現代社会の特質と人間

  A・産業化社会 管理社会 大衆化社会

  現代社会とは?  

太郎・現代社会てどんな社会だと一口に聞かれても簡単は答えられませんね。第一刻一刻と様相を変えていっている気がしますし。

花子・「現代」と「近代」の区別は歴史学ではいろいろ論争があるようですが,社会学でいう「現代社会」はまた別なんでしょう?

先生・一応世界史的な近代は市民革命以降の時代だと考えればいい。だから各国民国家によって開始時期はまちまちだ。世界史的な現代の開始は帝国主義の時代の開始をあてたり,第一次世界大戦の開始をあてたりしているんだ。そこでそういう時代の特色を考えると,経済的には,現代は資本主義的な市場経済の下での産業革命の普及つまり機械制大工業による大量生産・大量消費の体制だな。動力源も蒸気力から電力中心になり,巨大な化学工業や自動車工業がさかんになった。

太郎・政治的には行政機構が肥大化して,行政国家になっていくとともに,労働者階級が社会勢力として成長したから,次第に普通選挙制が拡大され,大衆の支持なしには政治が機能しない「大衆民主主義」の時代になりました。

花子・だから現在においては専制恐怖体制を敷こうとするなら,何よりも一般大衆の支持が必要なわけです。ドイツのナチス党,イタリアのファシスト党,日本の軍国主義は大衆の思想教育を徹底して,国民的合意を形成した上で侵略戦争を遂行しました。ソ連や中国の左翼全体主義も「大衆民主主義」の体裁を繕っていたわけでしょう?

先生・もちろん反対派に対するテロや大弾圧を行った上で,やったのだから本当の民主主義では決してなかったけれど,徹底的な情報管理の下で大部分の国民が騙されたことは確かだな。

太郎・それで文化的要因としては,普通教育が普及してほとんど百%近くの国民が国民教育を受けているということです。そして新聞・雑誌・テレビなどマス・コミュニケーションが発達し,等質の文化と情報の洪水に国民全体が日々浸されていますね。

花子・じゃあこのまま情報化社会の技術革新が進展すれば,現代社会というのは近代国民国家の枠を突き破ってボーダレス(国境なし)でグローバルなものになるんでしょうか?

  先生・そのことに関しては,やすいゆたか著『歴史の危機・歴史終焉論を超えて・』(三一書房)で強調したんだ。産業・交通・情報の発達が現代社会を生み発達させてきたんだ。それは国民国家という枠の中でこれまで発達してきた。それが情報が国家単位では管理しきれなくなって,「社会主義」世界体制がもろくも崩壊してしまったんだ。インターネット通信は,個人が全世界に発信し,全世界から情報をキャッチできるものらしい。この普及はグローバル・デモクラシーの世界秩序を下から形成する重要な媒体(メディア)になるだろう。ともかく今や近代国民国家は最終局面を迎えていると言えるだろう。

  機械と大衆の時代

 花子・現代社会は,「機械と大衆の時代」だってだれか言ってましたね。つまり大量生産・大量消費の時代で画一的な商品を不特定多数の人々に売りさばかなくてはならないのよ。生産に携わる人々は機械のネジ・クギとなって機械的な反復作業に,創造的な 能力は発揮できなくなってしまうの,個性を喪失した平均化された人間になるのね。そして作られる商品は,それこそ画一的な個性のない,そういうのステレオタイプっていうのよね,感じになってしまうの。消費にしても流行にあわせてみんな同じものを買うわけでしょ。だから欲望自 体が,均質化されて,個性を無くしているのよ。大量生産された画一的な物を欲しがるように巧みに流行が生み出されているのね

太郎・しかもいつまでも同じ物を作ってると,売れなくなるので新製品を作りだしてそれをまた欲しがらせるわけだ。まだ前の製品でも十分使えていてもね。

先生・均質的で欲望まで作られる人間が現代人の特徴になっている。こうして次々古い製品をスクラップさせると,巨大な資源の浪費となる。環境破壊が深刻になるわけだよ。 

組織社会-官僚制と管理社会

  花子・大量生産に伴って企業組織が巨大化します。そうすると上意下達の官僚的組織になって,いろいろと人間疎外が起こってきますね。

太郎・組織が大きいと決裁する人が多くなるだろう。小さな会社だとボスに了解とってどんどんやれるけど,大企業では係長・課長・部長・常務ぐらいまでのはんこが必要になる。もちろんいくつもの会議で慎重に審議された上でだ。どこかから強いクレームが出れば先送りされることになる。決定までに要する時間や労力は膨大なもので,大変な費用が浪費されてしまう。これじぁ若い社員が新しい創造的なアイデアで,企業を発展させようという気概が殺がれちゃうよ。

