対談『キリスト教とカニバリズム』の補遺


 三一書房から一九九九年四月に刊行された拙著『キリスト教とカニバリズム』に関して様々な批評や感想をいただいています。中には著者の再考を促されるものもあります。それに見過ごしにできない誤解もあります。このへんでまとまった形で、きちんと応答しておくべきでしょう。そこで読者からの感想に目を通していただいた木下良雄氏に質問者役を引き受けていただだいた次第です。

受難『キリスト教とカニバリズム』
                               
木下:『キリスト教とカニバリズム』は「イエスは弟子たちに食べられて復活した」という「聖餐による復活」仮説を展開しています。感想でも「カニバリズム(人肉を食べること)」という言葉の意味を知らなかったという人が多いですね、それが読者を遠ざけているんじゃないでしょうか?
やすい:ええ、もっと単刀直入に「イエスは食べられて復活した」という書名にすべきだったかも知れません。でもある程度話題を呼べれば、かえって『キリスト教とカニバリズム』という書名の方が印象的かと思ったのです。
木下:それにしても、これはイエス復活についての全く新しい仮説だということで、もっと評判を呼んでもよさそうですが、売り出して五ヵ月、それほどまだ普及していないようですね。
やすい:三一書房の労働争議が祟っています。半年遅れでやっと四月末に発行されても、取次ぎ拒否があったり、八月末現在で新聞広告すら出ていない有り様ですから。それでも一応三一書房によると売行良好書だそうです、まだ二刷にはいきませんけれど。

聖餐による復活仮説は冒涜か?

木下:梅原猛さんの帯書もあるし、本のインパクトだけでもっと出る筈だったんじゃないですか?読者の評判はいいんですよね、「目からうろこが落ちた」みたいな感想文が多いし、なかなか興味深く読んでいますね。
やすい:ただイエス復活の新しい解釈というのは、日本人が唱えてもそれほど問題にされないところはあるかもしれませんね。これが欧米で出ていれば、侃々諤々の議論にになったかもしれません。
木下:弟子たちがイエスの肉を食べ、血を飲んだという「聖餐による復活」説は、欧米ではとんでもないキリスト教への冒涜とされて、著者や出版社の身に危険が及ぶ可能性が高いのじゃないですか。
やすい:キリスト教徒にも原理主義者(ファンダメンタリスト)がいますからね。イエスがホモだったという内容の演劇の上演が、原理主義者に脅迫されたようです。
木下:よく内容を読めば、真面目な議論だし、イエスに対しても好意的だと分かるでしょうが、標題だけでとんでもない冒涜と決めつける連中もいますからね。
やすい:ええ、最近の「人間イエス」論に基づく復活解釈に比べれば、私の仮説の方がはるかに誠実で好意的です。
木下:イエスの復活については、キリスト教会の正式の教説では、神がイエスの義を認められて三日目に復活させられたのだという説明です。その他に弟子たちの心の中に精神として復活して生きつづけているという事が復活の元の意味だという解釈が、既に一世紀からあって、異端として退けられていますね。
やすい:それはグノーシス派の解釈です。イエスの復活を体験した使徒たちにとっては、この解釈は自分たちがインチキを言って教団を拡大しようとしているという非難だと感じられたのです。それで猛反発して破門しました。命懸けの信仰で殉死も恐れず布教したのは、イエス復活という原体験をしているからです。
木下:命懸けの信仰で殉死も恐れず布教したから、イエス復活という原体験も本当に違いないというのは言い過ぎです。ウソの為に命を捨てたり、命懸けでインチキを貫くことだってあり得ないことはありません。特に宗教では命懸けだからと言って、信用してしまうととんでもないことになります。
やすい:全くその通りです。その意味では、復活体験なんてなかったかもしれません。でもイエスの処刑と、三日目に墓からイエスの遺体が消えた事件を経て、イエスの弟子たちはまさに生まれ変わったようになりました。イエス復活とイエスがキリスト(救世主)であったことを唱えて、命懸けの布教を行なうようになったことは確かで、何らかの衝撃的な体験があったことを想像させられます。ですから少なくとも弟子たちにとっては歴史的な生々しい事実だと思われる形でイエスの復活を体験したということは、かなりの確率で言えるんじゃないでしょうか。

「イエスを食べた」という指摘は攻撃的か?

