ベーコンとデカルト
1ルネサンス科学
天と地を入れ替えてみて悟りしか宇宙の無限人のはかなさ
開けてみて五臓六腑は変らぬを如何に築きし文明の世
先生:ルネサンスは人間中心主義の思想を開花させ,自然を人間の為に研究し,改造しようとする科学・技術の発展を齎しました。太郎君ルネサンスの三大発明と呼ばれたのは何ですか?
太郎:@( ・ ・
)です。まず火薬は鉄砲や大砲の発明と結びついて、非西欧世界に対する軍事的優位を確立しました。羅針盤が大航海時代をもたらし、鉄砲と結びついて植民地獲得に貢献します。活版印刷は宗教改革と結びつき,バイブルの普及に大いに貢献したのです。
先生:ルネサンス二大論文というのは分かりますか、花子さん?
花子:一つは地動説を説いたコペルニクスの『A(
)』ですね。もうひとつはさて、ニュートンの『プリンキピア』かな。
先生:ニュートンは17世紀ですね。解剖によって人体と高等動物の類似を鮮明にしたB( )の『ファブリカ(人体構造論)』です。両方とも1543 年に発表されたのです。近代的な世界観・人間観の成立にこれらは重大な意義を持っています。
太郎:近代的な世界観は,コペルニクスの後、ケプラーの惑星運動の法則とC( )の落体の法則を統合したD( )の慣性の法則および万有引力の法則のように,天体と地上の統一原理をもとめる方向に発展し,物体間の関係として数学的・物理学的に説明しようとする傾向を強めました。これは又E( )が論証した無限の宇宙空間を前提しましたから、翻って人間存在のはかなさが強調され,実体としての霊魂の救済が求められたのです。
花子:それがF( )の「人間は考える葦である」という言葉になるのですね。B( )の『ファブリカ』はどんな影響を与えたのですか?
先生:それまで人間と他の動物は、全く構造が違うと思われていたのです。二足と四足の違いもありますが、『バイブル』の影響で獣は人間に支配されるために作られたと思っていましたので、次元が違うと考えられていたのです。でもB( )が解剖しますと、外見はかなり違うのに、構造は哺乳類ではほとんど同じなので驚いたわけです。肉体的にはほとんど変らないのにどうして人間だけ、言葉を自由に操り、文明を築くことができたのかが不思議ですね。それで肉体と魂は別で、神が魂を置き入れたというデカルトのG( )が唱えられることになるのです。
問@( )〜G(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
ベサリウス 心身二元論 ニュートン 天球の回転について
火薬・羅針盤・金属活版印刷 ガリレオ ジョルダーノ・ブルーノー パスカル
2ノヴム・オルガヌム
何事も割り切りてぞ捉えたる人にありがち種族のイドラ
井の中に篭りて世間狭くする己の洞窟抜け出し海へ
運命といふ言の葉に惑わされ運命信じて未来なくさじ
権威ある学説なれど己が眼で確かめるまで信じまじきを
先生:@(
)と言えばだれですか、花子さん?
花子:もちろんA(
)(1561〜1626)です。彼は,主著『B(
)(新機関)』で,主観は様々な思い込みに陥入り易く,客観を正しく捉えられないでいると指摘して,「C(
)」に注意を促しました。
先生:イドラというのは偶像という意味です。英語ではアイドルですね。アイドル歌手というのは本物の歌手というより、まがいものの歌手なのです。その方がアイドルに熱中するミーハーにとっては、自分と同一視できるからいいのです。
花子:でもこの場合はまがいものというよりも思い込みや偏見ですね。まとめてきましたから発表します。
(1)「D( )」―人間の種族に属することから生じやすい偏見です。人間は「地球は球形である。」というように何事も割り切って典型的な形で捉えようとします。でも厳密に計測すれば球形ではありません。科学・技術的には割り切って捉えていますと失敗の原因になります。
(2)「E( )」―各個人はそれぞれ特有の体験や教育環境からくる固有の洞窟を持っています。それでどうしても事実を歪めて受け止めてしまうのです。
(3)「F( )」―人間間の交際に言語を使用せざるを得ないところから,言語による偏見が起こります。例えば「運命」や「原子」という言葉があれば,誰もその存在を実証していないのに,それに対応する実在が有ると思い込みます。
(4)「G( )」―シェークスピアなどのお芝居は台本が良くできているので,とてもリアリティが感じられます。それと同様にプラトンやアリストテレス等の権威ある学説は論理構成が見事ですから,つい感心してしまい,実際の事実と照らし合わせるまでもなく真実だと思い込まされてしまいます。そこに偏見が生じるのです。
