『オオクニヌシ』

 

平和憲法とオオクニヌシ


                                 丸腰の国をつくりて滅ぼさるそは罪なりや譽なりしか


 

『オオクニヌシ』は、『ヤマトタケル』の興行的な大成功を受けて、スーパー歌舞伎第二作として書きはじめられたが、オオクニヌシの統一的な人物像を描くのが難しかったので、中断していた。なぜならオオクニヌシ伝承が大変古くて、多くの人物の伝承が融合しているから、なかなか一人の統一的な人物像を形成できなかった。梅原は、第一幕を書いただけで行き詰まってしまっていたのだ。それで『小栗判官』を先に書き上げたのである。
 

 『オオクニヌシ』からは平和憲法擁護、憲法第九条擁護のメッセージが伝わってくるが、政治的に憲法問題で第九条を改定すべきかどうかということと、『オオクニヌシ』の主題は区別されるべきである。近隣諸国を信頼し、平和的な協力を積み重ねて、恒久平和の体制を構築しようというのがオオクニヌシの思想である。この思想は、党派を超え、憲法問題を越えた国民の総意であり、人類の総意と見なさなければならない。この劇自体は人類普遍の原理を訴えているにすぎないのだ。ハルマゲドンを引き起こしかねない最終兵器の小型化・低廉化が進んでおり、その実戦配備が進められようとしている。またそれらが何時国際テロリストに流れるか分からない。そういう時代だからこそ、『オオクニヌシ』が上演される意義があるのだ。
 

梅原は一九九三年頃から長江の稲作農耕遺跡に興味を持ちはじめた。今から五千三百年前から四千二百年前の良渚遺跡は、梅原の推理では黄帝によって滅ぼされた蚩尤の遺跡なのである。黄帝はアワ・ヒエ農業地帯の王で、蚩尤は稲作農業地帯の王だったのだ。平和で豊な国づくりをしてきた蚩尤は、四千二百年前に突然北からの侵略者によって滅ぼされてしまったのである。この蚩尤の像が、梅原の中で、オオクニヌシ像と重なって、『オオクニヌシ』を書きつづける意欲がまた湧いてきたというわけである。
 

 平和で豊かな国づくりをしていると、軍備面での充実や軍隊の士気が低下しがちだ。それに対して、その豊かな国を侵略し、支配しようとする外敵が充分に、侵略の下準備や訓練を積み軍備を増強させて襲ってくることがある。平和と豊かさに酔いしれて極楽トンボになっていると、地獄からの戦車が突然襲ってくるのだ。戦後日本は、侵略戦争への反省から、陸海空軍その他の戦力を持たない、国の交戦権も認めない画期的な憲法第九条に基づいて平和国家の建設を旗印に掲げた。実際は、東西冷戦下で世界でも屈指の軍備を備えた国になっているが、GHP一%程度の軍備に抑え、軍事大国化をできるだけ抑制してきている。こういう日本の戦後の平和指向型の国民意識を極楽トンボと冷笑する人も多いようである。
 

 梅原の『オオクニヌシ』では、平和ボケしたオオクニヌシの国は、侵略される危険を想定しないで、平和で豊かな国造りを進めてきたため、筑紫の天つ神の国に滅ぼされてしまう。それでこの戯曲は、日本の平和主義を批判した作品と評価する人もいるかもしれない。しかし、梅原自身は憲法第九条を支持しているのだ。平和主義をあくまで指向し、軍国主義的な傾向の復活にはあくまでも抵抗しているのである。
 

 オオクニヌシは確かに国を滅ぼすような失政をしたけれど、あくまでも近隣諸国の平和のジェスチャーを信頼し、平和で豊かな国づくりに励んでいた。このようなオオクニヌシの政治を理想として梅原は支持しているのである。たとえその為に皇子たちを失うことになり、国を滅ぼすことになったとしても、そのような平和国家をだまし討ちした軍国主義国家よりも、はるかに良い政治だったと言いたいのだ。
 

 国を滅ぼし、他国に支配されては何にもならない、極楽トンボ的な国づくりは即刻やめるべきだというのが、大東亞戦争肯定論者たちの見解である。彼等は憲法第九条を即刻改定するか廃止すべきだと考えているのだ。梅原も、彼らの憂国の思いに根拠を認めているから、理解は示しているわけだ。それでも梅原は、オオクニヌシは国を滅ぼしてしまった。だからそのことを教訓に、充分な軍備を整えるべきだとの見解には、与しないのだ。オオクニヌシの平和主義は、侵略を招き、国を滅ぼす結果には成ったけれど、でも、彼の精神は間違っていなかったというのが、梅原のメッセージなのである。
 

 普通なら、オオクニヌシの平和主義は最悪の結果をもたらしたのだから、筑紫の天つ国にまけないぐらいの軍国主義的な国づくりをすべきだったということになるところだ。でもそうした軍備の競い合いをしていれば、いつまでたっても戦争はなくならないし、国民は重税で苦しまなければならない。また軍部が強くなり、クーデターが多発したり、内戦が続いたりすることにもなりかねないのだ。いつまでもそういうことではいけないとしたら、最大限に平和主義的な国つくりを押し進めるべきである。たとえ外国に侵略されたとしても、人民に支持され、人民がきちんと組織されている国なら、侵攻してきた軍は人民の抵抗で長期間の支配を続けることはできない筈である。その意味での人民の組織化という点ではオオクニヌシの治政は物足りなかっただろう。
 

 ともかく梅原は戦後民主主義の風化が進み、戦後の平和主義に対する風当たりが強くなり、既に現実とかけ離れている憲法第九条を廃止しようという動きに対抗して、オオクニヌシの平和主義を再評価し、たとえ愚かなやり方であったとしても、平和に徹した国つくりの方向を鮮明に擁護したのである。
 

 国際日本文化研究所設立に当たって、中曾根首相との交渉に当たったことで、梅原は新保守主義の文化人の代表のように見なされ、左翼知識人から集中砲火を浴びたことがあった。しかし、国際日本文化研究所設立そのものは決して排外的な国粋主義的なものではない。むしろグローバルな視点から日本文化の可能性や問題点を見直そうとする試みなのである。そのために時の政治家の力を借りることは、もちろん必要で、何ら非難されるいわれはなかったのだ。その事で梅原自身の反戦的な立場は変わらなかったし、戦前の天皇制への批判も少しも衰えていなかった。そのことは戯曲『オオクニヌシ』を読めば良く分かるのだ。ともかく梅原への偏見は『オオクニヌシ』を読めばかなり払拭されるだろう。

