天地創造と神の言葉
さて神は天地創造された時、何を材料に天地を作られたのでしょう。彫刻家が彫刻を作る様子を想像してください。『バイブル(聖書)』では、神は自分の外に、彫刻を作るように宇宙を作ったのです。だから神は自然存在からは離れて立っています。『バイブル』の神はそれで唯一絶対の超越神と言われるのです。この対極としてヘレニズムつまりギリ
日本の神々はどうでしょう。日本も自然神信仰です。日本の神は、ワーびっくりしたと驚くようなもの、巨木や白鹿、白蛇、富士山のような自然物だったのです。『バイブル』の神は、それら自然神信仰とはまるで違います。さて天地の材料ですが、「はじめに神は天地を創造された。」という書き出に『バイブル』はなっていますね。一般には「無から
ところで、バイブルには『旧約聖書』と『新約聖書』があるのはご存じですね。『旧約聖書』はユダヤ教とキリスト教の共通の教典で、『新約聖書』はイエス・キリストの降誕以後の文献だけなので、キリスト教だけの教典です。『新約聖書』の中の「ヨハネによる福音書」では、「初め」について興味深い表現になっています。「第一章 初めに言(こ
その最初が神なのです。つまりたいていの事物にははじまりというものがあって、何らかの原因で生じたものです。あなたはお父さんとお母さんが原因で生まれましたね。ずっと遡っていけばファースト・マンであるアダムとエバにいき着きます。このファースト・マンは『バイブル』では、神が創造されたとされているんです。こういう決まった原因か
ところで言葉というのは動物は使いませんね。なのにどうして初めに言葉があったと言えるのでしょうか。『旧約聖書』の「創世記」が書かれた時期は、紀元前五八六年から紀元前五一六年までの時期でした。バビロニアにユダヤ人が捕囚として連れていかれていた時期から、捕囚民解放後の第二エルサレム神殿完成までの時期までの間とされています。
その時期には、ギリシア哲学の影響はなかったので、モデルになる観念つまりプラトンの
「イデア」は単なる言葉ではありませんが、この場合は「言葉」になっています。人間がコミュニケーションの手段として作りだした言葉が事物の元になっているというのはさかさまの気がしますね。しかし神の言葉と人の言葉は区別しなければなりません。物事や事物には「これは〜である。」という本質がありますね。例えばカラスは人間が名付けたからカラスになったわけじゃないけれど、カラスと名付けられるに相応しい存在として作られていたわけでしょう、人間が登場する以前にね。ところでカラスを作り出す際に必要なものは何かって考えますと、まず「カラスとは黒くて大きくて嘴が特に大きく鋭い頭の
でも『バイブル』は進化論とはずっと折り合いが悪いんです。だから自然自身の中で設計図が進化していくのじゃありません。万物は神によって創造されたと推論したのです。だとしたら自然から超越した存在である神のイマジネーションの中で、設計図が書かれていることになりますね。正しいカラスの観念がカラスのイデアで、聖書では、これが神の言葉なんです。人間の言葉は、この神の言葉を推測して生まれたと考えられています。それで神の言葉には、言葉に対応する物や事を誕生させる力つまり「命」があるんです。ですから神がある言葉で考えると、それに対応する事物が生まれるという理屈です。だから
「あれ!『バイブル』の原典は古代ヘブライ語じゃなかった?」ですか、ええ『旧約聖書』はそうです。ユダヤ教徒は古代ヘブライ語で書かれた『バイブル』への信仰で結合していますから、イスラエルの公用語は古代ヘブライ語なんです。でも『新約聖書』は、ユダヤ人がローマ帝国に対する植民地解放戦争に敗北して、無理やりディア・スポラつまり
話を戻します。そういう本当の言葉が霊力を持っていると思い込む信仰を言霊信仰って
この反省も無意味ではありません。確かに人間は自分たちの知に驕って、悪智恵を働かしたり、自然を安易に作り変えて、かえって人間環境を破壊してしまうことがありますからね。それでメソポタミア文明もインダス文明も崩壊したんです。だから人間の智恵に対する反省は大切です。でもね、だからといって、それを教会権力が世俗権力に対して優越
人間の認識だって、経験に基づいて自然や社会からの働きかけで成立するわけで、それ