太郎:彼は実証が不可能で実用性のないギリシアの学問を退け,
「H(
)」として「知は力である」という立場で、自然を支配するために自然の法則性を見出そうとしました。
先生:彼が展開した科学方法論はI( )ではないJ( )でした。それは次の「三つの表」に整理して法則を確かめるもので,これによって科学技術の飛躍的発展が計れると確信していたのです。
(1)K(
)ー肯定的事例を洩らさずに表にする。
(2)L( )ー否定的事例を洩らさずに表にする。
(3)M( )ーある条件では肯定的事例だが,別の条件では否定的事例になる現象を洩らさず表にする。
花子:なるほど、これら三つの表から,どのような条件においていかなる法則が成り立つかが実証されるのですね。
先生:こうして自然の秘密を暴き自然を支配しようとすることは,神を懼れない罪業だとする非難に対して,神が隠した自然の秘密を暴くのは,神から与えられた能力によって神を讃える事であるとしたのです。しかし自然に対する支配は健全な理性と正しい信仰に導かれなければ人間の幸福を増進する事にならないと警告しています。人間の自然に対する支配によって形成された近代の物質文明が,深刻な人間疎外を齎しているのを鑑みますと,ベーコンの人間中心主義的で実用主義的な科学論にも反省の必要がありそうです。
問@( )〜M(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
イギリス経験論の祖
程度の表 自然は服従することによってでなければ,征服されない。
洞窟のイドラ 新しい帰納法 存在の表
市場のイドラ フランシス・ベーコン
欠如の表 種族のイドラ
単純枚挙 劇場のイドラ 四つのイドラ
ノヴム・オルガヌム
倫理解答
ルネサンスの思想
1.人間性の解放 @再生 A復活 B古典古代 Cアラビア Dローマカトリック教会 E罪悪視 F欲望の充足 Gデカメロン Hベアトリーチェ I神曲 Jペトラルカ Kミケランジェロ L万能人 Mレオナルド・ダ・ヴィンチ
2.ピコとサルトル @ピコ・デラ・ミランドラ A人間の尊厳について B一定の住所
C特性 D自由意志 Eプロメテウス Fエピメテウス G欠陥動物 H無限の可能性 I実存主義的 Jイエスの贖罪 K人間の本質
3.自由意志論争 @自由意志 Aアウグスティヌス Bイエスの贖罪 Cエラスムス D一切の道徳 E痴愚神礼賛 Fルター G奴隷意志論 H神の恩寵 I予定
4.マキャベリとアルベルティ @権謀術数 Aマキャベリ B宗教や道徳 C力の論理 D狐 Eライオン F君主論 G商人貴族 Hヒューマニズム Iアルベルティ J時間K利益 L仕事 M目的 N職業召命観
5.北欧ルネサンス @アルプス A北欧ルネサンス Bオランダ C倫理的
Dローマ教会 Eバイブル Fイエス・キリスト G教会儀礼 Hエラスムス
I痴愚神礼賛 J痴愚と狂乱 Kリーフデ号 Lモリア M自己の痴愚 N人間の本質 O肯定的 P無知の知 Qトマス・モア Rユートピア Sラブレー
6.モラリストの活躍 @普遍的な生き方 Aモラリスト B独断 Cモンテーニュ Dク・セ・ジュ Eエセー F機智とユーモア G懐疑的態度 Hパスカル Iパンセ J人間は考える葦である。 K宇宙の無限 L悲惨 M偉大 N中間者 O動性
P状態性 Q幾何学的精神 R繊細の精神 Sデリカシー
宗教改革の思想
1.95カ条の意見書 @エラスムス Aルター Bイエス・キリスト C自由意志論
D贖宥状 E95カ条の意見書 F救済や審判 G予定 Hカルヴィン
Iローマ・カトリック教会 Jプロテスタント
2.信仰義認論 @宿命論 A修道僧 B修道院 C罪の深さ D修行や善 E不可能性Fキリスト G罪人のまま H永遠の生命 I信仰義認論
3.キリスト者の自由 @神の恩寵 A道徳 B利己的動機 C偽善
Dキリスト者の自由 E自由な君主 F奉仕する僕 G聖書中心主義 H福音主義
Iドイツ語訳 Jグーテンベルグ K万人司祭主義 L職業召命観 Mドイツ農民戦争
4.カルヴィンの活躍 @ジュネーヴ Aカルヴィン Bユグノー Cゴイセン
Dピューリタン Eキリスト教綱要 F予定説 G致富 H利子や利潤
Iプロテスタンティズムと資本主義の精神 J本源的蓄積
ベーコンとデカルト
1.ルネサンス科学 @火薬・羅針盤・金属活字印刷 A天体の回転について
