ラボール学園講義

 

         疎外論を考える

 

前篇 マルクスの疎外論
やすい ゆたか

                  1 疎外とは何か

人間論講座の中で、私の担当は「疎外論」です。人間が人間たる本領を発揮できなくなって、人間性を喪失している状態、たとえ凄い力を発揮していても、それを自己自身の能力発現としてとらえられなくなった状態が疎外です。

せっかく人間として生まれてきたのですから、存分に人間として自分の能力を発揮し、それで社会に必要な物やサービスを生み出し、また自分の生活に必要な物やサービスを社会から提供してもらえないと困ります。

実際、現在、能力はあっても仕事が無い人で溢れていますね。仕事にありつけても正職員ではなくて、パートやアルバイター、派遣社員という場合が多く、劣悪な労働条件で働かされている人がどんどん増えています。

小林多喜二著『蟹工船』が最近ブームになりまして、二〇〇八年の一年間だけで、劇画版も入れますと八十万部も売り上げたそうです。漁船の中で蟹の缶詰などを作る作業ですが、大変過酷なわけですね。ですから現代の労働者が『蟹工船』での戦いにこれほど共感するということは、かなり劣悪化が進行している現状を反映しているのでしょう。

                 2一九六〇年代と疎外論

我々の世代、終戦直後生まれの世代は学生時代にマルクスの『経済学・哲学草稿』を読みまして、その疎外論に大変惹かれました。一九六〇年代の後半が大学生活の時期だったのですが、高度経済成長の真っ最中でして、生活水準はどんどん良くなっていっていたのですが、社会の歪みも大きくなりまして、経済の二重構造、公害問題の深刻化、ベトナム戦争などもありました。

特に私の住んでいました大阪市大正区などは大気汚染がひどくて、小学児童の3割が喘息患者だったのです。家の近くの尻無川に行きますと、すごく油が臭うのです。そしてブクブク泡が出てるのです。何かのきっかけで火がついたら河が炎上するのじゃないかと思いましたね。これも疎外なのです。人間が生み出した汚染物質で大気や河川や海が悲鳴をあげているのですから。

                3「阻害」と「疎外」

邪魔するみたいな意味の「阻害」という言葉がありますね、「疎外された状態」というのは人間としての類的な能力の発現を「阻害された状態」ともいえますので、相通じるところもあり、それで混同される場合もありますから、気をつけてください。

阻害される場合は、何者かに阻害されているわけで、行為の主体は他者ですが、「疎外された状態」の原因は自分自身の行為の結果です。つまりこれまで様々な苦しみがありますと、その原因を社会のせいだとか、環境のせいだとか、親のせいだとか、学校のせいだとか、会社や資本家のせいにしてきたわけですが、まあそう言える部分は大いにあったとしても、究極、自分自身が生み出したことではないか、自分が日々行っている行為が招いているのではないかと主体的に捉え返すのが「疎外論」なのです。つまり自分自身の問題として自己のあり方を考え直そうということです。

             4憎しみの思想としてのマルクス主義

  疎外論に接するまでは、歴史は階級闘争の歴史だというわけで、虐げられてきた階級が目覚めて、支配者階級を打倒していくというので、被害者意識が強かったわけです。そして支配者というのは強欲な資本家とか地主ですね。いつかは倒してやるということで「憎しみのるつぼに赤く焼くる鉄(くろがね)の剣を打ち固めよ」という「憎しみのるつぼ」という革命歌があったくらいです。それでマルクス主義は憎悪の思想だと批判する人もいます。

           5ヒューマニズムとしてのマルクス主義

しかし戦後は平和と民主主義の時代ですし、右肩上がりの経済成長を遂げ、科学技術の進歩もあって明るい豊かな未来を思い描いていたわけです。それには資本主義では富の不均衡や景気変動、失業や厳しい搾取があり、戦争や公害も引き起こすというので、体制変革も必要だというように捉えていたわけですから、憎しみでやるのは嫌だったわけです。むしろ資本家も体制の犠牲者ではないか、彼らも生き残りのために非情にならざるを得なくなり、人間性を失っているのだ、だから資本家を疎外から救い出すためにも、革命は必要だというように考えたかったわけです。