木下:遠藤周作さんもそうですが、近代になって聖書の記述をそのまま全部信じ込むのじゃなくて、できるだけ合理的に解釈しようという傾向が強くなります。この傾向は、イエスの奇跡をシンボリックに捉えたりしますね。そこでイエスの復活も弟子たちの心に起こった、精神的事件として捉え返すわけです。自分たちが「復活のキリスト」として生きることがイエス復活を意味するというように。
やすい:中世には異端審問というのがあったので、教会の解釈に逆らうことは命懸けでした。現在では異端審問というのがないので、わりと自由に解釈できるようになりました。
木下:仮死状態になる毒薬を飲ませて、死んだふりをさせたというシェークスピアの『ロメオとジュリエット』のお芝居からヒントを得たんじゃないかと思われるような解釈や、イエスはインドでヨガの修行をしており、自分で仮死状態になることができたという解釈の小説が最近翻訳されましたね。
やすい:そういう解釈は先ずキリスト教圏で評判を呼んでから、日本に入ってきます。ですから私の仮説も先ず英語か何かで欧米諸国で発表されていたらよかったかもしれませんね。でもそこで誤解が怖いですね。カニバリズムタブーつまり食人タブーというのは殺人タブーや近親相姦タブーと共に、人類にとって最も重大なタブーです。キリスト教がそのような最もおぞましいタブー破りに基づいて成立したとする仮説は、キリスト教を最も激しく攻撃する仮説だと読み込まれやすいですからね。
木下:ええ?それは誤解ですか?イエスに対しては好意的な面もありますが、本書の狙いはズバリ根底的にキリスト教をカニバリズムに基づく信仰として、その本性を暴露し、解体してしまうところにあったのではないのですか?
やすい:それは大いなる誤解です。といいますのは、本書の一つの狙いはキリスト教の審判思想の批判にあります。「ヨハネによる黙示録」のような審判思想は、余りに恐ろしすぎて、宗教的対話を拒むものです。「ヨハネによる黙示録」には、イエスを救世主と認めない者は、再臨するイエスによって徹底的にホロコースト(大虐殺)されたり、未来永劫の煮えたぎる血の池に投げ込まれるという発想が含まれています。だから「ヨハネによる黙示録」が「汝の敵を愛し、汝を迫害する者のために祈れ」といわれた愛の神としてのイエス像を裏切り、冒涜しているのです。黙示録を信仰していますと、潜在意識の中で異教徒に対して激しい憎悪を抱かざるを得ません。そのようなキリスト教徒を神が義と認めて救われる筈がありません。そこで私は、「ヨハネによる黙示録」をキリスト教徒にかけられた呪いであり、キリスト教徒が救われるためにも、聖書から「ヨハネによる黙示録」を削除するように呼びかけているわけです。だからそういう提案をしておいて、キリスト教を解体しようというのはおかしいでしょう。
木下:黙示録のような教義をもっていると「オウム真理教」などに悪用されたり、異教徒の不幸を願うようになるので聖典から削除しろという、やすいさんの要求は、キリスト教の解体要求ではないのですか?
やすい:とんでもありません。あくまで宗教的対話を進め、相互の理解と相互批判を深めて、互いに高め合い、人類の融合に貢献しようという意図です。ですからイエスは弟子によって食べられて復活したというのも、あくまで仮説でして、キリスト教徒はヤーヴェによって復活させられたとしているけれど、弟子たちがイエスの聖霊を引き継ぐためにイエスの体を飲食し、そのことによる同一視倒錯で復活の共同幻想が生じたとも解釈できると指摘しているだけです。
木下:つまり神を信じている人が神の御業だと捉えるのは当然だと認めるわけですね。
やすい:ええ、ヤーヴェ神を信仰している人がヤーヴェ神の奇跡を信仰しないのは、かえって不自然です。それにもし神にイエスを肉体的にも復活させなかったとし、弟子たちもイエスの肉体的な復活を体験していなかったとしますと、初期キリスト教団は教団の勢力拡大のために、イエスが復活したと嘘の宣伝をおこなったことになります。

