の経済法則を示したのがスミスの政治経済学である『諸国民の富』です。そこでは各人の利己的な利益追求が, 価格機構という見えざる手(an invisible hand)に導かれて,社会全体の富を増やすというのです。

 その為には政府が干渉しないで,レッセ・フェール(自由放任主義)の経済政策をとった方がかえって効率的なのです。共感にも経済的な役割はあります。他人の境遇や行いを見てその喜怒哀楽に共鳴し,他人の共感を得るために富を見せびらかし,貧しさを隠そうとします。こうした虚栄心を満足させるために蓄財に励みますから,勤勉や創意工夫が生産力の発達をもたらすということです。 

                         2快と苦の支配

   ベンサム(17481832) は『道徳と立法の諸原理序説』で,次のように「功利の原理」を展開しました。人間は「快」と「苦」の支配を受けているので,快の増進,苦の減少が幸福であり,その逆が不幸だとしたのです。政府の政策も社会全体の快の増進,苦の減少に努め,「最大多数の最大幸福」の実現を目標にすべきだと主張しました。この思想の前提には快と苦の量が計算できるという快楽計算の考えがあります。「強烈度,継続度,確実性,遠近性,多産性,純粋性,範囲」の七つの条件を考慮して計算すべきだとしたのです。

 そして個人の幸福が社会の幸福と一致しない場合は,物理的制裁,政治的制裁,道徳的制裁,宗教的制裁などのサンクション(制裁)を受けることになるとしたのです。ベンサムにおいては,個人がそれぞれの幸福を追求することを素直に是認する個人主義と,万人を平等に扱うべきだとする民主的な捉え方が鮮明です。彼は保守的なイギリスの貴族的な特権を守ろうとする体質を痛烈に批判したのです。 

                        3イエスの黄金律

   J・S・ミル(18061873) は『功利主義』(1863) で,ベンサムの功利主義を継承しました。彼は倫理的な正さはどれだけ幸福を増進させたかに比例するとし,カントの動機主義に対して効果を重視する道徳説を打ち出しています。これはプラグマティズムの思想に重大な影響を与えます。

 ベンサムが快楽を量に還元する傾向が強かったのに対して快楽の質を重視しました。つまり精神的快楽を肉体的快楽より優れたものと認めて,質的功利主義を主張したのです。それは「満足せる豚よりも,不満足な人間である方がよく,満足せる愚者よりも,不満足なソクラテスである方がよい。」という格言にイローニュッシュに表現されています。彼は自分の幸福か他人の幸福かを選ぶとき厳正中立を要求します。バイブルの次の黄金律に功利主義道徳の理想的極致を求めます。「人にしてもらいたいと思うように他人のためにし,我が身を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。」

 これは決してベンサムの功利の原理や快楽計算の立場と矛盾しません。ここに美味しそうなアンパンが一つありますと,誰に食べさせるかは,自分も含めここにいる全ての人の中で,最もおなかがすいているとか,最もアンパンが好物であるとかで,最大限の快楽量をもたらす人に食べさせることが功利主義の立場です。これこそ自分と同じように隣人を愛するイエスの黄金律に叶っているというのです。

 J・S・ミルは産業革命が完成して,資本主義社会が確立してからのイギリス社会の矛盾に心を痛めました。労働者階級は劣悪な労働条件の下でどんどん窮乏化していきました。イギリスの自然もみるみる破壊されて,ボタ山だらけ,ススだらけの汚れきった国土になったのです。そこで利己主義的な生き方を反省し,社会を改良すべきだと主張したのです。 

              実証主義と進化論

               1コントの実証主義 

 理念に基づく社会改革の偉大な実験としてフランス大革命が遂行されたのですが,激しい党派間の闘争からジャコバン党の独裁による恐怖政治となり,ナポレオン帝政に行き着き,最終的にはアンシャン・レジューム(旧体制)が復活しました。そこで理念による社会改革自体が問い直されたのです。それぞれが主張する正義が互いにぶつかり合っていますと,妥協するのは理念や正義を放棄することになるので勢い暴力的な決着を計ろうとして,かえってどの理念も実現されずに終わってしまうのです。

 このような反省を踏まえ,事実や実証に裏付けられた改革を求め,コント(17981857) , 実証主義を打ち出しました。かれは『実証哲学講義』の中で人間の知的進歩の段階を次の三段階に分類しました。