ようするに憎しみではなく人間愛つまりヒューマニズムとしてマルクス主義を捉え返したかったのです。その願いに応えてくれたのがマルクスの『経済学・哲学草稿』の「疎外論」なのです。

疎外論では、商品・貨幣・資本にしても、具体的な建築物や乗用車や衣服や食物にしても人間の労働で生み出したものです。人間能力を事物として実現したものですね。それは人間自身の姿を事物に表現しているわけで、それを対象化といいます。ですからそれらの富の集合としての社会は人間自身の姿を物の形で表しているので、自己自身の対象化として状況や社会を主体的に捉え返すわけです。ですから事物や社会的現実の中に自己を見出そうとするわけですね。でもそれらの中に,自己の実現を実感できなかったら、自己の喪失を感じ、疎外感にさいなまれるということです。

                   6実存主義と疎外論

それで疎外論は、実存主義と共鳴するところがあるのです。二十世紀の実存主義はフッサールの現象学の影響を強く受けていまして、人間が認識できる内容は、あくまで人間の意識現象でしかないわけです。ですから、いかに主体にとって外的で、自己に疎遠な事物や状況に見えていても、それは自己自身の意識であり、自己の対象化された姿だというわけですね。ですから状況が自己に疎遠なものとして自己を押し潰そうとしていたら、それを変革しようとする状況変革は、主体自身の意識変革であり、状況に対する否定は自己否定に他ならないということなのです。

学生時代に新左翼系の活動家が盛んに「自己否定!自己否定!」と叫ぶので、何故状況変革を唱えているのに、自己否定なのかというのか理解しずらかったのを憶えています。

この実存主義と疎外論が結びつきますと、疎外は主体の行為に伴うとされるので、対象のどこをどう変革するのかという問題よりも、疎外をもたらした主体の在り方を問い直そうということになり、体制よりも反体制、敵よりも味方内部の問題が突詰められ、運動の指導部や組織の執行部の責任が追求されたり、逆に個々のメンバーの精神的な弱さや主体性が問い返され、互いにスポイルしあうことにもなりかねません。

それで疎外論を若きマルクスがマルクス主義を確立するまでの未熟な理論として、マルクス主義から排除しておこうとする傾向が国際共産主義運動の中では強かったのです。

                   7疎外論の流行

実はマルクスは、一八四四年に疎外論を熱ぽく語っていたのに、翌年『フォイエルバッハ・テーゼ』を書いた頃から殆ど「疎外」というタームを遣わなくなっていたのです。そして晩年に経済学批判を行なった時期にはまた遣っているのですが、それはもう重要なタームではなくなっているのではないかと解釈されまして、一九三二年、アドラツキー版『マルクス=エンゲルス全集』において、『経済学・哲学草稿』の表題のもとに公刊されるまでは、「疎外Entfremdung」というタームは全く忘れられていたのです。

これに注目したのが西欧マルクス主義のルカーチやフランクフルト学派、そしてアメリカ社会学や実存主義ですね。いずれも人間が作り出した機械システムや経済機構、社会機構、国家機構などによって、人間が支配され、無力化され、主体性を喪失し、人格が崩壊しているという批判です。特にパッペンハイムの『近代人の疎外』(岩波新書)は名著でして、世界中で爆発的に売れたようです。

それでソ連のオイゼルマンという御用哲学者たちは、これは資本主義批判としては、なかなか強力な武器になるということで、資本主義批判に限定して疎外概念を使用しようとしたのです。それが『歴史的概念としての疎外』です。これを日本では社会学者の樺俊夫さんが『マルクス主義と疎外』というように改題して翻訳し、出版しています。

