人間論講座

         

実践的人間論の試みー荀子の社会的人間論ー
やすい ゆたか


 

一、       バイブルの性悪説

 

 禁断の木の実を吾に与えしは、蛇や女に咎をふるまじ

 荀子は、姓は荀、名は況と呼び、尊称では荀卿とか孫卿とか呼ばれていました。彼の生没年は確定が難しく紀元前三三○年から紀元前二二五年位の間に生存していたと考えられています。秦の始皇帝による天下統一は紀元前二二一年ですから、その直前まで生きていたことになります。

 秦は法家の思想を採用して、統一の偉業を成し遂げたのですが、秦の始皇帝に仕えた李斯や思想的に重要な影響を与えた韓非は、実は荀況の門下生だったのです。そこで荀況は儒家から法家への変質過程にあったと言われています。

 荀子と言えば、孟子の性善説に対して性悪説を唱えたことでよく知られています。人間は性善か性悪か、はたまた告不害のように善悪無記かは宗教や倫理思想では大変重要な問題です。荀子の性悪説を取り上げる前に、その他の性悪説を検討しておきましょう。

 何といっても バイブル』の原罪説話が性悪説の代表でしょう。「創世記」第三章によりますと、エデンの園の中央に「生命の木」と「善悪を知る木」があり、アダムとエバは中央の木からは木の実をとって食べてはならない、食べたら死ぬことになると警告されていました。

 ところが蛇がエバに
「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べるとあなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」
と誘惑し、女は
「食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから」
その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べたのです。すると目が開け、裸であることがわかったので無花果の葉を綴り合わせて腰に巻いたのです。

 「目が開け」とありますが、「目には美しく」とありますから、盲人だったという意味ではなく、善悪を判断する目が開いたということでしょう。裸という観念がなかったのが、善悪を知る木の実によって性器を露出していることが恥ずかしいことだとわかったのです。神に裸の姿を見られるのを恐れたため、禁断の木の実を食べたことが露見してしまいます。

 そこで神の審きが下ります。まず蛇には
「おまえはこの事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣の内、最も呪われる。おまえは腹で這い歩き、一生塵を食べるであろう」。
そして女に
「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなおあなたは失を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。
最後に男には
「地はあなたのために呪われ、あなたは一生苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。あなたは額に汗して。パンを食べ、ついに土に帰る。あなたは土から取られたのだから、あなたは塵だから塵に帰る」。


 こうして善悪を知る者となったアダムとエバは、神から皮の着物を授かり、外見上は神のようになったのです。つまり神は衣服を着ており、獣たちは裸なのです。そして放っておくと「命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない」としてエデンの園から追放されます。エデンの東で、人がそれから作られた土を耕すことになったのです。これが堕罪⇛楽園追放説話のすべてです。

 これに対して様々な解釈がなされて来ましたが、『バイブル』の記述の内容はこれだけだと知っておく必要はあるでしょう。

 この説話で誘惑の蛇が重大な役割を演じています。それがサ夕ンの化身だというのは解釈に過ぎません。誘惑の蛇は精神分析学では男根のシンボルです。ですからエバがまず性的な官能の虜になり、性的欲望に目覚めることによって、神の命令では自己を制することができなくなってしまったのかもしれません。そして禁断の木の実という刺激や好奇心に取りつかれて罪に堕ちてしまったともとれます。

 文鮮明は蛇=サタンと解釈し、サタンとエバとの不倫が堕罪の原因だとし、結婚に際してはメシアの血によってまず女を清めなければならないとして、「血分け儀式」を考案しました。

 女性の不倫に罪の根源を求め、その罰として夫に従えというというのは、女が欲望に溺れやすくて、理性によるコントロールが効かないので、男に管理されて当然だという論理なのです。また欲望の盲目的な追求こそが悪であるという性悪論に共通した論理です。

最初の人間たちが犯した罪は神の命令に背いたということです。根源的な悪は神への背信、裏切りにあるのです。しかもそれは「善悪を知る木の実」を食べること、つまり自分で価値判断する能力を持つことにあるのです。

 では何故神は「善悪を知る木の実」を食べることを禁じたのでしょうか。それはきっと神以外に善悪を判断する者が存在するのを危倶したからでしょう。神だけが善悪を判断できるのなら、すべては神の命令に従っていればよいのです。でも神とは別に各個人が善悪を判断できて、神の善悪判断と自分の善悪判断が異なれば、いずれを取るべきかで深刻な良心の葛藤が避けられません。自らの良心に忠実なるが故に神に背くという事態も起こり得るのです。 

神という普遍妥当的価値と諸個人の個別的価値が並び立ってしまえば、エデンの園も平穏ではあり得ません。特に欲望に目覚めた人間たちは善悪判断の能力を、身勝手な欲望充足行為を合理化するのに使おうとするでしょう。そこで神はエデンの東で自分の力で土を耕して生きるように命じたのです。

自分の価値判断によって生きる限り、人間は額に汗して自分の力で生きるべきなのです。エデンの園では何の労働も心配も無く、何も思い煩うことも無かったのですが、それが果たして幸福であったのかは 問題です。エデンの園はいわば子宮のようなもので、人間たちにはまだ明確な自己意識がなかったのかもしれません。価値判断能力は実は自己意識の形成を意味していて、これが神からの自立を象徴しているのです。ですから人間が人間として生きるためには神から離れることが必要で、これが神への裏切りという通過儀礼の意義なのです。

この罰として人間が得たものこそが人間の本質なのです。つまり生殖=家族形成と労働そして有限性としての死こそが人間を本質的に規定しているのです。神を善として捉えますと、神からの乖離はそれ自身悪に他ならなくなりますから、罪に堕ちて、「肉の原理」に従い欲望を充足することによって生存を保 つ人間存在は、善を為したり、善を意欲したりできなくなってしまいます。

そこで原罪を背負った人間が善を為すのも、善を意欲するのもひたすら神の恩寵によると、アウグスチヌスは説いたのです。だから人間は罪人であることを逃れることはできない、自らの力で善を為し、罪を償って更生することはできないというのです。誠に救いがたい性悪説ですね。

そこで我々罪人の罪を代わりに贖う犠牲の羊が必要になります。それが人類に代わって十字架につき、罪を贖ったとされるイエス・キリストなのです。イエスは罪人の一人ではないのです。イエスが神のひとり子とされて聖化されるのは、我々と同じ人間のひとりなら自分の死で自分の罪を贖えても、全人類の罪は贖えないからです。そこでイエスは、聖霊が乙女マリアに宿って誕生した罪のない神の受肉だったので、贖罪が可能だということにしたのです。

ルターも、人間はイエスをキリストと認めることによって罪人のまま救われると、信仰義認説を唱えました。彼は旧約聖書の意義をトーラー(律法)の成就が不可能だと示したことにあるとし、新約聖書の意義を、キリストの十字架が人類の贖罪であり、イエスをキリストと認める信仰によって罪人のまま救済されることを説いていることにあるとしました。労働や菜食や死を堕罪に対する罰として捉え、生殖と生存のためのエロス的な欲求充足を悪として規定する原罪説話が、人間の生に対する否定的観念を人類に植えつけ、宿命論的で悲観的な人生観を醸成してきたと、ニーチェやマックス・シェーラーはユダヤ教・キリスト教を非難しています。この非難自体は正当です。もっと生を楽天的に明るく充実したものとしてそれ自体を自己目的的に捉えるべきでしょう。

でも人生の様々な苦しみに耐え、自らの止みがたい衝動的な欲求に悩まされているのですから、それらを罰や悪として捉えることで、諦めたり、鎮めたりするのは、精神安定剤としての『バイブル』の大切な役割でもあります。

ただしイエス自身が救いがたい性悪説に立っていたと解釈するのは賛成できません。彼は、トーラーへの拘りに利己的な救済願望を見出し、そこに罪の根源を抉り出しました。そして神への愛と隣人への愛に生 きることが、神の国に生きることだと確信し、愛に生きることによって、罪は贖われ、「永遠の今」という生命の充実を感得できるとしたのです。ですからイエスの十字架が贖罪の効果を持つとしたら、それは二つの愛を死を賭して貫いたイエスを通して、自らの罪を懺悔し、今までの自分は死んで、蘇ったキリストとなって「キリストに倣いて」生きることができてこそなのです。決して罪人のまま救われるのではないのです。「第二章 神・自然・人間《ハイブルにおける人間 》」を読み返してみてください。

二、親鷲の性悪説

 

 欲満たしはじめて動くメカなれば善を繕ふそれも欲なり

  性悪説といえば、すぐさま親鸞を連想される人も日本では多いはずです。

「悪性さらにやめがたし、こころは蛇蝎のごとくなり、修善も雑毒なるがゆへに、虚仮の行とぞなづけたる」(「正像末法和讃」)。

我執に囚われ、煩悩に悩まされる心は、いくら修行をしても克服することはできません。自分の心の中を覗くとそこには欲望の蛇や蝎が黒いとぐろを巻いているのです。善を積む修行にも煩悩の毒が混じっていて、いつわりの修行という他ありません。