 

              因幡の白兎
 

                      傷負える兎たすけてオオナムチ因幡の国の君となりしが

 

 童謡に「大きな袋を肩にかけ、大黒様が来かかると、そこへ因幡の白兎、皮をむかれて赤裸」という歌詞の唱歌がある。この大黒様というのが大国主の神なのだ。大国主の神と呼ばれるようになったのは、大国を支配するようになってからだから、因幡の白兎を助けた頃は、オオナムチ(大穴牟遅)の神であった。『古事記』では葦原色許男の神、八千矛の神、宇都志国玉の神などとも呼ばれていた。『日本書紀』では第六書で「大国主神は、大物主神とも、また国作大己貴命ともいう。また葦原醜男ともいう。また八千戈神ともいう。また大国玉神ともいう。また顕国玉神ともいう。」となっている。
 

 オオナムチは出雲の国に居たスサノオの命の六代の孫であるから、当然出雲の国の神だと思われる。しかし梅原は、オオナムチは稲羽(因幡)で当時の出雲王朝の女王だったヤガミヒメ(八上比売)と結婚しようとして大和からやってきたエウタリ王を始めとする神々の一人だったと解釈している。梅原の解釈では、出雲の神々は後で大和の神々の多くを移したものだと捉えているのである。
 

 ヤガミヒメは婿選びのオーディションを行ったらしいのだ。それで八十神たちが集まったという設定である。そこでオオナムチが婿に選ばれるのだが、その理由が因幡の白兎を助けた事によるのである。この白兎は、隠岐の島の兎だったが、島根に渡りたくなって、ワニザメに兎とワニザメとどちらが多いか数比べをしたいので、仲間を集めて島根までならべてほしいと頼んだのだ。そしてワニザメの背を跳んでついに最後の一頭まできたところで、まんまと騙されたワニザメを笑いものにしたのである。それで怒ったワニザメに噛まれて皮をむかれて丸裸にさせられてしまったという説話である。
 

 オオナムチ以外の大和の神々は、赤裸になった白兎を助けるふりをして、潮水で体を洗い、砂山の風の当たるところで乾かせばよいとアドバイスしたのだ。お陰で潮水が体にしみてヒリヒリ痛む。風に吹かれて体が裂けそうになったのだ。大和の神々は、悪い兎だからもっとお仕置きしてやろうと思ったのかもしれない。ともかく彼らは、女性に優しくないということで、結婚対象から外されるのである。
 

オオナムチは、真水で体をよく洗って、蒲の穂にくるまれてゆっくり休めば治ると親切に教えてあげた。それに蒲の穂をとってきたり、いろいろ介抱してあげたのだ。梅原戯曲では、この白兎はヤガミヒメ自身が化けていたという解釈になっている。ワニザメの話は嘘で、神々をテストしていたのだ。自分の婿選びなのだから、自分自身が白兎になってテストするというのは納得できる。この解釈は『古事記』の次の表現からも裏付けられる。

 

「かれその兎、大穴牟遅の神に白さく『この八十神は、かならず八上比売を得じ。袋を負ひたまへども、汝が命ぞ獲たまはむ』とまをしき。」

 

 神や聖者が弱い動物や、乞食になって現れ、親切にした人には恵みを与え、冷たくあしらった人には罰を下すという説話がある。私が小学生の頃、浪曲好きの祖父がよく弘法大師の話を聞かせてくれたが、ただの乞食と見えたのが弘法大師だったということで、親切にした貧しい正直者が長者になったりするような話だった。
 

見事にオオナムチはヤガミヒメのハートをゲットしたわけだが、この大国主命はこれから女性にモテモテになる。この神は性的にも相当タフだったらしい。『日本書紀』では、大国主命と大物主命は、同じ神の別名だとされている。また大穴牟遅がなまって大穴持命と呼ばれると、大物主と大穴持で両性具有の神だったという可能性もある。讃岐の金比羅大神宮も大物主信仰であるが、両性具有の神だと言われているようだ。

 
                                                           
オオナムチの死と復活
 

               飛躍して強くなりけりオオナムチ、死にうちかちて蘇りし後

 

 梅原戯曲では、オオナムチは大和で一番のアホウと呼ばれて、八十神たちにいじめられていたのある。梅原は「あとがき」で「『オオクニヌシ』に登場する人間のなかには、前作と同じく私が人生で出会ったさまざまな人間に対する思いが込められている。そういう意味で戯曲は私にとって懺悔でもあり、カタルシスでもある」と書いている。
 

 梅原自身は運動神経が鈍くて、それで士官学校などに入れず、京大入学の日に赤紙が来て、二等兵で軍隊に入り、徹底的にいじめ抜かれた体験がある。オオナムチは、八十神たちの荷物まで背負わされ、それで「大きな袋を肩にかけ」という歌詞になっているのだ。木に掴まって蝉の鳴きまねをさせられ、オシッコまでさせられたのだ。こういう屈辱的な体験が、梅原の軍隊生活では日常茶飯事のようにあったのかもしれない。
 

 八十神たちは、みんなひょっとしたら自分が婿に選ばれるのではないかと思っていたが、オオナムチだけは一番バカでノロマでドジなので、選ばれる筈がないとみんな思っていたのだ。オオナムチ自身も思っていた。わざわざ出雲の国に出向いて、結局一番アホウのオオナムチにヤガミヒメを持っていかれたのだから、八十神たちにすれば、馬鹿にされたという気持ちになったのだ。
 

 そこで戯曲では、オトウタリは、兄である大和の王エウタリを幽閉して、大和の実権を握った。さらに出雲の国も乗っ取ってヤガミヒメを手に入れようと、オオナムチを殺しにくる。『古事記』では八十神の共謀でオオナムチを殺したことになっている。出雲王になっていたオオナムチを狩りに誘い、崖の上から赤猪を追い落とすから下で捕まえてくれるように頼んだのである。オオナムチは運動神経が鈍いから無理だと断ったが、だいぶいたぶって弱らせているので大丈夫だといいくるめられたのである。実際は火で真っ赤に焼いた岩をころがせて、オオナムチに受け止めさせた。オオナムチは岩の下敷きになり、焼け焦げて死んでしまったのである。
 

