『雨にぬれても』上原隆著 幻冬舎アウトロー文庫 平成174月刊

                                      目次 

墓まいり11  夜間中学19  結婚相談所25 オーディション36  家族44  エジプト人の彼53
お金62  リクルート・スーツの孤独68  デート78  日本で最初の女性映画監督86  希望のない部屋97

吉本隆明さんの住む街104  DV 111  場所119  母と娘127  テレビドキュメンタリーのその後136 中学生143
ボルサリーノの帽子153  消えた探偵160  夢の行方167  落ち込む173  森の奥へ181  セックスレス186  
とりあえずの幸せ197

この道を泣きつつわれのゆきしこと205  ギ夕リストを探して213  シナリオライター224  星もない暗闇233
 女たちよ
239     ピーター・バラカン「ウィークエンド・サンシャイン」244

あとがき256
 
解説  渡辺一史260
  

リクルート・スーツの孤独

  地下鉄麹町駅 で待ち合わせをしている。大学四年生の片岡睦子の就職活動に付き添う約束をしたのだ。メールのやりとりだけなので、まだ本人に会ったことはない。六月十五日、午前九時四十五分。階段を上がった地下鉄の出口に黒のスーツを着た女性が現れる。彼女は私を見つけるとおじぎをする。背の高さは155センチメートルくらい、肩までの髪の一部を後ろでまとめている。私は近づいて挨拶をする。顔立ちが幼いこともあるのだろうが、中学生のように見える。
大学生ってまだ子どもなんだな〉 と思う。
「面接は何時からですか?」私がきく。
「十時十五分からです。十分前に着いていればいいんです]片岡はバッグから文庫本の大きさの地図帳を取り出すと、目の前の風景と見くらべる。「こっちです」彼女が目の前の横断歩道を渡る。「いまの時期」片岡が歩きながら私に話しかけてくる。「リクルート・スーツを着て、出歩きたくないなっていうの、ありますね」「どうしてですか?」「普通の人なら、四月、五月くらいで内定もらってるんです。それがまだ就職活動していて苦戦してるわけじゃないですか、ちょっとカッコ悪いなって」そういうと片岡はニコッと笑う。中学生の目がへの字になる。

最近の就職事情では、大学三年生の十一月頃から、説明会を行う会社が出はじめるそうだ。ピークは二月。四月になると内定の通知を手にする学生がひとりふたりと増えていくらしい。
 だいたいの入社試験は最初に筆記テストがあり、それに合格すると面接に進む。面接は一次、二次、三次とあり、徐々に絞られていく。その間三カ月くらいかかる。

片岡は面接で、自分の取り柄をいう時には、「快活さ」だと答えている。一年生の時から入っている合気道部で身につけたものだ。事実、彼女はハキハキしているし、私が会っている間中、彼女の表情から笑顔が絶えなかった。初めの頃、友だちや両親からも「睦子ならすぐに決まるよ」といわれていた。片岡自身もそう思っていた。その頃は「就職活動、どう、つらくない?」と友だちにきかれると、「楽しいよ」と答えていた。
 ところが、一社落ち、二社落ち、三社落ちしているうちに面接で自分の取り柄だと答えていた快活さが失われていった。
 就職活動を始めた頃はウェディング・プランナーになりたいと思い、ウェディング業界の会社だけを受けていた。しかし、一社も受からなかった。いまは方針を変え、業界を限定せずに一番募集の多い営業職に応募している。
 片岡は現在までに42社の会社説明会に参加し、25社を受けて、いまのところどこからも内定通知をもらっていない。
  
歩きながら彼女はこういった。
「就職活動が楽しいとはもういえないですね」

片岡が立ち止まる。地図をじっと見ている。
「間違えました、よく間違えるんですよ」そういうと彼女は来た道を戻りはじめる。さっき渡った横断歩道をもどり、ビルとビルの間の道に入る。しばらくいくと正面に大きなビルがそびえている。麹町ビル。中に入り、各階に入っている会社の表示を見る。今回の面接は医療サービス関係の会社だ。
16階です。行ってきますね」片岡が振り向いて私にいう。
「あそこのスターバックスコーヒーにいます」私は一階にある店を指す。
「はい」片岡は、もう面接を受ける時の緊張した顔になっている。
「調子はどう?」
「いいですよ」
「健闘を祈ってますよ」
「ありがとうございます。じゃ」片岡はエレべーターホールのほうへ歩いていく。