つまり疎外概念をソ連・東欧などの現代社会主義体制に対する批判として遣われないようにしておこうと考えたのです。

マルクスは確かに眼前の資本主義に対する分析から疎外の現実を解明していますが、あくまでも私的所有(私有財産)の運動として捉えていまして、私有財産や商品生産が残存する限り、疎外はなくならないとしていたのです。

特に資本主義企業に代わって、国有企業が支配的となり、それが党と官僚が恐怖独裁で支配するような体制では、資本主義以上に厳しい疎外になることは必定です。ということは疎外論は資本主義だけでなく、官僚的な社会主義を批判できる論理としてジャーリズムからも熱い支持を受けて、これこそ疎外だと決め付けることで、するどい論評ができたかのように思う風潮すらできていたようです。

                   8五月革命の挫折と疎外論の破綻

疎外論で捉えますと、大学や教育制度も大いに問題があります。人間の類的本質の中で理性が決定的に重要であることはいうまでもありません。そして理性を磨き真理を探究し、真理に基づいて社会を改革し、科学技術を発展させるべき学問の府である大学は、高度産業社会に必要なサラリーマンという労働力商品の製造工場になり、人間を物化、商品化する資本主義の供給工場に成り下がっているではないか、この大学の疎外を告発し、大学を解体して、真の学問の府に取り戻さなければならないとか、疎外論的発想で体制の補完物と化した大学批判が行なわれたわけです。

中には真理追究とか学問という発想自体が疎外じゃないかという批判も出され、反学問とか反哲学というラジカル(根源的)な問いかけまでおこなわれたのです。しかし彼らとてどのように変革すればよいのかという具体案があったわけではありません。だって疎外されないあり方を問い始めると、マルクスの疎外論が私的所有をなくなければ、疎外はなくならないという発想ですから、様々な案が飛び出して、どれも皆が納得できる案が出るわけがないわけですから。

結局、日頃のマスプロ化した大学に対する不満をぶつけ合うだけで、後は過激に校舎をバリケード封鎖して、警察権力と衝突して玉砕するしかなかったわけです。当然、疎外を告発して、権力と激突し、民衆を覚醒させて社会を変革するという目論見は、単なるガス抜き効果に終わってしまいました。

疎外、疎外といって現実を全否定しても何もならないので、現実のシステムの中で社会が機能し、その中でやっていけていることを認めた上で、それがよりよく機能するために何が出来るかというように考えた方がいいということになって、疎外論的なそもそも本来こうあるべきという本質論的批判は建設的でないということになっていったのです。

 こうして疎外論は衰退し、実存主義も息の根を止められ、「人間の死、言語の支配」というフーコーの言葉に象徴される構造主義の時代に入ったのです。

                  9疎外論払拭説の復活

一八四五年に『フォイエルバッハ・テーゼ』や『ドイツ・イデオロギー』でマルクスは「哲学的良心」としての疎外論を払拭し、唯物史観を確立していわゆるマルクス主義者になったという説を復活させたのが、フランスでは構造主義的マルクス主義と言われたアルチュセールであり、日本では廣松渉です。時期的には一九七〇年前後ですね。だから学生叛乱とその挫折の時期と重なります。

アルチュセールは、疎外論を払拭することでマルクス主義は、ヒューマニズムから科学になったとし、廣松渉は、疎外論を払拭して物象化論に転換したというのです。それは廣松の解釈では、主観・客観的認識図式を超克して、物的世界観から事的世界観に転換したことを意味するのだというわけです。私は廣松渉論で一冊書いています。廣松シューレ(学派)以外で廣松論で一冊書いたのは私ぐらいでしょう。もっともPDF版ですが。
(『やすいゆたか著作集 第十四巻《廣松渉》論集』です。

http://www42.tok2.com/home/yasuiyutaka/shoin/hiromatsu.pdf

確かに、「疎外」というタームがめっきり遣われなくなったとしても、後期には使用例がいくつもあるわけですから、それを一つずつ調べて、疎外論が本当に払拭されているといえるか、実証しなければならなかったはずですね。その点払拭論者は詰めが甘いようです。アルチュセールは後期マルクスの疎外の使用例を示されて、マルクスよりレーニンだとか、毛沢東の矛盾の重層的決定の立場の方がいいと言い出す始末です。

