情報化社会

コミュニケーション概念

  先生・では最近急速に進展しつつある情報化社会について考えます。まず情報(Information) とデータ(Data)と知識(Knowledge) の関係について説明して下さい。

太郎・先生,立場が逆ですよ。今それを尋ねてみようと思っていたんですから。まず情報が外界から入って来ます。それに直ちに反応する場合もありますが,記憶としてとってあるのがデータです。そしてデータを分析して利用できるように体系化してあるのが知識でしょう? 

先生・データは,資料という意味ではその通りなんだがデータは「特定の目的に対してまだ評価されていない単なる事実」という意味もある。それを特定の目的に役立つように加工したのが情報なんだ。コンピューターにデータを入力すると,一定のプログラムにそって目的に役立つ情報に加工されて出てくるんだ。そしてこのような情報が集積されて,特定の目的に役立つように抽象化され一般化されたのが知識なんだ。

花子・それで情報を伝達するのがコミュニケーションなんでしょう。

太郎・単に一方的に伝達するだけでなく,意思を疎通し合うという意味が込められているから,コミュニケートするというのは「情報・観念・態度・行動・感情・経験など」の共有でもあるんだ。つまり精神的な交わりができるのがコミュニケーションなんだよ。

先生・だからコミュニケーションで大切なのは送り手が受け手の反応に気遣いながら,何をどう伝えるか調節するフィード・バックなんだ。先生はいつも生徒達の表情や応答を見て、何を出すか考えてるんだ。またフィード・フォワードとは,先を予測しながら,この調子でいくと最後までいかないとか,こんな話し方だと一部の者にしか理解できないと判断して臨機応変にコミュニケーションの中身を変える事なんだ。

花子・それからコミュニケーションには,手段としてのコミュニケーションと自己目的としてのコミュニケーションがあるんでしょう。

太郎・用件を伝え,意志を伝達する「道具としてコミュニケーション」と,自分の感情を表現すること自体に意味がある「表出的コミュニケーション」の事だろう?

先生・この二重性は重要だよ。意志を伝達するのは協同生活の成り立たせる為に不可欠な道具だね。だけど同時に自分の思いを人に伝えるのはとても大切な行為なんだよ。それで心が通い合い同じ感情や思いを共有し合えるわけだから。友達と会って話すのに何か用件が有るから会うわけじゃない。お喋り自体が目的なんだ。

花子・そうね,永い付き合いで話してても,少しも心が通わなくて同じ思いを共有できなければ,本当の心の友とは思えないものね。たとえ見ず知らずの偶然の出会いでも,同じ花を見て一緒に感動できたら,それだけでうちとけて友達になったようなうれしい気持ちになれるものね。だから「友」という言葉は「共にする」という動詞からきたのかもしれないわね。

太郎・それからやはり「表出的」という以上,どう伝えるかの「表現」自体に目的があるわけでしょう。ただ喋るだけじゃなくていかにうまく喋るか,楽しく喋るかが目的なんです。うまく表現するという行為は自己の能力の発現ですから,当然思うように表現できれば満足感が伴うわけです。

花子・でもコミュニケーションの場合は相手にうまく伝わる表現がうまい表現ということでしょう。だから心を通わせる喜びと表現の喜びを分けるのは無理でしょう。

先生・一対一のコミュニケーションだと特にそうだね。でも相手が不特定多数の場合でその内だれかに伝わればいいという場合なんか,思いを伝える機能よりも表現自体が意味をもってくる。芸術作品などその典型かな。

太郎・手段か自己目的かという二重性は,労働にも言えるでしょう。労働は何か有用物を作りだしたり,サービスを提供する手段なんだけれど,同時に自己の能力の発現でもあるわけで自己目的としても捉えるべきなんでしょう。

先生・そのことを強調したのが,若きマルクスの労働疎外論だ。まあ労働に限らず学問だってそうだな。学問の疎外された形態の最たるものが受験勉強だ。ただ点数がどうしたら効率的に上がるかで勉強するものだから,ただ丸暗記するだけで学問としての面白さは味わえないんだ。でもできるだけ楽しく勉強する工夫をすれば,受験勉強にもそれなりの楽しみは感じられる筈なんだが。

マス・コミュニケーション

  花子・友達や家族や特定の人とのコミュニケーションはマス・コミュニケーションに対して何と呼ぶんですか?

先生・パーソナル・コミュニケーションだ。マス・コミュニケーションは大衆伝達と訳されるように不特定多数を相手に行われるものだがどういうメディア(媒体)が使われるのかな?