就職活動は孤独な闘いだ。街でリクルート・スーツに身をつつんだ女子大生を見かけると、どの人もひとりでポツンといることが多い。電車の中だったり、喫茶店だったり、通りを歩いていたり。手帳や履歴書を見て何かを確認する人、プリントアウトした地図を眺める人…… 。それまでは友だちとキャーキャー騒いでいたのに違いない。彼女たちは初めての孤独と向き合っているように見える。

約一時間後、片岡は同じリクルート・スーツの女性と二人でエレべーターホールから出てくる。何か少し話をして、女性と別れると、ひとりでこちらにやってくる。顔がニコニコと笑っている。
「ごくろうさま」私が片岡の前にアイスコーヒーを置く。
「ありがとうございます。面接官の人事課長さんが、私と同じ高校だって、話がはずんじゃって」片岡は少し興奮している。
 応募者二人ひと組での面接。質問はだいたい型どおりのものだったという。「大学の四年間で打ち込んだことは何か?」「就職したい業界はどこか?」「この会社を志望した理由は?」とかだ。すべてキチンと答えられたと片岡はいう。
「『 全国に転勤する可能性があります』 」片岡が面接官の声色でいう。『『 男女関係なく、行ってもらいます』ってお話しされて、『 大丈夫ですか?』 っていわれたんです。いままでの面接では『 大丈夫です』って即答してきたんです。でも、答えが軽すぎて、あまり考えてないなって見られてたんじゃないかと思って、今回は『 実際、やっばり不安はありますね』 って話をしました。面接官の反応は良かったです。フフフ」片岡が笑う。
「いっしょに面接を受けた人はどうでしたか?」
「となりの子の声が震えているので、緊張しているなってわかって、そうすると、自分はまだ、ちょっと余裕があるなって思えて、それでしっかりと話ができたと思います、はい」彼女の話し方に面接の余韻が残っている。

私たちはスターバックスコーヒーを出て、ビルの中を歩き、表へ出る。外は太陽がカーッと照りつけている。夏の到来を感じさせる。黒のリクルート・スーツを着て鬱屈しているのが似合わない季節になろうとしている。

片岡は午後から、もう一社面接があるのだという。私たちは食事をすることにし、ファミリー・レストランに入った。「一番つらかった時は」と片岡が話しはじめる。「身近な人に内定が出た時です」
 片岡は毎日、部活に出ている。部員の中で四年生は11人(女6に男5)いて、3人は大学院に進むので、8人が就職活動をしている。内定が出たのはその中のひとり。
「決まったのが、ちょっと好きな男の子だったんですよ、フフフ」片岡は水の入ったグラスをさわっている。「気持ちは複雑でしたね。おめでとうという気持ちはあるんですけれど、一方で置いてかれるって感じがして」

その彼に片岡は批判されたのだという。
「彼に第一志望の会社がダメだったっていったら、面接でどういう受け答えしたのってきかれたんです」ウェイトレスが注文を取りにくる。片岡はシーフードカレーを、私はミートソースのスパゲティを頼む。「どんな受け答えをしたんですか?」私がきく。「『将来的にどういう人になりたいですか?』 ってきかれた時に、ウェディング業界っていうのもあったし、会社の雰囲気がアットホームな感じだったので、そんなノリでいこうかなという気持ちがあって、『 会社にとっても、お客様にとっても天使みたいな存在になりたいです』みたいなことをいったんです」
 私は思わず笑ってしまった。
「ホントいま考えるとバカみたいなこといったな―」片岡はあわててつけくわえる。
「彼はなんていったんですか?」
「『 そんな受け答えをする人間に仕事をまかせたいと思えるわけがないじゃないか』って、確かにそうだけど、その言い方はきついんじゃないか、と思いましたね」

私はスパゲティを食べ終わったが、彼女はカレーを半分も食べていない。私が質問し、彼女は答えなければならず、食べる時間がないからだ。しばらく、私は黙ってメモを見ていることにする。
 三月に受けた会社で、三次面接までいったことがある。もうすっかりその会社に入れるものと思って、自分の働く姿を思い浮かべたりしていた。しかし、内定通知はこなかった。
 内定通知は、携帯電話にかかってきたり、パソコンにメールで届いたりする。通知日には一時間ごとにパソコンのメールをチェックするし、出かける時には、携帯をもって圏外には行かないようにする。そして、夕方の六時頃になると、「あーダメかー、あー、結局連絡こないな―」と暗い気持ちになるのだという。