人間の肉体は欲望を充足することで動くメカですから、食欲や性欲が生理的に四六時中起こってきます。これらを適当に処理しないと、なかなか落ち着いて理性的な仕事に没頭することはできません。

また激しい生存競争の中で生き抜くためには、自己保身と自己利害の追求に汲々としていなければなりません。いかに他人を蹴落とし、自分が這い上がるかに必死で、勢い浅ましい振る舞いに及んでしまいます。それは実は世俗を捨てているはずの僧侶の世界でも例外ではないようです。これでは修行に身が入りません。形ばかりになってしまうはずですね。

法然は、修行の道を聖道門と浄土門に分けました。自力で仏道修行して悟りに到達するのを「聖道門」と呼び、ひたすら念仏を唱えて、阿弥陀仏の力で成仏しようとするのを「浄土門」と呼びました。末法の世で自力で修行をやり遂げることも、悟りに到達することも不可能なので、ただひたすら念仏を唱えて阿弥陀仏にお縋りする、他力の救済しか有り得ないと言うのです。

仏教は元々は八正道や六波羅蜜という修行を通して、宇宙の原理を体得した仏陀(=目覚めた人)に成るための沙門 (=修行者)集団だったのです。仏陀には宇宙の原理である梵天(ブラフマン)も帰依する程ですから、人間が神々より偉大に成れるというヒューマニズムに立っていたのです。

とはいえ出家して仏門に入る人はごく僅かです。大部分の衆生(生きとし生けるもの=大衆)は我執に囚われ、煩悩に苦しんだままなのです。そこで縁起の法を悟り、自他の区別を超越しようとしている沙門たちは、衆生の済度を願っていて、そのために仏陀になろうと努力するのです。

このような修行をしていて、やがて仏陀になる予定の人を菩薩と呼びます。菩薩の目的は自分が仏陀に成って自分が救済されることではなくて、衆生済度にこそあるのです。しかし衆生は布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵の六波羅蜜の修行に励むことはありませんから、悟りに到達することもありえません。それでは菩薩や仏陀が衆生済度することはできないのです。でも菩薩にすれば、衆生を生死の苦しみに置いたままでは気掛かりでたまりませんから、自分だけ欲望を吹き消した心静かなニルバーナ(涅槃)の境地に達することはできません。

大乗仏教では、仏陀や仏陀に成るカが充分有りながら衆生への慈悲の故に仏陀に成り切れない菩薩の力を神格化する考えが広がります。それは無我の真理を悟ることで、宇宙のダルマ(法)と一体化したのですから、その智恵は無限で法力には不可能も有り得ないと俗信されるのです。

時代が経てば経っほど、多くの仏陀(仏陀は目覚めた人という意味の普通名詞)が説いた多種多様な真理がひしめき合いました。そのどれもが自分をゴータマ・シッダールタと同一視していましたから、お経はすべて一人のお釈迦様(大日経は大日如来が説かれたことになっています)が説かれた体裁になっています。それで整理がつかなくなっているのです。

そうであればある程、お釈迦様の智恵や法力は無限だと思われたのです。そこで到底凡夫ではこのような広大無辺な智恵には届くはずもない。しかし衆生済度をひたすら願っておられる慈悲深いお釈迦様だから、きっと無限の法力で衆生を救ってくださるに違いないと思われたのです。

 そこでニルバーナのお釈迦様の慈悲の権化が阿弥陀仏として捉え返されます。慈悲の権化ですから衆生済度だけをひたすら願っておられます。これを「弥陀の本願」と呼びます。この法力は慈悲自体の純粋な固まりですから絶大です。それでどんな悪人でも救わずにはおれないのです。ですからわれわれ衆生が「南無阿弥陀仏(阿弥陀様にすべてお任せしますから、どうか救ってください)」と心からお願いすれば、必ず救ってくださるということです。

そこで阿弥陀仏は衆生が煩悩を離れられないのを見て、憐れんで下さるわけですから、善根を積んで努力している善人よりも、煩悩に翻弄されて救いがたいように見られている悪人の方を、より憐れんでくださるわけです。

親鸞の弟子唯円著『歎異抄』

「善人なほもて往生とぐ、いはんや悪人においておや(善人だって極楽にいって生まれることができる、まして亜心人が極楽往生できない筈がない)」

 とありますが、これは「悪人正機」説として有名です。自分が善いことをしていると考えている善人は、善い報いがあるだろうと打算的に考えています。ですからどうしても御仏に救っていただかなければならないという切実さに欠けるのです。ところが自分が煩悩に苦しみあさましく生きてきたと自覚している悪人は、到底救われないと思って絶望していますので御仏に縋る気持ちが切実なのです。そうしますと本当に自分が善人であるか、悪人であるかは事実問題としてはどうでもいいことになります。己を救いがたい悪人だと自覚すればするだけ、信心が切実で本物になるという構造になっているんです。

マキャべリは『君主論』 で、政治を道徳や宗教から切り離して捉えるべきだとしました。政治は政治の論理で動いているのだから、君主の力を強めて豊かで強力な国家を建設するためには、必要ならば道徳や宗教を無視すべきだと説いたのです。それこそ立派な国家を建設するための政治家としての良心なのです。つまり他人から見れば悪逆非道な権力者に思えても、本人は天下国家、万民のために勇断を振るってきた善人だと思っている場合もあるのです。

むしろ自分の行いを悪だと自覚した上で、欲望や利害に絡め取られて、やむを得ず悪に手を染めている人は、良心的なのです。一番手が付けられないのは、自分の行いはあくまで正義だと確信して、堂々と悪逆非道なことを貫徹しようとする連中です。前者は罪の意識が有りますが、後者には全く有りません。前者が親鸞の言う「悪人」で、後者は「善人」なのです。自分のライフス夕イルや価値観を当然視している人は、「善人」になりがちなのです。それに自然の食物連鎖や浄化サイクルの枠組みを破壊し、て、資源を食い荒らし、環境を破壊している人間存在全体が現在においては、地球生命から見て極めて危険な「悪」として存在しています。現在のライフスクイル自体が「悪」でしかあり得ないということを厳しく認識しておく必要があるのです。

我々はつい人間関係や社会関係においてだけ善悪を問題にしますが、それらがよって立つ自然関係において、より根源的な善悪が問われるべきなのです。では悪人の自覚を介して親鸞は何を目指すのでしょう?本来、悪人の自覚は、懺悔と改心によって罪の償いと生活の改善に向かうべきです。元々親鸞の場合は往生の要領を説いているのですから、悪人の自覚によって絶対他力の信仰を打ち固め、阿弥陀仏の救いに求める以外にはないのです。

 ニルバーナ(涅槃)とは欲望を吹き消した境地という意味です。そこに到達するのが解脱です。本来は八正道や六波羅蜜によってアプローチするのです。しかし煩悩具足の衆生にはそれは不可能です。でも衆生済度が仏教の本意ですから何としても、ニルバーナへの道をつけてやる必要があるのです。それは悪人の自覚によって徹底的に絶望し、御仏の慈悲に身を任せきることによってです。

つまり阿弥陀仏という慈悲の権化と悪人の自己が、正反対の極に立って、正面から向き合い、善と悪、プラスとマイナスが強烈に感応するのです。そこで両者の対立は刹那に解消し、欲望は吹き消され、無の境地に達するのです。これが煩悩の地獄の只中で、阿弥陀仏の慈悲に包まれたニルバーナすなわち「自然法爾(じねんほうに)」に他なりません。かくして自他の区別を超越した縁起の思想によって広大無辺な慈悲に生きることができるようになるのです。

            三、荀子の性悪説

 

 性情のままに動かば危ふかり師法の化うけ道に適へり

  『バイブル』や浄土教の性悪説が、悪を人間存在それ自体の根源的な規定性として捉えているのに比べまして、荀況の性悪説は、放っておくと人間は生まれつき欲望に向かい、結果として悪を行う傾向にあるから、「性は悪である」とし、そうならないように人為的に人間の傾向を善に向かうように矯正すべきだと主張したに過ぎません。「人之性悪、其善者偽也。(人の持って生まれた本性は悪です。人の善は人為によるのです)」。「偽」は 『荀子』 では「人為」の意味で使われます。「偽」を「偽り」の意味で使うのは『老子道徳経』です。

「大道廃有仁義、慧智出有大偽(本当の道が廃れてしまったので、仁義などというでっち上げの道が説かれるようになった。さかしらな智恵が幅を効かして、大きな偽りが罷り通っている)」。

