7復活の奇跡

やすいー吉岡の心にも消しがたい痕跡を残すけれど、でもそれで吉岡は信仰に入るわけではありません。遠藤先生はイエスを森田ミツにダブらせますが、やはり九官鳥も森田ミツもイエスであって、イエスではないわけです。その意味でイエスは神のひとり子なのですが、どうして「彼は醜く、威厳もない。みじめで、みすぼらしい。人は彼を蔑み、見捨てた。忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人々に侮られる。まことに彼は我々の病を負い、我々の悲しみを担った。」とされるイエスが、人類の贖罪をしたとされ、キリストだということになるのでしょう。無力で奇跡も行えず、死者からの復活も文字通りの事実でないとしたら。

遠藤・・・弟子たちは、ユダだけではなく、ペトロまでもがイエスを見捨てたんです。だけど、イエスが十字架に架かると、三日後に復活したという信仰を核にして、今度はみんな殉教も恐れることなく、布教に命を捧げたんです。

やすいーそれはイエスを裏切って十字架に付けてしまったことに対する、良心の呵責だけで説明できるでしょうか。

遠藤・・・イエスは自分を裏切った弟子たちを、恨むことなく、愛していました。弟子たちはみんなそれぞれに、深い悲しみや絶望を抱いていた人達です。それが共に悲しみ共に苦しんでくれるイエス、神殿よりもっと大切なものである愛を与えて下さったイエスの痕跡からは逃れられなかったということではないでしょうか。イエスの死は、その最も大切なものを思い起こさせるきっかけであったわけです。

やすい・・しかしそれは復活信仰と結びつかないと宗教運動とはなり得ませんよね。ただ精神的な意味で、イエスが弟子たちの心にいつまでも深い痕跡を残しているというだけでは、弟子たちをあれほどの殉教にまで駆り立てることはなかったでしょう。

遠藤・・・イエスの弟子たちが、罪の意識を抱きながら、イエスの生涯や彼の死の意味をじっくり話し合ったのではないでしょうか。それなしで彼らは、これからどういうように生きたらよいか分からなかったからです。そこでイエスの生前の言葉が集められ、後に『イエス語録集』が造られたとされています。イエスの復活預言も取り上げられ、それを『バイブル』から解釈して意義付ける作業もなされた筈です。そうしたなかで復活・再臨を核にする信仰が形成されたのではないでしょうか。

やすい・・でも事件としての復活がなくても精神的な意味での復活だけで、事実としての復活を信仰できるでしょうか。実際、グノーシス派のキリスト教徒は事実としての肉体の復活は否定して異端とされました。彼らは精神的な出来事として捉えようとします。でも使徒たちはあくまで復活のイエスの体を見たと言い張ります。手に触れ、声を聞き、食事をするのを見、生活を共にした体験にこだわっているようです。自分達の証言を信じないで、幼稚な妄想扱いされたので、使徒たちはグノーシス派と激しく対決したようですね。

遠藤・・・忽然として墓から死体が消えたことは空想的物語ではなくて、実際に起こった事件だったのです。このことは最近、カンペンハウゼンの綿密な研究で立証されているんです。これは復活宣伝の為のイエスの弟子たちの仕業だと町の評判だったようですが、ともかく死体消失事件の意味も弟子たちの議論になり、復活確信につながったかもしれません。

 これが自作自演劇だとしますと、最近のカルト教団のやり方を思い出しますが、そういう詐欺的な行為で復活を騙って、その嘘の為に殉教するということは考えられません。確かに復活信仰の確立の為には復活したイエスとの遭遇という宗教体験が必要だったでしょう。それはしかし三日後という短時間ではなく、イエスの死と復活についての長く熱っぽい弟子たちの議論の果てに、イエスが復活して我々の側に常にいるんだという宗教的確信が出来て、その上で起こった宗教体験だったと思われます。

やすい・・通俗的な意味で奇跡を否定されながら、イエスの復活の奇跡だけは否定しきれないものを感じておられますね。そうでないとどうしてイエスだけがあれ程神格化されたか、説明がつかないし、あの意志の弱かった弟子たちが全て殉教も厭わない程強固な信仰を持つようになった謎は解けないというわけでしょう。復活の事実はともあれ、それを事実として信仰させるだけの宗教的体験を、弟子たちに神が与えたことだけは本当だというのが、遠藤先生の偽らざる信仰の核ですね。

遠藤・・・もちろん無神論者からみれば、私がそう捉えるのは、信仰のせいと思われるでしょうが、人間の心を凝視するのが仕事の作家として弟子たちに起こった堅信の原因を追い詰めれば、そうとしか言えないというのが、私の解釈です。

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