花子・印刷物では新聞・雑誌・書籍ですね。電子メディアにはテレビ・ラジオ・映画などがあります。

太郎・最近はエレクトロニクスの進展でLAN・VAN・CATV・衛星放送等のニュー・メディアも盛んになりました。

花子・何よ?そのLAN・VAN・CATVていうの。

太郎・LANはLocal Area Networkの略でコンピュータを光ファイバーで結んで, たくさんの端末機に映像・音声などの情報を伝達する networkなんだ。VANはValue Added Network の略だ。NTT などの回線を使って高度な情報処理をするコンピュータと接続してそのサービスを受けたり, 情報のやりとりを行うパソコン通信を媒介したり, 既に国際VANつまりインター・ネットが爆発的に広がりつつあるんだ。今や世界中に情報を発信し, 世界中から瞬時に情報を受け取る時代になってきているんだ。CATVはケーブル・テレビつまり有線テレビのことで最近は受信者と対話しながら, 望する内容を放送する双方向テレビの実験が始まっている。

先生・じゃあどうしてマス・コミュニケーションが発達するようになったのかな?

花子・なんだか小学校の授業のようですね。高度産業社会が発達して,教育も普及して識字率も上昇し,政治参加も進むなかで世界や国内の政治・経済・社会の動きについて皆がある程度の知識を共有しないと,国民としてのまとまりができないので困るからです。

太郎・もちろんマス・メディアの側の技術的発展も条件になりますね。たとえばルターが宗教改革を行った時にグーテンベルグは活版印刷技術を完成させて,ルター訳のドイツ語版聖書を大量に普及させました。神の言葉を読み書きできるということで識字率も聖書を読むために上がったのです。マス・メディアの発達の節目になったのが自由民権運動の盛り上がった明治10年代の日刊新聞の創刊, 20年代の『国民之友』などの雑誌の発刊, 大正時代末のラジオ放送の開始, 昭和30年代のテレビ放送の開始があげられます。そして最近開始されつつあるニュー・メディアもマス・コミの新段階を生むかもしれません。

先生・マス・コミの問題点はどういうところにありますか?

花子・あれ?先生は司会者になっちゃったのですか?マス・コミは商業主義なので,広告収入に頼って興味本位な記事が多くなってセンセーショナルな取り上げ方をしてしまいます。テレビなんか視聴率をあげる為にやらせで見せ場を作ったり,インチキのオカルト番組をつくったり,経営者や外部の圧力で放送内容を歪めたりする事もあります。オウム真理教の圧力に屈したTBSなんか典型的ですね。

太郎・新聞とテレビでは偏向を追求される時の基準が違うようですね。新聞の場合はある程度旗色鮮明にして,社としての傾向を打ち出すことで共感を集めることも大切ですね。世論先導者的役割もあるわけです。サンケイ新聞が小さな政府を訴え行革推進をキャンペーンしてきましたし,最近は読売新聞が憲法改正草案を発表したりしています。でも放送局だとチャンネルを握っているわけだから,映像による洗脳効果など配慮しますと,より政治的に中立公正が求められます。またテレビの公共性を考えますと,猥褻な映像を放送するのは自主規制されます。

先生・マス・メディアは政治・思想・文化に大きな影響を与える力を持っているという意味で,「マスコミ権力」という表現が定着しているんだ。特に大新聞・テレビ放送局で取り上げられるかどうか,またどう評価されるかで社会的影響力はまるで違ってくる。それでジャーナリストを統合し,統制する力をもっているんだ。これが政治・経済的権力と癒着したり,権力に迎合するようになると,世論が無比判な方向に誘導されて,言論・表現の自由や思想・信条の自由が窒息することになりかねないんだ。

花子・まだ新聞社や放送局の違いで傾向が違うと,どの報道が公正かで選択の余地がありますよね。なにしろ受け手の側は大衆でマス・メディアの一方的な報道の真偽を確かめる術がそれ以外にほとんどないんですから。

太郎・でも現在の問題は社会党だって,日米安保や自衛隊という根本的な問題で 180度転向してしまって, イデオロギー的な対立軸がほとんど解消してしまっているわけでしょう。新聞社だって独自カラーを打ち出し憎いんじゃないかな。どうしてもステレオタイプ(決まりきった紋切り型)の報道になってしまうんだ。

先生・これからは情報はどんどんグローバル化していくんだ。そしてメディア自体も情報化社会の発達で多様化していく。通信料金が安くならないと無理だが,世界中の放送や電波を受信できるようになるし,こちらからも発信できるようになる。そうすると偏向的な報道にも限界があることが分かる。東欧革命は政府が外国からの情報の受信を妨害しきれなかった結果生じたんだ。廿一世紀の基本的人権には,世界に情報を発信し,世界から情報を受信する権利が書き加えられるだう。