廣松も自説に絶対の自信があるように言ってましたが、『資本論』などの使用例は、マルクス自身の思想として疎外論で『資本論』を展開しているものではないと決め付けているだけです。具体的に個々の使用例とその文脈上の意義をきちんと論証できていません。

実は私も廣松の払拭説を一時支持していたのですが、それならきちんと総ての使用例で検証してみなさいと研究会で迫られまして、やってみますと疎外論が経済学批判ではやはり重要な視点になっていることが確認できたということです。それで、疎外論の再評価をしまして、やはり人間の類的本質が人間自身の行為によって損なわれている事態を批判し、疎外を超克することは非常に重大な意義があると、一九八〇年代後半から疎外論復権の旗振りをやってきたわけです。

笛吹けど踊らずでなかなか、疎外論は復権しなかったのですが、一九九〇年代から深刻なデフレ不況が続きまして、資本主義の屋台骨が揺らぎだしました。冷戦後も不安定な世界情勢が続き、環境問題の解決も行き詰まっています。

そういうことで人々は自分たちが作り上げた資本主義文明によって、自分たちの首を絞めているような疎外感を深刻に抱くようになってきまして、二十一世紀入った頃から欧米を中心にマルクスの再評価が進みましたが、その中身は疎外論だということです。日本でも疎外という用語をつかって現代の日本の政治経済、財政の危機などを論じることが見受けられるようになりました。少子高齢化に伴う社会保障体制の悪化に伴い、老いの疎外の深刻化や、学校や家庭の崩壊が進行して、学力低下が目立ち始めましたが、こういう日本の落ち込みも疎外として語られるわけですね。もちろん環境問題も、自ら招いたことですから疎外に含まれます。ということでやっと疎外論も復権し始めまして、『疎外論の復権』をテーマに『季報唯物論研究』も特集を組見まして、私が編集責任を担当したわけです。

 

                   10疎外論成立の経緯

疎外論は、ヘーゲル哲学から由来しているのです。ヘーゲル哲学体系においては、哲学の主体は絶対精神なのです。つまり全存在をわがものとしているような精神ですね。それになったつもりで哲学をすれば、カントの物自体のような、原理的に不可知なものを予め仮定しなくてもすむわけです。

そうしますと総ての存在は、絶対精神が自己を自分の前に対象化して、展開したものであるということになります。そのためには絶対精神は、自己を自己の外に外化し、何らかの事物や事象として対象的に表現することになります。これが外化です。しかし自己を外化するといっても一挙にできるわけではありませんから、最初はただ無規定な有ですが、何ものでもないので、無と変わりません。

こうして絶対精神は、己とかけ離れたものとして混沌たる自然からその中に精神的な秩序を見出していくという形で自己を、外にある事物や事象の中で展開していくわけです。それらは主体からは疎ましいものであり、だから否定されて、否定の論理に導かれて、より発展した精神的なものになっていくわけです。

このように絶対精神は自己を事物として外化し、それを自己疎外として受け止めます。つまり主体が生み出したものだけれど、主体にとっては疎ましいものなのです。この疎外を止揚してより発展したより精神的なものとして、新たに自己を対象化するわけです。

このようなヘーゲル哲学の疎外構造に対して、フォイエルバッハは、文句をつけたのです。といいますのが、絶対精神というのは、結局神のことでしょう。神だから全存在を生み出し展開できるということです。しかし、よく考えますと、その神はだれが考えたのか、人間が生み出したのではないかということですね。

といいますのは、ドイツ観念論から言いますと、すべての現象は人間の意識が構成しているわけですね。宇宙という意識や神という意識もそうです。しかし個々の人間は、紙切れ一枚作ることは出来ません。分業体制の中で一つの作業しかできていませんから、何もかも生み出すような絶対精神は、全くの他者であり、超越者であるわけです。