元々「偽」が「人為」の意味で通用していて、人為を退ける老荘思想以後「偽り」の意味になったとしたら、『荀子』は『老子道徳経』より新しいはずですから、辻棲が合いません。おそらく 『老子道徳経』の元の形は「大道廃有仁義」だけで、後世の道家がその後に「慧智出有大偽」を充実させたと考えられていました。しかし一九九三年に、郭店一号楚墓(かくてんいちごうそぼ)から『老子』の原本が出土しました。それは紀元前三〇〇年頃のものですから、後代の加筆訂正説は破綻したのです。だって紀元前三〇〇年なら荀子はまだ一三歳ですからね。となると偽は人為と偽の両方の意味があったということでしょうか。

「今人之性、生而有好利震、順是故争奪生、而辞譲亡馬。生而有疾悪鳶、順是故残賊生、而忠信亡鴛。生而有耳目之欲好聾色震、順是故淫胤生、而濃義文理亡鴛。然則従人之性、順人之情、必出於争奪、合於犯文胤理、而婦於暴。故必終有師法之化 禮義之道、然後出於酔譲、合於文理、而録於治。用此観之、然則人之性悪明実、其善者偽也」
「さて人の本性には、生まれつき利を好む傾向があります。それで利をめぐって奪い合いが生まれ、譲り合いが無くなるのです」。

ホッブズは人間を欲望で動く機械と捉えました。自己保存のためには欲求を充足するために、それに必要な財を手に入れなければなりません。自然状態ではその方法に関して規制し、平和裡にその獲得競争をおこなわせる強制力がありませんから、どうしても財の奪い合いが生じてしまうのです。それで「万人に対する万人の戦い」「万人が万人に対して狼」の状態が出現します。放っておくと奪い合いになるという発想は、荀況とホッブズでは同じなのです。

でもホッブズはこれを性悪説としては展開していません。むしろ人間の自己保存本能は、あくなき欲求の追求によって人間を無限に発展させる根源的な力なのです。放って置けば戦争になるという体験を通して、理性の決断でコモン・パワー(共同権力)を樹立しようとするのも、自己保存本能があればこそです。

利というのは経済的概念です。ですから有用性がどれほど大きくても無尽蔵にある自由財に対しては、適用されません。自由財と経済財の区別を行って、利を争奪しあうのは、生まれつきの性格というよりも、社会的な生存競争の結果身についた傾向なのです。たとえ後天的な傾向でも先天的な傾向だと見なされるのは、社会の中で生き抜くにはこの傾向が基本的に求められるからなのです。

「人には生まれつき嫉んだり、憎んだりすることがあります。それをそのままにしておくと人を傷害するようになり、誠意をつくして信頼しあうことがなくなります」。

ニーチェは、劣等感から嫉み憎むルサンチマンという感情が巨大なエネルギーでより強い者、より貴い者に向けられ、引きずり下ろそうとすると指摘しました。キリスト教や社会主義はルサンチマンの現われに他ならないというのです。

嫉み憎む感情は先天的でしょうか。これは群れを成して社会生活を営んでいる高等動物でも、あるいはボスに対して抱くことがあるかもしれません。その鬱積した感情の捌け口を弱い者に向けて晴らそうとすることも、動物でもするかもしれませんね。でもそれは決して先天的な感情ではありません。社会生活に伴うフラストレーションですから後天的なものなのです。とはいえ社会生活を送っていれば必ず抱くようになる感情ですから、先天的だと見なされがちなのです。

荀況の性悪説は、利を好むようになる素質や人を嫉み憎むようになる素質を悪としているのではありません。「利を好む」のが「争奪」の素質であり、「疾惡(しつお)する」のが「忠信亡ぶ」素質なのです。これらの素質を生まれつき持つから性悪だという議論です。

利を好むようになった経緯や人を嫉み憎むようになった経緯を検討しないで、生まれつき利を好んだり、人を嫉み憎むというのは説得力がありません。戦国時代はあるいは人心が荒れすさんでいて、生まれつきそのように思えたのかもしれませんね。

ところで『孟子』では逆に惻隠の心、羞悪の心、辞譲の心、是非の心を生まれつきだと考えられていました。これらの心も、素質としては先天的でも、実は社会的なもので後天的に形成されたものでしたね。ですから性善も性悪も素質として両方あるわけでして、性善の素質を伸ばし、性悪の素質は抑えて矯正してやればいいわけです。このように捉え返せば、性善・性悪論争は丸く収めることができたはずです。

「生まれつき耳は椅麗な声や音楽を聞きたがり、目は美しいものを見たがります。それをそのままにしておきますと淫らに乱れてしまって、礼義や道義が亡んでしまうのです」。

この箇所は説得力がありませんね。美的なものを求める心に順えば、礼楽を追求するようになるとも考えられます。どうして放縦に流れ、淫らに乱れてしまうと言えるのでしょう。それは人の性は悪くて、放っておくと必ず駄目な方へ流されると見なしているからなのです。

逆に人の性が善なので、人は美しいものを求め礼楽が整うと考えてもよいはずですが、荀況の時代は礼楽が廃れてしまっていたので、性善が事実によって否定されたと判定されたのです。そこで人々を礼楽に導くには、聖人による人為的な教化が必要だという結論になるのです。しかし戦国という時代が、礼楽に向かう人民の自然な方向を捩じ曲げてしまい、淫らに乱れてしまったとも言えますね。

 「だから人の性に従い、人の情のままにすれば、必ず争いや奪い合いをしでかし、規範や道理を破壊して目茶苦茶にしてしまいます。ですから必ず師に教えられた規範や礼儀を守るという教化指導があってはじめて、互いに譲り合い、規範や道理に叶って、治まるのです。このような観点から見れば、人の性が悪なのは明白です。その善さは人為によるのです」

人は放っておけば暴に帰す、教え導かれてはじめて善に向かう、だから人の性は悪だという論理です。孟軻も放っておいても徳が備わると考えたわけではありません。人間を教え導き徳に向かわせることができるのは、元々善根である「四端の心」があるからなのです。それを養い育てて拡張すれば「四徳」に至るのです。

その意味では実は荀況も、
「性者本始材朴也、偽者文理隆盛也。無性則偽之無所加、無偽則性不能自美。性偽合、然後成聖人之名、一天下之功於是就也。
( 〔生まれつき〕はそもそもの出発点で、純朴な材質です。偽〔後天的な作為〕は美しく飾られしかも合理的で立派なものです。性が無ければ偽を施す余地がありませんし、偽が無ければ性はそれ自体で立派であることはできないのです。性と偽が合してこそ、その後で聖人だと言われるのであり、天下を統一する功業はここに於いて完成するのです)」

と性の意義を積極的に捉えているのです。つまり荀況は人為という実践的な観点から、改善すべきものとして、放って置けば悪くなる素材である性を「悪」と認識したに過ぎません。しかしここが肝心なのですが、荀況の論理では、それじゃあ、改善しうる素材である性は実践的改善の対象に成ることができるという意味では「善」と捉えてもいいということにはならないのです。
 

            四、荀況の実践的唯物論

 

 己が悪滅ぼさんとて善をなす人の性の悪なればなり

ところで荀況は、人が善を行おうとするのは人性が善だからではなく、人性が悪だからというとんでもない背理を述べています。そんなことになれば、人性が善ならば悪をすることになり、すべての事物は固有の性質と正反対のことをすることになります。

「凡人之欲鳥善者、鳥性悪也。夫薄願厚、悪願美、狭願度、貧願富、賎願貴、萄無之中者、必求於外。故富而不願財、貴而不願執、萄有之中者、必不求於外。用此観之、人之欲鴬善者、鳥性悪也
(およそ人が善いことをしようとするのは生まれっきが悪だからです。そもそも徳の薄い人は徳を厚くしたいと願い、醜い人は美しくなりたいと願います。狭い家に住んでいれば広い家に住みたくなり、貧しければ金持ちになりたいと願い、身分の賎しいものは高貴な身分になりたいと願います。こういうわけで自分自身に備わっていないものがあれば、必ず外に求めようとするのです。ですから富めば財は欲しがらず、貴ければ権勢は望みません。こういうわけで自分自身に備わっているとすれば、きっと外にこれを求めようとはしないのです。こうした観点からすれば、人間が善をしようとするのは、うまれつきが悪だからです)」

実際は善悪、貴賎、貧富、美醜などは相対的な概念ですから、より向上しようと努力したり、あるいは自分の境遇に自足したり、より悪くなろうとする人もいます。「内に無いものを外に求め、内にあるものは外に求めない」というのはすこしも実証によって支えられた発言ではありません。この論理も善が外から聖人や師の人為によって作られ、与えらわるという荀況の論理を支えているのです。

普通は、事物の変化を説明する時、変化は事物に内在的な論理に従って起こるとされます。アリストテレスはヒュレー(質料)に潜勢態としてあったものが、エイドス(形相)に成って現われた姿をエネルゲイア(実現態)と呼んだのです。孟軻も人間には生まれつき聖人になる素質があって、それが四端の拡張によって現われてくると考えました。元々 内に有るものだけが外に現われ実現することができると考えていたのです。

