源流思想 ギリシア篇
倫理と哲学の意味
輪になりて生きる理(ことわり)示したる古今の人と苦悩分かたむ
先生:にいよいよ倫理思想史に入るわけだけれど、その前に「倫理」や「哲学」という言葉の意味を考えてみよう。花子さん英語で何と言いますか。
花子:倫理は@( )で哲学はA( )です。
@( )は習俗や習慣という言葉に由来し、社会や集団のルールという意味を持ちます。
A( )はフィロが「愛する」でソフィアが「知」ですから「知を愛する」「愛知」という意味ですね。じゃあ愛知県は哲学の本場ですか?
太郎:「倫」という字は「人の輪」つまり仲間や社会という意味ですね。その「理」はことわりということですので。社会の中での従うべき道理や規範という意味になり、そこから人間としての生きるべき道や人間としての生き方をあらわします。
花子:では倫理と道徳(英語でB( ))はどう違うのですか?
先生:同じ意味でつかわれているのですが、倫理が人間として歩むべき道であり、社会の規範ですが、道徳は人格としての個人がそれを徳として身につけることを意味します。
花子:ところでA( )をどうして「愛知」と訳さなかったのですか。
先生:「哲学」という訳語を考案したのは日本近代哲学の父C( )です。彼はA( )には謙遜の意味が含まれていると考えました。ソクラテスは自分は「D( )」つまり知者ではないと言いました。D( )たちの知は、実は独断論にすぎず、真理でない。しかし真なる知を求めている愛知者ではあるとしたのです。
C( )は愛知や愛知学では、物知りや雑学愛好家を思い浮かべられてしまうので、まずいと思いました。そこで「哲」という「賢明な」とか「さとる」という意味の言葉を前につけまして「哲学」とし、物事の根本の原理を究める学問という意味にしたのです。
太郎:それではソクラテスの「無知の知」が活かされていませんね。
先生:そこが問題点ですが、西が求めていたのは学の原理としての哲学でしたので、西としては別によかったということです。
花子:ただ「愛知学」としておいた方が深みは感じられないけれど、オシャレな感じがしますね。
問 上の( @ )〜( D )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
西周(にしあまね) 福沢諭吉 ソフィスト philosophy moral ethics
ミュトス(神話)からロゴス(論理)へ
ミュトスでは納得できぬ民ならばロゴスに叶ふ話聞かせや
花子:どうしてギリシアに最初に@( )が誕生したのですか?
先生:それはポリスの発展と関係が深いと思います。元々物事のことわりを説明するのに、ポリスの神々のA( )の形にして説明していました。王や貴族などはポリスを形成した頃神々と人の娘の合いの子だったりして、その威力でポリスを支配してきたのです。でも時代がたつにつれて、神々の子孫だというので、
A( )で権威づけしても相手にされなくなります。そこでポリスの市民たちを納得させるのに、きちんと筋道のたった納得いく話し方が必要になったのです。
花子:だからどうしてポリスだと皆を納得させなければならないのですか。
太郎:そりゃあ、ポリスは規模が小さいから、しっかり団結しないと侵略されてつぶされてしまいます。また皆に話して納得させられるぐらい小さいということでもあるわけです。
先生:そうですね。いざ戦争となったらできるだけ総動員で戦闘に参加してもらう必要があるので、皆に自分たちのポリスだという自覚をもたせるためにも、B( )での話し合いというのが大切でした。神話だと信用されないので、よく筋道の通った話で説得するわけです。そこで理屈付けや弁論術が大切になったのです。@( )はそれが自然や世界に対する捉え方になった時に誕生したということです。
太郎:ところで哲学に入る前に、古代ギリシアの人間観を説明して下さい。
先生:ギリシアの神々はC( )です。それに対して人間は「D( )の人間」と捉えられていました。神話では必ず枕詞にこれがつきます。アポロン神殿には「E( )」という額があるのですが、C( )がD( )の人間に啓示しているのですから、どういう意味になりますか。