  情報化社会

  先生・今度は「情報化社会」というのを定義してもらおう。

花子・情報が一杯溢れかえって,その処理に追いまくられる社会かな。

太郎・情報産業や知識産業が主導的な役割を果たす社会でしょう。

先生・まあそうだな,「情報が物やエネルギー以上に有力な資源となり,情報の価値の生産を中心に社会,経済が発展していく社会」というのが『現代用語の基礎知識』の定義だ。ドラッガーの「知識社会」構想も参考になる。「財やサービスでなくアイデアと情報を作りだして流通させるのが知識産業であり,知識が技術に代わって経済発展の推進力になり,知識に携わるものが権力を握る社会」が知識社会だ。工業化社会の次にくる脱工業化社会が情報産業が重視されるので情報化社会と呼ばれるようになっている。日本では堺屋太一が『知価革命』(PHP)の副題で「工業社会が終わる, 知価社会が始まる」としているが,この「知価社会」というのも見事なネーミングだな。

花子・工業社会が終わるといっても,工業が衰退するという意味じゃないでしょう。むしろハイ・テク化がますます進展するわけで高度産業社会には違いないわ。高度技術化社会(ハイテク化社会)といってもいいんです。ただ工場の無人化が更に進むので労働力は情報産業やサービス産業に流れていくわけです。

太郎・OA(Office Automation)化の進展で事務部門の生産性が飛躍的に改善されるんです。生産現場の自動化・無人化の次は事務部門の省力化ということです。つまり事務処理というのは結局は情報処理ということなんです。ですからこれをコンピューター処理すれば,相当経費が浮くんですよ。そうすることてコストを切り下げないと,とても人件費の安いアジア諸国からの輸入品との大競争時代の生き残りは難しいというとです。

花子・情報処理が発達するとたとえばコンビニのように売上をバーコードで入力するだけで全国ネットで情報が集約され,どの製品がいつどこでどれだけ売れているか常に中央で把握できるので,在庫や品不足のない効率的な営業が可能になっています。

先生・OA化の進展で心配されるのは事務部門の省力化で,結局オフィスでも人が余って失業が増えるということだ。

太郎・その代わりOA機器の製造・販売に係わる雇用は増えるでしょう。また知識情報産業全体の需要も伸びるのでそちらに吸収されます。つまり不能率な事務の仕事から解放されて,知識情報産業やサービス産業にかわれるのですから,かえっていい筈です。

花子・スムーズに転換できればいいけど,そう簡単に知識情報産業に転職できないでしょう。かなりの習得期間が必要でしょうし。結局臨時雇いの店員とか,食堂の下働きとか,雑用などに回され低賃金で地位的にも不安定な職業しか就けないんじゃないかしら。

先生・それを防ぐには学校教育でも大胆に情報化を進めることだね。

太郎・ええ,もう黒板を使って教師が前に立って一斉授業で教え込むのは止めるべきです。コンピュータ・ソフトを使って各教科は個別に勉強させるんです。

花子・そんなことをすると教師はお払い箱になっちゃうわ。

太郎・教師はカウンセラーや助言役に徹して,各生徒にあったソフトを選択したり,必要ならソフトを作成して生徒の学習をサポートすればいいんです。教師の数はかえって現在の一斉授業よりたくさん必要になる筈です。「倫理」の場合は『ソフィーの世界』のような教材をドラマ化したのを見せて,設問を解かせるようにすればいいわけです。個別指導だから得意科目はどんどん進んでいきます。不得意科目でも他人と比べられませんし,マイペースでゆっくり上達できますから一番いい筈です。

花子・そんなことをしたら,クラスなんかなくなっちゃうわ。同年齢の生徒同志が,一緒に助け合って友情を育みながら発達するという民主主義教育の理念はどうなるの。

先生・クラスは語学の会話クラス,様々な政治・経済・社会・文化の問題などについて発表し,討論するゼミナールのクラス。同好者が集まって行う体育と文化の必修クラブなどを設置すればある程度は,人間的なつながりができるんじゃないかな。同年齢にこだわることはできなくなるな。その方がいじめとかなくなっていいかもしれない。ともかく社会が変化すれば教育も変化する。そうしないと学校が見捨てられることにもなりかねない。というのは高度情報社会では,人間が覚えたり,処理しなければならない情報量は膨大なものになる。それに競争がグローバルなものになって「大競争時代」になってきている。教育でも高度情報化が進展せざるを得ない。