 べーコンは「自然は服従することによってでなければ征服されない」ことを強調しました。客観的な対象としての自然に法則性が内在していて、それを正しく反映した認識に基づかない限り、自然を変革し、利用することはできないというのが近代科学の立場です。

しかしこの事物の客観的法則性に対しては、やはり経験論からの疑問が出されています。と言いますのは、いかに客観的事物の客観的法則であっても、それは主観の認識内客についての記述に他ならないからです。つまり主観の経験でしかなく、結局は感覚を全材料にして語られるのですから、純粋に客観の性質だというわけにはいかないからです。客観的法則と言われているものも実際は経験の法則に過ぎない、明日から経験の仕方が変わってしまえば、もう通用しない蓋然的なもので必然とは言えないと、ヒュームは『人性論』で懐疑論を展開したのです。

 そうなりますと意識の法則として客観的とされていた法則性が捉え返されます。法則性を奪われた客体は、物自体としてはカオスでしかなく、単なる材質にされてしまいます。善は主観が立てて、そこに対象を導く目標になりますから、事物に内在する傾向性とは見なされないのです。荀況も性善を認めないのは、善悪自体が主観の意識に過ぎず、客観的な人間の本性とは関わりがないと考えたからでしょう。

 では主観の行う善悪・美醜等の判断の基準はどこから来るのでしょう。イギリス功利主義は、身体を支配する快・不快という二つの主権者」を用いて説明したのです。快感をもたらし不快感を取り除いてくれる対象が善だとされたのです。対象自体よりも対象が主体にいかなる快・不快をもたらすかで判断されるのですから、その対象が主体により多くの快をもたらし、より多く不快を取り除いてくれるように、その対象に対する関わり方を工夫すれば良いことになります。

このように主体の関わり方や実践を第一義に考える立場に立ちますと、意識や実践や認識自体に矛盾や法則が備わっていて、客観的な事物の法則性等は形而上学的な「机上の空論」に過ぎないとされるのです。

聖人や師が礼や法を立てて人民を導くという荀況の議論は、客観的な事物や人間の本性の中には予め善性は存在しないことになるのです。スターリン批判以後、事物の客観的法則を正しく反映することを重視した従来の「弁証法的唯物論」に対して、主体的唯物論や実践的唯物論という形で、実践や認識の弁証法しか認めない唯物論の流れが登場して、唯物論論争が新たな段階を迎えたことがありました。荀況の場合は実践的唯物論に近いといえるでしょう。
 

           五、天職についての不可知論

 

 身を保つ行いの知を積み得れど天地の開けし謎は解けまじ

 実践的唯物論の立場では認識は実践の総括に他なりません。ところで人為によらずに自然に成り、殊更要求しなくも手に入る財を経済学では自由財と言います。水や空気、その他の自然環境です。これらを生み出すのは天の仕事、即ち「天職」と呼びます。この天の働きについては、天に任せておけばよいので、どうして天が万物を生じ、養育したかについて知る必要はないというのです。人間は完成された結果だけわかるけれど、どうしてそうなったのか天の仕業の跡が残っていないので、形に現われない根本原因は不可知だと荀況は言うのです。

つまり人間の肉体自身が天職によって生成し、完成したものです。そこに精神(これが「神」と表記されます) が生じ、好き嫌い・喜怒哀楽などの感情が宿っています。これは自然に備わった感情ですから「天情」と名付けます。耳・目・鼻・ロ等の感覚器官は外界から刺激をうけて、各自の働きをしますが、互いに働き掛け合うことはありません。これらは「天官」と呼ばれます。これら五官を支配している「天君」が心です。それは体内の空虚な所にあるのです。天君がつまり天官からの諸情報を整理して、状況判断をしているのです。

天は人類とは同類ではない動植物で人類を養ってくれています。これを「天養」というのです。天の支配は、自然の賞罰という形をとりますが、それに従っていれば、人間は栄えていけますし、動植物も「天養」の役割を果たす限り、福とされて存続できるのです。これが「天政」です。

天君である心が曇って、状況判断を間違いますと、行動が誤り、環境に適応できません。大凶なのは天君を闇くし、天官を乱し、天養を棄て、天政に逆らい、天情に背いて、天功を喪失することだと言うのです。逆に天君を清くし、天官を正し、天養を備え、天政に順い、天情を養い、そうして天功(天の働きでできた我が身)を完成させるのです。そうしますと天のなすべきことと人のなすべきことが明確になるので、天地万物が人間の為に役立つと強調します。

この天人分離論は、一見、人間は自然存在であって、天から与えられた能力を正しく発揮すれば、天理に叶うという自然法的な立場にも解釈可能です。ということになれば性善説と変わり有りません。

性悪説や天職不可知論と関連させて「天論篇」を解釈しますと、荀況独特の実践的唯物論の立場が窺えます。天職不可知論は、人間は天から与えられた五官で認識するのだから、天地自然のことで知り得るのは限られているとします。被造の五官によって天職の成果である自然物から得た情報を、天君が整理して認識するのですから、万物がいかに創造されたかまではわかる筈はないと言います。そこで知り得ないことは知ろうとはせず、身体諸器官を通して知り得ること、社会生活上の必要から知るべきことを知ることができればいいのです。

つまり肉体を養ったり、社会生活を送るのに必要な実践的な認識こそが可能なのです。天職を不可知とすることで、占いや呪術によって自然を左右できるとするオカルト的な天人合一論を退け、人間が認識し、対応できる範囲の自然を限定することで、科学的合理的な実践が可能になるのです。また自然支配の主体である天君が人間の心に当たるのですから、人間の支配は自然の自己支配に他ならないということになります。性悪説との関連では、天官は相互に関連しあって働いているのではなくて、天君による情報整理が必要ですから、教育や環境によって天君が立派に育てられなければ、欲望に流されて、偏ったイデオロギーに取りつかれてしまい勝ちなのです。

           六、荀況の前衛主義

 

 師の教え尊きと説く荀況の性悪説は師法破れり

孟軻は、だれでも四端を持っているから、それを拡張する努力をすれば、聖人の徳である四徳が備わりだれでも君子に成れると説きました。固定的な身分にこだわらないで賢者を登用すべきだという点では、荀況は孟軻と共通しています。「王制篇」の巻頭に次のような文章があります。

「請間鳥政。日賢能不待次而畢、罷不能不待頃而康、元悪不待教而許、中庸不待政而化。分未定也則有昭経也。跳王公士大夫之子孫也、不能属於濃義、則締之庶人、難庶人之子孫也、積文率正身行能属於濃義、則婦之卿相士大夫。」
(政治の仕方をお尋ねします。お答えします。賢者や才能のある者は官の序列に関係なく登用します。能力が無い事がはっきりすれば即刻止めさせます。悪の元凶は教化するまでもなく直ちに課罰します。一般の民衆は政刑に頼らずに 〈徳〉で感化します。身分が未だ定まらない時でも、区別ははっきりしています。王侯や士・大夫の子孫でも礼義に励むことができなければ、庶民に落とし、庶民の子孫でも学問を積み、身の行いを正し、よく礼義に励めば、大臣や士・大夫に引き上げます。)

このように身分階級秩序は肯定していますが、それが世襲化されることには反対しているのです。儒家は家格に合わせた礼楽を重視しましたから、身分の世襲は大前提でした。これほど明確に実力登用主義を主張し、身分の変動を認めた儒家はなかったでしょう。これは政治を行う支配者階級が賢徳において被支配者よりも優っていることが、教え導く際の当然の前提だと考えたからです。

荀況は、礼義の導き、師法の化(先生による教化)の役割を決定的に重要だと考える前衛主義に立っています。共産党の指導が絶対化され、毛沢東の個人崇拝が横行した現代中国で、荀況が古代唯物論の最大の思想家として持ち上げられたのも無理はありません。荀況は、五経(『詩経』『楽経』『書経』『禮記 』『春秋』)はすぐには理解し、実践に役立てるのは難しい、だから、よい師について言行を見習い、その教えを学ぶとすぐに実践に役立てることができると説きます。

そしてその上達には、師を好ましく感じて師の教えに従うのが早道です(勧学篇)。しかしよい師だと心酔してしまいますと、批判精神をなくし、盲従してしまい、取り返しのつかない過ちを犯す原因になりかねないのです。荀況には師に盲従しやすい性格があります。儒家は弟子たちが離散してしまうと寂れますから、師の説に従うように諭していたのかもしれません。

「禮者所以正身也、師者所以正禮也。無禮何以正身、無師吾安知禮之爲是也。」
(礼は身を正しくするものであり、師は礼を正しくするものです。礼が無ければどうして身を正せるでしょう。師が無くてどうして礼が善であるか知ることができるでしょうか?
)