花子:「お前たち人間は遅かれ早かれ死ぬんだぞ、その事を知りなさい」という意味ですか。
太郎:いつまでも死なないかのように、ノンベンダラリーと暮らしている連中が多いので、時を大切にして、折角生まれてきたのだから、生きているうちに何か生まれてきてよかったと言えるようなことをしておきなさいということで。F( )の自覚ですね。
先生:死が避けられないという運命においてはだれもが悲劇的な存在なのです。それでギリシアでは運命悲劇が上演されていましたが、その代表作は。
花子:もちろんソフォクレスの『G( )』です。父を殺し、母と姦淫して不義の子を作るという運命を避けようとすればするだけ、運命のわなに落ちて、予言を実現してしまいます。
先生:開いていても、肝心なことを何も見ることができなかった目玉をくりぬいて、G( )は放浪しなければならなくなります。しかし人の道を踏み外すことによって、見据えることになった「オイディプスの闇」こそH( )の自覚であり、人間の尊厳なのです。
問 上の( @ )〜( H )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
自我 有限性 哲学 不死なる神 汝自身を知れ 死すべき運命 アゴラ 時は金なり
神話 オイディプス王
ミレトス学派
何処より来りしものぞわが命、いずこに還り、廻り廻るや
先生:紀元前6世紀、小アジアにあったギリシア人の植民地イオニア半島のミレトスという町で哲学が誕生しました。この時代は何に対する問が最初の哲学の問でしたか?
花子:万物は何からできているのか、その@( )(根源物質)に対する問です。
太郎:何故万物が同じ@( )からできていると考えたのですか?
先生:さあそこが最大の謎ですね。当時の人々はA( )(宇宙)あるいはB( )
(自然)を生きた一つの全体として捉えていたと考えられています。大いなる生命ですね。万物は大いなる生命の様々なC( )なのです。その生命自体はどんなものなのかを考えていたのでしょう。なお@( )は「根源物質」の他に「原理」という意味でも使われます。ところで最初の哲学者は誰で、彼は何を@( )だとしたのですか。
太郎:D( )でE( )をアルケーだとしました。先生の解釈だとE( )が生命だということになりますね。
花子:万物は生命の根源である水から生まれて水に帰るというイメージですね。どのように論証したのですか。
先生:それは残っていませんから分かりませんが、島が海から生まれて、海に没したり、湿り気を含むことで種が発芽することなどから考えたらしいのです。
花子:シドニー・シェルダンの『DRIPPY』は「雨粒」が活躍するのですが、現代版D( )
ですね。
先生:あれは素晴らしい物語です。英語の苦手な人には是非お勧めですね。あれとZ会の『速読英単語』でうちの娘はセンター試験で9割近くとれるようになりました。一銭ももらってませんよ。(笑)D( )が先ほどのアポロン神殿の額「汝自身を知れ」という言葉を考えたという話があります。ですからアルケーとしての水は人間がそこから生まれ、そこに帰る人間の本源の姿だということかもしれません。
太郎:でも、水という特定の物質から他の規定された物質が生じるというというのは納得がいきませんね。一番元のものは全く規定されていないものでないと。
先生:そう考えたのがF( )です。彼は最初のものをG( )(無限定なもの)と名付けました。それが渦を巻いて様々な物に分かれたと考えたようです。
花子:その無限定なものとは、H( )ではないかと言ったのがI( )ですね。彼はH( )がJ( )になって水になり、更にJ( )になって土になるとしました。逆にH( )がK( )になると活発になりますから火になるわけです。全ての物はこの土・水・空気・火の混合でできているわけです。
太郎:中国でも気が物質一般つまり@( )ですね。それが木・火・土・金・水になるわけで、共通していますね。
