新版『戦中派からの遺言』大崎平八郎著 こぷし書房 


                                                     
              

                         

        

                  

                              目次

新評論版はじめに … … 5

T大正時代の終焉(大正末ー昭和初年)・・ … 9
         関東大震災のとき 9 /大正天皇の死 12
         幼少期体験としての軍隊 18

U 軍国主義の奔流
(昭和ヒトケタ時代)・・ … 23
         国定教科書にみる天皇制教育 23
         植民地についてどう教育されていたか 28 /三・一五事件の記憶 36
         一九二九年世界恐慌 42 /満州事変のこ45/頻発する疑獄事件52
         東北農村の凶作54/戦前の労働者・農民運動55
         続発する右翼テロ事件58/小林多喜二の死 64 /二・二六事件 69
          政党政治から軍部独裁へ 77

V 戦争への布石(昭和一 ○ 年代)・− …81
         マルクス主義の残照81 /矢内原教授、東大を追われる 84
         人民戦線事件 89 /マルクス主義文献の追放 94
         河合栄治郎編 『 学生叢書』の影響 97 /哲学への傾斜 102
         文学への傾斜 106 /昭和一 ○ 年代の経済学 110
         戦時下学生の国際認識 120 /文部省の学生対策 138 /右翼学生運動 146
         作家・画家たちの戦争協力 150 /戦時下の労働者・農民運動 152

 W 奈落の墓標(戦争末期)・・ …157
         日米開戦の日 157 /卒業を前にして 161 /徴兵検査 165 /軍隊生活 167
         戦場体験 170 /戦場から来た手紙 191 /敗戦の日 201


V 戦中派世代の女性たち・・ … 207
         戦前・戦時中の女子教育 208 /女子労働力の戦時動員 209 /
         産めよふやせよ 212 /本土空襲の激化と沖縄決戦のなかで 214
         従軍看護婦たち 216

新版あとがき・・ … 221
 

 

                                                           新評論版はじめに

   私たちの世代は第二次大戦で学友の三分の一をなくした戦中派です。敗戦後、廃墟となった祖国に辛くも還ってきたとき、私たちは平和な文化国家日本の再建をめざして精いっぱい生きようと決意しました。そのとき心に堅く誓ったことは戦死した友人たちの分も頑張ろうということでした。

  あれから四十数年が経ち、このごろしきりに思い出されるのは学窓で共に文学や哲学や未来を語り、経済学を論じ合い、繰上げ卒業とともに慌しく戦地へ征ったまま、ふたたび還ってこなかった多くの友人たちのことです。彼らは、その豊かな才能を発揮して戦後の日本再建のために縦横の活躍をすることができたはずです。家庭をもつ歓びも知らず、若くして命を絶たされてしまった無念さや、家族の方々の消えることのない悲しみを想うとき、生き残った者たちの責任として、彼らがその短い生涯をいかに生きたかを、世の多くの人たち、とりわけ戦争を知らない若い世代の人たちに知らせたいと考えて、この小著を書きました。

 私がこの本を書くことを思い立ったもう一つの動機には、戦争体験が風化しつつある現在の状況にたいする危機感があります。戦争を体験した世代が年々少なくなり、戦争を知らない世代が国民の圧倒的多数派となってきています。「経済大国となった日本が世界から期待されている国際貢献
を果すためには、自衛隊の海外派遣は当然であり、現行憲法の枠内でも可能である」と主張する実力派政治家やこの政治家の主張を理論面でバックアップする若手憲法学者たちも出てきています。この実力派政治家は昭和一七年(一九四一)生まれだという。昭和一七年といえば、われわれ戦中派世代が学業半ばにして軍隊に入った年ではないか、とおもうのです。