でも人間は、類的存在としては何でもできるのです。数学苦手な人は自分は微積分なんか絶対に理解できないと思い込んでいるでしょうが、決してそんなことはありません。一つ一つ積み上げていけば人の十倍かければ解けるようになるのです。

そんなわけで、それぞれの人がチェンジして一から料理を習ったり、パソコンを習ったりすれば、できるようになります。それで絶対精神はそれぞれの人の中にある類的本質を、自分のものと感じられないので、自分の外に出して、絶対精神として疎外したものにすぎないというのです。

だからフォイエルバッハに言わせれば、人間は自分から類的本質を疎外しないで、自分自身の類的本質を信仰すべきだというのです。でもどうしたらそう感じることができるのでしょう。

そこで注目したのが感性です。感性を通して人間同士は出会い会話をし、ふれあいます。それで子供もできますし、動植物を殺して食べることも出来ますし、原材料を製品に加工することも出来ますね。

頭の中で理性であれこれ思っているだけではとても個人の中にそうした人々や自然とのつながりを実感できませんが、感性を通して、風や星や花やそして様々な匠の技もわがものとして感じられるようになるということです。それで彼はヘーゲルの理性主義、観念論に対して、感性主義、人間学的唯物論を対置したわけです。

このフォイエルバッハの哲学革命で、若きヘーゲル学徒たちは、巨大なヘーゲル哲学の檻から解放された気持になったわけです。それでマルクスもすっかりフォイエルバッハ主義者になって疎外論に取り組んだということです。

フォイエルバッハのヘーゲル批判は、神は人間の類的本質の自己疎外だということで、神が人間の外に出て、超越的に総てを生み出し、支配するという構造を批判したわけです。だから神の名のもとに教会権力が絶対的な権力を振るったり、地上の権力の圧制を聖化してやったりすることを真っ向から批判できるわけですね。また同じ論理を応用すれば、国民の類的本質の疎外にすぎない国家権力が、国民から遊離して、圧制を行なうことも批判できるわけです。

マルクスは当時、資本主義の産業革命がイギリスからフランスに移ってきて、労働者が悲惨な疎外状態にあることをパリで見ていましたから、この疎外論で労働者の疎外を告発し、労働者自身がこれを自己疎外として捉えられるようにすべきだと感じたわけです。

それでフォイエルバッハに手紙を書きまして、宗教の疎外については良く納得できたので、是非労働者の陥っている自己疎外について議論してくださいみたいな手紙を書いたらしいのですが、返事がなかったようですね。それてなんだフォイエルバッハも結局頭の中で疎外を論じているだけじゃないかということで、それが翌年の『フォイエルバッハ・テーゼ』になっていくということです。

           11疎外された労働―四つの疎外―

やっと若きマルクスの疎外論を紹介する段階まできましたね。彼は疎外された労働を「四つの疎外」として展開しています。

@     生産物からの疎外

A     労働からの疎外

B     類的本質からの疎外

C     人間からの疎外

です。要するにマルクスの疎外論と言われているものはこの「四つの疎外」をベースに理解すればよいのです。念のために断っておきますが、この四つしか疎外はないとか、それ以外の疎外はマルクスのいう疎外ではないということではありません。

〔1〕生産物からの疎外―人間は自分たちが生み出した生産物が,自分たちのものにならないで,自分たちから独立し,自分たちに敵対して自分たちを苦しめる「生産物からの疎外」に陥っています。この生産物には広い意味では文明もふくまれます。人間が生み出した文明は人間から自立し、一人歩きして、人間の手におえないものになり、人間に対立して人間を苦しめています。