先生:そうなのです。それはインドのバラモン教の『ウパニシャッド』でも言えます。宇宙の本体であるブラフマンと個物の実体であるアートマンが一体だとしました。アートマンは気息のことで魂を意味します。つまり個物も宇宙も気からできているということですね。インドとギリシアは同じアーリア人ですから、宗教や哲学が似ているのです。
ギリシア語のL( )という言葉はやはり気息が語源ですが、「魂」とも「命」とも訳せます。魂と命は区別されていなかったようです。
問 上の( @ )〜( L )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
水 濃厚 アナクシメネス 様相 空気 アナクシマンドロス 火 アルケー ピュシス
希薄 トアペイロン タレス コスモス 土 エンペドクレス プシュケー
調和と闘争
戦いか調和かいずれ原理なる議論戦い調和せざるや
先生:イオニアのサモス島出身でイタリア南端のクロトンで活躍したのが、三平方の定理で有名な、さてだれですか。
太郎:@( )ですね。彼はただの数学者じゃなかったのですか。
先生:まだ何学者なんて分かれていませんからね。彼はA( )がアルケー(原理)だと言ったのです。つまり数的比によって万物ができていると考えたのでしょう。これは凄い発想ですね。そして万物はやはり数的比によってB( )(調和)してコスモスが安定しているわけです。その調和はC( )を奏でているとしました。それでコスモスのB( )を保つために演奏したのです。それで@( )の教団が音楽で町を支配しようとしたので、住民に襲われたようです。このように数学や音楽というロゴスによって支配しようとしたわけですね。
花子:調和を唱えながら、結局は戦っていたのですね。それじゃあ、戦いを原理にしたD( )の方が本音で勝負していますね。
先生:ええ、彼はイオニアのエフェソスの暗き人と呼ばれました。「戦いが万物の父である」と言ってますから、戦いによって万物が生まれると考えているのです。
太郎:普通なら戦いでは生まれるより、破壊されたり、滅んだりするのじゃないですか。
花子:彼は「E( )(万物流転)」で有名ですね。戦いによって、古いものが滅びると、新しいものが生まれるということで、変化は激しく衝突して姿を変えるという意味なのでしょう。彼はF( )がアルケーだとしましたが、それはまさしく戦いのイメージですね。それだけ貴族階級が権力を維持しようとするのは大変だったということですかね。
先生:F( )がアルケーであり、それを「魂=命」と捉えていたことになります。そうすると水や土もF( )がつまり戦いが姿を変えたものということになりますから、表面的には静かに見えても、戦いが内向して中で燃えているわけです。こういう見方は素粒子の運動や原子力などを考えますと、非科学的とは言えませんね。それはまた、死んだ物体ではなく、戦いという事が世界を構成しているというG( )の源流とも言えます。
花子:彼は戦いによって物の生成と消滅を説明したので「H( )の父」とも言われていますね。
問 上の( @ )〜( H )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
パンタ・レイ 数 火 ヘラクレイトス 音楽 事的世界観 ピュタゴラス 弁証法
ハルモニア
有るものは有り、有らぬものは有らぬ
有るものはしかと有りぬ、有らぬもの確かにあらねど、その帰結とは
先生:ヘラクレイトスと同じ時期に正反対の議論をしたのが、イタリアの西岸の@( )で活躍した@( )学派の人たちだ。その中心はだれでしたか。
太郎:はい、A( )です。彼は「B( )」
と言ったので有名です。確かにその通りですけれど、そこから運動や変化を否定してしまうのは乱暴ですね。
先生:アナクシメネスの濃厚化・希薄化の論理を使っています。空気が濃厚になって水になるとしますと、その分だけ有らぬものがあったのことになり、間違っているということです。また空気が希薄になって火になりますと、そこに有らぬものが入ったことになるので、有らぬものがあったことになり、これも間違いです。だから空気が水になったり、火になったりする変化はありえないのです。
