七、「ヨハネ黙示録」の要約
「ヨハネ黙示録」に何が書かれているか、それは読者がじかに確かめて欲しいのです。私は、ここに要約を示しますが、麻原ショックから読み間違えているかもしれません。私自身はキリスト教に多少思い入れがあり、強い愛着を持っていますから、決して悪意で中傷する為に書いたのではありません。キリスト教会が私の提案を真剣に検討されることを願っています。
ヨハネはこの預言が、すぐにも実現するとしています。そこで麻原はこれまでの世界史を「ヨハネ黙示録」の実現過程として読み解く作業をしています。ヨハネの預言の数字を一日を一年に読み変えたりしてなんとか、「ヨハネ黙示録」の記述をハルマゲドン直前までは世界史に見事にあてはまると解釈したのです。でもここでは麻原の「ヨハネ黙示録」解釈の検討は棚上げにして、「ヨハネ黙示録」の要約を紹介しておきます。
ヨハネはパトモスという島で、映像による啓示を与えられます。復活後天に昇っている人の子(イエス)が現れて、まず七つの教会へ手紙を書いて、審判が近づいているから誤りを正すよう警告せよとヨハネに命じたのです。特にベルガモの教会ではバラムの教え奉じて、偶像崇拝に陥ったり、ニコライ宗を奉じている者いて、悔い改めないとイエスが口の剣で戦うというのです。またテアテラの教会では、淫らな女預言者が教えを乱しているので、イエスはこの女を病気にして、それと関係する者たちを患難に投げ入れると警告します。
次にヨハネは天の映像を見せられ御座にいます「碧玉や赤めのうのようにみえる」神を仰ぎ見ます。右手には巻物があり、七つの封印がしてあります。これをほふられた子羊が解くのです。「あなたはほふられ、その血によって神のために人々を贖い、御国の民とされました。彼らは地上を支配するでしょう。」
第一の封印を解くと、弓を持った者が乗る白馬が出て出陣します。
第二の封印を解くと赤い馬に乗った者が現れ、人々が殺し合うようになる赤い剣をあた
第三の封印を解くと秤りを持つ者が乗った黒い馬が現れました。
第四の封印を解くと青白い馬にのった「死」という名の男が「黄泉」を連れてでてきま
第五の封印を解きますと、義の為に殺された人々の霊魂が「まことなる主よ、いつまで
第六の封印が解かれますと、太陽は黒くなり月は血のようになり、天の星は地に落ちま
ついに第七の封印が解かれます。香炉が天から地に投げつけられ、雷鳴や地震が起こり
第一のラッパで、血の混じった雹と火が降り注ぎ、地と木の三分の一、全ての青草が焼けてしまいます。もちろん沢山の人も焼け死んだでしょうね。
第二のラッパで、山の様な火の固まりが海に投げ込まれ、海の三分の一は血となり、三
第三のラッパで、燃えている星が落下して水源におち、水が苦くなって多くの人が死に
第四のラッパで、太陽や月や星の三分の一が打たれて、昼と夜の三分の一が暗くなります。第六の封印が解かれたときの異変は第四のラッパまでに直っていたのでしょうか。
第五のラッパで、一つの星が落下して、底知れぬ所の穴が開かれ、そこから煙が出で、暗くなります。その煙の中からいなごが出てきて、額に神の印のない人達を襲い、さそりにさされる時のような苦痛を五カ月間与え続けます。人々は苦しみの余り死を願いますが死ねなかったのです。
第六のラッパで、四人の御使が解き放たれます。彼らは二億人の騎兵隊を引き連れて、その馬の口から出る火と煙と硫黄で人間の三分の一が殺されたのです。でも生き残った人達は、それでも偶像崇拝やその他の犯罪を止めようとしなかったのです。
第七のラッパで、大きな声が天に起こります。「この世の国は、われらの主とそのキリスト(麻原は自分こそこのキリストだと思っています。)との国になった。主は世々限りなく支配なさるであろう。」「すべて御名を恐れる者たちに報いを与え、また地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました。」