 『古事記』では、ここでオオナムチの母の神が泣きじゃくって、天に舞い昇り、神産巣日(カミムスビ)の命に蘇らせてくれるように頼んだ。戯曲では、オオナムチの育ての親である沼のババアが、黄泉の国から助けにくる。『古事記』では、オオナムチの父は天の冬衣の神であり、母は刺国若比売である。梅原は、ここでオオナムチの生まれに英雄にふさわしくやんごとない血を与えるのだ。

 

 「あの子は私の腹を痛めた子ではない。あの子は本当は、神様の中でももっとも偉いアメノミナカヌシノミコトがカミムスビノミコトとの間にもうけられた御子だ。しかし神の不倫は許されない。その不倫の証拠である子供はこの世界に居場所がない。それでカミムスビノミコトは大変困られて、人間の中でももっとも卑しい、この沼のばばあのところに預けられた。それでわしの子として育てたのだ。」

 

 アメノミナカヌシノミコトとカミムスビノミコトは、まだ男女に別れていない神なのでその二つ神から子ができるというのは納得がいかない。それに独り神になって、身を隠した神々でもある。なおさら子を作るのは不自然だ。とは言っても、天の真ん中という意味のアメノミナカヌシと神を産むという意味のカミムスビであるから、この二つ神から重要な神が生まれたと想定するのは理に適っているような気もする。
 

梅原のほんとうの狙いは、オオナムチは、天照大神の孫であるニニギノミコトと遜色ない血筋だということで、「国譲り神話」の神話的正統性にイチャモンをつけることである。梅原は決して血筋に血筋を対抗させることで、オオナムチの正統性を打ち出そうというのじゃないのである。ニニギノミコトを天照大神の孫ということにして正統性を主張するのなら、オオナムチの方も、いくらでもすごい神の子ということにして対抗したらいいということなのである。つまり神々や人間の血筋などいくらでも偽造できるし、たとえ血筋がよくても、それで正統だとは言えないという立場なのである。
 

オオクニヌシは『日本書紀』では大物主神と同一神である。『先代旧事本紀』では大物主神はニギハヤヒと同一神である。そしてこの物部氏の祖先神ニギハヤヒこそ太陽神であったという解釈もある。というのは、ニギハヤヒの正式名は「天照国照彦天火明奇甕玉饒速日命」なのである。だから三段論法でいくとオオクニヌシこそ太陽神であったことになる。
 

 梅原は、野合の子という自分自身の境遇をオオナムチに投影して、オオナムチに感情移入している。梅原の実父は東北大の学生の頃、下宿先の娘と恋に落ちた。しかし梅原家では学生の分際で自由恋愛をして一緒になりたいなどとんでもないと、結婚に反対されたのだ。しかし二人は猛を生んだ。梅原家の反対は変わらず、心労のために猛の両親とも結核にかかり倒れてしまった。父は愛知県の梅原家に引き取られ、母は仙台の実家に猛を預け、東京の姉の家で療養したが、病状は悪化して死んでしまった。
 

 結局、猛は父の実家である伯父夫婦に実子として育てられた。子供のなかった伯父夫婦は猛を実子以上に心を込めて育てた。猛が戦後大学院生時代にデカダンスな気分になり、生きる意欲を失って、死ぬことばかり考えていた時に、養母は京都の猛の下宿に同居して、精神的な立ち直りを支えたのだ。猛は養母の献身的な愛に支えられて、死から復活することができたのである。この体験が、沼のばばあが一度死んだオオナムチを甦らせる物語に映し出されているのである。
 

 梅原戯曲では、死から復活すると、飛躍的にパワーアップすることになっている。これも梅原自身の体験から来ているのだ。院生時代の落ち込んだ時期を克服すると、生活者としての自覚とともに研究者としても飛躍した。六十代になって癌を克服する度に、それ以前より若く元気になり、大きな仕事をしているのだ。
 

 オオナムチが生き返ったというので、オトウタリの家来たちは彼をつかまえようとしたが、のろまだった筈のオオナムチがすごくすばしっこくなってなかなかつかまらない。それでオトウタリは秘伝の魔術で、木を真っ二つに割き、そこにオオナムチをおびき寄せ挟んで殺してしまったのだ。『古事記』では大勢の神が再びオオナムチを欺いて、山の中に連れていき、大きな樹を切り伏せて楔子を打っておいて、その中に入らせて、楔子を打ち放って、殺してしまったとある。そこでまた母神が泣きながら捜したので、神を産むという名のカミムスビノミコトがまた復活させたのである。戯曲ではカミムスビノミコトは実母の神なので、実母がオオナムチを復活させたということになる。
 

戯曲ではアメノミナカヌシの力を借りて、カミムスビはオオナムチを復活させて、オオナムチに告白した、カミムスビはオオナムチを産んだけれど、アメノミナカヌシとの不倫が露見してはいけないので、沼のばばあに預けたと。しかしオオナムチは、自分の母は沼のばばあしかいないと、カミムスビを母と認めない。沼のばばあから実母の名を聞かされていたのだが、オオナムチが、神が子を捨てるなど信じないと突っぱねたのだ。でも母と別れてから、やはりカミムスビを恋しがるのである。
 

猛の実母に対する感情もアンビバレントである。実母は恋を貫いて猛を産んだものの、病気のせいとはいえ、子供を手離し、育てもしないで死んでしまったのだ。取り残された猛にはやはり、捨てられたという思いが生じているのだ。もちろんはじめは養母を実母と思っていたのだが、大人たちの気をつかう態度からうすうす勘づきはじめ、中学生の時に打ち明けられたのだ。その時は、やはり養父母を実の父母と思おうとした。それは許されぬ恋によって、子を不幸にし、結果として養父母にやってしまったことになり、実父母からは捨てられたという思いを抱かざるを得なかったからだ。
 