 この小著は戦中派世代が大正末年から敗戦までの二十数年間をどのような社会状況のなかで生きたかを書いたものです。関東大震災と大正天皇の死がわれわれが体験した最初の社会的事件でしたが、激動の昭和史を彩ったさまざまの政治事件や社会事件を少年の目と心でどのように受けとめて、社会や政治への目を開かれて成長していったか。学生生活を始めたのは一九三○年代の末ごろでしたが、当時はマルクス主義が国家権力によって弾圧されて十年近くが経っていました。マルクス主義に代ってわれわれに最も影響を与えたのはどんな思想的潮流であったか。そして結局、どのような意識と思想をもった青年として戦線に立ち、祖国のために死んでいったか、を昭和史の流れのなかで関連づけながら叙述しています。

  叙述内容に、できるだけ客観性と具体性をもたせるために、当時の新聞(学生新聞も含めて)を極力利用しました。また三六項目のアンケート回答に基づいて、昭和史の節目にあたる時期や事件についての友人たちの回想と戦場体験と「戦場からきた手紙」を収めています。

  終章に「戦中派世代の女性たち」のことをとりあげたのは、きびしい戦時下に青春を共に生きた同世代の仲間である彼女たちもまた戦争犠牲者であり、いま、独り身で不安な老齢期を迎えようとしていることを、世の多くの人びとに訴えたいと考えたからです。

   自衛隊の海外派遣問題が最大の政治課題となっているとき、三百十万人の戦争犠牲者たちの「われわれの死はいったい何だったのか」という思いつめた叫び声を、この半年間、毎晩のように耳許に聞きながら、この本を書きました。この小著を若い世代の人たちが戦中派世代からのメッセージと受けとめて、そこから歴史の教訓を学びとって下されば、著者の望外の喜びです。

  最後に、アンケートに協力して呉れた友人たち(横浜高等商業学校 〔 横浜国立大学経済学部の前身 〕 昭和一五年三月卒業および東京商科大学 〔 現在の一橋大学 〕 昭和一七年九月卒業)、ならびに戦場体験を書いて呉れた安田商業学校昭和一二年卒業の諸氏に謝意を表します。これらの友人たちのなかで、五名の諸君が本書の刊行の日を待たず、他界しました。心からご冥福を祈ります。

   新評論からの出版にあたって、長田五郎氏(横浜市立大学名誉教授)ならびに同社の二瓶一郎社長には格別のお世話になりました。ここに厚く謝意を表します。

  
 一九九二年五月二五日
                                                                             著者

 

 

                                 新版あとがき

  今年は戦後六○年である。中国大陸で終戦を迎えた満二五歳の青年は八五歳となった。時は流れ、戦争体験は風化するばかりか、我が国の国会も、ごくわずかな例を除き、戦場体験を持たない人々の集団となった。もっとも、その僅少例は八○歳を過ぎて党の特別待遇的扱いを受けている非現役世代といえるし、早晩、国会議員全員が戦争非体験者ということになろう。いや、イラク戦争体験者が新たに議場で登壇するなどというような悪夢も現実化するかもしれない。

  現在の状況は『戦中派からの遺言』 の初版が刊行された一九九二年六月の時点よりいっそう後退している。風化は時の流れとはいえ、敗戦で学んだはずの事柄の根幹が揺らいでいる。戦後の平和や憲法原則はわれわれの世代があれほどの犠牲となってようやく勝ち取られたはずだのに、その世代がこの世から消えるのを待っていたかのように、ここ数年、時代を逆行するような動きが急速に目立ってきている。

 〈 本年に入り、国会で五年間の憲法論議に結論が出そうになったと知り、拙著を、全国会議員に寄贈し、「この本を読んだうえで考えて貰いたい」旨、両院議長に要請するつもりに 〉なった。

  どう“改正”するのか、“改正”案は一本にまとまるのか、そしてそれが国民に支持されてしまうのか。わが学友たちの死はいったい何だったのかという不安と、やれるものならやってみろという開き直った気持ちが、交錯している。

  「九条の会」の活発な動きは心強い。若い人たちにも多くの共感を呼んでいるようである。がしかし、その活動について、いまのマスコミはこれからどのように伝えていくのであろうか。大きな集会があったときに小さな三面記事か、社説で取り上げる新聞社も出てくるのか、見届けたい。

