D現代の家族と死生観    

  核家族化        

  先生・花子さんは一人っ子だったね。お祖父さんやお婆さんは同居していらっしゃるの?

花子・ええだから五人家族なんです。まだお祖父さんやお婆さんが60代ですから親が4人がかりで構ってくるような感じですね。

先生・まるで中国みたいだね。

花子・両親は共働きだけど,祖父母が内にいてくれるので,あまり寂しくないんです。

先生・花子さんみたいに三代にわたって直系血族が同居しているのを何家族というのかな?

太郎・大家族かな?

花子・五人家族で大家族はおかしいわ。傍系の叔父さん家族が入らないから直系家族ね。マードックの分類だと核家族が二つ同居してるので拡大家族よ。      

太郎・わが家は祖父母は伯父さんの家に同居していますから,両親とぼくと妹2人で5人家族なんです。だから親子家族て呼ぶのかな?

花子・そんな呼び方はしないわ,核家族と呼ぶのよ。

太郎・そうそう最近は核家族が多いんでしょう。高度経済成長以降は特に。

先生・農村から都市に随分若年労働力が流れ込んできたんだ。両親は農業を続けているから,都会に来た人達が結婚して家庭を作ると両親とその子だけの単婚小家族つまり核家族になるんだ。しかも狭い団地などが多いから子供の数は減少する。平均世帯規模は19504.9 人だったのが1989年には3.7 人に減少しているんだ。

花子・三代同居もないうえに子供も一人か二人なんですね。それにお年寄りの一人暮らしが多いようですね。

太郎・シングルなのはお年寄りに限りません。30代・40代で独身のシングル生活の人が多くなっています。

先生・そうなんだ最近は晩婚傾向が強くなって, 先生みたいにフォーリンラブしたら大学院浪人中に結婚なんて無謀なことをしてくれる若者はほとんどいなくなってしまった。お陰で子供の数が少なくなって教育産業にとっては,大打撃だ。

花子・晩婚だと子供は一人になりますね。30歳過ぎての出産はつらいっていいますから。

  太郎 ・それに最近は教育費が嵩むから, 子だくさんだと大変ですよね。

花子・日本は異常に教育費が高いでしょう。東京あたりだといい幼稚園に入れる為の塾に入れるのが大変だっていうぐらいですから。

先生・国際人権規約では大学教育まで無償にするように定められているんだが,日本はその部分は批准していないんだ。勉強するってことは君達にとって仕事なんだから,働いていてお金を収めるというのは,実は転倒しているんだ。

太郎・先生!先生がそんなこと言っていいんですか。月謝が貰えないと失業じゃないですか。

花子・私たちは一応教わっていて,それで学力をつけて進学や就職をして一人前に成れるのですから,それだけの利益を受けているわけでしょう。授業料払って当然じゃないですか。

先生・そういう考えなら有り難く頂戴しますが,そういう考えは勉強するのは自己一身の為という考えが前提されているだろう。でもね高学歴が高収入なんて簡単には結びつかないし,学問の内容は普遍的なものが多くて,たいして個人の利益には直結しないんだ。それより若い世代がどれだけの教養を身につければ現代の文化が保たれるかということが基準で教育されている。

太郎・つまり我々は社会に有能な人材として,社会の為に育成されているのだから,それに必要な経費は当然社会全体で負担すべきだということですね。でも現実問題として教育費をすべて公的負担をしてしまうと,財政を維持するのが大変でしょう。

花子・それに親に学費を出してもらっていると思うからこそ,少しは真面目に勉強しないとと頑張ることもあるけれど全部公的負担にしてしまうと,かえって怠けるんじゃないかしら。

先生・そこが問題だな。たしかに戦後の高度成長を支えたのは教育の力だ。日本の戦後教育はいろんな欠陥が指摘されるが,世界と比較すれば極めて勤勉で優秀な人材を大量に生み出している。もしこれが全く無償だったらこれほど熱心に勉強していたかどうかいささか不安があるね。高い授業料を収めているということが勤勉の動機の一つになっている。その意味では社会的な権利意識が欠けていたことが,幸いしているんだ。家族主義的価値観が強固だということだな。

  家族主義的価値観     

太郎・家 族主義的価値観て何ですか?マイホーム主義とは違うんですか? 