でも猛は自分が生まれたことによって父母が苦しい立場に追い詰められ、その結果病気に倒れ、母はその為に死ななければならなかったことに関して、母を殺し、その青春を奪ったのは自分だという原罪意識を抱かざるを得なかったのだ。そして母の死を代償に生きていることに潜在的に罪の意識を抱き続けてきたのだ。

 

                                                                        黄泉の国のオオナムチ


                              スサノオの髭を柱に括りつけ逃げ出しにけり、黄泉の国から

       

 オオナムチはカミムスビの助言に従って、因幡の国を逃れて、紀伊の国のオオヤヒコの許を訪れ、黄泉の国に生きたまま行くパスポートをもらう。黄泉の国では、黄泉の国の王スサノオの命の娘スセリヒメに見初められたのだ。スサノオにも歓迎されるが、スサノオは黄泉の国があまりに退屈なので、人を殺すのを最大の楽しみにしていたのだ。それで人食い蛇や人食い百足をオオナムチの寝室に忍び込ませる。スセリヒメのくれた蛇のヒレや百足のヒレで危機一髪で、蛇や百足を追い払い、何とか生き延びる。
 

 その後で、スセリヒメがオオナムチのところに夜這いするのだ。黄泉の国とこの世ではすべてはアベコベなので、黄泉の国では女が夜這いするのだ。明くる日、オオナムチは、スサノオに騙されて、火攻めに遇うが、鼠に助けられた。そしてスサノオの虱を取ってあげ、その虱を口で噛んで吐き出すまねをした。実際は、スセリヒメに渡されて椋の実と赤土をほおばり、吐き出していたのだ。それでスサノオは、すっかりオオナムチを気に入ったのである。
 

 スサノオは、すっかり上機嫌になって酒がまわり、眠り込んでしまう。その隙にスセリヒメは、退屈でたまらない黄泉の国での生活から抜け出すために自分を連れて逃げるようにオオナムチに頼んだのだ。黄泉の国の一日は、地上では一年にあたるので、オオナムチにしても、またいつ殺されるかもしれないスサノオの許で、それほどゆっくりしてはいられない。それでスサノオの髭を柱にくくりつけて逃げだしたのだ(古事記では髪をやねのたる木ごとに結いつけたことになっている)。そしてスサノオは地上と黄泉の境にある黄泉の比良坂まで追ってきて、オオナムチに八十神たちを追い払って、大国主となり、スセリヒメを正妻にして、高くそびえる大きな宮殿を造って、地上を支配せよと叫んだ。

 

                                                                     オオクニヌシの誕生


                              大いなる和の国つくらむもろともに、愚かなる吾助けよもろびと


 黄泉の国からの生還は、辺境の地に潜行していて生還したことを象徴的に表現している。オオナムチはその間は世間的には死んでいたのだ。そして死から復活して再登場した時には、飛躍的にパワーアップしているのだ。なにしろいったん死んでも死を克服して、死に打ち勝ってこの世にカムバックしてきたのだから、何も怖いものはないのだ。死を恐れずに立ち向かっていけるのである。
 

 死から生還した英雄が超人的に活躍する話は、強烈な印象を与える。全く不可能な人間の限界を越えたことだけに、だれもが根源的に憧れていることなのだ。教祖の復活体験を最大の根拠にして成立したキリスト教は、世界一の大宗教に発展したのだ。それくらい、死からの復活と、それによる飛躍的なパワーアップのドラマは観客の心を深いところで捉える力をもっているのだ。そしてこの「死からの復活」体験も、梅原自身の「死からの復活」体験に裏打ちされているので、梅原は書くことが出来たのである。もし梅原自身がそういう体験と無縁なら、死から復活してくる話など、あまりに荒唐無稽に感じられてなかなか書けないものである。
 

高等学校での軍事訓練、そして数カ月の軍隊体験はまさしく梅原にとっては地獄の体験だった。その地獄からの生還は、梅原にとって死からの復活のイメージに近いものがあっただろう。しかし戦後も戦争後遺症ともいえるが、死の哲学にとりつかれ、学術論文になじめず自暴自棄の生活に陥っていた。養母俊に同居してもらって何とか死なずに済んでいた。やがて結婚によって貧しくても自分の家庭を支えるということで、死の哲学から脱却できたのである。
 

 六十歳を過ぎてから癌で二度も手術しているが、いずれももう一月発見が遅れていれば命はなかったといわれるものだった。食事の味が変わるなどの微妙な体調の変化を捉えて、早期発見に心掛けたので、大事に至らなかった。そして不思議と回復後は以前にも増して若く元気になり、おおいにパワーアップして仕事に取り組んでいる。これも死の恐怖に身を置いて、そこから生還したという意味では、「死と復活」である。
 

 『古事記』では、黄泉の国から戻ったオオナムチは、八千矛の神と呼ばれた戦の神となって、かつてオオナムチを殺した八十神を追い払って大国主になる。ただ軍事的に強力な八千矛の神というイメージだけでは、面白味がない。それで梅原戯曲では、できるだけ啓蒙的で人民本位的な、平和と人民の幸福のために労を惜しまない名君に描いているのである。オオクニヌシと対極的にエウタリを殺して王位を纂奪した独裁者オトウタリを極端な恐怖政治家として描いている。彼に少しでも異を唱えるとたちまち粛清されてしまうのだ。そしてオトウタリは恐怖こそ支配の原理だと考えているのである。それで毎月十五日を公開処刑日にして、国中の人々が処刑見物に来て大和が賑わい、経済的にも潤うようにしていたのである。
 

 オオナムチが殺されたときに、オオナムチの味方をしたコザマルが捕まって公開処刑になる日に、オオナムチは大和に戻って来た。そしてこの処刑を止めさせようとしたのだ。オトウタリとその家来たちはオオナムチを殺そうとしたが、オオナムチは死から復活して飛躍的にパワーアップしている上に、スサノオから頂いた剣(この剣は天叢雲剣かもしれない)と弓矢があり、その上スセリヒメもいるので、天下無敵である。たとえ数百人・数千人を相手に戦っても決して引けをとらないのである。それでオトウタリ王やその家臣たちをみんな斬り殺してしまったのだ。こうしてオオナムチは大和の王位に就いたのである。。戯曲では就任に当たって、オトウタリのように恐怖で国を治めるのではなく、愛で治めことを宣言している。

