イギリス功利主義(18世紀〜19世紀)

               労惜しみ時を惜しんで最大の利を求むるが功利主義かな


先生:それでは当時のイギリスに目を転じて見ましょう。


花子:イギリスでは産業革命が
18世紀後半から盛んになってきましたね。当時のイギリスの支配的な思想は何ですか。産業革命によって@(    )が確
立したわけですから、@(      )ですか?


太郎:資本主義というのは思想ではなくて、経済体制です。利潤増大を原理にする経済体制ですから、それにふさわしい思想とすればA(    )があげられますね。


先生:イギリス経験論の延長線上にイギリス功利主義が位置付けられます。


太郎:B(        ⇒     ⇒         )の流れですね。


花子:太郎君予習してきたのね。じゃあ功利主義を英語で何というのか分かる?


太郎:利点をメリットというから、メリッティズムなんちゃって。


花子:ブー。メリットは利点だけど利益追求主義というのが功利主義だから有用性を意味する
utilityから作られたutilitarianismが功利主義です。
功利主義者はa utilitarianです。

(      )に当てはまる語句

資本主義 アダム・スミス⇒ベンサム⇒J.S.ミル 功利主義 
 

                    アダム・スミス(17231790

            
 嘆くのは億千万の民の死か身内の不幸そはしかざるや

先生:ではアダム・スミスから入りましょう。


花子:アダム・スミスと言えば
1776年『アメリカ独立宣言』の年にでた『@(     )』を書いた経済学の父でしょう。それがどうして功利主義思想にも入っているのですか。


太郎:『A(      )』といえば「B(      )
an invisible hand」ですね。市場では政府が干渉しないで、C(   ・     )(自由
放任主義)いくほうがいいという立場です。自由競争を行えば神の見えざる手が働いて最も効率的に富が増大するという原理ですね。富を増大させるということも功利ですから功利主義に入るのですね。


先生:そうです。その場合、諸個人は市場においては経済的な私的利害を優先させるものだという人間観が前提されています。この人間観は「D(       )」と呼ばれています。


花子:私的利害に囚われない人も多いでしょう。


先生:そういう例外的な行動も国民経済全体を計量すれば「大数の法則」で無視できるわけです。ですから科学としは問題になりません。それにアダム・スミスは、たとえ中国で大災害が起って何億人が死滅してしまっても、それは少しは話題にのぼるかもしれないが、近親者の不幸ほどは歎かれることはないだろうという趣旨のことを言っています。

 そして『E(     )』では、共感が取り上げられていますが、これも助け合いの動機としてでなく、他人が貧乏でみすぼらしいのを見ると嫌な気持がするので、自分もそういう眼で見られたくないので、できるだけ裕福なように見せびらかしたくなって富を追求するのだとしていますね。アダム・スミスの労働価値説などは政経分野に譲りましょう。
 

(      )に当てはまる語句
ホモ・エコノミクス 見えざる手 道徳感情論 諸国民の富 レッセ・フェール  

 

                     ベンサム(17481832


                  
快求め苦を遠ざける本性は人を支配す二人の主権者
               人は皆平等なれや求むるは最大多数最大幸福

 

太郎:ベンサムと言えば主著は『@(                 )』です。
「A(          )」で有名ですね。

花子:その場合に、一人一人は平等の価値を持つということが大前提でしょう。大豪邸に住む貴族も街に溢れる浮浪者も一人一人は平等なのです。


先生:ベンサムは特権的な貴族階級に反発していました。人間を全て平等と置くことで、幸福まで原理的に計量可能だということになり「B(     )」までしているのです。


太郎:ベンサムの思想の中心原理は「C(    )」ですね。そこから説明して下さい。


先生:太郎君、分かっているじゃないか、自分で説明してみてください。


太郎:おやそれは先生のお仕事じゃないですか?


先生:そりゃあ教育に対する誤解です。教師は知識を教え込むのではなくて、引き出すことが大切なんです。
educationeduceつまり「引き出す」ことなのですから。

太郎:「自然は人類をD(   と   )という二人の主権者の支配下においた」ということは、つまり、人間は苦痛を避け、快楽を求めるように造られているということですね。そして苦痛を減らし、快楽を増やす対象がE(  )で、苦痛を増やし、快楽を減らす対象がF(  )です。G(   )とはより多くの善を獲得することで、H(   )とはより多くの悪を背負うことです。


花子:カントの善は道徳法則に従うことですから、自己の幸福を求めるのは道徳的には善ではありませんでしたね。


先生:そうなんです。それにベンサムは快楽を求める快楽主義ですが、I(     )の快楽主義とは大違いですね。


花子:I(       )は「水とパンの快楽」ですから、欲望が肥大しすぎるとかえって不幸になるので、必要最小限でも満足できるわけですが、ベンサムはJ(  )功利主義ですから、多ければ多いほど幸福だということになってしまいます。


先生:その計算方法ですが、快楽という主観的なものを客観的基準を設けて計ろうというものです。「K(    ・    )・確実性・遠近度・多産性・純粋性・範囲」の七項目を設定していました。


