やすいゆたかくすのき塾クリスマス講演


                                            20061223
    

                                    イエス復活の謎                

       

1.イエスの復活はデマゴギーか
 イエスには子孫があるかどうかより復活したかが真の問題

                                              やすいゆたか

今日は十二月二十三日天皇誕生日であさってがクリスマスですね。イエス・キリストの誕生日ですね。と思い込んでいる方が多いでしょうが実は、ミトラ教という太陽信仰の宗教が冬至が陽光が一番弱くて、これから陽光が強くなっていくので太陽のお祭りをしていたので、これを世の光と呼ばれたイエスの降誕を記念する日にしようということになったのです。イエスの誕生日についての伝説はないのです。ですからベツレヘムで生まれたというのも信用できません。

さてみなさん、人類の歴史で最大の謎の一つであるイエス・キリストの復活を取り上げます。『ダ・ヴィンチコード』が映画化されてすごい話題になりましたね。あれはイエスとマグダラのマリアが夫婦であって、その娘がいてイエスの血統が受け継がれているのではないかという話題でした。

 もしそうなら何か困ることがありますか?カトリックなどは強く反発していますね。でも『新約聖書』の福音書というイエスの言動を記録した部分を読んでも、マグダラのマリアと夫婦関係や性的関係がなかったとは書いていません。別にイエスに子供がいても支障はないはずです。それがイエスを人間くさく描くと、神聖さが損なわれるということで反発しているようですね。イエスが人間であるということは『新約聖書』で否定されているわけではありません。ただイエスには聖霊が宿っていたことになっていて、そこが特別ですが、だからといって性欲がなくなったりすることはありません。

  そういうことは実は今となればどうでもいいことですよね。イエスが本当にメシアつまり救世主かどうかが問題のはずです。そして本当に復活してそれを証明したのか、そういうことのほうが大切です。しかしそういうことは、キリスト教徒にとってはすごく大切だけど、イエスを信仰の対象にしていない大部分の日本人にとっては、関わりのないことでしょうか。

つまり日本人の大部分はイエスの復活なんかインチキに決まってると思っています。本当に処刑されて殺されたのなら生き返るはずはないので、復活がうそか、処刑がトリックだったかどちらかだろうということですね。あるいはイエスなんて本当にいたのという人もいます。十九世紀にヨーロッパでもそういうイエス架空説が一時流行したのです。「聖徳太子は実在したか」みたいな議論ですね。たしかにローマ帝国やユダヤ教側の史料からイエスの実在は証明しきれないので、基督教団のデッチアゲの可能性も皆無ではありません。

しかしキリスト教を立ち上げたイエスの弟子たちも含め、みんな殉教を恐れずたくさんの犠牲者を出しても、武器を取らずに布教を続けました。そこにはやはり真面目な信仰があったと思われます。架空の人物への信仰からとは思えませんね。ですからイエス架空説も次第に鳴りを潜めていきました。

問題はイエスの復活です。当時のキリスト教徒の中にも奇跡を信じない人びとがいました。霊魂の不滅を説いたグノーシス派は、肉体の復活にこだわることを退けたのです。つまり復活を精神的事件として受け止めようとしたのです。イエスが弟子たちの心の中に生き続けているのが復活だというように受け止めたわけです。しかしまだイエスの直弟子たちが生きていたので、それじゃあイエスの復活を見たという俺たちは嘘をついていることになるじゃないかと頭にきて、そういう連中を破門してしまったのです。

 キリスト教というのはやはりイエスの十字架と復活ですね、これが原点です。この体験の意味を問い続けているのです。それ抜きにキリスト教を語っても、全くピントはずれです。ですから、イエスの復活について、これを全くのデマゴギーみたいにみなすのは、キリスト教との対話を閉ざすことになります。弟子たちがイエスの復活を体験した、そのことを認めたうえで、キリスト教と非キリスト教との対話というのは成り立つのです。

異文化理解、宗教対話というのが今日大切ですね。その場合、相手を全くのインチキ宗教と決め付けて、その上で対話しますと、相手から学べませんし、相手の憎しみを増幅させるだけです。それで私は、イエスの復活体験を弟子たちはしたのだとしたら、どうしてそれは可能だったか考えるということですね、そういう態度をとるべきだと思うのです。

イエスの復活体験は、イエスが本当に復活した場合でなくても、起こり得るということです。幽霊を見たという人がいますね。それはみんな嘘でしょうか。幽霊が実在しないとしても、幽霊を見るという体験は成立します。イエスが実際に復活していなくても復活したイエスを見るという体験も可能なのです。

  もちろんそれは余程の事がない限り起こり得ません。しかし余程の事があったからキリスト教というのができたわけです。滅多に起こりえないことが起こって、体験した人びとはイエスの復活に違いないと信じ込んだということです。そういう凄い事がないのに、キリスト教なんていう復活信仰の教団が立ち上がって今日まで続き、世界一の信徒数を誇っていることは有り得ないわけです。


 もちろんキリスト教徒は神がイエスを復活させたと信仰していればいいわけです。でも非キリスト教徒はそこまでは信仰できません。ですから別の説明が可能ではないかということです。もし別の説明が可能なら、イエスの弟子たちは確かに復活のイエスを体験したけれど、それはこのような事情からだと推測できるわけです。そうしますと、キリスト教を まともな宗教として理解できますから、謙虚にキリスト教徒との対話ができるということです。

 そう考えますと、福音書の記事も彼らの宗教的真実を語ったものとして受け止めるべきだということになりますから、嘘の塊みたいに解釈する必要はないわけです。かといって宗教ですから、信徒の信仰を妨げないようにある程度の粉飾や修正はあるわけで、文字通りに受け止めることは ありません。各福音書の間にも違いがありますし、オーバーな表現やイエスの神格化に伴う神秘化やごまかしも当然含まれます。