そんなことがあって三月の終わり頃から、片岡は何も食べられなくなり、胃をこわした。病院に行き、点滴を打ち、しばらく寝てすごした。医者の診断はストレスによる急性胃炎だった。
 さらに、五月にはうつ的になった。
「ホントにやる気が何も起きなくて」と片岡はいう。「人と会っても話ができないんですよ。ぜんぜん就職とは関係ない話をしていても、その輪の中に入っていこうという気持ちがおきなくて、なんか、話しかけられても、あ―、自分の表情が硬いなってわかるんです。疲れた―、疲れた―っていう気持ちしかなくて」

その後、合気道部の四年生は次々と内定をもらい、いまも就職先が決まっていないのは片岡を含めて三人だけとなった。
「あせります」片岡はいう。「新卒は今年一年だけなんです。今回だけなんだからって」
 食事を終えた彼女はグラスの水を飲み干す。

「就職活動を始める前に」片岡には話したいことがいっぱいあるのだ。「学校の就職部の人が『 たとえば選考に落ちても、それはあなたが社会に必要とされていないとか、その会社に必要ないとかじゃなくて、ただ、面接の時にあなた自身のことが伝わらなかっただけなんだから、それで自信をなくす必要はないよ』っていわれたんです。『 あ―、なるほど、でも、自分は自信をなくすようなことはないだろう。大丈夫だろう』って思ってきき流してたんですけど、いまとなっては面接で落とされるたびに、うまく伝わらなかったとは、もう思えないですね。自分を否定されたような気持ちになります」

レストランを出ると、次の面接会場へ向かうという片岡と別れることにする。
「今日は好感触で良かったんじゃないですか?」私が片岡にいう。
「ええ、でも、いままでも何度もそう感じて落とされてきましたから、エへへ」片岡は声を出して笑う。少し無理してる感じが伝わってくる。
 私にはどうしてもきいておきたいことがあった。
「なぜ、私に、自分の話をしてもいいですというメールを送ってきたんですか?」
 少しの間、片岡は考えてから、こういった。
「話をきいてもらいたかったんです。親にいったら心配かけるし、友だちにはそういうとこ見せたくないし、誰かにいいたかったんです、つらいって」

 
                                                                                     
                        

                         解説ー「フツウ」を描きとる試み
                                               

                                                                                    渡辺一史

もう何年も前から、上原隆の本がいい、いい、と友人や仕事仲間に言い続けている。まだ読んでないという友人がいれば、行って「ぜひ読め」と言い、たまに立ち寄った古本屋で上原さんの本を見つけては、買って友人たちに(読むように」と手渡したりもしている(新刊を買わなくてすいません)

私は、上原さんの仕事を抜きにして、「これからのノンフィクション」は語れないと思っている。上原さんのスタイルをどうやって自分流に取り込めるかが、目下の私の重要課題でもある。もっとも当の上原さんが「これからのノンフィクションはどうあるべきか」などという堅苦しい考えで、一連のお仕事をされているかどうかは疑わしいのだが。

「ルポルタージュ・コラム」と上原さん自身が命名している一連の仕事は、この『雨にぬれても』 で三冊目だ。これに先行して、すでに『友がみな我よりえらく見える日は』 と『喜びは悲しみのあとに』 という二冊の文庫が同じ出版社から出ている。私が上原さんの本と出会ったのは今から七年ほど前のことである。たまたま図書館で、まだ文庫になる以前の『友がみな我よりえらく見える日は』を見かけた。何の予備知識もなかったものの、何気なく手を伸ばしパラパラと読んで、そしてギョッとした。やられた―。完全にやられた、と思ったからだ。「フツウの人を、フツウに描くには、どうしたらいいのか」という、私が思い悩んでいた難問への一つの模範解答を見せられた気がした。

 そこに登場するのは、自分の容姿にコンプレックスをもち、男性とつきあったことがないという四十代の女性や、登校拒否をしながら自宅にこもってマンガばかり描いている男の子、あるいは、自分には才能がないのではないかという不安と闘っている女優の卵や、妻と離婚してわびしい一人暮らしをおくっている中年男性など、いわば市井の人々 である。上原さんはふしぎな距離感で彼らの生活の中へと分け入り、それらを記録している。