先生・「出る釘は打たれる」と言うからね。組織が大きいと組織内でのイニシアティヴ(主導権)争いが激しくなり,ライバルの足を引っ張り合うことに大きなエネルギーを注ぐことになる。ところで企業が巨大化すれば労働組合も巨大化する。労働組合だって官僚的な組織になってなかなか民主的に運営しにくくなるんだ。

花子・現場でせっかく闘争を盛り上げても,組合幹部がなんだか分からないところで使用者側と妥協しちゃうとやる気無くしますよね。うちの父も若いころは組合運動に熱心だったようですが,70年代中頃から馬鹿らしくなったって言っています。

太郎・そのころから低成長になって賃上げも押さえ込まれたからな。

先生・組織の巨大化は官僚機構に顕著に現れたんだ。 

花子・帝国主義時代になると植民地争奪の為に軍隊が巨大化します。また国内の治安維持の為に警察も巨大化しますね。

太郎・道路や鉄道の敷設,学校や病院・郵便局の整備が全国津々浦々まで進みます。こうして国民の統合を進めることで,国内市場の健全な発展が望めるのです。  

先生・そうした組織も官僚制(bureaucracy)的な特色を持つわけだが。マックス・ウェーバーは官僚制の特色をどう説明したのかな?

花子・文書主義です。決定や指示を文書の形で明確にして,その内容が勝手に変えられないようにしているということです。それを上意下達のピラミッド型組織,ええっと位階制(ヒエラルヒー,英語でハイアラーキー)で下ろしていって処理するんです。

太郎・それから権限が明確になっていて,重複しないようになっています。そして必要な専門的知識を持っていると認定された人を採用するようにしています。

先生・じゃあ官僚主義の悪い傾向について挙げていこうか。

花子・まず上意下達にこだわって上の権威で,現場の意見を無視して一方的に押しつける権威主義です。

太郎・それは決定が合法的に行われているという形式に囚われる形式主義になりますし,それぞれの現場の具体的な事情に心配りがない画一主義になります。

花子・要するにそれは官僚の自己の権限や利権から決定内容を決めようとしますので,当然縄張り主義に陥ります。そして決定内容の正しさを規則に忠実であることや先例に求めますから規則万能主義や先例主義になるのです。また頑固に自己の決定内容の正しさを主張して独善主義の態度をとります。そして決定根拠をつっこまれないように秘密主義を取ります。またトラブルが生じたり不正が追求されますと,事なかれ主義で部下や上司に責任を転嫁し,責任を回避しようとするのです。

太郎・ところでソ連等の官僚主義はどう評価したらいいんですか?

花子・社会主義というのは労働者が経済機構を自主的に運営する体制の筈なのに,現場の労働者には全く権限を与えないで,共産党の組織が実質的に企業運営まで支配してきたわけでしょう。独善主義・権威主義で社会主義を破壊していたと言えるんじゃないの?

先生・善意に解釈すれば,労働者に企業を自主的に運営する能力や意志が成熟していないのに,形式だけ「社会主義」でいこうとしたので,無理やり共産党の言うとおりにやらせるということになってしまった。確かにこれじゃあ社会主義とは言えないんだ。つまりソ連の経験は上からの社会主義の押しつけは,社会主義の看板の下で共産党の恐怖独裁を実現することにしかならないことを示したと言えるね。だからこれからの社会主義は,企業の運営をより民主的にしていく努力や,自主的な協同組合企業を作ることなど,下からの動きとして展開されることになるだろう