太郎:でも獲得や到達に苦労や手間がかかればかかるほどその喜びが大きくなりますから、実際には計量はできません。苦痛を避けて快楽を得るという発想自体が貧しいですね。


花子:でも分かりやすいし、庶民的な説得力はありますね。


太郎:「A(            )」という形で民主主義のイメージを分かりやすくした役割は大きかったかもしれませんね。

 

(      )に当てはまる語句
エピクロス 強烈度・継続度 最大多数の最大幸福 悪 快楽計算 不幸 快楽と苦痛 善 道徳および立法の諸原理序説 幸福 量的 功利の原理

 

 

                     J.S.ミル(18061873
               
               幸福は我が身にあるも他人事も厳正中立ナザレのイエスか

                 

先生:J.S.ミルの中頃に活躍しました。父ジェームス・ミルと区別してJ.S.ミルと書かないと試験では駄目ですよ。主著は『論理学体系』
『@(      )』『A(      )』 『B(     )』『代議政体論』と多岐にわたっています。


太郎:
19世紀になると産業革命の結果として大量の労働者階級が生まれ、厳しい搾取と不安定な雇用で苦しめられていましたから、スミスのようにただ私的利害を追及すればプライス・メカニズムでなんとかなるとか、ベンサムのように快楽量が大きければ幸福だとかいうように単純にはいきませんよね。

先生:
19世紀はダーウィンとC(    )の世紀と言われるくらいですからね。労働者階級が階級として成長して、搾取や窮乏に対して団結して立ち上がり、資本主義体制を倒そうとするまでになりました。言い換えればそれだけ社会の矛盾は深刻だったのです。J.S.ミルはD(      )主義の立場に立って経済学や倫理学を展開していたのです。

花子:ベンサムが量的功利主義と言われるのに対して
J.S.ミルはE(         )といわれるのはどうしてですか。

先生:
J.S.ミルはベンサムのF(       )を認めた上で、精神的快楽と物質的快楽では質的に精神的快楽の方が上だとしています。
「満足せるG(  )よりは、不満足なH(  )である方がよく、満足せるI(   )よりも、不満足なJ(       )の方がよい。」
 またこういう表現まであります。「畜生の快楽をたっぷり与える約束がされたからといって、何かの下等動物に変わることに同意する人はまずなかろう。馬鹿やのろまや悪者のほうが自分たち以上に自己の運命に満足していることを知ったところで、頭のいい人が馬鹿になろうとは考えないだろうし、教育ある人間が無学者に、親切で良心的な人が下劣な我利我利亡者になろうとは思わないだろう。」

太郎:
J.S.ミルは、「K(             )」が功利主義の精神を最もよく表現していると主張していますね。
「L(          、            )」という格言です。これがどうして功利主義なのですか。


先生:ベンサムの功利の原理では快楽を求め、苦痛を避けようと行動するのは、自分自身の欲望の充足のように見え、利己主義のようにみえるでしょう。


太郎:ええ、当然ですね。


先生:ところでベンサムは「最大多数の最大幸福」が目標だとしています。その場合に自分一人の幸福を求めているわけではありません。


花子:お城に住む貴族も浮浪者も皆一人として数えた上での、多数の幸福ですね。だからそれは単なる利己主義ではありません。自分を幸福にするのも、他のだれか一人を幸福にするのも同じ値打ちがあるわけですね。


先生:その考えを利己と利他に関するM(       )と言います。


花子:自分を幸福にする場合相手は一人だけだけれど社会や自然に働きかけて、貢献する場合には相手はたくさんになるから、利他主義の方がかえって功利主義にかなっていることになるのかもしれませんね。


先生:それで
J.S.ミルはこういいます。「N(   )があらゆる行動の格律の基本原理であり人生の目的であるという私の信念は微動もしなかったけれども、N(   )を直接の目的にしないばあいに却ってその目的が達成されるのだと、今や私は考えるようになった。自分自身のN(   )ではない何か他の目的に精神を集中する者のみが幸福なのだ、と私は考えた。たとえば他人の幸福、人類の向上、あるいは何かの芸術でも研究でも、それを手段としてでなくそれ自体を理想の目的としてとり上げるのだ。このように何か他のものを目標としているうちに、副産物的にN(   )が得られるのだ。」

花子:今年のセンター試験に
J.S.ミルの自由論がでていたそうですね。

先生:「O(      )の原則」です。つまり他人に迷惑をかけない限りたとえ愚行とおもわれることであっても、何をしてもかまわない自由です。彼は個性の発現を尊重しているのです。ヘーゲルの「P(      )」が自由だという捉え方とえらい違いですね。


太郎:
J.S.ミルの論理学はイギリス経験論の系譜だからQ(     )でいいのですか。

先生:いいところに気付きましたね。Q(    )で見出した命題がきちんとR(    )で展開できなければならないというのが、
J.S.ミルの論理学なのです。両者の統合です。
 

(      )に当てはまる語句

功利主義 ナザレのイエスの黄金律 帰納法 論理学体系 必然性の洞察 厳正中立 マルクス 演繹法 汝自身を愛するように,汝の隣人を愛しなさい 
ソクラテス 豚 他者危害 功利の原理 論理学体系 愚か者 社会改良 質的功利主義 幸福 経済学原理 人間 

 

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