Bベサリウス Cガリレオ Dニュートン Eジョルダーノ・ブルーノ Fパスカル
G心身二元論
2.ノヴム・オルガヌム @イギリス経験論の祖 Aフランシス・ベーコン
Bノヴム・オルガヌム C四つのイドラ D種族のイドラ E洞窟のイドラ
F市場のイドラ G劇場のイドラ H自然は服従するのでなければ、征服できない。
I単純枚挙 J新しい帰納法 K存在の表 L欠如の表 M程度の表
3哲学入門
ほろ苦き青春の涙なめしより問ひ初めしかは生きるということ
太郎:先生、冬休みに哲学書の古典的な入門書を一冊読むとしたら何がいいですか?あまり長いのは無理ですが。
先生:プラトン著『@( )』は哲学の原点みたいなものです。「無知の知」の自覚が感動的に分かります。それからデカルト著『A( )』です。疑いうる全てを疑って、疑い得ない絶対確実なものから出発しようという態度は、大切です。ベーコンと共に近代的自我の確立を示しています。それからサルトルの『B( )』ですね。
花子:私はもっと易しい高校生用の哲学入門みたいなのが読みたいのですが。
先生:そりゃあ何と言ってもヨースタイン・ゴルデル著『C(
)』でしょうね。ファンタジーと14歳の少女向け哲学入門が合体したもので、世界中で十年ほど前に大ベストセラーになりました。大阪哲学学校の編集で『『ソフィーの世界』の世界』というのを出しました。そこに私も「娘と語る『ソフィーの世界』」という対話編を書いています。
哲学ファンタジーとしてはやはりサン・テグジュベリ著の『D( )』が最高傑作でしょうね。英語が苦手な人にはシドニー・シェルダンの『E(
)』も哲学ファンタジーの傑作で、お勧めです。
問@( )〜E(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
ドリッピー
実存主義とは何か ソフィーの世界
星の王子様 ソクラテスの弁明
方法序説
4.方法的懐疑
果てしなき懐疑の末にたどり着く「懐疑する我」確かなりしか
花子:ベーコンに連なる学派が@(
)ですね。あくまでも実験と観察の結果のみを信用するというのが特色です。
先生:ええ社会契約論で活躍するA( )やB(
)などが含まれます。
太郎:@( )がC( )で実験・観察の結果から法則を導き出したのに対して、D( )は絶対確実な真理から定理をE( )して真理の体系を構築しようとしたのでしょう。
先生:その筆頭がF( )(1596 〜1650)です。彼は1637年の『G( )』で彼の学問の方法を説明しています。真理を展開するためにはH( )から出発すべきです。そのためには少しでも疑わしいものは真理ではないとして斥けなければなりません。これを「I( )」と呼びます。
太郎:ふだんは全く疑いもしないことでも、H( )にたどり着くためにあえて疑ってみるということですね。
先生:先ずJ( )です。つまり眼に見える現実ですね。ときには見間違えということがあるでしょう。それでJ( )が心に描かせるものは存在しないと想定します。
花子:華のように麗しい私が先生の目の前にいるということも疑わしいということですか。
太郎:そりゃあ大いに疑わしいよ。「確かに見た」という目撃証言も絶対確実とは言えないということですね。
先生:次に幾何学をはじめとする全てのK( )も間違う可能性があるので偽なるものとして投げ捨てます。
花子:<ガリレオは二等辺三角形の両底角が等しい>のは、人間においてだけでなく、神においても正しいと言っていますよ。
太郎:絶対確実なものにたどり着いて、そこから神を証明して、その上で言えることです。まだ絶対確実なものにたどり着いていないのですから、そこでのK( )は絶対確実とはいえないということです。
先生:そして目覚めているときにもつ全ての思想がそのまま眠っているときにも現れるので、どの思想も真とは言えないとして,精神に入ってきたものは全て真ではないと仮想しました。
花子:もう何も残っていないでしょう。絶対確実なものなんて。
太郎:ところがあるのです。それはすべてをL( )です。これだけは、疑っている以上疑えないのです。
先生:パチパチ、よく勉強していますね。そうなのです。そうデカルトは確信したのです。それで「M( )」という真理をN( )に据えたのです。
花子:なんだか納得いきません。確かに疑っていた以上、疑っているということは疑えないのですが、それが私が疑っていたということは、どうして言えるのですか。まだ神さえ証明できていないのに、O( )がどうして確実なのですか?