花子・そういえばライフスタイルが情報化社会の到来でがらりと変化するといわれますね。実際にオフィスにずらりとパソコンが並んで一切の事務処理が電子化するエレクトロニック・オフィスは続々登場しているようですし、家庭のパソコンで買い物をするのも始まっているようですね。

太郎・エレクトロニック・コテージ(電子化家庭)て言うらしいね。やがて預貯金や株式・証券取引,から融資まで交渉から文書処理まで家庭用パソコンで済ませられるようになる。買い物情報だってインターネットが普及すれば、世界中の店舗から一番気に入った品質や価格の商品を選びだして、注文できるようになる。

先生・それになにより会社の仕事を家庭ですます在宅勤務が広がりつつあることは大きい変化だね。これは通信費が安くなりさえすれば,世界中から仲間を探して共同で事業を起こせるということで,活躍の可能性が飛躍するわけだ。

花子・でも日本人は語学音痴だから駄目ですね。そういう動きに取り残されそうだわ。

太郎・おいおいそんな弱気じゃ駄目だよ秀才のくせに。それにパソコンで翻訳ソフトがあるから,そのまま使えないにしても適当に手を加えればいけるらしいよ。

先生・もちろんビジネスだけでなく,政治や文化や宗教や趣味のサークルなどもどんどんグローバル化していけるわけだ。グローバルな科学技術の交流で環境問題・食糧・資源問題の解決に繋がればいいんだが。

  情報化社会の問題点

  花子・情報化社会になれば管理社会が進行して,情報操作によるテクノクラート(技術官僚)の支配が行われるということが危惧されるのでしょう。

先生・そうだね政府や企業などの巨大官僚機構はできるだけ,情報をうまく管理操作して支配目的に利用しようとするら,国民・大衆・消費者は物事の真相が掴めずにごまかされたり,踊らされたり,不利益を被りがちなんだ。その上,マス・メディアも政界や財界と癒着しやすい傾向があるから,ますます無力で非主体的で非個性的な大衆になってしまう。でもこれを防ぐ為には,情報化社会の進展に抵抗しても仕方ないんだ。

太郎・政府や企業に対して「知る権利」を主張し,マス・メディアに対しても「アクセス権」を主張すべきですよね。

花子・「アクセス権」というのは何ですか?

太郎・ほら松本サリン事件で犯人扱いされた被害者がいただろう。マスコミの一方的な報道で人権侵害された被害者は,マスコミ機関に対して無償で「意見発表権」があるという主張だ。

先生・知る権利に関しては,地方自治体では情報公開条例を作っているところが多いんだが,国家レベルでは機密保護の主張の方がまだ強くて,情報公開法ができていない。日本はその点欧米諸国に比べ遅れてるね。

花子・プライバシー保護では1988年に「個人情報保護法」が制定されていますね。それでもダイレクトメールが進学期や就職期それにいろんな時期にあわせて, 大量に送られてきますね。きっちり個人情報が収集管理され, しかもビジネスの道具として情報会社を通して売買されているということですね。

先生・個人情報を国家が細かい内容まで収集管理したいという欲求は民間以上に強いんだ。これを国民総背番号制といって,一人一人の情報を国民に番号をつけて管理するんだ。そうすれば脱税なんか全くできなくなる。税の公平性という意味では理想的なんだが,そこまで国家が個人を情報管理してよいものかという問題がある。

花子・警察・公安関係の情報とそういう税務・保険関係の情報や思想傾向や趣味の情報まで全部管理されているとしたら,何か体制批判的発言がチェックされ,仕事でも差別される恐れも出てきますね。

先生・1980年OECD「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する理事会報告」では,そういう権力機関や情報産業による個人情報の蓄積や誤った情報処理を防ぐために次のような指針をだしている。情報収集にプライバシー保護の観点から明確な制限を設けることだ。利用目的を明確にさせ,それに必要最小限度の情報のみ集めせ,他の目的への利用を禁止する。そして集めた情報は他人に譲渡したり,流用させないようにする。そしてどのように利用しているか公開させる。誤ったデータに対して修正を求める権利を認める。そしてデータ管理者の責任を明確にする等だ。日本でもプライバシー保護を目的に1988年「個人情報保護法」が制定されているんだ。

太郎・でも公的機関の情報公開は遅れていますね。地方自治体レベルで「情報公開条例」はできているけれど、国家機関は国家機密の保護が優先されて,欧米ではとっくに制定されている「情報公開法」が制定されていないんです。

花子・「薬害エイズ事件」でも非加熱製剤の危険性がはっきりしてからも加熱製剤の輸入を許可しないで,非加熱製剤を使用させた経緯等が闇に包まれていますね。それに住専処理策策定経過でも不明瞭です。

 

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