 でも福音書には、彼らが宗教的真実を語ろうとしている限り、イエス復活の謎を解く鍵が含まれている筈です。
 

2.イェルサレムへ
 人の子はクロスにつくが運命でも復活信じいざイェルサレムへ

特に今日は復活に至るイェルサレムでの八日間に焦点を合わせて、復活の謎解きをしたいと思います。この八日間をドラマ化したのが「イエス受難劇」です。映画『パッション』をご覧になった方もおられるでしょう。イェルサレムに日曜日に入って、次の日曜日にはイエスは復活したわけです。

 このイェルサレム入城はイエス教団の起死回生を狙ったものです。イエスのイェルサレム入城の神殿乗っ取り計画は失敗し、最高法院から総督に引き渡され、十字架刑に処せられるが、必ず復活すると予告していたのです。つまりイエスには処刑されても復活するという自信があったのですね。それはどこからきているのでしょう。

 イエスが神の霊が処女マリアに宿って誕生した生まれついての神の御子という信仰がありますが、これは眉唾なのです。イエスは元々はダビデ王の子孫だからメシアつまり救世主だと名乗っていたわけです。念のために言っときますが、メシアのギリシア語がキリストですよ。イエス・キリストというのはイエスは救世主だという信仰告白なので、名前がイエス・キリストではないのです。 系図では、ダビデ王の子孫は父の大工ヨセフなのです。ですから処女マリアに神の霊が宿ったのならヨセフの実子ではないので当然メシアの資格がないことになります。ですからイエスの生前には、処女懐妊説話はなかったのです。ユダヤが解放戦争に敗れた紀元後七〇年以降に処女懐妊説話が作られたといわれています。

 
つまりイエスは、神の実子だから復活するというわけではないのです。そうではなくて聖霊を宿していると確信していまして、聖霊があれば復活できると考えていたのです。それでは聖霊が処刑されたイエスから出て、弟子に入ったとすると、弟子の中にイエスの精神が引き継がれるグノーシス派の精神的復活論の方が、弟子たち が体験したという肉体的復活論よりもイエス自身の復活論には近かったことになりますね。実はそうなのです。事態はだからイエスの予想を超えて進んだのです。

3.ガリラヤのイエス教団
 トーラーによるのではなく人の子の聖霊によれ救いの道は

それにしてもなぜイエスはイェルサレム神殿に乗り込もうと決心したのでしょうか。逆に言えば起死回生を狙わなければならないほどイエス教団はなぜ行き詰っていたのでしょうか。イエス教団は実はパレスチナの南の方のユダヤ地方ではなくて、そこから百キロメートルほど北に離れたガリラヤ地方で布教していたのです。その布教の仕方は、「山上の垂訓」などで有名な説教ですね、「貧しいものは幸いである。天国はかれらのものである」という「幸せの説教」などです。それだけではイエスブームにはなりません。エクソシズムつまり悪霊払いのパフォーマンスです。悪霊がとりついて起きる肉体的精神的疾患を治していたのです。彼の奇跡があまりにも見事なので、多くの民衆がガリラヤ湖の周辺に集まったのです。

 イエスと対立していたファリサイ派などは、彼の悪霊払いがあまりに見事なので、それをインチキだと攻撃することができなかったので、イエスは聖霊の力で悪霊を退治しているのではなくて、実は悪霊の親玉ベルゼブルがイエスにとりついて悪霊たちを追い払っているのだと攻撃したのです。イエスは、悪霊の親玉が悪霊共をやっつけるなんて荒唐無稽 だと反論したのですが、実はこのファリサイ派の攻撃が効いたのです。なにしろイエスの母マリアや弟たちが悪霊に取り付かれたと心配してイエスを引き取りにやってきたぐらいですから。

 これにはファリサイ派とイエス派のイデオロギー対立が象徴的に現れました。つまり救いは何によってもたらされるのかという対立です。ファリサイ派は律法(トーラー)を遵守することによってもたらされると説きました。それに対してイエス派はメシアの聖霊の力だとしたのです。

 唯一絶対の超越神ヤハウェはイスラエルと契約を結んだのです。律法を守ればイスラエルに栄光を与えると。そこでファリサイの律法学者たちは律法を民衆に読み聞かせて、これを守ればイスラエルが全地を支配するようになると教えたのです。その代わり守れないと、神は異民族を強くされて、イスラエルは異民族に支配されて惨めな状態に陥るわけです。司祭階層であるサドカイ派や富裕層で構成されていたファリサイ派の人びとは 律法をなんとか守ることはできたかもしれませんが、貧しい一般民衆である地の群れ(アムハーレツ)は、安息日だからといって休めませんし、生きていくためには、窃盗や売春をすることもありました。それに安息日に行き倒れを助けると安息日の 律法に背き、助けないと隣人愛の律法に背くという、土台無理な律法もあったのです。

 ともかく金持ちはなんとか律法を守れても、貧乏人は守れないとすると、貧乏人はこの世でゲヘナ(地獄谷)のような苦しみを背負いながら、次の世もゲヘナが約束されているということで、 律法は絶望しかないわけです。それに比べてファリサイ派はこの世で律法を守ってしかも豊かな暮らしができますし、次の世もパラダイスということですね。ですから地の群れはファリサイ派の説教師たちを憎んでいたといわれています。

