『 構造構成主義とは何かー次世代人間科学の原理
             

             
西條剛央著 北大路書房 2005年刊


 

                      目次

出版に寄せて 池田清彦寄稿

はじめに

1 章 人間科学の「呪」
   1 節 人間科学の特徴と特長
   2 節 人間科学の現状
   3 節 人間科学のテーゼを通してみる「呪」の発生構造
   4 節 「呪」の解消を巡るさまざまな問い
   5 節 本書の目的


2 章 人間科学の「呪」の解き方
   1 節 呪の解消へ向けて
   2 節 リーダーシップによる先導
   3 節 実証の限界と有効性
   4 節 哲学の問題点と機能
   5 節 哲学に対する誤解
   6 節 「哲学」による「原理」の探求
   7 節 本書で採用する現象学の整理
   8 節 その他の方法概念


3 章 哲学的解明の基礎ツールとしての現象学的思考法 ― 判断中止と還元
   1 節 本章の構成
   2 節  主客問題・認識問題の歴史的起源
   3 節 認識問題がなぜ信念対立へとつながるのか?
   4 節  自然的態度かから生まれる信念対立
   5 節 信念対立超克のための現象学的思考法
   6 節 フッサール現象学における判断中止と還元
   7 節 多様性の相互承認に向けた「原理」の創出
   8 節 「内的視点 」としての新たな「原理」 の定式化へ向けて

4 章 中核原理の定式化 ― 関心相関性
   1 節 信念対立の解消へ向けて
   2 節 中核原理としての身体・欲望・関心相関性
   3 節 関心相関性の機能
   4 節 関心相関性のもつ普遍洞察性
   5 節 ニーチェの欲望論
   6 節 根本仮説の問題点
   7 節 身体・欲望・関心相関性に通底する「原理の中の原理」
   8 節 関心相関性に関する批判とそれへの回答


5 章 「言葉」を相対化する思考法ーソシュール言語学と記号論的還元
   1 節 「科学」という言葉の相対化へ向けて
   2 節 ソシュールの一般言語学のエッセンス
   3 節 恣意性
      4 節   差異性
      5 節   恣意性と差異性の関係
   6 節  蔽盲性
      7 節   記号論的還元
      8 節   記号論的還元の応用としての「科学論的還元」
      9 節   実体的概念と非実体的概念の違い
      10節   記号論的還元の学融促進機能
      11節   第二の記号論的還元の科学論的実践へ向けて

6 章   人間科学の科学論の確立 ― 構造主義科学論
    
1 節   本章の概観
      2 節   帰納主義とその限界
      3 節   ポパーの反証主義とその限界
      4 節   帰納の成立条件とその根本問題
      5 節   求められる科学論の条件
      6 節   規約主義
      7 節   社会的構築主義
      8 節   科学論最大の難問の解明へ向けて
      9 節   「私」再考
    10 節   独我論・観念論という批判への論駁
    11 節   構造主義科学論
    12 節   構造主義科学論と「科学論の最前線」との比較
    13 節   日本の科学論の展望
    14 節   構造主義科学論が人間科学にもたらす意義

7章 構造概念の定式化 ― 構造存在論を通して
  
1 節 構造存在論の導入
   2 節 構造の存在様式
   3 節  人間科学を基礎づける構造概念
   4 節  構造とは何か? ― 2 つのレべルの構造


8章 人間科学の方法論の整備
  
1 節 信憑性と構造の質
   2 節  多様な認識論と方法論の活用法 ― 関心相関的選択
     3 節  広義の科学性を満たすもう 1 つの条件 ― 構造化に至る軌跡
     4 節 構造仮説の引き継ぎ方 ― 継承
   5 節  推測統計学による一般化の有効性と原理的限界
     6 節 アナロジー的思考に拠る一般化
   7 節 「視点」としての「構造」
   8 節 継承対象の拡張による人間科学知の存在論的編み変え
   9 節 人間科学の方法論のまとめ