 
礼によっていかなる場面でいかなる振る舞いをすればよいかわかります。でもどうしてそうしなければならないのか理解できないと、心を込めて行うことができません。そこで師は、礼の正しい姿を示し、その謂われや根拠をわかり易く教えてくれますので、礼の善がよくわかるのです。荀況の考えでは師に習った通りにするのが良いのです。自分流に礼を解釈し直し、作り変えようとするのは、礼に背き師をないがしろにすることだと戒めています。

「故非禮是無法也、非師是無師也。不是師法而好自用、譬之是猶以盲辨色、以聾辨聲也、舎亂妄無爲也。」
(だから礼に背くのは法をないがしろにし、師に背くのは師をないがしろにすることです。師と法を正しいとせず、自分流のやりかたを好むのは、警えて言いますと、目の見えない人が色を見分け、耳の聞こえない人が音を聞き分けるようなもので、すべてでたらめになってしまいます。)
(脩身篇)

 師や法が先ず正しく、その通りに従うのが正しいとする為には性善説よりも性悪説の方が都合がいいのです。古代ギリシアでソフィストたちが全盛の頃、法や慣習に反発したソフィストの中には、法や慣習が人間たちが勝手に決めた約束ごとに過ぎず、人間の本性に基づいた自然的なものでないことを理由に、好き勝手に振る舞い、世の顰蹙を買っていた人達がいました。彼らは生まれつきの自然を無条件に善としていました。それで自然に型を嵌めて束縛しようとする法や慣習を打破しようとしたのです。

荀況は性悪説を取ることによって、人為の法や慣習、師の教えの方を善とすることができたのです。悪法や陋習、悪い師もあるとしますと、法に従ったり、慣習を守ったり、師の教えに忠実であるのも時には道を踏み外す原因になります。だから善い師を選ぶことで正しい礼を知ることが大切なのです。しかしいったん立派な先生だと思い込んでしまいますと、その師の考えが全て正しいと思い込んで盲従してしまうことが有りがちです。その意味では、あくまでも自己の性善や理性に信頼して、自己の責任において主体的に判断し、選択する姿勢が大切です。

荀況は前衛の側のイニシアティブやへゲモニーを重視するあまり、大衆の主体性を軽視する過ちに陥っていました。時代は戦国時代です。様々な相対する法が有り、則るべき礼は一定ではなく、諸子百家が相矛盾し対立する学説をぶつけ合っています。その中で人間は性悪で、放っておくと悪い方にいくので、法に則り、師に従えと抽象的に説かれても、困りますね。その意味では、孔丘のように忠恕を貫いて生きるとか、自分にして欲しくないことを人にはしないで、自分がして欲しいと思うことを人にしてあげるようにするというように、自分で判断できるような説き方の方が参考になりますね。

孟軻の四端説に従って、良心の芽生えを大切に育てるようにする、というのもよくわかります。つまり普遍妥当的な価値に対する判断基準を万人が共有する理性に求めないで、知を専有する前衛に求める前衛主義が荀況の問題点であり、この問題の解明は現代の党独裁、指導者独裁の問題の解明に繋がっているのです。

           七、荀況の啓蒙思想

 

 天の理の常ならざるにあらざれば雨乞いをして降るよしもなし

荀況は、天変地異の原因を悪政に対する天の裁きとしたり、天の意思があってその助けで善政が支えられる等という、天と人、自然の原理と社会の原理の混同を厳しく批判しました。儒家は巫祝集団としての性格があり、天や鬼神を祭ってその加護を祈るのを大切な仕事にしていましたから、荀況のような啓蒙思想はむしろ例外的だったのです「天論篇」からいくつか紹介しましょう。

雩而雨何也。日無佗也、猶不雩而雨也。日月食而救之、大早而、卜筮然後決大事非以爲得求也、以文之也。故君子以爲文、而百姓以爲神。以爲文則吉、以爲神則凶也。」
(雨乞いの祈りをして雨が降るのはどういう訳でしょう。お答えします。他に理由があるわけではありません。雨乞いの祈りをしなくても降るのと同じですよ。日食や月食が起こりますと元に戻そうとし、日照りになると雨乞いの祈りをします。また亀卜や筮竹をし、その後で大事を決します。そうすれば求めていることが叶うと考えているからではありません。そうやって政治に儀礼としての装飾を加えているのです。ですから君子はこれを装飾だと思っているのに、民衆はそれに神秘的な力があるものと思い込んでいるのです。それを装飾だと思っていればいいのですが、それに神秘的な力が有ると思って、その力を頼ろうとすると凶なのです。)

「星墜木鳴。國人皆恐日是何也。日無何也。是天地之変陰陽之化、物之牢至者也。怪之可也、而畏之非也。」
(星が落ちたり、木々が風で鳴ったりしますと国中の人々は皆恐れて、「これはどうしたことだ。」と言います。でも言っておきますが何でもありません。それは天地陰陽の変化即ち自然の変化です。まれには起こる事柄なのです。これを不思議がるのはよいとしても、畏れるのは間違いです。)

「天行有常。不爲堯存、不爲桀亡。應之以治則吉、應慮之以亂則凶、彊本而節用、則天不能貧、養備而動時、則天不能病。循道而不或、則天不能禍。」
 (
天の理法は一定です。聖天子堯が現われたからといって存在し、暴君桀が現われたからといって消滅するわけではないのです。よく治まるやりかたでこれに対応すれば吉ですし、乱れるやり方でこれに対応すれば凶なのです。生産に努めて費用を節約すれば、天も貧しくすることはできませんし、養生をしていて運動も適時していれば、天も病気にできません。道に従って背きたがうことがなければ、天は災いを与えることはできないのです。)

 乱世では治世と違って、農業生産など本をつとめて節約するというわけにはいきませんから、天の運行である自然条件は同じでも、自然災害は大きくなってしまうのです。

「不可以怨天、其道然也。故明於天人之分、則可謂至人矣。」
 (
したがって天を怨んではいけません。だから天と人の区別をハッキリ知っていれば、最高の人物だといえるのです。)

 恐ろしいのは人間が引き起こす人災です。

「物之己至者人祅、則可畏也。楛耕傷稼、楛耘失歳、政険失民、田薉稼悪、糴貴民飢、道路有死人、夫是之謂人祅政令不明、擧錯不時、本事不理、勉力不時、則牛馬相生、六畜作祅、夫是之謂人祅。禮義不脩、内外無別、男女淫亂、父子相疑、上下乖離、寇難竝至、夫是之謂人祅。」
 (
既に何度も起っている奇怪な事態が人祅で、これこそ畏れるべきです。なおざりに耕して植えつけた穀物を傷害し、いいかげんに除草して収穫を減らし、政治はよこしまで民心を失い、田畑は荒れて実りは悪く、国外から買い入れる米の値は高くて民は飢え、道路に行き倒れの死人が転がっています。そもそもこういう事態を人祅というのです。
 政治についての命令がはっきりせず、国家の事業は時を選ばない、生産がきちんとできていないうえ、労役に徴発するのにも時期を選びません。こういうのでは牛が馬を生んだり、馬が牛を生んだりして、家畜類も奇怪な現象を起こします。そもそもこういう事態を人祅というのです。道徳慣習が崩れてしまって、男は外で社会的な職責を果たし、女は内で家を守るという男女の別が崩れて、その関係が乱れてしまい、父と子が互いに疑い合い、上下関係が背き離れ、つまりは外敵がしきりに侵入してくるようになります。そもそもこういう事態を人祅というのです。)

ですから天変地異を恐れても仕方ありません。自然災害が最小限になるように、日頃からしっかりした治水灌漑を行い、農作業を手を抜かないようにすべきなのです。天変地異を恐れるより、君臣の義・父子の親・夫婦の別を、毎日切磋して怠らないで、人祅を招かないように心得るべきだと諭しています。

                    八、心の蔽いについて           

 

 紂王は妲妃の色香に蔽われて包烙行ひ身を滅ぼせり

ペーコンは 『ノヴム・オルガヌム(新機関)』で「四つのイドラ」論を展開しています。彼は正しい事物認識の方法として「新しい帰納法」を打ち出しました。それは全ての事例を調べ上げ、肯定的事例のグループを「存在表」に書き込み、否定的事例のグループを「欠如表」に書き込みます。そして一定の条件下では肯定的事例であるのに、その条件が欠けると否定的事例になるグループを「変化表」に書き込むのです。その上で「三つの表」を見ながら偶然的で本質的でない事例を排除します。そうすればいかなる法則がいかなる条件下で、どの程度妥当性を示すかが明確になります。このような法則的認識を蓄積していけば、自然を支配し、人間の生活上の便利に役立てることができるようになる筈でした。

しかし人間には陥り易いイドラ(偏見・偶像)が有ります。それに注意しておかないと、「三つの表」を作成するのもままなりません。べーコンのいう「四つのイドラ」は次の四つです。