〔2〕労働からの疎外―生産物からの疎外が起こるのは,労働が自由な活動ではなく,強制された苦役として無理やりやらされる「労働からの疎外」に陥っているからです。

〔3〕類的本質からの疎外―「労働からの疎外」が起こるのは,「類的本質からの疎外」によるのです。つまり人間という類は労働することを本質的な特長にしています。労働によって自己の能力を発揮し,自己実現できるのです。労働によってさらに人間生活を豊かにし,自然をそれに相応しく作り変えて人間環境として素晴らしいものにするのです。ところがこの活動が,実際には苦役であり,衣食住などの消費生活の手段としてしか捉えることができません。本来は目的である筈の自己実現活動が自己喪失活動としてなされており,実際の目的である生活手段を獲得する為の手段でしかないのです。これが「類的本質からの疎外」という意味なのです。これは〔1〕〔2〕の帰結であると同時にその原因でもあるのです。

〔4〕人間(他人)からの疎外―もし人間同士が互いを共同で働き,共同で消費する身内と見なすことができていたら,「類的本質からの疎外」も起こらなかったでしょう。自分が作った物が人々の欲求を充足することに自己実現を感じ,生きがいを感じられる筈です。

しかし現実は,労働を通して各人が作るものは分業社会では,見ず知らずの他人の消費するものです。自分も他人の作った物を手に入れるために,自分が作った物を提供しています。ところが両者は互いにできるだけ少ない労働で,他人のできるだけ多くの労働の成果を支配しようとしていますから,相互支配であり,対立的な関係にあるのです。 

労働自体が他人を支配する為に他人に支配される関係になってしまい,類的な共同として実感できないのです。この相互支配,敵対的な人間関係が「人間からの疎外」です。
 この原因は生産物を排他的に所有し合う私有財産制度にあるのです。私有財産を無くして共同的な人間関係を築き上げることができれば,互いは同じ共同的な全体の身内として意識され,四つの疎外も克服できるというのです。

             12非有機的身体としての自然

 さてマルクスは人間は自らが主体的に生み出した生産物が己に敵対してくるのを「生産物からの疎外」としましたが、その際主体と生産物の疎遠な関係というのはどうして生じるのでしょう。マルクスは自然を人間の「非有機的身体」として捉えていたのです。

 「非有機的」とは有機的つまり器官としては身体に含まれていないけれど、身体と不可分離的な身体の一部となったということです。つまり自然は人間の体として捉えるべきだということですね。生物学的に見て細胞によって構成されていたら身体の内部ですが、細胞で構成されていなければ、身体の外部、つまり外界であるといえます。ですから衣服や家屋などは身体ではないわけで、身体の外部、外界です。

 しかしそれが身体と癒着していたりしますと殆ど身体として扱われるわけです。例えば貝の貝殻とかはそうですね。蜘蛛の糸、蓑虫の蓑なども纏っている事物がその生物のアイデンティティになってしまっています。そういうのを身体化と呼ぶことができます。

 身体とは空間的に分離できても、その生物にとって不可欠であり、かつその生物の特色を成している場合にも、自然的な事物が生物の広い意味の身体とみなすことがあります。それは蟻や蜂の巣、獣道、ビーバーの水中家屋、ダムなどです。ただ動物の場合、非有機的身体に含まれるのは固定的ですね。その生態によって決まってしまっています。ですからいかに巧みにビーバーがダムを作ったにしても、テリトリーで閉じられているのです。

 それに対して人間の非有機的身体は、時代により社会により、職業により、個性によりまことに多様で、変化し、発展していきます。開かれているわけです。とはいえ、その時代、その社会、その職業、その人にとってそれがなくては暮していけない非有機的身体なのです。

 ところが私的所有のもとでの疎外においては、生産物は手間隙かけて作られていることで共通の価値を与えられ、交換によって手放せるものになり、主体との不可分離な関係ではなくなってしまいます。もはや自分の非有機的身体とは思えなくなってしまうということです。交換によって人間と自然、人間と生産物が他者化して総ては事物の集合ということになり、大いなる生命の循環と共生は見失われるというように捉えていたとも解釈できます。

 そして人間同士が他者同士としてかけひきしますから、できるだけ少ない労働で出来るだけ多い労働の成果を手に入れようとして、生産手段を独占して、他人に労働させるという階級社会ができてしまったわけです。