 そこでイエスは「貧しいものは幸いである。天国は彼らのものである。」といきなり言ったわけです。しかも「金持ちが天国に入るよりはラクダが針の穴を通る方がもっとラクダ」と言ったのです。つまりイエスはあべこべになるといったわけです。今貧しい人、苦しんでいる人、哀しみにくれている人こそ、次の世はパラダイスだ。その代わり今富んでいる人、喜んでいる人は次の世ではゲヘナだぞというのです。こりゃあ絶望していた貧乏人にとってはいよいよ待ち焦がれたメシア登場だと思いますよね。

イエスに言わせれば、ファリサイ派が律法を守っているというのは実はとんでもない欺瞞です。だって彼らが律法を守るのは自分がパラダイスに入るためですよね。としますと「汝の隣人を愛しなさい」という 律法を守って人に親切にしても、あくまでも自分の欲からですから、少しも愛情ではないのです。これは隣人と神を欺く行為でしょう。神からすれば絶対ゲヘナですね。第一富や権力を持っている人はそれを維持することで頭がいっぱいで、貧しい人々の苦しみなんか気にかけていられません。

他方、地の群れは今日一日の糧を得るのに精一杯で、なんとか神の御恵みを頼り、隣人と助け合って暮らしていくしかないわけです。イエスはガリラヤの寒村を回っていましたから余計にそれは実感したでしょうね。ですから個々の 律法は守れなくても、一番肝心の「神への愛と隣人への愛」に生きていれば、そのために個々の律法は字句どおり守れなくても、その精神は成就しているということで、神的にはオーケーですよね。

  というのは神は決して律法を授けて人々を苦しめ、試してやろうというのじゃないはずです。イエスにいわせれば神は天の父だというのです。彼は「おとう」みたいな俗語で神を表現します。おとうなんだから子供たちをいじめて喜ぶはずがないので、二つの愛に生きていれば、あとは神の愛を信じなさい、大丈夫だよという言い方をするわけです。この世で苦しめて、次の世でも苦しめるそんな薄情な神だと捉えること自体不信仰の証拠だということですね。

 このことが分かりますと、律法にこだわらずに、二つの愛に生きればいいわけですから、それだけで大きな救いになりますね。絶望から脱却できます。それに神の国はこの二つの愛に生きる我々の中にすでにあるということです。そのことに目覚めれば、たとえ経済的に貧しくても精神的にはゆたかな生活ができるのです。それが実感できるようにイエス教団は、後に信徒を集めてカファルナウムというガリラヤ湖畔の寒村に「神の国」という共同体を作って暮らすようになります。

 イエスは「二つの愛」に生きることが律法の成就だという考えに到達したことで、これで地の群れを救えると確信し、そのことに思いついたのは天から聖霊を授かったからだと受け止めたのです。そしてその聖霊の力で悪霊を追い払って、人々を救えば、やがてユダヤや全人類も救えるかもしれないと考えるようになりました。それで悪霊払いをしますが、その際に画期的なパフォーマンスを考え付いたのです。

 聖霊や悪霊は目に見えません。ですからイエスが自らに宿っている聖霊の力で悪霊を払ってもだれにも見えませんから、信用してくれません。信用しないと効いた気になれませんから、効果もありません。そこで弟子を悪霊役者に仕立て上げて悪霊芝居を打ったのです。これは命がけですよ。芝居だとわかると民衆をだましたということで、皆殺しは免れませんからね。民衆は巧みなトリックで悪霊が追い出されるのを見て、すっかりはまってしまったのです。

 ところがイエスにとりついているのは聖霊ではなく悪霊の親玉だというのが、ファリサイ派の攻撃でしたね。すっかり聖霊の技と思わせて、聖霊を宿すメシアによってのみ救われるという教説が広がりますと、だれもユダヤ社会を成り立たせていた 律法を省みなくなり、律法秩序が解体してしまうことになるわけです。そうすれば後は悪霊の天下になってしまうというのがファリサイ派の論理です。そういわれればイエスに宿っているのが聖霊か悪霊かどうして見分けられるのかということですね。預言者 たちは偽メシアに用心するように預言していますから、民衆は引いてしまいます。

4.「命のパン」の教説―教団大分裂
 血を飲みて肉を食べてや人の子の終わりの日にぞ甦りなむ

財政的に苦しくなったイエス教団は、「神の国」の出家信徒を減らさざるを得なくなりました。それで仕方なく、イエスが爆弾発言で信徒たちを脱会させるのです。それが「命のパン」の教説です。

 「私は天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは世を生かすための私の肉のことである」(ヨハネによる福音書第六章46節)

と自分の肉を食べなさいというとんでもない表現をしたわけです。よく読んで考えますと、私の肉というのはイエスの教えのことで、それを血肉化しなさいという説教ともとれますが、あまりに例えにしては過激な表現ですね。

イエスを食べるということはイエスが人間である以上カニバリズム(人肉嗜食)であり、『バイブル』では最も犯してはいけないタブーです。それをイエスの方から言い出すなんてとんでもないわけです。もし比喩で言ったのなら、説明を求められたときに、はっきりさせるべきなのに、イエスは同じことを繰り返すのです。

(同53節)「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終りの日に復活させる」と。

 それで大部分の信徒たちは呆れ果てて去っていきます。残ったのはですから、イエスの肉を食べる聖餐派ですね。もちろん比喩的に聖餐を解釈した人も残ったでしょう。イエスが生きている間はイエスの肉をイエスの言葉や教説と比喩的に解釈すればいいわけですが、実際にイエスの死という場面においてはどうでしょう。イエスの「命のパン」の言葉を聴いていますと、食べないと永遠の命を得られないと思うのではないでしょうか。これが前置きですね。「最後の晩餐」の伏線ですよ。

