福音書にそった展開

若山>この度は『イエスは食べられて復活した―バイブルの精神分析・新約篇―』(社会評論社,2000年9月刊)の発刊おめでとうございます。イエスが自らの肉と血を弟子たちに与えて、それによって復活したという「聖餐による復活」仮説に基づく2冊目の単行本ですね。
やすい>ええ、前作『キリスト教とカニバリズム―キリスト教成立の精神分析―』(三一書房,1999年4月刊)に引き続いての2冊目で、姉妹本です。内容的には「聖餐による復活」仮説の展開であることは同じなんですが、全く新たに書き直したものです。
若山>そうですね。書名の副題に「新約篇」とあります。『新約聖書』特に四福音書の展開に沿って、それを「聖餐による復活」説の展開として解釈していく形をとっています。福音書に親しんできたクリスチャンには、読みやすい形をとっています。でも書名にインパクトを受けて読もうという読者にとってはどうでしょう。イエスが食べられる話に何時になったら入るのか、前作同様じらされるのじゃないでしょうか。
やすい>前作の感想に、カニバリズムを論じるのにもってまわって、なかなか本論に入らないのでいらいらさせられたというのがありました。しかし、カニバリズムの事実があったことの証明にいきなり入って、その事実がどうもあったらしいと分かったところで、それだけでは,キリスト教の隠された正体はカニバリズムなんだという偏見だけが一人歩きする結果になりかねません。
若山>やすい先生の意図は,キリスト教は悪霊追放のお芝居で、民衆の注意を惹いて教団を形成し、落ち目になるとカニバリズムで自分の肉と血を食べさせて、弟子たちに聖霊を引き継がせて復活を図ったということを事実として認めさせることにあるのでしょう。
やすい>いや別に認めてくれなくてもいいのです。私は「聖餐による復活」仮説が最も合理的で、納得がいく仮説だと思いますが、この仮説が成り立つことを知っていただき、その上で、みんなでイエスの「命のパン」の思想を、新しいミレニアムに循環と共生の思想の先駆けとして、継承・発展させることを提唱しているのです。

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