花子:間違いといっても、実際に変化しているのですから、間違いというほうが間違っているのでしょう。
先生:そう考えるのが間違いだということです。つまり人間が見たまま体験したことを真理だと思い込むのはC( )(思い込み)なのです。運動も間違いです。物が動くのは、有らぬものが有るからそこに移動できるわけです。だから運動もC( )に基づくものです。また変化がないのでしたら、多様もないということになります。
太郎:結局、あるものはD( )だということですね。
先生:これがギリシア精神をあらわす「E( )(一にして全)」です。つまり我々思い込みの世界に住んでいて、運動や変化や多様を見ているが、それは本当の実在ではないのです。本当にあるのは一つのもので、全てに貫いているものです。それを観ることで永遠を感じることができます。
花子:同じ一つのものが全てに貫いていて、それを観るというのは、難しいですね。
先生:ここで倫理の勉強でさっぱりわからないといって根を上げる人が多いのです。ギリシアの世界では建築でも彫刻でも陶器と工芸品でも、どれも洗練された美しさをもっています。どれも同じ一つのものの現われなのです。それを「F( )」と言います。
花子:そう云えば、日本の仏像や庭園や景色などに一つのものを感じることがありますね。
太郎:この運動否定の論理を弟子のG( )が論証しました。
「H( )」と
「I( )」です。
花子:追いついたら、少しは前に行ってしまっているので、追いつけない筈なのでしょう。なのに現実は追い抜いているから、運動という現実はC( )だって言いたいのよね。
問 上の( @ )〜( I )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
飛んでいる矢は止まっている ヘン・カイ・パン ゼノン 善美なるもの 有るものは有り有らぬものは有らぬ ドクサ アキレウスは亀を追い越せない 一者 エレア パルメニデス
四元論とアトム論
コスモスはアトムとケノンそれのみか意味・価値・目的いずくにあらむ
先生:土・水・空気・火のどれがアルケーかで議論してきたけれど、結局、どれも独断論だから、どれか一つに決めることをやめるしかない。それでコスモスは四つの元素からできていると唱えたのはだれですか。
花子:はい、シチリア島の@( )です。彼はA( )が強い時期には四元が混ざり合って、複雑な事物が生まれ、B( )の強い時期には四元がそれぞれに分かれているとしました。それが永遠に繰り返されるわけですね。ギリシア人の時間観念は直線的ではなく、C( )だと言われる一例です。
太郎:牽引と斥排という物理的な現象を感情で表現したところがおもしろいですね。
先生:エレア学派は変化・運動・多様を否定してしまったけれど、それでは世界は説明できないので、彼らが有らぬものとしていたD( )(空虚)を有ると認め、「本当に有るのはE( )とD( )のみである」と言ったのはだれですか。
太郎:はい、トラキアのアブデラにいたF( )です。彼は形や大きさの違うたくさんの種類のE( )があって、それがD( )の中を落下し、色々衝突して様々な現象が起ると考えたのです。
先生:形と大きさだけ違いますが、中身は「有るもの」として同じです。ノッペラボ―のミクロの物体です。そういうものでコスモスを全部説明したのでは、コスモスは生きた全体ではなくなってしまいます。それ自体としてはG( )(無意味)、H( )(無価値)、I( )(無目的)になってしまったのです。
花子:それだけ科学的になったのですね。意味や価値や目的は人間の文化が作り出したもので、自然それ自体には備わっていないということでしょう。
先生:これは大問題ですね。人間環境としての自然を生命や価値からどう捉えるべきか、今世紀最大の課題です。じっくり考えていきましょう。