9 章 他の思潮との差異化 構造主義,社会的構築主義,客観主義,そして構成主義
  
1 節 構造主義との差異化 
   2 節 社会的構築主義との差異化
     3 節 客観主義と構成主義との差異化
    4 節  連立制御ネットワークとしての構成主義との異同と連携

10 章  構造構成主義 ― 全体像と思想的態度
      1 節  本章の企図と構造構成主義のモデル提示
      2 節  現象の尊重
      3 節  哲学的構造構成と科学的構造構成の共通概念
      4 節  哲学的構造構成
      5 節  科学的構造構成
      6 節  二重の構造構成の意味すること ― 哲学と科学の融合
      7 節  「矛盾」に対する態度
      8 節  開放系としての知の継承 ― 関心相関性という媒介者
      9 節  構造構成主義とは何か?

11章  構造構成主義の継承実践
      1 節  構造構成主義の応用実践へ向けて
      2 節  構造構成的質的研究法
      3 節  構造構成的心理統計学
      4 節  構造構成的発達研究法
      5 節  構造構成的知覚研究法
      6 節  人間科学的医学
      7 節  構造構成的 QOL 評価法
      8 節  構造構成主義による甲野善紀流古武術の基礎づけ
      9 節  原理としての優れた継承性

     引用文献
  あとがき

 

                             出版に寄せて
                                        寄稿 池田清彦


 私が 『 構造主義科学論の冒険 』 (毎日新聞社)を上梓してから 15 年の歳月が流れた。この本はその 2 年前の 1988 年に出版した 『 構造主義生物学とは何か 』 (海鳴社)で展開した考えを科学論に応用したもので,いわば構造主義生物学から導かれた系(コロラリー)の 1 つである。この中で私は,帰納主義,反証主義,規約主義等々を包摂し,止揚した新しい科学論を構築し得たと秘かに自負した。 2 , 3 の好意的な書評が出たとはいえ,しかし,日本の主流の科学論・科学哲学界は私の本を完壁に無視した。 『 構造主義生物学とは何か 』 の出版で,傍流の学者が一般向けに書いた本は,内容のいかんを問わず,いずれにせよ学界からは無視されることを学んでいた私は,落胆もしなければ,腹も立たず,自分の理論の優位性を疑うこともなかった。

   私は理論の完成度に自信をもっていたので(という意味は,メタ理論としてはこれ以上考える余地がな<なったので),構造主義科学論に関係する本を,その後もいくつか出版しはしたが( 『 科学はどこまでいくのか 』 筑摩書房, 1995 年, 『 科学とオカルト 』 PHP 新書, 1999 年),もはや,理論をより洗練させようとの意図をもたなくなっていた。私の関心は,ネオダーウィニズム批判とそれに代わるべきオールタナティブ理論の構築,新しい分類理論の提唱,リバータリアニズムの理論的基礎づけ,生命の形式の探求等々に移っていった。

   その間に毎日新聞社刊の 『 構造主義科学論の冒険 』 は版を重ね, 1998 年に出版した講談社学術文庫版も順調に版を重ねて,一定の読者数を獲得したように思われたが,相変わらず,職業的学者が書く科学論や科学哲学の本や論文に,私の構造主義科学論が引用されることはなかったように思う。しかし,こういった学界とは無縁な人の中には,私の科学論をおもしろがってくれる人もチラホラ現われて,そういったものを目にするたびに,私はちょっと誇らしいようなうれしいような気分になった。そんな時に出現したのが本書である。送られてきた草稿を読んで,私は不思議な気分になった。

   メンデルが 1865 年に発表した遺伝の理論は長らく無視され, 1900 年になって再発見されるのだが,メンデルは 1884年にすでに亡くなっていて,自分の理論の再発見を知ることはなかった。もし,メンデルが生きながらえて,自分の理論の再発見を報されたらどんな気分になったろうか。そう, 西條剛央さんの書いた本書を読んで,私は不遜にも,生きながらえて自分の理論の再発見の報せを聞いて いるメンデルもかくありなん,という気分になったのである。

