限りある命の壁を突き破りモナリザとなり永久に微笑む
太郎:ルネサンスは「@(
)」・「A( )」という意味ですね。
花子:ギリシア・ローマのB(
)の文化を学び,その人間中心の精神を受け継ごうとしたのでしょう。十字軍の影響もあり、14世紀イタリアにC(
)で保存されていたギリシア・ローマ時代の文化財がもたらされてそれに刺激されたのです。
先生:中世のD( )を中心とするキリスト教の支配の下では,人間の肉体的・感性的な欲望がE(
)されていました。しかしF(
)によって生きることもでき、生きる意欲も起きるのです。そういう本来的な人間性を抑えつけようとするのは無理があります。教会の聖職者自身が自ら定めた罪に陥りがちだったのです。ボッカチオ(1313〜1375)の『G(
)』は,そんな「聖職者」の実態を描きました。
花子:また人間的な感情の発露として恋愛は文学の重要な題材となりました。今も恋人の代名詞になっているH(
)への熱い想いを語った,ダンテ(1265
〜1321)の『新生』や『I(
)』は有名ですね。
太郎:J(
)の『カンツォニーレ』では、理想の恋人ラウラの思いをこう表現されています。「ああ美しい顔よ、涼しい目もとよ、ああ気高く優しい物腰よ」この表現がとても大胆な官能的表現だとショックを与えたそうですね。
先生:またルネサンスのヒューマニズムに,有限者としての人間の限界に挑戦し,神に迫ろうとする傾向が見られます。人間の理想化された姿としての神像彫刻の伝統が,K(
)のダビデ像やモーセ像に見事に復活しています。ルネサンス文化の芸術家達は「L(
)」としての個人の能力を余す所なく発揮し,人間の限界に挑戦したのです。M(
)(1452
〜1519)は「モナリザ」の微笑みとなり永遠の現在を生き続けているのです。
問1
@(
)〜M(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
レオナルド・ダ・ヴィンチ ペトラルカ 復活 欲望の充足 万能人
ローマカトリック教会 神曲 罪悪視 デカメロン 古典古代 再生
ミケランジェロ アラビア ベアトリーチェ
2ピコとサルトル
自らの自由な意志と判断で人は成れるや天使にさえも
先生:@(
)(1463 〜1494)が活躍しました。ややこしい名前ですから、「ミランドラ村のピコちゃん」と覚えてください。では太郎君『A(
)』の一節を読んでください。
太郎:「アダムよ,お前にはB( )も顔かたちもC(
)も与えなかったが,それはお前がお前の意志と判断によって,思うままにそれらを決めることができるようにしたためである。自然は定められた法則に束縛されているが,おまえはD(
)によって何者にも成ることができる。」
花子:「お前にはB(
)も顔かたちもC( )も与えなかった」とはどういう意味ですか?
先生:プラトン著『プロタゴラス』に元の話があります。プロタゴラスは、「徳は教えられるか?」というテーマの対話で人間論を創作神話で展開したのです。神々が様々な動物を土や水から作ったのですが、それに特性を与える仕事をE( )(先立つ思考=想像力や構想力の神)とF(
)(後立つ思考つまり後悔や反省の神)が仰せつかったのです。F(
)がそれぞれのC( )を動物たちに与えて、生き延びることが出来るようにしたのですが、人に与える前に品切れになってしまったのです。それでE(
)が火の神ヘファイストスから火を、智恵の女神アテナイから智恵を盗んで、人に与えて人がサバイバルできるようにしたのです。プロメテウスは、人間の先立つ思考の神ですから、人間たちが自分でE(
)をはたらかせて、自然の火の利用法や自然の法則性の認識を獲得したということを意味しているのです。
花子:ということは、人間は元元自分たちの身体的能力ではとても自然に適応できなかったので、滅びそうなG(
)だったけれど、E( )でなんとか自然を認識することで生き延びることができたということですね。動物たちは与えられた能力で適応するしかないけれど、人間は自らの能力を発展させることで、自然に適応できるという意味で自由なのですね。
太郎:人間は森林でも砂漠でも北極圏や離れ小島にでもすむことが出来るし、自分の個性を形成して自分の顔を作ることもできるというのが「B( )も顔かたちも」という言葉にこめられた意味ですね。
先生:全くその通りです。そしてD(
)による主体的な決断次第で人間はH( )を切り開く事ができるとしたのです。この発想はサルトルのI(