 

 「大和の者たち、どうか私とともに、恐怖の国ではなく愛の国をつくろうではないか。互いに信頼し、互いに敬愛しながら、この大和に理想の国をつくろうではないか。この大和では一人も飢える者なく、悲しむ者なく、不平を言う者もない。そういう国をみんなと一緒につくろうではないか。私は愚かな者です。やはり大和一のアホでドジな男です。どうか私を助けてください。」

 

 「愛」を「仁義」に置き換えると、仁義に基づく王道政治を行おうとしていたことになる。そして権力の座についても、いばらず、大きな宮殿をつくらず、贅沢を慎み、質素な生活を貫ぬいた。王が慎ましい生活をしているのに、人民が贅沢をするわけにもいかない。それで富が蓄えられ、飢饉になってもだれも飢え死にするようなことはなくなったのである。梅原戯曲には、儒家だけでなく、墨家の思想の影響も感じられる。そして自分を大和一のアホでドジな男とへりくだり、常に人々の下に付こうとするところなどは、『老子道徳経』と共通した発想もみられるのだ。こんな短い台詞の中にも一つの思想に固まらないで、諸家の思想からそれぞれの良いところを学びとろうという姿勢がみられる。
 

 そしてオオナムチは、八千矛の神として、まわりの国々を平定したり、服属させたりして、広大な領土を持つ大国主になる。現在の中国・四国・近畿・中部地方のほぼ全域がその支配領域に入ったという想定なのである。大国主を歴史的に実在した人物だったとすると、大国主の支配領域を推定するのに、これは北朝鮮の歴史学者キム・ソクヒョンが採用した方法だが、大国主や大物主信仰の広がりから推定する方法がある。彼の説明では、大和の三輪山の大神神社や伊勢神宮や出雲大社や讃岐の金比羅神宮などが大国主や大物主を祭っていたと考えられるので、相当広範囲な支配領域を持っていた可能性があるのだ。梅原戯曲では大国主命の支配領域は、東は越の国から信濃の国、尾張の国まで、西は出雲の国と安芸の国、それに四国全部が大和国家に含まれていたことになっている。
 

 

           葦原色許男

            醜男が皺を重ねて磨かれて呼ばれけるかな葦原色許男

 

八千矛の神として各国を平定したのだが、越の国を取り込んだ時は、軍隊には待機させて、一人で越の国の女王に会いにいった。女王はオオナムチのその勇気と男ぶりに感心して国を献上したということである。オオナムチは別名葦原色許男(アシハラシコオ)と呼ばれる。シコオは強い男の意味のようだが、「色許男」なので相当いい男だったいうことだろう。しかし『日本書紀』では「葦原醜男」と表記されている。元々は大和一の阿呆でドジでノロマということだったことを考えると、容貌も「醜男」だったのかもしれない。それがヤガミヒメやスセリヒメに男を磨かれて、「色許男」に変身したのだろう。その上生来性格が優しくて、相手の為になんでもしてやろうとするので、各国にいい女がいたということになる。梅原も青年時代は醜男コンプレックスをもっていた。でも年輪を重ねれば重ねるほど、味のあるいい顔になってきたと言われている。梅原に男性としての魅力を感じる女性も多いようだ。
 

 『古事記』では「八千矛の神の歌物語」が載っている。越の国の沼河比売との相聞歌と沼河比売に嫉妬した正妻のスセリヒメとの相聞歌が入っているのだ。オオナムチは八千矛の神として戦で大国を形成したが、他方で平和的に各地の地方国家と婚姻によって結びついたのだ。オオナムチは戦いによって統一するだけでなく、セックスや愛によって和合することで、統一国家形成を飛躍させたのである。彼は優しくて包容的で、面倒見がよいので、抑圧的に収奪されたという感じを地方国家に抱かせなかったようだ。

 

           スクナヒコナと平和国家建設
 

             国破れ海を渡りし皇子なれば、平和で豊な国築きたし

 

 戦で大和の国を大国化させたが、そのために統合された国がひどい搾取と収奪にあわされるのでは、平和で豊かな国づくりはできない。そこで大国主命は大陸から先進技術を取り入れて、土木・農業・医療の技術を飛躍させ、畿内だけでなく新たに大和国家に組み込まれた国々も豊かになるようにした。つまり生産力を発展させれば、専制的な権力でないかぎり、一般民衆にも富が行き渡りやすくなるし、辺境の国々にも開発の手が届きやすくなる。為政者の心遣いが良ければ、階級矛盾や部族対立や中央と地方の対立も緩和できるのだ。
 

 筑紫の国に比べ、大和の国は朝鮮半島や大陸と距離があり、どうしても先進文化の導入が遅れてしまう。それで大陸から大和に先進文化をもって渡来してくる人々は、平和的な形でくれば、大いに歓迎されたのだ。少名毘古那の神はそういう新しい技術をもたらす稀人=貴人として信仰されている。スクナヒコナの神は、『古事記』では、山田の案山子である久延毘古である。神産巣日の神の御子なので、梅原の解釈だとオオナムチと兄弟だということになる。戯曲では大陸の滅ぼされた小国の皇子が渡来してきたという設定である。
 

 スクナヒコナ伝説は、お碗の船に箸の櫂で淀川を遡った一寸法師の原型と思われる。つまりとても小さな神なのだ。「波の上を蔓芋のさやを割って船にして蛾の皮をそっくりはいで着物にして」やってきたのである。『日本書紀』によると、人民と家畜のために病気治療の方法を定め、鳥獣や昆虫の災いを除くためにまじないの法を定めたという。それでスクナヒコナの神は、大阪の薬問屋街の道修町では神農さんと呼ばれ、薬の神様として祭られている。
 

 戯曲ではその他に酒造りや、農業土木の技術なども伝えて国を大いに豊かにしてくれたのである。ところが軍事技術だけは伝えてくれなかった。オオクニヌシも根が優しいオオナムチなので、豊かな国造りに関心が行き、これ以上の領土拡張は望まないので、軍備増強には力を注がなかったのだ。平和で豊かな国造りが成功すると、近隣諸国も交易で利益を得ようと友好的な関係を結んでくるので、まさか突然、侵略されるなんて予想もできなかったのだ。