「屠られた仔羊」のイメージ

木下:初期キリスト教団というのはオウム真理教のようなインチキ宗教じゃなかったと言われるわけですね。
やすい:オウム真理教はインチキ宗教だから恐ろしいのじゃないのです。むしろ彼等は、自らの教団だけを真理として、それ以外はすべて間違っているとし、間違っている者とは妥協しないで、徹底的に戦うと突き詰めているところが恐ろしいんです。
木下:でも「ヨハネによる黙示録」を削除せよというやすいさんの要求は、とてもキリスト教会が呑める要求じゃないですよね。
やすい:いや「ヨハネによる黙示録」を現在のローマ法皇が信仰しているわけじゃないんです。「一字一句改めたり、削除してはならない」と「ヨハネによる黙示録」自体が警告しているので、黙示録の呪いに呪われて削除できないでいるわけでして、その非人道的な面をきちんと指摘し、批判していけば、そういう教義に固執する必要はありませんから、改めざるを得なくなります。
木下:「ヨハネによる黙示録」に関連しますが、イエスを象徴する「屠られた仔羊」が登場しますね。やすいさんは、「屠られた」という意味を「切り裂かれた」というように解釈され、福音書では、処刑に際してイエスは槍で止めを刺されたけれど屠られていないから、「屠られた仔羊」はイエスが屠られて、聖餐されたことを暗示しているのではないかと推理されています。でも「屠られた」というのは、単に殺されたという意味や、神に犠牲として捧げられたという意味でも使われますから、この表現から聖餐を導き出すのは無理があります。
やすい:「屠られた」という言葉は、「殺された」という意味の他に「切り裂かれた」という意味が国語辞典には載っています。英語では「ほふる」はslayです。「殺す」と同じような意味で、語源的には別に「切り裂く」という意味はないようです。聖書用語事典によりますと、「ほふる」というのは動物を殺す屠殺という意味と、犠牲を捧げるために清い動物を殺すことを意味します。祭儀的にはほふり方が決まってまして、喉のところから首をナイフで切断して一気に血を抜き取るわけです。イエスは槍で止めを刺されて、遺体は議員ヨセフの墓に埋葬される際に、すり替えられたというのが私の推理ですから、死後間もなく聖餐式場に運ばれたと思われます。喉の部分を切られて血抜きをされ、肉をばらされたと推理されます。「屠られた仔羊」がヨハネの幻覚に現れたのはおそらく、首を切られた姿ではなく、肉を切り取られて骨が剥きだしになっている姿だったと思われます。「殺された仔羊」の姿というのは変です、「脇腹に穴が開いている仔羊」だったとも思われません。

パンとワインによる聖餐は神の子との合一の単なる象徴儀礼にすぎないか?

木下:もし「聖餐による復活」が事実だとしたら、キリスト教徒たちがそれを知ったら、信仰が保てなくなります。だってユダヤ教・キリスト教徒の文化圏ではカニバリズムタブーは最大のタブーですから、そんなおぞましい行為によってキリスト教が成立したと知ったなら、キリスト教を棄ててしまうことになるでしょう。
やすい:確かにショックを受けるでしょうが、カニバリズムでも宗教的カニバリズムの場合は、神との合一の為に行われるのです。つまり聖霊を引き継ぐ為に神の体を食べ、血を飲み、そこに宿っている聖霊を取り込む聖なる行為です。一般にカニバリズムタブーは、共食いによる人類の衰退を予防するために設定されたものです。特別に聖化され神とされた人を食べるのは、最も聖なる儀礼だったと納得する筈です。だってミサではイエスの肉だと言って、パンを食べ、イエスの血だといってワインを飲んでいるんですから。代理的に行えば聖なる儀礼でも、本当のイエスの肉と血で行えば、冒涜だというのは説得力がないでしょう。
木下:読者の疑問でもありましたが、ミサでパンをイエスの肉、ワインをイエスの血だとするのは、それらを飲食することでイエスと一体化するためです。ですからミサの聖餐を弟子たちによるイエスのカニバリズムの論拠にするのは、論理の飛躍じゃないかということですが。
やすい:カトリック教会では正式には、パンは神父の儀礼で外見はパンのままイエスの本当の肉になり、ワインは神父の儀礼で外見はワインのままイエスの本当の血になるとされています。つまり本当のイエスの肉と血を食べ飲んでいるつもりなのです。この思想だけでも、現実にイエスの死に当たって、その肉を食べ、血を飲んだと推理されて当然です。何しろ本物の肉であり血ですからね。それを食べなかったなんておかしいのです。
木下:「ヨハネによる福音書」の「人の子(メシア=救世主)の肉を食べ、血を飲まなければ永遠の命は得られない」という言葉やミサでの聖餐は、イエスを死後神聖化する過程で、神となったイエスとの合一を目指して語られた言葉であり、行いだったという解釈もありますね。つまりイエス自身は自分を神の子ともメシアとも考えてなかったという解釈です。
やすい:人間イエス論ですね。たしかに現存する「ヨハネによる福音書」は完成原稿は一世紀末に書かれたものですし、教団としてイエスの神格化を押し進めたことはあったかもしれません。でも聖餐を行うのはイエスに宿っていた聖霊を引き継ぐ為です。人間イエス論の立場の人は、「マルコによる福音書」を現存の福音書で最もイエスの原像に近いとしています。ところが「マルコによる福音書」は、悪霊退散の奇跡が目白押しなんです。悪霊をイエスが退散できるのは聖霊が宿っていたからです。ですから聖霊のつきもの信仰をイエスがしていたことは、否定できない筈です。聖霊信仰でイエス教団が結びついていたとすれば、聖霊を引き継ごうとする信仰があった筈でしょう。それが聖餐による聖霊の移転です。これはカニバリズムタブーに抵触するので、秘儀になって、文書化できなかったので、一世紀末まで福音書に書かれなかった可能性が強いのです。

イエスを食べた人は食べられなかったか?