太郎:じゃあ誰が疑っているの?疑ったり、考えたりするのは「我」しかないだろう。
先生:これはすごい疑問ですね。デカルトに尋ねてみないと。確かに絶対確実なものを求めると言っても、疑ったり考えたりしていることは確かでも、その主体が存在するというのは飛躍のような気もします。ただデカルトがそう考えたのは、ラテン語やフランス語の構造からきたかもしれません。もちろん無意識にですが。その場合の「コギト」は動詞「考える」の一人称単数現在なのです。つまり考えるという行為の中に「我」が含まれてしまっているのです。
太郎:だから考えている以上、考えている我は確実だということになったということですか。
先生:そこでこのコギトは、「我思う」がP( )、実体化されて「考える我」という意味になるのです。そしてコギト(考える我)はあらゆる物質に依存しない実体としてのQ( )だということになります。
花子:ということは、身体や頭脳があって、それらが考えているのではなく、「R( )」があって、それが考えているということですね。
太郎:考えている以上、私の頭脳が働いているのが確実ということではなく、頭脳は感覚的現実だからまだ確実ではなく、コギトが考えていることが確実だということですか。
先生:ええ、そうです。そして彼はコギトにS( )はすべて真であると認めることにしたのです。
問@( )〜S(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
絶対確実な真理
ホッブズ 明晰判明なもの 主体化
ロック 演繹 イギリス経験論
疑っている私の存在 大陸合理論
考える我 哲学の第一原理 精神的実体
デカルト
我という存在 数学的論証
コギト・エルゴ・スム(我思う・故に・我有り)
感覚的現実 方法的懐疑 方法序説
帰納法
4生得観念としての神
完全な神という名の観念を不完全なる我、つくり得ざらむや
花子:@( )からコスモスの全てを演繹するということになりますね。さしあたり何をコギトから演繹するのですか?
先生:次に彼は疑っているコギトは完全でないことに気付きます。A( )は完全なものの存在に依存している筈です。だからコギトが存在するなら完全なもの即ち神も存在することになります。実はこの論証はB( )が懐疑論者に対して行った批判に含まれていたのです。
太郎:きちんと引用していたのですか?引用がなければ剽窃でしょう。
先生:私はこの話を広島経済大学の渡部宏太郎先生に伺ったのですが、そう言わないと私も剽窃ですね。引用はなしです。また完全なものの観念,すなわちC( )は不完全なものに依存できないので,不完全なものであるコギトが作り出すことは不可能だとしました。だからC( )は完全な存在である神がD( )にコギトに置き入れたE( )だということになるのです。こうして神の存在を証明したのです。
花子:それにしても納得できません。F( )である神が、不完全なコギトの存在によって論証されているというのは完全ではないことになりませんか。
太郎:そんなことを言ったら神は完全だから、その存在は自明で疑いの余地のないものになってしまいます。しかしもし神が自明の存在なら、信仰の対象ではなく、従って神ではないことになります。デカルトは、不完全なものは完全なものによって支えられていると言った段階で既に完全なものである神を前提しています。本当はコスモスが不完全で有限な事物からだけ構成されているのではないことの論証が必要だったのでしょう。
先生:既に太郎君はデカルトを超えているね。ところで、この神の観念がE( )だというデカルトに対決したのがイギリス経験論のG( )です。彼は、神がE( )でないという証拠に,未開人や東洋人でC( )を持たない人が存在し,西洋でも幼児には明確でないとして,C( )はH( )な観念だとしました。こうしてG( )は人間は生まれつきは「I( )」であって,「J( )」形成されると主張し,K( )を確立したのです。
問@( )〜K(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
イギリス経験論
考える我(コギト) ホワイト・ペーパー
ア・プリオーリ 神の観念 ロック 完全者
アウグスティヌス 生得観念
ア・ポステリオーリ あらゆる観念は経験から
不完全なもの
5主観・客観認識図式
客観の事物に己の情念を置き入れまじき理を知りたくば