問 上の( @ )〜( I )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。
パーパスレス 愛 ケノン バリューレス 円環的 エンペドクレス アトム センスレス 憎しみ
デモクリトス
ソフィスト
物事の真は何と問うたれば人それぞれと答えしは誰
先生:紀元前5世紀ごろギリシアのポリスは発達し、次第に市民達の発言権も強まってきました。ミュトスよりロゴスを用いて支配しようとする特権階級に対して、市民たちも弱い議論を強くする@( )を学んで自分の頭で考え、判断しようとします。そこで知の教師を自称するA( )(知者)たちがギリシア各地を廻って報酬をとって@( )を教えていました。じゃあ代表的なA( )を挙げなさい。
太郎:「B( )」で有名なC( )ですね。彼は真理は人それぞれだと考えました。いろいろもっともな理屈で真理を押し付けられても、それに無理に従うことはないということですね。
先生:真理は絶対的な基準があると考えてはいけないという考え方をD( )と言います。この部屋が暑いか寒いかはそれぞれの人が体感することです。今20度だから暑くないといわれても、先ほどまで運動場で走り回っていた人には暑くてたまりません。
花子:もう一人はE( )ですね。彼はF( )だったようですが、その中身は参考書に書いていません。
先生:彼は「何も存在しない。存在したとしても認識できない。認識できたとしても伝えることはできない」と言ったようです。つまり客観的な真理なんて存在しないし、それは対象とは別の存在である我々には分からないし、その内容を言葉にすれば、言葉と物は違うから伝わらないということでしょう。だから他人のもっともそうな意見に従うことはないので、自分で考えて行動しなさいということですね。
太郎:A( )たちの中には、G( )を使ってでも自分の論を通そうとしたり、法や習慣などのH( )(人為)をI( )(自然)ではないからと従わなくてもいいように言う者もいて、顰蹙をかうようになってきたようですね。
先生:それまでの自然哲学などの独断論を批判したのは大いに意義がありましたが、今度は自分勝手な議論を展開するようになってしまったのです。だから独断論を斥けながら、みんなJ( )な真理を積み上げていくにはどうすればよいかということが課題になります。それでいよいよK( )の登場です。
問 上の( @ )〜( F )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい
ゴルギアス ノモス 普遍妥当的 懐疑主義者 ピュシス 詭弁 ソフィスト
プロタゴラス 弁論術 ソクラテス 万物の尺度は人間である 相対主義
補充 パルメニデスが分からない!?
先生:パルメニデスがさっぱりわからないという反応が多かったですね。
太郎:現実にある多様・運動・変化を否定してしまうのですから、煙に巻かれたような気になります。
花子:アナクシメネスを前提にしていますが、空気が希薄になって火になるというのも現代人の常識から言って面食らいましたから、それを前提にして、空気が希薄化することは「有らぬもの」が空気に入ったことになるからそれは間違っているといわれても、何をわけの分からないことを言ってるのだろうと思いますよね、当然。
太郎:それに現実にある多様・運動・変化を、本当にはないのだとするのはいかにも強引です。現実に有るということと本当に有る(真実に有る)ということとは、また違うことだと言いたいのでしょう、でもそういう発想は何かオタク的な感じで、現実から逃避して理屈をこねてる感じですよね。
花子:そうそうゼノンの運動否定の微分的な論理も、おもしろいことはおもしろいけれど、実際矢は飛ぶし、亀は追い越されてしまうのだから、そんなこと言っても、言ってるだけという感じがしますね。
先生:もちろん当時の人々もそういうように反発したでしょうね。それで次のデモクリトスのアトム論へと転回したわけです。ですから諸君の反発は至極ごもっともなところがあります。