 

 しかしそれは甘い認識だった。平和で豊かな国を築くと、それだけ侵略しがいのある国になってしまうのだ。河口付近の湿地帯で湿田で稲を栽培しているだけなら、大部分は森林だから、侵略しても一から開墾しなければならない。進んだ農業技術で大規模に農地が広がっていれば、そこを支配すれば、大量の穀物や織物などを収奪できるのだ。だから豊かな国を築くということは、それだけ侵略に備えて、強い軍事力を持っていなくてはならないということになる。ところが豊かな国づくりに成功していると、人民の受けもよいものだから、つい油断してしまい、侵略されて滅ぼされてしまうことになるのだ。
 

 

                                                      建国三十年記念式典
 

                  寿ぎの杯上げん肇国の三十路の年の栄えの式なり

 

 オオクニヌシが理想的な国づくりをしていたにもかかわらず、アマテラスの孫つまり天孫族に国を譲らなければならなかった理由はなにか。その理由は簡単だ。天孫族はかなり長期にわたって大和侵略を計画し、鉄製の武器を大量に製造して、軍事力を増強していたからである。しかもそれを大和には気づかれないように情報の管理もしっかりしていた。そして表面的には平和で豊かな国づくりをしている大和と友好的に付き合っていたのである。オオクニヌシはすっかり筑紫の国を信じ込んでいたのである。
 

 その意味では、オオクニヌシはオオナムチの頃と少しも変わらないお人好しだったのだ。結局、国を滅ぼし、息子たちを死なせてしまったのだから、大和一のアホでドジでマヌケというのも変わっていなかった。でも平和で豊かな国づくりに成功している最中にはオオクニヌシは、オオナムチとは全く人が変わってしまい、最も賢くて強くて偉大な人物に成ったと尊敬されていたのだ。
 

 恐怖独裁のオトウタリ政権を打倒してから新生大和の三十年を記念する式典が開催された。先ず越の女王ヌナカワヒメが感謝の言葉を述べた。大和に服属したものの、越の女王としての地位は変わらないし、服属したお陰で、技術指導を受け、大和一おいしい米所となり、みんな平和で豊かになって幸せに暮らせていると演説した。そしてオオクニヌシを永遠の夫としてこれからも従っていきたいと付け加えたのである。
 

そこでスセリヒメが、夫を褒めていただいてありがとうと応答した。でもそれは一度の過ちで、女性に優しいオオクニヌシはどこの国に行っても、その国の女性に優しくする。そのご艷福のお陰で、多くの国が大和になびくので、女性問題では苦労させられたが、そのかいがあったと語った。梅原戯曲は、作者梅原にとって懺悔であり、カタルシスであるということなので、このスセリヒメの悩みを梅原の妻も共有していたのかもしれない。梅原は現地を何度も訪れて、聞き取り調査をして書いている。それぞれの土地で親しくなった女性と一夜の過ちがあったかもしれない。
 

 そして大和王朝の東には狩猟採集を生業にする蝦夷王朝があったことにしている。それで蝦夷の皇子クマヒコが祝賀の挨拶をした。彼らは大和の王族と同じ国つ神の子孫なのである。これからも互いに協力して、よい国をつくろうと友好のメッセージを贈った。はたして狩猟採集を生業にする経済の発展段階で統一王朝が存在できるのか疑問ではある。それに農耕段階の弥生文化の遺跡が弥生遺跡や登呂遺跡をはじめ東日本各地で発見されているので、やはり農耕文化を基礎にする地方国家の形成を東日本にも想定した方が説得力がある。ただ戯曲の構成とすれば、縄文文化を色濃く残した蝦夷王朝を東に配置した方が、大陸の文字や鉄器を実用化しつつある筑紫王朝を西に配置したのと対照的で印象的ではある。
 

 そしていよいよ筑紫の国のニニギノミコトの代理であるタケミカヅチが、ニニギノミコトの書簡を読み上げた。書簡は既に筑紫の国が文字を実用化していたことを示している。豊葦原秋津洲おける漢字の使用はいつごろからか確定するのは難しいが、石上神宮七支刀の銘文は三六九年に書かれている。しかしこれは百済王が倭王に贈ったものだから、百済で製作されたと思われる。その後は五世紀以降の鉄剣の銘文でワカケル大王の名が出ていたりする。
 

日本製の銅鏡で銘文がある最古のものは、これまで隅田八幡神社人物画像鏡と見られていた。これは四四三年製作だという説がある。しかしこれまで魏の年号があるので、魏で製作されたと考えられてきた「三角縁神獣鏡」が、どうも倭に渡来していた宋人が倭人の為に畿内で造っていたのではないかという説が有力になってきたのだ。そうすると三世紀には、畿内で漢字が使用されていたということになる。もちろん竹や布や紙に書かれた文字もあった筈だが、それらは残っていない。
 

 梅原の視点は、ニニギノミコトの段階では筑紫の国の方が大和より鉄器や漢字の使用で先行していたとするもので、大陸・半島に近い分当然の判断である。タケミカヅチは「この大和の国とはお互いの国の勢力の及ぶところを守り、末永く平和に付き合っていきたいと思うものである」というニニギノミコトの伝言を読み上げたのである。これはオオクニヌシが最も望むところだった。
 

 オオクニヌシは、この式典でスクナヒコナを副王にし、讃岐の国と安芸の国と出雲の国と信濃の国に将軍を配置することを発表したのだ。讃岐の国にはエウタリ王の忘れ形見のウタリヒコを、後の三人はオオクニヌシの息子を任命した。安芸の国には末っ子のタケオサケビを、信濃の国にはタケミナカタを、出雲の国には長男のコトシロヌシを将軍に決定したのである。こうして可愛い息子たちをすべて遠国に派遣することにしたのだ。そして三十年間支えてくれ、女性問題でも辛い思いをさせたスセリヒメに感謝してスピーチを終えたのである。
 

 

                                                            ヤガミヒメとの再会
 

            純愛の想いは消えず永久に吾をこがるや初恋の女(ひと)

 