⑴種族のイドラー人間という種族は、物事を認識する場合に、いつも割り切った形や量として認識しようとする性癖があります。地球は楕円軌道で太陽の回りを周回していますが、円軌道だと見なしがちです。正確な測定に基づく認識でないと、科学的な知識としては役に立たないのです。

洞窟のイドラー個人の狭い体験や教育環境によって培われた固定観念で物事を捉えがちです。「井の中の蛙大海を知らず」です。

⑶市場のイドラー言葉によって意志伝達(コミュニケーション)が成り立つのですが、言葉を使うことによって偏見に陥り易いのです。例えば「運命」という言葉を使っていますと、実際に「運命」が存在すると思い込んでしまいます。他に「アトム」や「イデア」等の例が挙げられています。

⑷劇場のイドラー良くできた台本に基づくお芝居は、リアリティがあって、事実と錯覚しがちです。これと同じように権威ある学説は、論理構成がしっかりしていますので、実験観察によって確かめるまでもなく、真理だと思い込まされがちです。しかし勿論実験観察によって裏付けられなければあくまで仮説に過ぎないのです。

荀況は「解蔽篇」で、心が蔽われる現象を分類し、その対策を説いています。

「故爲蔽、欲爲蔽、悪爲蔽、始爲蔽、終爲蔽、遠爲蔽、近爲蔽、博爲蔽、浅爲蔽、古爲蔽、今爲蔽。凡寓物異、則莫不相爲蔽。此心術之公患也。」
(さて蔽をなすものは、欲が蔽をなし、好き嫌いが蔽をなし、事の始めが蔽をなし、終わりが蔽をなし、高遠さが蔽をなし、卑近さが蔽をなし、博深さが蔽をなし、狭浅さが蔽をなし、古さが蔽をなし 、今ということが蔽をなします。凡そ万物は分別して、その一方に執着すれば、そのどちらの側も互いに蔽をなさないことはありません。これが心の巡らし方についての共通の悩みなのです。)

「蔽をなす」とは囚われて本質が見えなくなる事です。殷の紂王は愛妃の妲妃の女色に蔽われ、その歓心を買うために包烙の刑(燃え盛る炎の上に鉄板を置いてその上を渡らせる残虐刑)を行い、悪評を買って身の破滅を招きました。唐鞅は権力を欲して忠臣載子を追放し、結局は宋に処刑されました。奚齊は晋の献公の後嗣を狙って、つまり国を乗っ取る欲に蔽われ、孝兄の申生を罪に陥れました。その結果、晋で自分が処刑されることになりました。貪って卑しく、背き逆らい、権力争いに血道をあげながら、危険に陥らず、恥辱を被らず、滅亡せずに済んだ試しはないのです。

ところが権力欲に蔽われていると、その道理が見えなくなってしまうのです。偏った思想を唱える思想家達も何かに執着したり、囚われたりして蔽われていたと批判しています。

「墨子蔽於用而不知文、宋子蔽於欲而不知得、愼子於法而不知賢、申子蔽於埶而不知知、惠子蔽於辭而不知實、荘子蔽於天而不知人。」

(
墨子は実用に蔽われて、礼の装飾性を理解できませんでした。宋子は欲を寡くすることに蔽われて、必要なものを獲得する方法を知りませんでした。慣子は法治主義に蔽われて、徳を示して礼に導く賢者のやりかたを理解できませんでした。申子は権勢を張る事に蔽われて、有能な知者を用いることの重要性を理解できません。恵子はものの名前に蔽われて、事物の実相が見えなかったのです。荘子は天つまり自然に蔽われて、人為の意義を理解できませんでした。)

それぞれ偏ったなりに、一面の真理は究めることはできたのです。墨子は実利、宋子は知足、愼子は権謀術数、申子は便宜主義、惠子は形式論理、荘子は順応主義をそれぞれ究めたのです。でも一面の真理を捉えているからといって、安易に採用しますと偏っていますから上手くいかないものです。

そもそも正しい道は、荀況によれば、一定不変の恒常性を本体として、あらゆる変化に対応できるものなのです。それで聖人は欲望や嫌悪、始めや終わり、卑近や高遠、博深や狭浅、古いや新しい等にとらわれません。物事の中庸を得て、標準を設定するのです。その標準が「道」なのです。

ですから心に道を持っていなければ、道に叶っていてもそれを肯定し、貫こうとはしませんし、道に外れたことであっても、それを肯定し、道を踏み外してしまいます。荀況に言わせれば、そもそも人はわがまま勝手なものですから、心に正しい道を持って、それをスタンダードとして善いものを選ぼうとしなければどうしても道を間違えることになってしまうのです。

 

          九、心を虚しく、一つに、静かに

 

 雑多なる意識の流れのその中で虚・一・静を保つ吾あり

では人は何によって道を認識するのでしょうか?それは心によってです。荀況は、「解蔽論」で心を「虚・壱・静」にする事によって、心を蔽われないようにするべきだと説きました。「虚」という心の状態はこれまでの記憶によって、新しい知識の受入れを妨げない状態をいいます。

荀況は、心を思惟の主体としてきちんと捉えています。よく近代的自我の確立をデカルトに認め、それ以前は主観概念自体が確立していなかったとする議論が見掛けられます。しかし「主観ー客観」の認識図式もその超克の試みも、それぞれの時代に相応しい形で試みられてきたと捉えておくのが、一番無難なようです。

「心者形之君也。而神明之主也。出令而無所受令。自禁也自使也、自奪也自取也、自行也自止也。故口可劫而使墨云、形可劫而使詘申、心不可劫而使易意。是之則受、非之則辭。故曰心容其擇也無禁必自見、其物也雑博、其情之至也不貳。」
(心は肉体の君主であり、精神の主体です。自分の方から命令を出しますが、他から命令を受けることはありません。自ら禁じ自ら使います。自ら奪い自ら取るのです。自ら行き自ら止まります。口は無理やり黙らせたり、云わせたりできます。体は無理やり屈ませたり、伸ばしたりできます。でも心は無理やり意志を変えさせることはできないのです。自ら「是」とすればこれを受入れ、自ら「非」とすれば受け付けません。だからこう言えるのです。心の状態は、物事を選択するについては、禁じる者は無くて、自ら見て 〔自由に選択します。〕 物事は接する際は雑多ですが、その精髄の極致にあっては統一があって雑多になりません。)

表現や行動の自由を、主権者は法を制定して規制することができますが、思想・信条の自由、良心の自由はいくら法律で規制しても完全には規制できません。心の中で何を考えているかは本人以外だれも知らないからです。ストア派は、不滅の魂である自己自身にはだれも指一本触れられないとし、人格の尊厳を確立しようとしました。

ホッブズによれば「万人の万人に対する戦争状態」から脱却しようとして、強者に命乞いをして生命を保障してもらうことを条件に、全ての自然権を譲渡するのも、理性による自由な判断に含まれるのです。サルトルは、奴隷状態さえも自己の自由な選択によって選び取られていることを「自由の刑に処せられている」と表現しました。

意識が自由な主体的な活動であることを踏まえた上で、荀況は、意識が自由な判断であるためには、意識主体としての心は全てのメモリィや知覚に惑わされない、意識内容それ自体から区別された「虚」の状態でなければならないとしました。この「虚」という用語はおそらく『荘子』の影響でしょう。名料理人が包丁を使うときには肉の中の虚を切るので、刃こぼれなく味を落とさずに見事に捌けるのです。これと同様にメモリィや知覚がどんなに沢山あっても、心が虚を保っていれば、物事を正しく見極め、捌き、処理することができると考えたのでしょう。

「心生而有知、知而有異。異也者同時兼知之。同時兼知之兩也。然而有所謂一、不以夫一害此一、謂之壹。」
(心が生じれば知る力を持ちます。知ると物事に差異が有るのを理解します。つまり差異付けられた物事を同時に兼ね合わせて知るのです。同時に兼ね合わせて知ることは「兩」つまり心を分けて働かせることです。それでもいわゆる「一」があるというのは、一方の認識で他方の認識を損なわないということです。これを「壹」」というのです。)

或るものを知るということは、そのものと他のものを区別し差異付けることに他なりません。それはあるものを差異の体系の中に正しく位置づけることなのです。そうしてはじめて知識は整理され、一方の認識が他方の認識を妨げるどころか、補充し合うようになるのです。それはただ差異ばかりでなく同一性も見落とさないことによってのみ可能です。知識の類別や体系化は同一性と区別によって成り立つのです。

「心臥則夢、偸則自行、使之則謀。故心未嘗不動也。然而有所謂靜、不以夢劇亂知、謂之靜。」
(心は寝ているときには夢を見、ぼんやりしているときには勝手に動き、何事かに心を使うときには、はかりごとを巡らしています。だから心はいつでもじっとしていることがありません。それでもいわゆる「静」の状態があるというのは、勝手な夢想や繁多な想念で認識能力を乱さないということです。これを「静」の状態というのです。)