 その後もイエス教団はジリ貧になります。そこで起死回生でイェルサレム神殿に行こうということになったのです。

5.過越祭とメシアのパフォーマンス
 過ぎ越しの祭りに日には我こそはメシアてふ人神殿に立つ

過越祭というのはユダヤ教最大の祭りです。どうも過越祭の一週間前には、祭りを盛り上げるために、我こそはメシアなりという人物がイェルサレム神殿でパフォーマンスを見せてもよいことになっていたようですね。その代わりロバに乗って武器を持たずに平和的に入城しなければならないことになっていたようです。 イエスはそこで民衆の支持を得て、神殿権力を一気に奪取しようともくろんだのです。

その代わり偽メシアと分かりますと、おとなしく引き下がるわけですね。ただその際にとんでもない危険な人物だということになりますと、神殿権力によって捕まえられて、最高法院(サンヘドリン)で裁判にかけられ ます。死刑となると当時はイェルサレムのあったユダヤ地方はローマの直轄領だったので、総督に引き渡され、ローマ権力によって十字架にかけられるということになっていたのです。

ですからイエスは、イェルサレムに向かうにあたって、自分は捕まえれて処刑されるけれど三日目に復活すると予告しているのです。この予告は神秘的な未来予知のように思われていますが、実はそうではなく、悲観的な見通しを述べて、それでも自分は復活するから大丈夫ということを言っているのです。

  当然、ペトロ(ペテロ)たちは止めますが、 イエスは計画を進めます。イェルサレム在住の信徒たちには伝書鳩かなにかで連絡を取り、メシアの入城の手続きや準備をさせています。この時に、議員ヨセフに依頼して、彼の名義で最後の晩餐の会場や墓の手配までしていると思われます。イエスは決死の覚悟で出発し、弟子たちは後からついてくるのです。

6.宮清めと悪霊払い
 この宮は神の館ぞ物売りの市にはあらめ御技に障あり

今の四月にあたる太陰暦のニサン月の一四日が過越祭です。その年はその日が安息日にあたっていました。その前の日曜日にイェルサレムに入城し、大歓迎を受け、神殿に入りましたが、その日は夕方になりかけていたので様子を見てすぐに引き上げました。

翌朝イエスたちは神殿で宮清めを行います。神殿の庭で商売をしていた連中を追い払ったのです。名目は神殿を金儲けに使うとは冒涜だということですが、長年認められていたことをイエスたちの一存で排斥したのですから、面食らったでしょう。祭司長たちや律法学者たちはイエスをどのようにして殺すか相談したとマルコの福音書にあります。早速神殿の管理権を侵害してきたわけですから、生かしておけないと感じたのでしょう。

  私は、宮清めをした隠された理由は、イエスたちのエクソシズムのパフォーマンスの邪魔だと考えたからだと思います。やはり説教のあとで目の見えない人や足の不自由な人の治療を行っています。エクソシズムのパフォーマンスは成功で、幼児までもが「ダビデの子にホサナ
(どうぞ救ってくださいという意味の掛け声)」と讃えました。エクソシズムのパフォーマンスはうまくいっても、それだけで民衆が支持するわけはありません。イエスにとりついている霊が聖霊なのか悪霊なのかは、イエスの説教から判断するしかないのです。

7.イエスの挫折
 ダビデの子世々に王なりヘブライの末にあらねば技も空しき

神殿での説教には、二つの愛の教説など律法学者も感心したものもありますが、メシアの出現を求めていた民衆の期待を裏切るものもありました。本日は説教の紹介が目的ではありません。復活の謎を明らかにすることが目的ですので、なぜイエスが偽メシアという印象を民衆に与えたのかに絞ってお話します。

まずメシアはユダヤ解放の王であるということで、民衆が期待していたわけです。ですからローマ帝国の支配からユダヤを解放する指導者としての見解を示さなければなりません。ファリサイ派にすれば、もしローマ帝国からの独立を唱えれば総督に叛乱の意図ありと訴えることができますし、ローマ帝国への服従を説けば偽メシアの烙印を押すことができます。そこでローマ帝国に納税すべきかどうかをイエスに質問したわけです。当時はローマ皇帝の絵が刻印されたローマ硬貨で納税することになっていましたので、イエスは「カエサル(皇帝)のものはカエサルに、神のものは神へ」と納税をすすめたのです。

 元々地上の権力はすべて神が立てたものという捉え方があるのです。たとえ異教徒の支配する帝国であっても、神のご意志で立てられたものだから背いてはならないということです。イスラエルはみずから 律法を遵守し、神への強い信仰をもてば神はイスラエルに栄光を与えてくださるけれど、律法を蹂躙し、信仰を失えば、神は異教徒の帝国を強くされてイスラエルに異民族支配の試練を与えられるわけです。ですからローマ帝国に逆らってはならないというのがイエスの立場です。これでは民衆は失望します。

 イエスにも本当はユダヤ解放の戦略があるのです。それはユダヤの民衆には理解されません。イエスは「愛の解放戦略」を説いていたのです。「右の頬を打たれれば、左の頬を出せ」「汝の敵を愛し、汝を迫害する者のために祈れ」です。ローマ帝国にすればユダヤ人から憎まれ、叛乱を起こされれば、大軍を差し向けて平定できます。しかし自分たちが虐げ、抑圧している人たちから愛され、自分のために神に祈られることによって、憎めなくなりますね。精神的に優位が保てなくなり、逆に感化されてしまいます。イエスの死後キリスト教は一度もどんなに恐ろしい弾圧に会っても、おびただしい殉教者を出しても、憎しみに愛を返す戦略を貫いて、とうとうローマ帝国を宗教的に支配してしまったのです。