何に驚いたといって、彼らの表情がとても「リアル」だったことだ。

これ一冊で、上原さんはノンフィクションの最前線へ躍り出たな、という感慨を抱いた。できれば陽の目を見ずに、こっそり消えてくれればいいとさえ思ったが(笑)、案に反してその本はよく売れたらしい。ほどなく文庫化され、その続編『喜びは悲しみのあとに』 が出版された。『友がみな我よりえらく見える日は』 の文庫解説で村上龍さんはこんなことを言っている。

この本は貴重だ。自分のこと、自分のすぐ傍にいる人のことが既成のメディアでは何も語られていないと思っている人は多いだろうと思う。そういう人にこの本を読んで欲しい。(略)この本は、現実を生きている人のことを正確に伝えている》

 ホントにそうだ。村上龍はさすがによくわかってるなと思ったものだ。

日本には「ノンフィクション」と呼ばれる特有のフィールドがある。これまで多くの作家がそれぞれのテーマと方法論で、すぐれた作品を生みだしてきた。私の頭に浮かぶノンフィクションの地図―それはたとえば、柳田邦男、立花隆、沢木耕太郎といった三人の巨匠を例にとるとわかりやすいかもしれない。柳田邦男さんは、きわめてオーソドックスなスタイルで、わが国にノンフィクションと呼ばれる分野そのものを確立した人である。たとえば、航空機事故を取材する(『マツハの恐怖』 など)、先端医療の現場を取材する(『 ガン回廊の朝』 など)。なぜそのような事故が起こったのか、そこで起きていることとはいったいなんなのか。取材によって「事実」という断片を発掘し、それらをかき集め、背後にある見えない「真実」を浮かび上がらせるというタイプのノンフィクションである。

その際、あくまで主観である「私」の存在は丁寧に消し去って、《 事実をもって語らしめる》 (『 事実を見る眼』 より)という方法をとる。それは、事物の背後に、客観的な法則性を発見しようとする科学者の姿勢に似た、いわば「科学としてのノンフィクション」とでもいえるスタイルである。

対して、立花隆さんは、『田中角栄研究』という歴史的な大仕事があまりに有名だ。立花さんの方法は、柳田スタイルとは違い、「事実をもって語らしめる」というより、集めた事実(データ)を徹底的に分析・解析し、それをもとに強烈な主張を構築してゆくところに特徴がある。

 農業問題の暗部にメスを入れた『農協』 や、人の死とは何かを論じた『脳死』など、それまで調査や研究を領分としてきたアカデミズム(学問の世界)を軽く陵駕する「評論としてのノンフィクション」とでも呼べる方法を世に知らしめた。

一方、沢木耕太郎さんは、それとはまったく異なるスタンスと方法論で世に出た人だ。沢木さんが徹底的にこだわったのは、「取材する私」の存在である。

柳田さんや立花さんが、あくまでジャーナリストとしての使命感や社会的役割に重きを置くのに対して、沢木さんは徹頭徹尾「私の興味」にこだわり、《 ぼくにとってはジャーナリストの使命感も責任感も無縁のものである。面白いか面白くないかということ以外に書くか否かを決定する基準はない》 (『 地図を燃やす』 より)と言い切っている。叙述スタイルも違う。柳田さんや立花さんが、多くは客観性を旨とする三人称で記述するのに対して、沢木さんは一人称(私)を基本にする。そのため、文中にはたびたび取材者である沢木さんが顔をのぞかせ、読者は、取材の舞台裏や沢木さん自身の揺らぎをも追体験することができる(『敗れざる者たち』『人の砂漠』など)。また、そもそも「客観的事実」などというものが存在するのだろうか、とか、取材する私とはいったい何者なのか…… など、沢木さんの問題意識によって、それまでジャーナリズムの側にあったノンフィクションが、ぐっと「文学」の側に吸い寄せられることになった。誰がみても揺るぎない真実や強烈な主張は持たないものの、沢木さんの「文学的ノンフィクション」は、何より読者が感情移入しやすく、いい意味での人間くささをもつようになった。

 もともと現実は混沌としているから、「ノンフィクション」といえども、当然、書き手の創作物であることからはまぬがれない。文章を書くには、ある程度ものごとを単純化し、はっきりさせ、ある方向性のもとにそれらを位置づけていかなければならない。その際、三人の足跡からまったく無縁でいることなどできそうにないように思われる。