太郎:まだピュタゴラスの調和とか、ヘラクレイトスの闘争などはすごく迫力があり、物ごとの本質を究めているなという驚きがあったのですが、パルメニデスにはそういう、現実との格闘からくる迫力がなくて、屁理屈だけという感じがしたわけです。
先生:それは私の説明不足や非力ということもあり、申し訳なかったですね。実際パルメニデスを説明しても高校生にはその意義までつかませるのは無理だからといって飛ばしてしまう倫理の先生も多いのですが、私は敢えて挑戦しているわけです。といいますのは、ギリシア人の精神は、「永遠に変らなく有る一つのもの」を真の実在として追い求めているのです。それ以外のものはですから真にあるものではなく、真にあるものの現れにすぎないと受け止めたのです。
花子:アルケー論でいくと、空気がアルケーとしたら火は希薄な空気で、水は濃厚の空気だということですね。
先生:その通りです。でもどれがアルケーか分かりませんね。それは感覚に囚われて見ようとするからだとパルメニデスは考えました。ですから真実にあるものは感覚で捉えるのではなく、真実に有るもの一つのものだという論理で捉えるべきだと考えたのです。そうして始めて目で見える多様や変化や運動を超えて、一つの変らない、動かない真実が有ることが理解できるというわけです。
太郎:ですから、それは言葉で言っているだけでナンセンスだってことですよ。
花子:動かない、変らない一者が有ると言って何になるのですか。
先生:西田幾多郎先生だったら、「さあ、それを考えて私も苦しんでいるのです。あなたもそのことの意味を考えてみなさい」とおっしゃったでしょうね。でもそんなことを言って、「倫理なんて嫌いだ!」と反発されても困ります。元々人間は有限であり、死に向かう存在です。そのことが最大の問題ですね。多様ということはそれぞれが相対的で有限だということです。それで互いに自己を維持し、より長く生きようとして、他の物に働きかけたり、取り込んだりしようとします。それで調和や闘争があるわけです。でも結局は生じたものは全て滅び去ります。
太郎:「パンタ・レイ」とヘラクレイトスは言いました。
先生:過去にあったものは現在にはありません。あるのは記憶や現在に存在する遺物ですから全て、現在に有るものにすぎません。
花子:現在あるものもやがてなくなりますね。だから多様な物、変化する物、動く物は真実にあるものではない、真実に有るものは唯一の不変の不動の一者だということですか。
先生:つまり我々人間は個人の身体的な人格的な我というものに自分を見出しています。それでたくさんいる諸個人の一人にすぎないわけですが、そういう個人はやがて年老いて死んでいきます。動き回り、様々に変身し、立場を変えて、もがき苦しみますが、結局死すべき運命は逃れられません。そういう個人としての自己に同一性を求めていますと、苦しみからは脱却できません。そこで自分が真実にあるものの現われであり、現実の多様の世界、生成消滅する変化の世界は、真実の一者を自分の真実の姿だとさとり、真実の一者に還るための仮の姿にすぎないと考えたのです。
太郎:それじゃあ、今、ここでこうして三人が現に対話しているのも、倫理の授業も、ファルージャの戦闘も、本当は一つの真理が現れるために誰かが考えた設定にすぎないということですか。
先生:ポリスの立場にたってもそうでしょう。みんながそれぞれ勝手に多様なものを求め、勝手に動き回り、変化させようとしたら、ポリスのまとまりがなくなってしまいます。一つの真実を求めてみんなが一つになって不動の立場で変らない姿勢を貫いていくことが求められたのです。それが一つのものが全体を貫いているという「一にして全」という精神です。これを見事に論理化したというので、パルメニデスは高い評価を受けています。人それぞれの多様を超え、時代の変化を超え、場所や立場の違いを超えて、有り続ける一つの真実、これを「普遍妥当的な真理」と言います。当時のギリシア人の表現では「カロカガチア(善美なるもの)」なのです。
はたしてこれで補充になったか、それともよけいに分けの分からないものだと反発されることになるのか、どちらでしょう?