イエスはメシアであるためにはダビデ王の子孫でなければならないという制約を課せられていました。それでダビデ王の子孫に相応しい話をいろいろ考えたわけです。例えばダビデの出身地のベツレヘムで生まれたというのもそうです。でもやはりナザレ人イエスと呼ばれていたようにガリラヤの首都のフォッサリアの郊外にあったナザレ村の出身という説が有力です。

 ダビデ王の子孫であることを証明する家系図が作成されていたのですが、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」に別の家系が記載されています。祖父の名前からして違うわけで、これではどちらも信用できません。それでイエスは神殿でも家系がハッキリしないことを追求されたのでしょう。彼は開き直って、メシアはダビデ王の子孫でないと言い出したのです。

 「イエスは言われた。『ではどうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。「主は、わたしの主にお告げになった。『わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで』と。」このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。 これにはだれ一人、一言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。」(マタイ伝 第二二章 4346節)

 
「マタイによる福音書」の著者はイエスが論破して、だれも反論できなかったというように強がって解釈していますが、イエスの答弁に民衆の期待は裏切られ、失望のあまり反論する気力がなくなった様子が伺えます。急にメシアの定義を変えられても、はいそうですかというわけにはいきません。それに偽の家系図をつくっていたのはイエスの弟子たちですね。福音書にのっているぐらいですから、それがばれて居直ったのです。その責任は重大です。だからイエスは偽メシアだったことを自白したに等しい と民衆は感じたわけです。その証拠にイエスを捕まえにきたのは神殿の兵士たちではなく、この場でイエスの言い訳を聞いていた民衆だったのですから。

  説教は月曜日と火曜日に行われたのが福音書にありますが、水曜日、木曜日のは記録されていません。つまり聴衆はほとんどなく、イエスは民衆からみはなされたということでしょう。その間に、 民衆はガリラヤから過越祭に来ていたファリサイ派の学者たちから、ガリラヤでのイエス教団の悪い評判をたくさん吹き込まれたでしょう。悪霊の親玉ベゼルブルに取り付かれて、悪霊払いをしているらしいという噂や、弟子たちが布教に失敗して町を出るとき靴のほこりを払って、審判の時にはソドムよりひどいことになると呪いをかけているとか、いかにも恐ろしいカルトだと言いふらしたのでしょうね。次第に民衆は「偽メシア」イエスを処刑しないと安心して眠れないというように思い始め、ファナティックになってきます。そのあたりは福音書は書いていません。でも推理すれば分かることです。

8.「最後の晩餐」はリハーサル
 パンは肉ワインは血なり人の子の時迫りたり過ぎ越しの宴

最後の晩餐は何曜日でしょう。処刑されたのは金曜日です。ということは前日の木曜日と思いますね。残念ながらそれは不正解です。これはユダヤの暦を知らないと分かりません。ユダヤ暦では一日は夕方から始まります。ですから最後の晩餐は金曜日の始まりと共に始まったのです。土曜日は安息日ですから、処刑や埋葬はできません。金曜日に済まさなければならないということです。

 イェルサレム市街の立派な建物の二階を借りて、最後の晩餐がもたれます。裁判や処刑があるとしたら、金曜日しか残っていないのです。水曜日や木曜日に逮捕がなかったので、弟子たちはほっとしていたかもしれません。土曜日の過越祭が済めば、こっそりガリラヤに帰ろうと思っていたでしょう。でもイエスは金曜日に裁判 と処刑があると思っていたようです。やはり最高法院)準備や民衆の煽動に時間がかかるだろうと見ていたようです。

 最後の晩餐には過越祭用の食事が用意されていました。本来ならあくる日のメニューです。種無しパンと子羊の肉を食べるのです。過越というのは神がイスラエルの家を過越されるために目印に羊の血でイスラエルのマークを描くためです。神はイスラエルの家を過越されてエジプト人の家でその長子を殺されたわけです。その記念が過越祭です。

 何故翌日のメニューなのでしょう。私の推理では「最後の晩餐」は翌日の晩餐のリハーサル(予行演習)なのです。それで明日の食事はこの要領でしなさいということなのです。でも 肝心の翌日の晩餐の様子は福音書に出てきませんね。それは決して書けない内容だったということです。

 「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。』そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』

それからイエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これがあなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。』そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論を始めた。」(「ルカ伝」第二二章 14 - 23 節)

 
これがキリスト教会で行われている「主の聖餐」つまり「ミサ」の起源なのです。つまりキリスト教会ではパンをイエスの肉、赤ワインをイエスの血として飲食しているわけです。命のパンというのは種なしパンをイエスの肉と思って食べることなの だという解釈ですね。イエスの肉を食べなくてもいいんだということです。キリスト教会ではパンがイエスの肉になり、ワインがイエスの血になるのですから。それなら簡単ですね。それにイエス の死後も永遠にイエスを食べ続けることができるわけです。

でもそういう解釈はおかしいですね。最後の晩餐でパンとワインを飲食すれば、それでイエスの肉と血を飲食したことになるでしょうか。だってイエスがそう言っているものと言えますか。そしたら翌日イエスが死んだ時にイエスの肉を食べ、血を飲まなくてもいいのでしょうか。

 こういう問題を考える時には、イエスの身になって考えることが大切ですね。自分はこれから逮捕され、裁判にかけられ、処刑されます。自分の肉を食べ、血を飲んで欲しい時に、パンを回してこれが自分の肉であり、ワインを回して、これが自分の血であるからこれを飲食してくれと イエスが言う場合、それは何を意味しているでしょう。