先生・家族を大切にするという意味では共通するさ。マイホーム主義や会社人間の共通の前提になっている価値観のことだよ。

花子・会社に入り浸り会社の人々との付き合いにばかり時間を潰すのも,結局は家族の生活を生涯的に会社に保障してもらおうとするからでしょう。会社人間は家族主義を表面的には否定しているつもりでも,真情においてはだれもが家族主義なのよ。

太郎・そうかな?うちの親父なんか,会社にいる方が仲間と一緒で落ち着くし,家に帰っても市民運動の方が家庭よりおもしろそうだよ。

先生・なかには家庭は仕事の骨休めの場所と思っている人もいれば,自分が取り組んでいる活動や研究のために家庭が崩壊しても仕方ないと思っている人もいるさ。

花子・そういえばうちのお父さんなんか職場の人間関係がうっとうしくて辞めたくてしょうがないみたいよ。でも花子が無事嫁ぐまでは続けるって言うのよ。だから私そんなにいやだったら辞めなさいって言ったの。お父さんを犠牲にしてまで大学に行っても仕方ないし,自分の力で大学ぐらい出てみせるわって怒ったのよ。国民金融公庫で初年度の払込金が貸してもらえるし,大学に入れば奨学金だって出るでしょう。自分の生活費ぐらいバイトで稼げるものね。

太郎・そう言ったらお父さんは,困ってただろう。だって自分が仕事辞めて,娘に自活させるのも苦痛だろうからな。

花子・だから結局見栄なのよ。家族ってそれぞれに与えられた役柄があるでしょう。それをいやでもなんでもこなしていかないと駄目なのね。そうでないとたちまち壊れてしまうのよ。

先生・だから家庭円満で幸福を保とうと思ったら,余計な愚痴や弱音なんか吐いたら駄目なんだ。それより「仕事なんかちっとも辛くないさ,家族の笑顔を見たら長時間労働の疲れや職場の軋轢のモヤモヤなんか吹っ飛んじゃうよ」って決めなくっちゃね。

太郎・ということは先生もかなりがたが来ているということですね,人生に。

先生・いやいや哲学の分野ではかなり高齢でも,いい仕事ができるんだよ。まだまだ先生なんか若造だと思われてるんだ。今年は『知識人の宗教観』(共著、三一書房刊)『フェティシズム論のブティック』(石塚正英との共著、論創社刊)を出版する予定だ。

  聖家族の構造       

  先生・家族というのは,一番帰属意識が強い場所ですね。

花子・お腹の中から葬式まで家族の一員ですからね。 

先生・家族というのは実は宗教的な構造になっているんだ。まず父なる神だが,父は万物の創造主なんだ。

太郎・うちの父はおならはよく製造しますが?

先生・今は共働きが多いが元々妻子を養うというのが一家の大黒柱の役割だった。そこで何らかの職業に就いて収入を得て,家族に必要なものはすべて入手してくるわけだ,だから父は衣食住の全てを生み出しているんだ。

花子・要するにお父さんが働いたお陰でみんな生活ができるということでしょう。

先生・父が働いて作りだすものといっても,こういう分業社会では極小部分の財やサービスなわけで,例えば散髪をしていたり,部品を製造していたりするだけだ。ところが貨幣の魔術ですべての労働が抽象的な一般的労働に還元されて価値を生み出す。そこでその一部が賃金になって生活費が捻出されると,これがあらゆる生活に必要な財に交換され,衣食住のすべてを作りだした万物の創造主になれるわけだ。

太郎・別にお父さんに限らず,働けばだれでも万物の創造主に成れることになるでしょう。

先生・でも家族の生活にとったらどうだろう。赤の他人から生活費を出してもらう訳にはいかないんだから,やっぱりお父さんの役目は絶対的だ。つまり父は社会では何億分の1の働きしかしていないのに,家庭にとっては神のごとき全てを生み出す存在に成れるわけだ。

花子・世間や職場では取るに足らない存在であっても,家庭に帰ればかけがえのない絶対的な存在に聖化されるというわけね。それじゃあ救われているのは,妻子というよりむしろ父の方ね。だって妻子は自分に頼ってくれて,自分を万物の創造主として崇めてくれるのだから,自分に働く意欲や生き甲斐を与えてくれるのでしょう。

先生・そう,だから救い主は子なる神イエスなんだ。山上臆良しの「しろがねもくがねもたまもなむせむにまされるたからこにしかめやも」と歌ったように子は自分の存在を尊いものにしてくれる宝なんだ。

花子・じゃあ妻や母はどういうように聖化されますか?