木下:なるほど、でも学生のリポートにはこういう疑問も多かったですね。イエスを弟子が食べて聖霊が、イエスから弟子たちに移転したとすると、今度はその弟子たちの聖霊を移転する為に食べた筈じゃないか、という疑問です。でもそういう話は残っていません。それにイエスが聖餐を思いついたのは、イエス自身がだれかの聖餐をしたからじゃないかとも推理できますね。例えばバプテスマのヨハネとか。
やすい:もちろん推理としては、その可能性もあります。そしてイエスの聖霊を引き継いだ弟子に対する聖餐も考えられます。しかし聖書に基づいての推理じゃないですから、本には書けません。それにカニバリズムタブーが強烈な中で、聖餐を繰り返すのは無理があります。秘儀が露見したら、それを理由に皆殺しに遇いかねませんから。パンとワインの聖餐で満足したんじゃないでしょうか。ただクリスチャン・ネームなどに使徒たちの名前を引き継ぐ慣習がありますが、その起源が古ければ、名前を引き継ぐことで聖霊を引き継ごうとするもので、聖餐の名残とも、代わりとも受け取れます。バプテスマのヨハネは、サロメの要求でガリラヤの領主ヘロデに処刑されて、頭蓋骨はサロメに引き渡されています。胴体は弟子に引き取られたとすれば、聖餐の可能性があるわけですが、聖書にはそれを窺わせる記述は皆無です。それにバプテスマのヨハネが聖霊信仰をしていて、悪霊払いをしていたなどという話も残っていません。
木下:イエスにヨハネが洗礼を授けた時に聖霊が鳩になって下ったとありますから、ヨハネが聖霊信仰をしていた可能性は高いでしょう。
やすい:それだけでは資料不足です。それにカニバリズムタブーが強烈でしたから、軽々しく論じるべきではありません。イエスが自分に聖霊が宿っていると確信したのは、聖餐によると思われる記述はありません。むしろトーラーによる呪いを解き、神への愛と隣人への愛に生きることに信仰を集約できたので、イエスにすれば、この地の群れ(民衆)を解放できる発想は、聖霊が宿ったから生じたのだとしか思えなかったのです。

イエスを食べたからといって復活が体験できるのか?

木下:読者の反応ですが、カニバリズムに対してはあまりアレルギーがなくて、あり得たことだと思っている人が、復活体験についてはあまり現実味を感じていないようですね。
やすい:日本の葬式では「骨噛み」という風習があって、身内の人の骨を噛むというカニバリズムの名残があります。これは五木寛之の『青春の門』にも出てきます。それに最近はグリム童話の中のカニバリズムが注目されていることもあります。宗教的カニバリズムが現実的にありそうだと受け止められてしまいますと、肉を食べ、血を飲んだことぐらいで、イエスの復活を体験できるというのは飛躍だということになります。
木下:それにほとんどの日本人はキリスト教を信仰していませんから、復活の奇跡というのは、眉唾だと思っています。一般に宗教というのは騙しなんだと考えている人が多いんじゃないでしょうか。それで、イエスが復活したといって民衆を騙してキリスト教団ができたんだという決めつけを、大部分の日本人はしていますから、どうして復活体験が起こったかなんて問題の立て方が、キリスト教会のウソに嵌まってしまった議論だとされるのです。
やすい:そういう捉え方だと身も蓋もないですね。やっぱり私は梅原猛の想像力の弟子なのかもしれません。ユダヤ民族の宗教的なエナジーは凄いんです。そしてイエスはその中でも素晴らしい宗教的な天才なんです。弟子たちはそれに心酔していたと思われます。そしてイエスの聖霊を受け継ごうと、イエスの指令に従ってイエスの肉と血を飲食して、その結果、イエスの肉体的な復活を目の当たりにするという復活体験をしたわけです。
木下:下里正樹さんの『月刊状況と主体』(一九九九年七月号)掲載の書評で、ドラッグを使った結果、聖餐の直後にイエスの復活を体験したんじゃないかという推理がありますが、その方がありそうですね。三日目の食事の時にイエスの甦った姿を見たなんていうのは、何だか幽霊話に近いような気がします。
やすい:下里さんのジャーナリストとしての鋭い嗅覚には感服させられますね。あの書評があまりに熱が籠もっていたので、ドラッグを使用したことによる復活幻想説を私が唱えているという誤解をしないように願います。ドラッグを飲んで幻想を見たとしますと、それをドラッグのせいだと捉える可能性があります。ですから復活体験の衝撃も割引されてしまいます。それに三日目の復活ということが弟子達にとって大切だったようですから、あえてドラッグ説は採用しません。これはバイブルの史料価値をどう評価するかにもよりますね。私の方法論では、バイブルに虚飾の部分の存在は認めながらも、できるだけ宗教的体験の真実を伝えようとしていたと捉えます。そうすると最初の日にあった復活体験を三日目にずらす必然性はないわけです。