  しかし、上原さんの方法は、この三人の誰とも似ていない。そのことにまず、目からウロコといった感じで驚いてしまった。フツウの人をフツウに描いて、それがおもしろく読めるというのはほとんど奇跡に近いことだと思う。なぜなら、「フツウの人」とは、言い換えると、とりたてて書くに値しない人々のことだからだ。だから、ストーリーをおもしろく(劇的に)しようとすればするほど、「フツウの人」は遠ざかり、その人の現実からも遠くなる。また、書き手がなぜその人のことを書こうとするのか、そこに力を込めれば込めるほど、その人よりも「書き手としての私」が目立ちはじめる。

 たとえば、沢木さんには『彼らの流儀』という市井の人々を素材にした興味深い作品があるが、なぜか読んでいて頭に残るのは、そこに描かれたフツウの人々ではなく、彼らを描こうとする沢木さんの存在ばかり(しかもつねにカッコいい)、といった難点があった。

 ところで、なぜ今「フツウの人」を書くことが、それほど重要なのか。

 それは、今や「フツウの人」が少しも「フツウ」ではない、というじつに複雑な時代的状況によるものだと私は思っている。これまでノンフィクションというのは、事件や事故、あるいは犯罪者や何事かを成し遂げた有名人たちといった、いわば「特別」を描くことを得意としてきた。それによって私たちの生きている社会や時代そのものを描くことができたからだろう。しかし、「特別」と「フツウ」の境界線があいまいになり、「フツウとはなにか?」がわからなくなってしまった今日では、従来の方法やドラマツルギーでは描き尽くせない部分が目立ちはじめたように思う。上原さんの仕事は、こうした時代的状況ともノンフィクションの方法的問題とも呼応して、私にはとても新鮮で独創的な仕事に思えたのだ。上原さんの作品では、フツウの人々のストーリーがじつにおもしろく語られる。そこでは、フツウの人々が少しもフツウではないし、一人ひとりが特別な存在なのだ、ということがよく伝わるように書かれている。にもかかわらず、読んでいると、彼らはまったく特別な人々ではなく、自分のごく身近にいる、フツウの人々なのだという感じをとても受けるのだ。そんなふしぎな芸当を、上原さんは確かにやってみせてくれる。これまでなかなか描かれることのなかった現代が、リアルに浮かび上がってくるのである。

上原さんの作品に共通する特徴は、なんといっても、その文体(語り)にあるのだろうと思う。

まるで文章の骨格があらわになったような、ウマイのかへタなのかわからない、まじめな中におかしみを漂わせた、あの文体。しかし、言いづらいことを、じつに無防備にあっさりと語ってしまえる上原さんの、“強さ”は、この文体によるものだ。もう一ついえば、「他人」のことを語っているのに、そこにしっかり「自分」があり、「自分」のことを、まるで「他人」を語るように突き放して語れる自在さにも舌を巻く。

たとえば、『喜びは悲しみのあとに』の中に、自らの体験を語った「インポテンスの耐えられない重さ」という強烈な作品がある。

 ある日突然、上原さんはインポテンスになってしまう。妻とセックスしていると、頭の中で白い風が吹く。そうなるとペニスは「穴を開けた風船のように」しぼんでしまう。おかげでセックスレスの日々を数年、その後、妻とも離婚した。しかし、他人の肌に触れたいという欲望をおさえきれず、女友だちをデートに誘った。

デートした。食事をして、散歩をした。お酒を飲み、ジッと目を見っめ合った。
「あなたとセックスをしたいんですけど」私がいった。
「いいですよ」Y が答えた。

こんな具合に、自分の体験をあっけらかんと語っていくのだが、インポテンスが治ったかと思えば、今度は早漏になってしまう上原さん。その後、高校時代の女友だちKと出会ってセックスの喜びを取り戻してゆくプロセスは涙ものでさえあるのだが、読んでいて、これほど我が身に照らして男女の性、自分のセックス観について考えたことはなかった。こうした上原さんの独特の文体は、どこから来たものなのか。そう思って、ルポルタージュ・コラムに着手する以前の上原さんの著作を読んでみると、『 「普通の人」の哲学』 という本の中にこんな一節があった。