 大道芸人たちがこの式典を記念して、「若き日のオオクニヌシ」の芝居を演じていると、年をとったみすぼらしい女が「このうさぎは私だ」と言い張った。これが新婚の夫であったオオナムチを若き日にオトウタリ達に殺されて、それでもその恋しい人の面影を求めて三十年間さすらってきたヤガミヒメだった女なのだ。
 

 戯曲ではヤガミヒメとの再会まで三十年間もかかっているが、『古事記』では黄泉の国から生還した直後に再会し、子を生んでいる。しかしスセリヒメが怖いので、その生んだ子を木の俣に差し挟んで里に帰っているのだ。それでその子を木の俣の神と呼ぶ。つまり『古事記』ではスセリヒメは、スサノオの命の娘だけあって、その嫉妬の情念も恐ろしいのだろう。梅原はスセリヒメを寛容な女に描くことで、自分の妻への感謝の気持ちを表現しているのかもしれない。それにヤガミヒメが、新婚の床から夫を奪われた女の純愛を三十年間も貫き通したという姿に、梅原の求めていた一途な純愛の理想が結晶している。
 

 梅原は高校生の時に交際した女性がいたようだが、どうもその女性が心変わりして、梅原を捨てたようだ。その時、その女性は梅原の親友のことが好きになったようで、梅原はその裏切りで相当心に疵を負ったと思われる。梅原が懐いていた初恋の純愛のイメージは、本当に愛してしまったら、一途にどこまでも愛しつづけるというイメージである。自分はそれを信じていたのに、女は心変わりしてしまい、自分もその心変わりを憎んで、愛も冷めてしまったのである。でも心の底には、どこまでも純愛の対象としての初恋の女が生き続けていたのだ。心の底には自分を裏切った筈の女がいつまでも自分を一途に思い続けているのである。
 

 梅原は院生時代の黄泉の国のような絶望期から立ち直るために結婚した。だからオオナムチが黄泉の国で出会ったスセリヒメが梅原にとっては妻になった女性なのである。でも心の底に生きていた初恋の女性との再会が怖かったのだが、別れてからどうも十年ぐらいたって何かの偶然で出会ったが、全く変わり果てていて、イメージが違っていたので、恨んでいた気持ちも消えてしまったということらしい。
 

 戯曲のヤガミヒメ像に結晶しているのは、純愛をどこまでも貫こうとする初恋の女の像である。それは梅原が身勝手にも求めている永遠の女性なのだ。お芝居だから登場する全くの虚像だが、オオナムチの面影を求めて三十年さまよいあるく女の姿なのだ。オオクニヌシの眼には、その変わり果てた女の中にたしかにヤガミヒメの面影が残っていた。オオクニヌシは宮殿に来るように言ったが、ヤガミヒメは彼をオオナムチであるとは頑として認めないのだ。ヤガミヒメのことだけを愛していた純情なオオナムチ以外は、本物のオオナムチではないのだろう。


 結局またヤガミヒメは、心を病んだままオオナムチの面影を求めるさすらいの旅を続けるのだ。オオクニヌシは、たとえ大和の国を平和で豊かな大国に築き上げたとしても、彼を命懸けで愛し通した一人の女を救うことができなかったのだ。一人の女も救えないで、なにが大和の王だということである。そんな国は滅びてしまえということなのだ。一つの純愛の価値は大和国家の価値に匹敵すると言いたいのだ。こういうロマンチズムに、女性客は梅原のピュアな優しさを感じ取って、痺れるのかもしれない。
 

 

                                                                 国譲りの神話
 

                   豊なる国を築けるそのあまり守りの備え緩みたるかな

 

 スクナヒコナは大和ではすることがなくなったと、常世の国に旅立った。またスセリヒメもスサノオの命の看護のために黄泉の国に戻ってしまったのだ。そしてそれは突然起こった。大和国家の側はなんの警戒もしていなかったのだ。何しろ十年前から筑紫の国と大和の国の間には何の騒ぎももめごともなかったのだから、すっかり油断していたのである。つまりそれが筑紫側の作戦だったのだ。もう十年も前から筑紫の大和侵攻は周到に計画されていたのだ。
 

 オオクニヌシに殺された大和の前王オトウタリの息子オトタリが、安芸の国に潜んでいて、オオクニヌシの息子タケオサケビが将軍になって安芸に派遣されると、その正体を隠して家来になって護衛役をつとめ、さんざん油断させたのだ。筑紫のタケミカヅチと内通して、筑紫軍の侵攻を手引きしたのである。オトウタリは筑紫でも評判が悪かったからかもしれないが、筑紫軍が傍観している中で先ず、タケオサケビとオトタリの対決になり、タケオサケビが勝った。そしてタケオサケビはタケミカヅチに討ち取られてしまうのだ。

 次に筑紫の国のフツヌシが、讃岐を卑怯にも夜襲してきた。もっとも被害を少なくして、最も効果の上がる方法を採用したのである。讃岐は、エウタリ王の息子のウタリヒコが将軍をつとめていた。オオクニヌシの娘である妻オオヒメも一緒だった。とても歯が立たないと見たウタリヒコとオオヒメは一緒に死んでしまったのだ。
 

 そんな悲劇が始まっているとは露知らず、オオクニヌシは腹心のコザマルと相談して、

世継ぎをコトシロヌシに決めようとしていた。その理由はコトシロヌシが優しくて争いを好まないところにあったのだ。

 

「この小さい島国で争いばかり起こしていたらこの国はとてもなりゆかぬ。筑紫の天つ神の国とも東国の蝦夷の国とも私は仲よくやりたい。おそらくいつか、この三つの国が統合して一つの国にまとまるときがあろう。それも決して戦争によってではなく、平和なうちに三つの国が統合して一つになるとよいとわしは思っている。」

 

 コザマルはオオクニヌシの考えを甘いと思っている。筑紫の友好的な態度も疑ってかからないととんでもないことになりかねないと心配していたのだ。それは内心オオクニヌシも同じことである。でも相手を信じて友好を貫くというのは、立派な態度だ。たとえそのために国を滅ぼされても、相手を欺いて、突然侵略する国よりもはるかに道義的には正しく立派であるといえる。
 