復活体験と二重人格症状

木下:しかしドラッグを使わなくても、果たして弟子同志が互いにイエスと見間違えるなんてことがあったでしょうか。
やすい:強烈なカニバリズム・タブーを犯したことの精神的緊張は測り知れません。カニバリズムを当然みたいに見なしていると、復活なんて眉唾だと思われるのも無理はないわけです。イエスを食べたという仮説は石塚正英さんも唱えておられますが、どうもだからといって復活体験がそれによって起こったことについては、慎重なようです。
木下:聖餐を行った弟子たちが互いにイエスと錯視したというのは、それならほんの一時的で、すぐに錯覚だったと気付く筈じゃないですか?
やすい:イエスの聖餐は神の子を食べたのですから、神との合一体験なわけで、全能感が異常に高まります。その結果イエスの復活を望む心が、イエスに似た仕種や表情や声に、あるいはイエスのような気高い態度や話振りなどをきっかけにして、その人をイエス自身だと錯覚してしまうのです。自分の中にいるイエスが自分の口を通して語りだす体験もあった筈ですが、それは二重人格症状ですから、本人は復活のイエスに成っている時の自分の記憶は思い出せないのです。
木下:太ったイエスややせたイエス、若いイエスや年配のイエスが現れて変だと気付くでしょう。
やすい:異常な興奮状態ですから、そういうおかしな点については、どうでもよくなるんです。マグダラのマリアは、園丁をイエスの幻聴をきっかけにイエスと思い込みました。これが最初の復活体験です。イエスの親戚で弟子のクレオパが、エマオで、食事の際にカニバリズム体験を潜在意識の中で刺激されて、道であって同じ宿に泊まった気高い話をする人を、復活したイエスと見てしまったのです。これらの体験も、神の子を食べたことによる異常心理と見なせば共通性があります。
木下:イエスの弟ヤコブがイエスそっくりだったので、エルサレム教会でペトロが実権を失った後、イエスの後継者として教会の実権を握っていたという話を聞いたことがあります。ですから弟ヤコブがイエスそっくりだったので、復活のイエスと見間違えられたという可能性もありますね。
やすい:ええ、弟ヤコブがどの時期からイエス教団に参加していたのかがはっきりしませんが、復活の日曜日の前の日曜日にエルサレムにイエスたちが乗り込んだ時に、既に参加していたとしますと、イエスを食べた中にいた可能性が高いでしょう。そうしますと弟ヤコブが二重人格症状で復活のイエスを無意識に演じていた可能性が高いのです。
木下:弟ヤコブだと背格好や年齢や風貌もイエスに似ていたでしょうから、弟子達がお互いにイエスと見間違えるという可能性より、弟ヤコブを他の弟子達一同がイエスと見間違えたと考えた方がずっと現実味が感じられます。
やすい:弟ヤコブはエルサレム教会を代表していた時には、メシアと呼ばれていたそうですからね。でも弟ヤコブの動静が明確じゃないので、そういう限定は避けたのです。それにマグダラのマリアが園丁をイエスと思い込んだり、クレオパが旅人をイエスと見間違えたりしている例もあるので、弟ヤコブに限定する必要はないのです。
木下:実験的に試すことが不可能ですから、やすいさんの一つの解釈にすぎませんね。それに復活譚というのは、それらしいものを沢山作れるわけでして、バイブルの記述にこだわるというのはどうでしょう、かえって不自然ではないですか。
やすい:もちろん仮説にすぎません。そしてイエス復活を集団的に体験したのは、大いに不自然な事です。イエス自身も聖霊が移転して、弟子たちの中に生きつづけるという意味で自らの復活を予想していたのです。これなら神がイエスの肉体を復活させなくても起こりうる復活体験だったことになります。でもどうでしょう、それならまだ驚きは不十分だと思うのです。それにイエスが自分の体の中にいるという実感は、次第に薄れるかもしれません。
木下:ところが予想を上回る、肉体の復活という奇跡体験が起こったという仮説ですね。
やすい:ええ、イエスの人格が聖霊を引き継いだという思いによって、弟子たちの中で弟子たちの人格を圧倒して現れるのを体験するわけです。これは精神病的には二重人格症状です。それで本人は無意識だから分かりませんが、それを見た他の弟子にはイエス自身に見えるわけです。
木下:「二重人格症状」という指摘は『キリスト教とカニバリズム』になかったですね。見る方も、聖霊を宿しているので、全能意識が異常に高まっています。だから少しでもイエスのように見えたらイエス自身に見えてしまうというわけですね。このやすいさんの仮説が当たっていたとすると、キリスト教徒はイエスの復活を共同幻想によって信じ込んでしまっていることになりますね。
やすい:それは共同幻想にすぎないと捉えればその通りです。でもそういう共同幻想を引き起こすような聖餐を実行させたのは、イエスの宗教的天才でして、そういうことを考えつき成功させるというのは奇跡的なわけです。ですからそこに神の力が働いているという解釈をしてもいいわけです。その意味では、イエスの復活を精神的な意味でしか認めない一部のキリスト教徒よりも、バイブルに忠実に解釈しているわけです。
木下:バイブルに忠実な解釈といいましても、バイブル自身がキリスト教団の置かれた環境によって教団を守り、拡大するのに都合が良いように書かれ、修正された内容になっているわけですから、忠実な解釈が正しい解釈だとは言えないでしょう?実際聖書考古学から言えば、バイブルの内容が史実と食い違っている場合が多いんでしょう?
やすい:確かに処女マリアに聖霊が宿って、イエスが生まれたというのは、イエスが神の子だったというイエス神格化の動きによって、後で創作されたものです。イエスはヨセフの実子でないと、ダビデ王の子孫からメシアが出るという預言と食い違いますから、生前には処女懐妊なんて考えつく筈はないんです。その意味でバイブルに様々な創作があることは否定できません。それでも処女懐妊の話は、イエスに聖霊が宿っていたという信仰をよく表しています。