 『戦中派からの遺言』は、その名の通り、学友の三分の一を戦争で失った世代の、戦争を知らない若い世代におくる遺言、である。

   戦争は結局何をもたらすのか、私たちはなぜ戦場に行ったのか、「俺たちが戦場に征かなければ、祖国はどうなるのだろうか」(本書19ページおよび 166ページ)というほどの、国のために死ぬことを厭わない感情はいかにして形成されたのか、時代や環境の流れに飲み込まれるとはどういう事だったのか、順応させる大勢はどのように生まれたのか、についての、ひとつの証言である。

  本書159ページから160ページにかけて、『朝日新聞』代表させて、日米開戦翌日の新聞社説を掲載したが、何もそれによって同新聞の過去を問おうというのではない。その後段にある「一億同胞・戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、 … … 光輝なる歴史の前に恥じることなきを期せねばならないのである」などといった一節を読んで、おかしいと思うような声が挙がらなくなってしまった(挙げられなくなった声を含めて)、そしてなかんずく、そのような社説を新聞社が書いた、時代の空気がなぜ、どのようにして醸成されたかである。思想統制、声を上げた人々の逮捕監禁・虐殺による社会への脅し、国会議員の無力化、そして社会への批判力を麻痺させるための教育の徹底、さらにはそれらを世論に仕上げていくマスコミ、などといった経路が本書の前半に描かれている。

 敗戦直後に、その一億同胞は、“一億総懺悔” という言葉に踊らされたが、それは招いた結果の大きさに対して吐かれた素朴な悔悟の情に過ぎず、いまにして思えば、その結果を招いた構造とそのメカニズムにまで反省が及んだのではなかった。だからこそ、いま、(「第二の敗戦」とか「失われた九○年代」といわれる事態に直面し 〉 ているのではないか。

  〈 昨今の国会論戦、政治家のダラシナさ、憲法改悪の動き、などを見ていると、 〔 本書を 〕 全国会議員に送って、よく考えて貰いたいという気持ちに 〉 なった。(初版出版社の「新評論」に問い合わせたところ、「残部なし」ということで、この際、文庫版で出版して呉れる出版社を探すつもりである旨、話すと、「そうされることを期待します」とのことで 〉 あった。

 〈 拙著は初版(一九九二年)時に三千部、すぐ二千部増刷、 〉 当時出講していた大学で学生たちに夏休みの課題として提出させたレポートからと、その他いただいたなかから、「読後感」を構成して、九五年に増補版が三千部、刷られた。

  初版 〈 出版直後に、『毎日新聞』がすぐ書評、次いで『朝日新聞』が神奈川版に載せ、また『赤旗 』 と『神奈川新聞』は記者が取材に訪問 〉 して記事にした。さらに 〈 「新潟日報 』 『西日本新聞』その他でも取り上げられ、かなりの反響を 〉 呼んだ。

  〈 全国各地からたくさんの手紙を頂戴したことは著者の望外の喜び 〉 であった。しかしながら諸々から類推するに、若い世代からの反応ももちろんあったが、 〈 拙著を買い求めて読んだ人たちは戦中派世代の人たち 〉 が多かったようだ。いまの青年たちは戦争体験を知らないし、知ろうとしないという声をよく耳に 〉 するが、 〈 問題はむしろ、今日のマスコミのあり方や戦後派の大学教授や高校・中学の教師たちの側にあるように思えてな 〉 らない。この再版によって、今度は若い世代が過去と向き合うきっかけが生まれれば、と心から願っている。

   〈 「新評論」とのやりとりを伝え聞いた「こぶし書房」の西井雅彦社長から、「先生が全国会議員寄贈する」ことを前提にして、出版したいとの申し出 〉 を受けた。検討の結果、文庫本ではなくなるようだが、いよいよ死期の近づいた小生の最後の、それこそ“遺言”を実現して呉れることに深謝したい。
                                                                    大崎平八郎


 大崎平八郎は四月五日、膵臓癌にて死去しましたので、この「あとがき」は、一九九五年に刊行された本書増補版「あとがき」、ならびに大崎平八郎の書き遺したメモ類(それらからの直接の引用は 〈  〉 で示してあります)、および病床での最後の対話に基づき、長男大崎滋生がまとめました。
         