花子:それはプロタゴラスが「万物の尺度は人間である」といったように、人それぞれでしょうね。
ソクラテス
無知の知を生むは問答産婆術鞭の血よりも苦しき術かな
花子:紀元前5世紀末に活躍し前399年刑死した、ソクラテスは、「自分はソフィスト(知者)ではなく、フィロソファー(愛知者)だといったそうですから、ソフィストに対しても批判的ですが、自然哲学に対しても懐疑的だったのでしょう。
先生:彼は自然哲学に取り組んでいましたが、自然哲学の真理は正誤が確かめられないわけですから、独断知に過ぎないと考えました。そこで彼はアポロン神殿の標語「@( )」に啓示を受けたのです。
太郎:タレスはそれをアルケーへの問いと考えたわけですが、ソクラテスは自然のことより、魂のことを考えなさいという「A( )」意味だと受け止めたのですね。
花子:魂というのはギリシア語でB( )ですから、命と同じ意味だったのでしょう。それが内面の心の意味で捉えられたのですか。
先生:弟子のC( )の対話篇の主人公がソクラテスですから、そこから類推するしかないのです。頭に入った魂はD( )で、胸に入った魂はE( )で、腹に入った魂はF( )とされています。つまり肉体という入れ物に「生命=魂」が入って、考えたり、意志を持ったり、感じたりすることが生きるということなのです。この「魂の三分説」は一応弟子C( )の説ということですが、ソクラテスもそれに近い事を考えていたかもしれませんね。
太郎:それでソクラテスの言いたいことが分かるような気がします。「大切しなければならないのは、G( )」という意味が。つまり頭・胸・腹という物体が考えたり、意志したり、感じたりしているのではなくて、D( )が考え、E( )がやる気を起こし、F( )が欲しがっているのだから、そういう魂を研いて、善く考え、善く意志し、善く感じるようにしなさいということでしょう。物体なら機械的に判断し、決定し、反応するしかないけれど、魂は研くことによって善いものになるということですね。
先生:魂を研くという捉え方は素晴らしいですね。そうすれば魂には何が備わるのですか。
太郎:それがH( )です。「徳」と訳されています。魂の立派さですね。
先生:H( )は、それを知ることと一つです。つまりI( )です。そして徳が身につくことが幸福なのでJ( )です。そして知っていても実践しなければ意味がありませんので、K( )です。この三つを強調しました。
花子:ではどのようにして魂を研き、H( )を身につければいいのですか。
先生:それはその内容をよく知って、実践することによってです。ギリシア人は知を重んじるL( )の傾向が強いのです。そこで賢人たちは、それぞれ教え込もうとしたわけですが、ソクラテスはその内容をM( )の吟味にかけ、N( )の自覚に導こうとしたのです。この方法を母の職業名をとってN( )を産むO( )と名付けました。
花子:「ソクラテスはアテネで一番賢い」というアポロン神殿のお告げがあって、無知を自認している自分が一番賢いというのは誤りであることを実証しようとして、賢人たちに議論を求めたとしていますね。ところが賢人達はM( )の吟味で、自分の議論に含まれている矛盾を認めて、自分の無知をさらけ出さざるを得なかったわけです。それで結局N( )の自覚においてソクラテスは一番賢いということになってしまったのでしょう。ということは「うちもあほやけど、あんたもあほやで」ということで、すごく非生産的な気もしますね。
太郎:そのソクラテス一流の皮肉をP( )と言います。独断的な知を退け、皆が無知を自覚して、Q( )を対話を通して積み上げようというのですから、最も生産的です。
先生:でもアテネの市民の多くは賢人たちの権威を失墜させて、アテネの文化や思想を愚弄しているように思えたのです。それでソクラテスは二つの罪で告発されましたね。
花子:R( )とS(
)
という罪です。
先生:賢人たちへの若者の尊敬を損ねると、ポリスの衰退を招くという見方ですね。そしてソクラテスがダイモニオンという内心の声に逆らえないといって対話をしていたので、ポリスの神々を信仰しないで、内心の鬼神を信仰していると思われたのです。
太郎:それにしても対話して相手の独断を暴露したから死刑と言うのはひどすぎます。