 そんな話をしているときに讃岐の国から筑紫来襲の知らせが入った。そして安芸の国からも同じように筑紫来襲の知らせである。いまさら八千矛の神に戻れないものの戦わざるを得ないとオオクニヌシは覚悟を決めたのだが、すぐに摂津の国の使者が筑紫軍がまもなく、宮殿に押し寄せるという知らせをもたらし万事休すとなった。
 

 そこでタケミカヅチの神は、高天原の神々の会議の決定を伝える。それによれば、葦原中つ国、つまり大和の国は、天つ神の子孫が治めるべき国なので、オオクニヌシはアマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトに国譲りすべきだというのである。そしてこの決定にはアメノミナカヌシやカミムスビの神も賛同されたというのだ。オオクニヌシは梅原戯曲では実の父母が国譲りに同意しているということを聞かされ、自分が見捨てられたと実感したのだ。
 

 オオクニヌシはよい国造りをしているというのは、だれしも認めるところなので、アメノミナカヌシもカミムスビもその国を取り上げるなんて大反対だった。ところが三百年前にアマテラスオオミカミの子孫がこの国を支配することを認める誓約書に、アメノミナカヌシは知らないうちにサインさせられていたのだ。そしてオオクニヌシがアメノミナカヌシとカミムスビの不倫による子だというスキャンダルで脅かされて、オオクニヌシを庇えなくなってしまったのである。
 

 これは梅原戯曲にそった解釈だが、ともかく高天原の神々の会議の内容などは、なんとでも後からデッチ上げることができる。『古事記』によると、出雲の伊耶佐の小浜でタケミカヅチの神が十掬の剣を抜いてそれを逆さに刺し立てて、その前に胡座を組んで座り、脅迫するように国譲りを迫ったのである。梅原戯曲では大和の宮殿のはずが、出雲になっている。これは大和と出雲の両方に宮殿があったということかもしれない。そして大和から出雲に逃れてきていたのが海岸に追い詰められたと解釈できる。ともかくこの脅迫をする背景には、既に筑紫の国の軍勢が大和の国をあらかた制圧してしまっていたという事態があったのだ。
 

 もう軍事的な抵抗は難しいのだが、オオクニヌシがあくまで国譲りを認めないと、筑紫の国は一方的な侵略で国を奪ったということになる。オオクニヌシが高天原の神々の会議の決定に従い、アマテラスの孫に国を譲ったという形式を整えれば、国つ神たちの抵抗を最小限に押し止めることができるというわけである。そこでオオクニヌシはコトシロヌシとタケミナカタに相談してからご返事したいと、その場を取り繕ったのである。コトシロヌシは釣りをしていたのだが、使いにその事情を聞くと、コトシロヌシは出雲のミホツヒメと一緒に入水自殺をした。そしてタケミナカタはタケミカヅチと相撲をとることになる。タケミカヅチは自分が負けたら兵を引くが、勝てば国譲りを認めるように要求する。これは既に戦で勝っているのに、負けるかもしれない力競べの賭をするである。これでは筑紫側が余りに寛大すぎる。『古事記』も国譲りが公正だったことにするために、力競べの賭を入れたのかもしれない。タケミナカタは口ほどでもなく簡単にタケミカヅチに負けてしまったのだ。

 

             出雲大社の建立
 

                     怨霊を鎮める為に社建て守りの神と祀りけるかも

 

 息子たちが殺され、屈伏させられ、国譲りを認めさせられたので、オオクニヌシも国譲りを認めざるを得なかったのだが、そこで条件として、出雲に高い立派な神殿を造ってそこに住まわせていただければ、国つ神をスメラミコトに従わせてましょうと申し出たのである。そして結局、オオクニヌシは神鵜になって、海の底に入ったのだ。つまり入水自殺されたわけである。
 

 オオクニヌシは平和で豊かな国づくりをなし遂げてきたのだ。それなのに無理に国を取り上げられ、一族が滅ぼされてしまう理不尽な目に遇った。当然この恨みを懐いたままでは、怨霊としてたたる恐れがある。そこで出雲大社を作り、オオクニヌシをお祀りすることで、怨霊の怒りを鎮め、逆にスメラミコトの治政に国つ神たちを協力させることができると信仰していたのである。しかし筑紫の国の友好的な態度を信じて、騙されたオオクニヌシが、表面的には従順に国譲りをしたとはいえ、心のなかでは決して筑紫の国を許さなかったと思われる。だから国つ神の抵抗が続いて、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)は改めて東征をやり直さなければならなかったし、祟神天皇の時には三輪山の大物主の命がおおいに祟ったのである。そして国つ神の抵抗は、ヤマトタケル伝説を生んだのである。
 

梅原戯曲は、オオクニヌシの平和で豊かな国づくりを再評価している。その為にたとえ国を滅ぼされ、息子たちを殺される結果になっても、国際的な信義を貫いたオオマヌケの国を、だまし討ちした天孫族の侵略国家よりもましな国として擁護しているのだ。そして天孫族に対する恨みを、梅原は肉体的精神的に青年期の梅原を苛め抜いた近代天皇制国家に対する恨みとして継承しているのである。そして戦後日本が平和で豊かな国づくりを行って来たことを肯定的に評価し、その柱になってきた世界一お人好しの憲法第九条を擁護しようとしているのである。たとえその結果国が滅んだって、子供たちが犠牲になったって、いいわけはないけれど、でもいつまでも互いに疑い合い、憎しみ合っていたのでは、永久に平和はこないわけだから、平和憲法に殉死するのも一つの平和に徹した生き方として倫理的に評価されるべきだと思われるのだ。
 

冷戦終了後、超大国がアメリカだけになってしまい、軍事力の一極集中の傾向が顕著になった。そうするとアメリカが世界の憲兵のようになって、世界秩序を管理しようとする。現在の世界秩序に不満を持っている諸国や民族、宗教団体などが、自分たちの不満の原因をアメリカの世界支配に求め、アメリカ帝国に挑戦しようとするようになる。それが宗教的信念と結合して自爆テロと結合すると、アメリカの中枢がテロ攻撃に曝されることになるのだ。超大国の軍事的優位もやがては神話となり、アメリカ帝国の崩壊につながりかねない。

  
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