また太陽を着て、足の下に月を踏み、頭に十二の星の冠をかぶった女と大きな赤い龍と戦い、天使ミカエルと龍の戦いがあり、サタンである龍は地に投げ落とされます。また豹に似た獣が海から上がり、龍から力と権威を与えられ、全地の人々はこの龍と獣に従います。彼らは聖徒に戦いを挑んで勝つことを許されていたのです。
ほふられた子羊の命の書に名を世の始めから記されていない者は、皆この獣を拝むのです。この箇所はルターやカルヴィンの予定説に影響を与えています。また別の獣が現れて、獣の像を作らせそれを拝
やがて御使が神のさばきの時がきたと告げます。そして七人の御使が、最後の七つの災
第一の鉢が地に傾けられると、獣の刻印を持つ者と獣像を拝む者は悪性のでき物ができ
第二の鉢が海に傾けられますと、海は死人の血のようになり、海の生物は全滅します。
第三の鉢が川と水源に傾けられると、みな血になります。人々は血を飲まなければなら
第四の鉢が太陽に傾けられると、人々は激しい炎熱で焼かれます。しかし彼らは悔い改めず、神を罵ったのです。つまり罰を下す神のさばきにあって、自分達の罪を反省することができないわけですから、ヨハネにすれば、救う値打ちがないということですね。でもこんなひどい目に遭わせる神を恨みこそすれ、帰依する気持ちになれないのは当然です。
第五の鉢は支配獣の座に傾けられ、人々は苦痛とでき物ゆえに天の神を呪います。
第六の鉢がユウフラテ川に傾けられると、龍と獣とにせ預言者の口から三つの悪霊が出
第七の鉢を空中に傾けますと、稲妻と雷鳴と激しい地震がおこり、町は倒れ、島や山は見えなくなりました。そして雹の災害が襲います。やはり人々は災難をもたらした神を呪うのです。つまり神のさばきでヤハウェの神が絶対的で強力だったと分かり、真の神だと思い知らされた筈ですから、懺悔して当然なのです。それが出来ないというイメージを描いたのは、人間は本質的に不信仰だとヨハネが見なしていたからです。つまりヨハネ自身が、異教徒に対する神のホロコーストのイメージなしで、神を信仰することができない不信仰を抱えていたのです。
次に大いなる欲望の都バビロンが審判にあいます。バビロンは世界中の国々の王を意味
一日のうちに死と悲しみと飢饉が彼女を襲い、彼女は火で焼かれてしまいます。世界中の王や商人たちは嘆きますが、天の大群衆はこの神のさばきを賛美します。東京、ニューヨーク、ロンドン、上海などが大炎上するイメージですね。これを神の正しいさばきだと歓声をあげる者達の存在をイメージして
ところでこの欲望の都バビロンの崩壊は、近代文明の末路を暗示しているようにも受け
そして天が開かれ、白い馬に乗った「王の王、主の主」という名のイエスとおぼしき男が登場し、獣と地の王の軍勢と戦い、勝利します。そしてイエスは、義の為に犠牲になった人々、偶像崇拝を拒否して殺された人々を復活させ、千年王国を築きます。
千年が過ぎると、サタンが解放されて、周縁部の国々ゴグ、マゴグの海の砂ほど多くの人々を惑わして、エルサレムを包囲させます。すると天から火が降ってきてサタンの軍勢を焼きつくすのです。サタンは、獣やにせ預言者のいる火と硫黄の池に投げ込まれ、世々限り無く日夜苦しめられます。
そして残りのすべての死者が、その仕業に応じて、命の書に従ってさばきを受けます。そして死も黄泉も火の池に投げ込まれるのです。命の書に名前が記されていない者はみんな火の池に投げ込まれます。こうして新しい天と新しい地が仕上がり、聖なる都エルサレムは完成します。
神が人と共に住み、人は神の民となります。もう死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもありません。他方これまでの人類の大部分は、その時ヨハネに言わせれば当然の報いかもしれませんが、火と硫黄の池で絶え間無い責苦に苦しんでいるのです。神の民に成った選民たちは、自分たちだけ幸福に成って、胸は痛まないのでしょうか。それが本当の幸福なのでしょうか。