パース『人間記号論の試み』について

           はじめに

                  一、ホッブズの意義と限界


 ホッブズ『リヴァイアサン』が個人を欲望機械人間、国家を巨大な人工機械人間であると把握していることがおわかりになったでしょう。近現代の世界史は、このホッブズが成し遂げた人間観における革命が、的を射たものであった事を見事に実証しています。残念ながら彼の人間観における革命の意義を、近現代人は受け止める器量が無かったのです。それはホッブズ研究の現状が示しています。

 国家を人間として把握した事によって、人間は身体的個人としてだけでなく、集団的にも法的人格としても捉える事ができます。そして国家は、諸個人の経済活動や文化活動を包摂していますから、人間の身体だけでなく、経済的な諸事物も文化的な諸事物も巨大な人工人間の身体に含まれていると解釈する事ができるでしょう。しかしそこから更に進んで、経済的・文化的諸事物自体まで人間社会を構成する主体として捉えていたことにはなりません。その意味ではホッブズも身体主義的な人間観の限界に囚われていたのです。

                          二、身体主義的人間観の克服

 人間の意識活動を身体の活動としてだけでなく、身体を包み込んでいる自然や絶対者の活動の中に位置付けようとする試みは、古今東西の宗教家や哲学者達によって広範に行われてきました。このシリーズでもいずれ「仏教的人間観」・「諸子百家の人間観」・「本居宣長の主情主義的人間観」等でできれば取り上げたいと思っています。にもかかわらず人間自体を把握する際には、仏教や老荘思想では微妙ですが、人間身体とそこに宿っているとされる魂という精神的実体に限定されてきたと言えるでしょう。

 私は「商品としての人間論の可能性」(共著『人間論の可能性』北樹出版)や『人間観の転換ーマルクス物神性論批判ー』(青弓杜)で、人間的自然の総体を人間として把握する「人間観の転換」の立場に立てば、人間が商品であるだけではなく、商品も人間体としては人間であること、社会的事物を人間総体の構成主体として承認すべきだという問題提起をしました。もちろん「人間」を人間身体や社会的事物を包括するカテゴリーとして使用しようという提案が、すんなり受け入れられる筈はありません。人間身体だけでなく、パンツも鞄も机もパソコンもヘドロも核兵器も急に人間に含めろと要求されても、人間とは何かについては既に人類的に身体主義的な限定が共同主観的に出来上がっています。この確信は容易に打破できるものではないからです。

 とはいえ私も全く突然、恣意的に人間観念に混乱をもたらそうと面白半分に思い付いた訳ではありません。舩山信一先生が人間学的唯物論として展開された主体即客体・客体即主体の論理を踏まえたものです。また、梯明秀先生の自然史的過程の思想の私なりの必然的帰結として到達したものです。どうして松山・梯からそういうとんでもない帰結が生じるのか論証しろと言われても簡単にはできません。またできたとしても、決して「人間観の転換」を納得させることはできないでしょう。それよりも古今東西の先哲の思想の中でいかに人間観の試みが為されてきたかを見直し、そのような試みを再評価して、我々の思想を読者と共に豊かにしていく中で、私の「人間観の転換」の冒険にも興味と理解を誘った方がはるかに生産的であると考えたわけです。

             三、パース「人間記号論の試み」の画期的意義

 パースの「人間記号論の試み」は、私の人間論の海の漂流記の中で宝島発見記にあたります。と言いますのはパースの「人間記号論の試み」が身体主義的な人間観の超克の先例を示していると思われるからです。強力な味方を獲たという興奮を三年経った今も忘れられません。時間があればもっと専門的にパースに取り組みたいのですが、デッサンに留めて、その宝が本物かどうかの吟味はプロパーの方に再吟味願う他ありません。

 ところでこの論文との出会いについては、翻訳者の山下正男氏に特別の感謝を棒げなければなりません。何故ならパース自身は「人間記号論の試み」という表題で、この論文を書いたわけではないからです。原題は「四つの能力の否定から生じる若干の帰結」でした。『世界の名著』に収録される際に、「帰結」の内容の画期的な意義に着目されて改題されているのです。もしこの改題がされていなければ、私が注目する事はなかったでしょう。

 残念なことにパースは人間論としてこの論文を書いたのではないのです。ですから人間論として仕上がってはいませんし、パース自身がこのユニ、-クな人間論の画期的意義を充分自覚していたとは言えません。その後、この人間論を更に深めて展開Lようとした形跡も見られないのです。.そしてパースの継承者がこの人間論を完成させようとした業績を遺しているかどうか、門外漢の私には知る由もありません。では『世界の名著』に掲載された代表的な数篇の論文だけを手掛りに「人間観の転換」の偉大な先駆者パースの業績に、スポットライトを当てることにしましょう。引用文の頁数は『世界の名著』の頁数です。


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