)人間観に近いのです。でもピコは人間が無限の可能性を持てる前提にJ( )を置いています。サルトルは逆に「ペーパーナイフの比喩」で人間が自由である為には,K(
)を規定する神が存在してはならないとしているのです。
問2
@(
)〜K(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
人間の本質 欠陥動物 一定の住所 イエスの贖罪 ピコ・デラ・ミランドラ
想像力 エピメテウス 人間の尊厳について 自由意志 無限の可能性 特性
実存主義的
3自由意志論争
キリストがクロスにつきて贖いし罪の重荷を今も背負うや
花子:人間に@( )を認めるのは、アダムの原罪によって「善をなす」意志の自由を失ったとするA(
)の原罪論と対立しますね。人間は罪人のままB( )によって救済されるしかないとされていたのでしょう。
先生:ピコにすれば、B(
)ですでに罪は贖われているのですから、原罪論に捉われる必要はないのです。16世紀始めに活躍したC(
)はピコの@(
)論を継承します。C(
)は@( )の役割を肯定し,人間の努力によって救済が神から与えられる事を認めなければ,D(
)が成立しないと主張しました。
太郎:C( )と言えば『E(
)』で有名ですね。
先生:そうです。また後で出てきます。A(
)の系譜を引いて、C( )と厳しく対決することになったのが,宗教改革の立役者F(
)の『G(
)』です。F(
)は,救済はあくまでもH(
)によるとし,その際,@(
)は全く無力だとしたのです。つまり人間の運命は神にI(
)されているのだから@(
)によって努力次第で何かになれると考えるのは,神に対する冒涜に他ならないと言うのです。この論争はカトリック教会がC(
)にF( )に対する批判を命じたことから起こりました。両者の批判は互いに誤解し合っていることもあり,水掛け論に終わりました。
問3
@(
)〜I(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
ルター 自由意志 痴愚神礼賛 アウグスティヌス 神の恩寵 エラスムス
イエスの贖罪 一切の道徳 奴隷意志論 予定
4マキャベリとアルベルティ
国民の利益を守る為なれば、神の教えも捉われまじきや
太郎:ルネサンスで忘れてはならないのは、@(
)で有名な近代政治学の父A( )(1469〜1527)ですね。
先生:人間中心の発想から政治の現実を冷厳に捉え返しますと,B( )を離れて政治それ自体を動かしている「C( )」を解明しなければなりません。「君主は野獣の性格を適当に学ぶ必要があるが,その場合野獣の中ではD( )とE( )に習うようにすべきである。というのはE( )は策略の罠から身を守れず,D( )は狼から身を守れないからである。罠を見抜くという点ではD( )でなくてはならず,狼の度胆を抜くという点ではE( )でなくてはならない。」と語るA( )の『F( )』の登場は,近代政治学の出発点だと言われています。
花子:イタリア・ルネサンスは,地中海交易で栄えたメディチ家のようなG( )のH(
)であり,自由でしかありませんでした。その実利的、商人的、市民的性格は万能人I(
)の市民道徳によく現れています。彼は「J(
)を空費しないものは、ほとんど全てのことを成し得るものである」と『家族論』で語り、「K(
)を追求することは神聖なことだ。人間はL(
)のために造られている。L(
)は人間のM( )である。」と『自叙伝』で語っています。なかなか近代的で、宗教改革のN(
)のさきがけになっていますね。
問4
@( )〜N(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
仕事 ヒューマニズム 君主論 時間 権謀術数 狐 目的 ライオン 利益 マキャベリ 職業召命観 アルベルティ 宗教や道徳 力の論理 商人貴族
5北欧ルネサンス
自らの痴愚に気づかぬ阿呆ども独善かざして狂乱極める
大工の子クロスにつきて人類の罪贖うは痴愚の見本か
痴愚なるが生まれつきたる性ならば痴愚を楽しみ生きるにしかずや
法王が鎧兜に身を包み左の頬を差し出しに行く?
先生:15世紀末から16世紀の初頭にかけて@(
)を越えフランス・ネーデルランド・イギリスに広まった文芸復興の動きをA( )と呼びます。
太郎:ネーデルランドてどこですか?ヨーロッパにそんな国ありましたか?