 イエスは、やはり明日の晩餐で犠牲の羊になった私の肉をこのパンを食べるように食べ、私の血をこのワインを飲むように飲みなさいと言っていると思います。それ以外には解釈できません。だってガリラヤで 、イエスが「私は命のパンである」と言ったときに、パンは比喩でした。まさかパンがイエスの肉ではなかったはずです。

  この問題は結局、イエスの肉を食べ、血を飲む目的は何かという問題につきますね。しかもこれから二十時間以内に死ぬ時に行ったということも考慮すべきです。ですからイエスは自分は処刑されて死ぬけれど三日目に復活するという予告とも関係しているはずですね。そういう最大のテーマと切り離して、パンとワインの聖餐を解釈して、パンとワインを飲食すればイエスの肉を食べ血を飲んだことになると解釈するなんて、ちょっと滑稽です。


 二千年間近くキリスト教会ではパンをちぎり、ワインを飲んで、イエスの肉と血をいただき、キリストの体と一つになることにしています。キリスト教会の日曜日の礼拝の中心は主の聖餐にあるのです。キリスト教徒以外の人はそれを知らないでしょう。イエスは復活されて永遠の命を得られたので、イエスと一体化すればキリスト教徒も永遠の命を得れるという理屈です。

 そのことの吟味は、さておいて、今はイエスは絶体絶命の危機ですね。その時にイエスは既に復活を予告しています。どのようにして復活するのですか。そんなの決まっているでしょう。神様が義と認められ死者の内から甦らせるのです。というのがクリスチャンの解釈ですが、それなら聖餐と復活は無関係になってしまいます。何故最後の晩餐に聖餐が登場したのかも分かりません。

 イエスは聖霊を信仰していました。聖霊による救いがもっとも特徴的なパフォーマンスだったわけです。処刑にあって最大の問題は聖霊をどう引き継がせるかですね。それが聖餐なのです。イエスから弟子へ聖霊が移転する方法です。聖霊が気体だったら、イエスの鼻や口から出て、弟子たちに入るかもしれません。 未開社会のシャーマニズムでは、首長やシャーマンが霊を引き継がせるときに心臓を食べさせるという風習が最近まであったようです。

 イエスは既に「私は命のパン」だと言って肉を食べ、血を飲むように命じています。つまりイエスの聖霊はイエスの肉を食べることで、弟子の体に宿り、イエスの血を飲むことで、弟子の血に宿ることになります。肉や血は消化されて排出されるけれど聖霊は弟子の体や血にとりつくのです。そこで三日目の復活という謎も解消しますね。土曜の夕べに食べ、日曜の朝や昼に復活ですから、一日半から二日の間に、肉は消化排出され聖霊が体内で活動を始めるのじゃないかと予測できます。それじゃあ三日目じゃないと思われますか、金曜日から数えて、金・土・日で三日目なのです。

9.墓に埋葬されたか
 白布に包まれ屍墓にありなれど三日目布はたためり

裁判・処刑の話は省略します。ただ死んだとみせかけて仮死状態にしておき、三日目に目覚めさせたという説があります。それでは本当に死んだわけではないわけで、弟子たちもそのことを知っていますから、復活信仰はインチキだったことになりますね。私の前提として、イエスの弟子たちはイエスの復活を体験したと信じていることがあります。

 イエスは墓に埋葬されたことになっています。アルマアタの議員ヨセフが彼の名義で墓を刑場の近くに買っていたのです。そこへイエスを埋葬したわけです。

その時にイエスの弟子たちに遺体は渡されて、イエスの弟子たちはイエスの遺体を頭まで白い布でくるんで埋葬しています。途中で摩り替えて綿や布で作った人形を身代わりに埋葬したかもしれません。

そういう摩り替えは、お得意なのです。だって悪霊芝居で、悪霊が患者の体から追い出される場面を見事に演じていますから、いろいろな身代わり、入れ替わりは十八番ではなかったかと思われます。後から神殿兵が警備についたのですが、頓馬なことに墓の中は あらためていません。

 

10.聖餐の儀礼は
 人の世の始まりしよりこの日より聖なる日ぞなし時は至れり

本物のイエスの肉を食べ、血を飲む 聖餐があったとしたら、それはどこでしょう。最後の晩餐と同じ場所でしょうか?もし露見したら大変なので、別の場所を借りたでしょうね。あまり刑場から遠くへは運べないので、やはり街中の地下室か何かかもしれません。あるいはイェルサレムから二ないし三キロメートルしか離れていないベタニアのラザロの家ということも考えられます。

 カニバリズムは最大のタブーですから、なかなか肉は喉を通りません。それでイエスの聖餐は神との合一の神聖な儀礼だと納得できるような、おごそかな式典の形式をとったはずです。部屋は白い布が敷き詰められ、清潔感があふれています。消臭のために薔薇や百合などの花がたくさん飾られました。遺体は剥き出しでなく、布でくるまれていて,少しずつ切り取られ、焼かれたと思われます。イエスの一番弟子のペトロが式次第を考え、仕切ったのです。その式次第を幻視しましょう。

 それは天使の賛美の歌声が聞こえるような厳かで神聖な雰囲気を醸し出したのです。

 

        式次第
一、主の祈り
二、「ダビデの子にホサナ」の歌を斉唱
三、「イザヤ書」第五三章の朗読
四、「命のパン」の説教、「最後の晩餐」のイエスの言葉を唱和しながら、イエスの肉を食べ、血を飲む聖餐をペトロの司会で進行、一人ずつ順番に食べ、飲む
五、主イエスの聖餐が無事行われたことを感謝する祈り。
 