  新中間層の出現      

  太郎・マルクスの考えでは資本家階級(ブルジョワジー)と労働者階級(プロレタリアート)に二極分化して,必然的に革命が起こるという事だったのが,先進資本主義国ではかえって二極分化が進まず,新中間層が出現しましたね,ホワイトカラーという形で。それに旧中間層の中小の商工業者も独占資本主義が支配しても,それを補完する形でかえって発達しています。マルクスの予言は外れてしまったんですね。

先生・ホワイトカラーというのはブルーカラーとの対比で名付けられたんだが,工場の現場で直接生産に携わる工場労働者以外に,技術・事務・管理などに携わる頭脳労働を行う賃金労働者を指している。まず工場には研究所が設けられてそこで技術開発に従事する専門技術部員の従業者が誕生した。そして企業組織の巨大化に伴う管理・事務部門の職員も必要だ。大量生産した商品を業者に売りさばく販売・サービス部門いわゆる営業部員が,第一線の要員と見なされるようになる。

花子・行政機構の肥大化で公務員が急増しましたね。彼らもホワイトカラーに分類されているでしょう。

太郎・学校の先生や郵便局員も公務員ですね。公務員以外でも教育・文化関係に勤務しているとホワイトカラーですよね。

先生・工場労働者の場合は労働時間分の価値を生み出しているという自負があって,それを資本家に搾取されているという階級意識が明確だった。ところが直接生産に従事しているわけではないホワイトカラーの場合は,自分がどれだけの商品価値を生み出して,どれだけ搾取されているかハッキリしないので,労働者としての階級意識を明確に持つことは出来なかったんだ。それよりはむしろ自分たちが情報を管理操作して,直接生産の労働者を管理支配しといるという管理者意識が強いんだな。

花子・管理や支配の技術,情報を集め管理する技術が発達すると,そういう技術を独占した一部のパワー・エリートが,多数の人間の感情や知識や意志などを管理する時代がくるとミルズは言ってますね。

大衆化社会の問題性

  太郎・大衆化社会というと中間層だけでなく,一般の生産労働者をふくめて中流意識をもっていますね。そして政治や経済が大衆の利益に迎合する形で運営されるべきだと考えているようですね。

花子・でも大衆は共通の目的や相互の信頼感や一体感は持っていないの。だって自分たちで世の中をどうにかしようなんて思ってないわ。巨大な官僚機構・生産機構・流通機構の中で,全く無力な存在だと思っているんだもん。ただ大衆の生活を安定させ,豊かにしてくれる政治や経済の運営を期待しているだけなの。この期待に背けば権力の維持は難しいわ。そういう意味で現代社会は大衆民主主義の社会だと言えるでしょうね。でも大衆自身は確固とした固定的な価値観があるわけじゃないから,適当に操作され易いのよ。

先生・ローマ時代の言い方だと「パンとサーカス」だ。ローマ時代はコンスル(統領)になるにはローマ市民の票が必要だったので,将軍たちは属州から巻き上げてきた財でローマ市民にパンとサーカス(見せ物)のサービスをしたんだ。そういう腐敗した衆愚政策で,ローマが人民自身の国家だという幻想を与え続けていたんだな。太郎・でもね,ソ連の崩壊で社会主義的な方向での理念的な国家作りが破綻しましたね。それにミャンマーや北朝鮮だったらまだ「自由や民主主義」を求めて,命懸けの闘争が考えられるけれど,日本みたいな自由や民主主義が一応確立している国だと,保守的な形以外に何か追求すべき理念があるのですか?

花子・「自由や民主主義」と言っても人によって内容が違うのよ。今のままで充分自由過ぎると思っている人もいれば,職場では首切りの自由ばかり横行して,自由に物も言えないと不満な人も多いのよ。

太郎・でも今やアジアから大量の低価格商品が入って来るなかで,大胆な人手減らしを遂行し,コスト軽減を図らないと企業の生き残りは出来ないんだ。

先生・これは難しい問題だな。企業が合理化を進めざるを得ないのは良く分かるんだが,その為に労働者が失業して路頭に迷ってもいいことにはならない。

太郎・もちろんそうです。ですから長期雇用体制を止めて,雇用の流動化を図るべきなんです。そしてどんどんベンチャー企業を作ってそこに労働力を集めればいいのです。またベンチャー企業が育つように規制緩和を思い切って進めるべきです。