先生・妻は自分が守り慈しむことができることができる存在だということを自覚させてくれるので,子と同様の役割を果たすと同時に,自分の子を生んでくれることで自分の生命に永遠性を与えてくれる愛の女神なんだ。子にとっては母は抱擁によって,すべての罪が許され,あらゆる外界の存在を忘却させてくれて愛との合一を体験させてくれる聖母マリアなんだ。

花子・そんなきれい事で誤魔化して、女性を家内奴隷制の下に縛りつけ、家事や育児はただ働き、家を継ぐ子を生み育てさせる道具扱いにしてきたんじゃないですか。

太郎ーそんな、父は母に給料全部渡しているし、その中から母の必要な物も買ってるわけだから、ただ働きは言い過ぎだよ。それに家事や育児はお金で買える労働じゃないだろう。そんなことをしたら家政婦や独占契約の終身売春婦になっちゃうじゃないか。

先生・フェミニズム(女性解放論)の立場から育児や家事の労働としての報酬を要求する主張も出ているんだ。でも、育児や家事は無償の奉仕だからこそ、一方で外で家族の為に最大限に私利を追求して稼いでくる労働が、家族の為ということでは同じだということで聖化することができるんだ。問題は夫は社会で働き、妻は家庭で育児・家事に固定しているので差別になっているんだ。夫も家事・育児を分担し、妻も社会的な能力を延ばしていくように今後は調整すべきなんだ。

  家族の機能

  先生ーマードックは家族の基本的機能としては四つ上げている。

花子ー「性・生殖・教育・経済」の四つですね。

太郎ーところでパーソンズは,家族は・子供の社会化と・パーソナリティの情緒的安定化の機能を持つといってますね。

花子ー子供の社会化は,社会に適応できるように,言葉づかいや礼儀作法を教えたり,社会常識を身につけさせるということでしょう。パーソナリティの情緒的安定化は,逆に社会で働いてストレスが溜まっているので,一家団欒を通して気持ちの安らぎや精神の安定を得ることですね。

先生ー核家族化や少子化によって家族の機能は縮小してきているね。

太郎ー祖父母がいないと子育ての智恵や経験などが継承されないんでしょう。赤ちゃんって半年すぎると,胎内にいたときについていた免疫がなくなって,すぐ高熱を出すようになるでしょう。そしたら母親は経験がないものだからオロオロするんだ。そんな時祖母がいてくれたらて心丈夫だね。うちの母もぼくが赤ん坊の時,そういうこと痛感したらしいですよ。

花子ー一人っ子というのは,つまらないのよ。親もどうしても過保護になってしまうし,期待過剰になってしまう。そのプレッシャーが子供には負担で,これが親子関係をこじらせてしまう。兄弟姉妹とのつながりや愛憎関係がないとまともな人間性を育てるのが難しいのよね。

先生ーそういうのは子供の社会化機能の縮小だな。少子化傾向はその意味で嘆かわしい。子供を生んだら仕事に邪魔だといって,子供を生まない共働き夫婦が増えている。これをDINKSと呼ぶんだ。

太郎ー子供の社会化機能も情緒安定機能も両方駄目にするのが,児童虐待ですね。子供を邪魔にしたり,親のストレスの捌け口にして苛めるなんて,最低ですね。

花子ー子供に過剰な期待を抱いて,それがうまくいかないと苛めたりもあるでしょう。アメリカでは家族に性の捌け口にされて殺された美少女殺害事件もありますね。

先生ーおい,それはまだ捜査中だろう。

  制度から友愛へ      

  先生ーフランスの歴史家フィリップ・アリエスは『〈子供〉の誕生』という著書で,庇護し愛される存在としての〈子供〉という観念は近代以降のもので,それ以前は家族の一員として生産に従事するのが当然だったとしているんだ。

太郎ーそれじゃ先生の聖家族の構造というのも近代の産物だってことになりますね。

花子ーそういえば近代児童文学によって,暖かい家族愛の中で育まれる理想の家族像や子供像が形成されたということを,国語の授業で習った気がします。

先生ー児童文学で名作と呼ばれるのは,多くは不幸な子供が主人公で,孤児で凍え死んだり,『母を尋ねて三千里』の旅に出たりする。彼らの不幸の中で健気に生き抜く姿に心打たれながら,家族の愛情に守られている我が身の幸福を実感させられるしかけになっているんだ。

太郎ー近代以前の家族はどちらかと言えば生産組織みたいなもので,愛情による結合ではなかったということですか。

花子ーそりゃあないわよ。儒教なんかは家族愛を最も重んじているでしょう。いつの時代だって家族愛は大切だった筈よ。

先生ー社会学者のバージェス著『家族:制度から友愛へ』では,昔は慣習・儀礼・法律などで家族は縛られていて,個人は抑圧されていた制度家族だったが,現在では愛情が基盤で結ばれており,夫婦は同等の地位と権威を持っていて,主要な決定は合意に基づく友愛家族に変化してきていると指摘されているんだ。

太郎ー「ホテル家族」とか「劇場家族」とかいう言葉を聞いたことがあるんですが?