「イザヤ書」第五三章を紹介しておきます。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生えでた若枝のように、この人は主の前に立った。
見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。
彼は私たちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、
私たちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだと。
彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。
彼が受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼が受けた傷によって、私たちは癒された。
私たちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
その私たちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。
苦役を課せられてかがみ込み、彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思いを巡らしたであろうか。
私の民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。
彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに。
その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者とともに葬られた。
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは、彼の手で成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼の罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。」

11.イエス復活のメカニズム
 聖霊の宿りしものと覚えたる目には見えたり復活の子よ

イエスの聖餐による復活は、聖餐した弟子たちの中で聖霊が活動を再開することを意味するはずでした。ところが予想を超えて、復活したイエスが肉体を備えて登場したのです。グノーシス派はそんなことは眉唾だと思っていたので破門されたのですね。私は眉唾ではなく、彼らは復活したイエスを見たと思います。そうでないとこれだけの強い信仰やキリスト教の存在は説明がつかないと思いますから。

 ただ非キリスト教徒まで神がイエスを復活させたいう彼らの言説をそのまま信仰することはありません。それは宗教心理学的に説明がつくことなのです。ただし本当にイエスの肉を食べ、血を飲んだと仮定すればですよ。これは強烈な体験ですから、ドラック効果以上に強烈な効き目があると思われます。

 まず復活したイエスを見るというのは、全能幻想の作用によるのです。彼らは、彼らが神の子であると信仰していたイエスの肉を食べ、血を飲んで、自分たちの体内に聖霊が宿っている と信じ込んでいます。三六時間ぐらいで、そろそろ聖霊が活動するのではないか、潜在意識では期待が異常に高まっているのです。そうしますと全能幻想が強くなって、自分が一番見たいものつまり復活したイエスを見れるのです。

既にイエスは彼らに三日目の復活を予告して暗示にかけていますね。あとはイエスと何かしら共通点のあるものを見るとイエスを連想してそれがイエスに見えるというメカニズムが働きます。実際福音書の例は皆これに該当します。ですから福音書は復活体験については、それほど出鱈目を書いているわけではないのです。

 イエスと見られる側には二つのタイプが考えられます。一つは本人はまったく自分を復活のイエスとは考えていない場合です。相手が勝手に自分とイエスの共通点からイエスの復活と思い込んでしまうので、驚いてしまうという例です。もう一つは、自分もイエスの聖餐に参加したので、イエスの聖霊が活動しだすと、イエスの魂に乗り移られ、人格をジャックされるという体験です。いわゆる二重人格症状ですね。これは後で我に返った時にイエスになっていたことはまるで思い出せないことが多いのです。

 きっかけとしては、自分をイエスと見間違えられることで、全能幻想から自分がイエスに成りたいという憧れが実現してしまうわけです。もちろんイエスに成ってしまっている最中には元の自分は思い出せません。

  復活体験は、聖餐の記憶が呼び起こされる時に起こりやすいわけですから、パンをちぎったり、ワインを飲んだりするとイエスに見えたりイエスに成ったりすることが多かったでしょう。では福音書の例を紹介しておきます。

 

12.マグダラのマリアに現れた復活イエス
 マリアと呼ぶ声聞きて園丁がいとしラボニに見えにけるかも

まず最初に日曜日の朝に墓を見に行ったマグダラのマリアに現れました。彼女もイエスの聖餐に加わっていた可能性は大です。二世紀から三世紀に成立したといわれる「フィリポによる福音書」には彼女はイエスの伴侶と呼ばれていたことになっています。

 「こう言いながら後ろを振り向くと、イエスが立っておられるのが見えた。しかしそれがイエスだとは分からなかった。
イエスは言われた。『 婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。』

マリアは、園丁だと思っていた。『あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。』

イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、へブライ語で『ラボニ』と言った。『先生』という意味である。
イエスは言われた。『わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとに上っていないのだから。』」(「ヨハネ伝」第二○章 14 - 17 節)

  園丁に見えていたとありますが、園丁だったわけです。だって復活したイエスが園丁の格好をするはずがありません。彼の話しぶりがイエスに似ていたのかもしれません。「マリア」と言ったというのは、イエスがいつもマリア呼んでいたので、イエスに感じの似ている園丁が何か言ったら、全能幻想のはたらきで「マリア」と聞こえたわけです。そしたらもう園丁はイエスにしか見えません。後は園丁の言うことがイエスの言いそうな言葉に聞こえるわけです。

 このことを弟子たちに報告しますと、きっとマグダラのマリアは気性的に熱に浮かされやすい性格だから、悲しみのあまり幻想を見たのだろうと決め付けられたのです。
 

13.エマオに現れた復活イエス
 苦しみを受けて栄えに入りたると語る旅人パンを裂く時

「ルカによる福音書」によりますと、その日、エマオに向かっていたイエスの親類のクレオパともう一人、おそらくイエスの弟ヤコブが旅人と婦人たちの墓での不思議な話しをしていると、旅人が「メシアはこういう苦しみを受けて栄光に入るはずじゃなかったか」と諭したそうです。一緒の旅館で食事中に旅人がパンを裂いていると、その旅人が復活のイエスと分かったというのです。でもそのまま旅人はいなくなってしまいました。

これも神の子の肉を食べた結果の全能幻想で説明がつきます。はじめはイエスに見えなかったのに、その人がイエスが言いそうなことをいったわけです。おそらくイエスの処刑についてイエスに同情していた人でしょうね。励ましのつもりで言ったのでしょう。それでパンを裂くと、聖餐の記憶が蘇り、全能幻想から旅人がイエスに見えたのです。旅人は二人の様子に驚いてその場から立ち去ったということです。