   私は本書を読みながら, 15年前に 『構造主義科学論の冒険 』 を書いていた時の心躍りを想い出し,きっと西條さんも本書を書きながら,新しい理論を自ら構築する者だけが味わえる昂揚感を味わったに違いないと思い,なつかしいような,ちょつとうらやましいような気持ちになった。構造主義科学論を,帰納主義,反証主義,規約主義を止揚したメタ理論として構想した私は,この理論が具体的な研究プログラムとして役に立つかもしれない,なんて考えたことはなかった。本書を読んで,なるほど,構造主義科学論の基本的なスタンスは,諸学を 束ねる結節点としての人間科学にこそふさわしいのかもしれないと思い,西條さんの慧眼に舌を巻いているしだいである。私は 『構造主義科学論の冒険』 に先立つ 『構造主義生物学とは何か』 のあとがきに次のように書いた。

  
「あれもよし,これもよしといった形での現状追認の二ヒリズムに陥らずに,しかも一元主義と同型的な論理構成にならずに,多元主義を擁護するためのメタレべルの思想を構築することは,大げさに言え ば,現代思想が直面している最大の課題であると私には思われた。本書は第一義的には,構造主義生物学の方法論的な基礎を述ペたものであるが,同時にこの課題を解決しようとする試みでもある」

  これを書いた時点では,このマニフェストは単なる大言壮語にすぎなかったが,本書を読むと,人間科学という具体的なディシプリンの中でひょっとすると実現可能かもしれないという曙光が見えてきたような気がする。私が構造主義科学論の構想を公表して以来,西篠さんが現われるまで,誰も私の理論を具体的な道具として使おうと いう人は現われなかったし,私自身もどう使っていいかわからなかった。 作った本人は玉 だと強がってみても,誰にも顧みられずに打ち捨てられたままであれば,科学論の歴史の片隅に転がっているただの石ころにすぎない。

 西條さんはこの石ころを磨いて玉にして,さらにそれを加工して,「構造構成主義」という商品にしようとしているのだと思う。願わくば,たくさんの人がこの 商品の価値を認めて.使い勝手のいい道具として愛用してくれますように。


                                 はじめに

  本書は新たなメタ理論(原理)として「構造構成主義」を体系的に提示するものである。

 人間科学内部や,専門領域としている心理学における学会から小規模の研究会に至るまで,学者,研究者といわれるさまざまな人々と議論をし,また議論の仕方をみてきたが,いつも「なぜだろうか?」と思っていたのは,たいていは建設的議論にはなることなく,信念対立が繰り返され,結果として領域間や理論対実践,実験対現場,基礎対応用といったさまざまな対立図式に陥ってしまうことだ。

  研究に携わる人々は,確かに自身の専攻やテーマに関しては,専門書などをよく読み,論文を生産したり,実践活動に寄与している。しかし,異領域間の交流となると,相手をやりこめる議論は一流でも,建設的に何かを生み出すことはできず,後味の悪い思いだけが残る。ボタンの掛け違いが日常的に起こり,事態は紛糾し,不毛な信念対立や相互不干渉図式へと至ってしまう。また,そうした違和感から,異領域間のコラボレーションがうまくいっていないことに気づき,その現状を批評することはできても,具体的な解決策が提案されることはまずない。

  しかし,その一方で,相手の関心や目的,ルール,志向性を十分理解した上で,その人の研究がよりよくなるように,異領域ならではの発想を活かした意義ある提言を行なう人もいる。そうした人々は,それぞれの領域のもっ特長を活かしたコラボレーションを促進することにより,建設的に問題を先に進める。そのタイプの人は,確かに専門領域の知識や能力を有してはいるのだが,本質的にはそうした能力とは関係なさそうである。むしろ,自他の関心を対象化して捉える認識力に長けていること,問題がこじれそうな時にその根源を突きとめ解きほぐすことができること,自分だったらどうするかといった身に引きつける態度で建設的に考え,お互いの良さを引き出すといった「隠れスキル」とでもいうべき裏の技術をもっているようだ。