花子:B( )のことですね。それにしてもフランスやイギリスは昔は北欧と呼ばれていたのですか?
先生:そうなのです。イタリア・ルネサンスは明るいギリシア・ローマの古典の忠実な模倣を通して,中世キリスト教の暗い文化を克服し,ギリシア的ヒューマニズムの立場から人間性を取り戻そうとしました。北欧ルネサンスはイタリア・ルネサンスの貴族主義的傾向に対して,C(
)で市民的な傾向が強いのです。またキリスト教に対する信仰は厚いのですが,D( )に対しては批判的で,E(
)などの文献に直接学ぼうとしました。そして常にF( )といかに係わっているかを問い,バイブルに根拠を持たない儀礼的で形式的なG(
)を批判する改革的傾向が有力になりました。
太郎:いよいよH(
)(1466〜1536) 『I(
)』の登場ですね。J( )に満ちた人間世界を痛烈に風刺して、知識人に爆発的な人気を博したのでしょう。
花子:そういえば、彼はネーデルランド出身ですね。日本史で習ったのですが、ウィリアム・アダムズとヤン・ヨーステンが乗ってきて豊後に漂着したオランダ船K(
)の舳先についていたH( )の木像が栃木県の龍江院にあるそうですね。
先生:いかにH(
)の人気が高かったかを木像は語っています。痴愚女神L( )に語らせるところによれば,人間の知の営みは相対的で限界に満ちたものなのです。人間の智恵など神の真理に対しては全く痴愚に他なりません。ところが,M(
)に気付かない君主や諸侯,法王や僧侶,神学者や文法学者等の特権階級の連中は,独善と狂気に陥り,醜い争いや愚にもつかぬ論争に明け暮れ,救いがたい程に堕落し腐敗しています。そこでL(
)は,素直にN( )としての痴愚をO(
)に受け止め,人間らしい生き方を取り戻すことを呼び掛けています。これはソクラテスの「P( )」の顰に倣ったのでしょう。
花子:ヘエー、ローマ法王まで批判するとは、すごい度胸ですね。法王に逆らうと火あぶりの刑にされてしまうのじゃなかったのですか。
先生:『新約聖書』にはイエスの言葉として「右のほほを打たれたら左のほほを出せ」と書かれています。法王は徹底した平和主義のキリスト教徒の親玉のくせに鎧兜に身を包み法王領の拡大のために、先頭に立って戦争をしていたのです。その異常さを痛烈に批判しました。さすがの法王も彼の絶大な人気に敵に回したくないと考えたようです。なにせ16世紀は「H(
)の世紀」になるだろうと言われたくらいですから。
太郎:それがルターが登場し、宗教改革運動が起こって実現しなかったようですね。ところでイギリスの大法官になったQ(
)は彼の親友だったのでしょう。
先生:そうなのです。痴愚神L(
)は「モア」をもじっているのです。Q( )は『R(
)』で、「羊たちが農民たちを食べる」とされたエンクロイジャーで苦しむ農民に同情して,イギリスの現実を痛烈に風刺しつつ,私有財産のない理想社会の構想を提示しました。
花子:H(
)を師と仰いでいたフランスのS( )は,古典の教養をもとに自然の豊かさや人間性の魅力を描きました。『パンタグリュエル物語』『ガルガンチュア物語』が代表作です。
問@( )〜S(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
ユートピア エラスムス ラブレー 痴愚神礼賛 人間の本質 トマス・モア
アルプス リーフデ号 オランダ 倫理的 聖書 モリア 北欧ルネサンス 痴愚と狂乱 ローマ教会 イエス・キリスト 肯定的 自己の痴愚 無知の知 教会儀礼
6モラリストの活躍
何を知り何を根拠にいがみ合う、確かなる事何をか知らんや
人ゆえに無限を知りぬパスカルは、葦のごとくに悲惨ならずや
考えることでコスモス包みたり、その偉大さを神忘るまじ
先生:また16世紀後半から17世紀中頃にかけて,フランスでは,
深い人間観察を踏まえて人間の@( )を追求するA(
)達が輩出しました。
花子:A(
)という表現からはすごく生真面目な感じを受けますが。
先生:道徳家という意味ではありません。A(
)とは「人間とは何かを問う人」という意味です。それが大変機知とユーモアに溢れた人もいたようです。B(
)を排して,謙虚に生きた人生の智恵を得ようとしたC( )(1533〜1592)
は「D( ) 」(
何をか知る?)という問い掛けを大切にしました。キリスト教の真理性も非キリスト教文化圏では全く通用しないとして,信仰におけるB(
)的な態度も戒めたのです。それで独断的に自己の宗派的な真理を過信し,血なまぐさい争いをしていた当時の新・旧両派に対する牽制を籠めて『E(
)』は書かれたと言われています。
太郎:しかし本気で信仰している人にとっては、自分の信仰を間違っているかもしれないことをF(
)で説かれたのでは頭にくるでしょうね。
先生:ええ、C(
)のG( )に強く反撥したのがH(
)(1623 〜1662)
です。神やキリストに対する懐疑を語るなら,もっと深刻に絶望的に語るべきで,機知と風刺の効いた口調で教養をひけらかすように語るべきではないというのです。
花子:彼は『I(
)』で「J( )。」と言いましたね、どういう文脈でそういったのですか?