14.弟子たちに現れた復活イエス
 主イエスの聖霊を受けその余り己を主イエスと違わざりしか

クレオパと弟ヤコブは早速このことを報告にイェルサレムの弟子たちのところに戻ります。そして「マルコ伝」では食事中に復活のイエスが現れます。実は、この時密室状態だったのにイエスが現れたので、よけいに不思議がられています。壁をすり抜けてきたのかと。

しかしそれはイエスに似た者が全能幻想で自分がイエスだと思い込んだのです。特に弟ヤコブだと容貌が似ていたので、本人が全能幻想で自分がイエスだと思い込みますと、弟子たちがヤコブを復活イエスに見えてしまうのは無理がありません。

「その後、十一人が食事をしているときイエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」(「マルコ伝」第一六章 14 - 18 節)

15. 何故「主の聖餐」を行うのか
 パンはパンイエスの肉にはあらねども聖なる時よ嗚呼リフレイン

キリスト教会は、教会の主な礼拝儀礼として「主の聖餐」をパンとワインで行っています。にもかかわらず、弟子たちがイエスの血と肉を飲食したことを認めません。パンとワインがイエスの肉と血になることができるのなら、そしてそれを食することがもっとも聖なるイエスとの合一であるのなら、本物のイエスの肉を食べ血を飲まなかったというのは理屈に合いません。

それにパンとワインの聖餐は、キリスト教の教義としては唯一絶対の超越神信仰に反しています。パンやワインが神の肉や血となることができるということになり、最も幼稚なフェティシズム(物神崇拝)に堕していることになります。

パンがイエスの肉だというのは、イエスがそういえばそうなるのだというのは理不尽です。イエスがパンをイエスの肉だというはずがありません。パンはイエスの肉ではないのですから。

ところが最後の晩餐でそういったとしたら、それは別の意味で解釈すべきなのです。これが私の肉だとパンをさして言われたのなら、それはこのパンを食べるように、明日は私の肉を食べなさいという意味なのです。したがって教会がパンをイエスの肉だというのはとんでもない間違いなのです。幼稚なフェティシズムそのものです。

しかし何故幼稚なフェティシズムを二千年間も続けてきたのかということですね。それは反復による合理化という自我防衛機制なのです。つまり弟子たちは、イエスの聖餐をほんとにおこなった可能性が高いのですが、それは人肉を食べていることには違いなく、明らかにタブーを犯しているわけです。もしイエスが神の子でなければ、弟子たちは人肉を食べるという悪魔や魔女のごとき悪行を行ったことになり、間違いなくゲヘナですね。

 でもイエスは神の子ですから、神の子の肉を食べ、血を飲めば永遠の命につながれるということになります。イエスは終わりの日に、主の聖餐者を復活させると約束されたのです。ですから主の聖餐が聖なる行為であったということを確認するために、その行為を反復する必要があったのです。ところがイエスの肉体は昇天してしまえば、この世界には存在しないので、食べることができません。そこで「最後の晩餐」でのイエスの言葉を捉えて、パンとワインの主の聖餐で、イエスへの聖餐を代理させようということなのです。こうして原行為を象徴的に反復することで、イエスを食べた行為が神聖な行為であったことを合理化しているわけです。

16.聖餐による復活仮説の意義
 大いなる命の廻り示すため命のパンに成りにけるかも

この「聖餐による復活」仮説は、イエスの復活を弟子たちが体験したことを認めたうえで、それが神による復活だと解釈しなくても、宗教心理学的に説明できるということを論証しました。その意味ではキリスト教徒以外の人々がキリスト教をインチキとして捉えないでまじめに対話できる道を開いたのです。

ところがこの仮説は、イエスの肉と血へのカニバリズム的原行為を炙り出しました。カニバリズムがもっともタブーとされた忌まわしい行為だけに、それをイエスが自分に対して行うように命じたという解釈は、キリスト教を冒涜するものではないかという反発が考えられます。しかしイエス自身の「命のパン」の教説や二千年間続けられた「主の聖餐」によって、パンとワインをイエスの肉と血として飲食し続けているのに、その原点にイエスの肉と血に対する聖餐があったと考えることが冒涜ということはありえないわけです。

 むしろイエスが自己の肉と血を飲食させた「命のパン」の思想には、永遠の命に対する深い思想が現れているのです。人間は食物連鎖の頂点に立っているので、食べることばかりで、食べられることに対する自覚がありません。しかし食べてばかりでは生命の循環ということが成り立ちません。食べたり食べられたりで命が循環し、大いなる命が永遠性を保つのです。食べるだけでは、命の循環から切り離されてしまいます。食べられてこそ大いなる命の中で永遠の命を生きることができるということです。

ですから深い生命に対する宗教的な悟りは、食べられるという自覚からくるのです。それはイエスだけでなく、釈尊にも見られます。飢えた虎に吾身を与える捨身虎餌の悟りです。これは実際には飢えた人々に吾身を捨身した僧を身近に知って釈尊が悟りの契機にされたということだという解釈も成り立つのです。ともかく自己一身の保身ばかり図っていては、永遠の命に迫ることはできません。

  イエスも聖霊としての永遠の生命を自己の一身から解き放ち、弟子や人々の中に再生させてこそ、イエス自身の命も永遠の輝きを得ることができたということです。ですから我々も、これを単純にカニバリズムだということで気味悪がるのではなくて、自己の個体的生命を超えて、永遠の命の中に生きるためにいかなる生き方が可能なのか、考える契機にしなければならないでしょう。

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