悪霊退散の演劇的パフォーマンス

木下:悪霊役者による悪霊退散劇というのは、なかなかおもしろい解釈です。イエスは様々な病気で苦しんでいる人々を、悪霊払いによって治療します。これはトーラー(律法)を守れていないことからくる罪の意識から、民衆が深い絶望感を抱いていて、それが悪霊となってとりついて病気を引き起こしているように思われているので、その民衆の意識にあわせて、イエスが悪霊を払ってやったと言えば、その精神的重圧から解放されて、病気も癒されたというように解釈されてきましたね。つまりイエス自身は悪霊がとりついているとは思ってないんだけれど、民衆の気持ちを理解して、悪霊を払ったと言ってやったというわけです、あえてね。ところがやすいさんは、イエス自身が悪霊や聖霊の存在を信じていたとしています。ところが霊というのは目に見えないから、悪霊を退散させたよと民衆に言っても信用されないので、弟子たちに悪霊役をやらせて、悪霊退散のショーを見せたというわけです。それが民衆に大いに受けて、イエス教団が膨れ上がったという推理ですね。でもかなり想像で筆が走ってるような印象を読者に与えているようですね。
やすい:何故イエス教団は一時的にしろ爆発的な人気を呼んだのかということです。それは一つは「山上の垂訓」のような民衆の魂に響く説教によります。でも言葉だけでは民衆は信用しません。メシアの証を見せなければならないわけです。そこで悪霊退散の奇跡を行うわけですが、悪霊をただ払ってやったよというだけでは民衆は信用しません。信用しないと直る病気も直りません。そこで実際にバイブルで出てくるような悪霊を弟子に演じさせれば、「論より証拠」で信じ込みます。それで民衆はイエスに悪霊払いをしてもらうことになったのです。
 これまでの合理的な解釈だと、悪霊が登場する悪霊払いの場面は全くの後からの作り話ということになります。でもそうだとしますと、イエスが民衆に爆発的に受けたということの説明がつきません。バイブルの内容から、彼等の宗教活動のやり方が読み取れる筈です。ただ悪霊役者を弟子たちが演じていたことは秘密だったので、福音書には書けなかったのです。
木下:そうしますとイエスは、大詐欺師だったことになりませんか、麻原彰晃と大同小異だということになるでしょう。
やすい:イエスは騙しているつもりは全くありません。麻原のように詐欺的な意識はないのです。いかに民衆に聖霊による悪霊退散が行えることを理解してもらうかという意識で行ったわけです。
木下:でもただの漁師たちが悪霊役者を演じられるかどうか疑問ですね。
やすい:ガリラヤは、エルサレムから百キロメートルも北に行った、いわば辺境の地のように思われています。ナザレの村の大工というのはそんな片田舎でどんな仕事をしていたのかと思いますね。私も本書の執筆中にはそういう辺鄙な土地としてガリラヤをイメージしていたのですが、イアン・ウィルソン著『真実のイエス』(紀伊國屋書店)を読みますと、それは大いなる誤解だったのです。ガリラヤは豊かな田園地帯です。しかもイエスの実家があったナザレ村から4マイル離れた所に、セッフォリスというガリラヤの首都があって、そこに大通りや様々な建物があり、4千席の大劇場があったのです。それでイエスの父やイエスの仕事も劇場の床張りをしていたという説もあるようです。それでイエス自身がギリシア劇の愛好者だったとも言われています。ギリシア語もある程度話せたのではないかという説もあるのです。
木下:それじゃあ、悪霊芝居など簡単に見破られてしまいませんか。
やすい:だからナザレでは失敗していますね。イエスは悪霊芝居の発想を演劇から得たと思いますが、トリックの要素が強いので、トリック面での工夫次第でなかなか見破られなかったのではないでしょうか。成功したのは結果論から言って確かです。もちろん普通に考えれば、そんなことはできっこないわけです。奇跡というのは不可能を可能にすることです。ですからこれは奇跡のようなものです。イエスは弟子たちを徹底的に特訓して悪霊役者に仕立て上げたのです。もしこれがアイデア止まりで、大根役者のまま実行すれば、ばれてしまって、皆殺しにされていたかもしれません。民衆を救う道はこれしかないと確信した上で、命懸けで取り組んだ結果成功したのです。