先生:K(
)に比べれば,人間は塵のように微小な存在です。無生物や動植物ならばK( )を知りません。従ってそれに比べ人間が時間的・空間的にいかに微小で,はかないかという自覚もないのです。人間は考えることによってK(
),人間のはかなさを知るのです。これはまことにL( )で絶望的だと言わざるを得ません。しかし人間は,K(
)を知り,自己のはかなさを知っているという点で,それを知ることができない宇宙全体よりM( )さを持っているとも言えます。こんな偉大な人間を悲惨なままに捨ておくとすれば,神も神としての偉大性を喪うことになるでしょう。だから神の救いは確実だとH(
)は説いたのです。
花子:L(
)でありM( )あるということですね。
先生:ええ、その間のN(
)であり、その間を動いているO( )です。彼を日本に本格的に紹介した三木清は、彼の人間論を人間を本質で論じるだけでなく、P(
)で論じた人間論だと高く評価しています。
太郎:神の救いの確実性というのは、神が存在することが前提でしょう。神の存在をどのように証明したのですか?
先生:彼は二つの根拠をあげています。ひとつはユダヤ人の存在です。ユダヤ人は様々な苦難に直面していますが、結局信仰を捨てていません。その苦難の原因は神を信仰していたからです。だからもし神が実在して、ユダヤ人に神を信じさせていないのなら、とっくに信仰を捨てているはずなのに、彼らが信仰を捨てられないのは神が実在する証拠だというのです。もう一つは「泣きマリア」の奇跡です。マリア像の眼から涙がでていて、その雫を眼病の人に塗ると眼病が治ると言う話があります。パスカルの妹の眼病がそれで治ったので私は信じますというのです。
太郎:後の話は、日本でも観音像の話しで同じようなのがありそうで、なんだかインチキくさいですね。
先生:結局信仰というのは信じたくても信じられるものではありませんが、信じたくなくても、神が何らかのきっかけで自分の中に入って来てしまうと、信じてしまうものなのです。私の亡くなった父親は小学校の教師をしていまして、天王寺動物園に遠足にでかけ、帰り道で一人の児童がはぐれてしまったのです。その時に、彼は神に祈って、次の角からその子が現れたら私は神を一生信じますと誓ったのです。そしたらなんと本当にその子が角から出てきたそうです。それで信じたというのです。だから私にも信仰しろと言ってましたが、それは父の体験であって、私の体験ではないので、残念ながら信じることは難しいですね。
花子:パスカルは科学者・数学者としても著名でした。かれは「Q(
)」で宇宙の無限と物質の科学的秩序を見出しましたが,それだけでは不十分で「R( )」も必要だと説いていますね。「R(
)」とはどういう意味ですか?
先生:英語で言えばS(
)ですね。物事を理詰めで科学的にだけ理解して分かったようなつもりでいる。それでは人間存在の具体的な生は理解できません。人間存在の悲惨や偉大は、揺れ動く魂の苦悩は理解できません。そういうところまで心を配って、まるごと感じとるのが「R(
)」です。
問@(
)〜S( )に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
動性 デリカシー ク・セ・ジュ パンセ モンテーニュ 繊細な精神 偉大 中間者
モラリスト パスカル エセー 宇宙の無限 悲惨 人間は考える葦である 状態性
普遍的な生き方 独断 機智とユーモア 懐疑的態度 幾何学的精神