花子:有罪なら死刑にしろとソクラテス自身が要求したのでしょう。
先生:ええ、M( )による吟味ができないということは、哲学の死であり、普遍妥当的な真理が否定され、それに基づくポリスが否定されることです。それはソクラテスの存在の意味を否定することだから、死刑にしてくれと要求したわけです。でもそのような態度は傲慢だと見られて死刑になってしまったわけです。
花子:彼は逃げることができたのに、進んで毒杯を仰いだそうですね。
太郎:それは裁判というのは市民がみんな参加して、みんなで決めた判決だから、法のようなもので、これを守らないとなると、それこそポリスの共同体としての理念が否定されることになるので、ポリスの正義を守るために進んで毒杯を仰いだわけです。
先生:脱走を勧められて、G( )
と言ったのです。それにどうして死について何も知らないのに、死を恐ろしいことのように決めつけるのかと言います。もし死が眠りの一種なら、死ほど深い心地よい眠りはないし、もし魂の世界に戻ることなら、先哲たちと議論できるのが楽しみだといったのですね。
問 上の( @ )〜( S )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい
ダイモニオン 主知主義 魂への配慮 福徳一致 プラトン 汝自身を知れ
問答法
青年を堕落させた 欲望 普遍妥当的な真理 アレテー 知行合一 エイロネイア
ただ生きるのではなく、善く生きることである。 気概 無知の知 理性 知徳合一
ダイモニオンを信仰して、ポリスの神々を信仰しない。 プシュケー
プラトン1魂の三分説と哲人王政治
哲人が理想の旗を振りかざしポリス導く王となれかし
太郎:プラトンは、紀元前四世紀前半に活躍したギリシア最大の哲学者ですね。彼は師ソクラテスを殺したアテネの民主主義を恨んでいたのでしょう。
先生:プラトンがどんなにソクラテスを愛していたのかは、彼の著作がほとんど対話篇で、その主人公がソクラテスであることから分かります。貴族出身のプラトンは民主主義は好きではなかったです。その点、民主主義の為に命を犠牲にしたソクラテスとは対極的です。
花子:ソクラテスは民主主義者の殉教者だと言えるのですか。
先生:あらゆる独断や偏見に囚われず、自由に話し合って、みんなが納得できる真理を積み重ねていこうというのですから、それこそ民主主義の精神なのです。ところがプラトンは、『国家』で、「餅は餅屋」という分業の論理で民主主義を批判しています。
ポリスには理念に基づいてポリスを統治する@( )と、ポリスを守るA( )と、ポリスの産業に従事するB( )が存在するとしています。そしてそれぞれはそれにふさわしいアレテー(徳)を持っている人が相応しいというのです。統治者にはポリスをC( )(理想)に基づいて指導できるD( )に秀でたE( )が相応しいとしました。かくしてそれぞれが徳を発揮し合い、ポリスの調和が実現することがポリスのF( )の実現です。
太郎:いわゆる「G( )」ですね。そしてA( )にはH( )
の徳に秀でている人が相応しく、B( )には欲望をきちんとI( )できることが求められるのでしょう。
先生:その議論は、ソクラテスのところでお話したJ( )(魂)の三分説に基づいています。つまり頭に入った魂である理性の徳はD( )で、胸に入った魂である気概(意志)の徳はH( )、腹に入った魂である欲望の徳はI( )なのです。そしてこの三つの徳が調和して個人のF( )の徳が実現するということです。
花子:先生を真似て一首「プシュケーは頭に入りて理性なり、胸は気概で、腹は欲望」
太郎:それではもう一首「アレテーはそれぞれ何と尋ねれば、智恵と勇気と節制なるかな」
先生:それでK( )と言えばなんですか。
太郎:もちろん「智恵・勇気・節制・正義」です。
問 上の( @ )〜( K )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい
プシュケー 哲人 イデア 勇気 哲人王政治 正義 統治者 節制 軍人 智恵
生産者 ギリシアの四元徳
プラトン2 イデア論
予め頭の中に知の大樹ありて始めてものを知れるや