イエス教団のエリート的タレント性

木下:その結果、悪霊を演じた弟子というのが一般信徒と区別されたエリート層を構成することになるんですね。彼等は教団の秘密を共有しているわけです。そして彼等がイエスの遺体をすり替えたり、聖餐の儀礼を行ったり、三日目に墓を暴いたりするわけですね。そしてイエスの復活を共同幻想的に体験したというわけでしょう。
やすい:ええ、ある程度奇術的でアクロバット的なパフォーマンスができる相当訓練された集団でした。秘密の共有によってイエスへの帰依も相当高いレベルだったわけです。聖餐も悪霊芝居と同様、凄い精神的重圧をはねのけて行われたものです。カニバリズムタブーの厳しいユダヤ文化の中で行うのですから、相当の覚悟が必要です。そういう精神的重圧をバネにして、彼等は演劇的奇術的アクロバット的なアーチストとしての技を洗練させることに成功したのでしょう。
木下:そりゃあ素晴らしいですね、本当にそれができたら。イエスに対する聖餐も、ある意味で、できっこないことだけど、ペトロを中心に儀礼としての式次第を整え、聖句や聖歌、白い布、花の香りその他の環境を整えて見事に演出した結果成功したというわけでしょう。何か話が出来すぎているような気もしますね。
やすい:世界史を紀元前、紀元後に二分するような大事件なんですよ、イエスの復活によるキリスト教団の成立という事件は。確かにできっこないような事だったけれど、それができたからこそ、キリスト教が成立したんです。弟子たちはイエスの肉を食べ、血を飲むことで聖霊を引き継げると信仰したのです。それはイエスがただの人だったら、他人の血が混じったのですから、審判の日に甦ることができなくなるような行為です。それに最大のタブー破りです。でもイエスに聖霊が宿っていると信仰しているのなら、聖霊によって守られる筈の行為であり、永遠の生命に与る行為です。そして全人類がそのことによって救済される筈の行為ですから、良心の命令で逃れられない行為だったんです。それを彼等は、自分たちのタレント性を最大限に発揮して成功させたと思われます。

最後の晩餐は過ぎ越しの食事?