心には様々な意識が去来します。めまぐるしい意識の流れがあるのです。でも荀況は、この意識の流れと認識主体としての心を明確に区別していますから、心には「静」の状態があるのです。

この「虚・壱・静」の立場は、意識内容・意識現象と認識主体としての心を明確に区別する立場に立っています。意識の自由な主体として心を捉えていたことからも、それははっきりしています。そして心が欲望に惑わされて、意識内容や意識現象の蓄積・雑多・変動に我を無くさないために「虚・壱・静」を保つ修養を強調したのです。

これは『論語』の「克己復礼」、『大学』の「正心誠意格物致知」や朱子学の「居敬窮理」に通じています。儒教の精神主義は仁愛・忠恕を説く方向と、修養を説く方向がありますが、「虚・壱・静」は後者に属します。『荀子』全体をとっても忠恕派よりは礼楽派の色彩が濃厚です。

 

                十、正名論

 

 白馬ありただの馬とは違えども白馬非馬とは言うは可なりや

物事の正しい客観的な認識には、主観としての心の「虚・壱・静」が大切だということですが、正しい認識を伝えるには正しい名が用いられなければなりません。ところが戦国時代には社会の変動が大きいので、名と実の一致が上手くいかなくなって、正名が乱れたのです。そこで儒家や墨家では名と実の一致を求める正名論が盛んになり、論理学が発達しました。そして論理学を専門にする名家が登場し、奇抜な議論を展開しました。名家の代表は、公孫龍と恵施です。公孫龍は墨家の論理学に近かったと見られ、名実一致を求める正名論の立場に本人は立っているつもりだったのです。「白馬非馬論」と「堅白石は二」で大いに議論を巻き起こしたようです。

公孫龍は決して白馬が馬に含まれないという意味で「白馬非馬論」を唱えたのではありません。「白馬」は「白」にも「馬」にも属している以上、単なる馬と見なしてはいけないとしているのです。「堅白石」は「堅い石」であると共に「白い石」だから「二」だというわけです。

これに対して恵施は「万物斉同論」に立ち、一切の区別を相対化する議論を展開していました。「氾く万物を愛す天地は一体なり」「今日越にゆきて昔(きのう)来る」「天と地と卑(ひく)く、山と沢と平かなり」など「歴物十事」が『荘子』「天下篇」に収録されています。

恵施は荘周とは友達です。荘周は「道(夕オ)」を主観・客観の未分化な全体として捉えていましたから、「万物は一馬である」と唱えました。そして「我と汝」「西施と癘」「胡蝶と荘周」の区別を超越していました。同様に恵施も物事の区別にこだわり、是非善悪を論じ立てる儒墨の石頭を批判していたのです。荀況は、聖王が実と一致する正しい名を事物に与えて、事物の異同、身分の貴賎を明らかにし、人々の意志が通じ合うようになったとしました。でも彼によると、現在はでたらめな名が与えられ、名と実が遊離してしまったと言うのです。

事物の異同は天官(感覚器官)によって捉えられます。つまり心には、感覚を通じて得た音、色、形等を類別して記録してあります。音や像はこの記録簿と照らし合わせて始めて知覚するのです。ですから照応するものがなければ「知らない」ことになります。そして人間の感覚器官はみんな同類同情の反応を示すのです。ですから共通の名を持つことによって意志疎通が可能だということです。

ということは言語が通じる以上、その範囲内での普遍妥当的真理が成立しているということです。逆に言えば、支配者は自分が目指す統治秩序にあった言語体系をつくり出して、それを通用させれば、イデオ口ギー支配の面で都合がよいということです。荀況は、名を定める原則として、同一物には同じ一つの名称を与えるべきだとしました。名と実は、誤解の余地がない一対一対応が理想的です。ところが現実には多対一や多対多対応になっているので誤解が生じているのです。大真面目で行われている学問上の大論争というのも、お互いに論争相手の使っている言葉の意味内容が、正確に理解できていないことに起因する場合が実に多いのです。名を荀況は、「単名」「兼名」「共名」「別名」に分類しています。

単名―馬・鹿・牛のように一語で表現できる場合です。
兼名―白馬・堅白石のように 語で表現できないのは兼名と言います。
共名―単名「馬」と兼名「白馬」、兼名「雄馬」と兼名「雌馬」が同じ意味領域にあるとき、単名「馬」で代表させます。これが共名です。「獣」は共名「馬」と共名「牛」の共名です。従って大共名は「物」なのです。
別名―共名の一部分の名称が別名です。「鳥」「獣」は「物」の大別名です。「牛」「馬」は「獣」の別名です。ですから別名は個物の名前に至って終わるのです。

中国語は一音が一つの意味に対応していますから、一つの漢字で表現できる一語が言語の原子的な要素として捉えられます。日本語ですとかな一語で一つの意味を表わすのは例外的です。「うま」「しか」「すずめ」となってしまうので、単名・兼名・共名・別名での説明には相応しくありません。漢民族は、この一音と一意の対応を大変誇りにしていましたから、特に自民族の姓を一音にすることにこだわったのです。

名と実の一致によって目指したのは、様々な言葉の誤用によるコミュニケーションの断絶、混乱を克服して、正しい言語秩序とそれに照応する正しい社会秩序を整える事だったのです。ですから正しい名称はわかり易くて誤解が生じない名称なのです。

そして外見が同じでも別の場所に同時にあれば実体は別々で、従って同じ名称でも別物だということ、外見が異なっても、同じ物が変化したのだったら実体は一つで、従って異なる名前でも同一物だと注意を与えています。これがこんがらがると「詭弁」に引っ掛かり易くなります。

荀況は「詭弁」を三類型化し、引っ掛からないように注意を与えています。
 
部分と全体を混同するなどして、言葉の使い方が誤っている場合です。
注意 何故言葉が必要なのか考えればよいのです。
例文
 @
侮られることは、恥ずかしめられることではない。
 A 聖人は自己を愛さない。
 B 盗賊を殺すことは、人を殺すことではない。

⑵実体の把握を誤っている場合です。
注意 感覚に照らして点検すればいいのです。
例文
  @
山と淵は高さが等しい。
 
A 人間の欲望はたやすく満足させられるものだ。
 
B 肉を入れても料理は美味しくならない。楽器を奏でても楽しくならない。

⑶概念を乱す主張です。
注意 〕言葉の意味を確認して、心の判断によって取捨すればいいのです。
例文

  @
排斥し合うことは受容し合うことだ。
  A
牛馬は馬ではない。(「白馬は馬ではない」の誤植と思われます。)

           十一、儒家と法家の間

 

 荀況は君主の心に阿って稷下の園で祭酒たりしか

   孟軻と荀況は同じ儒家としての共通点はもちろん大いに有ります。荀況の方が君主の立場に立ち、君権を神聖視する向きが見られますが、究極的には王道政治の実現を目指していましたから、暴君放伐論も否定していません。

 「上溢而下漏(上が溢れれば下が漏れます)。」つまり重税を取り立てて、人民が窮乏すると亡国のもとになります。
 「君者舟也、庶人者水也、水則載舟、水則覆舟(君主は舟で民衆は水です。水は舟を載せますが、舟を転覆させる事もあります)。」(王制篇)つまり人民の生活を安定させなければ、君主は滅びると警告しているのです。

「臣道篇」では、君主の立場に立ち身分秩序を重視しながらも、君権を絶対視していません。君主を政治の機関として捉え、暗愚な君主に対しては下剋上も否定しないのです。臣を次の四つに分類しています。

⑴態臣ー実のない臣下です。有能ではないのですが、ゴマスリが上手く、君主に取り入ろうとします。
⑵纂臣ー民衆の機嫌を取り、派閥をつくって国を盗ろうとします。
⑶功臣ー民心を掴み、外敵を防ぎ、君主のためを思っています。
⑷聖臣ー正しい政治によって、君主の権威を高め、民衆を教化します。

そして特に王道を踏み外し、国を危うくする君主に対する態度により、次の四種類の臣下を「国家の柱石」「君主の宝」としています。

⑴諌臣ー君主に諌言し、聴き入れなければ国を去ります。
⑵争臣ーやはり君主に諌言し、聴き入れられなければ自分の命を捨てます。
⑶輔臣ー集団のカで君主に聴き入れさせるのです。
⑷弼臣ー君主の主権を奪っても国を救います。