 ですから疎外を克服するということは、生産物や生産手段を自らの身体と見なせるようになるということであり、人間同士も他者として駆け引きし合うのではなく、身内として一緒に生産・流通・消費を行なうということです。このような境地を貫徹されたナチュラリズムと貫徹されたヒューマニズムの統一と捉えているのです。

   13フォイエルバッハ・テーゼと貫徹されたヒューマニズム

 この貫徹されたナチュラリズムと貫徹されたヒューマニズムの統一と立場から『フォイエルバッハ・テーゼ』第一を読むとどうなるでしょう。

これまであったあらゆる唯物論、それにはフォイエルバッハのものも含まれ

ます。その主要な欠点は、対象(事物)や現実や感性が客体あるいは直観という形式のもとでしか捉えられていなかったことです。つまり感性的人間的活動、すなわち実践として、主体的には捉えられていないということです。」

対象や現実を唯物論者たちはつい、己とは別の事物として他人事のように扱ってきたのではないか、自分自身の実践の姿として主体的に捉え返すべきだということなのです。だって事物は己の身体であり、人々は身内なのですから。

そして次の人間の本質についての理解も、身体的な自己の枠内だけで人間を抽象的にとらえていてはだめだという意味にも受け取れます。だとするとこの社会の中に非有機的身体である自然も含まれていると解釈すべきですね。

「フォイエルバッハは宗教的本質を人間的本質に解消します。しかし、人間的本質は個々の個人に内住する抽象物ではないのです。現実には、それは社会的な諸関係の総和(アンサンブル)なのです。」

残念ながら経済学批判期のマルクスは、人間と事物の抽象的な区別に固執する傾向が強くなって、物も含めて人間と捉える発想を端的にフェティシズム(物神崇拝)として退けているようにも解釈できます。

                   14唯物史観と疎外論

唯物史観が確立しますと、疎外論的な考察は影を潜めるのですが、唯物史観においても疎外論的な発想は読み取れます。といいますのは、生産力はその時代の生産関係に相応しい形で組織されます。奴隷は、奴隷労働によって奴隷制度を再生産しますし、封建農奴はせっかく生産した農産物を領主に捧げて、封建社会を再生産しているわけで、これも疎外なのです。マルクスが疎外という用語を遣わなくなっても、疎外の分析であることに変わりありません。ただ疎外は人間の類的本質が喪失されるという点に力点がありますから、人間性の問題として語られない限り、疎外というタームを使用する必然性がなかっただけですね。その代り、厳しい収奪や搾取の問題が生々しく迫ってくるわけです。

後期マルクスになり経済学批判に取り組む中で、資本主義体制における人間性の喪失が生々しく迫ってくるので「疎外」用語がまた使用されるようになりました。その場合にEntfremdungが「疎外」ではなくて「譲渡」という意味だけを表現するようになったということはありません

                 15物化・物象化論と疎外論

後期の経済学批判において、マルクスは物化、物象化という言葉で疎外を語っていますが、疎外論が払拭されたとする廣松学派は、疎外論と物象化論はパラダイムが違うと言って、聞かないわけです。と言いますのは、疎外論は主体が労働によって生産物を対象的に作り上げ、そこに価値を抽象的人間労働の分だけ積み上げるという論理ですが、それは主観・客観図式ですね。ところがマルクスは主・客図式を超克しているから、そういう投下労働価値説に基づく表現はみんな叙述の便法であって、マルクスの真意ではないというのです。

労働という行為自体が主観・客観的な行為であることは否定できないと思いますね。それにマルクス自身が叙述の便法だと語っているわけでもないのです。ただ廣松学派の立場では疎外論と物象化論はパラダイムが違うことに過ぎないわけです。

たしかに主観・客観図式に囚われていてはいけない場合もあります。しかし主観・客観的に認識することや、対象変革をすることは否定しても仕方がありません。主観・客観図式だけで認識や労働が説明しきれないとしてもです。