木下:福音書の矛盾ですが、マルコ・ルカ・マタイの各福音書では過ぎ越しの祭りが始まる日に最後の晩餐をしたとありますが、ヨハネによる福音書だけは、処刑のあった日の夕方から過ぎ越しの日が始まることになっています。当時のユダヤでは夕方から一日が始まるのでややこしいですが、いったいどちらが正しいのでしょう。
やすい:イエスが金曜日に処刑されたという解釈では、一致しているのですが、その日が過ぎ越しの前日だったか、第一日目だったかで福音書間にずれがあるわけです。もし金曜日が過ぎ越しの第一日だったとしますと、最後の晩餐は夕方から始まった金曜日の夕食にあたるわけですから、これが過ぎ越しの食事だったことになります。でもそうしますと安息日と過ぎ越しの第一日が重なりません。これはイエスの没年とされる紀元後三十年の暦と合わないのです。ヨハネによる福音書の通り、処刑の金曜日が過ぎ越しの前日だったとしたら、紀元後三十年の暦と合致するのです。
木下:資料的に見て、ヨハネによる福音書は一世紀末にできたもので史料価値が落ちるのではないでしょうか。マルコによる福音書の方が古くて史料価値が大きいとすると、そういう大事な日時を過ぎ越しの前日だったか、当日だったか間違えるのはあり得ないのじゃあないでしょうか。
やすい:実は『真実のイエス』によりますと、「ヨハネによる福音書」の断片で、紀元後五十年以前のものが出ています。「ヨハネによる福音書」の内容を全く史料価値がないとする説は、必ずしも説得力がないんです。ルカ・マタイの各福音書は、「マルコによる福音書」に基づいていますので、「マルコによる福音書」の誤りがそのままになった可能性があるようです。もちろん「ヨハネによる福音書」が演出的にイエスを過ぎ越しの食事に出す犠牲の仔羊になぞらえる為に、処刑の日時を過ぎ越しの祭りの前日の昼に設定したいう可能性もあります。でもそうしますと、紀元後三十年の暦と合致しなくなります。
木下:でも最後の晩餐が過ぎ越しの食事をしたという「マルコによる福音書」の記憶はリアリティがあるでしょう。
やすい:だから最後の晩餐に過ぎ越しの食事をしたので、その日が過ぎ越しの第一日だったことにしたのではないでしょうか。としますと最後の晩餐が、イエスに対する聖餐の予行演習だったとする私の仮説にピッタリくるのです。
木下:金曜日の夕方は、過ぎ越しの第一日ではなかったけれど、翌日の過ぎ越しの日にイエスを食べる練習の為に、わざわざ過ぎ越しの食事にしたということですか。としますとイエスは翌日に処刑されることを予想していたことになります。でも逮捕されることは分かっていても、速決で死刑が決まって、すぐに処刑されることまで予想できなかったでしょう?
やすい:いやそういう意味ではなくて、過ぎ越しの食事では「屠られた仔羊」をいただくことになっているのです。イエスは自分が犠牲の「屠られた仔羊」になることを予想し、その際には弟子達に聖餐してもらおうと思っていましたから、その食事としては「過ぎ越しの食事」が相応しいと考えて、その用意をさせたわけです。
木下:それが最悪というかドンピシャというか、最後の晩餐の後でオリーブ山に行き、ゲッセマネ(油絞り)の洞窟にいるところをユダの手引きで捕らえられ、即刻サンヘドリン(最高法院)の裁判にかけられ、死刑が決まり、総督ピラトの元に送られ、さらにガリラヤの領主ヘロデに回され、また総督ピラトの元に戻され、最後にバラバかイエスかどちらを恩赦にするかで人民に選ばせたところバラバが恩赦になり、イエスの処刑が決まって、その日の内に執行されてしまったわけです。それは犠牲の仔羊が屠られのとほとんど同じ時刻ですね。そして夕刻からは過ぎ越しの第一日で、「屠られた仔羊」が食べられるのとほとんど同じ時刻にイエスも食べられたということですか?あまりに筋書き通りみたいで気持ちが悪いですね。
やすい:そういう背景があって「ヨハネによる黙示録」ではイエスは「屠られた仔羊」と呼ばれているのです。もちろんヨハネが話をうまくするために、処刑を過ぎ越しの日が始まる数時間前に設定した可能性もあります。その場合でもイエスに対する聖餐が行われたという仮説自体は揺らぎませんが。

イエスはどこで食べられたか?

木下:問題はイエスがどこで食べられたかです。最後の晩餐は神殿の近所の上市街の大邸宅で行われていますから、そこにイエスを遺骸を運んで食べたとは考えられません。
やすい:そうですね。イエスの弟子たちも犯罪者の一味扱いですから、監視の目をかいくぐって、イエスを密かに運び出し、極秘裏に聖餐式を挙行するのはかなり困難を伴ったでしょう。どこで食べたかは分かりません。おそらく下市街にもアジトがあったのでしょうね。エルサレム全体は南北千五百メートル、東西六百メートル以内の範囲内に納まりますから、どこへでも運べない距離ではありません。仮装やトリックは十八番の連中でしたから、なんとかしたとしか言いようがありません。
木下:弟子達はイエスが捕らえられてから、ガリラヤに逃げていたのではないのですか?
やすい:それはありません。イエスに対する聖餐の為にユダ以外の使徒はエルサレムに残ります。日曜日の朝に墓を暴いて、イエスがあたかもその時まで墓の中にいたかのトリックもしたのです。実際に日曜日の食事の時にイエスが復活したのを使徒達は全員でエルサレムで見ているわけですから、ガリラヤには逃げていないのです。
木下:墓を暴いたのが安息日の翌日の日曜日の朝だとしますと、それまでイエスは墓の中にいて、日曜日の昼食か月曜日の夕食にイエスを食べたことも考えられませんか?その頃ならまだ腐っていないでしょうし、死後硬直も解けていたから食べ頃だったのではないですか。
やすい:そうしますとマグダラのマリアやクレオパの見たイエスというのは時間的に余裕がありません。それに弟子達に現れたイエスも早過ぎます。イエスの肉が消化され、聖霊が食べた人の中で人格的に圧倒するのは、やはり少なくとも三十時間から四十時間程かかるのではないでしょうか。それまでは聖餐を行ったことの興奮と不安で胸が一杯だったでしょうから。

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