「王制篇」の経済政策では封建的で重農主義的です。

⑴賦税を等級づけ、農産物に十分の一税を課します。
⑵関所や市場には課税しません。
⑶商人を減らして国富のもとになる農民を増やします。

統治の仕方に儒家から法家への移行の萌芽が見られます。

⑴王は礼・義に基づき法に従って裁断します。つまり儒教的「礼治主義」と法家的「法治主義」の折衷なのです。

⑵身分によって衣服・住宅を規定した上、古式に則った音楽や装飾だけを認めます。『論語』 における孔丘の礼楽に対する保守主義的なこだわりをそのまま引き継いでいます。

⑶家柄に係わらず有能・有徳な人物を登用し、無能ならばたとえ重臣の息子でも辞めさせます。賢者を尚ぶ「尚賢論」は諸子百家の共通した立場ですが、荀況の主張では封建的身分秩序が突き崩されてしまいます。

⑷公正な基準で賞罰を実行します。賞罰を統治の中心に置くと、法家の思想になってしまいます。儒教はあくまで君主が徳の見本を示し、人民が君主の徳に憧れ、慕うようになって教化されることが中心です。

法家との決定的な違いは、法家が君権の絶対化の為には奇策を弄し、トリックを使って、臣下を試し、君主を恐れさせるべきだとしたのに対して強く反発したことです。荀況は、「議兵篇」で次のように述べています。

兵法の極意は策を弄することにはありません。人民の心を団結させ掌握することにあるのです。人民が慕っていれば奇策で戦争に勝とうとしても通じません。徳によって併合すれば王者になれますが、力によって併合すれば抑えつけておくのに力を消耗して弱くなりますし、富によって併合すれば、支配のために次々投資しなければいけなくなり、国全体が貧しくなります。この論点は孟軻と同じです。

墨家は君主たるもの人民の先頭にたってもっこを担ぎ、人民の模範になるべきだと説いて、君主から顰蹙を買いました。人民の模範となるよう君主に質素倹約を勧める傾向は儒家にもあります。それで君主達は頭の固い儒家を敬遠しがちだったのです。その点、荀況は「富国篇」で、君主の生活状態を美しく飾るということは、天下の根本を美しく飾ることだとしました。君主の生活を安らかにし、豪奢・華麗にすることによって、君主の仁徳を装飾し、そのことによって一層君主の仁徳を引き出すことができるとしています。つまり君主が貧しく見すぼらしかったら、君主自身の仁徳も貧しく見すぼらしいと思われてしまうというのです。

君主から見ますと、孟軻は君主の器量を評定して君主を見下したような生意気な態度でした。それとは対照的に、荀況は君主の立場をよく理解し、それに阿って、君主の知的参謀に収まろうとする態度だったのです。実際、荀況は斉の稷下の学園で三たび祭酒(首席)をつとめた後、楚で蘭陵県の長官を勤めました。彼の学風は君主に反発されなかったのです。

 

           十二、社会的人間論

 

 義によりて分を弁え和合して、一つにならばならぬことなし

では最後に「王制篇」から荀況の社会的人間論を紹介して、まとめに代えることにしましょう。

「水火有氣而無生、草木有生而無知、禽獣有知而無義。人有氣有生有知、亦且有義、故最天下貴也。力不若牛、走不若馬、而牛馬爲用何也。曰、人能羣彼不能羣也。人何以能羣。曰、分。分何以能行。曰、義。故義以分則和、和則一、一則多力、多力則彊、彊則勝物。故宮室可得而居也。故序四時裁萬物兼利天下、無宅故焉。得之分義也。故人生不能無羣、羣而無分則爭、爭則亂、亂則離、離則弱、弱則不能勝物。故宮室不可得而居也。不可少頃舎禮義之謂也。能以事親謂之孝、能以事兄謂之弟、能以事上謂之順、能以使下謂之君。君者善羣也。羣道當則萬物皆得其宜、六畜皆得其長、羣生皆得其命。」
(水や火には、気〈エネルギー〉はありますが、生命はありません。草木は生命を持っていますが、知覚はありません。鳥や獣には知覚がありますが、社会正義の観念がありません。人間は気や生命や知覚をもっています。また社会正義の観念ももっているのです。それで世の中で最も貴いとされています。
 力は牛に劣り、走れば馬に後れを取ります。しかも牛や馬が人間に使われているのはどうしてでしょう。それは人間は群れる〈社会生活を営む〉ことができるのに、牛や馬は社会生活を営むことができないからです。人間はどうして社会生活を営むことができるのでしょう。それは各人が自分の「分」を弁えるからです。ではどうして分を弁えられるのでしょう。それは「義」によります。
  義によって分を弁えれば和合し、和合すれば一つになります。一つになれば力が大きくなり、力が大きくなれば強くなります。そして強くなればどんなものにも勝つことができます。それで家屋を手に入れて住んでいることができるのです。そんなわけで季節の順に従って万物を育成し、あまねく世の中の福利をはかれるのも、他でもない分別と正義によるのです。
  ですから人間は社会生活を営まないではいられません
社会生活を営んでいても、分を弁えることができなければ、争いが生じます。争えば混乱し、混乱すればばらばらになります。ばらばらになれば弱くなり、弱くなれば他のものに勝てません。そこで家屋にも住んでいられなくなります。ほんの少しの間でも礼義〈社会規範〉〉を捨てるわけにはいかないというのはこのことです。
  この礼義をもって親に仕えることを「孝」といい兄に仕えろことを「弟」といい、君主に仕えることを「順」といい、臣下を使うことを「君」といいます。
  君主たるもの羣〈社会生活〉を善く導くべきです。社会生活の営ませ方が適切であれば、万物は皆それぞれに相応しい有り方をすることができ、家畜類もみんな繁殖して、生きとし生ける者皆、それぞれの寿命を全うできるのです。)

プラトン著 『プロ夕ゴラス』 の中の「プロ夕ゴラスの人間論説話」を連想された方が多いかと思います。プロメテウス(先立つ思考)によって生み出された火や道具の使用だけでは、人間は獣達から身を守ることができなかったので、ポリスを造って集まり住んだのでしたね。ところが社会性の徳に欠けていたので、すぐに喧嘩を始め、ばらばらになってしまい、絶滅しそうになったのでした。そこでゼウスはへルメスを遺わして「謹み」と「戒め」を与え、それが身につかない者は、ゼウスの名において死刑にすると言い渡しました。それで人間たちの種族が生き延びることができたというお話です。(本誌一九九二年三月号所載、「第三章、ギリシア人の人間観〈主知主義的人間論〉」」参照)
 「謹み」と「戒め」が 『荀子』 では「分」と「義」になっていますが、趣旨は同じです。要するに人間は社会生活を営む能力によって他の動物を圧倒し、文明を築くことができたというのです。ただし「分」という言葉には階級的身分秩序に対する分別の意味が龍められていますから、封建的な支配が自然法的必然性を持つように感じられます。でも儒家的なカテゴリーを離れて「分」を社会的な責任分担や分業として捉え返せば、普遍妥当的な「社会的人間論」として受け止めることができます。

「義」も「分」が階級概念なので「孝・弟・順」等上下関係的な徳として主張されていますが、公正や連帯等横の繋がりの道義としても展開できる筈です。義によって責任を分かち合えば、そこに和と連帯が生まれ、一致団結して共同の課題に取り組めば、いかなる困難な人類的危機でさえも克服できるのです。その為には現代においては社会形成論はグローバルな規模での人類の共同の可能性とだぶらせて論じるべきです。

人類全体を巨大な群として統合するには、それを率いるイニシアチブ(主導権)が必要でしょう。それはこれまでのような帝国主義的な軍事的へゲモニーであってはなりません。それこそグローバルな危機を直視し、その克服の為に人類的共同が必要だと認識した人ならだれもが納得できる、理性的なプ口グラムを提起する世界的な指導者(あるいは指導勢カ)の出現が待たれているのです。

それはもはやセクト争いに血道をあげる既成の前衛主義や党派主義とは訣別したものであるべきです。様々な不正や社会矛盾を除去するために連帯し、自然環境の保護や人類的危機の解決へと人類を共同に導こうとする努力をまとめあげて、共同のプログラムに接近しようとするネットワークを形成することです。それが現代における「王道」のイメージなのです。

その意味で、人間の群れを正しく導けば、万物が調和してその所を得、家畜を始め全ての生きとし生けるものが命を輝かせる事ができるとした荀況の捉え方は、素敵ですね。

「貫徹されたヒューマニズムは貫徹されたナチュラリズムである」

とする若きマルクスの視点を彷彿させるものです。両者とも元々人間の身体は自然の一部であって、自然自身が創浩したものであり、人間の意識そのものも自然の自己反省であるという観点があるのです。とはいえ人間社会の改造がそのまま自然の回復を意味するのではありません。人間が自然の一部であることの認識だけでは不充分なのです。本当の自然の回復は実は、逆説的に聞こえるでしょうが、自然が人間の定在であることの認識が必要なのです。 

 

〈参考文献〉

『荀子上・下 (『全釈漢文体系』 集英社版)
木全徳雄解説 『荀子』(『中国古典新書』 明徳出版社))村瀬裕也著 『荀子の世界』 (日中出版)岡本哲治著 『天と人と国』 (芸立出版)