私が私の信念をつかみたいのならば、痛い体験と正面に向き合うことが必要なわけだ。

ここでいう「痛い体験」とは、中学時代、同じクラスにすぐ暴力をふるう番長のような生徒がいて、上原さんはいつもその生徒の暴力に屈して、逃げながら生きていたという。そこには、格好良くありたいと思っている自分のイメージからは、遠く離れたイヤな自分の姿がある。口ではどんなに偉そうなことを言っても、ポロッと口から突いて出た言葉やスッと体を動かした行為が、日頃思っていることとはまったく逆だったりすることがある。そうした態度そのものを「思想」ととらえたとき、人が[思想」を変えるには、どうすればいいのかと上原さんは考えつづける。そして、それは、勇気とか覚悟といった頭の問題なのではなく、日々の生活の中で徐々に体に蓄積され、身についてくる「肉体の反射」(体の問題)の方が大切なのだという結論にたどりつく。その上で、いくつかの「生活術」を考案し、それを毎日実行に移す試みを始めたそうなのだが、そのことはさておき、こうした問題を正面から考え、書こうとしているうちに必然的に身についたのが、肉体の反射としての、例の文体だったのかもしれない。

また、『上野千鶴子なんかこわくない』 という本ではこんなことを言っている。

大所高所からエラソーに、「世界は……」とか「日本は……」という意見を言うのをやめた。自分の現場から自分が責任もって言えることを、小さな声で話す生き方をしようって決めた。学生運動の現場から「日和って」逃げた体験からつかんだことなんだけど……。

この本は、後に離婚することになる妻との共同生活の苦しみの中で、「他人とうまくやっていくためには、自分はどうすればいいのか」を悩み、考えながら書いた本である。当時の妻は、上野千鶴子さんに代表されるフェミニズムの思想に影響を受け、「あなたは自分のことしか考えてない」と日頃から責められつづけていたという。あげくの果てに、妻から別れを切り出された。しかし、「別れたくない」と思った上原さんは、妻が共鳴する上野さんの思想に分け入り、その形を確かめた上で、こんな結論を出すのである。そう簡単に「自分」を捨てて、「他人」(妻)のためになど生きられそうにない。しかし、「自分」のためだけというのではなく、かといって「他人」のために生きるというのでもなく、両方を含み込んだ思想(対の思想)を考えていくことが大切なのではないかと。

それは、あるがままの、様々 な対のあり様を容認し、記述することになるだろう。

自分の「痛い体験」と正直に向き合うこと。そして、「自分」と「他人」をともに含んだ思想を考えてゆくこと。その後のルポルタージュ・コラムとは、そうした問題意識を持つにいたった上原さんの、いわば「実践篇」とでもいえる試みなのだろう。

さて、本書『雨にぬれても』 では、以前にも増して、「フツウ」をすくい取ろうとする上原さんのさまざまな「実験」がかいま見えて興味深い。

たとえば、街角で遭遇した人や出来事をスケッチしたような「オーディション」「星もない暗闇」 「女たちよ」 などの作品や、取材という行為を極力排して、一期一会で描けることにだけ徹したような「とりあえずの幸せ」「中学生」など、バラエティに富んでいる。その一方で、描かれた時間の背後に、深い取材を要したであろう「家族」「結婚相談所」「母と子」「夢の行方」などは、まさに珠玉のような作品だと思う。しかし、一つだけマイ・フェイバリットを挙げるとすれば、迷ったあげくに私は「セックスレス」を選ぶ。セックスをしたがらない夫、そんな夫に悩む妻、妻の話を聞いている上原さんの心の揺れ動きがとてもリアルに伝わってくる。

「したいっていうと彼に圧力かけることになるかもしれないと思ったりして、いえなくなって、ギリギリまでグググと我慢してるんです」則子は両手で首を絞められる仕種をする。

「『 寝るところが違っちゃったら、もう終わりじゃないかなって前から思ってました』って、〈前からかい!〉みたいな、ハハハ」則子は自分で話し自分でつっこみを入れる。

表面上おどけて話そうと努める妻を、しっかりとらえたディテールにも心魅かれる。

しかし、この「物語」は、どこか閉じきらないままに終わってしまう。つまり、オチがないのだ。これから妻と夫はどうなってゆくのか、重たい不安を残したままエンドとなる。こうした作品が多いのも、前の二作とは違った本書ならではの味わいかもしれない。このことはどう考えればいいのか。三冊目にきて、最小限に思える「物語」さえも、さらに消し去ろうとする試みなのだろうか―。もしそうであるなら、今回、『友がみな我よりえらく見える日は』の木村信子の七年後の後日談を「エジプト人の彼」で描いたように、閉じなかった物語の続編を、何年か後にぜひ読んでみたいと思う。

                                                                                フリーライター

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