花子・そういう捉え方だと労働者は,企業の単なる使い捨てとしてしか見られていないことになるのよ。首にするのも,拾い上げるのも企業次第なんでしょう。

先生・だから企業がコスト削減の為に安易に首切りを行うのじゃなく,ベンチャー部門を企業の中に作るか,分社するかしてできるだけ雇用を確保すべきなんだ。まるで保障のない形で,戦力外通告で解雇してしまうのは,企業の為にすべて捧げて生きてきた日本企業の会社人間化した労働者にたいしてはあまりに過酷だというしかない。これじゃあもう会社の為に働こうとする忠誠心を無くしてしまうので,日本的経営の良さがなくなり,かえって将来に禍根を残すことになるんだ。

太郎・それは言うのは簡単だけど,本業が駄目なら副業でというのは発想が安易過ぎます。だって結局ど素人の分野に進出して簡単に競争に勝てるほど甘くないでしょう。もちろんこれから伸びそうな分野の企業と提携するのはいいけれど。

先生・太郎君の議論はドラッガーが『ポスト資本主義社会』で強調していることだ。ちょっと経営学にそれちゃったね。この問題を大衆化社会の問題性に結びつけて考えるとどうなるかな?

花子・だいたい会社人間化してきたことにも問題があるのよ。終身雇用制ということで会社に人生を丸抱えにしてもらったつもりでいたんでしょう。でもそれは右上がりの成長時代だといいんだけれど,いったん試練の時期になると別にそういう契約があるわけじゃないから,会社の都合で簡単に切られてしまう。こうなることをきちんと予測して労働者の立場を強めたり,いつ首になっても転身できる準備をしたりしておくべきだったのよ。結局お上の力に頼って生きていこうとする権威主義的・他人志向的なあり方に問題があったの。

先生・自己の無力感と漠然とした不安から,他人の意向に気を配り,同調しようとする,あのリースマンの『孤独な群衆』だな。

太郎・欧米でもベルトコンベヤーで作業が単純作業に細分化しちゃうと,労働者は熟練の必要が無くなってくるので,自分の能力で製品を作りだしていくという感じがなくなり,機械の部品化してるような感じになってしまったんです。そうなると自立して階級的な団結で革命をするとか,或いは逆に企業家意識をもって現場から革新するとかの意識は希薄になり,なんとか体制に包摂してもらおうという意識になり,企業や国家の意向に擦り寄っていったのです。

先生・そりゃあちょっと図式的に見すぎだな。労働運動は20世紀になって世界恐慌やロシア革命を背景に盛り上がっていったんだから。ただ労働運動や革命運動だって巨大組織として行われ, 官僚主義的に展開される。しかも指導者の個人崇拝など他人志向的・権威主義的傾向が強くなる。とはいえこれを職場における作業の単純化で説明するのは飛躍しているよ。ただ作業の単純化が大衆的な無力感の温床だったというのは言えるかも。

花子・もともと権威に依存する性格は前近代的・封建的なものでしょう。それが近代市民階級の成長で市民革命が起こり,人格的に自立した個人が強調された。それが現代社会では生産過程・流通過程・情報管理・官僚機構などの肥大化によって個人の無力化が起こり,これがまた権威を求める原因になっているんだわ。

先生・そう説明するのが一番説得力があるだろうな。でもフロムの『自由からの逃走』は少し違うんだ。フロムはユダヤ人でドイツからアメリカに亡命したんだが,彼は19世紀後半から進行したドイツの急速な工業化が, 古い家父長家族の解体をもたらた。都市生活になって単婚小家族化してしまったんだ。そうすると今までは強力な頑固親父である家父長の権威によって支えられていたドイツ人の精神生活に, 大きな精神的空洞ができてしまった。それが第1次世界大戦後の政治的・経済的混乱で自信をなくしたドイツ人は強力な家父長的権威で導かれ安心したくなったんだ。せっかくドイツは帝政を打倒し,自由な社会を実現したのに,自分で自主的に考えて進んでいくのが不安になったんだ。強力な民族の指導者を求めたんだな。その期待に応えてくれたのが,あの恐ろしいヒットラーだったというわけだよ。だから『自由からの逃走』なんだな。

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