  大学院生から教員に至るまで,研究者といわれる人々は,人間科学の旗印のもとで,それぞれの専門領域の研究に従事している。しかし,何を専門に学ぼうとも,関心や目的,方法といった前提を異にする領域の研究者たちとコラボレーションするためのスキルを学ばなければ,人間科学において建設的議論を行なうことはできなし“。その結果,細分化する科学の限界を乗り越えるために掲げた 「総合性」「全体性」という人間科学の理念は,そこに関わる人々に自覚されないまま,日々の営みの中で崩壊していくことになる。

  「異領域の人々を集めれば,個別にやっているのとは異なる新たな展開が生まれるのではないか」という人間科学に対する淡い期待は,総合ルールの不在により,泡となって空の彼方へと消えて行くのである。これは人間科学にかけられた「呪」ということができよう。この「呪 」を解くためには,独自の「魔法」(メタ理論)が求められる。

  総合領域としての人間科学が,自らが抱える呪を解き,建設的議論によりコラボレートしていくために現在最も必要なのは,それぞれの専門領域の知識を高めることではなく,異なるルールに基づく領域の人々と,建設的な議論を行なうための基本的スキルを身につけることではないだろうか。このスキルとなる原理が,構造構成主義なのである。言い換えれば,それは学問間の信念対立を調整,解消し,コラボレートをうまく進めるための,総合ルールとなるメタ理論といえる。構造構成主義は,人間科学く社会)の不毛な信念対立を解消し,建設的な協力態勢を生み出すための「原理 」(考え方の筋道)なのである。本書は,こうしたモチーフから,人間科学に掛けられた「呪」を解消した上で「学問のるつぼ」である人間科学の形式上の「特徴」を,機能的な「特長」へと昇華するため,「構造構成主義」という新たなメタ理論の体系的提示を試みるものである。

                                                                      [本書の構成]

  本書は11章から構成されている。
 1 章では人間科学における問題と本書の目的について論じる。
 2 章では,その問題を打開するために本書が採用する基本的思考法の整理を行なう。
 3 章から 10 章まではにれが本書のメインになるのだが),構造構成主義を構成する基本的な概念を説明しながら構造構成主義の体系化を行なう。
11 章では,構造構成主義の応用実践の議論を行なう。具体的には,構造構成主義を,質的研究法,心理統計学,発達研究法,知覚研究怯,医学, QOL 評価法,古武術といった多様な領域に導入した新たな枠組みを提示した上で,それらの特長を概説する。

                             [本書の書かれ方と読み方]

  本書は,書名の通り「構造構成主義とは何か」を明らかにすべく,論じられたものである。構造構成主義を体系的に提示する最初の本であるため,構造構成主義を理論化する際の根本動機,各概念の定義,概念 間の関係を明確にするよう心がけた。さらに,今後,構造構成主義を継承し,さまざまな領域に援用しようという人々が現われた際の利便性を考慮し,重要な思想については,読みやすさをある程度犠牲にしても,可能な限りその系譜を辿り引用することにした。それにより,学的な厳密さを担保すると同時に,構造構成主義の系譜を含めて理解できるよう配慮した。

 なお,直接引用した箇所は特にことわりをしない限り,傍点や漢字表記を含め原文のままとした。

 次に本書の読み方についてだが,本書は, 上述した意図によって書かれることもあり,一般の人々にとってはやや専門的すぎる箇所も出てくることと思う。しかし用語の背景や難解な箇所にこだわる必要はまったくない。難解な所は読み飛ばしていただき,むしろ全体の流れの中から,構造構成主義がどのような目的を達成するために,どのような方法を採り,どのような展開をもたらそうとしているのか,そのエッセンスを受け取ってもらえればと思う。

  また,本書は最初の方で詳説したいくつかの概念(原理)を,その後活用しつつ議論を進めるという書き方をしているため,基本的には前から読み進めるという方法をお勧めしたいが, 10 章をざっと読んで,構造構成主義の全体像を「見取り図」程度に頭に入れた上で,冒頭から読み進めるのもよいかもしれない。