  二〇〇五年五月五日          
                                                                    大崎滋生
 

 「copyright by Shigemi Ohsaki」 

 

                「 『 戦中派からの遺言 』 の普及をはかる会」設立趣意書

                                                        2005 年 5 月 1 日
                                                        代表大崎京子
                                         連絡先 〒 221 - 0852 横浜市神刺 11 区三ッ沢下町 16 - 27 大崎京子方

  去る 4 月 5 日に永眠いたしました夫、大崎平八郎の最後の遺志を継ぐために、微力ながら、文末にあるご賛同の方々に支えられて、標記の会を設立いたしました。その趣意についてここにご説明申し上げます。

  今年の夏は敗戦 60 年を迎えます。現在の状況は『戦中派からの遺言』 が刊行された 1992 年 6 月の時点よりいっそう後退している、という危機感が夫にはありました。風化は時の流れとはいえ、敗戦で学んだはずの事柄の根幹が揺らいでいる、という実感です。

  戦後の平和や憲法原則は自分たちの世代があれほどの犠牲となってようやく勝ち取られたはずだのに、その世代がこの世から消えるのを待っていたかのように、ここ数年、時代を逆行するような動きが急速に目立ってきました。そうしたなかにあって昨年末より、 『 戦中派からの遺言 』 を全国会議員に読んでもらいたい、という想いを強くしていったようです。

  初刊の出版社「新評論」と掛け合ったところ、再版の予定なしということでしたが、他社に版権譲渡の用意はある、との回答でした。その受け継ぎをこのたび「こぶし書房」が、再版の印税を放棄するという条件で、引き受けて下さいました。刊行予定は 6 月末とのことですが、それを「国会議員に読んでもらう」にはどうしたらよいかということについて、遺族の周辺でさまざまに検討を重ねました。

  要は、ただ送るのではなく、読んでみるという行為にまで誘わないと、意味がありません。それは決して容易なことではありませんが、まず第一に、社会的な運動が起こることです。 初版時にある程度の反響を呼んで、本書はすでに一定の方々には知られており、一度読まれて内容に共感をいただいているその小さな核から、さらに普及をはかることが、その力になるのではないか、という結論に達しました。大崎平八郎の最後の遺志をいささかでも実現すべく、その生涯の活動について気にかけて下さった方々のお力を是非とも得たいと思い、本会を設立いたしました。

 具体的には、本書再版の予価 1800 円の割引価格に発送料等を含めた 1 冊あたりの全経費の概算、 2000 円を 1 口としてご拠出いただき、ご芳名を一覧にした「普及をはかる会」賛同者リストとともに、できるだけ多くの国会議員に本書を 8 月 15 日前に送付する、という計画です。

  送るペき国会議員をとくにご指定下されば、発送者名として「普及をはかる会」の他にその方のお名前を添えます。 とくになければ、発送先を事務局に一任させていただきますが、結果として全国会議員に送ることができればこの運動は、そのレヴェルでひとまず成功です。

  しかしそれのみならず、みなさまの周辺や、さらにそれを超えて若い世代に、戦場に赴かざるを得なかった人々のことが、そして還ることのできなかった人々のことが、語り継がれるよう、一石を投じることができれば、と思っています。

  何口でも申し受けます。3 口以上申し込まれた方には、 3 口につき 1 冊を進呈いたしますので、いっそうの普及をはかるペく、平和のための武器としてご活用下さい。

                                  賛同者

伊丹昌吾 大木昭雄 大崎滋生 岡田進 斉藤治子 酒井正三郎 坂田悦夫 竹森正孝 田中新平 土屋啓吾 都留信也 長砂實 中村平八
二瓶剛男 藤田勇 堀江則雄 箕浦達二 森 章   (五十音順)

振替用紙のご記入の際にお願いしたいこと
・口座番号 00240 一 1 一 56094   ・加入者名 「戦中派からの遺言」の普及をはかる会
・通信欄に口数、議員名(無記名も可)  ・金額欄に口数に応じた金額( 2000 の倍数)
 

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