物化というのは労働力の商品化に関連して、よく語られます。労働者の労働力が商品として売買されるので、人間が物扱いされるわけです。その際に人格的主体としての人間性が配慮されないで、非人間的な扱いを受ける場合がよくあるので、物化は大いに問題にされるわけです。

機械のねじ釘として、部品同様に扱われるとか、歯車の一部みたいにしか扱われないといいますね。チャップリンが『モダンタイムス』で歯車の中を回っている労働者を見事に演じていました。もちろんこれも疎外ですね。労働が自由な自発的な労働でなく、強制された労働として行なわれる「労働からの疎外」に当たります。

物化(Verdinglichung)と区別されて物象化(Versachlichung)が説かれますが、これは人間関係が物と物の関係に置き換えられてしまって、それで主体である人間から自立して展開し、人間を支配する事態を指しています。市場経済が出来上がってしまいますと、個々人の事情はお構い無しに物価が変動しまして、市場の原理に人間は従わざるを得ないわけです。それで合理的に調整される面もあるのですが、極端な貧富の差が生じたり、市場の失敗でかえって恐慌を招いたり、公害が生じたりすることもあるわけですね。もちろんこれも疎外論の枠外の話ではなくて、人間自身の行為によって、自ら招いているわけですから、自己疎外の問題なのです。

物化、物象化は、『資本論』では経済の問題で語られるわけですが、政治や文化やその他様々な社会関係でも見られる現象です。人々は自分たちの暮らしを守り、平和を維持するために公共機関をつくります。自治体や国家をつくり、そのもとに学校や警察や役所などをつくりますね。その費用を税金で負担しているわけです。その代り国家が行政サービスによって、皆が安心して暮せるようにするということです。

そのための国家が、一度出来てしまいますと、名目は公共性を語りながら、どんどん肥大化していきまして、そのために経費が嵩張り、重税国家になってしまいます。その運営によって、税金以上の恩恵があればいいのですが、無駄な機構をたくさん作って、そこに経費を使うので、国民生活は苦しくなるばかりですね。これも国民は自分の税金で自分の首を絞めているようなもので深刻な自己疎外なのです。

これはまさしく日本が陥っている財政破綻の問題です。この問題に大胆にメスを入れて、赤字体質を改善し、国民に対する社会保障が出来るように改革できるようになるまでは、政治の安定も望めません。

無駄な事業をどんどん切っていけばいいのですが、既にそこで働いている人々がいて、それで暮しているわけですから、大量の失業が生じたり、暮らしが立たなくなったりするようなことでは、余計に混乱を招くわけですね。といって官僚に抵抗されるわけです。ですから、それでは官僚的な体質を改めて、無駄な事業から必要な事業に切り替え、かつそれによって経費が増すのではなく、そういう事業活動が経済全体に経費以上に好影響を与えたり、ある場合には、国営企業体として利益をあげるようにすればいいわけです。ところが官僚的な体質が改まらないと、コスト意識がなく、創意工夫もないのでそれはできないということになります。

ですから結局は、直接行政に関わっている人も、いない人もそういう問題を自己自身の問題として捉え返し、コストパフォーマンスを改善し、創意工夫で喜ばれる商品やサービスを提供していくしかないわけです。

少子高齢化が財政負担を過重にしているわけですが、それは仕方がないで済ますのではなく、消費税を上げられるのが嫌だったら、高齢者が相互扶助のシステムに参加したり、高齢者が無理なく元気に働けるシステムを作って、医療や福祉の経費を下げる努力が必要なわけですね。また高齢者による文化やスポーツの活動を活発にしていけば、それが日本社会全体の活性化にもつながると思います。高齢者自身の活動による老いの疎外の克服という問題でもあるわけです。

幸い、疎外論を少しは知っている団塊の世代が高齢者の仲間入りをしつつありますので、疎外論を復権させて、老け込まないで、疎外に取り組む活動を広めて、日本や世界の危機に立ち向かうようにしようということなのです。

後編は上のサイトをクリックしてご覧ください。



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