 第一段階は神学的段階です。この段階は原始時代・物神崇拝(フェティシズム),古代・多神教,ローマ時代・中世・一神教と発展します。この段階では奴隷制度が有力であり,それに対応して軍事的専制政治が行われていました。ですから神官・軍人が支配者だったのです。 第二段階は14世紀〜18世紀の形而上学的段階です。人間の頭で考え出した抽象的な概念や理念が実在して,現実を動かしていると考えていたのです。たとえば啓蒙思想家達は社会契約・自然法・人民主権といったフィクションを実際に存在すると信じていたのです。この段階では次第に中産階級が台頭し,法治政治が行われます。この段階の支配者は,哲学者・法律家だったのです。

 第三段階は実証主義的段階です。これはフランス大革命挫折後の時代です。もはや宗教的幻想にも形而上学的理念にも惑わされない時代です。現象を観察して法則を把握し,法則に基づいて将来を予見し,計画的に生活の改善を計る科学者・産業家の支配する時代の到来なのです。

  コントは実証主義的な精神に基づく社会学を創始しました。こうしてこの第三段階を確固としたものにしようとしたのです。社会学では,個人の思想や行動を説明するのに社会の連関から解明しようとしたのです。ところが恋人の死以後, 感情面を重視し,人間から出発する「人間教」を創始しようとしました。 

                2進化論と有機体説 

  19世紀はダーウィン(1809 1882) の時代と言われるぐらい進化論が一世を風靡しました。科学的な見方の代表が進化論だと思われたぐらいです。ダーウィンは『種の起源』で自然淘汰説を展開しました。それは適者生存の法則にしたがって,環境の変化に適応できるように形態変化に成功した種だけが生き残って,種が進化したと説いたのです。

 進化論は動物と人間を連続的に捉え,その差異を量的なものとしたのでキリスト教会から厳しく排斥されたのです。ダーウィンの学説は生物学の限界を離れて世間に流布し, 会科学にも重大な影響を与えました。社会科学として社会進化論が展開されますと優勝劣敗の原則に基づいて強者の正義が唱えられ,自由競争下の産業資本家の立場を代弁したり,帝国主義的進出を合理化するようになったのです。

 スペンサー(18201903) は『綜合哲学体系』を著して,進化論を生物体だけでなく,一般の自然法則として諸科学の綜合を試みました。全てのものは単純なものから複雑なものへと発展し,同質から異質へと分岐するのです。社会も有機体として捉えられます。ですから社会も進化するのです。彼の国家論は,従って社会有機体説とか国家有機体説と呼ばれます。

 とはいえ,他の社会ダーヴィニストのように,弱肉強食の過程を社会進化の過程として捉えたわけではありません。社会の進化は個人が社会へ順応し,個性を生かしている度合いによって,また分業と協力関係の進展によって測られます。そしてコントと同様に,軍事型社会から産業型社会への進化により,自由競争の下で進化の法則が貫かれて,産業者の支配が実現し,個人の完全な自由が実現する社会を理想化したのです。

 スペンサーの思想は明治期の啓蒙思想に大きな影響を与えます。自由民権運動の天賦人権説に対抗する論理を求めていた加藤弘之に注目され,権利は社会の進化と共に漸進的に認めていくべきだとした『人権新説』に影響を与えました。他方徳富蘇峰は,『将来の日本』で明治維新を封建的な軍事型社会から産業型社会への進化として評価し,スペンサーの社会の有機的進化説で自由民権思想を理論的に補強しました。 

 保井 温の関連著作

 「『所有』の二つの意味・ヘーゲルとマルクス・」(日本哲学会編『哲学・25』所収)
 ヘーゲル『法の哲学』における「所有」は「私的所有」でしかないが,マルクス『先行する諸形態』における「本源的な所有」は「固有」の意味で,対象との不可分離な関係を示しており,両概念には同義性が認められないことを指摘した。

   『歴史の危機ー歴史終焉論を超えてー』三一書房刊
前編 歴史はクライマックスへーフランシス・フクヤマ『歴史の終わり』についてーフクヤマは冷戦の終焉で『歴史の終わり』を確認した。リベラル・デモクラシーの普遍性を説くのはよいが,歴史をリベラル・デモクラシーへの発展過程に還元するのは一面的だ。今や歴史は民族単位の歴史からグローバルな統合に向かいつつあり,グローバル・デモクラシーの形成を目指すべきだ。ヘーゲルが「イエナ会戦」で歴史が終焉したと説いたとの解釈や,主と奴の闘争がなくなれば歴史が終焉すると説いたという解釈はコジェーブの誤り。またヘーゲルをリベラル・デモクラートと見なすのも誤り。二千年代に向けて後ろ向きの歴史終焉論や進歩史観批判論を克服して,新たな発展的歴史観形成を説く

 

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