先生:デカルトによれば,神は人間にいつも@( )を与えるとすれば,完全者としての神の定義に悖ることになりますので,感覚的な現実もコギトに「A( )」であれば実在性を持つことになります。
花子:あんなに懐疑的だったのに神を証明してしまうと今度はあっさり、感覚的現実まで認めてしまうのね。
太郎:感覚的現実というのは、イギリス経験論が実験と観察の結果確かめたものだけ信じると言う場合の実験と観察の結果ですよね。デカルトがこれを疑ったのは凄かったのですが、見掛け倒しですかね。
花子:感覚的現実がA( )なら、それは確かだというのは、神に支えられてこそだと釘をさしているわけですね。そうしておかないと、実験と観察の結果が一人歩きして、無神論的な近代科学が成立してしまいそうですからね。
先生:ええその通りです。考える我がB( )であるのに対して、物質もまた神に支えられていることでC( )として認められるのです。
花子:C( )という表現はなじめませんね。物質には延長的な性質があるということでしょうが、それはたとえば、長さや体積や質量が有ると言う意味ですか。
太郎:逆に言えば、精神をそのような量的あるいは感覚的なもので捉えてはいけないということですね。
先生:ええ、そうです。こうしてD( )を峻別しました。そして客観的な事物を主観を交えずに認識する科学的なE( )を確立したのです。その結果,認識対象としての自然は,主観的な情緒や意志や目的を持たないF( )に脱色されてしまいました。単なるG( )としてしか対象を捉えられない傾向が,近代のデカルト的合理主義の問題点だと言われています。これがH( )をもたらしたというのです。
花子:I( )というのが観る側で、そこに精神・意志・感情が属し、J( )というのが観られる側で、自然・物質・対象が属しているという図式ですね。
問@( )〜J(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
主観・客観の認識図式
人間疎外 精神的実体
主観 機械的な物体や手段 客観
偽りの表象 精神と物質 明晰かつ判明
機械的な自然 延長的実体
6物心二元論
魂は頭のてっぺん主座にして巡れる情報巧みに読み解く
太郎:ベサリウスの『ファブリカ(人体構造論)』を踏まえて、デカルトは人体と動物の身体には本質的な差異はないとしたのですね。
先生:ええ、そうです。物を神が造られた精巧な@( )として捉えました。人間も身体だけを捉えればやはり@( )に違いないのです。しかしそれがいかに発達したとしても,人間のようにA( )を状況に応じて使い分けるようになれるとは考えられないとし,きっとB( )が頭脳の中のC( )を主座にして,身体と結合しているに違いないと推理したのです。この考えを心身二元論と言います。
花子:心身二元論とD( )は違うのですか。
先生:同じことです。D( )は、精神的実体と延長的実体によって世界ができているということですね。それが身体において心身二元論の形で結合しているということです。この考えと徹底的に対決したのがE( )の人間機械論です。彼はデカルトの動物機械論を更に徹底し,人間の言語を使った思考活動もF( )の物質的運動として説明し切りました。つまり精神的主体は身体とは別ではないというのです。
太郎:それは頭脳が考えるということですか。
先生:外界からの刺激が記憶として残り薄れ行くメモリィつまり残像ですね。これがF(
)の正体ですが、それが活発に物質的な運動を繰り広げて、互いに引き合ったり、反発しあったりして、外界の情報が整理され、どう反応すべきかが決定されるのが思考た゜というのです。人間の場合、G(
)が他のイマジネーションの記号として作用することで言語が形成されたとしています。
花子:それが精神的実体ではないのですか。
先生:ええ、でもデカルトとは違い物質という延長的実体の活動として捉えられているでしょう。デカルトの言う精神的実体は物質ではない、延長をもたないものですから、デカルト的な意味での精神的実体として存在するわけではないのです。ホッブズによれば人間は欲望を充足することによって自己保存するH( )であり,I( )はその自己制御機能に他ならないのです。
問@( )〜I(
)に当てはまる適当な語句を記述しなさい。
イマジネーション
理性 自動機械 言語
音声のイマジネーション 欲望機械 霊魂
松果腺 物心二元論 ホッブズ