   構造構成主義は,現象を「構造構成」のネットワークとして捉えようとする認識形式をとる。構造構成主義も,構成された 1 つの構造にすぎない。したがって,常に構成され続ける必要がある。読者の方 々 から,さまざまな意見をいただくことにより,構造構成主義をより精緻化し,発展させていきたいと考えている。そして,構造構成主義は「原理」であるがゆえに,さまざまな領域において発展させることが可能である。多くの人に継承発展していただくことにより,人間科学における各領域の「次世代」を切り開いていってもらえれば望外の喜びである。(西條剛央)

                                                                              あとがき

                                                                             [本書の特徴]

   本書を読んでもらえば,構造構成主義というメタ理論は,実践と対置されるものではなく,むしろ哲学,理論,実証,議論,現場といったさまざまなレべルの研究実践をより建設的なものにする汎用性の高い原理となっていることがわかるであろう。

   とはいえ,構造構成主義の構成要素となっている諸概念自体は目新しい概念ではないかもしれない。たとえば,本文の中でも再三述べているが,構造構成主義の中核原理である「関心相関性」 1 つとってみても,言われてみれば「当たり前」と言いうる原理なのである。しかし,人間は当たり前のことを,当たり前であるゆえに、当たり前のように見失ってしまう存在であり,それは研究者といえども例外ではない(私も含め)。

 否,むしろ研究者は専門性が高いがゆえに,視野が狭くなり,一般の人々にとって当たり前のことを見失いがちになる,といえなくもない。そうした研究者にとって盲点になることを認識するのに有効に機能するのが構造構成主義なのである。

 また,本書を,実際に活用していただくためには,継承した思想を網羅的に紹介するのではなく,必要不可欠なエッセンスに集約して提示するのが適切であると考えた。それは過去の思想を過度に単純化して,イイカゲンに提示したということではない。あくまで過去の思想を中核において掴み示すことを心がけた(本書の目的に照らし合わせてではあるが) 。また「研究実践に役立つ具体性」を満たすために,適時,具体的な事例などを挿入しつつ説明するようにした。

  また科学的知の生産に関心のある科学者にとっても,哲学や原理の意義を受け取ってもらうために,抽象的な認識論レべルの問題が,どのように具体的な問題を引き起こし,また原理的哲学がそれを解決しうるのか,そして科学的知の生産に役立ちうるのかを理解していただけるように心がけた。そのため,人間科学の新たな方法論的基盤も体系的に提示した( 8 章)。さらには,構造構成主義をさまざまな領域へ導入した実践例を紹介した( 11 章)。

   本書をこのような構成にしたコンセプトは,本書の最終目的が,単に構造構成主義という原理(メタ理論)を理解してもらうことではなく,あくまでも人間科学や日々の営みの中で有効な視点や方法となることにあるからに他ならない。

   さらにいえば構造構成主義は,学問領域に留まらず,あらゆる世界にはびこる信念対立を低減するための「原理」として機能するものであり,おおげさにいえば現実社会の紛争の減少にすら貢献する「理路」を開く視点になると考えている。

                                                                      [本書の成立経緯]

   本書ができるまでの経緯を,ターニングポイントに限定して簡単に述べておきたい。構造構成主義の体系化の起点となる最初の出会いは 『 構造主義科学論の冒険 』 であった。それは,博士課程に入ったばかり( 2001 年)だったと思うが,ちょうどその頃従来の心理学の方法論に根本的な疑念を抱き始めていた頃であった。加えてその頃公刊された菅村玄二氏の論文に影響を受け,人間科学のメタ理論の必要性を感じ始め,認識論の問題に関心が移り始めていた頃に,ふとしたことからその本に出会ったのだった。