先生ー小此木啓吾著『家庭のない家族の時代』に出てくる現代家族の類型は,リヒターによると

@家族みんなが家庭をホテルのように思って暮らすホテル家族,

Aお互いによき夫,よき妻,よき息子を演じ合う劇場家族,

B家族の誰かが病気や不幸にあうのを心配し,家庭をその癒しの場だと捉えるサナトリウム家族,

C家庭の外はすべて敵だと思うことで,家族としての連帯感を強める要塞家族に分類される。

Dそして小此木によると離婚,再婚が常態になったアメリカでは血縁のない者が同居する家族が増え,別居状態の親や祖父母ともつながりを維持しようとするネット・ワーク家族の時代に入りつつあるとしている。

いずれにしても現代人は機械の発達もあって全能幻想にもとづくナルシシズムが強く,家族や社会での人間関係を結ぶことが難しくなっているということだ。              

高齢化社会

 先生ー核家族化ということは世界一の長寿国である日本では,高齢者夫婦だけの世帯や高齢者の一人暮らし世帯がますます増加するということで,高齢者の生活をどのように保障していくのかが,重大な問題になってきているんだ。ところで高齢者は何歳からで,高齢者が何パーセントを越えると高齢者社会というか知っているか?

太郎ー65歳からで, 総人口の7%を超えると高齢化社会です。日本はたしか1970年に高齢化社会に達したんでしたね。それが最新の予測では2020年になんと25.5% に達するそうです。そして2020年には, 生産人口の 2.3人で高齢者一人を支えなければならなくなります。ちなみに1960年には11.3人,2000年には 4.0人です。比較するといかに大変かが分かりますね。

花子ーでもね人口構造が変化しているから, その数字程大変じゃないのよ。今までは子供の養育が大変だったけれど, 子供が減少している分は高齢者の扶養に回せることになるでしょう。でも気持ちの問題として子供の為に働いたり, 犠牲になるのはかえって張り合いになるけれど,高齢者のために働いたり犠牲になるのは気が滅入る人も多いかもしれないわね。

太郎ーほんとに弱ってしまったり, 寝込んだお年寄りの面倒をみるのは, だれしも当然だと思うだろうな。そうでないと年寄りは弱ったら棄ててしまう「姥捨て山」になってしまう。  お年寄りが多くなれば,まだまだ元気な高齢者には, 無理のない範囲で働いてもらえばいいんだ。そうすれば本人の生き甲斐にもなるし, ぼけの予防にもなる。だから高齢化社会に相応しい雇用体制をいかに築き上げるかが日本のこれからの最大の課題ですね。

先生ーいや有り難う。太郎君はなかなか頼もしい。先生もこれから高齢者に近づくので,高齢化社会に相応しい高齢者の見本になるような生き方をしたいと思っているので, 強い味方を得た思いだよ。極端な例で考えればいい。全員が65歳以上になった社会は、どういう対策をとるべきかというように。そうすれば高齢者が自分たちで働いて社会を維持していくほかないわけなんだ。

花子ーでも高齢者に相応しい仕事が残っているかしら。

太郎ー高齢者の看護を始め, 高齢者向けのサービス産業や伝統産業, 農業, 教育・文化・観光産業, その他ビル管理や清掃等活躍の場はいろいろ考えられるよ。ただし生産性を若い人と競わせて, 排除していけば, 年寄りは役立たずということで終わってしまうから,市場原理だけに任せてしまうわけにはいかないでしょう。

先生ーたとえば町の観光・美化について基準を定めて, 高齢者の事業体に企画から実施,運営まで請け負わせるとか,高齢者中心の文化活動に施設を提供し,補助金を出して,その専従者の活動を保障するとかもするべきだな。そうすれば日本文化の保存もでき,高度の文化先進国として輝きを失わないと思うよ。

太郎ーでもやはり高齢者もある程度ハイテクに慣れる必要がありますから,生涯教育でも中・高齢者の再教育システムをしっかり整備すべきですね。

先生ー1990年に生涯学習審議会は, 生涯学習社会を「人々が生涯いつでも自由に学習機会を選択して学ぶことができ,その成果が社会で適切に評価される社会。」であると規定しているんだ。

花子ーそれは理想論ではあるけれど,そのためのコストをだれがどういう形で負担するのか,それでなくても財源が厳しいんだから,なかなか予算化されないでしょうね。

先生ー生徒数が減少して教室が余っている学校をコミュニティセンターとして活用することだね。先生も余れば生涯教育も担当してもらえばいい。高度成長時代じゃないんだから,既成の施設を活用し,既成の制度も見直さないと。 これからは諸外国に対して日本が差をつけれるとしたら,婦人や高齢者の文化の生産と消費の面だな。そこで活き活きとしたものが生み出せれば,経済面や技術面での競争にもサバイバルできると思うよ。

 

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