  その本を社会的構築主義の本と比較しながら親友の清水武氏と徹夜で読み解いたのを覚えている。そして徐々にその内実が理解できるようになるにつれて,帰納主義,反証主義,規約主義を止揚する構造主義科学論は,科学論における主客難問けポリア)を解明し,人間科学のメタ理論になるべき理論性を備えていることが徐々に分かってきた。そのエッセンスを掴んだ時点で,ぽくは科学論における「奥義」を手に入れたと確信するに至った。これにより人間科学や心理学といった多パラダイム並列科学の統一理論を体系化できるように思えて,そういった方向でいくつかの論文をまとめていった。

 次に理論化の方向性に決定的な影響を与えたのは, Mr . Children の 『 掌 』 という曲であった。それは次のような歌詞である。前半は割愛し,直接影響を受けた後半の部分を引用してみたい。

 君は君で  僕は僕  そんな当たり前のこと
 なんでこんなにも簡単に  僕ら
 見失ってしまえるんだろう?

 ALL FOR ONE  FOR  ALL
 BUT I  AM  ONE
 ALL FOR  ONE   FOR  ALL
 BUT YOU ARE ONE

 ひとつにならなくていいよ
 認め合うことができればさ
 もちろん投げやりじやなくて
 認め合うことができるから
 ひとつにならなくていいよ
 価値観も  理念も  宗教もさ
 ひとつにならなくていいよ
 認め合うことができるから
それで素晴らしい

キスしながら唾を吐いて
舐めるつもりが噛みついて
着せたつもりが引き裂いて
また愛  求める
ひとつにならなくていいよ
認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の
暗闇を 優しく 散らして
光を 降らして  与えてくれる

 2003 年 1 1 月 19 日 Mr . Chlldren 『 掌 』 より部分引用


 これを聞いて,自分がやりかったのは,統一とかそんなことじゃなく,わかり合うための原理を作りたかったのだと腑に落ちる形で認識できたのである。

 こうして 『 掌 』 は,ぼくの認識の大きな転換点となった。そして認識の変容は,行動の変容をもたらす。その後,構造構成主義の理論化の方向性は,統一理論の提起といった拙い野望から,お互いを認め合うための礎となる原理の体系化へと転換していったのだ。

 そしてちょうどその頃,次世代人間科学研究会において人間科学セミナー「構造主義科学論の展開―人間科学にもたらすもの―」が開かれ,そこで初めて池田清彦氏と直接会うことができた 。そこでの手応えから,構造構成主義の方向性が間違っていないことを強く確信することができた。

 その後,構造主義科学論を中心として,フッサール現象学,信念対立の超克をモチーフとする 竹田青嗣現象学,ニーチェの力の思想,デカルトの方法論的懐疑,ソシュールの 一般言語学,丸山圭三郎の記号論的還元,ロムバッハの構造存在論などを継承しつつ,理論構築を進めていった。それと同時に,次世代人間科学研究会の メーリングリストや研究会での議論を通して,理論は深まっていった。

 この本は,ぼくの 20 歳代最後の夏休みを捧げば書き上がると踏んでいたのだが,書けば書くほど理論的進展がみられる(書くべきことが溢れて<る)といった循環構造に取り込まれ,夏休みを明けてもいっこうにゴールは切れなかった。しかし,構造構成主義がそれだけの深遠な原理性を包含していたということなのだと自分に言い聞かせて,非常勤講師の合間に書き進めていた。

  本書はこのような流れの中で,ぼくが書いたには違いないのだが,それと同時に「西修剛央という人間を通して自律的に組織化されていった」という言い方をした方がしっくりくる気もする。というのは,ぼくは偶然という言葉では片づけることができないほどの多くの,貴重で,時節を得た出会いの接点に位置づけられていた結果として,構造構成主義を体系化することになったように感じるからだ。

   今あなたの前に立ち現われている本書はこうして構成されるに至った。とはいえ,これは構造構成主義がやっと独り立ちできるようになったということにすぎない。今後多くの方々のご意見を拝聴しながら,洗練していかなければならない。特に,他の思潮との関連については必要最低限の議論にとどまっている。今後,さまざまな立場から検討していただきたいと思っている。

                             

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